それは此処ではない何処か   作:おるす

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一日目「事の始まり」

 ――そう、現実というものはいつだって突然だ。

 いつ何が起こるのかなんて分かったもんじゃない。

「うーん、むにゃむにゃ……すやぁ……」

 休日だからと三度寝の贅沢を享受していた俺だったが、

「……? むむー」

 何事かの違和感を感じ目を覚ますと、

「…………」

 何故か爆心地のど真ん中で布団にくるまっていた。

「…………何だ夢か」

「いやいや、夢じゃありませんからね!?」

 再び寝直そうとする俺にツッコミがかかる。やけにかん高くて耳に残る声だ。

 声のした方を見ると少女が二人。二人とも白を基調とした前衛的な――いや、個性的な――もといお洒落な格好をしている。

 声をかけてきたのは茶髪の少女だ。もう一人の少女は桃色の髪。二人とも結構な美少女だ。ってよく見ると茶髪の方はすごい服装だな……あれは見せパンという奴なのだろうか。正直言って直視し難い……

「夢じゃなかったら何なんだこれは。爆心地の中で眠った記憶なんて無いんだが……」

 喋った自分の声に若干の違和感を感じつつも、茶髪の少女へ質問を投げかける。

「貴方を私達が召喚したのですよ!」

「はぁ…………はぁ!? 召喚!?」

 召喚という耳慣れぬワードに過剰に反応してしまう。ファンタジーかメルヘンかよ。

「やっぱり現実じゃないじゃん……四度寝しよ……」

「いやいやいやいや、現実ですから! 何で寝ようとするんですか!?」

「いやだって、寝れば現実に戻れるかもしれないし……」

「これ現実ですから! 現実逃避しないでください!」

 そういうと茶髪の少女は布団を剥ぎ取ってきた。抵抗する間も無くあっさりと取られる。流石にこれじゃ四度寝は無理か……

「はぁ、わかったよ。起きます。それで? 千歩ほど譲って召喚されたのだとして、俺に何の用なんだ?」

「貴方を召喚した理由はですね……」

「はいはい」

「騎士団の団長になっていただくためです!」

「へー」

「……何ですか、そのうっすい反応は」

「いやだって、目が覚めたら変な所にいて、そんでもってよく分からない団長になってくれーなんて言われても、へーそうなんだって思うしか……」

「うっ。た、確かに……」

「という訳で最初から最後まで分かりやすい説明をお願いします。あ、この世界についてもちゃんと教えてね」

「は、はい……」

 その茶髪の少女(ナズナとか名乗ってた)曰く――

 この世界はスプリングガーデン。そしてここはブロッサムヒルって言う国のお城の庭らしい。この世界には害虫という人類の天敵がいて、すごい事に千年ほど戦い続けている。一進一退の攻防って奴だろう。よく知らないけど世紀末みたいだな……

 そんでもってその害虫ってのは神出鬼没でとても強大で数が多く、世界花の加護を受けた女性――花騎士にしか討伐できないらしい。なんてふぁんたじーなんだろう。……そしてそこはかとなく殺伐としている。もっとゆるふわっとしていて欲しい。

 更に更に、その花騎士とやらを率いて害虫討伐を専門の職業とする者を団長と言うらしい。団長職は常に人材不足らしく、先代のとある団長が死んだ所為で仕事が立ち行かなくなり、にっちもさっちもいかなくなって自分が召喚された、というのが大まかな流れのようだ。

 ……そこまで説明されて、ふと思う。

「あれ、俺ものっそいとばっちり受けてね……? っていうか、そんな大層な職業に就いて大丈夫なの……? 何にも知らないんだけど……」

「ご迷惑をかけることは本当に申し訳なく思っています……ですが、こちらも非常事態なのです。団長になるための教養、知識、経験は全責任を持ってお教えしますので! どうか、よろしくお願いします!」

 深々とお辞儀されて頼まれてしまう。無責任に召喚した訳ではなさそうだ。

「むぅ、取り敢えず話は分かった。で、聞きたいことがあるんだけど」

「はい、何でしょう?」

「元の世界に戻る方法とか無い?」

「ありません。というか、帰しません」

「ですよねー」

 ……まあそうだろうなとは思っていたとも。折角召喚したのに、「え、君帰りたいの? オーケーオーケー!」なんて言う馬鹿はいないだろう。そんな奴がいたらこっちが正気を疑うわ。

「もう一つ、いいかな?」

「はい」

「団長以外でこの世界で生きていく方法、無いかな?」

「ありません。というか、させません。こう見えてお偉いさんなのです、私」

「あっ、はい……」

 どうやら召喚された時点で詰んでいたようだ……思わず頭を抱える。

「くそっ、どうしてこうなった……いきなり召喚されて、どう聞いてもブラックな職業を強制されるとか、悪運極まり過ぎだろ……泣けてきた……」

「色々諦めて一緒に頑張りましょう? 大丈夫です。慣れれば楽しいですよ!」

「ぐぬぬぬぬ……」

 朗らかに笑うナズナ。だが俺はここまでの短いやり取りでこの笑顔の裏にある計算高さと漆黒の意思を知っている。くそう、滅茶苦茶良い笑顔なのにどす黒さが見えるぞ……!

「分かった。分かりました……団長やります……やるしかないんでしょ……」

「ありがとうございます!」

 後に、半ば背景となっていたエニシダ嬢は語る。

「あれはなんというか、悪魔の手口でした……私なんかよりずっと魔女してましたねー……」

 

 

「それでは場所を移して色々と相談事を進めていこうと思うのですが、その前に。あなたのお名前は何というのでしょう?」

「そういえば言ってなかったな……俺は……?」

 そこまで言って気付く。

「あれ、名前何だっけ……? 思い出せない……」

「へ?」

 確かにあった自分の名前。それがまるっと消えているのだ。他の事は思い出せるのに。昨日の晩御飯とか。ちなみに麻婆豆腐だ。

「あ、あ、あの」

「うぉう!?」

 おもむろに桃色の髪の少女が話しかけてきた。さっきまで背景になってたのに急に出現するんじゃあない。

「そ、それですね。召喚の際に消し飛ばしちゃいました……名前……」

「ええー……何てことしてくれちゃってるの……」

「元の世界の名前があると、元の世界への未練とか残るかなって……私の独断でやっちゃったんですが……えへへ」

 何故か照れ顔で鬼畜な事を語る桃色の髪の少女。そこ照れる所じゃないぞ。

「って、そう言うって事はあんたが召喚したのか」

「は、はい。エニシダと言います。魔女やってます」

「名前を消し飛ばしておいてここで自己紹介とか、喧嘩売ってるんです……?」

「へぁ!? あ、い、いえ、そんなつもりではないふぁいいふぁいれす! やめへふだはい! やめふぇ!」

 急に湧いたやり場のない怒りをエニシダとやらの両頬へぶつける。何このほっぺた。すごい柔らかい……ぐりぐりと気が済むまで弄った後、開放してあげる。

「うううっ、酷いれす……」

「まあ、これくらいで許してあげよう」

「あれ、あんまり怒ってないんです……?」

「いやー、あんまり物には執着できない性質でさ……よく考えたら別に元の名前とか無くてもいいやって」

「い、意外とドライですね……」

「という訳で、新しい名前下さい。無いと不便だし。名無しとか名乗るのもあれだし」

「それじゃあ、エニシダさん。お願いします!」

「へぅ!?」

 狼狽するエニシダ。傍から見ても驚く程の、流れるような無茶振りである。

「な、なんでっ私がっ!?」

「実際に召喚したのはエニシダさんですし、ここは召喚者が責任を持って名前を付けてあげるのが道理かと!」

 なるほど、こっちの世界では召喚者が名付けるのが常識なのか。あっちでは召喚とかできないから知らなかったなー。

「う、えぅ……分かりました……私なんかが名付けていいものか疑問ですが、頑張ります……」

 それなりに説得力のある提案だったのか、素直に応じるエニシダ。微妙に卑屈な発言をしつつも、こちらをじっと見てくる。

「名前、名前……」

 心なしかこちらを見る顔が赤い。ちょっとぐりぐりし過ぎただろうか……

 視線に耐えかねて同じく自分の体を見る。すると、今更ながらある変化に気付いた。

「あれ、今更気付いたけど俺の体……」

「どうかしましたか?」

「何か縮んでいるような?」

 寝間着はぴったりのものを着ていたはずなのに、今では袖が余りだぼついていた。

 何だろう、ちょっと嫌な予感がする……

「あのさ、鏡とかないかな?」

「あ、手鏡なら持ってますよー」

 ナズナから借りた手鏡を覗く。そこには予期していたものがあった。

「なんとぉ……若返ってる……」

 鏡の中にいた人間は、年の頃は恐らく十代半ば、色白で童顔の少年。

 髪は不精をしていたため長く、若干ボサついている。

 そして体つきは良く言えばスレンダー、悪く言えばもやし体型。

 ……総合すると、中性的な見た目の、不健康そうでいかにも無愛想な少年である。

 紛れも無く我が青春時代の姿であった。起床後に感じた、声の違和感の正体もこれで推測が付く。要するに変声期前位まで若返っているのだろう。

 元々高くなかった身長も更に下がり、目の前のナズナと視線を合わせるには少し見上げなければならなかった。相手がどれ位なのかは分からないが、恐らくは百五十程度まで縮んでいるのかもしれない。

「ええっと? 若返ってるって……元々いくつだったんです?」

「二十代後半……」

「いや、何でぼかすんですか……それはそうと、結構な若返りっぷりですね」

「何で若返ってるんですかね……? これも召喚の際に何かしでかしたとか?」

「いや、これはちょっと分からないですねー。召喚の際には何も……あっ」

「あっ、って何だよ!? やっぱり何かしてたんだ!?」

「いえ、ちょっとですね。実験的な試みとして、世界花の加護が男性の貴方にも受けられないかなぁと、召喚の際に加護も受けられるようにやってみたんですよ」

 ニコニコと笑いながらナズナは続ける。

「多分若返ったのは加護を受けられた証拠ですね! 多分ですが!」

「多分って……それが違って加護を受けるのに失敗してて、別の要因で若返ってたとしたらどうするんだ?」

「その可能性は否定できませんが、そういった心配はご無用ですよ」

「……?」

 返答の意味が分からずに首を傾げる。

「加護を受けられていようがいまいが、貴方には団長以外の道はありませんので!」

「ああ、そうだったな畜生!」

「何にせよ若返ったのは好都合です。バイタリティ溢れる若い体で、一緒にきりきり働きましょう!」

「ぬおおおお……働きたくない……!」

 本当にどうしてこうなったんだ……若返れてラッキー、とか思う暇くらい与えてくれ、神よ……!

「よ、よし、名前決まりましたよ!」

 再びブラックな絶望に頭を抱える俺などお構いなしに、エニシダが何事か話し始める。

「って、あれ、どうかしたんですか……? すごい辛そうですけど、大丈夫ですか?」

「……大丈夫、だから……」

 こいつ、今までずっと名前決めるのに集中してたのか……

 途中から何か遠い目をしてたもんな……

「で、では決めましたので言います。言いますよー! 貴方の名前はイルさんです!」

「……して、その心は?」

「私が召喚して、貴方がここに居るから、それでイル!」

「えらく安直だなぁ、おい!」

「えっ、えっ、駄目ですかね……?」

 きっと一生懸命考えたのだろう。ツッコミを入れたら涙目になってしまった。

「や、やっぱり駄目ですよね……私なんかが決めた名前じゃ……うう、どうせセンスなんて無いんだし、考えるだけ時間の無駄でしたよね……ううっうっ」

「あー、いや、駄目じゃないんだが、うん、うむむ……」

 何だろう、非常に面倒臭い。あと女性に泣かれるのは非常に気まずい。初対面だからなおさらだ。

 ……そう思ったら、口が自然に動いてしまっていた。

「あーもうっ! イルでいい! 俺の名前はイル! 決まり!」

「え、やっぱり気に入ってくれたんですか!?」

「ああ、気に入ったさ! 気に入ったよ畜生!」

「わぁ……頑張って考えた甲斐がありましたよー!」

 ピンクの魔女はそう言うと小躍りし始めた。さっきまで卑屈になっていたかと思うと、この喜びようである。何て極端な奴なんだ……きっとこいつの周りの人間は苦労していることだろう。

「あーくそっ、何だってこんな疲れるんだ……」

「イルさん、イル団長ですか。良い名前ですね!」

「お世辞はいいよ、もう……誰か助けてくれ……」

 こうして俺は新世界にて、団長と言う新しい職、世界花の加護によって若返った(と思われる)身体、そしてイルという新しい名前を手に入れた。

 これから先、嫌な予感だけしかしないが、この理不尽な状況を何とかしていかなくてはいけない。

 ひとしきり腐った後、ナズナへと向き直る。気持ちを切り替えていかねば……

「……んで、今後の相談をするんだったっけか? 名前も決まったしさっさと行こうか……」

「はい、では行きましょうか!」

 断頭台へと赴く受刑者のように悲壮な決意を胸に、俺は団長への一歩を踏み出したのだった……

 

 

 ナズナの先導で場所を移し、ここは城内の一室。

 中はそれなりに広く、机や椅子、筆記用具等が無造作に置かれており、ちょっとした教室のような感じである。元々そういう用途で用意された部屋なのか、黒板も備え付けられてあった。この世界にも黒板とかあるんだな。

「ではその辺に適当に座って待っててください」

「ほいよ」

 室内に入ると、ナズナにそう促される。

 言った本人はというと、そのまま何かの準備をするのか、更に奥の部屋に入ってしまった。

 残された俺は言われるがままに、適当なイスと机を見繕い座る。

「よっこいしょっと」

 ……すると何故かエニシダも隣に座ってきた。

「……近いからもっと離れて」

「えー、なんでですかー。いいじゃないですかー」

「気が散るんだよなぁ……」

「ふふんふーん♪」

「……」

 こっちの悪態が聞こえてないのか、上機嫌に鼻歌まで歌ってらっしゃる。

 思えば移動中も妙に近くにいたような気がする。何でこんなに懐かれてるんだろう……

「それじゃあ始めますよー」

 準備ができたのか書類を携えてナズナが戻ってきた。すると、俺達が隣同士くっ付いて座っているのを見て微笑む。

「あらあら、仲良しさんですねー」

「仲良しですよー」

「いや、こいつが勝手に隣にだな……」

「またまたー、照れちゃって♪」

「照れてる顔も可愛いです……」

「な……!? かわっ……!?」

 可愛いだと……今俺を可愛いといったのかこいつは……! 驚愕する俺をよそに、エニシダはつらつらと語り出す。

「何ていうか、イルさん女の子みたいで、見てると保護欲がむらむらと出て来るというか……近くで見るとお肌も綺麗だし、服もだぼだぼで……ふぅ……抱いていいですか?」

「何かさっきからやたらと近いのはそれが理由かっ!? あと抱こうとするな! 離れろ!」

「えへへ、召喚した責任もあるし、ちゃんとお世話しますからねー」

 そう言うと顔を赤らめながらこちらの頭を撫でようとしてくる。完全に子供扱いだ。即座に伸ばされた手をはたき落とす。

「あうぅ、いけずぅ……」

「あらかじめ言っておくが、俺はこんななりになったが中身は成人男性だからな? 抱かれたりしたらそのまま襲うかもしれないぞ?」

「イルさんに襲われるならそれはそれで……」

「いいのかよ!?」

 想像しているのか、更に顔を赤くするエニシダ。忘れていたが、これでいて結構な美少女なのだ、こいつは……

 何というか、非常に扱いに困る……

「惚気は終わりましたかー?」

「ひゃうぅ、惚気だなんてそんな……もっと惚気てもいいですか……?」

「惚気てないからな!? というか、いいから早く話してくださいお願いします!」

 隣の珍人を視界から外しつつ、ナズナへと催促する。横から刺さる視線が痛いが、無視だ無視。

「えー、それでは今後の予定を黒板に書いていきますねー」

 カッカッっと予定が書きだされていく。書き出されていくのは未知の言語だ。

「えっと、イルさん読めますか?」

「何か、読めるみたいだな。変な感覚だが……」

「加護のおかげでしょうね。若返っただけでなく、ちゃんと受けられていたようで何よりです」

 ふと思い立ち、その場にあった筆記用具で書き物をしてみる。

「おー、俺もちゃんと書けるな。何だこれ気持ち悪い……」

 あいうえお、と書いたつもりが黒板のものと同じ言語になって出力されている。加護とやらのおかげだろうが、勝手に脳が書き換えられたようであまり良い気分ではない。

「確認もできたところで、今後の予定といきましょうか」

 黒板をなぞりつつ、ナズナは語り始める。

「まず今日は召喚疲れもあるでしょうし、このまま休息です。エニシダさんとイチャイチャしててください」

「イチャイチャ!? します!」

「いや、しねえよ」

「次いで明日からですが、一日づつ集中学習をしていきます。イルさんは本当に何も知らない状態ですから、まずはこの世界と団長についてのお勉強ですね。それを二日取ります」

「二日……それで足りるのか? 団長の仕事って難しいんじゃないのか?」

 率直な疑問を言う。

 先の説明では人材不足と言っていたから、激務且つ複雑という印象を受けたんだが……

「いえ、職務の基礎的な所はそれほど難しくは無いのですよ。ただ……」

「ただ?」

「この世界って男性が少なくて、優秀な担い手が中々出てこないんですよね……」

「へえ、そうなのか」

「そのせいで団長一人当たりにものすごい件数の案件が集中して、いつもパンクしているんです」

「その辺の人を団長には出来ないのか?」

「それが出来たら苦労してないんですよう……」

 そこで溜息を一つ吐くナズナ。意外と苦労人なのかね……?

「団長になるのには特殊な条件がありまして、花騎士に慕われるような素養がどうしても必要なのです。これを普通は騎士学校に何か月か通って身に着けるのですが……」

「で、その素養というと?」

「まず第一に体力、次にコミュニケーション能力、そして花を従える魔力です!」

「最後以外は普通だな……」

 正直言って素養というのだから、もっと超人的な能力を要求されるのかと思っていた。

「そうですね。とりわけ無くてはならないのが花を従える魔力です。これだけは先天的な才能で、修練で身に付くことはありません。大半はここで振るい落とされます。しかもその魔力も大抵最初は微々たるものでしかなく、育て上げるのに何か月もかかるというのが現実です」

「なるほどなー。ちなみに俺にはそのなんたらの魔力ってのはあるの?」

 世界花の加護を受けているらしいことは分かってきたが、魔力は別物だろうと思い質問する。

「イルさんの魔力は! びんびんですよ! 最初からマックスです!」

「うおぅ!? いきなり横で大声あげるな!」

「何たって花騎士でもある私がここまでメロメロなんですから! はぁぁ、真面目にお話を聞くイルさんも可愛い……」

 駄目だこいつ……早く何とかしないと……

「……こいつはこう言ってるけど、本当なんですかね……?」

「私は花騎士じゃないので分かりませんが……エニシダさんが言うならそうなのでしょう。この人、こう見えて結構なサラブレッドですので、実力は折り紙つきですよ?」

「ふーん……?」

 意外とすごい奴なのか。人は見かけによらないってのはこの事だな。ってうわっ、鼻血出しやがった……

「……というかエニシダさん。さっきからイルさん可愛い可愛いとしか言ってないですが、大丈夫ですか? 召喚して脳がやられましたか? キャラが壊れていますよ?」

「だ、大丈夫ですよ! ちょっときゅんきゅんしてるだけですから!」

「もうお前本当、黙っておけな……?」

 鼻にティッシュで栓を詰めながら抗弁するエニシダ。折角の美少女が最早見る影もない。こんな奴に召喚されたのかと思うと、ちょっとやるせなくなるな……

「で、だ。その世界と団長についての勉強ってのは分かった。次は何するんだ?」

「はい。三日目にはイルさんの受けた加護について詳しく調べようかと思います」

「俺の受けた加護……」

「加護というものは本来、女性の花騎士しか受けられないものです。そして、加護を受けた花騎士は何らかの才能、異能に開花します。イルさんも男性ながら加護を受けているので、何らかの能力が開花するはず。それを調査します」

「はい、質問」

「何でしょう?」

「その能力ってのは具体的にどういうものがあるんだ?」

「まず、基本として身体能力が飛躍的に向上します。加護の強弱や個人によって程度は違いますが。具体的に脚力で言うと、短時間であれば馬と並走できる程度にはなりますね」

「馬と一緒に走れるのか……」

 それ殆ど人間辞めてるじゃないか。そんな奴らを従えて仕事していくのか……気が重い。

「他には個人差が大きいですが、千里眼や未来予知、炎や氷、雷を操ったり、使い魔を強化したり光線を出したりといった多種多様な能力が報告されていますねー」

「何だよそれ、超人もいいところだな!?」

 あまりの現実離れした能力に頭がくらくらする。アメコミのヒーローか何かかよ……

 ふと思い立ち、隣のエニシダを見る。確かこいつも花騎士だ、って言ってたな……

「なあ、あんたも花騎士って事は色々できるのか?」

「私ですか? できますよ。あんまりすごくないですけど、箒で空飛んだりとか、ビーム出したりとか」

「うわ、こわっ……近寄らんとこ……」

「ええっ!? 何で!?」

「にしても、加護で身体強化か……」

 エニシダを放置し、その辺の鉛筆を手に取る。それを左手の親指と人差し指で挟み、へし折ろうと力を込める。

 ……以前の非力な俺であれば相当苦労していただろう。だが、鉛筆はべきりと、本当に軽々と折れてしまった。

「おお、加護で強化されるってのは本当なんだな」

 調子に乗って二本三本と折っていく。折る瞬間が最高に気持ち良い。

「あのー、備品なのであんまり壊さないでくださいね?」

「あっと、つい……ごめん」

「調子に乗ってべしべし折るイルちゃんかわーいーいー」

「お前は喋んな! というかちゃん付け!? 絶対にやめろ!」

「雑に扱った仕返しです!」

「いちゃいちゃしてないで次進めますよー?」

「いちゃいちゃしてない!」

 くそう、エニシダに話を振ると碌なことにならない……というかこのやり取りがいちゃいちゃしてるように見えるのか、この人は。激しく謎だ。

「それで、三日目の加護の調査が終わり次第になりますが、次は戦闘訓練に移っていきます」

「戦闘……」

「団長職の方は本来、後方支援に徹して害虫とは戦わない、というより加護が無いため直接的な戦力になれないというのが常識なんですが、イルさんは例外的に加護を受けているので、折角ですから戦えるようになってみましょう」

「いきなりハードル上げてきたな!? 俺戦った事とか無いぞ!?」

 何だろう、こっちに来てから無茶振りしかされてない気がする……

「大丈夫です。こちらもその筋のスペシャリストの訓練官さんを呼ぶ予定ですので、大船に乗った気持ちでいてください!」

「そう言われてもなぁ……」

 実際問題、運動は苦手だった。加護で強化されているとはいえどこまで出来るのか、不安で仕方がない。

「戦闘訓練の期間はイルさんが仕上がるまでずっとです。訓練官さんのお墨付きが出るまでですね」

「はい、質問」

「なんでしょう?」

「仕上がらなかったらどうしよう?」

「絶対に仕上げますのでそういう心配はしなくて結構です!」

「うぐぐぐ……」

 俺としてはこのまま仕上がらず、一生戦闘訓練していればいいかなとも思ったが、そうは問屋が卸さないようだ……

「戦闘訓練が終わったら、次は実戦訓練ですね。実際に郊外へ出て害虫を倒してもらいます」

「実戦もやるのか。ってまあ普通そうだよな……害虫って強い?」

「街道辺りの害虫ならそれほど強くないかと。ただ……」

「ただ?」

「害虫って本当に神出鬼没なので、調子に乗って雑魚を狩っていると、すごいのが出て来た時にこれも弱いと勘違いして、無謀にも挑んで死んじゃうというケースがそれなりに」

「この世界怖いな!?」

 流石千年も戦い続けている世界は格が違った。カッコよくもないし憧れもしないのが非常に嫌だ。

「まあ、実戦訓練にも訓練官さんは随行するので、死ぬような目には合わないでしょう、多分」

「その多分ってのが引っ掛かるんだよな……」

 これがゲームのチュートリアルだったりしたら、大抵最後の最後でイレギュラーな事が待ち構えてるんだよな……騙して悪いが、って感じに。

「実戦訓練が終われば、実質的な訓練期間は終わりですね。その後は一日休息を入れた後、部下となる花騎士達と面接。晴れて団長職に就任という流れになります」

「戦闘訓練がどれくらいになるか分からないけど、大体全部で一週間程度って認識でいいのかな?」

「はい、それ位の認識でいいかと。こちらも色々とカツカツなので……あまり時間が取れず申し訳ないです」

 本当に時間が無いようだ。短すぎると思ったが、ぐっと飲み込む。もう後戻りは出来ないのだ。

「それにしても花騎士達か……もううちに来る人は決まってるんだ?」

「いえ、これから決めます」

「これから?」

「はい、なるべく優秀な人材を集めるために、直近でフリーになった人、現在の配属で戦力の余っている人なども含め、使えそうな方に手当たり次第連絡します」

「なるほど……」

「それで、ときにイルさん」

「ん、なにか?」

「イルさんの誕生日を教えてくれませんか? 選ぶときの参考にしますので」

「ああ……って、この世界も一年は三百六十五日の十二ヶ月なのか?」

「ええ、この世界もそうですよー。うるう年ってのもありますね」

 この世界も太陽暦なのか。意外な共通点だ。どの世界でも人間の発展の歴史は一緒なのかもしれない。

「それじゃあ、三月の十二日だな」

「ふむふむ」

「……!? イルちゃんさん今何と!?」

 誕生日を告げた瞬間、すごい剣幕でがぶり寄ってくるエニシダ。ちゃんとさんを同時に言うな。

「だから、三月十二日が俺の誕生日って言ったんだけど?」

「……っ! そう、そうでしたか……なら……理由が……」

 再度告げると、ぶつぶつと何事か呟いた後、考え事を始めたのか、遠い目で窓の外を見始めてしまった。

「どうしたんだ、こいつ……」

「三月十二日……ああ、なるほど」

「何か知ってるのか?」

「ごめんなさい。知っていますが、これは貴方とエニシダさんの問題になりますので、私が口を出すべきではないかと。エニシダさんの心の整理が付いたら話をしてくれると思いますので……」

「ふーむ? 俺と誕生日が一緒だったとかかな……」

「いえ、そういう訳ではないですよ? まあ気長に待ってあげてください」

 見当違いの推測をしたようだ。まあ何かしらこいつとは因縁があるみたいだし、話をしてくれるまでは待ってやろう。ロクでもない話でなければ良いが……

「それでは今後の予定の話はおしまいです。今日はもうゆっくり休んでください。泊まる部屋へ案内しますので」

「ああ、わかった」

 席を立ちナズナの案内に従って部屋へ向かう。移動中も終始無言で歩くエニシダが少しだけ気がかりだったが、何なんだろうなこいつとの因縁って……

 

 

「では、この部屋をお使いください。食事などは後で届けさせますので、今はゆっくりと休んでくださいねー」

 そう言い残すとナズナは退出していった。俺を召喚した為に色々と忙しくなるのだろう。まあそれ位は働いてもらわなくてはという気持ちと、若干の申し訳なさを感じる。……道理で言えば申し訳なく感じる必要などないのだろうが。

 複雑な思いを馳せつつ、思考を室内へと戻す。案内された部屋は少し狭いながらも、居住用としては申し分のない部屋だった。椅子とテーブルにベッド、ちょっとした書物の入った本棚、動力不明の照明、そして驚いたことに、トイレや風呂といった水回りの設備もあった。

「中世チックなお城だと思ったのに水回りもちゃんとあるんだな……」

 意外とこの世界も技術が高いらしい。召喚などといったファンタジーな事が出来るくせに近代技術もあるとか、中々欲張りな世界である。

「で、あんたはどうするんだ?」

 一通り部屋を調べ終わった後、付いてきたままドアの前で突っ立っているエニシダへ問いかける。

「はっ」

 声をかけられて我に返ったのだろう。わたわたと周りを見回すエニシダ。

「う、あ、すみません……ちょっと用事があるので私も一旦帰ります……」

「そうか、気を付けてな」

「あ、えと、ありがとうございます。い、イルさんもお気を付けて」

「あ、うん……」

 部屋の中で何に気を付けろというのだろう……エニシダも言った事がおかしいと気付いたのか、顔を赤らめて黙ってしまう。

 ……そうしてしばらく黙っていた後、何かを決心したのかこちらに向き直る。

「そ、それでイルさん! また後でお話しに来ても良いですか? ……大切な話があります!」

「ああ、俺は別に今でもいいけど……」

「私は良くないので! 準備してから来ます!」

「お、おう……」

 言い終えるや否や、バタムとドアを閉じて出ていくエニシダ。すごい勢いで走る足音が廊下から聞こえる……

「何なんだろうな、一体……」

 取り敢えず話してくれるらしいし、期待して待っていよう。と、一人になった瞬間どっと疲労が押し寄せてきた。未知の世界に来るという怒涛の展開に緊張しっぱなしだったようだ。

「ああもう、本当、今日は疲れたな……」

 窓の外を見れば陽が落ちかけていた。それに何故か桜の花のようなものが散っているのも目に取れる。確か向こうでは十月だったような……本当に異世界に来たんだなぁ。

「そういえば風呂があったな……体でも洗うか」

 風呂場へと行く。流石に湯船に湯は張ってないか。シャワーだけでいいな……

 シャワーだけで手早く済ませた後、堪らずベッドへ身を投げる。よく手入れされているのか、フカフカで気持ちが良い。

「ふへー……」

 安心感に気の抜けた声が出る。すると今まで棚上げにしていた不安が首を擡げてきた。

 これからの事。これまでの事。

 明日からの学習、付いていけなかったらどうしよう?

 加護の調査、何も出て来なかったら?

 戦闘訓練、才能が無さ過ぎて訓練官に呆れられたりしたら?

 どれもこれも耐えられそうになかった。自分自身、何も持ってないのは分かってる。けど、実際に指摘されるのは辛い。

 突然俺の消えた世界。最初はみんな戸惑うだろうけど、まあ何とかなるだろう。社会には俺がいなくても代わりはいくらでもいる。

 ……だが家族は? 両親は大丈夫だ。最初は悲しむだろうけど、貯金はいっぱいあるだろうし、何とか割り切って余生を楽しんでくれるだろう。楽しんでくれ、頼む。けど、もうちょっと親孝行しておけば良かったな……結局してやれたことなんて何も……

 等と考えているとすぐに意識は飛び――

 

 

「イルさん。起きてください、イルさん」

「……めん………なさ…………」

「イルさん……?」

「うあっ……?」

 目を覚ますとベッドの端にエニシダが腰掛けていた。どうやら眠ってしまっていたようだ。

「鍵が掛かってなかったから、勝手に入っちゃいました……って、怖い夢でも見ましたか? 涙が……」

「……っ!」

 言われて確認すると頬が濡れていた。寝ながら泣いていたのか……我ながら情けない。

「泣いてない! 泣いてないからっ!」

「……」

「…………」

「あの、ごめんなさい……呼んでしまって」

「……何で今更謝るんだよ。必要だったんだろ」

「でも、寝言で……誰かに謝ってたみたいだから……」

「でも、も糞も無いっ! 呼んだなら謝らないで、行動で責任取れっ! この馬鹿っ!」

 泣いてたところを見られたからか、自然と言葉が荒くなってしまう。また涙が出そうになるが、何とか耐えた。

「ああ、くそっ。…………ごめん」

「いえ……その、イルさんは私にもっと当たってくれてもいいんですよ?」

「……もういい。こんなの誰も得しないし、疲れるだけだから……それよりここに居るって事は話があるんだろ?」

「はい。あ、でもその前に」

 そう言ってテーブルの上にあったトレイを持ってくるエニシダ。来る時に運んできたのだろう。

「ご飯でも食べて、元気になって下さい」

 乗っているのはパンとシチュー。二点だけだが大盛りに盛ってあった。

「どれくらい食べるか分からないので、大盛りにしてきちゃいました」

「……うん、ありがとう。それじゃ遠慮なく……いただきます」

 ベッドに腰掛けたまま夢中でパンを齧り、シチューを啜る。自覚は無かったが相当お腹が空いていたようで、すぐに皿は空になった。

 食べている間、隣のエニシダから何やら優しい視線を感じたが、敢えて見ないようにした。こっちにも意地ってものがあるのだ。

 それにしても、昼の一件の前とはキャラが全然違うな……? 可愛い可愛い言わないし。こっちが素なのかもしれない。

「ごちそうさまでした。……って、もう夜なんだな」

「ええ、今は大体七時くらいですね」

「結構寝ちゃってたみたいだな……それで、今度こそ話って何なんだ?」

 話を振るとエニシダは居住まいを正す。

「はい、ええっと……イルさんは誕生花って知ってますか?」

「いや、知らないな。でも何となくわかる。誕生石とかみたいなものだろ?」

「ええ、大体合ってます」

 ああ、何となく読めて来たぞ。

「それでその、イルさんの誕生花なんですが、えっと、複数あるんですが」

「早く言いなさい。何となく分かってきたから」

「あうう……」

 急かすとエニシダは赤面して固まってしまった。……しょうがないなぁもう。

「推測だけど、俺の誕生花の中にエニシダ、お前がいるんだろ? それが特別な意味をこの世界では持っている。そんなところか?」

「あうぅうう……うううっ」

 図星だったのか、更に赤面するエニシダ。泣きそうである。

「で、その特別な意味って何なんだ?」

「そ、それは……!」

「早く言え。言わないとずっとこのままだぞ?」

「い、いい、言いますから! ちょっと深呼吸させて、ください」

 スーハーと深呼吸、そして語り始める。

「……特別な意味というのはですね。花の名を冠する私達花騎士、その間で一つの教えというか、言い伝えがありまして」

「ほうほう」

「『団長の誕生花と同じ花の名を持つ者は、その両者こそが最良の相性、もとい伴侶となり得る相手である』って言うのが、あるんです……」

「ほう、ほ……う……?」

 最良の相性? 伴侶?

「なんじゃそりゃ!?」

「だ、だからイルさんの誕生日聞いた時、私、この人がその、運命の人なのかなって思っちゃって。そ、それから、段々と頭が真っ白に」

 伝え終えるや否や、またしても湯気が出そうなほどに赤面するエニシダ。そんな教えに信憑性なんてあるのだろうか……問い質さずにはいられない。

「待て、ちょっと待て。その教えだか言い伝えだかが間違いって事は無いのか? 統計は取れているのか? 実際、周りに幸せになった奴はいるのか?」

「い、います……統計も、団長の婚姻なんかはすぐ噂になるし……」

「…………」

 こちらも思考が真っ白になりかける。異世界に来て早々、色恋沙汰に巻き込まれるとは……しかも相手は召喚した当人と来てる。本当にどうかしてる。

「あ、あのイルさん。それで、提案なんですけど……」

「な、なんだ?」

「これからなるべく一緒にいてもいいですか? 出来る限りでいいので……貴方が本当に私にとって大切な人になるのかどうか、確かめたいんです」

「…………」

「う、や、やっぱり駄目ですよね。私みたいなヘッポコ魔女が一緒だとイルさんの邪魔にしかならないし……」

「はぁー……いいよ、それくらいなら」

「へぅ!? いいんですか!? あ、ありがとうございます……!」

 予想以上に奥ゆかしい娘で助かった……

「にしても良かった。一旦仕切り直して夜に来るんだもん。夜這いしに来たのかと思った」

「そ、そんなことしませんよ!?」

「昼間は抱いてもいいですかー、なんて言ってたのにな?」

「あ、あの時はイルさんをペットみたいに思ってた時なので!」

 こいつ、俺のこと愛玩動物か何かかと思ってたのか……あの言動もちょっと納得がいったぞ。

「襲われるならそれはそれでー、とかも言ってたよな?」

「そそ、それもペット的な意味で!」

「んじゃ、今襲われたらどうする?」

「え!? えぅえぅぅ」

 想像したのか、奇声を上げ涙目で俺から離れるエニシダ。昼間から思ってたが、弄ると面白いな、こいつ。

「……冗談だよ。襲う訳ないだろ」

「……いじわるです」

「まあこれでおあいこってことで」

「何のおあいこなんです……?」

「召喚から何から色々と全部、ひっくるめてだな。面倒な事はもうこりごりだ……それで、だな」

 右手を差し出す。

「これからよろしくな、エニシダ。俺も、この世界の事、お前の事、何にも知らないから色々教えてくれ。あと団長とやらになるのも手伝ってくれ、頼む」

「……ええ、こちらこそよろしくおねがいします。イルさん」

 右手と右手が重なり、握手になる。

「何だかこれ、プロポーズみたいですねー♪ 名前も初めて呼んでくれましたし……感激です」

「ばっか、お前! 折角人が恥ずかしいの我慢してやったっていうのに、茶化すんじゃない!」

「ふふっ、照れてる照れてる。やっぱり可愛いですねぇ、イルさんは」

「可愛くないからな!?」

「そうやって言い返してくるところが最高に可愛いです」

「……っ! 前言撤回! お前なんかに頼まない!」

「ああっ、言い過ぎました! ごめんなさい! 撤回しないでー!」

「……」「……」

「……ふっ」「……えへへ」

 二人同時に笑い始める。弄り弄られる関係という奴だろう。確かにこいつとの相性は悪くないのかもしれない。

「何だか明日の事とか悩んでたの、どうでも良くなったなー」

「そうですねぇ。私もさっきまでウジウジ悩んでたのが馬鹿馬鹿しくなりました」

「明日からお勉強だったか。まあ何とかなるだろ」

「あ、そうそう、その勉強私が教えることになったんですよー。さっきナズナさんに頼まれちゃって」

「そうか、それはさらに気が楽だ」

「ええ、大船に乗ったつもりでいて下さいねー」

「そういや、大船と言えばこんな話があってな――」

 この日はこのまま何時間も取り留めのない会話を続けた。家族や友人、そういった話題は二人とも意識的に避けたが、不思議と長続きするものだった。双方にとって互いの世界が刺激的だったからかもしれない。そうしてしばらく話し続けて、どちらからともなく眠りについた。

 俺の人生において初めての話疲れの寝落ちというやつだった。こいつにとってはどうだったか分からないが、まあ多分、悪くない経験にはなってくれただろう。

 ……気心の置ける友人というものを今まで作ってこなかった、もとい作れなかった俺にとっての、今までで一番幸福な夜だったかもしれない。今は、今だけはそう思いたい。

 


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