西住家の少年   作:カミカゼバロン

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 多分過去最長となりました。


少女、心境を吐露する

 日もとっぷり暮れた夜の大洗。九州周りを航行している黒森峰女学園の方が、緯度経度の関係で日が長い筈であるが、同じ国内では言うほど大きな差異があるわけでもない。恐らくあちらも既に日が沈んでいるだろうと思うと、ガレージで残業中だったという友人には頭が下がる思いの武部沙織である。

 彼女の方も日が暮れるまで戦車道の練習に勤しんでいたのだが、既に自宅のベッドの上に寝転んでの、部屋着にメガネの寛ぎモードだ。外ではコンタクトレンズ装備の彼女であるが、自宅ではやはりメガネの方が楽なのである。

 そして、ベッドにうつ伏せに寝そべりながらスマホを手にして会話に参加している沙織の思惑通り、或いはそれ以上と言っていいほど、エリカと優花里の会話は盛り上がっていた。

 

『ははあ。それは構造ではなく所属の差ですね。主に砲兵科、つまり歩兵部隊が保有する戦闘車両だから突撃砲です。逆に、主に戦車部隊が保有する前提で作られていれば、呼称は駆逐戦車になります』

『同じような運用なんだから、統一したほうが楽なんじゃないの?』

『そこは兵科間の縄張り争いみたいなものがあったようでして。理屈じゃあない部分ですね』

『はぁー……なるほど、道理で構造や運用からは、差が見えないわけだわ』

 

 当初のどもった『ごきげんよう』という発言と、戦車喫茶にてみほに対して攻撃的な態度を隠そうともしなかったエリカの存在。或いはその合わせ技による印象のギャップに優花里が困惑したのは最初だけだった。

 どちらかといえば引っ込み思案な性質ではあるが、妙な所で踏み込みと思い切りが良いのが秋山優花里である。特に戦車の話題となるとペットボトルロケットのような初速で飛び込む、いわゆる『オタク気質』の少女だ。

 沙織が会話をスムーズにするためにも三号突撃砲の話題を振ったらノリノリで語りだし、共通の話題がある事に安堵してエリカがその語りに質問や補足を行えば、優花里の方も“話せる”相手に勢いづく正のループとなっている。

 

 大洗女子の戦車道チームは知っての通りの寄せ集めであり、興味を持ってこれから学ぼうという子は多いながらも、ディープなところまで戦車について語れる相手が少ないのである。その辺で若干餓えていたオタク(優花里)、水を得た魚というか生肉を投げ込まれたピラニアの如き語りっぷりであった。

 沙織の方も優花里の不完全燃焼を薄々感じていて、エリカと引き合わせたというのもある。この辺り、大洗のオカンとでもいうべき気遣い屋気質なのが武部沙織だ。

 

『同じ国なんだから、もう少し協調とか統一とか出来ないのかしら……』

『えーと、黒森峰がどういう感じかは分かりませんけど、ソフトボール部とサッカー部でグラウンドの使用権とかで揉めることとかありませんか? ソフトボール部が戦車隊、サッカー部が砲兵科、グラウンドの使用権が車両の使用権と考えてみてはどうでしょう』

『あー! そういう考え方なのね。確かに同じ所属だからこそ、そういう取り合い、縄張り争いが起きるわけか』

 

 そして本題である突撃砲と駆逐戦車の差についても、さほど悩まず正しい答えを出して適切な例えまで用意できる優花里の知識量には、名門の副隊長も舌を巻くほど。

 戦車道に関連する部分のみならず、戦車周りの歴史や各国事情などまで網羅している点において、知識量ではエリカよりも優花里の方に一日の長があるようだ。

 かつては怒鳴りあった相手からの心底感心した声に、優花里(オタク)も少し得意げである。

 

 ちなみにそれらの縄張り争いの例としては、エリカが好きな車両として挙げており、優花里の家族写真にも写っていた自走臼砲―――シュトゥルムティーガーも関係車両だ。

 海軍の爆雷投射器を改良した38cmロケット臼砲をティーガーの車体に載せたというのが、件のシュトゥルムティーガーである。それ故に当初は海軍が砲の自走化をしようとしていたところで、陸軍が権利を主張して管轄権を奪い取ったという経緯がある。

 陸軍の車両に海軍の砲を載せた場合、これはどちらの兵器なのか。その辺りの正当性が当時どちらにあったのかまでは分からないが、『仲良く使いましょう』という公園遊具のようにはいかなかったということだけは間違いないだろう。

 

「あー、わかるわかる! どれだけ色を塗ったら勝ちかみたいな?」

『武部さん、それナワバリバトル。それでナワバリ争いの勝敗決めるのはイカだけだから』

 

 一方、みほと出会うまでは戦車道や戦車に関わるなど想像もしていなかった沙織の知識量は、まぁこんなもんである。全国大会優勝を目指している以上、戦車道の授業も実技偏重だ。知識面に関しては、戦車の歴史・逸話やそれ周りの軍事面に関しても全般的に疎い。

 この両者(エリカと優花里)を引き合わせたのは自分であるという責任感と、楽しそうに話すものだから会話に混ざりたい気持ちと、黙りこくっていたらエリカと優花里が自分に気を遣わないかという気遣いをブレンドして参加した沙織の発言は、イカがペンキを塗りまくるゲームの知識によるものだった。Splatoonという対戦型TPSであり、軍事要素は欠片もない。

 

 否、スプラトゥーン世界を紐解くと、タコとイカの歴史において『アタリメ司令』『タコワサ将軍』という人(?)物やら、『戦略タコツボ兵器』やらの単語が出てくるので、欠片もないというのは早計かもしれない。

 ちなみに戦略タコツボ兵器は、コンセントが抜けるというアクシデントで機能を停止するブツだったという。いったいどういう兵器でどういう構造で、タコツボのどこにどうコンセントが必要だったのか。挙句、タコを捕獲するためのタコツボかと思いきや、使用したのはタコの陣営で、追い込まれたのはイカの陣営である。何がどうなっているのか、疑問は尽きない。

 塗って塗られて、最終的にはマップをより自分のチームのペンキで塗ったほうが勝つTPSゲーム。多分、まだ大洗の戦車道チームに加入していないアリクイさんチームがこの場に居れば、色々語ってくれただろう。或いはローラー(近接武器)による効率的なリスキルとかしてきそうでもある。

 

 しかし現状の会話参加者にそれらのヘビーゲーマーはおらず、発言者(沙織)以外は優花里とエリカだけである。そのため、専門用語が飛び交う会話の中で分かる単語だけに無理やり反応し、しかもその理解が微妙にズレている言動になった沙織であった。上司が振ってきた興味のない趣味の話題に、無理に反応を返した部下みたいな奴だ。きっと気まずい沈黙の中で仕事に戻るのだろう。

 

『イカが……色塗りで? そういう生態のイカも居るんですね』

『ゲームでだけね』

 

 なお、上司と部下ではなく友人同士の会話であり、会話は続行。ズレた相槌にズレた反応が帰ってきて、話題の方向ベクトルがかなり捩じ曲がりつつあったのを、エリカが強引に補正する。

 補正された沙織が、フンフンと鼻を鳴らしてわざとらしく拗ねてみせた。とはいえ別に気を悪くしたわけでもなく、沙織としては友人同士の仲が取り持てた事にニコニコ顔だ。

 

「だって~ぇ、逸見さんとゆかりんだけでトントン拍子に会話進んでるんだもん。引き合わせたの私なのに~ぃ」

『私が気まずいからやめてって言ってたのを無理やりね!』

「会わせてみたら結構話せそうだって私はわかってたのに、逸見さんが無駄な抵抗するんだもん」

『無駄じゃないわ。アレはきっと必要だったのよ』

「そんな物を捨てられない人みたいな」

『あー、居る居る。―――お母さん、それ捨てないで! どこかで使うかもしれないから!』

「クッキーの空き缶なんて何に使うのよ!」

『何かに使うかもしれないじゃない! ―――あははっ』

「ふふふっ」

 

 自分たちで始めた小芝居に、笑い声をあげる沙織とエリカ。唇を尖らせた沙織が、そのままの流れで笑いながら文句を言い始める。

 

「ちょっと逸見さん? なんで私が自然にお母さん役なのよ、もー」

『ゴメンゴメン。なんか武部さんって、前に主張してたような嫁力よりも、母力の方を感じちゃって……』

「えー、なにそれー!? こないだとか戦車道の練習中に、1年の子が私の事を呼ぶ時に『お母さん』って言いかけたんだけどー!?」

『あら、大洗に血の繋がらない妹が居たなんて』

「まださっきの小芝居の設定引っ張るのー!?」

 

 字面だけでは互いを非難する言い合いめいたやり取りではあるが、戦車喫茶の時に比べると空気は雲泥。互いの声には笑いが混ざり、気軽に冗談を飛ばし合っているだけである。

 両者の打ち解けたやり取りは、エリカがヘリを操縦して麻子と沙織を送り届けた日以降に積み上げられた交友に由来するものであるが、沙織としては『隠すものではないが、わざわざ吹聴するものではない』と考えていたため、大洗の面々には伝わっていなかった関係だ。

 故にその交友関係を知らなかった優花里にとっては想定外の関係性だったようであり、『はぁ~』という感嘆の溜息が、母(仮)(沙織)娘(仮)(エリカ)の両者の耳に電話越しに届いた。

 

『逸見殿も武部殿も、打ち解けてますねぇ』

『まぁ、色々あったからね』

『色々……ああ! 冷泉殿と武部殿をヘリで運んでくれたことですよね。あの時はありがとうございました!』

「………」

『………』

 

 沙織、エリカ、双方言葉に詰まったノーコメント。この2人が打ち解けた最大の理由は、その一件というよりは付随する別件である。

 双方ともに、そこは詳細を話そうとはしない。言葉選びのミスと、勘違いで深読みし過ぎたのと、双方ともにやらかした事件である。当時の彼女らの言葉を借りるならば、『死因:自己嫌悪』と書かれたエリカの死亡診断書を、沙織がどこかに提出しに行かねばならないやつだ。

 その両者の沈黙をどう取ったのか、或いは単純に会話の間として処理したのか。ともあれ御礼を言い終わった優花里は、今度は疑問を提起する。先程の小芝居の中で、気にかかった部分といってもいい。

 

『ところで、私と話すのが気まずい……ですか? 逸見さんが? 私、なにかしてしまってましたっけ……?』

『あー、えと……そうじゃないのよ』

 

 そして、電話越しに投げかけられた優花里の疑問の声―――それも、原因が自分側にあるのではと考えて、こころなしか不安そうなそれに対して、かつて戦車喫茶で“やらかした”自覚があるエリカは慌てて否定の言葉を返す。

 そして、一度大きく息を吸って、吐いて。電話越しであるため、沙織や優花里の目には当然ながら映らないが、このときエリカは椅子の上で居住まいを正した上で、深々と頭を下げている。

 実家で家族に見られたらからかわれる癖ではある。だが同時に、それは口先だけではなく本気で悪いと思っているからこそ、自然と出た行動だ。

 

『戦車喫茶でのことは、ごめんなさい。あなた達にぶつけたのは、完全な八つ当たりだったわ。伝言越しには謝ったけど、もう一度改めて謝らせて。……あの件があったから、秋山さんの方が私に対して怒ってるんじゃないかって思ってたの』

『えっ!? あ、いえ……えーと、非を認めて頂けるなら……私からは何も……』

 

 真剣な声音で告げられた謝罪に、困惑した様子なのは優花里の方である。前述のとおりに沙織がエリカとの交友を特に喧伝していなかった事もあり、彼女の中の逸見エリカの印象は、この通話の前までは大分昔の物で止まっていた。

 学園艦所有ヘリを率先して動かしてくれたことで、必ずしも『敵』一色の判断ではなくなってこそいたが、好印象ともいえなかったのである。

 

『ただ、そういうことでしたら―――』

 

 しかし沙織の言葉通り、秋山優花里という少女は恨みを根に持つタイプではない。困惑しながらも謝罪を受け入れ、嬉しそうに言葉を続ける。

 先程までの会話・やり取りもあって劇的に印象が良くなってきていたのに加えて、唯一引っかかっていた部分についても、エリカの方から詫びを入れてくれた形だ。もはや優花里の側がエリカに対して隔意を抱く材料は消えていた。

 

 ただ、秋山優花里という少女に対する、コミュ強者(武部沙織)の人物鑑定眼に敢えて付け足すとするならば―――

 

『―――西住殿にも言って頂けると、きっと喜びます! ご友人との仲直りが出来るということでしょうし!』

「……あっ」

 

 ―――友人が居なかった時期が長いことから対人経験値が不足している優花里は、対人の細かい機微に疎い。

 恐らくはエリカにとっての地雷であり、彼女たちを結ぶ共通の友人でもある少女の名前。それを特に気を払うでもなく嬉しそうに話題に出した優花里に対して、沙織が焦った声をあげる。

 詳細を聞いたわけではないが、エリカからみほへの感情が敵意だけではないのは分かっている。むしろ、大事に思っていた―――或いは今でも思っているからこそ、整理しきれていない感情の“こじれ”があると、沙織(コミュ強者)は感じていた。

 

 すわ、第二次戦車喫茶会戦か。いざとなれば自分が連絡先を知っている止められそうな人(宮古修景)を、グループ通話に呼びつけるか。

 沙織が身を固くして対応を考えるが、エリカの声は意外なくらいに冷静だった。

 

『ごめん、無理。あの子が転校して数ヶ月経って、やっと考えが纏まってきたけど……一回みほにぶつけないと収まらないと思う。それこそ、兵科間の縄張り争いみたいに、理屈じゃない部分ね』

 

 冷静ではあるが、その内容は友人(みほ)との敵対を明確に宣言するもの。

 であるが故に、沙織は戦車喫茶の時のような爆発を警戒しながらも、エリカの言葉に対して否定の意を返す言葉を口にする。

 

「戦車喫茶の時みたいに? ああいうことやるなら、私は次もみぽりん……みほの側に回るよ」

『ええ、その時はそうして。そういう事こそ、私が出来なかった事だから』

「……えぇと」

 

 今のエリカは冷静であるがゆえに翻意が難しいのは、沙織からも感じられた。熟考を重ねて、既に何かしらの結論に至っている様子だ。

 しかし一方で、戦車喫茶の時とは違い、みほに対する敵愾心が言動からは感じ取れない。それどころか、むしろ気遣うような言葉が飛び出す始末である。

 

 判断に困り、何を言えば良いのかと言葉が宙を彷徨った。だが、その沙織の心境に対しては、エリカ側も理解できるものだったのだろう。

 助け舟は通話越しに、苦笑とともにエリカの方から差し出された。

 

『ゴメン、そっちの視点だと戦車喫茶のときからの変化がワケ分からないわよね。……武部さんと秋山さん、みほが黒森峰を辞める原因となった試合とか事情とか、どれくらい知ってる?』

「……みほがミスをして、悲願の10連覇を逃したって。それが責められて、黒森峰に居られなくなったって理解かな」

 

 エリカが出した助け舟、つまりは事情説明を意図とした上での質問に対して、沙織が頬に手を当てて思い返しながら、自身の持っている認識を答えた。

 

 とはいえ、この辺りも『史実』に比べると認識が少々違う。

 宮古修景という少年が4月すぐに妹の様子を見に来た時に、沙織はその場に同席して、西住家側の対応や考えについて聞いたこと。そして、戦車喫茶でエリカの退場後に、みほの姉であるまほ本人と友好的な会話ができたこと。

 それらのおかげで、『理解としてはそうだが、お姉さんからみほに上手く伝わっていなかった部分もあるのだろう』という、黒森峰側への理解も幾分混ざっている。

 

『……あの時、戦車喫茶でも申し上げましたが、あの試合で西住殿の判断にミスはありませんでした』

 

 一方、まほとは話していたものの、沙織ほど黒森峰やエリカに対する理解がない優花里の声が固くなる。まさに戦車喫茶の時に、エリカに叩きつけた論陣の再開だ。

 しかし、あの時は『部外者は口を挟むな』と切って捨てたエリカの側が、今回は応じる形で柔らかな否定を返す。

 

『いいえ、私はみほにもミスはあったと考えているわ』

『……どういうお考えですか?』

『あの時、みほは私含めた他の車輌に救援要請を出すでもなく、単独で動いた。私は、それを許していない。仲間に頼ってくれれば、もっと上手いやり方もあったかもしれないって、今でも思っているのよ』

『……三号戦車とその乗員を助けようとした事については?』

『それ自体は全面的にみほが正しいと思ってる。私が根に持ってるのは、そのやり方の部分ね。一人でやらず、私達を信じて頼ってくれれば―――って。すぐさま救助に絡めない距離に居たって、連絡貰って駆けつければ色々できたでしょうに』

『…………』

 

 返されたエリカの言葉に、黙り込んだのは優花里の方だ。10秒、20秒。沙織もエリカも口も挟まぬまま、それだけの沈黙を経て、彼女はエリカの言葉に返答する。

 こちらもエリカ同様に、戦車喫茶の時とは違って柔らかく冷静に―――

 

『出来ない理由があったのかもしれません。それすら惜しんで一刻を争う状況だと判断したのかもしれません。それを西住殿本人から聞かない限り、私は西住殿の判断を支持します』

 

 ―――ただし、この部分でもエリカ同様に、相手の言葉に対する否定である。

 だが、叫び合いになった戦車喫茶の時とは違って、否定されたエリカの反応は激発ではなかった。

 

『ありがとう』

『……えぇと。逸見殿、それは?』

『あの子を信じてくれて、ありがとう。私は、そうやってあの子の味方になってあげる事が出来なかった。なんで私達を頼ってくれなかったんだってそれだけで、思いっきり怒鳴り散らして、結局あの子を追い込んだのよ。何の説明もさせずに、一方的に』

『逸見殿は、それを後悔していると……?』

『ええ。ただでさえ追い込まれてるあの子を、更に追い込んだ。私が本当にやるべきだったのは、あなた達みたいにあの子の味方になってあげる事だったと、今では思っているの』

 

 一拍。大きく息を吸って、内心に秘めた感情を吐きだすように、

 

『……みほに、謝りたい』

 

 ぽつりと呟かれた、痛切な最後の言葉。それに対してなんと応じるべきか、沙織と優花里が言葉に詰まる。

 先程のやり取りの焼き直しのように、沈黙が10秒、20秒。沙織も優花里も口を挟めぬまま、それだけの時間を経て、痛切な声音で続いたのはエリカの独白だった。

 

『……あと、みほを大会でボコボコにしたい』

「待って?」

 

 そちらの独白に対しては、返答に困ることもなく即座に突っ込んだ沙織である。前後の会話が繋がっていない。同一対象への『謝りたい』と『ボコりたい』が同居するのはどういう精神状態なのか。

 痛切な声音なのは変わっていないのだが、内容が変わっているせいで『慟哭に似た嘆き』と『殺意に似た怨嗟』くらいにまで受ける印象が違っている。

 複雑な心境だというのは予想していたが、右半身と左半身の感情が一致しないあしゅら男爵のような複雑さ(ブツ)をお出しされては、流石の沙織も困るだけである。

 

 幸か不幸か、エリカの方は沙織の反応で我に返った様子で『あっ』などと口にしてから、1つ2つと咳払い。

 慌てた様子で沙織と優花里に対する謝罪を口にした。

 

『……ごめんなさい、こんな事を言われても困るわよね』

「多分、逸見さんが思ってるのより2ランクくらい上の困り方してるかなぁ。なにそれどういう感情……?」

『私があの子にした仕打ちを謝りたいけど、あの子が私にした仕打ちは許さない』

「もう詳しく聞かないと、コメントするのも怖いんだけど。ねぇ、なんで逸見さん絡みだと毎度爆弾が爆発したり、爆発物処理班の気持ちにならなきゃいけないの私!? 戦車喫茶で1回爆発して、ヘリの時に爆発物処理の覚悟決めて、今回も会話の流れでヤバそうな感情(ボム)がいきなりお出しされてるの!?」

『1つ目はゴメンだけど、2つ目は半分は武部さんの恋愛脳のせいでしょう!?』

「半分は逸見さんの言葉選びじゃない!!」

 

 謝罪に対する反応として、もはや沙織からすれば爆発物の持込業者と化しているきらいすらある友人(エリカ)に対して、1回目と2回目の時期に比べて格段に気安くなった関係ゆえの、歯に衣着せぬ追求が沙織から飛ぶ。

 気安くなっているのはエリカもであり、怒鳴り合いには『お前のせいだろ』という感情こそあるが、悪意や敵意というほどの物はなくなっている。しかしその分、遠慮や容赦も消え失せて、純粋に醜い責任の押し付け合いが発生していた。

 

『あの、ヘリの時って何かあったんですか……?』

「………」

『………』

 

 だが、遠慮と容赦と悪意と敵意が無かろうと、この話を当事者以外に知られたくないという共犯者めいた追い詰められた連帯感は存在していた。 

 優花里視点では謎の会話でヒートアップし始めた2名に向けて、おずおずと出された当然の疑問。それに対して、当事者2名は双方ともにすぐさま黙秘を決め込んだ。両者、並びにもう1名の当事者である宮古修景以外には、色んな意味で知られたくない自損事故であった。

 

「……なにも無かったよね」

『……ええ、なにも無かったわ』

『いや、でもお二人、今』

「なにも無かったよね!」

『ええ、なにも無かったわ!』

『恋愛脳と言葉選びがどうとか……いえ、もういいです』

 

 対人の機微に疎い優花里であろうとも分かる、明確な結託と誤魔化しである。しかも言うほど誤魔化せていない。加えて、飛び出してきたキーワードが『恋愛脳』。こんなものがヒントとして場に出ている以上、戦車喫茶の一件ほど緊迫した案件という感じもしないが、碌なものではないという気配もひしひしと感じられる。

 それよりも気になる会話の方を優先するため、空気を読んで流すことにした秋山優花里である。足りない対人経験の経験値が3くらい上がった気がしないでもない。次のレベルアップまで如何ほどだろうか。

 

『話を戻しますと……逸見殿のお考えですよね。西住殿に謝りたいと思っている。西住殿をボコボコにしたいと思っている。……え、これぶっちゃけ何がしたいんですか?』

『……意外だわ。私はみほをやっつけると言ってるのに、戦車喫茶の時みたいに怒らないのね。今は喧嘩したいわけじゃないから、ありがたいけど』

『はい。人間って何がなんだか分からない物を見たら、怒りよりも困惑が来るものですね』

 

 更に経験値が5くらい加算された気がする優花里である。レベルアップは近い。

 一方、説明不足の発言をしているエリカの方も、自身の言葉足らずは理解しているようである。苦笑のような笑い声が電波越しに大洗組の耳に届き、一拍置いてから彼女は訥々と語り始めた。

 

『難しいことじゃないのよ。私がやった酷いことは謝りたいけど、あの子に酷いことされたと思っているから、その部分で文句を言いたい。でも、その方法は怒鳴ったり怒ったりじゃなくて、戦車道の試合でぶつけたいの』

「……酷いことをされたって、何のこと? それを聞かないと、納得できない」

『あの事件がなければ……順当にいけばみほが隊長になって、私が副隊長になって。親友として相棒として、それを支えたいって思ってて。でも、あの子は戦車道をやめて、転校した。……そこまでなら、なんとか納得してたんだけど』

 

 納得できない内心と腹に溜まった黒い感情を吐き出すような、深い深い溜息。冷静ではあるが、腹の底にある怒りは未だに熱を持っているのだろうと、聞いている沙織は薄く察した。

 加えて、そこまで言われればエリカの内心にも理解が及ぶ。沙織はベッドの上で、スマホを保持していない方の手で顔を覆って天を仰いだ。

 

『転校してった先の大洗で戦車道を始めて、私のことなんか忘れたかのように楽しくやってるって。じゃあ、私はあの子にとっての何だったのとか思うのよ』

「……忘れてるわけじゃないと思うし、みほが最初断ったところで生徒会のゴリ押しとか色々あったんだけど。それは、まぁ……逸見さんの視点だと、そうなる……かな……」

 

 顔を覆って天を仰いだまま、歯切れの悪い言葉を返す沙織である。

 黒森峰で辛い思い出があり、大洗に転校してきた友人―――西住みほ。沙織は彼女が悪いとは口が裂けても言わないし、そもそもそうは考えていない。そのまま黒森峰に残るという判断をしたならば、彼女は間違いなく潰れていただろうと思っている。

 一方でエリカの立場からの主張を聞いてみると、彼女が元親友(みほ)に対して複雑な感情を抱くことを悪いと言い切るのも気が引けた。確かに彼女の立場であれば、みほに対する親愛の情が大きければ大きいほど、心穏やかではいられないだろう。

 

 西住みほと逸見エリカ。この両者が抱えるわだかまりは、双方向に原因と結果が絡み合った、酷く判断の難しいものになっていた。

 どのタイミングのどちらの行動が悪いなどと、第三者(沙織)視点から判断できるようなものではない。敢えていうならどちらも悪くないか、腹を割って話し合わなかったという点でどちらも悪いか。少なくとも、片方だけに原因を求められるようなものではなくなっている。

 先にも宣言したとおり、エリカがみほを責めるならばみほの味方に立つつもりの沙織である。しかし、性格的に考えにくい事ではあるが、みほの方がエリカを糾弾しようとした場合、双方の事情を知った今の沙織はみほを宥めに走るだろう。

 

 スマホを持っていなければ両手で頭を抱えたい沙織の心境に、気付いているのかいないのか。歯切れの悪い沙織の言葉に対して肯定も否定も返さず、エリカの独白、或いは心情の吐露は淡々と続く。

 

『みほが例の試合で、私達を頼らずに単独で動いた事は、今でも許してないわ。でも、辛い立場だったみほの味方をせずに一方的に責めた私の行動は間違っていたと思うから、それは酷いことをしたって謝りたい』

「……うん」

『ただ、その前に―――あの子にとって私はなんだったのか。親友だとか相棒だとか思ってたのは、私だけだったのか。何の相談もなしに転校して、そっちで楽しそうに戦車道始めたっていうあの子に対して湧き上がってくる、そういう色々とグチャグチャな感情を、戦車道でぶつけたいのよ』

 

 かつてのエリカが夜の公園で修景相手に語った心境は、時間経過と幾つかの経験を経て、その時よりも整理がついて、その分だけ鋭利で強固な決心へと昇華されていた。

 

 ―――相対を望む。

 

 かつての親友に対して、私は貴方にとってなんだったのかという慟哭を、彼女たちを結ぶ戦車道という場で叩きつけたい。私は貴方にとって無視できない存在である筈だと、試合の中で見せつけたい。エリカの決めた方針は、ただただそれだ。

 それはある意味では感情的・感傷的なやり方とも言えるし、ある意味では合理的・現実的な判断とも言えた。気弱で自己主張の弱い元親友(西住みほ)は、戦車道という場でなければ、ただただ一方的に縮こまって自省・内省するだけだろう。そんなものは対等の友人のやる事ではないし、エリカが求める答えでもない。

 西住みほという少女の本質、本当の強さが出てくる場―――戦車道の中で敵として相対することで、(エリカ)の想いに対するあなた(みほ)からの答えが欲しい。とんでもなく一途なラブコールだ。

 

「……逸見さんは、みほのことが好きなんだね」

『ええ』

 

 一途なそれに半ば呆れたような声をあげた沙織に対して、エリカの方は照れるでもなく、ただただ穏やかに肯定した。

 

『だから転校先で貴方達と仲良くやってるって聞いたら嫉妬もしたし、それを実際に見て頭に来たりもしたわ。感情の整理にも我ながら凄く時間がかかって……その節はご迷惑をば』

「うん、それは謝ってもらったし。……ねぇ?」

『ええ、まぁ……そうですね』

 

 逆に、聞いている沙織や優花里のほうが赤面するほど、明け透けな好意だ。照れ混じりに優花里に話を振った沙織に対して、優花里の方からもどこかモジモジとした様子の返事。

 その両者の声音に気付いたのだろう。ここまで照れも入っていない穏やかな声だったエリカが、慌てた様子で弁明を口にする。

 

『もちろん、友情よ? 私が隊長とかみほに向ける感情、友達からはたまに誤解した様子で見られたりガチ目の心配されたりするけど』

LOVE(ラブ)ではなくLAKE(レイク)ってことでありますか。ちょっと安心しました』

「……いや、それ()でもないんじゃないかなぁ」

『……ええ、それ()ではないわね』

『え?』

 

 (LAKE)ではないらしい。否定されて混乱した様子の優花里であるが、この真面目な会話の最中にどうでもいいノイズを混ぜ込まれて混乱した事について文句を言いたいのは、むしろ残り2名の方であろう。

 次の英語のテストまでに学友の勘違いを正さねばと思いながらも、感情の整理がついた今のエリカであれば、みほに対する相対を望む姿勢を止める必要も無いだろうと沙織は判断。

 その時はみほの仲間として受けて立とうと内心で決めながらも、それは今は口に出さず。代わりというわけではないが、安心したついでに軽いからかいを口にした。

 

「どっちかっていうと、逸見さんからのLOVEはお兄さんに対してじゃない? みほのお兄さん。宮古さん。やだもーっ! 進捗どうですか!?」

『えっ? そうなんですか!?』

 

 そのからかいに素早く反応したのは、エリカではなく優花里の方だ。少々癖のある感性の持ち主であれど、そこはやはり女子高生。色恋沙汰には興味が湧くようである。

 そして、沙織のからかいと優花里の興味を向けられた当のエリカは―――

 

『ちょっ……どいつもこいつも! ただ2人で食事行ったりとか、公私のことで色々相談に乗ってもらったりとかしてるだけじゃない!! それですぐさま色恋沙汰に繋げるとか、特に武部さんはヘリの時のアレを本当に反省してるの!?』

「………」

『………』

 

 それは繋げて見ても良いのではないだろうか。

 電話口で同じ思考を脳裏に浮かべながらも、あとひと押ししたら爆弾(エリカ)が爆発しそうであると察した沙織と優花里は、空気を読んで沈黙を保った。

 優花里の経験値が、今度は12くらい増えた気がする。アリアハンはそろそろ抜け出せそうであった。




 準決勝は近い。

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