気付くとハチマンは、暗闇の中を彷徨っていた。
覚えているのは、視界が砕け散った後に意識を失ったという事だけだった。
そんな時ふと、どこからか聞いた事のあるような声が聞こえ、ハチマンは目を覚ました。
「ここは……」
そこは見た事も無い場所だった。夕焼け空がどこまでも広がり、
地面は水晶のような素材で構成されていた。
更によく見ると、どうやらここは水晶で出来た円盤の上のようだ。
そしてハチマンの足元には、アスナが横たわっていた。
「アスナ……」
ハチマンは、アスナを優しく抱き上げた。
「俺達は間に合ったのか?それともここが死後の世界ってやつなのか?
まあこうしてアスナがいてくれるんだから、どっちでも構わないか。ずっと一緒だ、アスナ」
ハチマンがそう言った時、アスナの頬がやや緩み、にやけたようになったのだが、
ハチマンがそれに気付く前に、誰かが後ろからハチマンに声をかけた。
「どうやら俺達はまだ死んでないみたいだぜ」
その声は、キリトの声だった。
ハチマンが振り向くと、そこには疲れたような顔をしたキリトが座っていた。
「何か根拠はあるのか?」
「お前こんな時でも冷静なのな……ウィンドウを開いてみろよ」
「おう」
ハチマンはアスナを抱えたまま、器用にウィンドウを開いた。
その際に気が付いたのだが、服装も最後の戦闘の時のままのようだ。
表示されたウィンドウにはメニュー等は何も存在せず、
《最終フェイズ実行中 現在3356/6147》と表示されていた。
「これは、右が生き残った人数で、左がログアウトした人数って事なのか」
「おそらくそうだな。どうやら俺達は、全員無事に生き残れたんだと思う」
「で、この場所は何なんだ?」
その問いにキリトは、棒読みでこう答えた。
「その前にアスナを起コソウ」
「何で棒読みなんだよ。まあそうするか。おいアスナ、とりあえず目を覚ませ」
ハチマンはアスナを揺すったが、起きる気配はない。
「王子様がキスでもしないと起きないんじゃナイカナ」
キリトが、さも言わされていますという風にまた言った。
「おい……」
「もうわかるだろ。アスナの顔を見てみろよ……」
そう言われてハチマンがアスナを見ると、
そこにはキスをせがむように唇を突き出したアスナの姿があった。
「はぁ……」
ハチマンは大きく息を吸ってから、アスナにキスをした。
アスナは最初はとてもにやにやとしていたが、いつまでもハチマンが口を離さないので、
次第に苦しくなってきたのか、ハチマンの背中をバンバンと叩いた。
ハチマンは仕方なく口を離し、アスナを開放した。
「はぁ……ひどいよハチマン君!」
「それはこっちのセリフだ。お前らこんな時に一体何をやっていやがる」
「仕方ないでしょ!こんなおとぎ話みたいなシチュエーション、
人生で二度と無いかもしれないんだから!」
「仕方ないだろ!ハチマンが寝ている間、アスナが死んでからの事を説明してたら、
そう、キリト君がハチマン君を殺したんだねっていきなりアスナがキレ始めたから、
許してもらう代わりに協力するしかなかったんだよ!」
「お、おう、そうか。なんかすまん」
ハチマンは二人の剣幕に押され、そう答えるしか無かった。
「まあ事情は分かった。……それは置いといてだな。おいアスナ、何であんな事をした?」
「ごめん……あの時は咄嗟だったんだけど、私が生き残るより、
ハチマン君が生き残った方が、勝利の可能性が上がると思ったの」
「俺のHPはまだ余裕があっただろ」
「そうなんだけど……目の前でハチマン君が死ぬところなんて見たくなかったし……」
「俺だって目の前でアスナが死ぬところなんか見たくなかったよ」
ハチマンは、そう言ってアスナの頭を優しくなでた。
「でも、無事でいてくれて、本当に良かった……」
「アスナ、あの後ハチマン、すごく取り乱してたぞ」
「ごめん……」
「いやまあ、アスナが悪いってわけじゃない。実際全員こうして生き残ったんだ。
今はこの幸運を素直に喜ぼうぜ。ハチマンも、もういいだろ?」
「もう二度とあんな心配させないでくれよアスナ。俺も気を付けるから」
「うん」
「さて、ここでログアウトを待つ事になるのかな。まあ、それまで勝利を祝っとくか」
キリトがそう提案し、三人は並んで腰を下ろした。その時後ろから三人に声がかけられた。
「勝利を祝っている最中にすまないが、敗北した私も話に混ぜてもらってもいいかい?」
三人が振り向くと、そこにはヒースクリフの姿ではなく、
本来の研究者としての白衣姿の茅場が立っていた。
「三人にはうまくやられてしまったね。やっぱりすごいな、君達は」
「一番活躍したのはネズハでしたけどね」
「それもハチマン君の指示だろう?」
「まあそうですけど、最後に限界を超えてくれたのはキリトですし、
俺は結局、キリトに全てを委ねる事しか出来ませんでした」
「それも基本全て君の計画だろう?私は君への賞賛を惜しまないよ」
「ほら団長、私の旦那様はすごいって言ったじゃないですか」
「……二人は本当に仲がいいね。昔のハチマン君の姿からは正直想像も出来ないよ」
「晶彦さん、昔の事は……」
「これはすまないね。お詫びにいいものを見せようか」
茅場はそう言い、指を鳴らした。
その瞬間、浮遊城アインクラッドが上空にその姿を現した。
どうやら下の方から徐々に崩れていっているようだ。
「これはすごいな」
「森や湖が見えるな、あれは……二十二層か?」
「秘密基地が崩れていくね……」
「あの家のおかげで色々と助けられたよな」
「うん」
三人は崩れ行くアインクラッドを見つめていたが、そんな中キリトが茅場に尋ねた。
「なあ、何でこんな事をしたんだ?」
「……何故だろうな。きっかけはフルダイブ環境システムの開発を知ったからだが、
原点はおそらく、子供の時に想像していた、空に浮かぶ鉄の城のイメージなのだろうね。
そのイメージはずっと私の中から消えず、むしろ年をとるごとにどんどん膨らんでいった」
「それを実現できる環境を手に入れちまったって事か」
「まあそうだね。そしてハチマン君と出会い、本物という言葉を聞かされた時、
私はとても衝撃を受けたんだよ。私にとっての本物は一体何なのかとね」
それを聞いて、ハチマンは狼狽した。
「えっ……もしかして俺のせいですか?」
「いや、その頃にはもう引き返せないところまで開発が進んでいたからね。
君のせいというわけじゃないよ」
「そうですか」
ハチマンは安心し、アスナとキリトはハチマンの背中をぽんぽんと叩いた。
「私は本物を求めてついにこの世界を完成させた。だが君達は、
その世界の理のさらに上をいってくれた。それを見れただけでも、私は満足だ。
ハチマン君、君は本物を見つけられたかい?」
「どうですかね、仲間との絆、アスナとの出会い、それらは全て本物だと思います。
でも今晶彦さん自身が言ったじゃないですか。俺達が晶彦さんの本物を越えたって。
だから、今本物と思えるものの先に、また次の本物があって、
俺はずっとそれを求め続ける事になるんじゃないかと思うんです」
「もしかしたら永遠に手に入らないかもしれないが、それでもずっと求め続ければ、
いつかは手に入るかもしれない。そういう事かな?」
「はい」
「私の本物は今こうして目の前で崩れ去っているが、私はまだ信じているんだよ。
どこか別の世界にはまだ、本当にあの城が存在し続けているんじゃないかとね」
三人はそれを聞いた時、奇妙な感慨にとらわれた。
どこか別の世界でまた仲間達が出会い、恋をし、そして秘密基地に集まって……
そんな光景が自然と思い浮かんだ。そしてハチマンの口から、肯定の言葉が口をついて出た。
「……そうだといいですね」
「ああ」
もしこういう風に茅場に会う機会があったら、色々言いたい事はあった。
だが三人とも何も言う事が出来ず、逆に茅場に同意してしまっていた。
茅場のした事は決して許される事ではないが、心情的には理解出来なくもない。
そんな矛盾した感覚を、三人は感じていた。
「……そう言えば言い忘れていたな。三人とも、ゲームクリアおめでとう」
三人はその言葉を聞き、改めて自分達はついに成し遂げたのだという実感を得た。
その茅場はウィンドウをちらっと見て、一瞬ハッとしたそぶりを見せた。
その後ちらりとハチマンを見た。ハチマンは何事かと思ったが、
茅場はそれには触れず、口に出してはこう言った。
「さて、まもなく最終処理が完了する。君達ともお別れだね」
「お前ら、ダイシーカフェ集合だからな」
「ああ。必ず行く」
「ハチマン君、これからもずっと一緒だよね?」
「当たり前だろ。また現実でな」
「うん!」
「ではさらばだ」
茅場の言葉と共に、アスナとキリトの姿が消えた。
「ま、そうですよね」
「なんだ、驚かないんだな」
「ええ、まあ、何か俺に話したそうにしてましたしね。ところで今後はどうするんですか?」
「今後?」
「逃げるんですか?それとも大人しく捕まって刑務所に?」
「……私は敗者だよ。敗者は黙って死ぬだけさ」
「でも、今こうして話す事が出来てるじゃないですか。
つまりクリアの時点で晶彦さんもSAOから解放されたんでしょう?」
「そうか、君にまったくためらいが無かったのはそう考えていたからか」
「さすがの俺も、まったくためらわずに知り合いを殺すのは無理ですからね。
ちなみにアスナとキリトにも、この事は事前にこっそりと伝えておきました」
「そうか。こちらはためらいが無くて申し訳ないね」
「人それぞれですよ」
「それに関して、謝らないといけない事がある」
茅場は、少し悲しそうな顔でハチマンに話しかけた。
「君とはもっと色々な事を話したかったんだがね、その時間は残されてはいないんだ」
「どういう事ですか?」
「この後、私は脳を大出力でスキャンされる事になっている。
もし成功すれば、私は意識だけの存在となって、ネットの海を漂う事になるだろうね。
そして成否に関わらず、私は死ぬ事になるだろう」
「そんなっ、何故そんな事を!」
「まだ自分が見た事の無い物を見るため、次の本物を探すためかな」
「晶彦さん……」
ハチマンは、泣きそうな顔を見せた。
「そんな顔をするんじゃない。またどこかで会う可能性も無い訳じゃないだろう?」
「……はい」
「次に、君の今後に関わる重大な事を告げないといけない」
茅場は、ウィンドウらしき物を操作しながらそう言った。
「さっきも見てたみたいですけど、今もまた見ているそのウィンドウの事ですか?」
「ああ。最終処理は終わったが、そのうちの百人のナーヴギアから反応が返ってこない」
「どういう事ですか?」
「原因は不明だ。おそらく外部からの干渉の可能性が高いが、正直何とも言えない。
おそらくその百人は、目覚める事は無いだろう。
そしてその中に、アスナ君も含まれているのをたった今確認した」
「そんな!……それじゃあアスナは」
「ハチマン君。犯人を見つけて必ずアスナ君を救うんだ。
そしていつか私に二人の結婚式の写真を見せてくれ。もっとも私の意識が残ればの話だがね」
「分かりました。犯人は絶対に俺の手で見つけます。
そしてアスナを必ずこの手に取り戻します」
「私の作ったSAOの最後をこんな形で汚されるのは許せない。
頼むよハチマン君。それではそろそろお別れだ」
「……晶彦さん」
「最後に一つ。《ヒースクリフ》この名前を絶対に忘れないでくれよ。
いつか必ず君の役にたつだろう。ではさらばだ」
「……また、いつかどこかで」
「……そうだな。また会おう」
その言葉を最後に、ハチマンの意識は暗転した。
誰もいなくなった後、崩壊中だったアインクラッドは誰にも観測されないまま完全に崩壊し、
それと共にその場の全ての物が消滅し、SAOは完全に終焉を迎えたのだった。