泣き笑い   作:雨築 白良

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試験、弐

 

 

 

 鉄さびのような酷い臭いが鼻をついた。

 多くの人がそこにいた証明のような生暖かい空気。僅かに混じっている血煙の味が、呼吸をした口の中一杯に広がっているようにも感じられる。

 床一面に広がった赤。

 それでも流したりない液体は今も尚、天井に吊り下がった肉塊からぽたりぽたりと波紋を描く。

 赤いスープに浮いているごろっとした具材は何なのか。

 それは一目見れば誰でも判別をすることが可能だろう、普段見慣れているモノのパーツ。

 手が、足が、腕が、頭が。

 ぐつぐつ煮込まれる具材のようにそこかしこに転がっていた。

 

 そこに、僕は立っている。

 赤い光景を目の当たりにしながら。

 深い安堵の思いに胸の内を支配されていて、ただただ俯きながら血溜まりを見下ろしている。

 濡れそぼった髪からは、雫が滴り落ちていた。

 

 全身が酷く強張っている。

 どうしてか自分でも身体の感覚が良くわからなくて、ふと右手に力を込めていたことに気が付いた。

 掴んでいるのは左腕だ。

 意識をしても指先ひとつすらまともに動かせない、垂れ下がったソレ。

 

 ……嫌だと思った。

 だから、……だから僕は、

 

 

 

 

 

 

「――――ラ…、フーラ!!」

 

 大きな声で僕の名前を呼ぶ声に、霞が掛かっていたような意識を取り戻す。

 顔を上げれば下から覗き込むようにゴン坊ちゃんの頭が見えて、変わり映えのない周囲の様子に自分はハンター試験を受けていたのだと思い出した。

 何度も呼んでたのに、と少し心配そうな声音で告げる少年へと、少しぼーっとしてしまっていたのだと言って謝罪する。

 

「何にも返事しなかったからそうだとは思ってたけど、これから階段になるから危ないと思って」

「うん……確かに声かけてくれなかったらすっ転んでたかも。有難う」

 

 いやはや、一体いつからぼーっとしていたのか。

 余りにも淡々と続く視界と持久走に意識の方が持たなかったのかもしれない。眠ってしまった訳ではないことがまだ救いだった。

 とはいえ、彼が声を掛けてくれなければ階段に差し掛かった時点で足を縺れさせていただろう。無意識に転倒した場合、どんな怪我をしたのか判ったものじゃない。

 

 ふと、大勢の汗と熱気がこもった地下道の空気の中に、思い出してしまった記憶の血煙が匂ったように錯覚する。

 もしかしたら錯覚でも無かったのかもしれない。

 今も尚、血の匂いを纏わせている人間がここにはいるのだから。

 

 目の前を走る少年へと、目を向ける。

 彼は途中から一緒になって走っていたそうで、ゴンと二人で並ぶと背の高さも余り変わらない。

 ゴン坊ちゃんの黒髪に対するような銀髪が、少し印象的だった。

 同じ年頃の子と話しているからかもしれない。先ほどまでよりまた少し楽しそうな様子に、子どもらしさを見たような気がしてほっとする。

 彼には、大人たちに挟まれるという苦労を掛けてしまっていた。

 

 同時に同じ年頃の子どもが試験に参加しているのもどうかとは思ったけれど、キルアという名前らしい少年もまた、血の匂いを纏っている人間だった。

 だったら、問題は無いのかもしれない。

 この試験にはそういう人間が集まりやすいとも、彼奴が以前言っていたから。

 

 僕が向けていた視線に気づいた少年がちらりと目線を走らせる。

 思わずへらりと笑って返したけれど、僕は仮面を被っているから意味がなかったかもしれない。

 少し目つきも警戒しているように見えたし、もしかしたら不審人物だと思われたのではないだろうかと少し落ち込んだ。

 そりゃあそうだ。

 普段道化師を見るようなことは普通無いし、居たら居たで怪しすぎる。

 治安が良い地域を放浪していたころには、彼奴と二人揃って職務質問をされてしまったこともあるのだ。これくらいはちゃんと自覚し終えていた。

 

「あ、出口だ!」

 

 いくつもの騒めく声に出口が近いことを知らされて、顔をもたげる。

 見上げたうす暗い通路の先には視界を埋め尽くすほどの白。

 直視はしていないというのにそう見えたということは、長時間を地下道の中で過ごしていたために目が闇へと慣れてしまっていたらしい。

 

 これで終わりだと期待はできないが、それでも外が見えるようになるだけで気が大分楽になるだろう。

 階段を抜けて光を潜った先には一面の緑と、それら全てを覆うような深い霧が広がっていた。

 

「ヌメーレ湿原、通称“詐欺師の塒”二次試験会場へはここを通って行かねばなりません」

 

 這う這うの体で辿り着く受験生が粗方集まり終えてから、試験官の男性は湿原であるらしいここの説明を始める。

 

「十分注意して着いて来て下さい、騙されると死にますよ」

 

 背後では、ある程度の所で受験生の取捨選択をしているらしく登ってきた階段を隔離するようにシャッターが下りていた。

 目の前で閉まるシャッターへと手を伸ばしていた脱落者は、どんな気持ちだったろう。

 振り返って見た顔は諦めと絶望の混じったもの。

 もっと複雑な感情があるのかどうかさえ僕にはわからず、そして彼らはまた来年か、それともハンターになることを諦めるのだろう。

 

 視線を戻せばどうしてか騒ぎになっていて、何故そうなったのか理解しきれないでいると数枚のトランプが騒いでいた男を切り裂いた。

 一瞬の騒めきの後には沈黙が場を支配し、カードが飛んできた先へと目を向ければ、投げたのであろう相手と目が合う。

 彼は、楽しそうに笑っていた。

 

 ぼんやりと眺めていれば、仕留められた二つの死体が群れた鳥に集られて捕食されていく。

 夢中になって啄んではいけれど、僕にはそれが美味しそうには見えない。

 当たりまえだ、僕は鳥ではなくて人間なのだから。

 

 …………?

 あれ、僕って人間だっただろうか。

 いけないいけない、忘れちゃうところだった。僕は道化師なのに。

 

 再び走り始めると前方を覆う霧が濃くなって視界を隠す。気を抜けば、前を走る受験生達を見失ってしまいそうだった。

 ふと気づいた時には前を走っていた筈の小柄な二つの影を見失っていて、だいぶ前方のほうからゴン坊ちゃんの大きな声が聞こえる。

 

「レオリオ―! クラピカ―! キルアが前の方に来たほうがいいってさー!!」

 

 それを切っ掛けに前後で響く大声の会話。

 体力的に辛そうだった二人はそんな会話をしていて最後まで持つのだろうか。

 というか、呼ばれた名前に僕の名前が入っていないということはもしかして忘れられているのか。

 そう思った直後にまた声が響いて、僕は面の裏で苦笑する。

 

「って、あれ? さっきまでフーラって後ろにいなかった!?」

「あの仮面男だったら大分前に後ろの方に行ってたよ」

 

 ゴンの声に、少し冷静なキルアの声が返事をする。

 忘れられていたというよりも、後ろを走り続けていると思っていたらしい。

 目を細めて声が聞こえる方向を凝視してみても、走る影がぼんやりと幾つか見えるばかり。そこに頭一つ二つ小さい彼等の姿はない。

 どうやら、思っていたよりも前の方にいるようだ。

 姿が見えないなら仕方ないので、取り敢えず僕の前を走る人影に着いていく形で走り続ける。

 

 叫び声が上がったのは、後方が先だった。

 続いて前方。

 道を間違えて襲われたのか、それともちゃんと走っていて途中で分断されたのか。

 あちらこちらの方向から、いくつもの悲鳴が木霊す。

 

 風を切るような音が聞こえたのも、そのすぐ後だった。

 

 反射的に、立っていたその位置から大きく飛びのいて飛んできた得物を視認する。

 それが何の変哲もないただのトランプカードであることを確認し、地面に落ちたそれを拾いあげた僕はため息をついた。

 

 なんてこともない。

 彼奴、霧で見えていないからって僕まで射的相手に含めやがった。

 

 血の匂いが鼻について、眉を顰める。

 暇つぶしであるかのように彼奴は言っていたけれど、僕への嫌がらせなのでは無いだろうか。

 そうではないと分かっているけれど、的確に僕の不快指数を突いてくるその手際は本当に天才的な奇術師だ。

 才能といっても良いんじゃなかろうか。

 

 そのへんの朽ちかけた木の枝を拾いあげて、適当に投げる。

 狙いも適当に投げたそれがもちろん当たる筈もなく、けれど彼奴の気は引けたようで、まだ立っている数人を追いかけるように歩む足が止まった。

 

「おやおや、やあフーラ♦ 試験に参加しないって言ってたけどどうしてここにいるんだい♠」

「……別に気が変わっただけだよヒソカ」

 

 僕が参加していたことくらいとっくに気が付いていただろうに、なんて今更な白々しい挨拶だろう。

 そんな思いを込めつつ見つめていれば、ヒソカは意地悪く笑って言う。

 

「だって君ったら、予定が変わっても僕に連絡ひとつ寄こさなかったじゃないか♣ 目が合っても無視するし、…随分悪い子に育ったなぁ♥」

「“悪い人”に育てられたからじゃないかな。ほら、子どもって大人の背中を見て育つっていうし」

 

 っていうかさ、ヒソカ。

 

「君のせーで僕ったら、完全な迷子になったんですけど」

 

 トランプ投げられるし霧が濃くて仮面付けているのも気持ち悪いし、足場はぐちゃぐちゃしてるし。

 髪はべったべただし、しばらく同行していた相手のせいか調子狂うし。

 最近の嫌なことは思い出すし、本当に不快だ。

 

 ふと、後ろに人の気配。

 振り返って誰か見てみればここ数日行動を共にしていた一人と特徴が丸被りで、そうつまりはレオリオだった。

 

「こちとらやられっぱなしで我慢出来るほど、気ぃ長くねぇんだよ――!!」

 

 振りかぶるのは僕が投げたのと同じような、細工も何もされていない変哲のない木の棒。

 そんなのじゃあ傷一つ付けらんないよな。とぼーっと考えながら眺めていれば、それを楽し気に眺めていたヒソカが口を開く。

 

「んー、いい顔だ♦ フーラ、そこで良い子に待ってたら後でちゃーんと試験会場まで連れてってあげる♣」

「はーい」

 

 まさに良い子の返事だっただろう。

 折角参加することになった試験なのだから、どうせだったら合格したい。

 保護者がおりこーさんにしてろというのだから、そうすれば問題が万事解決するのだし、僕は全力で眺めているのが正解だ。

 

 レオリオの旦那と、途中参加してきたゴン坊ちゃんが困惑したような目を向けて来るけど、僕はなーんにも言いません。

 でないと水を差されて機嫌を悪くしたヒソカに折檻されてしまいかねない。

 

 

 






 皆さんご存知の際物、奇術師さんの登場回。
 ……登場回?
 既に影はいくつも有りながらのようやく登場です。

 ここからは薄っぺらいキャラクター性に中身が入ると……いいなぁ。(遠い目

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