霊力が全身に駆け巡り、得も言われぬ充足感を感じる。
この場の全ての者が、俺に驚愕の視線を集める。
それは時雨も例に漏れず、自身の紫色をした瞳を瞬かせていた。
「……へェ、すごいね。さッさと殺さないと!」
余裕がなくなった様子の時雨が、驚異的なスピードで俺に接近し、槍を突き出す。
加速による足元の爆破の如き蹴りは、地震かと錯覚するほどで、崖近くが崩れるかと思うほどだった。
「……遅い」
そう、遅かった。アンリミテッドで、霊力が頭いっぱいに回った今の俺にとっては。
時雨のあれだけ速かった走破は、俺には徒歩にも見えた。いや、それよりも遅いだろうか。
いや、実際は速かった。ただ、俺の思考循環が圧倒的に速い。
状況判断能力は、さすがに翔には負けるだろう。
が、反応速度なら、大きく差をつけて勝っている。そんな自信があった。
「なッ……!? はあぁぁぁ!」
渾身の一撃を軽々と流されたことに驚いた時雨は、今度は連続して突きを放つ。
人間の成せるスピードではない。到底追いつかない領域だ。
自分の中に瘴気を入れるというのは、それ相応のリスクもある。
自分自身が瘴気に苛まれる。代わりに、爆発的な身体能力が得られる。
瘴気を溜める、とはそういうことなのだろう。
が、霊力を溜める、ということも同じだ。
文字通り全身を巡る霊力は、腕にも例外なく通っている。
瞬時の判断と、閃光の剣技。それらが織りなす技は、常識を逸したものだと自負できる。
多少気だるげになりながらも、槍の突きを全て弾く。
「えっと、確か……こんなに弱かった? 遅かった? だったっけか、時雨?」
流して、弾いての繰り返し。
「何で、何でだ! 何でだよぉおお! 天ぁぁぁあ!」
「何で、か……そうだな。お前の唯一の敗因は、俺の仲間に傷を入れたことだ」
「仲間ァ!? そういうの、俺は大ッッッ嫌いなんだよ! 反吐が出る! あぁ、あぁ、吐き気がする!」
そう吐き捨てるように言って、距離をとる時雨。
退いた先で、槍を構えたまま、両腕を槍ごと引いてタメをつくっている。
ビリビリと電流を帯びているような、密度の濃い瘴気が槍とそれを握る両腕に集まっている。
渦巻き、逆巻き、深い闇へと消えていく。
纏っていた分は勿論、新たに生み出された瘴気も集まっている。
天災の予兆かの如く、暴れ狂う瘴気が溜め込まれる。
「……黒龍よ、不滅の牙を突き立てろッ! 穿てェッ! 撃滅槍ォォオッ!」
先程までの瘴気とは比べ物にならないくらいの瘴気が、時雨のエネルギーとなる。
その爆発的なエネルギーが、彼自身の加速と槍を突き出す馬力を活性化させた。
足にも瘴気は集められ、加速と共に瘴気どうしがぶつかり合って、瘴気の電流を引き起こす。
時雨が消えて、槍は閃光の軌跡を生み出す。
しかし、その軌跡は真の意味で閃光ではない。一瞬で払われる、弱々しい闇だ。
「……だから、遅いと言っているだろう」
黒々と変色した牙が襲い掛かってくる。
が、俺にはそれさえも遅かった。やはりと言うべきか、軽々と、受け流す。
異常な程の金属音が響き、周囲は驚きの感情に満ち満ちている。
心はひどく落ち着いていて、今の状況がとてもピンチだとは思えなかった。
俺はさっきとは打って変わって、時雨に冷ややかな目線を続けている。
「な、に……!?」
時雨が驚いている間に、距離をとる。
霊力を全身に溜め込んでいる分、スペルカードを出す速度も速くなっているはず。
「霧符 『一寸先も見えない濃霧』」
神憑を掲げて、一瞬で濃霧が発生する。
本来は霊力を霧に変える分、どうしてもディレイが避けられない。
が、今の俺なら、スペルカードを出す速度だけでなく、水の状態変化の速度も速められる。
深い霧に覆われて、どこが前かさえもはっきりしなくなった。
が、お互いはお互いの溢れんばかりの瘴気と霊力で、位置はわかっている。
けれど、それでいい。
「……煉獄業火の閃」
静かに、唱える。神憑で俺の怒りを。
白濁とした靄の中で卓然と燃え盛る炎は、赤かった。
混濁する暗い靄の中で輝いているのは、それのみ。
霧全てを吹き飛ばす勢いで、地面を蹴った。
爆発音かとも思える音が低く響き渡り、地面には亀裂が走っている。
燃え盛る刃を瘴気の方向に向け、切り裂く。と同時に、爆発。
「ぐッ……あぁぁあ!」
霊力爆発を人間の体で受けると、かなりの威力が幻獣と比べると小さすぎる体にかかる。
風圧、音圧等のあらゆる圧力が、その体に。
あまりに大きすぎるそれらは空を、地面を揺らし、霧を払った。
先程まで陽光を遮っていた霧が払われた今、暗かった空間に光が差し込む。
目に光が入り、飛び込んできた光景は、時雨が吹き飛ばされた場面だった。
これは
時雨が吹き飛ばされた先は――
「……ッ!?」
このために、俺は霧を発生させた。足元が見えづらくなるから。
最初から隠れるために使ったスペルカードじゃなく、相手を陥れるために使った。
霊力でこちらの位置がバレていて、視界は最悪の中、意識は崖から絶対と言っていい程外れるだろう。
霊力にばかり意識を向ける。その方向に、俺がいるから。攻撃が来るだろうから。
時雨の予想は当たった。だが、誤算だったのだろう。
俺が、こんなにも速いことに。
音を優に超えて、無限の先を見た俺の速度に。
しかし、今は時雨が落下する寸前。このままだと、飛行されて終わりだ。
――だが。
「――な、何故だッ!? どうして、
時雨。お前は一つ、勘違いをしている。
どうして? 自分が一番わかっていることなんじゃないのか? そう問いたくなる。
原因は――瘴気だった。
彼の瘴気が自分自身を蝕み過ぎた。
それは体だけに留まらず、霊力の流れさえも停滞させた。
悪魔の齧った後の毒に、侵食されたんだ。
勿論、瘴気で飛ぶことはできない。
これ以上自分から瘴気を流すと、恐らく飛ぶ前に自分が発狂して終わり。飛ぶことも叶わず、精神崩壊を引き起こす。
撃滅槍のときに、瘴気を纏いすぎた。それが、時雨の末路だ。
「ク……クソオォォオオ! 新藤 天ァ! アアァァァァアァァ――!!!」
深く、深くへと消えていく彼自身と叫び声。
同じく深すぎる崖とその下の森が、叫び声を山彦として反響させる。
その叫び声は、虚しくも。自分の耳に残ることはなかった。
俺は、後を追って追撃しようとした。
落ちた先の崖に向かって飛び降りよう。
――そう、思った時。
「……う、ぐ、がはッ!」
とうとう、限界が、来た。
内蔵が焼けるように痛く、体の中で激しく暴れまわっている。
ぐちゃぐちゃと内臓の転がる嫌な音が聞こえ、意識が飛びそうになる。
「「「天ぁ!」」」
この場の俺以外の全員が、叫ぶ。
その叫び声も、俺には届きそうになかった。
手は神憑を握ることのできないくらい力が抜けて、寂しい金属音を
細々とした軽い金属音のすぐ後に、俺は地面に突っ伏す。
砂埃を巻き上げ、立ち上がろうとしても指一本すら動かせない。
冬の冷たすぎる風が、全身を撫でる。
そして、俺は察した。わかった、何となくだが。
まだ数分も経っていないはずなのに。
――あ、これ、死ぬかも。
―*―*―*―*―*―*―
「…………」
夢かと思った。現実かどうか疑った。
直接手を下していないとはいえ、あの時雨が能力をフルに使って、勝てない。
リベレーションを超越するアンリミテッドは、まさに無限だった。
進化の前のそれとは比べ物にならない。ある意味では、全くの別種なのだろう。
段違いに、強かった。確かに、強かった。あぁ、強かったとも。
俺は見た。あの戦士の勇姿を。命を賭けて戦う、勇気ある姿を。
「ふ、ふふ……ふははははッ!」
楽しい。楽しい。こいつは、絶望に満ちる時、どんな顔をして絶望するんだろうか。
今までに、天は何度も絶望している。が、俺が言っているのは、さらに先にある絶望だ。
例えば……そうだな。あれとか。天にとっては、一番の絶望だろう。
その勇気の姿が崩れ落ちる瞬間が、楽しみで仕方がない。
力なき自分に絶望する顔が、見たくて仕方がない。
まぁ、理想郷を創ればそんなものはいくらでも見られる。
けれど、本物の顔を一度見てみたい。どのみち、天は相手になるんだ。丁度いいだろう。
そして、あの栞はどんな顔……というより、声をするんだろうか。
俺は取り敢えず、どんな顔をして対面するのが良いか、考えていた。
灰色になっていた空が、どんどんと陽の光を浴びて青になっていくのを見守りながら。
「そう、だな……じゃあ、
ありがとうございました!
時雨戦、物足りない感があったと思います。
すみません。
日常編を入れたら、ついに不知火戦です。
時雨戦の分、不知火を盛り上げます。
ではでは!