真・恋姫†無双~未踏世界の物語~   作:ざるそば@きよし

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幕間

 本陣に帰還したのは日が完全に沈み切った後のことだった。

 闇に包まれた陣内は負傷者と癒し手でごった返していた。天幕の外には収まり切らなかった者たちが筵の上に寝かされ、懸命に治療を受けている。ちらちらと燃える篝火が、その陰鬱な風景に一層の拍車をかけていた。

 

「……酷いわね」眉を顰めながら孫策が呟いた。戦が生む悲惨な光景は何度見ても慣れぬものであった。

 

 寝かされた兵士の中には見知った顔の者や気心知れた者も大勢混じって居た。孫策は彼らの顔を――今より幾らかまともだった頃の顔を思い出すと、それを胸に刻み込んだ。たとえ二度と会えなくなったとしても、決して忘れてしまわぬように。

 

「ああ。多くの者が明日生きられるかも分からぬ傷を負っている。あの油と炎のせいだ」周瑜が苦々しい表情で答えた。「弓や刀で出来た傷であればまだ治療のしようもある。だが火傷だけはどうしようもない。身体の殆どが焼け爛れてしまえば、それはもう死んだも同然だ……」

 

 言い終えると彼女は申し訳無さそうに負傷者から顔を逸らした。前線に赴くことのない軍師としての罪悪感が、彼女にそうさせるのだろうかと孫策は僅かに考えた。

 

 そのまま陣の奥へと進んでいくと、不意に横合いから闇に溶け込むような黒装束の男が姿を現した。

 

「――孫策様と周瑜様ですね?」男が言った。闇と同化した様な低い声だった。

 

 腰の剣に手を掛けた孫策が慎重な面持ちで尋ねた。「貴方は?」刺客の類には見えなかったが、伝令を装って襲いかかる者も戦場では珍しくない。この男が敵ならば、すぐさま対処するべきだろう。

 

 警戒する二人に向かって彼は言った。「私は董卓様の使いで参りました。お二人には急ぎ軍議に参加していただきたく存じます」

 

 しばらくの間、男の顔をじっと見つめていた孫策だったが、やがて大きなため息と共に警戒を解くと、剣にかけていた手を静かに降ろした。

 

 彼女が構えを解いたのを確認してから周瑜が頷いた。「分かった。案内してくれ」

 

「こちらです。付いてきて下さい」男はくるりと背を向けると、そのまま陣の最深部に向かって歩いていく。

 

 二人もそれに従って歩を進め、そして一際大きな天幕へと辿り着いた。軍議や物資の保管に用いる大型のものである。

 

「他の皆様は既にお集まりになっています。さあ、中へ」恭しく一礼した後、男は暗闇に溶けるようにその姿を消した。

 

 孫策と周瑜が中に入ると、果たしてそこには討伐軍における主要な将の全てが集結していた。

 総大将である張温が上座にどっしりと控え、その両隣を補佐である董卓と賈駆が固めている。その後は主立った将達が順番に列を成し、その一角に二人は身を置いた。

 

「全員集まったようだな」重苦しい声で張温が始まりの合図を告げた。普段から威圧感のある声だが、今回ばかりは力が無いように感じられた。「話すべき事柄は色々とあるが、まずは現在の状況を確認したい。各員は己の部隊の損害を報告せよ」

 

 彼の言葉に触発され、一人の将軍が苦渋と共に声を上げた。「我が輩の部隊は今日までに千五百の兵を失った。負傷者は倍の三千。これ以上は耐えられませぬ」彼はじろりと張温に不満の視線を送り、今の状況への思いを露わにした。

 

「私の部隊もほぼ同数の被害を受けた」孫策の向かいに座っていた赤髪の女将軍が後に続いた。「加えて我々は持ってきた破城鎚と衝車も何台か破壊されている。正直言ってかなり厳しい状況だ」

 

 複数の兵器に大勢の兵士――どちらも馬鹿に出来ない消耗だ。兵士とは元を辿れば自分の管理する領民であり、彼らの死はそのまま領地全体の労働力の減少に繋がる。加えて彼らを送り出した親族にもきちんと手当をしなければならない。

 

「なるほど」彼らの言葉と不満を張温は静かに受け止め、更に他の者にも話すよう促した。「李説殿の軍はどうなっている?」

 

 そうして戦闘に参加していた将軍達が各々の状況を報告する間、孫策は先ほどの怪物について思いを巡らせていた。

 あの怪物は明らかにこちらだけを狙って動いていた。あれが見境のない獣ならば、双方に攻撃をするのが自然だ。

 だがあれは馬騰軍を襲うような事は決してなかった。むしろ彼らを助けるかのように動いていた。

 アレには明確な意志があるのだ。あるいは誰かの意志通りに動くだけの知恵が。それは即ち、こちらも利用できる可能性がある事を示している。

 つまりあの怪物は――あの龍は、自分のものにする事が出来る!

 脳内で次々と沸き立つ自分の考察に、孫策は血が踊る思いであった。

 

「――では最後に袁術軍の被害を報告していただきたい」出し抜けに張温がそう尋ねていた。いつの間にか他の人間達は報告を終えているようだった。

 

 我に返った孫策は小さく舌打ちし、思考を打ち切ると言った。「ウチの損害は五百ってところね。負傷者も大体同じくらいよ」

 

 彼女の返答を聞いた彼や他の将軍たちは少し意外そうな顔をした。「……そなたの軍は、他よりも被害が少ないようだな」

 

「元々の数が少ないだけよ。それにあたし達の任務は今まで他の部隊の支援や補給ばっかりだったから」

 

 その言葉は事実だった。孫策が連れてきた兵は五千弱と他の軍に比べれば半数以下で、加えて彼女たちは直接の攻撃に参加するよりも味方の支援行為を担当する事が多かった。それが今日まで少ない犠牲で済んできた理由だった。

 

「ふむ……」少し考えるように張温は首を捻り、やがて小さく頷いた。

 

 そのまましばらく沈黙の時間が流れた。他の将や連れの軍師達も互いに目配せはするが、決して自分から言葉を発しようとはしない。

 見計らっているのだ。現在の状況を知った張温が何を言うのかを、誰もが謎に思っているあの怪物について、どんな言葉を口にするのかを。

 だが、彼らを待っていたのは回答ではなく疑念だった。

 

「失ったのは全体の三割ほどか。少なくはないな」自分に注がれている熱心な視線など、まるで感じないとばかりに張温は言った。「だが向こうは既に半数以上の戦力を失っていると聞く。このまま押せば確実に勝てるだろう。奴らを迅速に討ち滅ぼし、そして金城からやってくるであろう援軍を落とした城でこれを撃退する」

 

 その発言は彼らにとって実に奇妙だった。この中の誰もがその存在を目の当たりにしているというのに、彼はまるでその事についてまるで興味を持っていないか、そもそも認知していないかのようだ。

 

 彼は正しく状況を理解出来ていないのか? それとも超自然的な思想を忌避するあまり、精神に異常をきたしてしまったのだろうか? 将軍たちには張温の思考がまるで理解できなかった。

 

「あの……一つ伺ってもよろしいか?」周囲に奇妙な空気が漂う中、赤髪の女将軍が慎重に声を上げた。

 

 張温が視線を彼女に傾けた。「何だ? 公孫賛将軍」

 

 女将軍――公孫賛は僅かに視線を彷徨わせた後、探るように言葉を選びながら尋ねた。「我らを襲ったあの怪物……あれについて、張温殿はどうお考えなのかをお聞きしたい」

 

 『よく言った』と、孫策は心の中で彼女に賞賛の言葉を送った。見れば他の面々も似たような視線を投げかけている。あの怪物について、誰かが張温に問うべきだった――そしてそれは自分以外の誰かである必要があった。誰もが嫌がる貧乏籤を、彼女は自ら引いてくれたのだ。感謝する他はない。

 

 皆の視線が再び張温に向けられる中、出し抜けに列の端から声が聞こえた。「それについては、私からお話しましょう」

 

 全員が思わず声の持ち主を辿った。列の末端――誰の視線も向かないその席には、全員をこの戦場に誘った張本人が座っていた。

 

「耿鄙……殿?」公孫賛が顔をしかめながら聞き返した。予期せぬ人物の登場に困惑しているようだった。

 

 刺史は席を立つと静かに語り始めた。「皆様を襲った怪物……それは恐らく、羌族が飼い慣らしている獣の一種に違いありません」そして張温の隣まで歩いていき、そこで立ち止った。まるでそこが本来の自分の立ち位置であるかのように。

 

「獣だと! だがあの姿は、紛れもなく伝説の龍そのものではないか!」口から泡を飛ばしながら一人の将軍が立ち上がった。彼は怪物の被害を最も受けたうちの一人だった。

 

 その言葉に孫策も思わず同意した――と言っても、彼と己の真意はかなり違う所にあるのだろうが。

 だが少なくとも、あれは間違いなくただの獣などではなかった。明確な意思と高い知性を持つ何か――強いて言えば『人間』に近いものを感じた。

 

 将軍の主張を耿鄙は即座に否定した。「いいえ。あれは決して龍などではありません。龍と言えば陛下の威厳を表す聖なる生物……それがどうして卑しい羌の手先になどなりましょう――あれは獣です。空を飛び、人を襲う獰猛な獣なのです」

 

 この男は怪物の正体が何なのかを知っている。そしてその存在を忌ましく感じている――彼の口ぶりからそれはすぐに分かったが、分からない事もあった。なぜ彼だけがその事実を知っているのだろうか?

 目の前に映る男は決して信用に値する人物ではない―――孫策の本能が、自身に強く告げていた。

 

「あの怪物の正体が龍かどうかはこの際どうでもいい」投げやりな口調で別の将軍が言った。「重要なのは、我々はあの怪物に対して手も足も出なかったという点だ。相手が空を飛ぶのでは剣や槍など意味を成さず、おまけに弓も役に立たない。そんなものを相手に、我々はどうやって戦えばいい? このままでは嬲り殺しにされるだけだぞ」

 

「それについては私に秘策がございます」耿鄙は静かに答えた。「皆様はどうかこれまで通り、攻城戦に集中なさって下さい」

 

「信じられないわね」思わず孫策も声を上げた。彼の発言は非現実的なものに聞こえてならなかった。「アンタは今まで羌族に対して小競り合いしか挑んでこなかった。そしてそれすらも苦戦していて、あたし達を援軍としてここに呼んだ。なのにどうしてあんな化け物を相手に出来るっていうのよ?」

 

 彼女の批判に他の人間たちから次々と追従の声が木霊する。しかし彼はそれを嘲笑うかのように受け流すと、ゆっくりと語り始めた。

 

「それも含めまして、今から私が考案した策をお話いたします。長い話になるかもしれませんが、どうか心してお聞き下さい」

 

――――――――――――――――――――――

 

 城へと戻ったサルカンは、馬騰をはじめとした主要な人々たちを集め、今までの経緯や己の真実についての全てを語った。

 プレインズウォーカー、龍魔導士、幾重にも存在する次元について――最初は馬岱を除く誰もが信じられないと言う顔つきを示したが、実際にサルカンが目の前で次元を渡り、そこで得た物――(この時は小さな面晶体の欠片だった)――を持って戻って来ると、ようやく納得の表情を見せた。

 

 《面晶体の記録庫》https://imgur.com/a/A6oN9bl

 

「……あんたが別の世界から来た人間だって事は分かったよ」重い物を持ち上げたような顔で馬超が言った。矢が突き刺さった肩には包帯が巻かれ、動かぬよう布で固定されていた。「それで、あんたはこれからどうするつもりなんだ?」

 

 サルカンは答えた。彼の心はとうの昔に固まっていた。「俺のやることは変わらない。ここに留まり、皆を守る。もうすぐ羌の大王や周吾が味方の軍勢を引き連れてここにやって来る。彼らが到着するまで共に戦い続けるつもりだ」

 

「ならここから先は時間との勝負って訳だ」馬騰が明るい顔で皆に告げた。「ついさっき金城の連中から連絡があった。向こうもすぐ近くまで来てるらしい。待ちに待った援軍がようやく来たって訳さ」

 

 思わぬ知らせに思わず馬休が叫ぶ。「母さん! それホント!?」

 

「本当さ。一時はどうなるかと思ったが、これもお前さんたちのおかげだよ」

 

「じゃあー。それまで皆でここを守ればいい訳だよねー?」蜂蜜のように甘ったるい声が部屋に響いた。馬岱に似たその声は、馬騰の末娘たる馬鉄のものであった。「それなら楽勝だねぇ。 サルカンさんが一緒に戦ってくれるなら、怖いものなんて何もないもん!」言いながら彼女はまるで子猫のようにサルカンの身体に抱きついてくる。馬岱ほどではないが、彼女もまたサルカンに懐いている人間の一人であった。

 

「あー! 蒼ってば、いきなり抱きつくなんてずるい!」馬鉄の痴態を見た馬岱が吠え立てた。「蒼がそんなことするなら……たんぽぽだってしちゃうもんね!」そして彼女に対抗するかのように馬岱もサルカンの膝の上に座り込んだ。

 

「お前らなぁ……」妹たちの行為を溜息と共に馬超がたしなめる。「今は戦の最中なんだぞ! そんな風にふざけ合ってる場合じゃないだろ!」

 

「別にいいじゃん。たんぽぽ達はここまでずっと飛んできてたんだから、少しはゆっくりさせてよ。ね、おじさま?」

 

 絡みつくように身体を摺り寄せる二人の少女に、サルカンが苦い顔を浮かべた。「……二人とも。頼むから、もう少し離れてくれないか?」乙女たちから向けられる過剰な好意に、彼自身どうしていいのか戸惑っているようだった。「年頃の娘がそんなに軽々しく男に抱き着くものじゃない」

 

「えぇ? たんぽぽは別に気にしないよ? おじさまの身体にはもう何度もも跨ってるし、これくらいどうってことないよね!」

 

 馬岱の衝撃の告白に馬超が顔を赤く染める。「な、ななな!! 跨ったって、何だよそれ! お前まさか蒲公英に手を出したのか!」どうやら馬休と同じく、彼女もまた性的な話題が苦手なようだった。

 

 慌てふためく馬超にサルカンが言う。「落ち着け。龍になった俺の背中に乗ったという意味だ」彼女にこのような弱点があるとは意外だったが、考えてみれば彼女も立派な年頃の娘だ。そういった話題には年相応に興味はあるのだろう。

 

「蒼も別に平気だよ~? むしろもっとくっついちゃったりして♪」しかし、姉の狼狽などまるで気にしないと言わんばかりに、馬鉄が更に絡める力を強くする。

 

 そんな娘たちの様子を見ていた馬騰が痺れを切らせたように怒鳴り声を上げた。「ああー! もう止めな止めな! ったくこの色ボケ娘どもが! 大事な戦いの最中だってのに、いつまでもふざけてんじゃないよ!」

 

「「はぁーい」」彼女の一喝に馬鉄と馬岱が渋々と言った表情でサルカンの身体から離れる。

 

 ようやく離れた二人を尻目に、今度はサルカンにも非難の声を浴びせた。「お前さんもお前さんだ。小娘にひっ付かれたからって、いつまでも鼻の下を伸ばしてるんじゃないよ」

 

 まさか自分にも矛先が向けられるとは思っておらず、さしものサルカンも顔を歪ませる。「な!? お、俺は別に何も……」

 

「ハッ! どうだかね……まあいい。協力するってんなら、明日からはお前さんにもしっかり戦ってもらおうか。あの龍の力、存分に振るって貰うからね」

 

 話は終わったとばかりに馬騰は手を叩くと、皆に向かって声を飛ばす。

 

「そうと決まったらまずは食事だ! 腹一杯食って、また明日からの戦いに備えるんだよ。いいね!」

 

 彼女の言葉に皆は頷くと、遅れていた夕食を取るべく城の厨房へと向かうのであった。

 

――――――――――――――――――――――

 

 闇が更に深さを増している。大地を照らす月明かりも今日ばかりは厚い雲の裏側に隠れ、その姿を見せていない。松明の光が無ければ、満足に前を進む事さえままならないだろう。

 だが董卓にとってはそれはむしろ好都合だった。自分の存在を誰にも気が付いて欲しくなかった。今この時ばかりは。

 自分は今、とても大きな危険を侵している。死ぬ事は恐らく無いだろうが、最悪の場合はどうなるか分からない。

 だがそれでもやるべきだった。それが今の自分に出来る精一杯の行動だった。

 

 見回りの兵士達に気付かれないよう、暗がりから暗がりへと身を移しながら、彼女は一つの天幕へと近づいていく。

 そして目的の場所まで辿り着くと、そっと入り口の布を手で払い除けた。

 

 中では一人の男が机に向かって読書に勤しんでいた。紐で綴じられた古い本を炎の明かりを頼りに眺め、ぶつぶつと何事か呟いている。本や言葉の内容までは分からなかったが、その真剣な眼差しからして、重要な事柄なのはすぐに理解できた。

 

「おや。こんな夜更けに何の御用でしょうか? 董卓殿」こちらの気配を感じ取ったのか、紙面に向けられていた紫色の瞳がちらりと自分の方を向く。

 

 董卓は目の前の男へ歩み寄ると、臆することなく尋ねた。「……教えて下さい。貴方は一体何者なんですか?」

 

 彼が軍議で示した作戦は荒唐無稽だった。耳を傾けた誰もが彼の話を一度は跳ね除け、嘲笑った。だが彼が話を続けていくに従ってと将たちは次々に無言となり、最後には彼の言葉を肯定するまでに至った。

 そんな力を持つ人間が、ただの刺史な訳がない。

 

「藪から棒に何の話です?」男――耿鄙は眺めていた本を閉じると、肩を竦めながら言った。「私はただの刺史ですよ。あなたが知っている以上の事は何もない。少々、珍しい特技を持ってはいますがね」

 

 皮肉っぽい笑みを浮かべる彼だが、内心では何一つ面白いとは思っていなかった。その心はまるで底無し沼のように黒く深く、隠された真意を伺うことは到底出来そうに無い。

 

 それでも彼女は会話を進めた。「それは記録されている身分であって、本当の貴方じゃない」言葉を向けるたび、暗い深淵に身を浸すような感覚が自身を襲ったが、彼女は無視した。「話して下さい。貴方は誰なんですか? 一体何が目的なんですか?」

 

 彼女を見つめる耿鄙の視線は、さながら獲物を見定める獣だった。返答や成り行き次第では、すぐにでも目の前の存在を捕らえ、縊り殺してしまおうという強い意志が感じられる。それを表すかのように、彼の目には張温を操ったときに見せた光と同じものが宿っていた。

 

 董卓の顔をしばらく眺めていた耿鄙だったが、不意に瞳の光を消すと呆れたように言った。「こんな風に真正面から尋ねて来たのは、今までで貴女が初めてだ。もっとも、そんな必要の無い貴女だからこそ、こうして真っ直ぐやってきたのでしょうけれども」

 

 彼の口ぶりを聞いた董卓は、ある種の確信を得た。「やっぱり、私の力に気付いてたんですね」

 

「ええ。初めて会った時から」こともなげに彼は頷き、右手の人差し指で自らのこめかみを軽く叩いた。「貴女はこちらが油断しているのを良いことに、まんまと私の心の中に踏み込んでみせた。やられましたよ。まさかこの次元にテレパスが存在しているなんて、全く考えもしなかった」

 

 テレパス?

 

 董卓は脳裏で言葉を繰り返しながら僅かに首を傾げた。それは今までの人生で聞きた事すらない単語だった。果たしてどういう意味なのだろうか?

 

『他者(ひと)の精神を読み取る事が出来る者のことですよ。そう言った力の持ち主を、他の次元では『テレパス』或いは『精神魔道士』と呼んでいるんです』

 

 董卓の頭の中に突然、自身のものとは別の思考が駆け巡った。まるで声に出した返答のように。

 彼女はそれを以前にも感じた事があった。耿鄙と初めて出会った時だ。彼が自分の心を読んでいるのだと咄嗟に理解した。

 

 目の前の男に向けて董卓は考えた。『では、やはり貴方も?』

 

『ええ。私も同じ精神魔道士です。もっとも、貴女と違って生まれつきそうだった訳ではありませんが』再び男の声が頭の中に響いた。彼は他人の思考を読んだり干渉したりするだけでなく、自分の思考を他人に送り付ける事も可能なのだと知った。

 

 だがそのせいで余計に分からなくなった。これほど強力な力を持っている彼が、何故こんな場所で活動しているのだろうか? 何かを成し遂げたいのなら、他に効率的な方法はいくらでもあった筈だ。

 

『確かに力技に訴えれば、もっと早く目的を進める事は出来ました。だがそれでは私が介入したという痕跡を残してしまう可能性がある。ほんの僅かな痕跡だろうと、残しておきたくなかったんですよ。ですがその努力も、張譲や貴女のせいで台無しになってしまったようですが』彼女の内なる疑問を聞き取ったのか、自嘲気味な思考を飛ばしながら彼は再び肩を竦める。

 

 董卓が再び尋ねた。今度は肉声だった。「城の様子を見に行った時、耿鄙さんは私に利用価値があると言いました。あれは何故ですか? 私が同じ力を持っているからですか?」

 

「勿論それもあります。だがそれ以上に、貴女は私の考えを理解してくれると考えたからです」

 

 魔道士は席から立ち上がると、ゆっくりとした足取りで彼女の前に聳え立った。

 

「貴女はこの次元の平和を願っている。皆が幸せになれるような世界にしたいと考えている。それは尊い考えだ。私もかつてはそう思っていたし、今でもそう考えている」耿鄙が言った。先程までとは違い、その視線はひどく真剣だった。「だがそれは無理な願いだ。この次元の人々はあまりにも愚か過ぎる。貴女がいくら平和を願おうと、安寧を望もうと、奴らは自らの欲望のために簡単に踏み躙る。何度でも」

 

 彼女は警戒すると同時にひどく興奮していた。目の前の男はいつの間にか、自分が心の内に秘めていた大切な想いを覗き見ていた。

 

「……平和の道が簡単じゃない事くらい、わたしだって十分知ってます。ですが皆が平和を願うからこそ、今の朝廷があり、陛下を中心とした政権が存在している。違いますか?」

 

 彼女は自分の回答が不完全であることを知っていた。今の朝廷は腐敗している。彼の言うように民を守るべき人間たちが、自らの欲望のために非道な政治を繰り返している。だが政権や朝廷が作られた目的は、その思想と理念は気高いものである筈だった。

 

「帝」皮肉の笑みを浮かべながら、耿鄙が反論した。「帝など、ただの奴隷に過ぎない。権力を求める者が自らが利用する傀儡としてのみそれを求め、そこには人としての意思など存在しない。あれはただの装置だ。人が権力を利用しやすいように生み出した人型の道具――それが帝の実態だ。貴女もよく知っているはずだ。何しろ貴女の師匠である張譲こそ、現皇帝を操り、政治を自分の思うがままに進めている中常侍の一人なのだから」

 

 否定はしない。確かに中常侍は帝に助言を唱え、政治をより円滑にするために動いている。傍から見れば操っているようにも見えるだろう。だが自分の師は、彼が言うような汚い欲望とは無縁の人物だ。ただ母国を想う一心で動いていると、董卓は彼の心を通して知っていた。

 

『確かにあなたの師は愛国心によって動いているのかも知れない。だが他の方々はどうです? 本当に皆が同じく国を思っているのなら、何故この世界はこれほどまでに荒れ果てているのですか?』

 

「それは……」

 

 董卓には答えられなかった。人間の汚い心など、今まで飽きるほど見つめてきた。あんな汚れ切った人間たちが人の上に立ち、私利私欲のために下の人間たちを苦しめているのだと知った時は涙が止まらなかった。

 しかしその傍らで、彼らの存在がなければ国の政治が成り立たないというのもまた事実だった。彼らの欲望に目を瞑って賂を渡し、宴会を開き、口利きをすることでようやく円滑に物事が進む。そんな風にしている内に、自分もいつしか彼らの一員に加わってしまうのではないかと思う恐怖が彼女を常に苛んでいた。

 それでも自分はこの国の平和を――平穏な国が生まれる事を心の底から願っている。それを何故この得体の知れない男に否定されなければいけないのだろうか?

 

「……あなたに、私の何が分かるっていうんですか?」精一杯の侮蔑を込めて董卓が吠えた。心が読める人間にこんな言葉をぶつけること自体、冷静に考えれば滑稽な話なのたが、今の彼女にはそれしか言葉が思いつかなかった。「私が考える理想の、私が願う世界の、一体何が分かるって言うんですか!?」

 

 悲痛な彼女の言葉に、耿鄙はあっさりと頷いて見せた。「分かりますよ。少なくとも私は、貴女よりも長い時間をかけてこの世界を見つめてきた。それこそ気が遠くなるほど長い時間をね。そして分かった事は、彼らには決して平和を生み出す事は出来ないという事実だった」

 

 再び彼の目が怪しげな輝きを放ち始めた。「見せてあげますよ。私が今まで何を見てきたのか、そして何を目指しているのかを」その眼は董卓の瞳を捉えると、その奥――身体を通り越した心の奥底へと入り込んできた。

 

《渦まく知識》https://imgur.com/a/azkPFQz

 

 直後に鋭い頭痛が董卓の側頭部を貫いた。溢れ返る知識の津波に膝が折れ、思わず倒れそうになる。

 流れ込んで来たのは膨大な量の記憶だった。初めて出会った時に読み取ったものと同じ記憶――だが、今回は継ぎ接ぎだらけの断片ではなく、きちんと形作られた一連の物語だった。

 

 長きに渡る修行。得た力とそれを操る術。それを争いの武器として求める多くの人々。幾つもの絶望と挫折と裏切り。虚無となった故郷。そして別次元への到達。

 

 董卓の心は知識の洪水に飲み込まれた。全てを失った絶望と燃え上がるような憤怒を心で直に感じ取り、目の前の男が現在の目標を持つまでに至った過程の全てを瞬時に理解した。

 

「……これが……こんな事が……」

 

 董卓は歯を食いしばりながら、沸き立つ感情を堪えた。頭の中に流れ込んできた膨大な記憶は、まさに彼の人生そのものだった。

 

「理解して貰えたようで何よりだ。それがこの次元の人々の本性であり、私――いや、俺がプレインズウォーカーになった理由だよ」疲れ切ったように耿鄙が言った。「それで? 君はどうする? これでもまだ君は、君が信じる正しい政治とやらで平和を形作れると信じるのか?」

 

「……………」

 

 彼女は無言を貫いた。精神的な疲労と、彼の言葉が持つ重みに言葉が出なくなっていた。

 

 構わず彼は続けた。「今の君には二つの道がある。一つはこのまま何も知らなかった事にして目標を目指すという道。無論、俺の正体や目的に関する記憶は消させて貰うが、君のその純粋な思想に免じて命や心の安全だけは保障しよう――そしてもう一つは、俺と共に歩む道だ。この道を歩めば最後、君は数多くの人間を殺す事になるだろうし、何人もの英雄を敵に回すことになるだろう。だが成功すれば殺した以上の人々を救い、向こう何百年にも渡って平和な世界を構築する事が出来るだろう。どちらを選ぶかは君次第だ」

 

「今すぐ答えろとは言わない。作戦が動き出すまでの間――三日の猶予をやる。じっくり考えるといい。だが決して逃げたり誰かに相談しようなどとは思うな。誰かに話せばすぐに分かるし、逃げ出しても監視の者がすぐに見つけて連れ戻す。もしそうなったら、君の友達の心をばらばらに引き裂いて、汚い記憶の塊だけにしてやるからな」

 

 一片の温かみすら見せない声音で彼はそう告げると、こちらに興味を失ったように自分の席へと戻って言った。

 

「話は終わりだ。今夜はもう戻って休むといい。明日からまた忙しくなるからな」

 

 




 サルカンさんまさかのモテモテ状態。

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