泣き笑い   作:雨築 白良

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試験、肆

 

 

 

「オッス」

「…おーっす」

 

 掛けられた声に、一瞬の間を挟みながら返す。

 誰だっただろうという疑問も数秒。そういえば自己紹介もしていなかったと思い出しながら、頭一つくらい低い銀色の髪を撫でた。

 反射的にしたのであろう警戒が、呆れたような気配と共に霧散する。

 目線を落とせば、吊りあがった猫目が胡乱げに僕を見上げていた。

 

「……何で撫でるんだよ」

「いやあ、癖みたいなもんでね」

 

 猫っ毛なのか少し乱雑なようにもみえるその髪は、思った以上に柔らかい。

 自分よりも余程近いその髪色と目つきに、恐らくは僕自身が思っている以上に気持ちが穏やかになったような気がした。

 若干、機嫌が悪かったから余計なのかもしれない。

 

 必要以上に少年の顔をじっと見つめて、意味の無いことだと軽く首を振って諦める。

 かわりにキルア坊ちゃんの疑問へと答えることにした。

 

「ゴン坊ちゃん達ならもう直ぐ帰ってくると思うよ」

「ばっ……ちげぇよ! いや、違くないけど……そうじゃなくて、」

 

 首を傾げる。

 違ったのだろうか、どことなく心配しているような、不愉快な気分であるような気配を感じ取っていたのだけれど。

 

 キルアの目に、霧散していた警戒心が若干宿る。

 ふとレオリオの旦那のことを思い出して木の方に目を向ければ、彼もそれにつられてその方向を目視し、暫く眠ったままの男を見つめて考え込んでいた。

 間違いないと思う、彼もまたレオリオのことを忘れていたのだろう。

 このおっさん誰だっけ、みたいな事を考えていたのではなかろうか。いや、レオリオの旦那はまだ十代らしいけれども。

 

「お前、ヒソカと知り合いなの?」

 

 自分の中でちゃんと答えが導き出されたのか思考を止め、投げかけられた問いへと僕は笑った。

 その質問は、僕がヒソカに抱えられたまま帰って来たからなのだと思う。

 一緒に担がれていたという意味ではレオリオもなのだけど、明らかに負傷して気絶しているのだから僕とは状況が違う。

 

 それにきっと、キルアは気づいているのだろう。

 ヒソカから移ったというには少し濃すぎる血の匂いというものに。

 頭から被った血の匂いはやっぱり暫くはとれないだろうし、そういうものに敏感な彼ならば、もしかしたら僕を同類のようにも思っているのかもしれない。

 キルアやヒソカや、もう一人のように。

 

 僕からすれば、違うのだけど。

 

「知り合いというか……まぁ、長い付き合いではあるよ」

 

 出会ったのは何時の事だっただろうか。

 回想をするように記憶を振り返ってみれば思い出したくないことまで思い出しそうな気がして、意識しないままに遡ろうとする思考を拒否した。

 

「ふーん……あ、オレはキルア。あんたは?」

 

 ゴン達とは違い、お互いに名乗り合っていないことに気が付いたのかキルア坊ちゃんはそう言った。

 間接的にはお互いの名前を知ってはいるものの、直接的に会話をするのはこれが初めてだったから、今更気づいてしまうのは仕方のないことだと思う。

 かくいう僕も、彼に言われて初めて気づいた。

 ゴン坊ちゃんから名前は既に聞いて自然に名前を憶えてしまったものだから、言われてみて、あぁそういえばそうだったのだと思い出したのである。

 

「フーラだよ」

「へぇ……、フーラだけかよ」

「そう言われても、君だってキルアとしか言ってないだろう?」

 

 キルアが告げた形式にあくまで則って返答すれば、ジト目のまま見上げられた。

 呆れているようにもみえるけれど、この場合は言われたことを返すのが当たり前なのではなかろうか。

 もしや僕が間違ってたのか? 僕もヒソカも普段ファーストネームしか名乗らないから良くわからない。

 ひょっとして、普段ちゃんと名乗らないからこそ僕って信用されないのだろうか。

 

「……キルア=ゾルディック」

 

 僕の発言が順当だと理解してくれたのか、それとも変な所で根負けでもしたのか、数秒の沈黙の後、彼が名乗る。

 へー。と適当な返事で応えれば、反応が薄かったことが不思議で仕方ないというような表情をありありと浮かべていたので首を傾げた。

 

 え、もしかして君のうちって有名なの?

 反応的には知らないことの方が変なレベル?

 そりゃ不味いや、後でちゃんと調べておかないと。世間一般で言う常識は身に着けておくべきだとは言われているし、だったら何でヒソカは教えてくれなかったのだろう。

 嗚呼、教えても関わりっこないからか。

 彼奴とは違って、僕は特に危険なことは何もしていないのだし。

 

 折角名乗ってくれたのだし、これはしっかりと返事をお返しせねばなるまいと口を開く。

 さてさて、これを言うのは何度目だろう。

 あんまりした記憶も無いし、実はそこまで言ったこともなかったかもしれない。

 

「ごめんキルア坊ちゃん。こんなこと言っておいて申し訳ないんだけど、……僕って自分のファミリーネーム知らないんだよね」

「はぁっ!?」

 

 清々しく思うくらいに良い反応をしてくれたキルア坊ちゃんの声で、意識を失っていたレオリオの旦那が目を覚ます。

 状況が良く理解できない彼が僕とキルアを見比べている内に、今度はゴン坊ちゃん達が辿り着いたようで、僕達を見つけるなり慌てて走ってきた。

 

 どうでもいいけど、クラピカ坊ちゃんもしっかりしているようで少し抜けているのかもしれない。

 こういうのを何と言うのか教えてもらったような気がするけど、何だったろうか。マイペース、じゃなくて。ポンコツでもなくて……あ、天然だ。天然呆け。

 集中して見るところを間違えてしまうのは僕もやってしまうけれど、レオリオの顔面にある腫れは結構目立つと思うんだ。

 

「ところで二人は何の話してたんだ?」

 

 散々な会話を繰り広げて、思い出したようにレオリオの旦那が僕達の会話を引き戻す。

 正直、そのまま忘れ去っていてほしかった。

 この説明はそもそもあまり名乗ったりしないからやらないのだけど、こうして正面から追及されるとちょっと困る。

 僕にだって、恥のようなものはあるのだから。

 

「そうだった、ファミリーネームが無いってどういう事なんだよ」

「……いや、そんなに正面きって言われるとちょっと…」

「おめェは何でそこで恥ずかしがるんだよっ」

 

 もう、全く調子が狂う。

 道中の会話では結構空気を読んで聞いてこない質問も多かったのに、どうして今に至ってしまうと追及を始めてしまうのか。

 しかもよりによってこの質問だ、これはちょっと、いやかなり恥ずかしい。

 仮面を付けていて顔なんて見えないのに、その仮面を皆の目に晒すことすら恥ずかしく思えて手で覆う。

 レオリオの旦那あたりは凄く微妙な顔をしていた。

 

「フーラ、フーラ」

 

 ちょいちょいと顔を覆う手元の袖を引いたゴン坊ちゃんが呼ぶから、手を放して顔をあげる。

 そうなの? と簡潔に聞いてくるので、ひとつ頷いて返事をした。

 

「そうなんだって」

「いや、どーいうことだよ」

 

 それもそうだ。

 何も言わずにそういうことだと告げても何の返答でも無かった。

 

 それでも、そのやり取りに気分が落ち着いたのは本当で。仮面の下で蒸れて熱い顔はまだ冷めないけれど、取り敢えずは声が出るようにはなった。

 誰のおかげかと言われれば、この場の功労者は間違いなくゴン坊ちゃんだ。

 この場だけじゃなくてどの場でもだったけれど。

 

「あー、えーっと…」

 

 いざ説明をしようとすれば、言葉に詰まる。

 いつも何気なく話して流そうとしていまうから、こうも聞かれているとわかっている状況で話すのは慣れていなくて辛いのだ。

 せめて自分の目線だけは外へ逃がそうと目をそらしてヒソカを見つければ、ふと気が付いてこちらを見た彼奴はこちらの状況も解っていないだろうに、どうしてか楽しそうに笑っている。

 僕が困っていることは、何故か把握しているようだった。

 その上で、助けを呼んだって来てくれないのだろう。彼奴はそういう奴だ。

 くそう、ちくしょーめ。

 

「こう、言っては悪いのだが……フーラは流星街出身なのか…?」

 

 粗方の事情を聞いて、考え込んでいたクラピカ坊ちゃんが問いかけてきた。

 警戒心からか緊張しているような彼の様子に疑問を持つ。その真っすぐに向けられた目は真剣で、覗き込んで見てみれば、奥の方に僅かな怒りと憎悪が混じっているようにも見えた。

 

 僕に向けられたもの、ではないだろう。

 その場合はもっと直接的で、良く見なくとも目には隠し果せるものでは無い。

 だからこれは、連想するように思い出してしまったもの。僕の発言や彼自身が放った言葉が、恐らくはそれに関係してくるのだろう。

 この場合は、そう。

 流星街。

 

「……ううん、違うよ」

 

 まぁ、僕には関係ない。

 話に聞いた流星街という場所は、確か命さえも捨てられているごみ捨て場みたいなもの、だっただろうか。

 名前すら与えられなかった人間が存在するだろう、無法地帯。

 ファミリーネームが無い、ということから戸籍がない、それならばもしかして、という思考だったのかもしれないけれど、僕の場合は少し事情が違うのだ。

 

「産まれたのはグラムガスランドだけど、その後はサーカスであっちこっち転々としてたかな」

 

 戸籍は、どうだろう。

 一応あるとは思うけれど、もしかしたら宙ぶらりんにはなっているかもしれない。

 生死不明扱いになっているかもしれないし、下手したら死亡扱いの可能性もある。

 だけどちゃんとした手続きをすれば必要な時は使えるとは思うし、存在しない人間扱いにはなっていない筈だ。

 

「僕がファミリーネームを知らないのはね、えっと。憶えてない、からっていうか…」

 

 お母さんにはちゃんと有ったのだと思う。

 父親にも有るのだろうけど、僕は父親の名前なんて知らないから使うならばお母さんの方だった筈だ。

 しかし、まぁ。

 幼い子どもにとっては、お母さんはお母さんな訳だ。

 名前で呼ぶようなことなんて勿論無いし、普段だってお母さんで事足りる。

 

 サーカス団というものは、本来団員の全員が身内であるような連帯感があった。

 だから、やっぱり他人を呼ぶときも名前で呼べば事足りて、団長ですら団員達を愛称で呼んでいたりもする。

 だから、ふとした時にその弊害が生まれた。

 

 例えば、その団員が事故をしてしまって急死してしまった時。

 死亡届。または遺族への死亡通知。

 やらない訳にはいかない。けれど、いざとりかかった時に団員達が戸惑うことがある。

 

 彼、または彼女の本名は何だったのか。

 実家は有って、遺族はいるのか。

 団員の本来の住所はどこなのか。

 入団の際にちゃんと調べて記録してあるようなところであればそうでも無かったのかもしれないけれど、遣っていないところも割とあった。

 

 僕が初めに属していたサーカス団は、しっかりと記録をしている処だった。

 団員が亡くなれば必要な連絡をし、遺体の引き取り手が無ければ団員達で小さなお葬式をする。そんな、心優しい人間が営んでいるサーカス団だった。

 だけど、お母さんが死んでしまって。

 酷く動揺してしまった当時の僕は、そのままサーカス団には戻らなかった。

 

 幼き無知故にお母さんの名前も知らず。教えてくれる所からも離れて。

 こうして僕は、今に至る訳だ。

 

「子どもだったから、っていっても流石にそれがおかしいって事は後から教えられて…」

 

 だから毎度説明するたびに少しどころかかなり恥ずかしい。

 僕が、昔はクラピカ坊ちゃん以上に抜けていたお馬鹿さんであることを、自分で説明しているようなものだから。

 

 

 





 何で君等は苗字に拘るのって回。

 レオリオにもちゃんとファミリーネームあったみたいですね。
 なので苗字があることがこの世界でも普通なのだろうと判断しました。ヒソカも苗字ありましたし。
 無いのは民族とか少し特殊な人たちだけかもですねぇ。

 ……え、オリ主君?

 あの子はただのおとぼけさんです。

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