鳥の囀りで私は目を覚ました。頭がガンガンと痛い……
「う、うーん……?」
元々寝起きが良くない上に、この痛みだ。しばらく起きられそうもない。
と、そこで自分が何かを抱き締めていることに気付く。妙に温かいのはこのせいか。
ってこんな展開、ちょっと前にもあったような……
「やっぱりイルさんだ……」
「…………」
恐る恐る確認すると、案の定イルさんである。今日は正面から抱き合う形で眠ってしまったらしい。
「ええっと、どうしてこうなったんだっけ……確かワインを一気飲みして……」
そうだ、思い出した。イルさんが余りにもワインに執着するから、つい悪戯しようと思って一気飲みしたのでした。あの時のイルさんの顔といったら……今思い出しても笑ってしまう。
ですが、ワインを一気飲みしたのは悪手でしたね……私はあんまりお酒に強くないのです。
「……状況としてはイルさんが介抱してくれて、そのまま疲れて一緒に眠っちゃった、ってところでしょうか」
推測してみるがあまり自信はない。周りを見てもお水とか無いし、きっと私が何かしでかしたのが筋でしょう。
……それにしても、ですよ?
「…………」
「…………」
イルさんの寝顔が可愛い。もう食べちゃいたいくらい。いや実際には食べませんが。
いつもは毒を吐いたりずぼらだったりして、げんなりさせられることばかりだけど、こうして黙っていると童顔で非常に可愛らしい。中途半端に長い髪も相まって、中性的でお人形さんみたいだ。天使か。天使なのか。
「……いけないいけない」
思わず思考が暴走しかかった。だがこんな機会はそうそう無いだろう。今のうちに目に焼き付けておきましょう。眼福眼福。
「こないだとは違って、何だか安らかに寝てるなぁ……良い事あったからかな?」
その良い事があったであろう昨日を思い返すと、私にとってはもう本当に散々で。
この異世界人、スコルスコヴィルの肉に興味を抱くとは誰が予想しましょうか……そのせいで何故か私が戦術について全部纏める事になったし……なんだか腹が立ってきた。鬱憤をちょっとだけ晴らすとしましょう。
「それ、うりうりー」
頭をなでなでしてやる。髪がサラサラしていて気持ちいい。ああもう可愛いなぁ……
「お次はむぎゅーっと」
続いて胸に飛び込んでみる。身長差があるからいつもは逆になるんだろうけど、今は寝転がっているからこれもあり。ちゃんとお風呂に入っているからか、良い匂いがするし抱き心地も抜群です。勉強の時はずぼらなのに、こういう所はちゃっかりしてるんですね。
……いつも思ってますけど、イルさんは体が細い。ちゃんと食べてるのにこれって、ちょっと、いや、すごく羨ましい。
「はあ、堪能した……」
満足して顔を上げると、
「……っ」
イルさんの顔が近い。……これ以上いけないのは分かっているけれど、でもちょっとだけ。
「き、キスとか……しし、しちゃおうかな……?」
「……したら絶交だからな?」
「――!? いいい、イルさん!? いつから起きてたんですか!?」
「……頭撫でられた辺りから?」
「――――」
どどど、どうしよう。怒られる。これは絶対怒られるやつだ……! 思わず身を固くする私。
けれど、そんな私を知ってか知らずか、
「どうした? 何か固まってるけど……」
意外にもイルさん全然怒ってないみたいです。何だこれ。夢かな……?
「お、怒らないんです?」
「いや、別に。色々されたけど悪くなかったし」
しかも悪くないと返してきましたよ、この人。頭でも打ったのかな?
「い、イルさん、様子がおかしいような……?」
「何言ってるんだ。俺はいつも通りだぞ? ……それ、仕返しだ」
「――!?」
逆に頭をなでなでされてしまった。……何だこれ。やっぱり夢かな……?
「ほ、本当にどうしたんですか!? イルさん!?」
「…………」
そこではたと我に返ったのか、赤面するイルさん。照れた顔も可愛いですねぇ。
「……何でもない、ちょっと寝惚けてただけだ」
「何でもないって事は無いでしょう!? 前は近寄っただけで鬱陶しいとか言ってきたのに!?」
「こっちの顔見てニヤニヤするお前が悪い」
可愛いと思ったのが顔に出ていたようだ。失敗した……! そんな私を横目に、弁明するかのように語るイルさん。
「実は昨日、色々合点がいったんだけど、お前に話すと面倒臭そうだから黙っておくことにした」
「ええっ、何か分かったんですか? 教えてくださいよー!」
「やだよ。……恥ずかしいし」
「恥ずかしい事なんですか!?」
「その反応が既に面倒臭い……」
「ええええぇ……」
何なのだこれは。私はどうすればいいのだ……
「いいから、いつまでも俺に引っ付いてないでとっとと起きるぞ。ナズナに見つかると厄介だからな」
「……分かった事、いつか教えてくださいよー?」
「……善処する」
「あ、これ絶対教えてくれない返し方だ! イルさんのケチー!」
「うるさい馬鹿! ……ああもう、なんでこんなのを――」
イルさんが何かぶつぶつと呟いていたが聞き取れなかった。私はどう思われてるんだろう……
「?」
「……何でもない。んで、今日は何処に行くんだったっけ? 何も聞いてないんだが」
「あ、えっと、今日は中庭で加護の調査ですね」
「分かった。ならさっさと準備だな。ほら、きりきり動け」
「あうぅぅ……」
そう言うとイルさんは私の頭をバシバシと叩く。私の扱いが露骨に雑になったのは照れ隠しだと思うことにしよう。照れ隠しですよね? ね?
身支度を済ませ、私の先導で中庭に着く。前に来た時というか、イルさんを召喚した時にはクレーターとか出来てたけど、その辺りは徹底して修復された模様。またしても人払いがされているのか、私達以外に人影はない。
「で、着いたはいいけどここで何するんだ? 何もないのに調査とかどうやるんだ?」
「ここに結界を張り、その中でイルさんの加護を引き出します。そのためにちょっと広い場所が必要でして」
「ほうほう。って、お前がやるのか。誰か専門家が来るのかと思ってた」
「最初はその予定だったらしいんですけど、私とイルさんの相性が良すぎるので急遽変更した、とナズナさんが言ってました」
「なるほど……」
「という訳で、準備を始めるのでイルさんは離れて見ていてください」
早速準備を始める。といっても魔方陣を描けば終わりなんですけどね。内から外へ、外から内への干渉が出来ないよう術式を込めていく。
「……それにしてもこの魔方陣は何の意味があるんだ?」
「これはですね。内外不干渉の結界と言って、イルさんの魔力が暴走した際に、周りに被害が出ないようにしているんです。要するに保険ですね」
「加護の引き出しとか言ったか。それって危険なのか?」
「今からやろうとしているのは、その人がどんな加護を受けているかが分からない状態での強制発動ですからね。慎重になり過ぎるということはないんです」
「え、お前そんな危険なこと今からやろうとしてたの……?」
「あれ、言ってませんでしたっけ……?」
……朝から色々あったからか、伝え忘れていたようです。まあ大丈夫でしょう。危険はないはずだから……多分。イルさんは何やら複雑な表情をしていますが、ここは気にしないでおきましょう。
「よしっと、描けました。イルさんここの真ん中に来てください」
「ああ、分かった……お前を信じるしかないな」
イルさん大分緊張なさっているご様子。まあ無理もないですね。結界の真ん中に来てもらって作業開始です。
「では、始めますね。『――閉じよ』」
先ずは結界を閉じる。これで万が一の事が起こっても被害は私だけで済む。
「座って、目を閉じてリラックスください」
「……」
「そのまま……じっとしていて……」
イルさんの頭に触れ、魔力を同調させていく。イメージは瓶の蓋を開けるように。
探る。探る。――掴んだ。
「――よっと」
カポンと蓋が開く感覚。相性が良いからか、速攻で終わってしまいました……もうちょっと苦戦するはずだったのに、予想外です。
早速何か変化が起こっていないか、イルさんを覗き込んでみる。
「イルさん、終わりましたよー? んんー?」
……特に変化が無い? そんな筈はないんだけど……
しばらく観察を続ける。一分。二分。変化も無いし、イルさんも起きてくれない。少し不安になってきた。
「イルさーん、起きてくださいよー」
がっくがっくと揺さぶってみる。全く起きてくれない。
――だがここで一つの変化が起きた。
「黒い、涙……?」
イルさんの目から一筋、真っ黒な涙が流れてきたのだ。何でしょうこれは……
「って、うわわわっ!?」
疑問に思う暇も無く、それは止めども無く流れに流れて来て――
「よく見たら色んな所から黒いのが出てるじゃないですか!?」
口、耳、鼻、あらゆる所から黒いものは出てきていた。
「これ、どれだけ出てくるんです……!?」
ごぼりごぼりとイルさんから吐き出されていくそれは、水溜りを作り、やがて結界一面にまで広がっていく。必然、私の足元も黒い水に浸かってしまう。
「これは……魔力? そして何でしょう……?」
この水に触れると何だか心がざわつく。この感情は……憂い? 哀しみ? 何にせよあまり触れていて良いものでもなさそうだ。
「何なんですかこれ……! イルさん早く起きてください……!」
「ん――」
頭が酷く重い。ここは何処だろう? 周りは真っ暗だ。確か俺はエニシダに加護の引き出しとやらを受けていたはず。
「…………」
これは死後の世界という奴だろうか。真っ暗だから多分そうだろう。エニシダめ、失敗しちゃったか。
「……あいつ、肝心の本番で失敗しそうなタイプだったもんな」
「いえ、失敗はしてませんよ?」
何処からかエニシダの声が聞こえる。幻聴か。未練たらたらだな俺。
「にしてもここが死後の世界か……何もないな、真っ暗だ」
「死んでもいませんよ!?」
また幻聴。そうか、これはそういう事か……
「そうか、エニシダも一緒に死んでしまったか……」
「だーかーらー、違いますって!」
またエニシダの声。やたらと威勢がいいこのツッコミ、幻聴ではなく本人なのか……?
「……もしかして死んでない?」
「さっきから言ってるじゃないですか! 寝惚けてないで、この黒いの何とかしてください! 障壁でガードし続けるの大変なんですから!」
「何とかしろって言われても……どうすればいいんだ……?」
全く状況は分からないが、俺の所為でこの真っ暗な空間になっているらしい。
「引っ込めとか、自分の中に戻れとか、そんな感じで強く思って下さい!」
「よく分からんが、やってみよう」
引っ込めー、戻れ―。……こんな感じか?
「お、おお?」
すると闇の帳は下り、上の方から光が入ってきた。徐々にだが周りが見えるようになる。
それに足元からか、ぞぶぞぶと音が聞こえる。これは何だろう?
「お、エニシダ。ちゃんと生きてたな」
「な、何とか……窒息死するかと思いました……」
闇が下がり続け、ようやくエニシダが現れた。あいつの周りだけ空洞が出来てたけど、あれが障壁とやらか。器用な事も出来るもんだな……
関心している間も闇は下がり続ける。下がりに下がり……綺麗さっぱり無くなった。
邪魔なのが無くなったので、再度周りを確認してみる。周りの光景は中庭、自分の下には魔方陣。どうやら結界の中が黒いので埋まっていたようだ。
「にしてもあの黒いのなんだったんだ?」
「……あれがイルさんの加護です」
「は?」
思わぬ返答が来た。あれが俺の……?
「あの黒い水、全部イルさんの中から出て来たんですよ? 今は影の中に引っ込んじゃったみたいですけど」
「黒い水、影の中って……」
何かぞぶぞぶ音がしてたのはそれか。俺の加護って意外とグロテスクだな……
「それよりもイルさん……髪伸びてません?」
「え、髪? ……うお、ほんとだ」
言われて確認すると、確かに背中の中ほどまで伸びていた。暗い所にいたから気付くのが遅れたか……にしても前から後ろまで全部伸びることは無いだろうに。非常に鬱陶しい。
「切らないとなぁ。面倒臭い……」
「リアクション薄すぎませんか……? 普通はもっと驚くと思うんですけど」
「いやだって、なんか変な黒いのが俺のものですよー、とか言われた後だし……というか、若返ったり、変なの出せるようになったりするのに比べれば、こんなの普通だし」
「いや、全然普通じゃないですからね!?」
こっちに来てからというもの、身体の変化が著しい。いちいち気にしてたらやってられないのだ。
「んでだ。髪はどうでもいいから、加護のコントロールの仕方を教えるんだ。ハリー」
またこいつを生き埋めにしかねない。それは流石に御免である。
「コントロールですか……その前に、このままだと動けないので魔方陣を解きますね。ほいっと」
エニシダが手を振り上げた次の瞬間、魔方陣は綺麗さっぱり消え去ってしまった。消すときは一瞬なんだな……
「それで加護なんですけど、こればっかりは人それぞれですので、個人個人で扱い方も違うんですよねぇ。取り敢えずさっき引っ込めたときみたいに、出てこいーって思ってみればいいんじゃないですかね?」
「また適当な……」
だが言われたとおりに念じてみる。出て来てくれー、頼むー、何か扱いやすいのー。
すると、自分の影の中からごろりと丸い球体が出て来た。扱いやすいもので無意識にボールを連想したようだ。
「おお、本当に出て来た」
「まずは第一歩ですね」
手に取って眺めてみる。真っ黒だ。それ以外の感想が出てこない。
「……これ、何の役に立つんだろうな?」
「それを今から調べるんですよ」
「ああそうだった。取り敢えず弄ってみるか……溶けろ」
直観的に溶けるよう命じてみる。すると球体は溶けて手から抜け落ち、影の中に吸い込まれていってしまった。
「ほむぅ、固化液化は出来るのか。……気化はどうかな」
イメージする。霧散して周りに漂え。
程なくして影から霧が立ち上り俺を覆った。これもイメージ通りにいったようだ。
「……気化も出来るな。これは何だか使えそうだ」
「何か最初から大分器用な事してるような……」
「何か言ったか? ……よし次。霧になって漂えるという事は、空中に固定することも可能か……?」
イメージ。眼前に黒い槍。固定。ぼちゃりと影から槍が飛び出し、眼前で待機する。
「おお、できた」
何だか面白いな。こういうの漫画とかでよく見たぞ。このまま飛ばしたりして攻撃できるんだろうそうだろう。試してみる価値はありそうだ。
「――射出」
「ほえ?」
目標、エニシダ……の足元。少しびっくりさせてやろう。
「ひゃああああ!?」
次の瞬間、槍はイメージ通りエニシダの足元へ炸裂する。結構なスピードが出たのか、土煙を上げ深々と突き刺さった。
「うむうむ、攻撃もちゃんとできそうだ」
「うむうむ――じゃありませんよ!? なにいきなり攻撃練習してるんですか!?」
「お前が平和そうな顔でぼへーっと眺めてるから、つい」
「つい、じゃありません! 殴りますよ!?」
ぷんすかと怒るエニシダ。ちょっと練習の的にしたくらいで怒らなくてもいいのにな。突き刺さった槍を溶かして戻す。
「殴るな殴るな。んー、ちょっと違うのを試してみるか……」
「こ、今度は何を……?」
一個づつの力の行使は何となく掴めてきた。次の段階は複数。イメージするものは――
「って、しょ、触手!?」
影から出現させたものは触手。それを四本。
「複数行使。結構辛いな……動かせるか……?」
しばらくずるずると這い回らせて感覚を掴む。中々に名状し難い光景だったが、練習なので仕方ない。それにしてもこの使役する感覚ってのは難しいものだ。
例えるのなら利き手じゃない方で箸を扱うような感じ。普段全然使わないところを使うから疲労も激しいし、何より神経を使う。
「よりによって何で触手なんか……」
「無機物の次は有機物ってな。……何でお前そんなに離れてるんだ?」
影の集中を解き視線を巡らすと、何故かエニシダは遠くの木の影から隠れるようにしてこっちを見ている。いつの間にあんな遠くまで行ったんだ、あいつは。
「え、だって絶対それ使って悪戯してくるじゃないですか。……流れ的に」
「……悪戯して欲しいのか?」
「して欲しくないから隠れているんです! 何なんですか、もう!」
今度はぷくーっと膨れてしまった。リアクションが面白いからとぼけた返事をしてるのに、自覚が全く無いらしい。いいぞもっとやれ。
「よし、これも感覚が掴めてきた。ちょっと休憩するか……」
触手を影に戻し、ふぅ、と一息つく。理屈は全く分からないが、何となく動かせるようになってきた。
危険は去ったとみたのか、そんな俺に再度近付いてくるエニシダ。
「あ、イルさん。休憩するならちょっと確認したい事が」
「ん、なんだ?」
「前に魔法の授業やった時、術式が使えなかったじゃないですか。今なら使えないかなって」
「ああ、そんなこともあったな……」
あの時は火が付かなくてちょっとガッカリしたなぁ。すぐ割り切ったけど。
「試してみるか。ええと、たしか……『火精よ、ここに集え』」
指を立て、術式の文言を思い出し呟く。程なくして指先に火が灯った。
「おお!? 俺にもできたぞ!」
「あー、やっぱりそういうことだったんですね」
何やら合点がいったようなエニシダ。
「どうやらイルさんの魔力は加護と一緒に封印されていたみたいです。最低限の身体強化だけはしてあったみたいですけど」
「ほう、そうだったのか。封印されていたからこないだは使えなかったと?」
「その通りです。今は全部解放したので魔力、身体能力、加護の異能、全て十全に使えるはずですよ」
使いこなせればの話ですが、と続けるエニシダ。使いこなせればと来たか……
「なら、体の方も試してみるか」
「あ、イルさんちょっと、休憩はいいんですか?」
「休憩がてらだ。ちょっと走ってみる」
エニシダをその場に残し走り出す。
「なんだこれ、すっごい速いぞ……?」
走り出して数歩ですぐに最高速になった。いつもの二倍、いや三倍は出てるか……? こんなに速く走れるものなのか、人間ってのは。
中庭の端まで行って帰ってくる。全然疲れないしあんな速度出るし、加護って半端じゃないな。
すると、戻って来た俺を何やら難しい顔で見てくるエニシダ。さっきまでのほんわかした雰囲気が嘘のようだ。
「…………」
「どうしたエニシダ?」
「……いえ、思い過ごしだったらいいんですけど、ちょっと……」
「気になる事があるなら言ってくれ」
「……イルさんの適正と加護が強すぎる気がするんです。引き出した加護はすぐに使いこなすし、身体能力の強化具合も並の花騎士以上ですし」
「そうなのか……?」
こいつが言うならそうなんだろうが、あまり実感は無い。多分俺がまだこいつ以外の花騎士を見た事が無いからだろう。
「そしてその強さの心当たりもあるといっちゃあるんですよね……」
「心当たりがあるのか。教えてくれるか?」
「もちろん……それは若返ってこちらの世界へ来たこと、です。イルさんは元々二十代後半って言ってましたよね?」
「あ、ああ」
「ですが、今のイルさんはどう見ても十代半ば。その十数年分のギャップを養分として、加護と魔力が形成されたのではないかと、私は推測しています」
なるほど理には適っている。が、一つだけ違和感がある。
「待て。俺の記憶や経験は養分にならなかったのか? 大体は覚えてるし趣味嗜好も変わってないみたいだが……?」
「それは……名前が、それの代わりになったのではないかと。今のイルさんは最早ジョン・ドゥ、誰でもない誰かなので、その存在自体が代償になったのではないかと……」
「……なるほどな」
誰でもない誰かか。随分と詩的な表現だ。こういう所では頭の良さを発揮出来るのに、何で平素の言動は残念なんだろうな、こいつは。
「しかし、割と理屈の通った話で良かった。これで何で強い加護が受けられているのか不明です、分からないけど頑張って使いこなしてください、とか言われてたら色々と悩んでいたぞ」
「そうですか? 私の推測なのであんまり当てにならないと思うんですけど……」
「いやいや、納得して使えればいいんだよ。合ってるか外れてるかはあんまり重要じゃないんだ」
「……重要じゃないんです?」
「そう、重要じゃない。気持ちの問題だからな。あぶく銭で遊ぶのとコツコツ貯めた貯金で遊ぶのの違いみたいなもんだ」
「……??」
顔面に疑問符を浮かべるエニシダ。いまいち例えが理解されなかったようだ。
「要するに……あー、まあいいかこの話は」
「気になるところで切り上げないでくださいよ!?」
「面倒臭くなって」
「またイルさんの悪い癖が……」
「そんな事より加護の調査を続けるぞ。まだまだ出来ることは多そうだからな」
加護の出処も分かったし、心置きなく力を試す事ができそうだ。立ち上がり、再度影を意識。
ごぼりと波打ち、半身が応える。
さて、次は何を試そうか――
「ふう……」
ついつい調査に夢中になってしまった。空を見れば陽が傾きかけている。
「って、もうこんな時間か。昼飯食べに行くの忘れちゃったな……」
結局一日かけて調べてしまったようだ。終わったことを察したのか、それまで木陰から様子を見ていたエニシダが近寄ってくる。見る限り不満たらたらなご様子である。
「やっと終わったんですね……ううう……お腹ぺこぺこです……」
「別に昼飯食べに抜けても良かったのに……お前、遠くから見てただけだろ」
「だって、イルさんから目を離すと、何しでかすか分からないじゃないですか」
「……」
失礼な奴である。今度力を試すときはこいつにもっと協力してもらおうかな……標的としてとか。
「それはともかく、加護については大方分かったな」
俺の加護の詳細についてはこうだ。
・この黒い水は自身、もしくは自身の影から湧かせる事ができる。
・固化、液化、気化させることができ、形も自由に変化させる事ができる。
・純粋な魔力の塊であり、指向性を与える事で移動、固定、射出、爆発といった行動が出来る。また、共感覚のようなものがあり、何かに触ったりした際には感知可能。
・目や耳などの複雑な感覚器官を作ることは出来ない。故に、分離しての独立操作は現時点では不可能。射程は見える範囲までで、遠距離に行くほど操作は困難になる。
・自身の魔力が減ると影の量も減り、動きも鈍くなる。大量の影を使うと魔力消費も激しい。
・おまけ:髪は切っても何故かすぐに元に戻る。非常に鬱陶しい。
「……何ていうか、柔軟性の高い能力ですよね」
「そうかなぁ、器用貧乏な感じもするけど……」
「それは使い方次第じゃないでしょうか? ほら、例えば影を張り巡らせて、触れたら爆発、とか面白いと思いますよ?」
「発想としては面白いけど、今は魔力が無いから試せないぞ……」
調査で使い果たしたのか、今はもう影が応える感覚は無い。自身の魔力量については今後も調べていく必要があるな……
「まあ、やれることはやったし、今日はもうおしまいだな。とっとと帰って飯にしよう」
「わぁ、やっとご飯が食べられる……!」
「っと、そうだった、帰る前に一つ質問いいか?」
「まだなにかあるんですか……早く帰りましょうよ……」
「すぐ終わるから。……魔力ってどうやって回復させるんだ? 俺、今ほとんど空っぽみたいなんだけど」
魔力については一通り講義を受けたが、この点は教えてもらってない。多分こっちの世界での常識だから抜け落ちていたのだろう。
「ああ、魔力ならご飯を食べたり寝たりすれば貯まりますよ。前に言った通り、この世界には魔力が溢れているので、空いている器には勝手に貯まるんです」
「何かこの世界結構いい加減だな……魔力は自然に回復させるしかないのか?」
「他の方法ですと他者からの魔力供給や、マジックアイテムを使う方法などがありますね」
「他者からの魔力供給……」
怪しげな単語だが、何となく想像がついてしまう。要するにアレやコレであろう。精は魔力になるとか昔のオカルトでよく聞いたし。こちらではそれが現実になっている可能性は高い。
だがこっちの気持ちを知ってか知らずか続けるエニシダ。それいじょういけない。
「ええ。色々方法はありますが、手っ取り早い方法だとセック――」
「わー! わー! 言わんでいい!」
やっぱりそうだったよ畜生! というか見た目少年の前で堂々と言うんじゃない!
「イルさん、何を慌てているんです? 基本常識を教えているだけですよ?」
「その基本常識がこっちにとっては色々とアウトなんだよ!」
そこで何かを察したのか、手を叩いて納得するエニシダ。顔を赤らめて聞いてくる。
「……も、もしかして今私に魔力供給して欲しいとか?」
「ねえよ! 馬鹿か!」
こいつは髪だけでなく頭の中もピンク色なのだろうか……
「会って数日の奴を抱きたいとかぬかす程、こっちは頭お花畑じゃないんでな!」
「わ、私もそんなアレじゃないですし! 変態さんじゃないですし!」
「なら、んなこと聞くな! 勘違いするだろ!」
「し、仕方ないじゃないですか! 思い付いちゃったんですから!」
「はぁ~~……」
想像したのかよ……思わず頭を抱えて深々と溜息が出てしまった……
「何でお前そんな残念なの……お兄さん悲しい……」
「また残念って言われた……! ううぅ、憐みの視線までも……!?」
「もういいから、とっとと帰って飯食って寝るわ……今ので無駄に疲れた……」
「うぅぅ~。いつか残念って言われないよう、立派な魔女になってみせますからね!?」
「へいへい。まずは脳味噌をピンクから灰色になるまで脱色するんだな。まあ、こんな年端も行かない見てくれのと、アレコレしちゃう想像をするような奴には無理だろうがな」
ぷすーっとこれ見よがしに笑ってやった。しょうもない想像するような奴はちょっと煽ってあげよう。
「うううううぅ……!」
逆鱗に触れたのか、うーうー唸り始めるエニシダ。やりすぎたかな……? ちょっと謝っておこう。
「……あーその、すまん。言い過ぎた」
だがそんな当たり障りのない謝罪は焼け石に水だったようで、
「……っ! もう知りません! 今日はもう帰ります!」
そう言うや否や何処からともなく箒を取り出し、跨って飛んでいってしまった。あいつ本当に飛べたんだな……箒で飛ぶとか魔女みたいだ。
「ってそうだった。あいつ魔女だったな……」
一応、見えなくなるまで見届けてから部屋に帰る事にする。何かあいつ飛んでる途中で落っこちそうな気が……
「きゃあああああ!? か、風が!! わっぷぷ!」
って、案の定強風に煽られて木の枝に突っ込んでるし。
「うっ、ぐすっ……うううっ……」
葉っぱまみれでめそめそ泣いてる姿はもう本当に何と言ったらいいか……
「あいつ大丈夫かね……色々と……」
思わず世の無常さを考えてしまう夕暮れ時であった。
この二人の関係が今後どうなるかは……未定です。未定という事で。