結局のところ、『大会本部に抗議してやる!』などと息巻いたエリカを周囲が宥めるというイベントこそあったものの、試合の展開は“正史”と同じ流れを辿る事と相成った。そも、宮古修景という“正史”には居ない存在は、戦車道に深く関わる立場に居ない。観戦席に彼が居た所で、エリカのヘアウィップに当たりかけたりする程度が関の山である。
みほやまほ、エリカといった親しい人間の精神面に与える影響や、戦車道女子達の人間関係に影響する事はあれども。彼は母と違って戦車道にとってはあくまで部外者。試合に直接的に与える影響は、現状で皆無と言って良い。
試合の大筋の流れとしては、大洗の指揮官であるみほが無線傍受に気付き、それを逆手に取った大洗側が先んじて1両を撃破。その後にアリサ―――無線傍受機を打ち上げた、そばかす顔に短めのツインテール茶髪の少女が車長を務めるサンダースのフラッグ車と、索敵中だった大洗の八九式が偶発的に遭遇。
そこから八九式が味方車両の元まで敵フラッグ車を誘引して、現在は大洗の全車両が逃げるM4(アリサ車)を追い回しているという追いかけっこ状態だ。バレー部メンバーで構成された八九式の乗員は、カタログスペックで1.5倍の速度を誇るM4シャーマン相手に良く逃げ切ったと言って良いだろう。
まぁ、戦車道で使用されている車両はエンジン含めて規定内での改造・改装が認められているので、単純に戦時中のカタログスペックでの比較は無意味と言えば無意味なのだが。それでも元の車両から乖離しすぎる改造は規定的に不可能であるため、第二次世界大戦中の前期か後期かどころか、それ以前の『戦間期』に分類される開発時期の車両で戦っているバレー部ことアヒルさんチームの奮戦ぶりは、1回戦のこの時点ですら獅子奮迅の奮闘と言って差し支えないだろう。
そもそも、その改造の規定も『1945年8月15日までに設計が完了して試作されていた車輌と、それらに搭載される予定だった部材を使用した車輌』であるため、八九式の改造に使えるパーツは八九式に使われる予定だったパーツのみ。『戦間期の車両と、それに搭載される予定だった部品のチャンポンよる改造』という、中々パンチの効いた状態になっているのが八九式の現状だ。
それでサンダースのM4と追いかけっこが可能なだけの速度を出せるように改造した大洗の自動車部が凄いのか、速度以上に装甲や火力のお亡くなりになっている八九式で頑張れるアヒルさんチームが凄いのか。いや、恐らくその両方か。
様々な意味で謎の尽きない大洗の八九式ではあるが、この車両に関しての最大の疑問は、大洗が戦車道を復活させるために最初に行った車両捜索での発見場所だろう。
学園艦は内部に山岳や河川などの自然すら内包する、『これマクロスばり宇宙移民船?』というレベルの規模と設備が詰まった存在だ。それはこの世界では当然のもので、『学園艦がどういう構造で、どうやって自然環境を搭載して維持しているのか』などは考察するだけ無駄というより、この世界の人々にとっては疑問すらない当然の事である。
だが、その自然環境の中の山岳部、それも断崖絶壁の中腹の洞窟とかいう場所に、何故この八九式が放置されていたのか。誰かが隠したのか、何らかの事故で放棄されたのか。何にせよその原因が全く特定も推測もできず、ついでに運び出すのも超絶難事で。辣腕を誇る大洗の角谷杏生徒会長もバレー部の皆様方に『発見したんでレッカー手配してください』と言われた時には、流石にこっそり頭を抱えたという。
そんな八九式の逸話はともかく。それを駆る『アヒルさんチーム』が全力を尽くして敵フラッグ車を誘引した結果としての追いかけっこに、関係者席の観戦メンバーの反応は様々だった。
「逸見副隊長、ここからの展開予測をどうぞ」
「ある意味予想外の展開ですね。……いえ、見栄を張らずに正直に言うと見たことも聞いたことも無い展開ですよ。予測も何もあったもんじゃない……」
「割と観戦専門としては見たこと無ぇんだよなぁ」
「だから、私も見たことありませんってば……」
ある意味では『あまりにあまり』と言える展開にエリカががっくりと肩を落とし、修景が伸び切ったヤキソバを啄みながら言葉を返す。
同時刻には学生の彼女らとは年季が違う蝶野亜美一等陸尉が、『初めて見た』と爆笑しているような展開だ。エリカも戦車道女子としての経験は長いが、流石にこの展開を冷静に解説できるような経験値は無かったようである。
「まさかこんな展開になるとは……」
「ふふ。まるで鬼ごっこね」
並んで座る聖グロ勢は、オレンジペコが驚きと呆れの混ざった声で呟き、ダージリンは面白そうに笑うのみ。こちらも、もはや分析や理解というより、純粋に観戦モードだ。
そもそも、通信傍受機の存在から始まって、それを逆手に取って大洗が逆にサンダースを翻弄し始めたのはまだ分かるが、八九式とフラッグ車の遭遇は完全な偶発であり、言ってしまえば運である。
外からの観戦という、ある意味では神の目線とでも言うべき俯瞰視点で試合を見る事が可能な外部と違い、現地で限られた情報から通信傍受に気付き、即座に作戦を切り替えたみほの能力は瞠目に値するが。西住みほという少女に対する能力評価は、エリカからしてもダージリンからしても非常に高い。
言ってしまえば現状は、『みほの能力の高さの再確認』という彼女達からすれば単なる事実の再認識。加えて八九式とフラッグ車の遭遇という『運』が呼び込んだ偶発的な状況だ。
大洗やサンダースの戦力や戦術傾向の分析という、他の学園艦の戦車道女子が観戦に来る主目的は、もはや意味を成していない。『こんな再現性の無い状況を分析できるもんならやってみろ』という結論になってしまう。そして多分、やっても使う機会は二度と無い。
故にダージリン、笑いながらの観戦モード。エリカももはや脱力気味に肩を落として、状況を見ながら修景と中身の無い会話を交わしている。
なお、ちなみに先程までは通信傍受機の存在に怒り、存分に吼え猛っていた彼女であるが。『なんにせよ、終わってからにした方が』と年下の聖グロ勢に宥められ、『そもそもその権利が真っ先にあるのは大洗女子ではないでしょうか』と年上の聖グロ勢に嗜められ、『っていうか厳密に言うと無関係者である俺がここで観戦してるのもヤバいんじゃ』と年上の無関係者勢が気付いたように呟いて。
最後の呟きに四者四様の沈黙を経て、『今の我々は他所様の事を言えた状況ではない』と各々脳内で結論付けた面々は、肝が冷えるという方向性でのクールダウンを果たして無言で席に座り直した。状況が変わり、大洗側が盛り返し始めたのもある。
通信傍受機打ち上げはグレーゾーンであるが、関係者席に無関係者が居座っているのは事の軽重はともかくとして、ルールに照らし合わせると通信傍受より更に有罪系のポジションにありそうな事案である。ここで大会本部に何か物言いをした場合、藪をつついて蛇を出す可能性が低くない。この場合は蛇があったとしてもその場での口頭叱責程度だろうが。
規約違反系の事案であれば、事が重大であれば戦車道を歩む彼女達ならば、自省しながら自ら大会本部へ申告し謝罪し、自ら罰則を求める事などを行う場合もあるだろう。だが、事がスポーツマンシップやフェアプレイ精神や戦車道としての規定などではなく、『選手の家族が屋台惣菜差し入れに来てそのままそこで観戦した』という内容だ。
しかも肝心の
以上の割としょうもないというより戦車道と関係の薄い内容では、流石に誰も進んで怒られたくはないだろう。生真面目で潔癖症気味のエリカですら、そんな理由で大会本部に自己申告で怒られに行くのは嫌だった。
そして大会本部もそれで罰則を求められても、当人相手に『次から気をつけてネ』くらいしか言いようがないだろう。所属の学園艦に報告する必要すら感じられない事案である。故に指摘されない限りそっと流すのが、修景を関係者席に通した警備員さん含め、誰も不幸にならない処世術と言えた。
ただし、修景とエリカは冷静になればちょっと怒られかねない内容の状況を創り上げた
「お、サンダース側が援軍を出すぞ。逸見副隊長、これはどう見る」
「まぁ、これなら解説と予想が出来ますが。……残存8両。固めていた戦力が全部来たら、大洗の戦力では一瞬です。その前にフラッグ車を仕留めきれるかですね」
そして、彼らの見ている大モニターで動きがある。サンダースの主力―――隊長であるケイ率いる本隊で、ケイが戦車のキューポラから身を乗り出し、何かを指示している様子が映る。状況として、間違いなくフラッグ車であるアリサ側への援軍だ。無線傍受による一点読みで固めていたのが裏目に出て、ケイら8両はアリサの位置とは遠い場所に布陣している。
更に言うならば、無線傍受を逆手に取っていたみほは、この時点でサンダース側のこの配置を、ある程度誘導して作り上げていた。大洗側が5両でアリサ車を追い回す追いかけっこは、子供の鬼ごっこのようにも見えるが。
実態としては西住みほ主導で、『無線傍受を逆手に取った配置誘導』『そこから離れた場所へのフラッグ車の誘引』『全車両で追いながら、本隊との合流を阻む』という、フラッグ車と八九式の遭遇という奇貨を全力で活かした、即興だが合理的な思考で組み上げられている。
更にはそのみほが乗る隊長車である大洗の四号D型は、アリサのM4がなんとかケイ達の居るであろう方向へと逃走ルートを変えようとするたびに、牽制を入れてそれを掣肘している。群れからはぐれた獲物を群れと合流させないという、ある種肉食獣の狩りにも通じる冷徹な動きだ。
―――実際のところ、無線傍受云々を抜きにすれば、アリサのその場その場の判断やこの状況での必死に行っている車内での指示は、当人の言葉遣いは荒いが悪くない。少なくとも、一定程度の合理はある。無線傍受がバレた後の流れは彼女が悪いというより、流石に相手が悪いのと運が悪いのという二重苦だ。
まず八九式との偶発遭遇からの追撃。この際に隊長であるケイに連絡を入れなかった事は判断ミスと言えるが、『ただでさえ数で勝っている中、確実に勝てる車両と偶発遭遇した。落とせる時に落とす』という判断そのものは、誤っているとは言い難いだろう。この時点ではまだ無線傍受を逆手に取られているとは知らず、大洗の配置を誤認していたならば尚更だ。
戦車道車両としての規定内での改造を抜きに、純粋にカタログスペックで見ると、八九式の機動力は最大で時速25km。不整地ではその半分以下。M4は時速38km以上で、不整地では半減。
加えて装甲と火力に関しての差は、もはや絶望的である。先にも言った通り、開発時期が戦間期にあたる八九式の主砲は、“当時の”傑作戦車であるルノー乙型やルノー甲型といった相手に有効であるという事を目標にして開発されたもの。装甲厚20mm程度の相手を前提とした火砲だ。
対するM4、車体前面装甲51mm。背面などの薄い箇所でも38mm。どこを狙っても八九式では有効打を当てることは困難であり、故にM4と八九式が戦闘をした場合、M4が負ける要素はほぼ見当たらない。
つまり、フラッグ車でありながら単独戦闘をするという事はチームを敗北の危険に晒す行為のようにも見えるが、実際のところ八九式相手ならば危険も殆ど無いのである。故に偶発遭遇から相手の数を減らそうという判断が一概に間違っていたとは言い難い。
アヒルさんチームのように『発煙筒を使ってバレー式スパイクで煙幕』などの奇策含めた奮闘がなければ、八九式は味方と合流する前にM4の前に倒れ、アリサのM4はそのままどこかへ逃げ去っていた可能性も高いだろう。というか普通はそうなる。アヒルさんチームの粘りがおかしい。
そして逆に、M4の火力と八九式の装甲を比較すると、これまたM4の圧勝というよりは、圧勝しすぎて無駄が出る奴である。砲と弾頭の種類と距離次第だが、『100mm装甲貫通したいなー、どうかなー』という領域の主砲を持つM4シャーマン。対する八九式の装甲は一番厚い箇所で17mm。貫通どころか装甲板の2枚抜きとか3枚抜きとかが出来る奴だ。
この試合において八九式を追撃する中でアリサが砲手に対して機銃を使えと命じ、格好悪いと反発されて『手段を選ぶな』と怒鳴り返しているが。同じ『手段を選ばない』という要素であっても、通信傍受機は『スポーツマンシップに反する』といった面でケイから叱責を受けているが、12.7mm機銃を使うという判断は『現実的な判断』と言っても良いだろう。
事実、ほぼ同口径の機銃の火力で実験した八九式側の記録として、大まかに言えば『だいたい弾けるけど貫通する時もある』というデータが残っている為、貫通狙いで機銃連射というのは有効な手段・判断だったと言える。流石のアヒルさんチームが操る八九式も、主砲は避けきっていても連射される機銃は避けきれず被弾しているので、それが貫通・有効射とならず跳弾したのは、大洗にとっては幸運でアリサにとっては不運だった。
なお、八九式でM4を撃破する方法を無理やり逆算するならば―――例えば、主砲で辛うじて上面装甲対して垂直にブチ当てたならば抜けないこともないだろう。しかし、八九式を上から吊るして下を通るM4相手に砲撃でもしない限り、上面装甲―――つまり真上から見た装甲に垂直に主砲を当てることなど、困難というよりもはや無理筋だろう。
後に大洗が“正史”で黒森峰の保有するマウスと対峙した時に取ったような、装甲部のスリットなどの弱点ピンポイント射撃ならば可能性はゼロではない。しかしあれも流石にヘッツァーをマウスの下に潜り込ませてマウスの動きを止め、砲塔の回転を八九式が封じて、射撃する四号戦車側も動きを止めて、そこまでやって狙いをつけた完全静止射撃だから出来た芸当である。
八九式でM4相手に単独でそれを為す事は実質的に不可能と言って良いだろう。なにせ向こうからすればどこに当たっても有効射なのだから、やる前にやられて終わる。
相対速度、相対距離、発射から着弾までの移動偏差などが関わってくる射撃は、素人が思うよりもずっと難しい。『目標をセンターに入れてスイッチ』でどうにかなるのはロボットアニメの特権だ。二次大戦期の戦車の測距機は、そもそもそこまで高性能ではない。弾丸も光学兵器ではないのだから質量・重量があり、砲弾は地球の重力に引かれて徐々に下へと加速する。遠くの目標を狙うほどに重力の影響を弾が強く受けるので、『目標をセンターに入れてスイッチ』を実行したならば、十中八九は弾は途中で地面に突き刺さるだろう。
では、戦車の砲手がどのように照準器を使い、目標を狙っているのか。西住みほが搭乗する四号戦車で、五十鈴華が見ている『△』という記号は何かを例として出していこう。ドイツ戦車である四号D型の照準器にある『△』の正体は、真ん中に目標を入れてスイッチを押せば当たるターゲットサイトではなく、第二次大戦期のドイツ戦車兵のお友達である魔法の記号シュトリヒさんだ。
先に言った通り、砲弾は徐々に下へと加速度がついてゆく。故に『どのくらい下に落ちるか』を計算しなければ、砲撃は成り立たない。では、その計算に必要なのは何かというと、『相手と自分の間の距離』である。撃って当たるまでの着弾時間≒相手との距離が分かれば、着弾までに弾がどれくらい落ちるかは計算可能。そしてレーザー測距機など無い時代で、相手と自分の間の距離を算出する魔法の記号がシュトリヒさんである。
では、シュトリヒさんがどのように対象との距離を算出してくれるのか。答えは、照準器に映るターゲットの大きさとシュトリヒの大きさの比較だ。幅1mの物体が1km離れている時の大きさが1シュトリヒ。これが幅2mの物体で1シュトリヒの大きさに映っていたなら、距離はその倍の2km。逆に幅0.5mで1シュトリヒの大きさならば、対象物との距離は半分の0.5kmとなる。
―――お分かり頂けただろうか。シュトリヒさん“が”算出というよりは、砲手がシュトリヒさん“で”算出するのがこの時代の測距機・照準器だ。更に言うなれば、物体の大きさを理解していなければ、正確な距離は測れない。
例えば相手がM4で側面を向けているならば、5.84m。その大きさと照準器に映る相手の大きさが何シュトリヒかを照らし合わせ、距離を計算。その距離ならば弾が重力で落ちる度合いはどれくらいかなどを計算に入れて、狙って、撃つ。これが砲手の仕事である。それに車両が動いている場合、敵車両の移動速度もかかってくるし、自車両が動いていれば当然の如く車体が揺れて弾道が安定しない。
照準器の仕様は各国、或いは車両の開発時期毎に違うものだが、レーザー測距器などが無いこの時代の戦車の照準器の仕様は、多少の差こそあれこのレベルのものとなる。
『高速で飛ぶ弾丸の弾道計算に、たかが時速数十kmで動く戦車の速度計算は必要か』という意見もあるだろう。ところが実際、必要なのだ。M4を例に挙げると、75mm砲の弾丸は初速619m/秒。初速から徐々に弾丸は減速していくが、ざっくり1秒間に600mほど進むとでも考えよう。
目標車両、距離600m。移動速度時速20km。発射から着弾まで1秒。しかしその1秒の間に、目標物は5.55mほど動く。M4の車体の長さが5.84mなので、車体1個分ほど1秒でズレるわけだ。車体のど真ん中を狙って撃っても、1秒後にはそこに居ないのである。
時速20kmという鈍足車両で計算してこれなのだから、一定以上の機動力がある車両同士が―――しかもジグザグに動くなどの回避機動を取りながら射撃戦をしたらどうなるかは想像に難くない。単純に、有効射が非常に出づらいのだ。アリサのM4が、大洗相手に辛うじて逃げ続けられている理由でもある。
彼女も手段を選ばないケはあるが、前線指揮を好むケイの代わりに2年生にしてフラッグ車を任されて、実質的な全体の作戦指揮を行っていた人物だ。規模で言えば全学園艦最大の戦車道チームを持つサンダースでこの人事を受けている身である以上、無能であるはずがない。
指示の合間に罵声を飛ばしているのか、はたまた罵声の合間に指示を飛ばしているのか。非常に微妙な割合の賑やかな叫びっぷりではあるが、回避運動や射撃タイミング、砲角度の修正など、アリサは意外なくらい細やかに指示を飛ばしている。大洗相手に逃げ続けられているのは、未だこの時期には大洗側の練度が高いとは言えない事もあるだろうが、逃げるアリサの指示が適切なのもあるだろう。
逃走しながらも応射しているのも正解だ。そうそう当たるものではないが、『当たれば大半の車両が一撃で終わる火力を持った相手が応射してくる』となれば、大洗側も攻撃にばかり意識を集中してはいられない。相手の反撃を警戒する必要≒回避運動を取る必要が出てきて、その分だけ攻撃の精度と追撃の速度は下がる。
―――なお。
この際の罵声の中で、アリサが大洗に対して『すぐ廃校になるくせに!』と叫んでいた。未だに大洗でも殆どの人物が知らないこの内容を、アリサがこの段階で知っていた。この事が後々大きな意味を持ってくるのだが―――それは全国大会の終了後の話なので、当座の彼女は精神を削りながら必死に逃げ回っている状態である。
罵声の内容も脱線していき、少し後―――サンダースの援軍到着直前には追い詰められきったアリサが、自らが懸想するタカシという少年が振り向いてくれない事への愚痴まで叫ぶにあたって、当時の彼女のメンタルは余程いっぱいいっぱいであった事が伺える。
何にせよ、交戦中の大洗女子当人たちが、キレてキューポラから身を乗り出して大洗に向けて何かを叫ぶアリサの声を聞き取れなかったくらいだ。そんなサンダースフラッグ車の車内事情など、観戦中の面々には全く伝わる筈もなし。
代わりに、大モニターを通して俯瞰視点で全体を見ることが可能な彼らには、別の動きが見えてくる。ケイが率いてアリサの救援に向かうサンダース側の援軍車両が4両のみで、残りの4両が停止したという事実だ。
「……あれ、4両? 待ち伏せか?」
「いえ、それにしては場所が有り得ません。そうするならば、大回りに挟撃できるように移動する筈ですが……」
そして、その動きに対して修景が疑問を口に出し、エリカが小さく首を傾げる。
純粋に戦術的に言うならば、全車両で向かうか、或いは残りの車両は迂回して包囲や挟撃に使うべきだ。意図の読めない4両停止に、黒森峰の副隊長は何度も首を傾げるのみ。
「……まさかまた、通信傍受とか悪だくみしてるんじゃないでしょうね?」
「こんな格言を知ってる? 『言い訳などしてはいけない。友人には必要ないし、敵は信じないのだから』」
「モーガン・ウーテン。アメリカの名バスケットボールコーチの言葉ですね」
「……はぁ?」
疑うように呟いたエリカに対して、横合いからダージリンの声。更に向こうからは、オレンジペコがその格言の出自を告げてくる。
横からのその言葉に対し、エリカは怪訝そうな声と顔を向けるが、それを向けられたダージリンは紅茶を手にして小さく笑う。
「逸見さん。ケイさんとの交流はあるかしら? サンダースの隊長の」
「……いえ。試合の時に顔を合わせたことはあったと思うけど、話したこととかは全然です」
「あの方は、非常にスポーツマンシップやフェアプレイ精神を重視するわ。だから、通信傍受も彼女の指示ではなく、誰かの独断でしょう。ですが彼女は、隊長としてその罪滅ぼしをしようとしているのかと。『サンダースは通信傍受やら何やら、スポーツマンシップも知ったことではない事をする学園艦だ』なんて思われたら、たまったものではないでしょう? 彼女も、来年以降全国大会に出てくる後輩たちも―――そして通信傍受したであろう子も」
正直な話、ケイは隊長として『強い』や『戦績が良い』などの評価が付くタイプではない。決して悪くはないが、西住まほやダージリンと同世代として並べてしまうと、流石に戦績評価は一段落ちる。しかし、全学園艦最大規模のサンダース戦車道チームは、彼女の下で一枚岩に纏まっている。
人徳があるというか、気遣いが出来るというか。とにかく、面倒見が良く気配り上手なのだ。ある意味において、ダージリンは人間性という意味ではケイという少女に羨望すら抱くほどだ。
このまま通信傍受の件含めて、普通に戦ったのであれば。そして通信傍受が問題視されたならば。勝敗どうあれ、サンダースにはなんらかの悪評が付随する可能性が低くない。が、ケイのあの行動は、勝敗度外視でフェアプレイやスポーツマンシップに拘る彼女なりのやり方だ。数の有利を捨て、通信傍受した分だけ不利を背負い、ケジメをつけ、出来るだけクリーンにやりたいという思考からくるものだろう。
「これで5対5。同数決戦。通信傍受していた事に、ケイさんも気付いたのでしょうね。だから数の有利を捨てて、同数での勝負をする事にした。百の言い訳より雄弁な行動だと思わない?」
「……甘いですが、潔いですね。自己犠牲的というか。来年以降の自分の後輩たちに重荷を背負わせない為、でしょうか」
「うーん……」
そして、ダージリンの言葉に否定と肯定がないまぜになった様子で頷くエリカ。甘さに対しては否定的だが、潔さは尊敬に値する。そんなところか。
しかしその言葉に、言われた
「恐らくですけど、逸見さん。それはケイさんに対する評価や理解としては誤っていますわ。彼女は貴方が脳内で浮かべている姿より、大分考えなしの大雑把ですもの」
表面上を聞けば、こき下ろしているような言葉。しかし、苦笑の中に隠しきれずに浮かんだ羨望が、聞くエリカには悪感情を抱かせない。
むしろエリカは、飄々としたダージリンが隠しきれずに浮かべたその感情に、驚きを込めて言葉を返した。
「……なんか羨ましそうですね?」
「……だって。全くの素で、深い考え抜きに、ごく自然にこの行動ができるんですもの。そういう人なのよ、今のサンダースの隊長さんは」
フェアに、クリーンに、前向きに。勝敗に拘らずに、ある意味で戦車道をどこまでも真っ直ぐに楽しんでいる。
そんな彼女だからサンダースは纏まっているし、露骨に勝率を落とす待機指示に対しても、各車両が停滞なく従ったのだろう。観客席からは意図の読めない4両援軍4両待機に困惑したような声もあがっているが、逆に大事な全国大会で『待機』という実質的な戦線離脱を命じられた車両の動きに淀みは無い。言い争うような様子もない。
ケイからすれば無意識レベルの行動だが、実はこの時彼女は個々の車両の力量よりも、『最後の大会』となる三年生チームの車両である事を優先して、援軍車両に抜擢しているのもあるのだろう。最後の大会、何もせずに終わりは嫌でしょうとでも言うように。
「通信傍受の一件についても、悪評はなんとかするでしょうね。多分、試合を大会側が精査されたら後でバレるでしょうから、先に全部ぶち撒けて『ごめーん!』とかいう方向で。やった子はキッチリ怒って絞って、でも泥と責任はその子が被らないように庇う形で。大分無茶ですけど、あの方の人望とバランス感覚なら不可能とはいい難いわ。『ガッツリ怒ってやったから! あとの文句は隊長の私に全部ギブミー! 私が悪かったー!』とか。―――目に浮かぶようね」
「……それは……」
聞くだけで黒森峰とはスタンスの違いすぎるサンダースの―――というより、ケイの戦車道に、エリカは思わず言葉を失う。
―――或いは、と。転校した
しかしそれは、西住まほという隊長を戴く自分が考えてはならないことだと、歯を噛みしめるようにして、
しかし、エリカの様子に気付いたダージリンが、微笑みながらも嗜めるような声を出す。
「こんな格言を知ってる? 『夢は一人ひとり違うものです。興味や才能もみんな違うのです。それが個性というものです。どうして「こうでなくてはいけない」と決めつけるのでしょうか?』」
「……誰でしたっけ」
「徹子の部屋よ。黒柳徹子さん」
「フォロー範囲外です」
ルールル、ルルルルールル、などと微妙に音程が外れた番組テーマを口ずさむダージリンに、オレンジペコが辟易したような声を返す。
過去の偉人の名言ならば追従可能だが、内容が現代の芸能人になると、流石にフォローしきれない。この人の守備範囲はどうなっているのかと、ジト目の横目で睨んでくる
「まほさんにはまほさんの戦車道があるし、わたくしにはわたくしの戦車道がある。ケイさんもそう。カチューシャさんも。アンチョビさんも。他の方々も。高校生にもなってくると、隊長という立場はそういうもの。それに優劣はないし、付けるべきではないと思うわ。貴方の戦車道は、どう?」
「……私の戦車道は、隊長と同じです」
「二番煎じになるつもり? 今、みほさんの転校の件を思い出したんじゃないかしら。もし黒森峰にケイさんが居たら、こうならなかったのでは、とか。別に良いのではないかしら。基本はまほさんの系譜で、部分的にケイさんのいいトコ取りとかでも。貴方の戦車道は貴方だけのもの。まほさん弐号機なんて、当のまほさんが求めてないでしょうね」
「……私だけの、戦車道?」
「ええ。とはいえ、基本はまほさんの系譜でしょうね。貴方には合ってそうですし、先輩から受け継いでいくバトンというものも大事ですもの。そうね、だから逸見さんの戦車道は―――名付けて『西住まほ弐号機マークツヴァイ・セカンド』」
「私は今、ダージリン様から来るであろうこの方向性のバトンを受け取るべきか地面にダンクしてリセットするべきか悩んでいます」
『反抗期!?』と叫ぶダージリンと、ジト目でそれを見るオレンジペコ。
しかし、もはや定番になりつつある聖グロのやりとりには目もくれず、耳にも入らず。エリカは深く黙考する。
「……私の。私だけの、戦車道……」
「……参った。俺が口出しできねぇし、しちゃいけねぇ部分だよな」
その様子に対し、先程から口を挟めずに黙っていた修景が困ったように呟いた。
―――戦車道は、女子の武道。割って入っていけるものでも、入っていいものでもないと。自身の姉妹や目の前の少女が打ち込む
本来であれば呟きすらもすべきでなかっただろうと、宮古修景という少年は内心で思っている。ああだこうだと口を出していい話題ではないと理解している。しかし、『隣の芝は青い』と以前エリカと言い合ったように、姉妹を支える立場にも、目の前の少女の相談に乗れる立場にもなれない事に忸怩たる物を抱えるが故に、呟きだけが小さく漏れた形だ。
両者、無言。
その視線の先で4両の援軍がサンダース側に到着し、しかし被害を出しながらもタッチの差で大洗がサンダースのフラッグ車を撃破したところだった。
―――試合終了。
想定外の結果に沸く会場の声を聞きながら、しかし両者の間には会話もなく。宮古修景と逸見エリカは、大モニターを無言で眺め続けていた。
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全国大会一回戦。サンダース大附属 対 大洗女子学園。下馬評を覆し、大洗女子のまさかの大金星。
試合を終えた両校の代表が整列し、互いに礼。礼に始まり礼に終わるのが戦車道だ。
それを待っていたように、両校の健闘を称える拍手が観客席から降り注ぐ。
しかしこの試合において、“正史”との最大の差は。宮古修景という少年の存在ではなく、エリカからすれば彼とは逆の隣に座っていたダージリンだったと言えるだろう。
彼女とエリカが並んで観戦しており、ダージリンという西住まほに匹敵し得る―――実力主義の志向が強いエリカをして一定の尊敬に値する指揮官からの、『戦車道』というものに対する考えを彼女が聞いたという事は大きい。
ケイが試合終了後の両校の挨拶時に、みほに『なぜ全車両で来なかったのか』という質問をされた際の、『That's戦車道! これは戦争じゃない。道を外れたら、戦車が泣くでしょ?』という言葉は、みほに感銘を与えて彼女が彼女なりの『戦車道』を掴む切っ掛けとなったのだが。
“正史”では黒森峰の観戦スペースからそれを見ながら、『甘っちょろいこと言って』と吐き捨てるように切り捨てた言葉を、しかし通信傍受という経過や、ケイという少女の人間性をダージリンから聞いたが故に、エリカは切り捨てずに受け止める。
結果として、ケイの語った『戦車道』の在り方は。みほに非常に大きな影響を与えただけに留まらず、エリカにも少なくない影響を与えることになり―――
そして、逸見エリカという少女と大洗女子の、戦車喫茶から続いて二度目のエンカウントが、試合終了後に訪れる事となるのだった。
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「あの、すいません。秋山さんご夫妻でお間違えないですか?」
「え? ええ、そうですが」
「その、私、こちらでご夫妻と御一緒に観戦していた西住まほ隊長と同じ学園艦の者で。隊長はどちらに……」
「ああ、優花里の友達のお姉さんの所の! そういえば制服が同じですね! いやぁ、今日はいい日だ! 優花里の交友関係がこんなに広がってたなんて……」
「ちょっとあなた。恥ずかしいから止めてってば……」
―――ただし、その前に。
挨拶はきちんとしたが、行き先は告げずに秋山夫妻の元から消えて。既に妹を素直に褒めてやろうと意気揚々と単独行動を取っている西住まほの捜索というミッションを挟んで、だが。
「……まほ、どこだ……!」
「
鬼の形相で姉のLINEにメッセージを連投する弟。
その横で、エリカはガックリと項垂れ。どこか気まずい様子で秋山夫妻に丁寧に一礼している。みほに対する感情の整理は、ある意味では結論が付き、ある意味では“正史”以上にややこしい事になっているエリカだが。秋山優花里含めた『あんこうチーム』の面々への暴言は、みほに抱く感情の余波とでも言うべき八つ当たりだったと自戒しているがゆえである。
まさか『そちらの娘さんと大喧嘩して暴言吐きました』とは言えず。和やかに手を振ってくれる秋山夫妻に、なんとも言えず気まずい申し訳無さを覚えたエリカだった。
人間関係には絡むが、戦車道には絡めない、絡んではいけない系主人公。
なお、存在によるバタフライエフェクトは発生している模様。
劇場版ではいろいろある予定ですが、その前に次の話で人間関係複雑骨折の予定。次回、修景死す。
今回はわりかし重めというか真面目な話でしたが、反動で書いてる小ネタは本当に脳ミソ使ってねぇな感。
コレこの話の次にやったら台無しなので出すタイミングを見計らう、麻雀の河見て牌捨てるタイミング見計らってる感覚。
2019/03/28
シュトリヒさんはドイツ戦車の照準器のお友達なので文言修正。