真・恋姫†無双~未踏世界の物語~   作:ざるそば@きよし

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 二人はついに真実へと辿り着く。


龍血の英雄

 翌日、サルカンは羌の戦士たちと共に彼らの野営地を目指して旅立った。彼らの馬捌きは騎乗に慣れた二人ですら思わず舌を巻くほどであり、その早さもさることながら一切迷うことのない統率力で広大な大地を駆け抜けると、僅か二日足らずで目的の場所へとたどり着いた。

 

「ようこそ。ここが我らの野営地だ」

 

 馬を降りた餓何が誇らしげな顔付きで二人に言った。彼の後ろには大小幾つもの天幕が海のようにどこまでも広がり、内外では鎧や兜をはじめとした武具が所狭しと並べられ整備されている。少し遠くでは羌族の男たちが武器を手に何やら訓練を行っているようだった。

 

 あまりに剣呑な光景に流石のサルカンも少々たじろいだ。「……大きいな。それに、かなり物々しい」

 

 これでは野営地と言うよりまるで前線基地か防衛拠点である。果たしてこれが羌の日常的な風景なのだろうか。

 

「当たり前だ。我らはもうすぐ戦に赴くのだからな」

 

 不可解な餓何の言葉に彼は思わず眉を顰めた。「……戦? なんのことだ?」

 

 戦と言うからにはどこかに攻め入るのだろう。行き先は役人たちの居る洛陽か、或いは縄張りを争う他の部族か、それとも未だ名の知れぬ別の場所か――いずれにしても、これほど大規模な準備を進めている以上、生半可な侵攻でないことは確かだった。

 

 サルカンの疑問に逆に餓何が驚いたように聞き返した。「なに? 馬騰殿から何も聞いていないのか?」

 

 二人は互いの顔を見合わせ、首を左右に振った。馬謄の話からは戦などという単語は欠片も出てきてはいなかった。

 

「そうか……いや。詳細は俺から聞くよりも大王様から直接お伺いになった方がいいだろう。天幕へ案内する。付いて来てくれ」

 

 餓何はそう言いながら踵を返すと野営地の間を突き進む。それに従おうと二人が馬を降りて歩き出したその時、彼らを引き留める声が後ろ聞こえた。

 

「おじさん、おねえちゃん……」振り返ると、そこには寂しげな表情を浮かべた阿門が立っていた。

 

「阿門、悪いがここでお別れだ。君はこれから羌の人々たちと生きていくんだ。達者でな」

 

 サルカンは静かにそう告げた。彼とはもともと偶然出会った間柄であり、羌に保護してもらう目的で一緒に居ただけに過ぎない。野営地に辿り着いた以上、自分たちはここですっぱりと別れておくべきだった。

 

「うん……」理屈の上では理解しているのか、彼も素直に頷いた。だがその眼には自分たちとの別れを惜しむかのようにうっすらと涙が滲んでいた。「……またいつか会えるかな?」

 

 果たしてどうだろうか。羌族がどこを相手に戦うのかは定かでないが、戦が始めればこことて安全ではないだろう。もし敵の攻撃を受ければ、戦う術を持たない彼に待っているのは無残な死だけだ。

 だがそんな現実を突きつけるのも忍びなく、結局サルカンは互いにとって都合のいい言葉を選ぶことにした。

 

「会えるさ。お互い生きていればな」

 

「そうだよ。生きてれば必ずまた会えるよ。だからさ、辛いだろうけど挫けずに元気でね!」

 

 気休めにしかならない言葉であったが、それでもないよりはマシだったのだろう。彼は目に溜まった涙を両手で拭うと、最後に精一杯の笑顔を作って見せた。「……うん! 短い間だったけど、今までどうもありがとう!」

 

 懸命に手を振る阿門に送り出されながら、二人は改めて天幕の海を歩き出す。

 すると、先導して歩いていた餓何がサルカンに近寄ってきて告げた。

 

「心配するな。あの子の面倒は俺たちが責任を持って見届ける」

 

 サルカンは内心ほっと胸をなで下ろした。そうなるだろうと予想はしていたが、やはり直接の言質を得られるというのは何よりも安心できる証だった。

 

「感謝する」

 

「よせ、それはこちらの台詞だ。二人があの場に居なければ、あの子は今頃どうなっていたことか……本当に礼を言う」

 

「さて、話が過ぎたな。大王様の元に急ぐとしよう」

 

 再び先導に戻った餓何に従い、サルカンたちは改めて羌を統べる大王の元へと歩き出したのだった。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 

 野営地の中をしばらく歩き進み、大型の天幕が並び立つ一角にたどり着くと、餓何はその中でも一際大きな物へと二人を導いた。一度に数十人は入れそうなこの中に、件の大王は控えて居るらしい。

 

「少し待っていてくれ。大王様に事情の説明と取次の許可をもらってくる」

 

「分かった」

 

 サルカンが頷くと、餓何はそのまま天幕の中へ姿を消した。

 

「しかし戦だなんて……おばさまはそんなこと一言も言ってなかったのに……」ぽつりと馬岱が小さく呟いた。

 

 果たして馬騰は羌族の現状をどの程度把握しているのだろうか。或いは全てを知っているのだとしたら、彼女はどんな意図で自分たちをここへ送り出したのだろうか。

 考えれば考えるほど様々な仮説や思考が、サルカンの脳内を駆け巡る。だが彼はすぐに余計な考えを頭から追い払った。

 もう少しで全てが分かるはずだ。大王に直接会って手紙の内容を確認することができれば。

 

 そんな風に考えていたせいもあるのだろう、故にサルカンは自分たちに声をかけてきた誰かの気配に気が付かなかった。

 

「――もし。そこのお方」

 

 声に気が付いた彼が視線を移すと、いつの間にかそこには優しげな笑みを浮かべた一人の老人が佇んでいた。

 馬岱の顔見知りかと思い、サルカンは彼女の顔を覗き込んだが、不思議そうに老人を見つめる馬岱の表情からして、どうやら知り合いという訳ではないらしい。

 

「羌の翁よ。俺たちに何の御用でしょうか?」

 

 老人の恰好は羌族のものに間違いなかったが、他の者とはどこか一線を画していた。大きな特徴として、彼は体中に幾つも動物の骨やら角やら牙やらを括り付けており、その神秘的な雰囲気と相まってまるで風変わりな仙人か賢者のようにも見受けられた。

 

「おぬし、変わった力を持っているな」老人が言った。まるで世界の全てを見透かしているかのような声だった。「世を包みこむ見えない壁に触れ、それを乗り越えることができる。そうじゃろう?」

 

 告げられた言葉に二人は思わず目を剥いた。彼の言っている力とはまさにプレインズウォーカーの事に違いなかった。「……分かるのですか?」

 

 サルカンは咄嗟に彼がボーラスの手下ではないかと勘ぐった。プレインズウォーカーなどと言うおとぎ話にも近い存在を信じるのは、本人かその存在を知る一部の者しかいない。

 だが不思議なことに目の前の老人からはそのような敵意は微塵も感じられなかった。

 

「ほっほっほ。年を取ると目に見えぬものが色々と見えてくるのじゃよ。もっとも、逆に見えなくなるものもあるがの」笑いながらそう答える老人の瞳は、目の前の光景を映してはいなかった。ただ虚空だけを見つめ、目には映らぬ何かをじっと見つめているようだった。「まだわしが修行の旅に出ていた頃、おぬしと同じ力を持った者に会うた事がある。その青年は悲しい目でわしに問うた。『争うばかりの人々を諫め、この世から戦を無くす為にはどうすればよいか』とな。まだ未熟な若造に過ぎなかったわしには生憎と何も答えられなんだ。大陸を巡り、叡智を身につけた今でも明確な答えは出せておらん。だがあの青年はその答えを見つけ出そうと必死に努力していた。『たとえどんな方法を使っても、この世界にいつか平和と安寧をもたらして見せる』と言ってな。あの青年がどうなったのか、今では知る由もない。だが彼が目指した世界は未だ訪れてはいないのだけは確かじゃ」

 

 老人はそう言うと、年寄りのものとは思えないほど強い力でサルカンの肩を掴んだ。「気をつけるがよい。おぬしの力は自身が思っている以上の大きさを秘めておる。少しでも加減を違えれば、この世の全てを覆してしまうほどにな」

 

 彼の忠告は正しかった。“きずな”を越えて遠い過去へと旅立ったあの時、自分は死に逝く運命だったウギンを面晶体の欠片によって救い、タルキールの歴史を捻じ曲げた。それが正しいことだったのかどうかは分からないが、もし自分がプレインズウォーカーでなければ、もしあの欠片を『目』から持ち出さなければ、自分は未だに亡霊に囚われながら龍の死に絶えた故郷を彷徨い続けていたに違いない。

 

「心得ています。俺はかつて故郷の歴史を書き変えました。その事を後悔してはいませんが、そうなってしまう事があると言うことは身に沁みて知っています」

 

「ならばよい。その事を努々忘れるでないぞ。異世界の旅人よ」

 

 老人は満足したようにそう言うと、くるりと背を向けて天幕の向こうへ歩いて行く。

 不思議な面持ちで二人がその姿を見送っていると、背後から布をかき分ける音と共に餓何が姿を現した。

 

「待たせたな。大王様はすぐにお会いになられるそうだ……どうした?」

 

 咄嗟にサルカンは老人の事を話そうとしたが、先ほどまで近くを歩いていたはずの彼はいつの間にか煙のようにその姿を消してしまっていた。

 

「いや……何でもない」

 

 狐につままれたような体験に二人は思わずお互いの顔を見合わせたが、いつまでもそうしているわけにもいかず、やがて導かれるままに天幕の中へと入っていった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 天幕の中は見た目通り広々としており、あちらこちらに魔除けや献上品と思われる装飾が備え付けられていた。それらは決して金銀財宝のように煌びやかなものではなかったが、どれも見事な細工や精緻な紋様が施されており、彼らの技術力の高さが伺える。

 そしてそんな天幕の中央に置かれた玉座には、立派な毛皮を纏った男性が重苦しい雰囲気と共に鎮座していた。

 

「――羌の地へようこそ。我が今の一族を預かっている徹里吉(てつりきつ)である」男は巨大だった。サルカンも人間の中では比較的背の高い方であったが、男は更にその上をいっており、筋骨隆々な体格も相まって遠目には大きな岩か何かのように見える。そして何より、自信に満ちた振る舞いと全身に作られた多くの生傷が彼を戦士の一族を統べる大王だと強く主張していた。「話は餓何から聞き及んでいる。よくぞ一族の者を救ってくれた。普段ならば一族総出を上げて感謝の宴を開く所なのだが、今は戦支度の最中ゆえ手厚い歓待はできぬ。どうかご容赦なされよ」

 

 どう切り出したらいいものかとサルカンが悩んでいると、馬岱が前に進み出て拱手の構えを取った。「大王様。ご無沙汰しております」

 

「そなたは確か、馬謄殿や馬超殿と共に以前の寄り合いに来ていた……」古い記憶を思い返すように徹里吉は目を細めた。

 

 彼女は頷いた。「馬岱と申します。此度は馬超様と馬謄様の使いで参上致しました」

 

「遠い所からよくぞ参った。羌族はそなたを歓迎しよう。存分にくつろいでゆかれるが良い――して、そちらの御仁は?」続いて徹里吉は視線を馬岱からサルカンへと移した。

 

 腹を決めた彼も馬岱と同じく拱手の構えを取って答えた。「俺はサルカン・ヴォルと言います。彼女と同じく馬騰殿の使いで来ました」そして懐から預かっていた竹簡を取り出すと、目の前の大男へ恭しく手渡した。「これは馬謄殿から預かって来た書状です。貴方に届けるようにと」

 

 差し出された竹簡を受け取ると、男はそれを軽く広げ、素早く内容を検めた。「……確かに馬騰殿のものに相違ない。ご苦労であった」

 

「……ところで、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」と、サルカンがやおら話を切り出した。彼から事情を聞くならば今において他になかった。「羌族は一体、何と戦うつもりなのですか?」

 

 それはサルカン達がこの野営地にたどり着いてからずっと抱いていた疑問だった。羌族がどこに攻め込むにしろ、馬謄や自分たちに関係のある話ならば、知っておいて損はない。

 

「漢だ」即答だった。斬りつけるようなその鋭い口調は、たとえ本人に向けられたものでなくとも聞く者に重苦しい殺気と威圧感を与えた。「そなたらもその目で見たであろう。漢人どもが我らの村落を滅ぼす様を」

 

 二人は静かに頷いた。あの地獄のような光景を簡単に忘れられる筈がなかった。

 

 徹里吉は言葉を続けた。「弾圧が始まったのは一年ほど前からだ。それも我らだけが被害を被っているのではない。漢に近い場所で暮らす他の部族は勿論、彼らと交友を結ぶ漢人たちでさえも虐げを受け、実際そのいくつかは完全に滅ぼされている」

 

 まさか、と二人は息を呑んだ。この次元に来てまだ半年程とは言え、サルカンも漢や他の民族の事については、隴西の人間を通じておぼろげながら聞き及んでいる。だというのに、そんなことが起こっているなどとは微塵も知らなかった。

 

「故に我を含む残った部族の長たちは、志を同じくする他の者たちと話し合い、そして決めた。漢に攻め入ると。そうしなければ遠からず我らの方が奴らに滅ぼされる事は目に見えている」

 

「ではやはりその中身は戦に関する……」

 

 そこまでサルカンが言うと、徹里吉は手にしていた竹簡を彼に向かって差し出した。

 

「それほど気になるというのなら、読んでみるがいい」

 

 開かれた竹簡を受け取ったサルカン達はその中身を確かめ、ますます困惑した。

 なぜならその手紙には、戦はおろか役人の事すら何一つ書かれていなかったからだ。書かれていたのは隴西や馬騰自身にまつわる近況と、近々そちらへ向かい、年を取って悪くなってきた自分の身体とこれからの羌族との関係について話し合いたい、という何とも平々凡々な内容だった。

 

「大王……これは一体?」

 

 眉根を寄せて尋ね返す馬岱に、徹里吉は分かっていると言わんばかりの表情を浮かべた。

 

「そう、何のこともない内容だ。何も知らぬ者が読めばの話だがな」彼はそういうと竹簡を取り返し、続いて懐から小さな小瓶を取り出した。「この竹簡には仕掛けが施してある。特殊な霊薬を用いることで余白の部分に書かれた文字が浮き出る仕組みだ。万が一、漢の人間たちに奪われたときの為にな」

 

 彼が小瓶に入っていた液体を竹簡の隅に塗りたくると、空白の部分からじわりと滲み出るように隠された文字が姿を現した。「そしてこれが、この手紙の本当の中身だ」

 

 再びサルカンと馬岱は竹簡を見つめた。するとそこには滲んだ文字でこう書かれていた。 

 

「『漢ハ金城ヘ軍ヲ差シ向ケタ。手筈通リ、狄道ノ城ニテ貴公ラヲ待ツ。ドウカ使者ノモテナシヲ頼ム』」

 

「これは……?」事情が飲み込めない馬岱が呆然と尋ねる。

 

「我らの戦が動き出したと言うことだ。同時にそなた等の保護を頼むと書かれている」

 

「たんぽぽたちの?」

 

「金城郡では現在、我らの同志たちが約五万の兵力と共に漢侵攻の機会を伺っている。それを察知した漢が先手を打って軍を差し向けたのだ。隴西郡は金城郡の進路上にある。敵は補給のために必ずそこを通ろうとするだろう。だが馬騰殿は既に我らの側についており、敵は補給を受けるどころか足止めを食らうことになる。奴らがたついている隙に、我ら羌族と金城郡に控えている同志たちが二方向から一斉に奴らに襲いかかり、これを打ち砕く。そして全て食いつぶした後に漢へと侵攻する。これが我ら西涼連合の侵攻計画だ」

 

 なんという作戦だろうか。彼らは先手を打った敵に対して罠を張って迎え撃つだけでなく、それらを全て食い尽くした上で敵の本拠地に迫ろうとしているのだ。およそ正気の沙汰ではない。ここまで切羽詰まった作戦を要されるまでに、一体どれほどの血が流れたのだろうか。

 

「とはいえ、計画の要となる隴西の戦いは相当厳しいものとなるだろう。戦が長引けば長引くほど多くの兵士が死に、民や都市は疲弊する。馬騰殿はそんな状況からせめてそなたたちだけでも逃したいと思ったのだろう。見た所そなたは羌族でもなければ漢人でもない。民族同士の軋轢の被害を関係ない旅人であるそなたに降りかからせない為であろうな」

 

「そんな……おばさま……」

 

 さしもの馬岱も言葉を失っている。無理もない。まさかここまでの暴力と思惑が故郷に渦巻いているとは夢にも思っていなかったのであろう。

 

 サルカンの行動は早かった。彼は大王へ今一歩詰め寄ると、力強い声で彼に願い出た。「大王、あなたに是非ともお頼みしたい事が御座います」

 

「聞けぬ」だが返ってきたのはにべも無い答えだった。「おおかた我らとも共に隴西に戻りたいというのであろう。だがそなたたちが戻った所で何になる。たどり着く頃にはそこは血で血を洗う戦場だ。城の中に入るどころか近づく事さえ適わぬ。それにそんなことをすれば、馬騰殿が託した思いを踏み躙る事になるぞ」

 

 打ち所のない正論にサルカンは呻いた。一族の戦士ではない自分が共に戦場に行った所で、邪魔になるだけだというのは痛いほどに理解できる。だがそれでも、彼は引く訳にはいかなかった。

 

「たしかに俺は流浪人で、羌族にとっては部外者以外の何者でもありません。ですがあの人は、俺を家族だと言ってくれました。その輪に暖かく迎え入れてくれました。恩人の危機を知りながら何もせずに黙っていられるほど俺は腐っていません」

 

 サルカンに続いて馬岱も懇願に訴える。「大王様、私からもお願いします。どうか我らを共に戦場にお連れ下さい!」彼女の声は更に切迫しており、もし断られれば例え一人でも戦場に立ち向かって行くだろうという予感すらあった。

 

 沈黙は長かった。目を瞑りながら考え込む徹里吉は、まさに佇む巌の如きであり、これ以上余計な口を挟むことなどとても出来そうにない。

 

 どれほど無音の時間が流れただろう。やがて徹里吉はゆっくりと目を開けると、彼らに向けて告げた。

 

「……そなた等の覚悟は分かった。が、曲がりなりにも我らと轡を並べようというのだ。当然それなりの心得はあるのだろうな?」

 

 それは二人に示された一筋の光だった。ここでしくじれば戦場に向かうことなど到底叶わない。何が何でも彼に己の力を見せつけ、自分達の存在を認めさせる必要があった。

 

「大王様の気が済むまで、存分にお試しになって下さって構いません。それで俺たちを認めてくださるのならば」

 

 サルカンの言葉にしばらく二人の顔をじっと見つめていた徹里吉だったが、やがて小さく顎を引くと再び口を発した。

 

「――餓何」

 

 声に導かれ、天幕の外で控えていた餓何が姿を見せる。

 

「いかがなさいましたか。大王様」

 

 現れた若き戦士長に向かって、大王は先ほどと同じく斬りつけるような鋭さで命じた。

 

「剣を取れ。決闘の準備だ」

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 四人は舞台を別の場所へと移し、そこで改めて選定の決闘が行われることとなった。

 途中、他の戦士から必要な武器はあるかと尋ねられたので、念のためにとサルカンは両刃の剣を一本所望した。無くとも戦う事は出来たが、武器があるば使うに越したことはない。

 広場というよりも意図的に作られた小さな荒野のようなその場所には、既に決闘の話を聞きつけた人々で溢れかえっていた。彼らはサルカンや馬岱たちを余所者を見るような、あるいは珍しい生き物でも見るような視線でもって出迎えた。

 

「まずは蒲公英、お前から試させてもらうぞ」広場にやってきた餓何が改まってそう言い放った。

 

 不敵な笑みを浮かべて馬岱が応える。「いいけど、たんぽぽの相手は誰がするの? 周吾?」

 

「いや、俺はサルカン殿の相手をする。お前の相手はこの焼戈が務めよう」

 

 言われてやってきたのは、何とも物静かな若い女性だった。

 柳のように長くしなやかな彼女の体付きは、身に着けた薄手の革衣と合わさってある種の妖艶さを醸し出しているが、彼女自身から発せられる剣気と手に持った薙刀が彼女を一流の戦士だと見る者全てに告げている。油断ならない相手だ、とサルカンは一目見て確信した。

 

「焼戈です……よろしくお願いします」彼女は静かに告げると、己の右手を馬岱へ差し伸べた。

 

「……なんか暗い感じの人だね。本当に強いの?」奇妙な雰囲気を放つ焼戈に思わず馬岱が疑いの眼差しを向ける。

 

「心配するな。少し内気で暗い奴だが、武芸の腕前に関しては間違いなく一流だ。むしろ俺はお前がうっかり殺されやしないかと心配な位だぞ」

 

 生真面目な餓何からして冗談で言ってる風には思えない。と言うことは、それだけ目の前の女性は油断がならない相手だと言うことだ。

 

「……まあいいや。んじゃ、やろっか」差し伸べられた手を軽く握り返し、馬岱が所定の位置に着く。

 

 焼戈もまた同じく荒野の反対側に立つと、その手に握った薙刀を力強く構えた。

 

 両者の間に無言の緊張が走る。

 

「では――始めよ!」

 

 立会人たる徹里吉の宣言によって、ついに選定の決闘が幕を開けた。

 

―――――――――――――――――――――――

 

 戦いの空気を肌で感じるのは実に二日ぶりだった。廃村で戦ったあの男と比べて、目の前の女戦士はどれほど強いのだろうか。

 

「……いきます」

 

 その呟きを合図とばかりに、焼戈の薙刀が閃光となって煌いた。音すら置き去りにするその一撃は、まさに神速と言って差し支えなかった。

 

 迫り来る一撃に馬岱はすぐさま対応した。構えた十字槍の切っ先を敵の得物に当てがうと、横合いに押し込んで軌道を強引に捻じ曲げる。狙いと勢いを失った薙刀の刃は彼女を傷つけることなく明後日の方角へ逸れていく。

 

 神速の一撃を防がれ、女戦士はほんの僅かだが動揺していた。薙刀に込められた力に若干の迷いを感じた。

 

 弾きによって生じた僅かな隙を存分に生かし、彼女は即座に反撃に転じた。当てがった槍を薙刀に沿って振るい、その切っ先が焼戈の胴体へと突き入れる。

 

 繰り出された反撃の刃を、焼戈もまた当てがわれた薙刀の柄の部分で押し返した。まるで数瞬前の焼き回しのように槍の切っ先が跳ね上がり、焼戈の服の上辺だけを切り裂いて宙に浮かぶ。

 

 互いに一撃ずつ見舞った二人は再び距離を取り、同じような位置で対峙し合った。

 

 ――できる。

 

 馬岱は不意に隴西で稽古を積んでいた頃の事を思い出した。焼戈の太刀筋は所々で馬超に似通っており、無性に懐かしさを感じさせた。その真っすぐな強さも。

 

 乙女たちが己の得物を振るう度、幾つもの火花が空中で弾け、眩い光と甲高い金属音がそこら中で瞬いた。あまりの撃ち合いの凄まじさに、サルカンはおろか周りにいた戦士たちでさえいつしか言葉を失い、ただただ目の前の戦いに見入っている。

 

 斬る、防ぐ、叩き込む、逸らされる、突き入れる、弾かれる、薙ぎ払う、躱される――繰り返される攻防の数々。しのぎを削りながら見せ合う技術の数々。だがいずれも致命傷には至らず。勝負の決着はつかず。

 

 そのまま剣戟の響きが二十を越えようかという時、不意に両者がその動きが止めた。

 

「やるね。考えてたよりもずっと強い」激しく肩を上下させながら馬岱が声を上げた。これほどの強者に出会えたことが嬉しくてたまらないのか、唇は大きな笑みを作っていた。「さっきは疑ったりしてごめん。あなたの腕前、素直に見直したよ」

 

「……そうですか」同じく肩で息を整えていた焼戈が静かに答えた。内気な性格と言われていた彼女も、知ってか知らずか己の口元に小さな微笑みを浮かべている。「貴女もやります。とても、強い」

 

「蒲公英だよ」

 

「……?」突然告げられた単語に焼戈は思わず首を傾げる。

 

「私の真名。あなたの強さに敬意を表して、この名前を預けるよ」

 

 武人同士の決闘において、実力を認めた相手に真名を預けるのは別段珍しい事ではない。どちらかが死ななければならない戦場で討ち果たした敵の名を覚えておくというのは、武芸者としての最上級の礼儀でもあり、同時に誇りでもあった。

 

「……ありがとうございます。では私も……雛菊です」彼女もまた同じく、自らの真名を相手に預ける。

 

「いい名前だね」

 

「そちらこそ」

 

 まるで古くからの親友であったかのように、乙女たちは互いに無邪気な笑みを浮かべる。が、それも一瞬の事。次の瞬間に言葉の代わりに武器を交わすのだと言わんばかりに、二人は改めて戦いを開始していた。

 

 馬岱が渾身の一撃を放てば、迷うことなく焼戈がそれを迎撃し、焼戈が必殺の攻撃を振るえば、馬岱がそれを見事にいなして反撃に転ずる。終わりの見えない命のやり取りはまるで寄せては返す波のようでもあり、永遠に終わらない演武のようでもあった。

 

 最後の会話から一体どれほどの数を打ち合ったのだろう。周りの人間でさえ数を忘れるほど激しい攻防を繰り広げていた二人の剣戟の音色が、ついに止まった。奏者を務めていた馬岱の身体は全身くまなく切り刻まれており、服はどちらの物とも知れない鮮血で真っ赤に染まっている。対する焼戈もまた、体中にかなりの切傷を作り、滴る鮮血で己の体を深紅に濡らしている。

 

 息を切らせながら両者は直観した――次の一合は、互いに全身全霊を込めたものになるだろうと。

 

 もし相手の一撃を防げなければ、自分には確実な死が待っているだろう。だが自分の攻撃を当てる事が出来れば、目の前に立ち塞がるこの強敵を討ち倒すことができる。彼女たちに迷いはなかった。

 

 ざり、っと馬岱が前へ進み出た。相棒たる十字槍の切っ先が、目の前に立ち塞がった女戦士に狙いを定める。

 

 同じく焼戈も薙刀を振りかぶった状態で構え、摺足で少しずつ確実に間合いを詰める。

 

 観客たちは息を呑む。次の一撃によってはどちらかが死なねばならない。

 

 決着まであと三歩……あと二歩……あと一歩……

 

 そしてついに運命の一合が繰り出されるだろうというその瞬間――

 

「そこまでだ!」

 

 突如、どちらのものでもない声が決闘の場に響き渡り、漂っていた空気を一変させた。

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 声の持ち主は他でもない餓何だった。静かに告げられた彼の一言は、息が詰まるほどの熱気に包まれた荒野の中で異常な冷たさを持っていた。

 

 決死の勝負に水を差された馬岱が顔を真っ赤にさせて激怒する。「は!? なんで止めんの!? まだやられてないじゃん! たんぽぽはまだ戦えるよ!!」興奮冷めやぬ彼女の視線は、場合によってはそのまま刃を餓何へと向けそうな程に鋭い敵意を含んでいた。

 

「……義兄上、私もまだ戦えます。どうか勝負の決着を付けさせて下さい」焼戈も同じく、募った餓何への不満を隠そうともしない。

 

 周りの空気も似たようなもので、戦士たちからは口々に「神聖な決闘を邪魔立てするか!」「最後まで決着をつけさせるべきだろう!」という怒号や罵声が次々に飛び交っている。中には馬岱同様、餓何へ刃を向けようとする者までいる始末だ。

 

 だが餓何は頑として譲らなかった。「もう十分だ。雛菊とここまでやり合える時点で、お前の戦士としての腕前は文句のつけようがない。それにお前たちはこれから戦に赴くんだぞ? 互いの勝負に拘って命を奪い合っては元も子もない。その力は馬謄殿を救うために取っておけ」

 

 とても納得できるような言い方では無かったが、彼の主張そのものはとても正しく理路整然としていた。反論する術がない以上、さしもの二人も引き下がらざるを得ない。

 

「……はぁ……分かったよ」怒りと興奮を溜息と共に追い出した馬岱が、ようやく武器を下ろした。顔には未だに不満が残っていたが、理由が理由なだけにそれ以上の反抗はしなかった。「勝負はお預けだね。でも次に戦う事があったら、今度は必ず決着を付けるから」

 

「……それはこちらも同じです。次の機会には必ず勝ちます」

 

 武器を下ろし和解の握手を交わすと、二人は広場の端へと引っ込んでいく。

 今度は餓何が広場の中央までやってくると、そのまま腰に佩いていた得物を引き抜き、切っ先をサルカンへ突きつけた。

 

「次はサルカン殿の番だ。念のために言っておくが、今の勝負を止めたからと言って手加減があるなどと思ってくれるなよ。真名を預けた相手と言えど、決闘の最中に手心を加えるような真似はしない。命が惜しければ、全力で向かって来る事だ」

 

 サルカンは頷いた。戦士の心得とは常にそういうものだった。人間としての心情と戦士としての畏怖や闘志が同居し、それらは決して矛盾しない。間違いなく餓何は本気で自分を殺しにかかるだろう。ならば自分も真剣に臨まなければならない。

 

 忠告の返答とばかりにサルカンも借り受けた剣を身構えた。腕にのしかかる鋼の重さは、己の命を預けるにふさわしい手応えだった。

 

 二人から戦いの気配が満ちたのを徹里吉が認めると、立会人として再び声を上げた。

 

「では――はじめよ!」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 サルカンが餓何と対峙するのはこれで二度目となるが、実際に戦うのはこれが初めてだった。彼は剣を低く構え、こちらの隙をじっと伺っている。油断のないその身のこなしは、どこか獲物に襲いかかる前の肉食獣に似ていた。

 

 サルカンはできるだけ隙を見せないように立ち回りながら、ゆっくりと相手との間合いを詰めた。大きく動くけばそれだけ相手に付け入る隙を与える。彼はあえてそれを避け、少しずつでも自分が有利な立ち位置を探る道を選択した。

 

 先ほど馬岱達が繰り広げたのが「動の戦い」ならば、こちらは差し詰め「静の戦い」だった。直接の打ち合いこそ未だ無いが、既に互いの脳内では幾つもの刃を交えていることだろう。もし一瞬でも相手に隙を見せれば、それは即座に致命傷へと繋がりかねない。

 

 始まりの合図から既に数分の時が経過した。試合を眺める馬岱の喉はいつしか緊張感と圧迫感でひりつき、何度も乾いた唾を飲み込む。周りの観客や立会人である徹里吉でさえ重苦しい空気に冷や汗をかき、じっと決闘を見つめていた。

 

 重苦しい空気のまま更に数分が経過した。よもやこのまま互いに動かず日が暮れてしまうのではないだろうかと人々が錯覚し始めた刹那――ついに勝負が動き出した。

 

 先に動いたのは餓何の方だった。彼は気合いの声と同時に体を前傾させると、這うような姿勢でサルカンへと接近し、渾身の突きを放つ。

 

 喉元めがけて猛然と襲いかかる刃を、サルカンは剣を振り払うことで防ぐと、後ろに下がって距離を取った。

 

 ――強い。奴の強さはさっきの娘と同じか、或いはそれ以上だ。

 

 時間にして秒にも満たない刹那、たった一度の攻防の中で、サルカンは餓何の戦士としての技量の高さを恐ろしいほどに実感していた。

 サルカンには餓何の突きが全く見えていなかった。彼は餓何の視線や攻撃に転じる前の僅かな体の動きから自分のどこを狙っているかを悟り、半ば本能に従うように剣を振り払ったに過ぎない。

もし今以上の早さで近づかれれば、次はとても防ぎ切れなないだろう。

 

 ――手段を選んでいる場合ではない。

 

 彼が背筋を凍らせる中、再び餓何が斬りかかった。今度は先ほどよりいくらか姿勢は高めではあったが、動きの早さは先ほどの倍以上に及んでいた。

 

 サルカンの判断は早かった。彼は持っていた剣を素早くその場に放すと、両手を龍の頭部へ変化させ、憤怒のような炎の塊を目の前の戦士に向かって吐き出した。

 

 《苦悩火》http://imgur.com/a/5QmCO

 

 突如現れた火炎の渦を防ぐ手立てはなく、餓何はそれを全身に浴びてよろめいた。彼は呻き声を上げながら何度も地面を転げ回ると、己に降りかかった火の粉を必死に消し去ろうと試みる。そしてそれらが完全に収まる頃には、サルカンの突きつけた剣が待っていた。

 

「勝負は俺の勝ちだな」彼は静かに宣言した。「ご満足いただけましたか。大王様」

 

 信じ難いものを目の当たりにしたと言わんばかりに徹里吉はしばらく言葉を失っていたが、やがて目の前で起こった結果を認めぬわけにもいかず、唸りながらも首を縦に振った。

 彼同様に周りの戦士たちも信じられないという風に互いに囁き合い、或いは茫然とその場を見つめている。

 

「今はなんだ?……俺は何をされたんだ?」当の本人である餓何も困惑した表情でサルカンを見つめた。そこには困惑以上に強い警戒心が露わになっていた。

 

 突き付けていた剣を下ろし、サルカンは言った。「なに。ちょっとした子供騙しのようなものだ。俺はお前ほど剣の腕前は持っていないのでな。勝つにはこの手しかなかった」彼が語ったのは決して真実では無かったが、紛れもない事実ではあった。彼に龍魔道士の呪文について細かに説明した所でかえって困惑するだけだ。「それよりすごいな、お前の剣は。その若さであの腕前ならば、頭目を任せられるのも納得だ」

 

「……あんたは、妖憑きなのか?」震える声で彼が尋ねた。「炎が見える前、あんたの手が一瞬、蛇のように変化するのが見えた。あれは一体……?」

 

「恐らく何かの気のせいだろう」質問に答えず、サルカンは言葉を続けた。「俺の手の動きが炎に紛れてそういう風に見えたのかもしれないな」

 

「はぐらかすな! お前は一体……!!」

 

「――彼はな、遠い異国から流れ着いた英雄じゃよ」

 

 突如聞こえた第三者の声音に、その場の全員が視線を移す。

 果たして観客たちをかき分けて現れたのは、天幕の前でサルカン達に声を掛けてきたあの老人だった。

 

「貴方は先程の……」

 

「うむ。また会うたな。旅人よ」陽気とすら思える気軽さで、老人が挨拶を返した。

 

 声の正体を知った餓何がひるんだように呟いた。「だ、大巫師様……」

 

 餓何と同じく、周りの観客たちも老人の姿を認めるや、次々と驚きと畏敬の声を上げる。彼らの態度や大巫師という役職から察するに、どうやら老人は羌の中でもかなりの地位を占めているようだった。

 

「大巫師殿。貴方は彼が何者か知っておられると言うのですか?」突如現れた老人に今度は徹里吉が尋ねた。大王である彼がそのような口調で接することからしても、やはり老人はただ者ではないらしい。

 

「この男はな、遥か彼方の異国からはるばるやって来たのだ。我らの知らぬ術を一つや二つ持っていたとしても、何ら不思議ではあるまいて」

 

「遥か彼方の地……それは西域ですかな?」

 

「まあ、そんなところじゃろうて」老人はどこかはぐらかすように言った。それはサルカンに対する彼なりの気遣いようにも感じられた。

 

 そうとも知らず、徹里吉は考えるように唸った。「ふむん。よもや西域にあのような術があるとは我も知らなんだ。まさか炎を吐き出すとは……まるで古くからの言い伝えに聞く龍のようだな」

 

「ほっほっほ。大王は面白い事を言うのぉ。ならば彼の事は“龍血の英雄”とでも名付けるがよかろう」

 

「龍血の英雄……なるほど。確かにそれは上手い名前かもしれませぬな」

 

 彼らが付けた名前にサルカンは思わず苦笑した。偶然にも彼らが示した肩書きは、サルカンの本質を実によく捉えていた。もし彼らが目の前のプレインズウォーカーの全てを知ったら、間違いなくその名を付けたことを誇るに違いない。

 

「大王様。我らはいずれもこの決闘にて己の実力を示しました。どうか我々二人を羌族の軍へとお迎えください」サルカンは言った。有無も言わさぬ強い声音だった。

 

 徹里吉が大きく首を振ると共に改めて二人に告げた。「――馬族の娘に龍血の英雄よ。其方ら見事、我らの前にその力を示した――認めよう。そなたらは間違いなく、我ら羌族と共に轡を並べるに相応しい人物だ」

 

 大王の厳粛な宣言とともに、周りの人間から盛大な拍手喝采が彼らに向かって贈られる。

 今この瞬間、二人は羌族の盟友として正式に迎え入れられたのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 すっかり日も落ち、空に月が姿を見せ始めた頃、二人はあてがわれた自分たちの天幕の中で遅めの夕食にありついていた。

 振る舞われた食事は他の戦士たちが口にしていた物に比べてどれも上質なものばかりで、どうやらそれは遠路遥々やって来た自分たちへの歓待の意味も込めてあるらしい。

 

「ねえおじさま。あれも別の世界で覚えたの?」

 

 よく焼けた子羊の肉にかぶり付きながら、馬岱が気になり顔で尋ねてきた。事情を知っているとはいえ、彼女がサルカンの魔術を目の当たりにするのは今回が初めての事だった。

 

 同じく羊肉の串焼きに齧りついていたサルカンは、それを馬乳酒で強引に胃の奥へ押し込むと頷いた。「あれは“龍魔術”と言う。龍の激情を呼び起こしたり、龍の息吹を模倣して炎を操る呪文だ。極めた者は体の一部や自身の姿を龍に変える事もできる。こんな風に」そして片方の手をドラゴンの頭に変化させると、そこから小さな火炎を吐き出して見せた。

 

「へえ……」興味津々と言った表情で彼女がサルカンの龍頭を見つめる。「練習すれば、たんぽぽも出来るようになるかな?」

 

 どう答えたものか、とサルカンは少々唸った。呪文の習得は訓練の仕方にもよるが、それ以上に本人の素養が大きく影響される。まして魔術が殆ど伝わっていない次元の人間がそれを扱えるようになるかどうかは、まさしく神のみぞ知ると言った所だろう。

 とは言え、少女が抱く儚い夢を潰してしまったとあってはそれこそ大人気が無いというものだ。

 

 ドラゴンとなった手を元に戻し、サルカンは肩を竦めた。「まあ……それは今後の訓練次第だろうな。どうしても知りたいというのなら、戦いが終わった後にでもやり方を教えてやる。それより傷の具合は大丈夫か?」

 

「うん。塗って貰った薬がよかったみたい。まだちょっと痛むけど、明日には跡もなく治るだろうって」全身に貼りつけられた湿布を見つめながら彼女が言う。独特な匂いを放つそれには、羌族の人々が調合した軟膏が塗られていた。「ところでさ、おじさまは本当に良かったの? おじさまは羌族も役人も関係ないんだよ? それなのに一緒に戦ってくれるなんて……」

 

「昼間も言ったが、俺は馬騰殿やあの街の人々、そしてお前から数え切れないほどの恩義を貰っている。お前や彼らが戦うというのなら、俺も一緒に戦おう」

 

 それは紛れもないサルカンの本心だった。もし彼らが窮地に差し掛かっているというのであれば、自分は喜んで手を差し伸べる覚悟だった。龍魔導士としての力が彼らの助けになるのならば尚更に。

 とは言え、自分一人の力で出来ることは多くない。確実に馬騰や隴西の人々を救うには、やはり羌族との連携が必要不可欠だった。

 だがそれは既に解決した。あとは羌族と隴西の人々のために龍の力を振るい、一人でも多くの敵を倒すだけだ。

 

 彼は食べ残していた食事の残骸を片づけると、天幕の隅でごろりと横になった。「明日からは彼ら一緒に戦の準備だ。忙しくなるぞ。お前も早くに休んでおけ」

 

 彼の忠告に頷いた馬岱も同じくさっさと残りの夕飯を平らげると、同じく横になって眠りにつく。

 

 そう、単純な話だ。

 戦って、敵を倒して、隴西の人々を助け出す。

 サルカンが求める事実はたったそれだけの事だった。

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 それからの数日は瞬く間に過ぎ去った。

 

 出撃の準備を整えるべく、サルカンと馬岱は野営地の中を雑務や話し合いでかけずり回った。その間、自分たちの所属する部隊や共に戦う仲間、そして戦場で指揮を執る将軍たちとの面通しや打ち合わせも忘れていない。

 どうやら二人とも餓何や焼戈と同じ部隊に配属されるらしく、顔を合わせた他の面々も、村から野営地まで共に駆け巡った者たちばかりだった。数日とは言え、共に寝食共にした仲間との結束ほど頼もしいものはない。

 二人は彼らとの連携やその戦術を少ない時間で限界まで頭に叩き込み、いつでも出撃できるように備える。彼らもまた馬岱やサルカンを喜んで迎え入れ、部隊の仲間として接してくれた。

 

 そしてついに、運命の日が訪れた。

 

 その日は雲一つない青空だった。吹き抜ける風も遠く運ばれてきた草花の匂いに包まれ、春先の心地よさを皆に恵んでいる。この上を飛べばさぞ心地が良いことだろう。例えそれが戦場へ赴く旅路だったとしても。

 サルカンと馬岱は餓何や焼戈と共に先頭の隊列に並んでいた。彼が跨っている飛龍も同じく、高まる気配に低い嘶きを上げ、今か今かと出撃の時を待っている。

 

 つと、隊列の前に徹里吉が姿を現した。

 ただそれだけの事だというのに、戦士たちの空気が一変した。大王自らの登場に皆が注目し、その一挙手一投足を目で追っている。

 

「戦士たちよ。我らは今まで多くのものを失ってきた」全員の意識が自分に集中しているのを確かめながら、彼はゆっくりと語り始めた。「幾人もの同胞を、安心して眠れる村や野営地を、家族にも等しい馬や羊を。何故か。それは漢人どもの卑劣な弾圧に抵抗しなかったからだ。奴らの理不尽に屈していたからだ」

 

 言葉はない。この場に居る誰もが王の言葉を無言で受け止め、己の心に刻み込むように聞き入っていた。

 

「このままではそう遠くない未来、我々は漢人どもによって滅ぼされるであろう。その運命を座して待つべきだろうか? 違う。ならば降伏と共に奴らの手下に成り下がり、温情による生存を期待するべきか? 違う。ではどうするべきか? 戦うのだ!」

 

 そこかしこで歓声が湧いた。吼え猛る声を上げ、戦士たちは次々と興奮の渦を広めていく。

 

「これより我らは盟友が待つ隴西へと赴き、彼らと戦う悪しき漢人どもを討滅する。それこそが羌族の選択だ。同胞を守るために剣を執る戦士たちの選択だ!!」そして彼は腰に差していた剣を勢いよく引き抜くと、それを高らかに天に掲げた。「羌族のために!!」

 

「羌族のために! 羌族のために!!」大王の宣言と同時に、戦士たちは次々と盛大な声を張り上げた。響き渡る雄々しき咆哮は大地と空気を震わせ、巨大な鬨の声となって平原の上を駆け抜ける。「羌族のために! 羌族のために!」

 

「いざ進め戦士たちよ! 隴西にて忌まわしき漢人どもを討ち滅ぼすのだ!」

 

 彼の言葉に応えるべく羌の戦士たちは次々と野営地を飛び出すと、見果てぬ平原の中を猛然とした勢いで突き進んでいく。

 

 やがてサルカンと馬岱も彼らに続いて馬を平原へと走らせた。かつて旅だったあの街へと戻り征くために。新たな家族を助け出す為に。

 

 《龍血の英雄、サルカン》http://imgur.com/a/A6oEE

 

 




※1 苦悩火/Banefire コンフラックス

※2 龍血の英雄、サルカン/Sarkhan, Hero of Dragon's Blood 外史戦記

 次回の更新は少し遅れそうです。

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