提督の我慢汁が多い件について   作:蚕豆かいこ

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ガールズ・フリート(ーク)

 気がつけば提督のことばかりを懸想(けそう)するようになっていたのは、いつのころからだったか。

 翔鶴にははっきりとしたきっかけは思い出せない。強いていうなら、それまでごく自然に言葉を交わし、艦の時代の記憶をもつじぶんに作戦や戦略について意見を(もと)められたときには素直に具申できていたのが、ある日、急にできなくなったことであろうか。

 遠くにいるときは提督から目が離せないのに、面と向かうと目が合わせられない。ただの他愛ない世間話でも、うっかり失言して提督の心証を損ねるのが恐ろしくて、まともに言葉が返せない。

 提督のそばにいると、胸のうちにどろりとした感情があふれて、しめつけられるように苦しい。そのうち翔鶴は提督と顔をあわせるのもつらくなった。なのに、提督に声をかけられると、たとえそれが事務的なものであっても胸が高鳴った。あしたも提督と会えると考えただけで、翔鶴の心は弾んだ。朝陽が毎日待ち遠しかった。

 はじめて経験する、その矛盾する気持ちにさいなまれる日々がつづくなか、翔鶴はおもいきって、ある日、手製の弁当片手に作戦計画のため首席後方補給官付後方補給室に缶詰になっている提督のもとへ足を運んだ。

 書類の摩天楼に埋もれている提督は、まず驚いて、

「きみがつくったのかね?」

「はい……お口にあうかどうかはわかりませんが……」

 感心したように息を吐いた。

「せっかくだからいただこう。ここで食べても?」

 なんとか顎をひいて承引すると、提督は手を合わせてから箸をつけた。

 簡単なものだったが、提督は顔をほころばせて、

「たいしたもんだなぁ」

 といった。提督が日常的に口にしている缶飯やパック飯は少量で栄養素をおぎなうために味が濃い。連食していると舌が痺れてくる。優しく味つけしたつもりの弁当は提督に好評のようだった。

「もし、提督さえよければ」

 翔鶴は勇をふりしぼった。息が苦しい。翔鶴は必死に心を鎮めた。

「わたしが上陸しているときは、お昼をお持ちしますけれど……」

 駆逐艦や潜水艦にくらべれば、空母である翔鶴はさほどではないが、艦娘は出撃や演習で海に出ていることが多い。人間でいう非番のことを鎮守府では上陸と通称していた。

「せっかくの休みをわたしの弁当づくりで潰すのかね」

 予想していたとおりの反応だったので、平静をよそおったまま、

「もし艦娘としてお役御免になったあとのために、せめて料理くらいはできたほうがいいと思いまして」

 とすかさず返すことができた。

「練習台か。きみみたいな器量よしに手料理をふるまってもらえるなどわたしは果報者だな。わたしとしてもありがたい。よろしくお願いする」

 ただし無理に作ることはない。任務と休養を優先するように、と提督は結んだ。ひゅーひゅーと部下らがからかう。

 後方補給室を後にした翔鶴は、扉に背をあずけたまま、胸の奥で暴れるような動悸の激しさにしばらく耐えかねていた。顔が燃えるように熱い。きっと耳まで赤く染まっているだろう。けれども、当座の目的が達成できたことで、自室へ帰る足はじぶんでも驚くほど軽くなっていた。

 本館をでたとき、けさから下腹に居座っていた重苦しさが不意に弛緩して、ぬるりと滑り落ちてくる感覚に変わった。おもわず立ち止まって、腿の内側をぴったり合わせ、素早く日数をかぞえ、勘定があわないなどと当惑しながら、だれかいないかと見回した。あたりに人間も艦娘もいないことに落胆と安堵の両方があったが、ともかく、不意討ちのように導火線に火のついたこの足のあいだの爆弾をどうにかせねばならない。

 しかたなく、腿を合わせたまま、すり足でそろりそろりと歩きはじめた。まるでいまにも溢れそうな水甕(みずがめ)でもかかえているように気をつけながら、どうにかして自室までたどりつかなければいけない。

 そのようすを建物の陰から顔半分だけだして伺っている女がいた。妹の瑞鶴である。

「なんかここだけ切り取ったら、艦娘は発情すると自動的に排卵がはじまるみたいな勘違いをされそうだよね」

「瑞鶴!……いつからそこに」

「ただの通りすがりだよ」

「通りすがりなのに一部始終をすべて知っているような台詞……」

「『ハムレット』のホレイショも自分が生まれる前の戦争に出陣した前王の格好を知ってたからつじつまなんて合わせなくてもいいんだよ」

 ところでと瑞鶴が内股で耐え続ける姉を気遣い、みずからの緋袴ふうのスカートのなかをゴソゴソとまさぐる。

「こんなこともあろうかとお月さま用品を持ち歩いてるんだけど、翔鶴姉、使って」

「お月さまとかいう、いい年して女子会とか言っちゃうような痛々しい表現がなんだかトサカにくるけれど、ありがとう」

 翔鶴には瑞鶴が救世主にみえた。緑髪や黄金色の瞳、透き通るような白い肌、真珠色の歯が健やかな太陽の祝福を受けてよりいっそう輝いているかのようだ。ほっそりした腕がいまの翔鶴にとって金剛石よりも価値のある宝物を差し出してくる。妹の手に乗っていたのは、白いプラスチックの円筒。内部にはやはり円筒形の綿が納められている。受け取ろうとした翔鶴の手が雷(いかづちじゃないわ)に打たれたように停止した。

 衝撃を受け、それを悟られまいと表情筋を制御する葛藤に翔鶴の美貌が揺らぎ、やがて世界の不条理にひとり立ち向かう苦悩を浮かべる。桜色の唇が震えながらやっとのことでことばを紡ぐ。

「ごめんなさい。わたし、タンポンじゃなくてナプキン派なの」

「えっ」

 

  ◇

 

 生理用品はナプキンかタンポンか、提督の留守にしている執務室で瑞鶴による緊急会合がもたれた。

「単刀直入に訊きます。女の子の日にナプキンを使っているというひとは手を挙げて」

 瑞鶴の問いに翔鶴、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、朧、秋雲、嵐、敷波、綾波、瑞穂、コマンダン・テストほか、大多数が挙手で応じる。

「じゃあ、タンポンを使っているひと」

 手が挙がったのはわずかに瑞鶴と朝霜だけだった。

「なんでよ! タンポン便利じゃん!」

「そーだそーだ、ナプキンとちがってかぶれないんだぜ! まるで生理中じゃねーみてーだ」

 朝霜が夕雲型姉妹唯一のタンポン派として力説するが、長姉の夕雲はニコニコ顔で受け流し、巻雲はメガネの奥の瞳に冷笑を浮かべ、長波はあぐらをかいて頬杖をついて、といずれも反応は芳しくない。長波が答える。

「だってよー、モノを股に挿れたまんまってのは、なんか抵抗あるよなぁ?」

「いっぺん使ってみろって! なんにも感じねーから!」

「いやでもさぁ、タンポンだけってなんか不安じゃないかー? もしタンポンから染み出したら下着やらスカートやら汚れるんだぜ。あたしならナプキンもいっしょに使わないと心配になる」

「それなら、最初からナプキンだけでいいということになりますね」

 加賀が引き取って長波が賛意を示した。

「それにここけっこう分別厳しいから、アプリケーターの処分に困っちゃうんだよねぇ」

「抜くときに手に血とかオリモノついちゃうことだってあるし」

 飛龍と蒼龍が互いにうなずきあう。

「あと、紐がいばり(尿)で濡れることもあるんですよね」

 赤城が切実なデメリットを出した。タンポンを挿入する膣口のすぐ上に尿道がある。用を足すとタンポンを抜くための紐にかかることもなくはない。

「タンポンってなんだか恥ずかしいもんねぇ」

「なんだか痛そうです」

 敷波と綾波も難色を示す。

「トキシックショック症候群……というものも懸念材料として挙げられるかと」

 早霜がぽつりとこぼすとナプキン派の全員が「あー」と同意する。

「ねーねー朝霜」

「んだよ清霜」

「せーりって、なぁに?」

 全員の顔が清霜へ電光の速度で向けられる。ひときわ小さい体ながら制服をかっちりと着こんだ清霜があどけない顔に純粋な疑問を浮かべて首を傾げていた。

 武蔵が壮重な表情で足柄にうなずき、大淀や霞たちと目線を交わす。ここで「生理っていうのは、大人になるための第一歩なんだ。タンポンを使えば戦艦になれるよ」と頑是ない清霜を籠絡するのはたやすいことだったが、瑞鶴にも朝霜にもそれはできなかった。代償になにかすさまじく大きなものを失いそうだったからだ。「もう少し経てばおまえにもわかる日がくるよ」武蔵が清霜の頭をわしゃわしゃとかき回すように撫でる。「ほんと?」「ああ、ほんとうだ」「武蔵さんみたいな戦艦になれる?」「わたし以上の存在になれるとも。そのためにもまずは食って大きくならねばな。いっしょに間宮へ行こう、好きなものを食わせてやる」「やったー!」武蔵と清霜が退場していった。一同が安堵のため息をつく。

「フランスではどうなの? やっぱりナプキンが主流?」

 気を取り直して瑞鶴がコマンダン・テストに尋ねた。豊かな金髪にトリコロールのメッシュを入れているフランスの水上機母艦は、ミルクのような頬に指をあてて、

「いいえ。タンポン派が大多数かと思います、わたくしもそうでしたし」

 片言でいくらか詰まりながら答えた。可愛い。むかしむかしオッサン連中がアグネス・チャンを持て囃していた理由がなんとなくわかる艦娘たちであった。

「え? でした? いまはちがうの?」

 瑞鶴にコマンダン・テストはアイスブルーの瞳を輝かせた。

「はい。日本のナプキンはとてもとても素晴らしいです。ちゃんと吸ってくれるのですから!」

「なにそのキー回して一発で車のエンジンがかかったら驚かれるみたいなリアクションは」

「まず、どのナプキンも個包装ですよね、これがまずすごいことです。ハネがついているタイプでもテープを一回はがしただけで使えてゴミも少ないですし、基本的にギャザーがあるので安心して寝られます。とにかく全体が天使の羽根のようにやさしくフィットして包み込んでくれますから、座った状態から立ったりしても、走っても、しゃがんでも、漏れる心配がないのです。いきなりドバッと出ても砂漠に水を垂らしたみたいにすぐ吸収してくれますし、こんなに女性のことが隅々まで考えられたナプキンはフランスにはありません。日本のナプキンを使ったらもう戻れなくなります」

「だいたいそれは海外の艦娘はみんな言うわね……」

 米空母サラトガが日本にきてはじめての買い物もナプキンだった。使ってみた感想は「これはステイツも輸入するべきですね、サイズさえアメリカンに合わせれば」だそうである。

「フランスの場合、タンポンが主流ですから、さほどナプキンには力を入れていないのかもしれませんが」

「でもいまはナプキンに」

「母国で日本とおなじくらい使い心地のいいナプキンが手頃な価格で並んでいれば、わたくしも最初からナプキン族になっていたでしょう」

 黙って聞いていた嵐がこわごわ手を挙げた。いつもは勝ち気な彼女だがめずらしくしおらしい。朝霜が促す。

「タンポンってさ、入れるときとか、痛かったりしないのか?」

「いやぜんぜん」

「だってその……俺、まだそういうのしたことないし……」

「そういうのってどういうのだよ? 連体詞じゃわかんねーからハッキリ言ってくれ」

「その……セ……セ……」

「なに? セパタクロウ? あたい砲声で耳が遠くなってんだよ、もっとはっきり、最初から最後まで、一語一語を力強く堂々と発音してくれよ。おまえの口から聞きたい! ほかのだれでもないおまえの口から!」

 嵐は深紅の髪とおなじくらい顔を真っ赤にして両手でおおって沈黙した。頭から湯気が出ているのが幻視できる。

「嵐、処女でもタンポンは使えるしちゃんと使い方間違えなきゃ痛くないから安心して」

 瑞鶴に嵐がズビビと鼻水を啜った。

 朝霜がなにかに気づく。

「ちょっと待てよ、こんなかで、いっぺんもタンポンを使ったことないってヤツ手ぇ挙げてくれ」

 コマンダン・テストや大淀、空母組を除く全員の手が掲げられた。

「使い方を知ってるってひとは下げてくれ」

 だれもが下げなかった。つまりこういうことである。艦娘は工廠で建造され、鎮守府内で育てられるため、一般教養などの教育のみならず日常生活におけるしつけにおいても文部科学省の方針がそのまま流用されているわけである。日本では古来より生理の経血は真綿の入った紙なり絹なりをナプキンのように用いて対処しており、いっぽうで膣内に詰め物をするのは避妊処置であったという歴史的背景がある。日本ではタンポンは生理用品より避妊具としてのイメージが強いらしい。よって人間が通う学校の授業同様に鎮守府でも生理用品の使用法を学ぶ階梯においてはナプキンのみを取りあげる。それで彼女たちはことさら興味をもつ者以外、タンポンの使い方をそもそも知らないのだ。

「でも、紀元前3000年のエジプトのミイラの膣からタンポンが発見されたっていうし、ナプキンよりは歴史は長いよ」

 瑞鶴がいうとコマンダン・テストが彫像のような顎をひく。

「ヨーロッパでは長らく下着をつける習慣がありませんでしたので、ナプキンよりタンポンのほうが適していたという事情はありますね」

 世界ではじめて生理用の使い捨てナプキンを販売したのはアメリカで、1921年のことだった。その端緒は第一次世界大戦の従軍看護婦らが、包帯の繊維が生理時の当て布に好適であると発見したことによるという。他方、商品としてのタンポンは諸説あるものの1933年にやはりアメリカが発売している。余談だが現代において広く普及しているゴム製のコンドームが市販されるようになったのは1840年ごろであるとされている。資料により年代はやや前後しているが、工業製品としてはナプキンやタンポンよりもコンドームのほうが世に出るのが早かったのはたしかであるようだ。が、余談であった。

「よし、じゃああたいと瑞鶴さんがタンポンの使い方を教えてしんぜよーじゃねーか!」

 朝霜が腕捲りをした。一同、拍手などしてみたりして、俄然、興味津々である。

「はい、ではみなさん、まずはタンポンの個包装を切ります。すると、こんなプラスチックの筒が入ってます。これをアプリケーターといいます。アプリケーターのなかに、吸収体という綿のかたまりが収納されています。まずアプリケーターの先端を膣の入り口に当てます」

 朝霜が親指と人差し指で象った円環に瑞鶴が説明しながらアプリケーターをあてがう。

「で、たいていのタンポンは、アプリケーターの、あー、なんていえばいいのかな、魚雷でいう安定翼とかがある部分がギザギザになってるのね、これ、この部分ね、それを親指と中指でつまんで、膣に挿入するわけ。で、指が膣にあたるまで挿しこんだら、アプリケーターの尻尾の部分を人差し指でぐっと押すのよ。注射器みたいなイメージで」

 膣口のモデルとなっている朝霜の指の環を抜けたアプリケーターの先から、エイリアンの第二の顎よろしく吸収体が押し出されてきて掌に乗る。ほうほう、と翔鶴も感心しきりで講義を受ける。

「中身を入れたら、アプリケーターを抜きます。紐がちゃんと外に出てるのを確認します。これで終わり。入り口付近だとやたら違和感あるけど、そこを過ぎてしっかり奥まで入るとなにも感じないよ。ほんと、なにかを入れてるってことを忘れるくらい」

 おー、と感嘆の声があがる。

「注意点としては、タンポンにはいろいろサイズがあって、血を吸うと膨らむから、多い日とかふつうの日とか、月経量によって合うものを選ばなければならないのね」

「まあ、それはナプキンもおなじだから、たいしたデメリットではないな」

 長波がうなずく。 

「ナプキンはお尻全体を密閉するようにおおうわけだから、どうしてもムレやかぶれが心配になるわけだけれど、タンポンは、そもそもナカから出てくるまえに吸収しちゃうから、痒みとかの不快感もまったくなし。しかも動きやすい。そして、これがいちばん大切なんだけど」

 瑞鶴がもったいぶって人差し指をたてる。皆の関心が集中する。

「これを入れたまま、お風呂に浸かれるの」

 な、なんだってー! 艦娘たちにとってこれはなかなかに重要な意味をもつ。

 戦闘で負傷した艦娘は、艤装部分は工廠に回し、自身はドックへと入る。ドックには細胞分裂を活性化させる薬効のある適温の湯が湛えられており、彼女たちはここで傷が癒えるまで入渠するのである(なお人間には効果覿面すぎて、指一本でもこの薬湯に触れたなら細胞が異常増殖し、最後には全身ががんのかたまりになってしまうことから、原液である高速修復材の投入は全自動であり、ドックの清掃は艦娘の当番制となっている。なお散布はBC兵器に関する条約で禁止されている)。傍目にはさながら入浴にみえて、実際そのとおりと断言して差し支えないので、入渠をお風呂と呼び換える艦娘も多い。ここで艦娘が女性の肉体を細部にいたるまで模倣しているために問題が起きる。

 ちょうど入渠と生理が重なった場合はどうするか。

 鎮守府には生理休暇もあるが、作戦が予定より長引いてしまったり、ストレスによる生理不順で日がずれたりすることもままあるわけで、つまり月経を押して戦い、被弾してドック入りという事態は艦娘なら一度や二度は経験があるのが実情だった。さて、入渠に用いるのは治癒効果があるとはいえ湯である。生理中であればもしこんなときにかぎってドバッと出てきたらいかにするかと気が気でない。だから入渠が一瞬に短縮できる高速修復材はありがたいが、いつも使えるともかぎらない。とくに戦艦や空母は軽傷であっても入渠時間が数時間におよぶ。ナプキンはなにしろ経血を吸収するために生まれてきたものであるから水分をよく吸う。ナプキンを着けたまま風呂に入ればたちまち限界まで湯を吸い込んで、かんじんの経血は吸収できないということになるのは目に見えている。よってなにも着けず浴場や湯船の湯が汚れないようびくびくしながらの入渠となるのだ。

「ところが、タンポンなら、それを気にしなくてもいいの」

「ほんとうですか瑞鶴さん!」

 赤城がたちあがり、「まさか……そんなものを見過ごしていたなんて……」と加賀が頭をかかえる。

「おなじ理由で海にも入れるから、潜水艦の連中はみんなタンポンらしいぜ」

 朝霜がつけくわえた。伊19はともかく、ろーちゃんや、まるゆまでがタンポンを……おのおのが想像力をたくましく働かせる。

「ナプキンはパンツがないと使えないけれど、タンポンならその心配もいらないの。生理中でも好きな下着が着けられるんだよ」

 布教する瑞鶴になるほどと艦娘たちがうなずくなか、翔鶴が小首を傾げる。

「でも、下着うんぬんはあまり関係ないんじゃないかしら」

「なんで?」

「だって、わたしたち、作戦中はオムツ穿いてるじゃない」

 

  ◇

 

 艦娘はさきの大戦における軍艦の魂が物質世界に干渉するために人間の肉体を器としてインストールされた存在である。なべて女性の性別を選んだのは、動物の起源は雌であり、雌こそが動物のあるべき姿だからである。人間も母胎での発生初期時はすべて女性だが、なにかしらのまちがいで精巣がつくられると、男性ホルモンが多量に分泌され、女陰が閉じられ、男として急遽、肉体の大改造がおこなわれる。男の陰嚢、すなわち金玉袋には稚拙な縫い跡のような筋があるが、これはもともと膣口だった名残である。男も最初は女だったのだ。それで艦娘は動物のもともとの性別である女として生まれてくるのである。

 で、男とか女とか以前に、動物の一種である人間の形態をとっているのであるから、代謝や生態もそれに準ずることになる。つまり、食物を摂取し、ウンコを出すのである。

 こればかりは艦娘がインターフェイスとして人間の器を用いている以上どうしようもない。いにしえの時代より軍隊を編成して戦争するにあたって用兵側は食糧の調達とおなじくらい便の始末に頭を悩ませてきた。いかにして組織的にウンコさせるか、これを解決しないと戦うまえに疫病で全滅してしまうからである。

 おなじ問題は艦娘にも立ちはだかった。艦娘は長大な航続力をもつが、作戦によっては近海だけでなく東南アジアや赤道を越えた南方、果てはアフリカ近傍まで足をのばすことになる。ゆえに原則として海上自衛隊の護衛艦や航空自衛隊の輸送機で輸送し、そこから艦娘を出撃させるという手段をとるのだ。しかし、制海権を奪取していない海域に殴り込みをかけなければならないといったような作戦では、護衛艦が進入できないため、はるか遠方にある攻撃目標へ艦娘が自力で航行していく必要に迫られることもある。往復で数日や数週間かかるとなると、しっかり食べなければ戦闘に支障をきたすし、食べれば出る。この場合ウンコをどうすればよいのか。

 オムツを穿けばいい。人間も、宇宙飛行士や長距離フェリーが目的の戦闘機パイロットなど、長時間トイレに行けない任務に就くときはオムツを着用している。航行しながら陣形も崩さず用を足せるのだから艦娘にとっても合理的である。ウンコをしたらさっさと脱いで海に投棄できるように生分解性の素材のみを用いたオムツが海自によって制式採用されている。このとき忘れてはならないのは、波の荒い外洋を時速60kmという高速でスケートしながらすみやかにオムツを脱ぎ捨て、汚れたお尻を海で洗い、新しいオムツに穿き替える、その流れるような動作を息をするように円滑におこなう艦娘の練度である。艦娘が艦娘として教練を受ける段になってはじめて教わるのは火砲のあつかいかたでも深海棲艦との戦いかたでもなく、オムツの迅速な交換方法なのだ。いかに重要な技能であるか、それで知れる。

 オムツが便利であることから作戦中のみならず日常生活でも着用する者が出るのも無理はない。ウォースパイトは鎮守府にいるときも、いちいちトイレにたつのがわずらわしいという理由からオムツを常用している。ビスマルクやプリンツ・オイゲンたちドイツ艦は、オムツを装着すること、またはオムツを酒保に買いにいくことを「オムツァー・フォー」と呼びならわすまでになった。ナプキン同様に日本のオムツは肌触りが格別らしい。

 さらに先鋭化した思想の持ち主は、オムツもパンツも穿かず、そのまま垂れ流しでいいのではないかと主張しはじめた。利根である。

「垂れ流しにしてしもうても、ほれ、我輩たちの足下は、巨大な水洗便所のようなものではないか」

 これに少なくない艦娘がたなごころを打ったため、まず提督に提案され、提督は正式な書面にしたためて市谷の防衛省に決定を仰いだ。キャリア官僚らが額を突き合わせての議論は連日紛糾し、ついには、公序良俗に反しない範囲内であれば、下着ならびにオムツの着用のいかんについては個々の艦娘または指揮艦の裁量に委ねるとの満額回答を得たのだった。なお利根はこれを受けて第二改装時に下半身が生まれたままの姿の艤装を工廠に提言したという。

 余談だが、建造されたばかりの艦娘は、赤子のようなもので、つまりトイレのしつけができていない。彼女たちにトイレを教え、身につくまではオムツを穿かせ、汚れたら交換する仕事は、いやしくも提督の末席につく者であればだれしも経験した通過儀礼であろう。艦娘たちがセクハラに明け暮れる提督に頭があがらないのはこういう理由による。また、駆逐艦は少女の姿をしているが、戦艦や空母は建造時点から成人女性の外見をとる。提督はそういった艦娘たちにも分け隔てなく下の世話をするわけだ。が、余談だった。

 翔鶴が苦笑いする。

「どうせオムツを穿くのだから、オムツみたいなナプキンを穿くこともあるわ。だから、やっぱりわたしはタンポンは……」

「タンポン挿してクソとションベンは垂れ流しでいーんじゃねーか?」

「経血も排泄物も受け止めてくれるオムツがいいな」 

「ところで飛龍は生理痛は重いほう? 軽いほう?」

「おもいっきり腰にくるタイプなんだよね~、痛ったいわ~」

 そこへ、である。

 後方補給室の打ち合わせから戻った提督が執務室に回っていた。廊下で雪風に会う。小動物のような印象の駆逐艦娘に提督が手に持っている雑誌を掲げてみせる。

「ちょうどきみの部屋に寄ろうとしていた。先日借りた『上海天国』を返そうと思って」

「わあ、わざわざありがとうございます! どうでした」

「聞きしに勝るな。さすがに本国で発禁のうえ焚書の憂き目にあった稀覯本だ。思わず『地球の緑の丘』の表紙みたいな顔になってしまった。あ、思い出しただけで鼻血が……」

「そーですかぁ、それはよかったです」受け取った雪風がペラペラとめくる。「あれっ、この頁、開かない!」

「恥ずかしがり屋とみえる。そっとしておいてやれ」

「…………」

「すまなかった。できうるかぎりの埋め合わせはしよう」

「わあい! しれぇ、約束ですよ」

 じゃ、雪風はこれで、と別れて執務室に入る。艦娘で溢れかえらんばかりだ。

「お邪魔しております」

「クーデターの計画でも練っているのか」

 応じる提督がやけに首を反らせていることに翔鶴が気づく。

「どうかされましたか」

「鼻血だ。出血とはいかなる場合であれおおごとであるはずだが、鼻から出るとなるととたんに間抜けに見えるのはなぜだろうな」

 提督の視界に、テーブルに置かれたタンポンの吸収体が入る。

「おお、ちょうどいいときにちょうどよさそうなものが」

 ひょいとタンポンをつまむ。艦娘たちが一気に青ざめる。

「だめです提督、それはぁぁぁぁぁ」

 止める間もなく吸収体が提督の右の鼻に挿しこまれていく。

「これは、まるで鼻血の止血用につくられたように、長さも太さもぴったりだ。鼻栓かなにかかね」

「提督、すぐに抜いてください」

「鼻血が出たときは、止血のティッシュなり脱脂綿なりは、あまり交換しないほうがよいのだ。出し入れするとそのぶん粘膜が傷つくからな」

「バカヤロー、司令、それはただの脱脂綿なんかじゃねー、さっさと出しやがれ!」

 朝霜に怒鳴られて、提督は胡乱げながらようやく紐を引っ張った。刹那、提督の顔色がさっと変わった。

「む、抜けない」

 けっきょく提督の鼻からタンポンを摘出するのに実に6時間を要した。しかし、かえってその吸収性が鎮守府に広く認知され、艦娘たちのあいだでタンポンは一定の市民権を得ることに成功したという。


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