それは此処ではない何処か   作:おるす

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八日目「黒影ト雷龍」

 剣戟の音。魔力の爆ぜる臭い。轟く雷鳴。迸る熱風。

 今この場にあるのはそれだけだ。それだけが空間を支配している。

「…………」

 開いた口が塞がらない。目の前の光景に、ただただ圧倒されていた。目を奪われていた。

「――――」

 黒影の人型は濁流を全身に纏わせながら、一撃一撃に渾身の魔力を乗せ、全てを使い果たさんと騎士へ迫る。黒髪に隠れ表情は窺い知れないが、少なくとも悲壮感や焦燥といったものとは感じられない。己が消えることには何の躊躇もないように見えた。

「……っ!」

 それを往なす青髪の騎士は、その攻撃全てを槍で受け、捌き、躱しながら、それでも尚涼しい顔で相対していた。濁流と雷光の渦中にあっても、一時も逸らすことなく眼前の相手を見据え続けている。

 ……既に両者が打ち合う事、数十合。

 荒れ狂う魔力の奔流によって、中庭はこれ以上に無いくらいに荒らし尽くされている。

(何と言うか、これもうどうしようもないです、ね……)

 ……今後どうなるかを考えると頭が痛くなるが、今はただこの戦いの結末を見届けねば。

 

「でぇいッ!」

 黒影によって一際大きく斧槍が振りかぶられ、横薙ぎの斬撃が叩き付けられた。黒き濁流を纏ったそれは、叩き付けられると同時に魔力を爆発させ、騎士を強かに打ち据える。

「……!」

 渾身の斬撃を受け止めた騎士は押されるがままに後ずさったが、どうにかこれを踏ん張り、耐えた。

 ……幾度となく防いできた攻撃。だが、防いでいるとはいえダメージが無い訳ではない。既に具足のあちこちはひび割れ、擦り傷も数え切れない程にある。槍を握る手も既に血が滲んでいた。

「くっ……」

 ……それでも、騎士は相対し続ける。友人を助けるために。

「……」

 ……友人、友人か。この私が。

「ふふっ……」

「……? どうかしましたか?」

「いや、ちょっと、ね。昨日知り合ったばっかりの相手とこうして戦っているなんて、何だかおかしいなって」

「そういえば、そうでしたね……この人と友達になってくれたんですよね」

「……いや、違う。イルが私と友達になってくれたんだ。手を差し伸べてくれたのはそっち。私が何も言わなかったら、友達でも何でもなかったと思う」

「…………」

 黒影はその言葉に何を思ったのか、おもむろに武器を下げこちらに歩み寄ってくる。

「……あの、アネモネさん」

「なに、かな?」

「この人……イルさんの事、どう思います?」

「どうって……?」

 少しはにかみながらも少女は続けていく。朱に染まった頬は、酷くこの場に不釣り合いだ。

「あの、ええっと……あんな会ったばっかりの相手と友達になるなんて、気でもあるのかなと」

「…………」

 その言葉を受け、ポカンと口を開けてしまう。……少し、呆気にとられてしまった。

「あ、えっと、イルにはそういう感情はまだ……いや、まだって言ってもこれからどうなるかは分からないし、でも気にならないって訳でもなくて……」

「あははっ……ごめんなさい。少し意地悪な質問でしたね」

「う……」

「……でも、嫌われていないようで良かったです。だって、あんなに強引な友達のなり方なんて無いですもの。影ながらヤキモキしていたんですよ?」

「そう、だったんだ……」

「ええ。……だって、好きな人がどう思われているのか、気になるのは普通の事でしょう?」

「え……?」

 何か、凄まじい事を唐突に言われた、ような。

「シダレヤナギ、さん……? イルのこと好きなの……?」

 そうして問い質すと、そこで自分が言った事に気付いたのか、

「え……? あ! す、好きって言ってもこう、男女の好きという訳ではなくてですね……!」

 ……わたわたと片手を振り回しながら必死に抗弁してきた。酷く微笑ましい光景だ。先程までの凄絶な攻勢が嘘のよう。

 どうでもいいけど、外見がイルのままだから、油断するとギャップで吹き出しそうになるんだよね……あの強気と皮肉塗れだったイルが可愛い行動をしている……って。

 表情に出すまいと格闘する私を余所に、コホンと一つ咳ばらいをした後、シダレヤナギさんは片手を胸に当てて話し始めた。

「……イルさんはですね。私の憧れなんです」

「憧れ……?」

「ええ。……私はイルさんと一緒になってから色んな物を見てきました。……生前に見る事なんて叶わなかった色とりどりの光景を、たくさんたくさん見てきました」

「…………」

「綺麗なお城。夕陽に燃える街並み。息を飲むような戦い。美味しそうなご飯。見た事も無いような人々に、その人達が住んでいる街。……全部が目新しさに満ちていました」

 楽しそうに影は話し続ける。……まるで、宝物を前に語る少女のように。

「……そして、それと一緒にいるイルさんは楽しんだり苦しんだり、笑ったり怒ったりしてて……上手く言えないんですけど、ああ、生きるってこういう事なんだなって……だから……」

「だから、好きなんだ?」

「……はい。私のような亡霊に好かれても迷惑だとは思いますが……」

「違う」

「え……?」

「貴方は亡霊なんかじゃない。此処にいる。……私と話している。だから、そんな事を言っちゃダメだよ」

「……すみません」

 一言謝ると、再度武器を構えてこちらを見据えてくる。……どうやら話はここまでみたいだ。

「それと、ありがとうございます。私に付き合うのなんて、大変なだけなのに……」

「それは、まあ、大丈夫なんだけど……最後に一つだけ。そろそろ聞かせてもらってもいいかな?」

「……?」

「……魔力を放出するだけなら、私と手合わせする必要なんて無い。それこそ、その辺りにでも放ち続ければいいだけ。……なのに、貴方は私と手合わせしたいと」

「ああ、戦う理由、ですね……」

「そう。まだ聞いていないから……ちょっと、気になって……」

 ……蒼銀の瞳が瞬く。その双眸は過たず私を映している。

「私がイルさんの代わりに、貴方が信頼できるか見定める為。……なんて言ったら?」

「…………」

「……半分冗談です。見定めるのはおまけのようなもので……本当は…………」

 突如、黒影が無音でこちらへ肉薄してくる。斧槍を振りかぶり、圧倒的速度で。

(この、奇襲は……サンゴバナさんにやった……!?)

「羨ましかったからですよ……ッ!」

 ……為す術も無く初撃で弾き飛ばされた。受け身を取って体勢を立て直すも、すぐさま空を蹴りこちらへ追い縋って来た。乱撃が雨あられの如く降り注がれていく。

「ぐっ……!?」

「あんな風に私も遊びたかった! 勉強したかった! 誰かと話したかった! 誰かと腕を競い合いたかった! 笑って泣いて怒って苦しんで……! それでも生きたかった……ッ!」

 堰を切ったような言葉が、乱撃が濁流を纏っていく。

 さながら癇癪を起こした子供のような変化に圧倒され、防いでいくので手一杯だ。

「だから! せめてッ! せめて、あの人の代わりに! 貴方と戦うんです……ッ! 私の居る証を、刻ませて、下さい……ッ!!」

 血を吐くような告白。それと共に一際大きい螺旋を描きながら、黒の旋風が迫る……!

「――雷龍槍ッ!」

 けれど、ソレは私に届かない。

 紫電を纏った私には、誰も触れられない。

「きゃっ……!?」

 黒の旋風に真っ向から刺突を放つ。全力の雷光と共に放たれた一撃は斧槍を弾き返し、黒影にたたらを踏ませた。

「……言いたい事は、よく分かった」

「ぐっ……!? そんな技が……」

「いいよ。気が済むまで戦おう。……貴方がそれで、救われるなら」

「……! ええ、ええ! 私の為に、この人の為にッ! 死力を尽くして戦いましょうッ!!」

 

 

 

 昂揚。苦痛。歓喜。悲哀。憧憬。憎悪。

 様々な感情が私の中で渦巻き、蠢き、最後にはある一つの衝動へと集束していく。

 ……生の実感。そこから生まれ出る生への渇望。

 あらゆる感情が私を後押しして、このまま生き続けろ、意のままに生きろと急き立てる。

(でもそれは、出来ない相談なんですよね……)

 ……迸る激情を心中で噛み殺し、私は雷龍と戦い続けている。

「……こんのぉッ!」

 文字通り雷光の如き速度で強襲する雷龍を斧槍で切り払う。ガキィンとかち合う音。それと同時に小規模な魔力爆発。

「ぐっ……ううっ……!」

 さっきから斧槍と雷龍がぶつかる度に、こちらの影は軒並み吹き飛ばされている。

 それ程までの、圧倒的な戦技。

(でも、これで良い……早く、早く魔力を使い果たさないと……!)

 再度影を全身に纏い、雷龍へと切りかかる。さっきから強襲した次の瞬間にはもう遠くまで離脱しているのだが、この数発受け切ったおかげで相手の癖が少しだけ分かった。

「――!」

 影を足蹴に、空中の相手へと無拍子を放たんとする。

 ……あの人がやっていた事の真似事だけど、二つ同時なんて初めてだ。上手く出来るだろうか。

「てああッ!」

 不安とは裏腹に体はするりと動き出した。音も無く跳躍、魔力爆発を受けて雷龍へと食らい付く。

「……!? その程度!」

 相手は一瞬だけ驚いたものの、すぐに反応しこちらの攻撃を弾き返した。そしてまたしても雷光を纏いこちらから離れていく。

「逃がさない、ですよッ!」

 ……だが、私も往生際が悪いのだ。逃がす訳が無い。

 溢れ出てくる影を何度も蹴り渡り、雷龍へと追い縋る。あとちょっと、もう少しで届く……!

「しつっ、こいっ!」

 ……だが業を煮やした相手は急速に方向転換。一転してこちらへと突撃してきた。

「う、がふっ!?」

 対応できずにその一撃をモロに受けてしまう。影が霧散し、支えを失った私は地面へと墜落していく。

「あ――がっ――!」

 背中から強かに叩き付けられてしまった。しばし苦痛にのた打ち回る。

 ああ、でも。

 ……この苦痛が。

 この苦痛こそが。

「…………っ!」

 生きているという実感。

 なんて、甘美な。なんて、愛おしい。

「……あ、ははっ……いたい……あははは……」

 堪らず乾いた笑いが漏れてしまう。傍から見たら気でも狂ったと思われそうだ。

 ……でも、こうして痛さに悶えるのも、自分に何が出来るのか試してみるのも、

「とっても、楽しいな……本当に、楽しい……」

 一通り噛み締めた後、身を起こす。

 ……どうやら相手は律儀に待っていてくれたようだ。起き上がった私を見て一言、こう声を掛けてくれた。

「えっと、その、何だか笑っていたけど……大丈夫?」

「……」

 この人は……優しいんだか、ズレているんだか……

 そもそも今の私を見て大丈夫か、なんてどの口が言うのだろう。

 ……そっちだって、もうボロボロのズタズタ。

 魔女さんに言わせればボロ雑巾の一歩手前だというのに。

「ええっと……?」

「……ぷぷっ」

 そう思ったらまた笑いが零れてきた。……本当におかしな話だ。強さと中身がまるでチグハグなんだもの。

「な、なんで笑うの?」

「……アネモネさんがとぼけたこと言うからですよっ」

「う……そ、そうかな……」

「ええ、そうです。とぼけている上に不器用にも程があります。そもそも昨日も思ってましたが、貴方はなんでそう言葉が足りないんですか? 大丈夫? なんて言われても何がどう大丈夫なのかさっぱり分からないんですがっ」

 叩き付けられたお返しとばかりに容赦ないダメ出しを行う。

 ……まあ、私としては敢えて黙っていた事を言っているだけなので、特に苛めているつもりは無いのですが。ええ、これっぽっちもです。

 だがそんな私の言葉に何がしか思う事があるのか、

「…………」

 ……直立したまま動かなくなってしまった。

 あ、よく見たらちょっと泣きそうになってない? この人……

「あのー……? 今ので何かトラウマでも踏みましたか……?」

「だ、大丈夫! 全然、大丈夫だからっ」

「……だから、何が大丈夫なのか分からないのですが……」

「ぐぅぅ……」

 呻き声を上げ、またしてもその場に立ち尽くすアネモネさん。

 ……何だろう。さっきまでの攻撃よりよっぽど効いていて、すごく複雑な気分……

「………シダレヤナギさんは」

「……?」

「何て言うか……初対面でザックリやるのは、イルの真似なのかな……?」

「え、いや、そんな事はないのですが……」

「じゃあきっと、イルと良く似ていたんだろうね。一瞬戻ったのかな、なんて思っちゃった……」

「…………」

 きっと、じゃないんですよね。

 この人は私と――

 いや、私がこの人と――?

(違う。こんな事をやっている場合じゃなかった……)

 ブンブンと頭を振り、無駄な思考を追い払う。武器を握り、再度相手へと構える。

 ……本音を言えばもっとお話ししたいけれど、こうしている間にも生への渇望が膨れ上がっているのだ。このままいったらどうなるのか、私にも分からない。

 先のように激情が唐突に溢れ出して、癇癪をぶつけてしまうかもしれない。いや、もっと酷い事をしてしまうかもしれない。……それだけはごめんだ。あの時どう思ったか聞いてみたくもあるけど……いや、駄目だ。

 駄目だから、早く終わらせないと……

「名残惜しいですが、お話はここまでです」

 会話を強引に打ち切って、ありったけの影を動員させる。相手も即座に変化を見て取ったのか、雷光を再び全身に纏いだした。

 ……ここまでやって、やっと半分消費ってところだろうか。相手の戦技が予想以上に強烈だったから、それで一気に消費量が増えたのだけど……

 そこまで考えて、ふとある事を閃いた。

「……ねえ、アネモネさん?」

「……?」

 怪訝そうな顔を向けてくるアネモネさん。まあ、ここまでと言った直後に話しかけたのですから、当然ではありますが……

「そんな顔をしないでください。すぐ終わりますから。その戦技――雷龍槍でしたっけ。それって連発できたりするんですか?」

「えっと、出来る……けど?」

 ……私の予想は外れていなかったようだ。何しろ全身ボロボロなくせに、あんなに涼しい顔をしているんだもの。まだまだ余裕があるかもって思ったら案の定、ドンピシャだ。

「ああ、良かった。……それじゃあお願いがあるんですけど」

 それは咄嗟に思い付いた事だけど、多分この人がいないと出来ない事。

「私に向かって雷龍槍を絶える事無く、全力で放ち続けてください」

「なっ……!?」

「私も文字通り、死力を尽くして凌ぐので。……というか、最初に全力で行くとか言ってたくせに、今まで手加減してたなんて、酷いと思うんですが?」

「うっ……それは、加減しないと本気で殺しちゃうかなって……」

「言い訳はいいですっ! 出来るか出来ないかで答えてくださいっ!」

「で、出来ます……」

「よろしい! それじゃあ――」

 動員させた影をぐるぐると纏い、決意の言葉を言い放つ。

 

「全力でッ、私を殺してください……ッ!」

「……! それが貴方の希望ならっ……!」

 

 言葉と共に雷龍が迫る。これまでとは比べ物にならない、圧倒的熱量。どうやらやっと本気を出してくれたようだ。

先ずは一発目。

「――!」

 斧槍で横薙ぎに振り払う。爆発で影が消える。即座に纏う。

 ……間髪入れずに二発目が来た。

 斧槍が間に合わない。影の奔流を纏わせた片手で受け流す。

「ぐッ……!」

 ……右腕が焼け付いてしまった。これ位ならまだ治せる程度だろう。後の事は魔女さんに任せて、私はさっさと消えてしまわないと。

 次いで三発目。

 抉るように斜め上から迫ってくる。斧槍を両手で構え、バットをスイングするかの如く打ち返す。

 ……ギィンと嫌な音がした。

「あっ……はは、折れちゃった……」

 見ると先端が持って行かれたようだ。即座に影の刃を生やして代用するが、あまりにも心許ない。まだ三発目なのに、先が思いやられることだ……

 ……四発目。

 地面すれすれから迫る雷龍目がけ、今度は影から壁を生やして対応してみる。イメージするのは城塞。

 そういえば、大きな城壁の上から見た夕焼けは、綺麗だったな……

「ぐ、ああっ……!?」

 厚みのある城塞はしかし、雷龍に食い破られていく。

 ぶちぶちと己が食われていくような気分に吐き気を催したが、何とか耐えた。突破される頃には流石に勢いも弱くなっていたので、影の刃で弾き返した。

 …………五発目。

 殆ど真上から穿たんと来る相手に、今度は槍を生やして対応する。

 ……槍と言えば、あの猫ちゃん、可愛かったな。シスターさんも何だか変な人だったけど、友達になれたらよかったのに……

「…………っ」

 無数に生えた槍はボロボロと、砂糖菓子のように無残に砕かれていく。

 ああ、防ぎきれないな、なんて思ったら、

「…………あ……」

 ……衝撃と共に視界が反転していた。背中に何かを感じる。

 これは、地面、かな……? そして――

「…………そ、ら」

 ……そして、目いっぱいに広がる、青い空。

 どうやら一撃であっけなくやられてしまったようだ。体がピクリとも動かない。全力で魔力を吐き出し続けたのだから、当然と言えば当然か。

 ああ、そういえば、私が死んだ時もこんな風だったかな……

 あそこの空も綺麗だったけれど、ここも綺麗だなぁ……

 そうしてぼんやりと思い出していたら、視界の端から何かがひょっこりと出て来た。

 青い空に負けないくらい、青い髪をした少女だ。

 ……どうしてだろう。目に涙をいっぱい溜めている。悲しい事でもあったのかな。

「もう、やめよう……っ」

 やめるって、何をだろう。

「やめ……を…………」

 ……返事が言葉にならない。魔力が、力が抜けていくのを感じる。

「もう、悲しい事も……苦しい事もっ……! 何も無いから……! 頑張らなくてもいいからっ……!」

 そんな私を見て、とうとう少女は泣き出してしまった。

 ああ、泣いたら綺麗な顔が台無しなのに……

「なか、ないで……」

「……うっああっ……!」

「だいじょうぶ、だから……」

 力を振り絞って言葉を紡ぐ。けれど、これじゃ逆効果だった。

「なんにも大丈夫じゃないっ……! 大丈夫だけじゃ、何もわからないよっ……!!」

「ごめん……」

 ……さっき言った事を返されてしまった。不器用なのはお互い様だったみたい。

「でも、わたし、は……もう、ここまで……」

「……っ!」

「あなたの、おかげ……ありがとう……」

「ぐっ、うっ……」

 嗚咽を必死に殺しながら、少女は私を抱きしめてくれた。……どうしてここまで同情してくれるんだろう。分からない。私なんて最初から死んでいるんだから、泣かれても困るんだけどな……

 ……けれど、少し、少しだけ。

 …………私の為に泣いてくれる人を見たら、少しだけ、やりたい事が出来た。

 息を吸って吐く。……お願いする時はちゃんと相手に聞こえるように言わないと。

「……ねえ、最後に一つだけ、いいですか」

 ちゃんと呂律が回ってくれた。誰かが最後の最後で気を利かせてくれたのだろうか。

 祈るべき相手は世界花と神と……どっちかな。……まあいいか。あの世で会えるだろうし、その時にでも聞いておこう。

「……いいよ」

 ひとしきり涙を拭った後、少女は私の顔を見てくれる。泣き腫らした目を見て、少し心が痛んだ。

「アネモネさん、私と友達になってくれませんか」

 ……私の言葉を噛み締めるようにゆっくりと頷いた後、返事は返ってきた。

「……アネモネ」

「……?」

「友達には敬称なんていらない。……そう言ってたでしょ?」

「ああ、そうだった。そうだったね……」

 ……あの人が言った事をちゃんと覚えていてくれた。自分の事じゃないのに、それが酷く嬉しい。

「それじゃ――アネモネ、また会う日まで。……今度会ったら一緒に色んな所を見て回りましょう?」

 そうして思い付いた言葉を伝えると、ぎこちなく微笑みながら、

「うん、また会う日まで……絶対だよ? シダレヤナギの事、『信じて待っている』から……」

 そんな約束を返してくれた。

 信じて待っていると来たか……出来もしない約束を取り付けちゃったなぁ。

 このまま消えたら、多分、いや絶対会うことは無いだろうとは思うけど……

 ああそうか、天国で会えばいいのかな? でもその場合、私はいつまで待てばいいんだろう……? アネモネは強いから、お婆ちゃんになってもしつこく生きてそうだし……って、こんな事を考えちゃ失礼だな。

「……ふふっ……」

 自分が消えるかも、なんて時にこんな事しか思いつかないなんて。我ながら悠長なものだ。

 ……ああ、でも。

(こうやって誰かに見送られるのは、悪い気分じゃないんだね……それだけで、救われた――)

 ……その思考を最後に。

 私の意識は黒い泥濘へと沈んでいった……

 

 

 

「また、会おうね……約束だから……」

 言葉は風に乗り、誰かに届く事も無く消えていく。

 ……だが、その想いは、きっと。

 


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