その日、八幡とキリトは朝から少し疲れていた。
前の日の夜再びALOにログインし直した二人は、魔法を使うのが楽しくて仕方なく、
ユイにアドバイスを受けながら、ついつい深夜過ぎまで魔法の練習をしてしまったのだった。
おかげで何種類かの魔法を実戦レベルで運用出来るようになったのだが、
当然その疲れがまだ残っている状態だった。もっとも、主に脳の疲れなのだが。
「昨日はちょっと調子に乗りすぎたか」
「そうだな……でも楽しかった」
「いくつかの魔法を戦闘に組み入れる目処も立ったな」
「効果はまだまだだけどな。でもまあ、かく乱系なら今のスキルでも十分使えそうだな」
八幡の部屋に集まって朝食を食べていた二人は、
疲れた顔ではあったが魔法について楽しそうに語り合っていた。
「どうやら陽乃さんの話だと、知り合いのパーティがこっちに着くのは明日になるらしい」
「予想外の事とはいえ、正反対の方角に向かわせちゃったからな」
「今度会ったら謝らないとな」
「そうだな。ところでそのパーティの人達の名前は?」
八幡はそれを聞き、しまったという顔をした。
「……すまん、聞くのを忘れてた」
「まあ今度会った時でいいだろ。どうせ明日になるんだしな」
「変わりに別の人が今日、俺達を迎えに来てくれるらしいぞ。
その人の名前は聞いた。リーファって人らしい」
「おお、他のプレイヤーに会うのは初めてだな。色々教えてもらわないとな」
「その人に頼んでシルフの領都、スイルベーンだったか?に出来れば案内してもらって、
武器や防具も買ったりしないといけないな」
「それじゃ食事が終わったら少し運動をして、その後軽く寝ておくか?」
「そうだな、そうするか」
今後の予定も決まった所で二人は食事を終え、外へと向かった。
そして庭で健康的に体を動かした後、それぞれの部屋に戻って昼寝を始めた。
直葉は電車を乗り継ぎ、兄である和人の入院している病院に到着した。
かかった時間はおよそ一時間半。直葉はぶつぶつ言いながら受付に向かった。
「ここに来るのは初めてだけど、やっぱりこの遠さがなぁ……
あ、すみません、桐ヶ谷和人の病室の場所を知りたいんですが」
「はい、ちょっと待って下さいね」
受付の看護婦はそう答えると、病室を調べ始めた。
直葉は何となくきょろきょろと辺りを見回していたが、
よく目立つ四人の若い女性が病院に入ってくるのに気が付いた。
(友達のお見舞いかな?それぞれ違うタイプの美人だなぁ)
そんな事を考えていると、調べ終わったのだろう、看護婦が声をかけてきた。
「お待たせしました、桐ヶ谷和人さんの病室は……」
直葉は和人の病室の場所を聞くと、お礼を言い、エレベーターの方へと向かった。
片方のエレベーターにはさきほどの四人の女性が乗っていたが、
そちらはもう扉が閉まる寸前だったので、直葉は隣のエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターが目的の階に到着すると、直葉は外に出てきょろきょろと辺りを見回した。
(あれ、さっきの人達もこの階の人のお見舞いなんだ)
遠くにある部屋に先ほどの四人が入っていくのが見えた直葉は、
和人の病室を探しながら、なんとなくそちらの方向へと向かった。
「あ、ここだ」
その病室は、先ほど女性達が入った部屋の隣だった。
直葉はすごい偶然もあるもんだなと思いながら、部屋をノックした。
しばらく直葉はそのまま待っていたが、いつまで経っても返事がない。
もしかして寝ているのかもしれないと思った直葉は、そっと扉を開けた。
中を覗くと案の定、和人は寝ているようだった。
直葉は中に入ってそっと扉を閉め、ベッドの脇の椅子に座り、和人の顔を眺めた。
(気持ち良さそうに寝てる……)
直葉は、自分の頬が段々熱くなってくるのを感じていた。
実は直葉と和人は血が繋がっていない。
その事を直葉は、和人がSAOに囚われてから一年後に両親から告げられていた。
和人が囚われてから一年、直葉は目に見えて衰弱していた。
そんな直葉の姿を見かねたのか、ある日両親がこう尋ねてきた。
「直葉、お前は和人の事が好きなのかい?」
両親にそう聞かれた直葉は、それが事実だったため、すぐに返事をする事が出来なかった。
心臓が早鐘のように鳴っている。直葉は目に涙を浮かべながら、
何と返事をすればいいのかずっと考え続けていた。
「ちょっと待ちなさい直葉。私達は別にお前を責めたいわけじゃないんだよ」
和人がいなくなってからの直葉の姿はもう見ていられないからと夫婦で話し合い、
今まで隠していた事も話す事に決めたらしい。そして両親が話してくれたのは、
直葉が和人を好きなのはなんとなく知っていた、実は直葉と和人は血が繋がっていない、
そして二人の事は二人に任せる事に決めた、といった内容だった。
「いいかい直葉、いくらお前が和人を好きでも、
和人の方はお前の事をそういう風には多分見ていないと思う。
私達は何か干渉しようとは思わないが、お前の気持ちを否定しようとも思わない。
お前は和人に気持ちを伝えてもいいし、伝えなくてもいい。お前の好きにしなさい。
ただ和人が今のお前を見たら、確実に自分を責めるはずだ。その上で和人は、
責任を感じて自分の気持ちを殺し、黙ってお前の気持ちを受け入れるかもしれない。
だがそんなのはお前も嫌だろう?だから直葉、月並みだが元気を出しなさい。
いつか和人が目覚めた時、笑顔で迎えてあげられるようにね」
その日から直葉は、このままじゃ駄目だと自覚したのだった。
直葉はどんどん元気を取り戻していった。そして一年後、和人がついに目覚めた。
だがその日から今日まで、直葉はまだ自分の気持ちを和人に伝えてはいなかった。
(あ、動いた)
和人が身じろぎしたのを見て、直葉はその頬をつんつんつついてみた。
(起きないかな、起きないみたい。……ちょ、ちょっとくらい別にいいよね……)
直葉はつつくのをやめ、和人の頬に自らの唇をそっと近付けていった。
直葉の心臓は、両親と話した時以上に大きく早く、早鐘のように鳴っていた。
その瞬間、和人が目を覚ました。直葉は顔を真っ赤にしながら慌てて和人から離れた。
直後に和人は直葉の方を向き、直葉に話しかけた。
「ようスグ、来てたのか。せっかく連絡もらってたのに、
いい天気だからすっかり熟睡しちまってた、ごめんな」
(良かった、気付いてないみたい)
その言葉を聞いた直葉は安心し、和人に返事をした。
「私こそごめんなさい。声をかけたんだけど返事が無かったから勝手に入っちゃった」
「おう、気にしなくていいぞ、家族なんだからな」
(家族か……私とお兄ちゃんの考える家族は、微妙に意味が違うんだけどな……)
直葉が何も言わないので和人は不思議に思い、直葉に尋ねた。
「ん、どうかしたか?」
直葉は焦り、何とか話題を捻り出そうとして、先ほどの四人の女性の事を思い出した。
「ううん、実はさっきね、隣の病室に女の人が四人入っていくのを見てね、
どんな人が入院してるのかなって気になっちゃって」
「ああ、隣に入院しているのは俺の友達だぞ」
「えっ、そうなの?」
「ああ。スグもあいつに興味があるのか?」
「あいつって、男の人なの?」
「そうだな、俺の親友だ」
「親友……」
お兄ちゃんに親友なんていたっけか、等と失礼な事を考えながら直葉は、
親友ってどんな人なんだろうと想像し始めた。
それをどう勘違いしたのか、和人は焦ったように直葉に言った。
「だ、だめだぞ、あいつは無自覚系天然ジゴロだからな!近付いたら危険だ!」
「お兄ちゃん、いきなり何言ってるの……」
「う……すまん。あいつは何故かすごいもてるんだよ。お前もさっき見たんだろ?」
「え?まさか四人ともその人の事が好きなの?」
「一人は多分妹だと思うが、あいつの事を好きな女はそれ以外にも星の数ほどいるらしい」
「えええ、そんなにもてる人なんだ……お兄ちゃんとは大違いだね」
「ぐっ、言うようになったな直葉……」
「ふふっ」
「まああいつの心には一人しか住んでないんだけどな。そして俺にも……リズ……」
そう呟くと同時に、キリトの表情が突然変わった。
その表情は、悲しさと寂しさと、強い決意が同居したような、不思議な表情だった。
(お兄ちゃんのこんな表情、始めて見た……もしかしてお兄ちゃんにはもう……)
直葉は、心臓がしめつけられるような気持ちになった。
「……お兄ちゃん、私そろそろ帰るね」
「ん、そうか?父さんと母さんに宜しくな」
「うん」
そう言って直葉は、逃げ出すように病室の外に出た。
「きゃっ」
「あっ、ごめんなさい」
「びっくりした、あれ、来てたんだね直葉ちゃん」
「あ、陽乃さん」
直葉は陽乃と面識があった。和人が病院を移る時に家にあいさつに来たからだ。
「どうしたの?何かあった?」
「いえ、何でもないです。急に飛び出してごめんなさい」
「どうかしたのかスグ、って陽乃さんか」
「大丈夫、何でもないわ。ね、直葉ちゃん」
「はい、すみません陽乃さん。ごめんねお兄ちゃん、ちょっと扉の開け方が乱暴すぎた」
「気を付けろよ。そうだ、せっかくだし隣に挨拶でもするか?」
「え、あ、うん、それじゃそうしようかな……」
直葉は帰るタイミングを逃してしまったため、曖昧にそう返事をした。
「それじゃこっちだ」
「うん」
「入るよ~」
キリトが扉をノックしようとする前に、陽乃はいきなり扉を開けようとした。
「陽乃さん、ノックノック」
「え~?」
和人がそう言った時にはもう、扉は開けられた後だった。
三人が部屋を覗くと、中では結衣が八幡をベッドに押し倒している真っ最中だった。
それを見た直葉は顔を赤くし、失礼しました!と言ってその場から走り去った。
和人は固まり、陽乃は、おやぁ?という風ににやにやとその光景を眺めていた。
すぐに我に返った和人は慌てて直葉を追おうとしたが、
直葉の姿はどこにも見えなかった。どうやらもう病院を出てしまったらしい。
「やれやれ、紹介は今度でいいか」
そう呟いたキリトは、改めて八幡に事情を尋ねる事にした。