コンコン、というノックの音が聞こえた瞬間、八幡の心臓がドクンと跳ねた。
「……どうぞ」
八幡は少し緊張しながら返事をしたが、誰も入ってくる気配が無かった。
耳をすますと扉の向こうから懐かしい声が聞こえたので、
八幡はベッドを降り、転ばないように扉に向かって慎重に歩いていった。
「……ゆきのん、入らないの?」
「……あなたこそ入らないのかしら?」
「えー、だってほら、手とか震えてるし」
「実は私も緊張のせいで、不覚にもこんなに手が震えているわ」
「それじゃ二人で一緒に開けようか」
「そうね、それじゃ、せーのでいくわよ」
八幡はそれを聞き、黙って扉を開けた。
二人は驚いたのか、八幡を見つめたまま固まっていた。
「……お前ら寒いから早く入れ。あと歩くのを手伝え」
「あっ……」
「ゆきのん、反対から支えて!」
「ええ、分かったわ、ゆいゆい」
(ゆいゆい!?今雪ノ下の奴、ゆいゆいって言ったか?)
八幡はやや混乱したが、二人に支えられながらとりあえずベッドに戻り、
とりあえず落ち着こうと深呼吸をした。二人もそれにつられて深呼吸をした。
「……ははっ」
「……ふふっ」
「あはははは」
三人は顔を見合わせて笑い合うと、改めて挨拶を交わした。
「久しぶりだな、二人とも」
「そうね、二年ぶりね」
「ヒッキー!」
「あー、何から言えばいいのか分からないが、とりあえず、ただいま」
「おかえりなさい」
「おかえり!」
二人はそのまま八幡を挟むようにベッドに腰掛け、左右から八幡に抱き付いた。
(やれやれ、まあここは二人の好きにさせておくか……)
八幡は黙って二人の背中に手を回した。三人はしばらくそうしていたが、
そろそろ離してもらおうと思ったのか、八幡が二人に声をかけた。
「あー、そろそろ離れてくれると話しやすいんだが」
「嫌よ」
「嫌!」
「おい……」
「二年間私達を心配させたんだから、二時間くらい我慢なさい」
「……本当にすみませんでした」
「でもなんかヒッキー、全然恥ずかしがらないんだね」
「お、おう。少しは俺も成長したって事だ」
「……これはいい意味での成長と言えるのかしら」
「なんかヒッキーが女たらしになった!?」
「おい、せめて包容力がついたとかマイルドに表現しろ」
「でもこの姿は、確実にアスナさんには言い訳出来ないわよ」
「ぐっ、お前らそういえば、アスナの事知ってるんだったな」
「そもそも写真が貼ってあるじゃない」
「そう、それだ。何でこんなの貼る事にしたんだよお前ら」
「ヒッキーをからかうためだよ!」
「え、まじで?そんな理由なの?」
「……これを毎回見せられても、くじけない人だけがあなたを想い続けてもいい、
これはそういう理由でここに貼ってあるのよ」
「何だそれは……」
雪乃と結衣は、顔を見合わせて頷き合った。
「比企谷君。私はあなたが好きよ」
「ヒッキー、私はヒッキーが好き」
「……その気持ちはとても嬉しいんだが、俺には……」
「分かっているわ。でもね比企谷君、これは私達にとって必要な事でもあるのよ。
これでやっと私達も、前に進む事が出来る」
「……けじめみたいなもんか」
「違うわ。これで諦められるとか、そういう事じゃないのよ。
三浦さんに言われたのだけれどね、相手を好きな気持ちを無理に抑える必要はない。
私達は相手に選んでもらうために、精一杯自分を磨き続けるだけだ、ってね」
「相手に選んでもらえない可能性が高くても、か?」
「うん!もし選んでもらえなくても、自分を磨く事は絶対に無駄じゃないって、
そのおかげでまた素敵な出会いに恵まれるかもしれないって、優美子が」
「そうか……」
「あなたは自分の思う通り、アスナさんを想い続ければいい。
私達におかしな気を遣う必要は無いわ。私達はただ、
あなたに素敵だと思ってもらえるような、そんな存在であり続けられるよう努力するだけよ」
八幡はその言葉を聞き、深い溜息をついた。
「それは男の側にも言える事だな」
「そうね、あなたがその努力を怠ったら、
私達だけじゃなく、アスナさんも離れていくかもしれないわね」
「まったくその通りだな」
「だからお互いにこれからも頑張りましょう」
「ああ」
「それじゃ、お互いあの後どうなったかを報告し合いましょうか」
「そうだね、話したい事いっぱいあるしね!」
「その前にそろそろ離してもらうってのは……」
「嫌よ」
「うん、やだ!」
「由比ヶ浜はまだわかるが、雪ノ下は昔と全然違う気が……」
「私も昔のままの私じゃないというだけの話よ。
それじゃ私達から話すわね。そちらの話は長くなりそうだし」
「お、おう、それじゃ頼む」
そして二人は交互に、あれから学校生活がどうなったかを八幡に説明した。
二人が奉仕部を守り通してくれた事を聞いた八幡は、それをとても嬉しく思った。
「……そうか、奉仕部はちゃんと最後まで存続したんだな」
「うん、特例で部員の補充をしなくても良くなったの。優美子と姫菜も協力してくれた!」
「そっか、今度お礼を言わないとな」
「あとこれ、隼人君が集めてくれた、ヒッキーへの寄せ書き!」
「葉山がか……」
「隼人君達、明日ここに来るって言ってたよ!」
「そっか、それじゃその時にでもお礼を言うとするよ」
「あと、私達もこれのお礼を言わないとね、由比ヶ浜さん」
「あっ、そうだねゆきのん!」
そう言って二人は八幡に、お揃いのシュシュを見せた。
「ん?……あ、もしかして……」
八幡は、以前自分が二人のためにシュシュを買った事をすっかり忘れていたようだ。
「それ、俺が買っておいたやつか。今まですっかり忘れてた。気付かなくてすまん」
「仕方ないわよ。これは小町さんに渡されたのだものね」
「ヒッキーが直接渡してくれたのなら、さすがにヒッキーも覚えてたと思うけどね」
「そうか、小町が気付いて渡してくれてたんだな」
「私達のために用意してくれたものって事で良かったのよね?」
「ああ、間違いない」
「ヒッキー、改めてありがとね!」
「ありがとう、比企谷君」
「こっちこそお礼を言わないとな。ずっと大事にしてくれてたんだな」
「これは私達の心の支えでもあったのよ」
「うん!これを見る度に、頑張ろうって思った!」
「そうか……小町に感謝だな」
「それじゃ、そろそろあなたの話を聞かせてもらおうかしら」
「そうだな、あまり詳しくはあれだから、簡単に説明するぞ」
「ええ」
「うん!」
簡単にとは言ったものの、八幡の話は想像以上にすさまじいものだった。
八幡が平然と話すので勘違いしそうになるが、それらは全て自分の命のかかった冒険なのだ。
その事に思い至り、その上で八幡の態度を見た二人は、
八幡が昔とはまったく別の強さを持っている事に気が付かざるを得なかった。
「月並みな事しか言えないのだけれども、本当に大変だったのね……」
「大変、な。まあ、もうそれが日常になっちまってたからな」
「そう……やっぱりあなた色々と変わったわね。特にその目が」
「ん、そういや鏡を見てないが、どう変わってるんだ?」
「うんとね、目が腐ってない!」
「お、おう、そうか……」
「まあ悪い事ではないのだし、ね」
「そうだな」
「ニュースで言っていたのだけれど、四千人近くの人が死んだのよね」
「……ああ。そのうち何人かは、俺がこの手で殺した」
話を聞いて予想はしていたが、その言葉はやはり雪乃と結衣の心に深くのしかかった。
「そう……」
「これは俺が一生背負っていかなきゃいけない十字架だ」
「罪には問われないという話だけれども……」
「それでもだ。俺は自分が生き残るために、他人をこの手にかけた。
その事は一生忘れてはいけないと思う」
「その感覚はおそらく私には一生縁が無いと思うけど、これだけは言えるわ。
そこまでしてでも生き残ってくれて、ありがとう」
「無事に帰ってきてくれて、ありがとう、ヒッキー」
そう言って二人は震えだした。どうやら泣いているようだ。
そして八幡は、いつの間にか自分も泣いている事に気が付いた。
「おいお前ら、泣くな」
「あなただって泣いているわよ」
「ヒッキー、私達ね、ヒッキーがいなくなった後、どうしても泣く事が出来なかったんだ。
だからヒッキーが無事に帰ってきたら、その時二人で思いっきり泣こうって約束してたんだ」
「そうか」
「やっと約束を果たせるわね」
「うん」
「……お前らには本当に心配かけた。帰ってくるのに二年もかかっちまってすまん」
「待たせすぎよ。でも今あなたはこうしてここにいる」
「やっとまた三人揃ったね」
「ああ」
そのまま三人はずっと泣き続けていた。
そして、約束の二時間が経過した頃八幡は、入り口の扉が少し開いている事に気が付いた。
どうやら誰かがこちらの様子をうかがっているようだ。
その人物の正体に気が付いた八幡は、無視する事に決めた。
その頃には二人も泣きやみ、時間を見てそろそろ帰る事にしたようだ。
「そろそろ時間だし、今日の所は帰るわね」
「また来るよ、ヒッキー!もっとお話ししたいし!」
「そうね、まだまだ話したい事がたくさんあるわね」
「まあ学業優先で、ほどほどにな」
「あなたも大変だと思うけど、リハビリ頑張ってね」
「ああ。せめて普通に歩けるようにならないとな」
「ヒッキー、頑張って!」
「比企谷君、また、後日」
「ヒッキーまたね!」
「おう、またな」
二人を見送った八幡は、その場にいたであろう人物に声をかけた。
「もう出てきていいぞ、材木座」
「ぬぬっ、さすがは我が友!気付いておったのか!」
「まあ中に入れ。色々聞きたい事もある」
「分かった。久しぶりだな、八幡」
久しぶりに見た友人は、どうやら泣いているようだった。
「お前……泣いてんのか?」
「当たり前だ!我とお主も友であろう!その友の帰還を喜んで何が悪い!」
「……そうか、ありがとな、材木座」
「うむ!さあ、久しぶりに語り合おうではないか!」
「ああ」
材木座を病室に招きいれた八幡は、材木座に色々と質問をした。
「そうか、今はフリーターやってんのか」
「うむ。今は主に情報収集をしながら日銭を稼いでいる毎日だな」
「なあ、アーガスはどうなった?」
「潰れたぞ。その後SAOのサーバーを管理しているのは、レクトだな」
「レクトだと?そうか、レクトか……」
「正確にはレクトの子会社の、レクト・プログレスだな。
我もそこでバイトしようか丁度検討していたところだ」
「まじか。材木座、可能ならそこでバイトをしてくれないか?」
「元よりそのつもりだったが……何かあるのか?」
「ああ。まだ確信は無いが、いずれとても重要な意味を持つかもしれん。
お前しか頼める相手がいないんだ。どうだ、頼めるか?」
「我が受かるかわからないが、努力はしよう。それより八幡、この写真は……」
「ああ、実は俺、SAOの中で結婚してたんだよ。これは妻の明日奈だ」
「なん……だと……」
「ちなみにレクトのCEOの令嬢だ」
「ぐぬぬぬぬぬ、八幡がいつの間にかリア充に……」
「明日奈のためにも、俺にはどうしても、やらないといけない事があるんだ。
バイトの話はその布石だ。材木座頼む、力を貸してくれ」
「……それは八幡にとって、とても大事な事なのだな?」
「分かるか?」
「ああ。そんな八幡の顔、初めて見たからな。
よかろう!我に出来る事があるなら、喜んで協力しよう!」
「ありがとう材木座。恩にきる」
「なぁに、友の頼みは断れないさ」
「材木座!」
「八幡!」
二人は抱き合い友情を確かめあった、ように見えた。
八幡には打算があったのだが、そこには触れないでおく。
八幡が材木座に友情を感じていたのは、まあ間違いないからだ。
こうして八幡は、材木座という思わぬ協力者を得る事に成功した。