泣き笑い   作:雨築 白良

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道中、壱

 

 

 

 ハンター歴2000年、1月。

 何とか間に合った試験応募の代わりに与えられた情報はごく僅か、それを元に試験会場を探さなければならない僕は現在、船の中に揺られていた。

 

 思えば、誘われた時にもう少し試験への興味を持っていれば良かったのかもしれない。

 受けるかもしれないと一言でも言っておけば、昨年の受験者特典として会場の場所を知っていたらしい彼奴が教えてくれていただろうに。

 それでも、その時の僕には全くもって関係も興味もない情報であったのだ。

 言われても片隅にさえ残していなかったような気さえするし、過ぎたことをいつまでも考えていたって仕方がない。

 同じ船に揺られているのは僕と同じように試験に臨む人間らしいし、それにこれだけ居れば一人くらいは正しい試験会場には着くのではなかろうかと、気楽に考えている部分もあった。

 これで辿り着かなかったなら、まぁ仕方ない。

 

 嗚呼、でもそれを彼奴に知られた時には煩く絡まれそうな気がする。

 だから誘ったのに、と厭味ったらしく告げる姿が簡単に想像できてしまって、何時もと同じ仮面の下で、こころもち顔を顰めた。

 

 ふと、視界の端を小柄な姿が横切ったのが見える。

 そういえば確か、数時間前に停泊した島から幼い少年が乗り込んだのだと男たちが話していたことを思い出した。

 幼い少年、と言われるだけあって見かけた人影は小さい。

 きっと僕よりも大分小さいだろうと考えれば、大体10代前半くらいだろうか。確かハンター試験にも年齢制限があった筈だ、流石に一桁ということは無いと思う。

 彼もまた、試験を受けるのか。

 子どもが試験を受けることは珍しいようにも思ったけれど、知り合いというわけでもなし、話しかけてみようという理由もない。

 そもそもが、そんなことをしている余裕も僕にはない。

 

 普段、僕がいるのは地震でも起こらない限り揺れることのない地上だ。

 走ったり跳ねたり、体感が不安定になるような動きだって良くしているが、それでも行っているのは舞台の上。地上である。

 それが、こう。向かう先が仕方ないのだとは言え、足場そのものが常に揺れる船の上。

 船に乗ったことがないとは言わない。放浪に近い多数の移動の中で、今にも沈没しそうな怪しい船にも乗ったことはある。

 ただ、苦手なのだ。船が。

 ぐらりぐらりと足元が揺れるそれだけで、血の気が引いて嘔吐感が喉の奥へと広がっていく。

 甲板に出て、冷たい海の風に当たっていればまだ気分は楽になるのだけれど、それも柄の悪い男達がうろつく場所へわざわざ出ていきたくない。

 この仮面が人間の中では嫌に目立つということを僕は知っているのだ。

 

 込み上げる嘔吐感を押し殺しながら、暇を潰すために本を読むことも出来ずに膝を抱えて座り込む。

 脇に寝そべらせた大きな荷物を手慰めに撫でた。

 

 そしてまた、数時間後。

 

「…………ぅぷ…」

 

 散々揺れた船上で荷物に凭れこみながら、僕は完全に死んでいた。

 

 自分ではわからないけれど、仮面越しに見ても既に目が死んでいるのかもしれない。馬鹿らしいことを考えて現実逃避をし始めるくらいには意識があるとはいえ、それでもつらいものはつらい。

 

 一晩挟んでいるのに、嵐に揺られていたせいで全く寝られもしなかった。

 いっそ意識なんて飛んでしまえば良かったのだけど、遠のきかける度に気持ち悪さで正気に還るのだ。地獄のような時間だった。

 船に乗ることを知った時点で酔い止めの薬を買って、合間にちゃんと飲んでいたのに効いた気もしない。薬屋じゃなくてちゃんと病院で買えばよかった。

 いや、そういえば酔い止めって医薬品ではなかったんだっけ? 医者が調合していないなら次はどこで買うべきだ、もう分かんないから次は彼奴に買わせてやる。

 

 吐き気を抑えることに一杯一杯で、支離滅裂なことを考える思考には余裕がない。

 枕代わりに荷物を抱きかかえながら僕は、仮面の下で口元を手で覆ってへたり込んでいた。

 

「おにーさん、大丈夫?」

 

 そんな僕に話しかけられたのは、子どもらしく声変わりのしていない明るい声。

 少年であることは相手をみなくても理解できて、彼はあれだけの揺れにも動じていないのかと内心驚いた。

 随分と屈強な若者だ。子どもだと馬鹿にしていた大人たちが床の上で転がっているのに、聞こえていた足取りも軽やかで無駄がない。

 

「あんまり、無事、じゃないかも…」

 

 無邪気に掛けられた問いへとどうにか返せば、また吐き気が襲ってきて押し付けるように手で留める。

 

「はい、水。この草も噛んでると楽になると思う」

「あ、どうもありがと…ね、坊ちゃん」

「うんっ、どういたしまして」

 

 渡された水と葉っぱを受け取って、取り敢えず仮面を押し上げてから水の入ったコップに口をつける。

 いつもの癖で化粧が落ちないように意識をしかけ、今は白粉さえも付けていないことを思い出して、戸惑いなく水を喉に流し込んだ。

 

 冷たい水が、喉に染み込んでいるようにも錯覚した。

 気持ちの悪さが残っていた喉がすっと洗浄されたようにすっきりとして、一瞬で酔いが醒めたような気がする。

 けれど、少し身体を揺らしてみればぐわんと脳みそがかき回されるような感覚を味わって、そんな気がしただけだったのだと息を吐いた。

 

 渡されたもう片方である葉っぱを見つめる。

 はて、とそして小首を傾げた。

 噛めといって渡されたは良いものの、これはどうやって使うべきか。

 葉の部分を噛めばいいの? それとも茎の部分だろうか。葉っぱをちぎって噛むのが良いか、口に放り込むのは駄目なのか。

 いやいや、そもそもこの葉っぱって飲み込んでも大丈夫なやつ?

 

 植物に関しての知識に僕は疎い。

 教えてくれる人もいなかったし、そんな知識がある人も周囲にはいなかった。

 本当の意味で食べるものに困ったことは無かったから、道端の草を食べて生きながらえるという経験をしたこともない。

 調理をしていない葉っぱを食べたことのない僕には、何も手の加えられたように見えないこれをどうするべきか分からないのだ。

 

「…どうしたの?」

 

 床に散らばった服や布を回収して運んでいた少年が、ふと立ち止まってそう言った。

 葉っぱを見つめて固まっている僕に気づき、疑問に思ったらしい。

 どう噛めばいいのかわからないのだと告げれば、どうして分からないのかが解らないというように彼も首を傾げて、ジェスチャーで教えてくれる。

 

「えっと…こういう風に口を開いて、普通に噛めばいいんだけ、ど…」

「噛みちぎるの?」

「嚙み千切らないよ! 噛んだら草の汁が出るんだけど、それがハーブみたいにすっとするんだ」

 

 なるほど、葉っぱは嚙みちぎらないらしい。

 ハーブはすっとするもので、この葉っぱはハーブみたいにすっとするのだと。

 またひとつ、知らない知識を蓄えて僕は言われるがままに葉っぱを噛んでみる。すると、確かに草を噛んだ口の中がすっと冷たい感覚がして、同時に少し苦い独特の味が舌に残る。

 

「……苦いね」

「苦いけど、それも酔いを醒ますから」

 

 苦いというのは悪いものでは無いらしい。

 なるほど確かに、眠気を覚ますコーヒーも黒くて苦くて一見おいしそうじゃないもんな。

 好きで飲みはしないけれど、眠気を堪える為に僕もお世話になっている。

 

「へぇ、なるほどね。理には適ってるや」

 

 普段しないような行動に出てみれば、こんなところでさえ知らない知識が学び取れる。

 意外とこの選択は悪くなかったかもしれない。と、考えながら礼を言えば、次に吐き出された彼の言葉に僕の思考は停止した。

 

「そういえば、もっと大きな嵐が来そうだけどその様子でおにーさん大丈夫?」

 

 大きな嵐。

 もっと大きな、さっきよりも酷い嵐。

 そう言われて叫ばなかったことに、なにより自分が褒めてやりたい。

 

 帰りたい。けれど、僕には帰る場所などない。

 なによりここをどうにかして抜けないと、会場にはたどり着けないだろう。どうにか、どうにかして堪えないと。

 

「だいじょーぶじゃ、ない、かも」

 

 嗚呼、とりあえず。

 死なないでいれたら良いな。

 

 

 

 






 何でわたしは船に乗っただけの描写をここまでだらだらと書いたのか。
 ある程度飛ばし飛ばしで書いて行かないと、第三者から見た原作キャラの紹介みたいになりまねません。
 …あ、なるかも。


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