皆さんの記憶からはてっきり消え去ったと思ったのですが……。
そして、今回の話少し重いです。
本編を読んでいない人、または全く覚えていない人(私の更新頻度のせいで非常に多そうですが……)はあまり楽しめないと思います。
また、雰囲気が合わないと思った方は即座にブラウザバックを推奨します。
――さて、そろそろ頃合いかな。
カルデアの食堂にてケーキと一杯目の紅茶を食べ終え、二杯目の紅茶も半分ほど飲み終わったころ、本題に入るために紅茶を飲んでいる彼女にゆっくりと声をかける。
「なぁ、マスター。一つ聞いてもいいかな?」
「なに? 隊長さん?」
甘いものを食べたせいもあって幾分か顔色のよくなった彼女は随分機嫌がよさそうだった。
「なんで深夜に外出したりしたんだ?」
俺だからこそ分かること、そして俺だからこそ出来ること。
「え? ……それは」
予想だにしていなかった質問に彼女が瞳が揺らぎ、顔が俯く。
そんな顔をしていた人間を知っている。彼は結局狂う前まで追い込まれた。いや、きっと彼は狂ってしまいたかったのだろう。狂ってしまえばどれだけ楽だっただろうか。
「……深夜の散歩に……」
その声は想像以上に小さく、そして震えていた。
「別に責めている訳ではないよ。でも、俺が知っている君は言いつけを破って深夜に徘徊するような子じゃなかったはずさ」
「…………」
目を完全に伏せてしまった彼女のティーカップに紅茶を注ぐ。新しい紅茶は白い小さな湯気を下弦の月へ上らせる。
「じゃあ、マスター。――少しだけ話を聞いてほしい。どうだろうか?」
「話ですか?」
「あぁ、一人の男の話さ」
彼女が俺の顔を見て、こくんと一つ頷いたことを確認する。
半分だけ残った自分のティーカップのの紅茶を啜ると彼女を目をしっかりと見ながら口を開く。
「なに、長い話でもない。ある男のどこにでもあるような詰まらない話さ。その男は、静かな夜が嫌いだった。音のない暗い暗い夜が大嫌いだった」
――この話は本当はするべきことではないのかもしれない。
彼女は知らなくていい話なのかも知れない。でも、俺は話すことにした。俺だから話せる話だから。そして、他の誰でもない彼女にだからこそ。
彼女なら暗いものをじっと見つめてその中にあるためになるものを掴める筈だ。
「それはその男があることを思い出すからだった。その男はある国の兵士だった。まぁ、兵士といっても正規軍じゃなくならず者の寄せ集めで作った隊の人間だった。その隊の扱いはあまり良いものじゃなくてね、素行が悪いからと正規軍とは区別されていてね。寝る場所も食う場所も食うものも違った」
「そして、その隊はならず者で構成された隊。扱いもほとんど消耗品と同じ、戦いなら一番やり、負け戦なら、殿。国はならず者たちを自動で処分でき、軍は正規兵を安全に運用できる。実に合理的な考えだ。戦の度に多くが死んだ。命ってなんて軽いものだろうか、と思うほど命に重さはなかった。まだ鳩の羽のほうが重かっただろう。間違いなくあそこは地獄だった」
「そんな隊に男が所属して初めての戦があった。その戦いでも多くの仲間が死んだ。だが、男は運よく生き残った。そして、男はその日初めての戦の疲れからか、テントに戻るとすぐに泥のように眠った」
「しかし、寝る時間が早かったのか、男は深夜に目を覚ます。そう、その日も今日のように音のしない夜だった。男が真っ暗なテントの中でぼーっと虚空を見つめている時だった。ふと、体を悪寒が襲った。昨日まですし詰め状態だったテントなのに、誰のいびきも、寝言も、呼吸音もしなかった」
「男はその時になって実感する。
――――あぁ、みんな死んだんだったな、っと」
「その瞬間、彼は胃の中の物をすべて出した。戦中は生きることに必死になっていたため気にならなかった光景がその時になって脳裏に思い浮かんだ。先頭を駆けていた男は弓のハリネズミのようになり死んだ。隣を走っていた青年が味方の誤射で頭を射貫かれ死んだ。そいつは昨日共に酒を飲み馬鹿話をしていたやつだった。槍で貫かれ死んだ奴もいた。剣で首を叩きおられて死んだ奴がいた。投石で体がバラバラになった奴もいた」
ここまで俺の話を聞いた彼女は小さく「それって……」と呟く。
その呟きに首を縦に一つ振り、紅茶を啜る。
「そう、これは俺の体験談。もう少しで話も終わるからもうちょっとだけ付き合ってほしい」
「……はい」
「君も知っている通り俺はその隊の隊長にまでなった。多くの戦いを経験した。死体なんて何十、何百、もしかしたら何千と見たかもしれない。多くの戦を経験してもどうしても静寂な夜の日には眠れなかった」
「脳裏に浮かぶんだ。
――死んだ奴らの元気だったころの顔と、その死に様が。
戦争が激化すると、人の形を保ったまま死んだ奴らは運がよかった方だった。大砲なんて出てきた日には死体の数と居なくなった人間の数が相当数違ったこともよくあった」
「その時はよく考えたものさ」
「何をですか?」
先ほど違い顔をまっすぐと上げ、こちらを見る彼女に対して続ける。
「皆、俺を恨んじゃいないのかってね」
「…………っ」
小さく息を飲む音が聞こえた。
「致死率150パーセントの隊、地獄一番街、明日なき隊なんて言われてきた酷い隊。そんな隊で何故か常に俺は生き残った。俺より後に入ってきた人間も多くいた俺よりも若い人間も多くいた。でも、その多くが死んだ」
「死んでいった人間は絶対に生き残った俺を恨んでいる。そんなことを考えていたよ。そして当時はよく聞こえたものだった。静寂な夜にはね。死んだ仲間の声で恨みつらみが」
そこまで話すと息を一つ吐き、暖かい紅茶をティーカップに入れ一口。
――うん、やはり紅茶は暖かい方がいい。
「まぁ、もちろん今ではきちんと折り合いを付けているし。もう幻覚が聞こえることもない。でも、静かな夜はやっぱり当時のことを少しだけ思い出す。そんな時は上手く寝つけなくてね。気晴らしに出てみたらマスターと出会ったって訳さ」
一段落ついたところで目の前に座る彼女に紅茶のおかわりは必要か聞く。
彼女が小さく頷いたのを確認してティーカップに紅茶を注ぐ。さて、ここからが本番だ。
「さて、マスター。別に俺は強制しない。深夜に散歩している理由も聞かない。でも、話すことで楽になることもある。君の顔をみてすぐに確信できたよ。マスター、最近寝れてないだろ?」
本人は上手く隠しているつもりかもしれないが、俺からすれば丸わかりだ。
「……そ、それは」
「話し相手が俺では不満かな?」
「い、いえそんなことはないです。隊長さんは頼りになりますし!」
人生とは選択の連続であり、そしてその選択はタイミングを見誤ると、大きなしっぺ返しを食らう。
――ここだ、今日この時だ。
だからこそ、タイミングというものは重要であり、見誤ることは許されない。つまり、彼女の話を聞き出すのに今日この時以上の物はない。
ならば、畳みかけるほかあるまい。
「マスター、聞いてくれ。カルデアの他の誰でもない俺だからこそ君を理解できることもあるんだ」
「え? 隊長さんだから理解できること?」
「そう、俺も君もこのカルデアの中では異色だからね。いうなれば似たようなもんさ」
「それって……」
「君もうすうす感じているだろう。俺とマスターの共通点を」
「…………」
彼女は考えを言葉にしようと口を開く動作をしたが、それは結局音にはならかった。
――なるほど、やっぱり彼女も気づいているか。
「カルデアってのは凄い場所だと思わないか? 古今東西の英霊がいて、魔術を極めた奴らや、どっかしらに特化した技術者が集まって。古今東西、世界中どこを探したってこんな場所はなかっただろう」
「……そうですね」
「この場所にいると時たま考えることがある。なんで、こんな場所に俺みたいな奴がいるんだろうってね」
「…………っ!」
「君も感じたことがあるはずさ。どうして、ここに私なんかがいるんだろう? ってね」
俺の言葉に彼女は肯定も否定もしなかった。ただ目を逸らしただけだった。でも、俺にはそれで十分だった。
「俺とマスターとの共通点。それは簡単なことだよ」
「――――俺もマスターも凡人だ。つまり才能も何もない、ちょっと剣の腕前がある人間と、ちょっと魔術の心得があるだけの凡人同士ってわけだ」
「っ! 私と違って隊長さんは凡人じゃないです! 隊長さんは戦争にも行って戦い抜いて、特異点では世界を救ったじゃないですか!?」
「君も分かっているだろう。俺が生き残ったのは聖女の祈りがあったから、それがなければ遥か前に死んでいたよ。それに特異点に関してはそもそも特異点が俺だった。俺が居なければ世界が滅びることもなかった。ただそれだけの話さ。俺がしたことなんて何もない歴史上にもなかったことになっている」
結局俺には何も変えれなかった。正史通り歴史は俺の存在をなかったかのように扱い聖女はきちんと塔に幽閉され、燃えていった。
「でも……」
「マスター一つ面白い話をしてやろう」
まだ踏ん切りがつかない彼女にさらに続ける。
「?」
「俺が戦争にいった理由は知ってるか?」
「確か、育ての親の敵討ちに……」
「そう、その通り。俺は両親の敵討ちのために軍に入った。イングランド兵にそれなりの恨みつらみを持ってね。さて、ここで問題だ。敵討ちで軍に入り、その実一番槍を任される隊に所属して、一番敵とぶつかり合う兵士が本当に誰も殺してないというのはあり得るだろうか?」
「……っ!」
彼女の顔がはっとし、息を飲んだのがはっきりと分かった。
「あり得るわけがない。不殺を心がけるのであれば軍隊なんて所属していない。“結果”として“不殺”になったんだよ。殺したくても殺せなかった。殺そうとしたさ、でも、殺せなかった。相手を害そうとした瞬間体が自分の意志とは関係なく変な動きをしたり、あるいは動かなくなったり、あるいは運よく躱されたり……」
――貴方のために祈ります。
今は昔聖女の祈りを一身に受けた男がいた。
結局のところ、
――“不死不殺の悪魔”なんてものは
ある聖女の祈りである『不死』と、世界からの呪いによって生まれた『不殺』が複雑怪奇に組み合わさった幻想に過ぎないのだ。
「俺には兵士の一人すらもどうしようも出来なかった。それはそうさ、俺は英雄でもなければ神でもない、勇者でもなければ英霊でもない。ただの凡人さ。凡人に歴史を変えることは出来ない。なぁ、俺はただ凡人だろう?」
別に英雄になりたかった訳でも、なれるとも思ってはない。そもそも俺に英雄とはむず痒い。おそらく何十回、いや何百回と生まれ変わってもそれらになれるとも思わない。
「でも、隊長さんはここに召喚されて……」
「そう、俺は何かの間違いでここの呼ばれてしまった。その意味をずっと考えてきた。そして、その答えが出た」
魑魅魍魎も英霊が闊歩するカルデアにこの凡庸たる身が呼ばれたのか、短くない時間考えてきた。
初めはジャンヌ達との縁やら、召喚装置のバグだと思っていた。そして、それは間違いないだろう。
しかし、召喚は偶然の産物かもしれないが俺が今、ここにいる意味はある。
「それは一体?」
俺がこのカルデアにやってきた意味――
「それは、きっとマスター、――貴方を一人にしないためだ」
彼女の睡眠不足は、俺ですら分かるのだ。ダヴィンチや、ドクターロマン当たりは勿論のこと他の数人のサーヴァントも分かっているはずだ。
しかし、誰もフォローをしていない。それは、カルデアの誰もが彼女の救い方を知らないのだ。
それはそうだ。人類最後の希望と言われていようが、彼女はただの女の子なんだ。
英雄でも、神様でも、王でも、知識人でも、聖女でもない。
――彼女はただの凡人だ。
ちょっと魔術の適性のある女の子だ。
カルデアは才能ある者たちの楽園。だからこそ、誰も彼女のことを分からない。持っていない人間のことを理解できない。
しかし、だ。しかし、俺なら理解できる。
――何も持っていない凡人である俺だからこそ、彼女の気持ちを理解できる。
カルデアにいる誰もが出来なくて、俺にだけできること。
古今東西の英雄のように彼女を物理的に助けることは出来ないが、それ以外の部分では俺が彼女の助けとなる。
凡人だからこそ彼女を理解でき、凡人だからこそ彼女とともにカルデアの中で際立っていれる。
詭弁でもいい、道化でもいい。それでも彼女が救われるのであれば、この身はそれでいいのだ。
なぜならこの身はサーヴァント。サーヴァントの役割とは単純明快、
――マスターを守ること、ただそれだけだ。
「それって……」
「カルデアは才能ある者たちの楽園。マシュですらデミサーヴァントだ。マスターと違い戦闘ができる。でも、マスターはただ魔術の適性があっただけの女の子。そして、俺は言わずもがな、少し腕の立つ一般兵。才能ない者同士お互い浮いているってわけだ」
「うふふ、なんですか、それ」
俺の言葉に彼女はようやく笑顔を見せてくれた。
「だから、話してみないか? マスター、俺にマスターの悩みが解決出来るとは思わないが、一緒に悩むことなら出来るはずさ」
彼女はしばらく手元にあったティーカップの水面に視線を落とした後、顔を上げた。
透き通ったブラウンの瞳が俺を移す。
「悩みがあるっていうことも分かっているんですね」
「あぁ、勿論。そんな顔をしていた人間を一人よく知っていたんでな」
今は昔、狂いたくても狂えなかった男がいた。
「それって……」
「そう俺のことさ。死が隣人どころかとなりで腕を組んでる状況が日常茶飯事で、死に怯えながらも何一つ変えれずにいた時のな」
誰一人殺せないと知った時、諦めにも似た絶望を味わったと同時にもっと恐ろしいことに気づいた。
――本当の意味でこの世界で俺は一人ぼっちなんだな。
それに気づいても狂わなかったのは果たしてよかったことなのだろうか、それは今では分からないが、同じ思いを彼女にさせるわけにはいかない。
「……分かりました。お話します」
俺の思いが通じたのか、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。
初めは、魔術の適性があると分かり喜んだこと、初めてマシュと戦闘をした時のこと、初めて特異点を訪れたときのこと、初めて英霊と出会った時のこと。
「多くのことがあったんだ」
彼女はそういって薄く笑う。
「楽しいことも一杯あった。辛いことも一杯あった。でもね、最近怖いんだ」
ぽつりぽつりと湧き出る感情を言葉に変えて彼女は話す。
「特異点での戦闘が最近過激になって来ているんだ。相手のサーヴァントも強くなって、そして容赦なく私を狙ってくる」
「わたし、わたし怖いんだ……マシュが、皆が私を守ってくれるって分かってる。でも、でも……」
声は震え、やがて嗚咽交じりになる。
人類最後の希望と呼ばれ、常に魑魅魍魎がうごめく戦場に立たなければいけない彼女のプレッシャーが如何ばかりと察するのも烏滸がましい。
藤丸立香は普通の女の子だ。
そんな彼女が周りからのプレッシャーや死への恐怖へ勝ち続けられる訳がない。
「わたし……わたし、死ぬのが怖いんです。死ぬのも怖いし、私が死んだら、世界が滅ぶという事実も怖いんです」
「私が立たなきゃ、私が戦わなきゃ世界が滅びる。そんなことは分かってます! でも、でも! どうしようもなく、足がすくむときがある! 死ぬのが怖くて動けなくなる時もある!」
一際大きな声で話す彼女をみて漸く俺は藤丸立香に出会えた気がした。
「最近眠れないんです。死んでしまったらどうしようとか、世界が滅びたらどうしようとか考えてしまって……。カルデアの職員さんたちの笑顔や、特異点で出会った人たちの笑顔が、私には世界を救って英雄になれと言っているようにしか見えないんです! 私は、私は普通の女の子なのに!」
まるで心の中をすべて吐き出すかのように、感情を叩きつけたあと、立香は小さく続けた。
「ねぇ、隊長さん私は、私はどうすればいいんですかね?」
彼女の話を聞いて考える。
英雄でも、神様でも、王でも、知識人でも、聖女でもない。凡人の俺だからこそ出せる答えを考える。答えはすんなりとすぐに出た。それはそうだ、凡人にか出せない答えとはすなわち俺の考えそのままだからだ。
飾りたてしなくてもいい、別に拙くても、ここ数日で泣き疲れて涙も枯れてしまったブラウンの瞳しっかりと見つめる。
――真っすぐに喋れば光線のように心へ届く。
いつかの昔、インディアンの中で使われていた金言を俺は信じている。
「なぁ、立香」
あえてマスターではなく名前で呼ぶ。これはマスター藤丸立香への言葉ではない。女の子としての藤丸立香への言葉なのだ。
「なんですか……」
「立香は、立香は頑張ったよな」
俺の言葉が気に障ったのか立香は目を釣り上げると睨むようにして俺を見る。
「頑張った……? 頑張ったからなんになるって言うんですか!? 頑張った賞でも貰えるんですか!? 馬鹿にしないでください! 頑張ったところで世界が滅びたら何の意味もないんです!」
そうさ、かつての俺もそうだった。頑張ったところで何も変わっていなければ何も意味がないと本気で思っていた。
「立香、頑張ったことに意味はあるんだよ」
「どうしてそんなことが言えるんですか?」
「君の頑張りをここにいる全員が覚えている。それだけでも十分なのさ」
「世界が滅びたら、そんなことは関係ありません」
「今は昔、過去にとんだ男がいた。男は聖女に恋をし、ちょっとだけ頑張って世界を救った。しかし、世界の修正力は強力で男の功績は何一つ消されて残ってはいなかった」
「なんですか? また自分の話ですか?」
「そうだな。男は何一つ変えることが出来なかった。聖女は塔に幽閉され、ならず者の集まる隊から一人の男の痕跡が消えた。でもな、歴史に残らなかった男のことを彼女や彼らは覚えていた。確かに頑張ったところで結果は変わらなかったけど、どうだい? 頑張ることに意味はあっただろう」
俺は確信したい。人間の頑張り、人間の祈り、そして、人間の思いに意味はあるのだと。
「それは……」
「それにな立香。君はもう十分頑張った。ここにいる誰もがそれを証明できる。だから――」
しっかりと立香の目を見て続ける。
「――本当に、全てが嫌になったら、逃げてしまえ」
「え……?」
予想打にしていなかった言葉だったのか立香の動きが止まる。
「逃げるって……逃げてしまったら世界が滅びて……」
「世界なんて滅ぼしてしまえ――なぁ、立香。世界を救うなんて役目、凡人には重すぎると思わないか? 一人の女の子の双肩で支えるのは重すぎる。世界を救うのは英雄の役目じゃないか? 凡人がするにはお門違いも甚だしいと思わないか?」
「…………」
「そもそも世界を救うなんて英雄の役目だ。その英雄英霊たちがどうしようもないのに、凡人に何が出来るんだって思わないか?」
未だにぽかんとしている立香に続ける。
「それにな、俺は思うんだ。――――こんな小さな女の子を犠牲にして助かる世界なら、そんな世界はいらないってね」
その言葉は本心だった。だかこそ、立香の心に届くと信じている。
「な、なんですか、それ!?」
オメラスという理想郷の話を知っているだろうか?
ここではない何処かにある理想郷だ。君主制も奴隷制もなく、人々は精神的にも物質的にも豊かに暮らしている。そんな理想郷だ。しかし、そのオメラスは一人の子供の犠牲の上に成り立っている。
ここはオメラスではなくカルデアだ。それは重々承知している。しかし、俺は彼女の存在がオメラスの地下に囚われている犠牲になった子供に重なって仕方がない。
「何って言われれば俺の本心だよ。立香の頑張りはカルデアの天才達が、英雄であるサーヴァント達が、そして凡人である俺が知っている。君が本当に逃げたいんであれば世界中の誰にも文句を言わせない。例え神様であってもだ」
「だから、立香。無理はしなくていい。本心のままに行動してほしい。君がどのような道を選ぼうが、少なくとも俺は君を応援する。決して裏切りはしない。君が本当に戦闘から逃げ出したいと願うなら相手がどこの誰であれ、この俺が血路を切り開こう」
「…………」
立香はしばらく、視線を上下左右に動かし、何かを考えたあと、ぽつりぽつりと言葉をつづけた。
「そんなこと出来るんですか? 隊長さんは私と同じ凡人なのに」
「出来るさ。この身は確かに凡庸なれど、今は昔、戦場では悪魔と恐れられ、そしてある冬の聖杯を巡る争いでは化け物共を相手に生き残った、不死の悪魔。女の子の一人逃がすくらいは朝飯前さ」
立香の問いかけに自信満々といった笑みを浮かべて答える。
「ふふ、なんですか、それ、さっきまで凡人だのなんだの言っておいて結局悪魔なんですか」
小さく自然な笑みを浮かべる彼女を見て、俺も笑い返す。やはり彼女にはこの笑顔が似合う。
「女の子の前では恰好付けておきたいものなんだよ。男ってやつはさ」
「なーんか腑に落ちませんがそういうことにしておきましょう。ありがとうございます。話を聞いて貰えて何だか楽になった気がします」
まるで憑き物がとれたかのような笑顔を見せる彼女に、
「それにさっきの話は本当さ。君が逃げたい、投げ出したいと心の底から願うのであれば、俺はどこまでも付き合うさ。何せ俺は――君を一人にしないために呼ばれたサーヴァントだからな」
――まぁ、ただし地獄へ行くことが確定しているから、天国までは付き合えんけどな。
そう付け加えておくことも忘れない。
「何ですか、それ? 地獄だったら付き合ってくれるんですか?」
「あぁ、これでも地獄一番街と揶揄されてた隊の隊長だ。地獄なんてなんて庭みたいなもんさ」
「うふふふ、何だか隊長さんとでしたら地獄もまた面白そうですね」
そう言って笑う彼女に、俺は、
「勘弁してくれ。天国に行ってくれないと、ジャンヌあたりから小言を言われそうで怖いんだ」
「悪魔でも怖いものがあるんですね」
「そりゃ悪魔だからな聖女には弱いと相場が決まってるのさ」
俺の言葉に彼女は笑った。もう何も心配しなくてよさそうだ。
さて、と。やるべきことも終わったところで時計を見ればもう夜も明ける時刻。立香には数時間とはいえ睡眠をとらせるべきだろう。
くぁ、と小さなあくびをしている立香に洗い物はやっておくから、自室に戻るように促す。
「分かりました。お言葉に甘えます。何だか今日は久しぶりに寝れそうです」
「あぁ、ダヴィンチやロマンには少しだけ起床時間を伸ばすように伝えておく。起こされるまではゆっくりとしておきな」
「ありがとうございます。また、悩みができたら相談に来てもいいですか?」
ぐーっと背伸びをしながら立香はそう言った。それに対する俺の答えは言うまでもない。
「あぁ、勿論。今度も上手い紅茶を用意しておく」
俺の言葉に、
「あれ? ケーキは用意してくれないんですか?」
立香は揶揄うようにそう言うのだった。
「なぁ、立香」
部屋を出て行こうとする彼女の背中に声をかける。
なに、最後に一つ言うべきことを思い出したに過ぎない。
「なんですか?」
「凡人にも世界を救うことは出来るよ。かつての俺がそうだった」
「なんですか、それ。さっきはもとに戻しただけだとか言っていた癖に」
「いや、他の誰も覚えてなくても君は覚えてくれているはずだ。俺が確かに特異点を解決したことを。案外簡単かもしれないぜ、俺は惚れた女を救ったら、一緒に世界まで救ってしまっただけだ」
凡人でも頑張れば世界を救える。伝えたいことは伝えた。後は彼女次第だ。
「うふふふふふふ、今はそれで騙されておいてあげます。でも、もしもの時は……」
「分かっている。悪魔は契約は守るんだ」
こうして、カルデアの深夜の物語は終わった。
白んだ空に下弦の月はついに見えなくなっていた。
実はこの話は昨日の話と合わせて一話の予定でした。
しかし、長すぎるのといきなりの更新でこんな話を読まれても読者の方々を混乱させると思い分割更新させていただきました。次の更新は未定ですが、気軽に読めるゆるい話を書きます。
……多分。