仕事が終わってから飲むレモンサワーが美味しいんじゃぁ。
「あら?」
彼方と此方の狭間としか言いようの無い場所にて、愛歌は確かに聞いた。
それは間違いなく獣の叫びだった。
「ついに目覚めたのかしら?」
自身のサーヴァントと同じ力、人理を否定する獣の星。
弟のように思っていた異なる世界、異なる宇宙、異なる法則の下に生きながら根源に接続した同胞。
七つの人類悪とは異なる、別の宇宙において新たに産まれた原初にして冠位の獣。
特別目に掛けていた弟のように思っている相手が産声を上げたのだから、愛歌としては「おめでとう」と言ってあげたいという気持ちになる。
しかし――――、
「でも、少し変ね。まるで強引に引き摺り出されたみたい」
+++
マングスタの嘆き弾が綱吉の眉間に命中し、仰向けになって地に倒れる。
その瞬間、一人を除いたこの場に居る全員に凄まじい悪寒が襲った。
まるで背骨の中に、脊椎の中に直接氷柱を突っ込まれたかのような、とてつもない悪寒だ。
ここに居れば間違いなく死ぬ――――それもより最悪な形で。
「――――モスカぁああああああ! ソイツを始末しろ!!」
襲撃者の中の一人が大柄の人型に向かって叫ぶ。
「貴様! ヴェルデ様は生捕りにしろと…………」
「お前は分からなかったのか!? あいつを今殺さなければ死ぬのはオレ達なんだぞ!!」
「だが――――」
「もういい! 行けヴェッキオ・モスカ! 貴様の全装備を使って奴を塵一つ残すなっ!!」
男の命令にヴェッキオ・モスカと呼ばれた人型が反応し、有していた装備を全て展開する。
背部からは多数の銃火器を、腕からはミサイルを、胸部には圧縮粒子砲を携えていた。
「モスカだとっ!?」
「旧イタリア軍が開発していた軍事用のロボットだな。ヴェルデの事だ。サルベージして自分好みに改良したんだろ」
裏社会の事情に精通しているディーノのリボーンはモスカと呼ばれた人型を見て顔を顰める。
噂通りのスペックならば間違いなく厄介極まる。いや、間違いなく噂以上のスペックを持っているだろう。
あのマッドサイエンティストと悪名名高いヴェルデが作ったのだから。
だが、そのモスカが真価を発揮することは無かった。
「…………はっ?」
武装を展開したかと思ったモスカが刃物で切断されたかのようにバラバラになり、地面に落下する。
ガシャンという音を立てて様々なパーツをばら撒きながら、恐るべき軍事用ロボットは己が仕事を全うする事なく、その機能を停止させた。
「一体何が――――」
起こったのか――――そう呟くよりも前にいつの間にか起き上がっていた綱吉がモスカだった残骸の真後ろに立っていた。
ツナがモスカを倒したのだろうか?
バラバラになったまさかの鋭利な断面を見て、ディーノはそう判断する。
さっきの異様な気配は気のせいだったのだろう。
そう思い込もうとしてディーノは綱吉に駆け寄ろうとして、
「待て、ディーノ」
リボーンの手によって止められる。
「ダメツナの奴、明らかに様子が変だ。うかつに近寄るんじゃねぇ」
「あ、ああ」
警戒心を剥き出しにして告げるリボーンの言葉にディーノはただ頷くしかなかった。
冷静に考えれば確かに今の綱吉の様子はおかしかった。
嘆き弾を撃たれれば嘆きながら、ネガティブになりながら復活する。
にも関わらず、綱吉が嘆いている様子は欠片も見えない。
「お前は、誰だ?」
死ぬ気弾の効果も他では見られない形で現れた為か、今回の嘆き弾も似たような事が起こっているのではないだろうか?
そう考えたリボーンは恐る恐る綱吉に近付こうとして――――、
「あは」
綱吉が笑った事に気が付いた。
「はは、ははははははははは」
初めて聞くような笑い方に誰も彼もが恐怖を覚える。
特に沢田綱吉という人間の性格をよく知っているユニやリボーン、アルビートとリゾーナは目の前の変貌した綱吉に困惑する。
沢田綱吉は特殊な目を持っている事以外はとても優しく、マフィアになるにはあまりにも不適切だ。
それが例え相手が機械だったとしても、戦闘中に笑うなんてありえない。
苛立ち紛れに毒をつくことはあるだろうが、そもそもとして戦いに喜悦を見出すような人間性をしていないのだ。
「あぁ…………そうか、そういう事か」
そして笑うのを止めた綱吉はガシガシと頭を掻き始める。
ガシガシ、ガシガシ、ガリガリと音が変わるのに時間は掛からず、掻き毟った後から血が流れ出る。
「本当、笑うしかない。どうしてもっと早くに決意しなかったんだろう。自分のことながら愚かすぎるだろ」
口から出る言葉は自嘲で、瞳から流れ出る涙は血のように真っ赤。
瞳は充血を通り越して真紅になっており、鮮やかな蒼と橙が混じった虹彩と相まって一層不気味さを感じさせた。
「まあ、良いか。今からやれば問題無いし」
「何をゴチャゴチャ抜かしてるんだ!!」
痺れを切らしたのか襲撃者の内の一人が綱吉に向かって武器を振るう。
男が持つ武器は突起が付いた巨大な金棒で、当たれば無事では済まないだろう。
自らに向かって振るわれる金棒を見て綱吉は虚な目をして呟く。
「やっぱり悲しいな」
迫り来る金棒を回避し、すれ違いざまに腕を振るう。
「命が終わるのは、いつ見ても悲しい事だよ」
綱吉がそう呟くと同時に男の身体はバラバラになって崩れ落ちた。
何の感慨も無く、容赦無く人間の命を奪った綱吉に誰も彼もが愕然とする。
そして、綱吉の側頭部からズルリと音を立てて2本の角が生えた。
黒く捻れ曲がった2本の角が生えると死ぬ気弾を撃たれた時のように髪が長く伸び始め、黒いスーツの上に死ぬ気の炎で出来たような和服のようなものを身に纏わせる。
「でもまぁ仕方ないか。オレが求めるものにこれはいらないから」
バラバラに惨殺した男の屍の上に足を乗せ、襲撃者達に視線も向ける。
「じゃあ、次はお前達だ。精々足掻くが良い、無様であれ惨めであれ、貴様等に許された権利だろう?」
「う、うわぁああああああああああああああ!!」
ニッコリと笑みを浮かべながら呟く綱吉に襲撃者達は叫び声を上げながら攻撃を開始する。
拳銃に刃物、鈍器に挙句の果てにはミサイル等の兵器。一人の人間に対して向けるにはあまりにも過剰過ぎるものだ。
だがソレを向けている相手は強引に目覚めさせられた不完全な幼体とはいえ、人理を否定する獣だ。彼等の手持ちの装備では人理を、世界を相手にするにはあまりにもお粗末過ぎた。
当然のように攻撃は無効化され、一人、また一人と丁寧に殺されていく。否、彼からしたら殺すつもりなんてないのだろう。ただいらないものをゴミに捨てているだけでしかない。
その事実に気が付いた時には仲間達は全員死に絶え、残された最後の一人となった彼は情けなく逃げ出した。
大の大人でありながらみっともなく悲鳴を上げ、恐怖に震え、股から漏らしながら獣から逃げようとする。
「助けを乞え! 怯声を上げろ! 苦悶の海で溺れる時だ!」
綱吉は、綱吉だった何かは逃げ出そうとする数少なくなった襲撃者に追撃を加えようと迫る。
間違いなく、襲撃者は一人残らずバラバラになる事だろう。
「眠ってください――――ツナお兄ちゃん」
その凶行を止めたのは唯一綱吉の変化に恐怖を抱かなかったユニだった。
何時の間にか傍に近付き、獣のように暴れ狂う綱吉の後頭部に巨大なハンマーを振るう。
スコーンと気の抜けた音が鳴り、叩かれた衝撃で頭部に打ち込まれた嘆き弾が撃たれた箇所から排出される。
「がっ…………折角、目覚めたのに…………」
「貴方の目覚めはまだ当分先です。暫く眠ってて下さい――――私が目覚めて全てを終わらせるその時まで」
「く、そ…………」
そう呟くと同時に綱吉は意識を失い、地に倒れ伏す。
身に纏っていた燃える着物のようなものは消え、元の黒いスーツに戻る。
頭部に生えていた二本の角にも罅が入り、最初から存在しなかったかのように消失する。
「はぁ…………まさか、ここでビーストになるとは思いませんでした」
持っていたハンマー、死ぬ気弾の効果を終了させられるリバース1tが嘆き弾にも効いて良かった。
ユニは内心そう安堵しつつ、膝をつく。
次に目が覚めた時には今の出来事は忘れているだろう。後は今回の出来事をどう誤魔化すかだが、何とかなるだろう。
「嘆き弾の効果はビースト候補者からしたら強制的に目覚めさせられる劇薬のようなもの、10年後のツナに聞いておいて正解でした」
とはいえ、こんな風に予測も対策も出来ないような状況で暴走させられるとどうしようもないのだが。
遠くから駆け寄って来る皆の姿を視界に収めながらユニは前髪をかき分ける。
「本当、先に自覚出来ていて良かったです」
そこには小さくも確かな一本の角が生えていた。