女神転生Ⅳ the begin(メガテンⅣ×ペルソナ5)   作:アズマケイ

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謎の少年

アルセーヌの知る限り、かつて彼のベルベットルームはすさまじい蔵書数を誇る迷宮じみた規模の図書館だった。たんなる比喩にすぎないが、彼が生きている間に得た知識はすべてこの世界に反映されるわけだから、いきることすべてがここの所蔵品となるのだから謂えて妙なはずである。所蔵品のすべてをアルセーヌは把握できていなかった。おそらく所蔵品の数は数千万冊の書籍、各種資料を含めると一億を越えるはずだ。それくらい、楽しい場所だった。好奇心を満たす知的な活動はなによりも代え難い人にとっての財産である。己の生まれが、彼が例の事件について数多の価値観を押しつけられ、どれが求める真実なのかわからない不安を反映した世界で、必死であがこうとする抵抗心、理不尽にあらがおうとする怒りからだと知ったのはそのためだ。かつてアルセーヌはシャドウだった。移ろいゆく心を反映した不定形にすぎない、形を持たない感情、それが形をなしシャドウになるほど彼は思うところがあったのだ。そして、アルセーヌがまだシャドウにすぎない存在だったころから自由意志を持って動けていたのだ。それほど克明な欲望をもつ人間は少ない。そんな人間に人ならざる者は心惹かれるらしい。いい者も、悪い者も。

 

 

悪意は突然やってきた。

 

 

世界は一瞬にして闇に染まり、図書館は監獄に変貌した。そしてアルセーヌは自身の生まれた理由を知る。ひたすらアルセーヌは待ちわびた。自分を生んだ存在は理不尽な状況にそれに打ち勝つだけの存在だと誰よりもアルセーヌはしっている。もうひとりの自分なのだから。

 

彼のもとに向かわなければならない。そのときを監獄の中でアルセーヌは待ちわびた。

 

 

端正な顔立ちの男だった。もう一人の自分より少々年上の男だろうか。

 

 

「You are slave」

 

 

アルセーヌは不敵に笑う。奴隷とはいわせてくれる。囚人に成り下がってはいるが奴隷ではない。見せ物ではないから帰れ。

 

 

「Wnat emancipation?」

 

 

解放だと?脱獄でもさせてくれるのか?と冗談めかして問いかければ、それは笑う。悪魔と取り引きするとは度胸が据わっていると。悪魔だろうがなんだろうがかまわないのだ、もうひとりの己が抗うと怒りを秘めるなら、その理不尽さに抵抗するためにアルセーヌは存在しているのだから。自由意志で参戦することが許されない身の上なのが屈辱だったが、ここから脱獄できるならそれに越したことはない。

 

「ずいぶんと大人しいんだな、もう諦めたのか?」

 

「まだ我の出番ではないともう一人の我がうるさいのでな」

 

「我が身可愛さでもうひとりの自分の苦悩を見殺しにするのか?なにも教えずに?このままだと本当に彼は冤罪の死刑囚じみた重さで死んでしまうよ?」

 

「我、いや、暁を愚弄するのはやめろ。あの程度でつぶれる人間ではないとほかならぬ我が一番よく知っている。あのとき助けたのは間違いだったと抜かすような男なら我は生まれぬ」

 

「そうか、それは失礼なことをいったね。すまない」

 

「全くだ、いずれその非礼は相応の対価で払ってもらうぞ」

 

男は静かに笑う。脱獄に手を貸すには条件があるという。そちらの方がいい。無条件で助けてくれるという方がよっぽどおそろしい。男はうなずいた。男が口にしたのは知らない名前だ。

 

男はいった。

 

「アキラと共に、僕を殺しに来てくれ」

 

「いいだろう、我こそは己が信じた正義のためにあまねく冒涜を省みぬ者、逢魔の略奪者アルセーヌ。貴様の魂、頂戴する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その視線に気づいたのは、ほんの偶然だった。

 

 

悪寒がした。世界のすべてが静止し、なにひとつ動かない中、来栖だけが動ける。はじめて学校に向かうため渋谷の雑踏を横切ったとき、いつの間にかメメントスに繋がるアプリがダウンロードされ起動し、それを誤って押してしまったときと同じだ。あの時はスクランブル交差点の向こうに、来栖によく似た人間、いやあれは今思えばアルセーヌだったのだろうか、ペルソナになる前のアルセーヌだろうか。シャドウとよく似たオーラにつつまれた不敵な笑みを浮かべた男がいた。アキラと別れた渋谷の雑踏の中で、今は、その男ではなくアキラによく似た男、いや少年がいる。今のアキラよりだいぶ幼い。二、三歳年下だろうか、みたことがない服を着ている少年がいた。その少年も来栖と同じなのか動けるようだ。退屈そうに脚をバタつかせていた少年だったが、来栖の視線に気づいたのか瞬き数回、口元を釣り上げる。そしてその途方も無い高さから音もなく降り立つとまっすぐ来栖の方に向かってくる。

 

 

「へえ、あんた、俺がみえるんだ?」

 

 

ふてぶてしい態度の少年だ。織田信也くらいの生意気さだが、可愛げは全くない。なによりも強烈な蛍光色の緑の光が滾る。マグネタイトの発色だ。どうみても人間にしか見えないが、その瞳が人間ではないと知らせている。ベルベットルームの住人のように、時と精神の狭間の人間なのかもしれない。あるいは悪魔をペルソナに変換しているだけで、アキラにはアキラのシャドウがいるのだろうか。

 

 

「ああ」

 

「ふーん、少しは楽しめそうだな」

 

「なんのことだ?」

 

「なんでもねーよ、こっちの話」

 

「君は誰なんだ?」

 

「誰だと思う?」

 

「アキラのシャドウ?」

 

「あははっ!マグネタイト垂れ流しのシャドウなんて、悪魔がよってきまくりじゃねーか!死んじゃう死んじゃう」

 

「違うのか?」

 

「違う違う」

 

「でもアキラとそっくりだ」

 

「それはお前が連れてる黒猫もそうだろ」

 

「どういう意味だ?」

 

「そのうちわかるだろ。答えは自分で見つけるもんだぜ、怪盗サン」

 

「!?」

 

「そう警戒すんなよ。俺は単に面白そうだから口出しに来ただけなんだから」

 

「無理言うな」

 

「あはは、忠告は素直に聞くもんだぜ人間」

 

 

少年は楽しげに笑う。

 

 

「転生ってのはその感覚が抜けなくなってくると、めんどくさいもんだぜ。時間を重ねるにつれて記憶や想いが鮮明になり、頭の中で混じり合い、融合し、昇華しようとし始めやがる。しまいには今感じていることがどこまで前の自分なのか、今の自分としてなのか、わからなくなりやがる。迫り来る恐怖と葛藤しながら、誰かを思い描くたびに知らない誰かと重なり、無性に泣きたくなる衝動に駆られる嫌悪に苛まれながら、どうすっか決めるんだ。すべては地続きなのか、今は今だと割り切るかは好きにしろ」

 

「なにがいいたいんだ?」

 

「人間にあるマグネタイトってのは個人差がある。その理由を教えてやるっていってんだ」

 

「ずいぶんとメルヘンチックな話だな」

 

「悪魔は信じてるくせにか?」

 

「悪魔はみたからな」

 

「まあいいや。お前がどうかは知らねえけど、アキラはそうは思ってねえってことだ。今度こそ、ケリを付けようと思ってやがる」

 

「そんなに強い敵なのか?」

 

「ああ、初見殺しにもほどがある」

 

「まるでみてきたみたいないい方だな」

 

「そのせいで負けたんだよ」

 

「なんだって?」

 

 

来栖は目を丸くする。

 

 

「絶対悪魔を出すなよ。そんで近づくな。攻撃すんなら銃か火炎だ。繭の女を孵すな」

 

「繭の女?」

 

「あいつは魔人だ。悪魔とはレベルが違う」

 

「魔人?」

 

「詳しくはアキラにでも聞いてみろよ、俺よりよく知ってるはずだ。あいつが孵ったら世界が歪んでまた繋がるっていってみろよ」

 

「また?」

 

「今はただでさえ魔界と人間界が繋がってんだ。あいつらがほっとくわけがないっていっとけ。口でいってもわかんないだろうからな、ご対面といこうぜ」

 

 

少年が後ろを指差した瞬間、広がるのはなにもない渋谷である。悪魔も人間もいない。ただ荒廃しきった渋谷の街並みが広がる。

 

 

『アキラ』

 

 

姿をとらえることができないほど、高速で動く人間だった。いや人間というのもおこがましい、人間だったなにか、である。

 

 

『アキラアキラアキラ』

 

 

来栖は目を見開いた。来栖はこの声を知らない。だが愛おしげにアキラをよぶ少女の声は、まさか。

 

 

『アキラアキラアキラアキラアキラ』

 

 

腐り落ち、ぽっかりと空いた二つの黒い穴からどろりとした黒い液体を垂れ流し続けるそれは、歩く屍というにはあまりにもオゾマシい異彩を放つ。喉をふるわせる独特な声が脳内に響く。けだるい甘さがあった。

 

 

悪寒が走る。来栖が逃げようとする先を潰すように放たれたどろりとした黒いものはすべてを飲み込み、黒い波紋が広がっていく。

 

 

「おっと、離脱はなしだぜ。あいつから言われてんだろ、誰かを頼るのはもう嫌だって。逃げたら最後、あいつは悪魔と合体してでも力を手に入れようとするぜ」

 

 

近くにいた悪魔が泥をかぶった瞬間、すべてが溶解した。スライムに変化し、消えていく。現界するためのマグネタイトが足りなくなったのだ。それだけでは足りず、すべてが黒い泥の中に溶けていく。どうやらすべてマグネタイトに変換するとんでもない悪魔のスープでできているようだ。一体どんなことをすればこんな悪魔ができるのだろうか。

 

 

『どこ、どこ、アキラ、アキラ、アキラ』

 

 

ずるずる、ずるずる、と声が近づいてくるにつれて、なにか重いものを引きずっている不気味な音がこだまする。来栖はそれを知っている。

 

 

それは、アキラが教えてくれた、かつて仲間と懸命にかき分けた巨大な繭なのだろう。真っ白な繭だ。天使が選ばれし人間だけを誘拐し、放り込んだオゾマシい機械。神の御心に沿うよう改造を施すための装置。改造人間にするための装置。天使の力が動力源だったらしい。

 

 

この包帯に巻かれた巨大な繭の中に広がる蜂の巣の空間がどういうところなのか、考えるだけでおぞましい。人間がひとつひとつの穴に閉じこめられ、環境に適応できるように強化し改造を施した場所。植物の種子や動物も運んだ巨大な選ばれし者を運ぶための船。

 

正六角形を隙間なく並べた空間が広がっていて、その中はどれも空っぽだったらしい。回遊型の階段をぐるぐると上っていくと、中央に位置する動力源不明の発光体があたりを黄金色に輝かせ、その真下には大きな球体が浮遊している。わずかに揺れているのがわかる。黒い球体をみるたびにアキラは思い出していた。

 

ガラスが砕け散るような、きれいな音がしたという。球体の中に満たされていた、この繭の中にいたはずの人間のスープが溶けだし、すこしずつ形を作り始めたと。体が組成され、すみからすみまでスープが流れ込んでいき、とけ込み、出来上がるはずのマネキンが不完全でコープスになっていく。一体の悪魔として一体化していく。とても静かな空間だった。空高く誘拐しようとした天使たちを殲滅して繭は墜落したという。そしてアキラは外に出るべく繭をかき分けた。そして、どうなった?

 

 

「なにをぼうっとしているのだ、暁」

 

 

視界が炎に包まれた。来栖はアルセーヌの言葉に我に返る。どうやら勝手に出てきたようだ。アルセーヌはあきれている。来栖が自覚する前から現れた自己顕示欲全開のもうひとりの自分は、勝手に行動することがある。それを当てにして何度も危機に陥られたら面倒だからとアルセーヌは基本的に助言はするが手は貸さない。自分で考え、行動し、責任を持つことを繰り返し説いている。未だになぜ自分のペルソナだけここまで自立しているのかは分かっていないが、今のところ来栖と致命的なすれ違いはない。だから問題はなかった。他者の評価に振り回される環境に怒りを抱くことが原動力らしいから、抑えがきかないペルソナなのだろう。

 

 

女の悲鳴が聞こえる。アキラ、と居もしない誰かを捜しまわる繭と一体化した化け物は、黒い液体を垂れ流しながら這いずり回っていた。どうやら炎が効果的なようだ。

 

 

空気が焼かれて呼吸がままならない。立ちこめる黒煙が悪魔の位置の補足を邪魔する。濃厚すぎるマグネタイトがあたりを支配している。感覚が麻痺してぼやけてしまっていた。それを突き破ったのは、爆発的な炎だった。

 

 

「もうひとりの俺をそそのかすのはやめろ」

 

「あんたのペルソナは過保護だな」

 

「勝手に幽閉しておいてなにを」

 

「あんなやつと一緒にすんな、殺すぞ」

 

「暁、さっさと帰るのだ。我々がいるべき世界ではない」

 

「ああ、頼む。アルセーヌ」

 

 

 

炎属性を付与した特別製の弾丸によってえぐられた跡が地面に刻まれる。すべてを溶かし、マグネタイトに変換する蟲毒の液体にも効果は抜群なようで、あきらかに蒸発しているのがわかった。アルセーヌの業火が勢いよく蛍光色の緑をかき消す。

 

 

とりあえず、敵が近すぎる。戦闘はもっと遠くで行いたい。来栖はいつのまにか変わっていた怪盗服を翻し、アルセーヌにより強化された身体能力で跳躍する。ビルまでよじ登る。

 

 

 

降り注ぐ炎に身を焼かれながら絶叫する繭の女めがけて連打を浴びせる。よく燃えているが効いている気配がない。さきほど放った炎属性の銃撃を喰らわせたときの方がよっぽど効いていた。これはどろどろの液体の方が本体だろうか。来栖は息を吐く。意識を集中させる。前衛がいないのはきついが攻撃あるのみだ。液体が蒸発するにつれて、繭の女の絶叫は小さくなる。

 

あたりは焦げ付いた大地が燻され、焦げ臭い。

 

異空間を形作っている闇が見えてきた。このまま業火に飲み込もうとしたとき、繭の女を中心に毒々しい紫が渦を巻き、そして空間ごと世界を飲み込んだ。どうやら広域魔法である。悪魔の悲鳴が聞こえた。来栖の世界が闇に染まる。

 

 

「悪魔をマグネタイトに変換しやがるんだ。だから悪魔は出すな、あるいは直前に送還しろっていえ」

 

 

ガラス玉が砕け散るような、きれいな音がした。濁りきった闇に取り込まれ、影に取り込まれていきそうになった体が蘇生される。留まっていた血の巡りが再開し、マグネタイトが隅々まで流れていき、とけ込み、一体化していく。静かだった。

 

 

「悪魔をマグネタイトに変換しやがるんだ。直前に送還するか、はじめから連れて行くなってといっとけ」

 

 

思わず周りをみると、静止している渋谷が広がっていた。刈り取る者に似た殺気の塊だった。どっと汗が湧き出す。あれが魔人、と来栖は呟く。たしかに悪魔ともシャドウとも違う存在だった。

 

 

「アキラは自分の血筋に興味がないみてーだが、降魔できる体質だったからあいつの姉は狙われたんだ。自分の体質くらい把握しとけと伝えろ」

 

「降魔?」

 

「あいつが悪魔をペルソナにしてるのは知ってるだろ、あれ自体あいつのババアから遺伝した体質だ。魔界に高校ごと飛ばされたババアは数少ない生き残りだった。それで、生き残れた理由がこれだ。悪魔の魂を自分の体に憑依させてその能力を得る。この状態で死ぬと、悪魔の能力を自分のものにして復活できる」

 

「待て、アキラはそんなこと」

 

「悪魔絵師や松田の野郎が伝えてねえから知らねえのさ。知ったら今度こそ死に対する躊躇がなくなる。あらかじめ悪魔を守護霊として降ろしておけば憑依させる悪魔が体と心を乗っ取り好き勝手しない。そのためには守護霊の悪魔よりレベルの低い悪魔を降魔させることで未然に防ぐ必要がある。うまいこと考えやがったな。ペルソナの力を解明するとかいいながら、俺みたいな奴らからミノタウロスをつけることで邪魔しやがる。悪魔に殺されかけたとき、この降魔の力が覚醒してたら、俺が介入できたのによ。近くを通りかかった悪魔が守護霊になることを快諾してくれた、なんてお楽しみつきでな」

 

 

来栖は黙れと告げる。少年は笑う。

 

 

「コープスは複数のゾンビが融合した塊だ。複数の頭が存在するが、それぞれの意識は自分と他人の区別が付かなくなって、ひとつの意識になってる。個人のつぶやきが常に響きわたり、そのつぶやきに対する感情がまるで自分のことのように同調してしまう。個人でありながら一つの意識になってしまっている苦悩がいつもうめきとなって漏れ出る。解放してやるには物理的に跡形もなく消失させるのが一番だ。呪殺攻撃の射程にさえ入らなければ、それほど驚異じゃねえ。ゾンビである以上、弱点が多い。だが、その中核になる女が、もし悪魔を憑依させて力を得る体質だったらどうなる?マグネタイトの保有量も多かったら?」

 

 

来栖は血の気がひいた。今、コープスの目撃例が多発している。異臭騒ぎがするたびにコープスの徘徊が目立ち、その範囲が拡大してるとなれば早急にたたく必要があるとアキラが焦っていた理由はこれか。アキラは降魔についての体質は知らないようだが、コープスが蟲毒状態になりなにかを生み出そうとしていると気づいたのだろう。

 

 

冷たい手で心臓を握られた心地がする。繭の中で腐り落ちた人たちを回収し、埋葬したあの日以来アキラがはあの場所に足を踏み入れることを決意させるだけの事態が迫っているのだ。

 

夢をみているとアキラはいっていた。

 

どうして助けてくれなかったの。

 

どうして殺したの。

 

アキラ、アタシのこと嫌いだった?

 

そういって腐り落ちていく姉の亡骸を抱いて、崩れ落ちて号泣する夢ばかり見るからイヤでも覚えている。もう7年も経っているのにはっきりとわかるのは、それだけ大好きなお姉ちゃんの声だったからだと。

 

 

来栖には容易に想像できる。繭の女が孵ったら間違いなくアキラは戦意を喪失する。泥に引きずり込まれる。ゆるやかに溶けていく四肢を見て、繭の近くにいたコープスも仲魔も溶けていったのだと悟る。そうなる運命だと悟る。懸命に抵抗するが、すべては闇の中に溶けていく。知らせなきゃいけない。この泥が湧きだしたら危険だ。悪魔も人間もシャドウもペルソナもすべて溶けてしまう。それだけはいけない。

 

 

『アキラ?』

 

 

降臨した繭の女が探し求める存在は、もうこの世にはない。そんな世界が待っているはずだ。そこまで考えて、それはまさしく先ほど少年が見せた繭の女が徘徊する世界だと気づいた。悪魔が巣くう異界と化した東京。ただ荒廃しきった街並みが広がる風景そのものだ。場所を特定できるようなものは残されておらず、わかるのは誰もいないことだけ。人間はいない。ただ蟲毒状態となった世界で生き残るために融合し続け、恐ろしいほど強化された悪魔が跋扈するだけ。

 

 

「やっとわかったか」

 

「あの黒い球を壊すにはどうしたらいい?」

 

「話が早くて助かるぜ」

 

 

少年は耳打ちした。

 

 

 

 

 

 

 

コープス討伐の打ち合わせのため、フロリダにきたアキラに来栖はさっそく魔人について問いをなげる。いきなり聞かれたアキラは唸った。

 

 

「誰から聞いたんだい、そんな情報」

 

 

来栖は謎の少年との邂逅を話すが、アキラは首をかしげた。とうやら知らないようだ。

 

 

「君はいろんな存在を惹きつけるみたいだね。気を付けなよ」

 

「いや、アキラに用があるみたいだった」

 

「勘弁してくれよ、明らかに危険人物じゃないか」

 

 

アキラはため息だ。

 

 

「悪魔は一般的に、どの秩序を重んじるか、どの心の傾向があるかで分類分けされてるんだけど、どうしてもできない奴らがいるんだ。そいつらをまとめて僕らは魔人と呼んでる。存在自体は確認できるんだけど、出現場所や遭遇条件がわからない正体不明の存在なんだ。松田さんは万人に等しく凶事と死をまき散らす害悪だと言ってる。一定周期で現れるみたいだけど、僕もまだ会ったことないなあ」

 

「死、そのもの......」

 

 

魔人は恐ろしく低い確率で出現する正体不明の悪魔としかアキラは知らなかった。この世界の死の気配に引き寄せられたのか、それとも蟲毒を繰り返す悪魔から生まれる魔人が起点となり、いずれ魔人しかいなくなった世界がやってくるのかはわからない。ただ刈り取る者のような存在だと理解する。魔人が跋扈するようになれば待っているのは破滅の未来しかない。穴は小さいうちにふさがなければならない。来栖の話を聞いたアキラはそう思っているようだ。

 

 

「でも、それがほんとうなら魔人が産まれる前に倒さないといけないね。産まれてしまったら、できれば暁には戦ってほしくはないな」

 

「なんでだ」

 

「あいつらが名乗る名はすべて【死】そのものだと言われてるんだ。本来、人間が太刀打ちできる相手じゃない。考えすぎかもしれないけど、【死】そのものを退けたら、どうなる?人間でいられるのか?」

 

 

来栖は言葉を返すことができなかった。

 

この世に生まれて死なない命はない。死は避けられない運命だ。魔人が【死】そのものなら、魔人に挑むことは襲いかかる死の運命に自ら勝負を挑んでいることになる。

 

 

少年がアキラや来栖になにをさせるつもりなのか、想像するだけで薄ら寒くなる。迫り来る死をはねのけた先に待っているのは、死を否定し、死を克服した存在だ。それは人間といえるのだろうか。いつか死ぬから生命は尊いのだ。それを否定したら、生命ではない。人間でありながら不死性を獲得してしまうおぞましさを予感しているのだろう身体は鳥肌がたつ。ただでさえ人間からはずれた精神に傾倒しつつあり、降魔や悪魔の使役と生命の理からもはずれていく道を邁進しているアキラが、死すら否定する存在となったら、残された道はなんなのか。来栖にはわからなかった。それは来栖にもいえることだが。

 

 

「止めないのか?」

 

「そんな話を聞いて、やめられるとでも?魔人は倒しても期間をおけば復活するんだ。その理由も含めて不明だから、正体不明という分類となってる。【死】という概念そのものだから、自然現象と同じで消滅という概念がないのかもしれないけど」

 

 

参ったなあ、とアキラはぼやく。

 

 

「また調べてることバレたら、津木さんに怒られる」

 

 


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