……特に言うことが無い……!
「はーっ……はーっ……」
相手が立ち上がらないのを確認してから、俺は膝を突いた。……流石にもう限界だ。
「は……ぐっ……! げほっ、げほっ!」
咳が漏れる。それと共にびちゃびちゃと口から黒いものが零れていく。……自分の血が黒くなっているのはさっき気付いたが、なるほど、人間辞めるってこういう事なんだなぁ……もっと嫌悪感とかを抱くべきなんだろうけど、何だか黒い方が安心する。今は何故かそう思えるのだ。
ぼうっとそんな事を考えながら、膝立ちのまま時間が過ぎていく。
魔力は尽きた。影の異能は蒼炎のせいで全部燃え尽きている。
体力も尽きた。体当たりを防御して腕はお釈迦になったし、先のぶつけ合いで何もかも出しきっている。防御の腕輪も気付いたら何処かへ行ってしまった。
……だが、気力は尽きていない。
膝は突いてしまったが、意識だけは手放してはいけない。ここで折れては示しがつかないのだ。……あいつは無駄にお人好しだから、俺がまだ頑張っていると信じて、その辺を飛び回ってくれているだろう。
まだ帰って来ないかな。もう帰ってくる頃かな。
「……う…………」
……そろそろ帰って来てくれないと、なんか、死にそうな気がしてきた。ただ倒れないようにしているだけなのに、こんなに辛いとは。
「ぐ……うっ…………」
内臓が軋むように痛い。また胸からせり上がってくるものを感じるが、必死に耐える。これ以上血を出したら流石にヤバイ、気がする。
「――――! ――!?」
「――! ――!!」
遠くで声が聞こえる。……良く聞こえない。聞こえるのに聞こえないなんて、おかしな話だ。多分さっきので脳味噌までやられたんじゃないのかね。
ああ、こんなんじゃあいつを馬鹿呼ばわりなんて出来ないな……
「…………」
ぐらりと、風を受けて体が揺れるのを感じる。ああ、駄目だ。倒れちゃ駄目なのに。
必死に持ち直そうとするも、力が入らない。ああくそっ。
そんな俺の努力も空しく、体は倒れていって――
「――イルさんっ!!」
倒れる途中で誰かに抱きとめられた。
……ああ、この声は、あいつか。やっと帰って来てくれたのか。時間をかけすぎなんだよ。まったく……
「…………」
でも、良かった。安心した。これで無様だって笑われなくて済むな。
だったら、少しだけ休もう。流石に、しんどい……
……その思考を最後に、俺の意識は落ちて行った。
まるで、黒い泥濘へと沈んでいくかのように。
「イルさんっ!! しっかりしてください! イルさん!」
崩れ落ちる少年を支えながら私は呼びかけ続ける。
「ああ、ああ、どうしてこんな事に……! ち、血だらけだし、服もボロボロだし! あああ、血が止まらない……っ!」
ポケットの中をまさぐり、取り出したハンカチで少年の顔を必死に拭う。だが、拭けども拭けども次から次へと血が流れ出てくる。……すぐにハンカチが真っ黒になってしまった。
「か、かばん……! 包帯、とか、何でもいい……!」
真っ白になりかける頭を何とか働かせ、体を支えながら鞄を漁っていく。
薬瓶を放り出し、その他諸々の雑多な品々をその辺にぶちまけ、目当ての物を探す。……あった!
「ち、血を止めないと……!」
探し当てた布を額に押し当て、何とか止血しようと試みる。しばらくはじわじわと布が黒く染まっていったが、何枚か交換するうちにそれも収まっていった。
「あ、ああ、止まった……つ、次は」
黒く染まった布を清潔な物と交換し、ひとまずの応急処置として治癒魔法をかけていく。……薬などによる治療はこれが終わった後にすれば良いでしょう。
「…………っ」
両手をイルさんの青白い顔に当て、魔力を循環させる。……それで分かったのだけれど、
「案の定魔力が空っぽじゃないですか……っ。なんでいつもいつも……!」
想定していた最悪の事態が当たってしまった。……この人はちょっと目を離しただけで、本当にロクな事をしてくれない。私がいないと本当に……
いや、私が呼んだから……こんなに傷付いているんじゃ……?
私が軽い気持ちで呼んだから。こんな、やりたくもない事で……
「……ぐっ……」
……気付いたら視界が滲んでいた。これじゃイルさんの顔が良く見えない。目を擦りたいけれど、ここで手を離すわけにはいかない。早く治療しないといけないのですから。
……ああでも、そうだ。せめてこれだけはしておかなくては。
「……お待たせして、すみませんでした。あと、頑張ったんですね……すごいです……」
一言そう呟き、両手を回して抱き締めてあげる。……服が血で真っ黒になっていくが、そんな事は今はどうでもいい。
……まだ来たばかりで、何がどうなってこんな事になってるのか皆目分からないけれど、イルさんがものすごく頑張ったのだけは分かる。
だから、その頑張りは労わってあげないと。誰だって頑張ったら褒めてもらいたいですものね。……今は意識が無いから、起きたらちゃんともう一回言ってあげよう。喜んでくれるかな? けど、お前なんかに褒められても嬉しくないー、なんて言われそうだなぁ……
「……こっちは、その、大丈夫かな?」
と、そんな風に治療を続けている私に声が掛けられた。
「……あっ、ウメさん!」
振り向くと、申し訳なさそうな表情を浮かべるウメさんの姿がそこにはありました。ああ、やっと話が出来そうな人が来てくれた……!
「これは一体何があったんですかっ? こんな、イルさんがボロ雑巾以上のサムシングになるとか……というかですね! 審判してたのなら何で止めてくれなかったのです!? 場所も何故か訓練場から中庭に移ってますし! あとナズナさんは何処です!? サンゴバナさんもいないじゃないですか! それからそれから……あああ、もうっ! 聞きたい事だらけで混乱してきました……!」
「エニシダちゃん取り敢えず落ち着こう!? これから順を追って説明するから!」
「本当に、本当ですか!?」
「本当だから!」
「こんななってる理由がしょーもなかったら、間髪入れずにビームしますので、よろしくお願いしますっ!」
「ビームはやめなさい!?」
……ウメさんは言ってくれた通り、今までに起きた事を簡潔に教えてくれました。
既にイルさんが二人と戦い終え、辛うじて勝利を収めた事。
一試合目で訓練場がダメになった為、中庭に場所を変えた事。
後片付けの為にナズナさんや見学の人達は一緒について来ていない事。
たった今、キルタンサスさんの治療をアネモネさんに任せ、こちらに来てみたら私が先に来ていた事。
「……大体状況は分かりました。ですけど、一番聞きたい事が聞けていません」
「……何かな?」
「どうしてイルさんや、キルタンサスさんがこんなになる前に止めなかったんですか……?」
「いや、私としてもこの状況は想定外で……」
そこでウメさんはちらとイルさんを見る。
「……まさか、彼らが防御の腕輪が壊れる程の応酬をしているとは思わなかったんだ。先のサンゴバナちゃんの時はちゃんと致命傷は避けていたみたいだし、今回も大丈夫だろうと踏んでいたのだが……だから、あの時は中庭の保全が最優先だと思い、火を消しに行っていたんだ。ああ、この火というのは、キルタンサスちゃんの仕業で……ああ、もう……説明し辛いな……!」
そこまで一息に言ったウメさんだったが、そこで困ったように押し黙ってしまった。
ややあって、再度口を開く。
「とにかく!」
「ひゃい!?」
「今回の件は私の監督不行き届きだ! 全面的に私が悪い! 煮るなり焼くなり好きにするといい!」
「え、えーと……」
煮るなり焼くなりと言われても……ウメさんは煮ても焼いても何だか美味しくなさそうだし……いやでも、甘かったりするのかな? こう、綺麗な髪色だし……
「……って、そんなことしてる場合ではありませんでした! どうしてこうなったのかはもういいですから、イルさんを早く治療しましょうっ!」
「あ、ああ。そうだった。私も若干動揺していたみたいだ……」
「私は引き続きイルさんへ治癒魔法をかけているので、その辺に転がっている薬品で使えそうなものを持って来てくれませんか?」
「分かった。少し待っていてくれ」
そう言うと即座に行動を開始するウメさん。流石に行動が早くて頼れるなぁ。
「……ちょっと、エニシダちゃん? その、薬品って何処にあるのかな?」
……なんて思ってたけど、すぐにそんな質問が返ってきた。意外と頼れないかもしれないです……
「止血する時にその辺にばら撒いちゃったから、すぐ見つかると思うんですけど……」
「いや、それがだな……」
何とも歯切れの悪い返事。何事かと私も首を巡らして確認してみます。
「え……?」
あれほど豪快にぶちまけた薬品やその他諸々の何かが、無い。
「え……あれ……あの、なんで無いんですか?」
「それは私が聞きたいのだが……疑う訳じゃないが、本当にこの辺りなのか?」
「そ、それは間違いないです! うーん、おっかしいなぁ……」
二人して首を捻り、その辺りをきょろきょろと見渡してみる。
……何も無い。強いて言うなら、瑞々しく生い茂る芝生ぐらいしか目に入らない。
と、そんな時だ。
「あれ、何か聞こえないか……?」
「へ……?」
「ガリガリと、こう、何か固い物を齧るような……そんな音が……」
ウメさんに言われるままに耳を澄ましてみる。……確かに、何処からか音が聞こえる。
「何の音でしょう……?」
「しかしこの音……どこかで……」
そこではたと思い当ったのか、ウメさんがハッとした顔で私のかき抱く少年を見た。
「まさかっ!?」
「わわっ……!?」
突然ウメさんはこちらに近づき、イルさんをがっしと捕まえて何かを確認しだす。
「う、ウメさん! 乱暴は……!」
「……やっぱり!」
「や、やっぱりって、何が……」
「これ、エニシダちゃんが持ってきたものだろう?」
そう言うと、ウメさんはイルさんの足元――ちょうど、私にもたれかかっていたおかげで死角になっていた場所――を指さし、確認するよう促した。そこには……
「え……影が……?」
……そこではイルさんから落ちる影が、薬瓶をガリガリと咀嚼していたのです。
よくよく見てみると、薬瓶だけではありません。良かれと思って家から持ち出して来たマジックアイテムの数々も、影に浸かりながらぷかぷかと浮かんでいるではないですか。こっちは幸いな事に手付かずなようですが……
……いや待って。
嘘……!? 華霊石まで齧られてる……!?
「た、食べちゃダメですっ! 特にっ、華霊石はダメです! これはお家から持ってきた、なけなしの物なんですぅぅ!」
イルさんを地面に置き、齧られている華霊石を引き剥がそうとしてみるが、ビクともしない。まるで万力か何かで咥え込まれているかのようです……!
でも、これだけは死守しないと。折角イルさんの魔力補給用に持ってきたというのに……!
「ふんぬうう……! どんだけ食べたいんですか……っ! ウメさんも手伝って下さい!」
「こっちもさっきからやってるが……! つ、掴むところが殆ど無くて……!」
何とか引き出そうと二人でしばし奮戦するも、そんな努力を嘲笑うかのようにガリガリと咀嚼は続けられていく。
そして――
「ああ、ああああっ……全部……食べられちゃいました……」
……何という事でしょう。鞄一杯に詰まっていた薬品や華霊石、魔力の残る物は粗方食べ尽くされてしまいました。がっでむ。
「ううううっ……薬品はまだしも、私の商売道具……貴重な華霊石までも……」
「え、エニシダちゃん……気を落とさずに……」
「……折角、気を利かせればイルさんに褒められるかもー、なんて思って持ってきたのに、このザマですよ……ええ、ええ、どうせ私なんかが気を利かせても、結局は裏目に出るだけなんです……」
「ちょ、ちょっと……」
「はぁぁぁ~……何でいつもこうなるんでしょう……ぽんぽこぴーのへっぽこだとは自覚していますが、ここまで情けないと本当に……ああ、死にたくなってきました……ウメさん。イルさんが助からなかったら、私の介錯をお願いできますか……? 頭を、こう、サックリと……」
「エニシダちゃん!?」
……自責の念からか、いつものネガが始まってしまう。いや、自分で言っておいてなんだけど、いつもより酷いですね……そんな私相手に、ウメさんもらしくなく狼狽えておられるご様子。
イルさんの役に立てないだけでここまで落ち込むなんて、我ながら大分入れ込んでたんだなぁ……
「二人ともお待たせ。あっちはもう大丈夫だよ。……って、ええっと……?」
そんなところに何も知らないアネモネさんまでやってきた。
けれど、複雑怪奇なこの状況が、一目で分かる訳も無く、
「……どういう状況?」
駆け付けたは良いものの、どうしたものかとただただ困惑するアネモネさんなのでした。
……ですが、次にはある事に気付いたようで、
「取り敢えず、イルが影に飲まれそうになってるけど、これは大丈夫なの……?」
「んなっ!?」
「なんですとっ!?」
二人して再度イルさんへと向き直る。……私がネガ芸を披露している間にも、状況は刻一刻と変わっていたようです。
「こ、これ……」
アネモネさんの言うとおり、イルさんの全身には影が纏わりついていました。いえ、纏わりつくなんて生易しい状態ではありません。いつも以上に分厚い影が全身を覆い尽くしていて、さながら丸呑みにされているような、そんな状態です。
「何か不味いような気がするのですが!」
「ああ、同感だ。剣圧で吹き飛ばせるか……?」
「そ、それは駄目。イルに当たったらどうするの……?」
「そ、そうだが……だが、このまま見ているというのは……」
「ああっ! だ、駄目です! ちょっともう手遅れかも……」
……そんな風にまごついている間に、影はとうとうイルさんの全身を飲み込んでしまいました。こうして見てみるとさながら卵か繭のようで、何だか酷く現実感の無い光景です。
……でもこれ絶対不味いですよね……? 呼吸とかどうするんだろう……
「「「……………………」」」
三人して何か変化が起きないか、影の塊を注視する。
……密度の濃い影に覆われているせいで、中がどうなっているのかがさっぱり分からない、
でも、気のせいでしょうかね。
じゅくじゅくと、あんまり想像したくないような音が聞こえるのですが……
「……あの、ウメさん」
「…………」
「この音って、肉を食べ――」
「違うから!?」
「でも、そうとしか……」
「い、いや! 絶対違うはずだから! 多分!」
私の質問にブンブンと頭を振るウメさん。そういうの苦手なのかな……あ、アネモネさんも何だか顔が青いです。
クールな外見なのに……二人ともこういうの苦手かー。そっかー。
……ですが確かに、これでイルさんが名状し難い肉塊になっていたらと思うと、恐ろしいものしかありませんね……なんだか少し、いやものすごく不安になって来ました……
「「「……………………」」」
再度影の塊を注視しながら、何が起こっても良いように臨戦態勢で待機する。
……影の塊は相変わらずじゅくじゅくと音を発し続けていて、それに加えて表面が脈打ち始めたようにも見える。
……そうして見守ること十数分。
(これいつまで見ていればいいのかな……何て言うか、変化が無いから対処に困る……)
なんて思っていたら、突然変化が訪れた――
バリッ!
「ひょえあああ!?」
「うわわっ!?」
……影の塊を突き破って黒い腕が飛び出してきたのです! 何ですかこれは!
「う、うう、ウメさん! 何ですかアレ!? 何なんですかアレ!?」
突然の事で咄嗟にウメさんの後ろに隠れてしまいます。我ながら流れるような自己保身ムーブ。
「わ、私に聞くんじゃない!」
「あれイルさんですよね!? その筈ですよね!?」
「だ、だから! あれだけで何を判断しろと……!」
「あ、アネモネさんはどう思い……? って、アネモネさん……? アネモネさ――」
「………………」
「し、死んでる……」
「死んでないから!? ショックで魂が抜けてるだけだから! きっと! ああもう、とにかく――」
ウメさんは怒涛のツッコミを披露しつつ、一歩前に出ながら刺突剣を抜き放った。
「な、何か危害を加えてくるようなら、一刀の元に切り捨てりゅっ!」
……あの、ウメさん。あんまり言いたくないのですが、腰が引けてます……
あと語尾が裏返ってて、すごく、カッコ悪い……です……
けれど、そんな警告の声がちゃんと届いたのか、それまでゆらゆらと虚空を撫でていた腕は、唐突に動きを止め、こちらを指差してきた。
「……え……?」
指差した次には手招きされた。え、え、なんです?
「そっちに行って?」
声が聞こえたのか、動きが変わる。あの手の形は、えーっと?
「……握手?」
グッとガッツポーズ。……どうやら合っていたみたいです。
次は握手の形のままぐぐーっと引っ張るジェスチャー。
「なるほど。近寄って手を握って引っ張り上げて欲しい、と。合ってます?」
またしてもガッツポーズが返ってくる。
……片手だけだというのに、中々どうして表情豊かです。あのイルさんがやっているのかと思うと、何だかちょっと気が抜けてきました。
「はぁ……ちょっと待っててくださいね。今そっちに行きますので……」
「ちょ、ちょっとエニシダちゃん……? まさかと思うが、あれを引っ張り上げるつもりか……!?」
「え。いやだって、なんか困ってるみたいですし……」
「ま、まあそうだが……十分に気を付けてな……?」
「はいはい」
腰の引けたウメさんを尻目に、伸ばされた黒い手に近づいていく。
近寄って見てみると、真っ黒ながらちゃんとイルさんの手をしていて、それだけで安心する。怖がる必要なんて何一つ無い。イルさんは悪い事なんてしませんもの。
「それじゃ掴みますよ、っと」
声を掛け、手を握る。……こうして手を握るのも久し振りな気がするなぁ。
「よいしょ……って、重っ!」
引っ張ればかるーく抜けるかと思っていたのですが、これ、ものすごく重いですね……!? 中で何か引っかかっているのでしょうか。
「ふんぐぐぐぐ……!」
両手で手を握りながら、踏ん張って渾身の力で引っ張る。さながら一人綱引きのようですが、魔女にこういう肉体労働をさせないで欲しいです……明日、筋肉痛になっていたらどうしましょう。
そうして格闘すること数分。
「ふぬぬぬ…………うわっと!」
スポンッっと軽妙な音を立てた後、中身がずるりと這い出て来た。
「あたた……」
「げほっ、げほっ……」
……引っ張り上げた拍子に尻餅をついてしまいましたが、今は私の事よりイルさんです。大丈夫でしょうか?
すぐに引っ張り上げたものに目を移す。
……先程まで黒い影に覆われていたのに、何だかピンピンしている。というか、怪我も治ってませんか……? 額がパックリ裂けていて、腕もボロボロだった筈なのに……
「イルさん! 大丈夫ですかっ!? 何か黒いのに包まれてましたけど、生きてますかっ!?」
「あ、ああー……」
「何処か痛い所はないですか!? 私も、誰だかわかりますよねっ!?」
「う……」
……何だか様子がおかしい。返事はたどたどしいし、今も四つん這いで立ち上がるのも難しそうなように見える。体もぐらぐらと揺れていて、非常に危なっかしい。
「い、イルさん……!? どうかしたんですか!」
「ち、ち……」
「ち……?」
「ち……ちょ、ちょっと待って下さい……す、少し慣れなくて……時間を……」
「あ、はい……ちょっと待ちます……」
ちょっと待てと言われた私、そのまま待機。
……でも、少しだけ違和感が。
イルさんが私に敬語なんて使いますかね……?
……待つ事数分後。
「すー……はー……ふぅ、お待たせしました」
回復して立ち上がったイルさんは、
「えっと、その……何と言ったらいいのか……」
困ったようにはにかみながらも、
「……こうしてお目にかかるのは初めてです。エニシダさん。それと他の皆様も。……初めまして。お会い出来て嬉しいです」
……そんな風に嫣然と笑いながら挨拶してくれたのでした。
「は…………?」
はじ――えっと?
「えっと……? イルさんと……? 私が……初めて……? は? え、ええ?」
……何だろう。単語の意味がよく分からない。状況が理解出来ない。
一週間も一緒に過ごしてきた相手から「初めまして♪」なんて挨拶された時は、どうしたらいいのでしょうか……
「あ、は、はははっ……」
「え? う、あ、あははは……」
……私の場合、乾いた笑いしか出てこなかったのでした。それに釣られたのか、相手も苦笑いを返してくれます。
多分これ不合格でしょうね……コミュニケーションの難しさを痛感します。
「……ええと、聞きたい事があるんだが、良いだろうか?」
「! ええ、なんなりと!」
そんなフリーズした私の代わりに、ウメさんが質問をし始めてくれた。その隣にはいつの間に復活したのか、アネモネさんも興味津々といった様子で見つめています。
「……単刀直入に聞くが、君はイル君ではないな?」
え……? ウメさん何を仰って――
「はい。立て続けに試合をこなしたことで消耗したのでしょう。あの人は今は眠っています」
眠って……? いやいやいや、じゃあ貴方は――
「ふむ、そうか……じゃあ、次の質問。君は一体何者だ?」
「……私はあの人の影。加護そのもの。幽明の境を揺蕩っているうちに、この体へと漂着した魂。それが私です」
「漂着した魂……」
……嬉々として会話をしてくれるのは正直有難いのですが、今の説明は正直言ってピンと来ない……召喚した私が分からなくてどうするって話ですが。
「よく、分からないけど……イルの体に居候している誰か、って事で合ってる?」
「ええ、それで大体は。いつもはこのように表層に出る事も無く、遠くから眺めていたのですが……」
「出る事無く、遠くから……?」
アネモネさんも何とか会話を投げてみたようですが、いまいち良く分かってないご様子。
そんな置いてけぼりな私達に苦笑しつつも、影であると名乗った人は話し続ける。
「あの人の意識が無くなりこのままでは危険だろうと、影ながら躍起になって魔力などを取り込んでいたら、こんな風になっていて……気付いた時には体の主導権を取っていたみたいです……」
「な、なるほど……?」
「ああ、でも勘違いしないで下さいね? 私はこの人の体を乗っ取りたいからとか、そういう意図でこうしている訳ではありませんので」
「へ、へう……」
あまりによく分からない状況に、我知らず間抜けな返事が出てしまいました。……でも、何だか悪い人では無さそうです。礼儀正しいし、こっちの理解に合わせて話してくれているのがひしひしと伝わってきますし。
「そ、それで、いつまでこのままなんでしょうか? イルさんは……」
「これは推測、なのですが……」
コホンと一つ咳払いをし更に続ける影さん。
「魔力を取り込み過ぎてこうなったのですから、逆に考えればいいのです。全ての魔力を放出すればいい、と。そうすれば私の意識は薄れていき、必然的に元の体の主へと主導権が移っていくことでしょう」
「な、なるほど……」
ほうほう。これは実にシンプルです。分かりやすいってのは最高ですね。
「と、言う訳でですね……少し提案というか、ぶっちゃけてしまうと、ちょっとした我儘に付き合って頂きたいのですが……」
茶目っ気たっぷりに笑いながら、私との会話を切り、ある方へと向き直る影さん。その先は――
「アネモネさん。私と手合わせしてください」
「は――!?」
何故そうなるの……!?
「え……? 私……?」
ほら、アネモネさんも困って――
「別にいいよ。よく分からないけど、それでイルが助かるなら」
「困ってなかったー!? アネモネさん! 思い切りが良すぎませんか!?」
「いや、別に戦うだけなら何も困る事は無いよね? 元々戦う予定だったし」
「えあ、いやまあ、そうですが……! そうですけど、そうじゃないというか……」
そんな風に混乱する私の肩に手がポムッと置かれた。……ウメさんだ。
「エニシダちゃん……」
「あ、えっと、何でしょう……?」
「もう、成行きに任せよう、ね?」
「……ええー……」
……この目まぐるしく変わる混沌とした状況に、理解する事をかなぐり捨てた王国最強の姿がそこにはあった。
「あははっ。なんか今日は無性に疲れるな……早く帰って梅酒でも飲みたい気分だ……」
「ウメさん!? 現実逃避はやめましょう!?」
……そんなこんなで。
「えっと、よろしくお願いします」
「うん。こちらこそ……」
中庭で相対するは孤影と青髪の騎士。
影は斧槍を、騎士は三叉槍を無造作に持っているが、殺気やそういった類のものはこの場には皆無だ。むしろ両者の間にはどことなく親密さすら漂っている、そんな風に見て取れた。
「あの二人、大丈夫ですかね。大丈夫ですかね!?」
「まあ、防御の腕輪も付けてあるし大丈夫だろう。なるようにしかならんさ」
……そしてそれをはらはらと見守る我らピンク二人。
ウメさん大分やさぐれているけど、ちゃんと審判は続けるあたり律儀だなぁって思う。
「あの、我儘を聞いて下さって、ありがとうございます。私、ちょっと不器用で……こういう風にしか魔力を扱えないんです」
そう言うと、持った斧槍に手を這わせ始める。
……するとどうだろう。斧槍は見る間に影に飲まれていき、やがて濁流を纏ったかのような螺旋を描きながら、禍々しい異形へと変質していった。
変化があったのは斧槍だけではない。前髪もそれに呼応するかのように伸びていき、両目を覆い隠した。そして、揺れる髪の合間から見える双眸が蒼銀の輝きを宿していく。
「……後は出来てもこの人の真似事くらい。生前の私とはかけ離れた戦い方をするから、見ていてとても楽しかったんですよね。ああ、こういう事は考え付かなかったなぁって」
「そうなんだ……? まあ、確かに。イルの戦い方はちょっとおかしいよね」
「ええ、本当に。戦い方だけでなく、日々の過ごし方も私とはまるで違っていて……本当に、本当に楽しかったんですよ」
懐かしむように影は微笑む。屈託なく笑う姿は少年のそれではなく、年相応の少女のようだ。
「…………」
「ああ、いけないいけない。体を返すための手合わせなのに、私ったら……」
「こっちも一つだけ、いいかな?」
「はい。なんでしょう?」
「……貴方の名前を教えて欲しい」
「…………」
しばしの沈黙の後、返答の代わりに武器が構えられた。黒水が唸りを上げ、ざぶざぶと音が残響する。
「言いたくないなら、仕方ないか……」
騎士はそう判断し、こちらも槍へと雷光を纏わせ始める。雷光もまた空気を分解し、清澄な空気がその場に満ちていく。
武器を構え向かい合う両者。このまま戦いは始まるかと思われた。だが――
「……シダレヤナギ」
「……?」
孤影は静かに呟いていく。謳うように。噛み締めるように。
「今、頑張って思い出しました。
私の名前はシダレヤナギ。
花言葉は、『哀しみ』、『哀悼』、『悲嘆』……
……生前は辺境において一人戦い続け、その果てに自刃した、ただの花騎士……いえ、一人の人間です」
「そう……」
騎士は言葉を受け、短く返事をする。努めて無感情に返事したつもりなのだろうが、そこには隠しきれない憐憫が込められていた。
……それも仕方がないだろう。
今の名乗りの言葉は、簡潔ながらあまりにも悲哀に満ちていたのだから。
(最期に自ら命を絶つなんて、どういう……)
そこまで想像しかけて、考えるのをやめた。……どちらにしろもう終わった事だ。
(今の私にどうこう出来るものでもない……いや、だけど……)
そんな懊悩を感じ取ったのか、僅かに苦笑しつつ、孤影は続けて話していく。
「……これもまた我儘になってしまうのですが……どうか、私の事を覚えておいてくれないでしょうか。私、消えるのは全然平気なのですが、折角だから、そうして悩んでくれる貴方には、どうか……」
「……わかった。貴方の事は忘れない」
「……ありがとう」
短い会話を済ませ、再び武器を構える。
穏やかな雰囲気は霧散し、空気が張り詰めていく。そして――
「では、改めて――」
「うん。全力で行く……!」
――その言葉を最後に、濁流と雷鳴を轟かせ、両者は激突するのだった。
彼女が何を思い、その選択をしたのか?
……それは追々、語るべき時が来たら。
という訳で、オリキャラその二が登場してしまいました。しかも花騎士で。そしてここに来て伏線を回収しにかかるという……作りの甘さが露呈していますね!
……それにしても、設定練り練りするのは楽しかったのですが、アプデが来るたびにキャラ被りしないかと気が気では(ry
まあ、杞憂に済んだようなので一先ずは安心といったところでしょう。
これから来るのかもしれませんが! 夏ですし!
あ、設定等々のツッコミは随時お待ちしておりますので、どうぞよしなにー。