温泉宿でのんびりとした次の日の朝。
ハチマンの下に、ニシダから一通のメッセージが届いた。
ハチマンはそれを見て、キリトとリズベットを呼び出した。
「二人とも、連日呼び出してしまって本当にすまん」
「それは別にいいけど、何かあったのか?」
「私まで呼び出すなんて、只事じゃない感じ?」
「それを今から説明する」
少し緊張した様子の二人にハチマンは、今日呼び出した理由を語りだした。
「実は……今日、ヌシが沸くとの情報がニシダさんから寄せられた」
「ニシダさんって誰?」
「つい最近再会した俺の知り合いで、釣りマスターの人だな」
「あっ」
その言葉にキリトが反応した。
「ニシダさんって、五十歳くらいの温厚そうな人で、よくこの層で釣りをしてる人か?」
「そうだ。キリトも知り合いか?」
「ああ、よく一緒に釣りをしてたよ」
「まあ、その釣りマスターのニシダさんからの救援要請だ。どうやら今日ヌシが沸くらしい」
「ヌシって、釣りのか?」
ハチマンは、そのキリトの問いに頷いた。
「どうやらヒットさせるのは、釣りスキル依存で問題無いらしいんだが、
釣り上げるのはSTR依存らしいんだ。で、ニシダさんは、
ヒットはさせられるんだが、どうしても釣り上げる事が出来ないらしい。
ここまで言えばキリトを呼んだ理由がわかるか?」
「つまり、ニシダさんがヒットさせたら俺がスイッチして釣り上げろ、と」
「そういう事だ」
「ハチマンじゃ駄目なのか?」
「正直俺にも何とも言えないので、今回は確実性を求める事にしたわけだ」
「なるほど……」
「話はわかったけど、私の出番は?」
「リズにはニシダさんの釣り竿のメンテを頼みたい。もちろん金は俺が出す。
可能なら強化してくれても全然構わない」
「なるほどね」
「ちなみに俺とアスナは応援と弁当係だ」
「今お弁当作ってるからね!」
キッチンからアスナも声をかけてきた。
「まるでピクニックみたいだな」
「まあ、実際そうだからな」
「しかしヌシか……釣り系のボスは初めて見るな」
「一体どんなのが釣れるんだろうな」
「燃えてきたぞ……俺もマイロッドでチャレンジしてみるか」
「おう、挑戦してみろしてみろ」
「なんか二人とも楽しそうだね」
「男なら誰でも一度は魚の図鑑を見て心をときめかせるものなんだよ」
「そうなんだ……」
アスナが弁当を作り終わったため、四人はニシダに指定された釣り場へと移動を開始した。
「ニシダさ~ん」
「ハチマン君!おや、キリト君も一緒かい、久しぶりだね」
「お久しぶりですニシダさん」
「ハチマン君とキリト君が知り合いだったとはね」
「俺も、ニシダさんとハチマンが知り合いだって聞いて驚きました」
「偶然もあるもんだねぇ」
「そうですね」
ハチマンは頷き、次にリズベットの紹介を始めた。
「こちらがニシダさんの竿を見てもらうために連れてきた、鍛治師のリズベットです」
「リズベットです!こんにちはニシダさん!」
「これは元気なお嬢さんだ。宜しくね、リズベットさん」
「はい、早速ですが竿を見せて頂いても宜しいですか?」
「これなんだが、どうかな」
「それではちょっと拝見します……これなら少しメンテナンスすれば問題ないと思います。
ついでに軽量化と強化もしちゃいますね」
「あ、ニシダさん、料金は俺が払いますので」
「そんな、悪いよハチマン君」
「いえいえ、その代わりにヌシの姿をバッチリと俺達に見せて下さいよ」
「釣り上げるのはキリト君頼みになるけど、これは気合が入るね、絶対に掛けてみせるよ」
「はい、今日は頑張りましょう!」
リズベットはニシダの竿の調整をぱぱっと終えた。
さすがはハチマンが認めるところのアインクラッド一の鍛治師と言える仕事ぶりだった。
ニシダは何度か竿を振り、すごいすごいと子供のようにはしゃいでいた。
それを見た三人は、とても心が温かくなるのを感じた。ニシダの人格のせいもあるだろう。
ヌシが沸くとされる時間まではまだ時間があったため、
五人は釣りを楽しんだりお弁当を食べたりしながらのんびりと過ごした。
「これどうやってやればいいの?」
「そうだな、お~いキリト、リズに釣りのやり方を教えてやれよ」
「そうだな、それじゃリズ、こっちに来てくれ」
「うん!」
リズベットは嬉しそうにキリトの下へと走っていった。
ハチマンとアスナも覚えたてではあるが、それなりに釣り上げる事が出来ていた。
しばらくそうしていると、突然周りに人が集まり出してきた。
二~三十人はいるだろうか。そのプレイヤー達は全員釣り竿を持っていた。
「釣り師ってこんなにいたんですね……」
ハチマンはそれを見て、感慨深そうにそう言った。
「そうだね、ここのヌシは釣り師の間じゃ結構有名だから、
いつもヌシの時間になると、アインクラッド中の釣り師がここに集まるんだよね」
「そうなんですか……これは燃えてきましたねニシダさん」
「そうだねハチマン君!絶対釣り上げよう!」
「はい!」
「ニシダさん、頑張って下さいね!」
「ありがとうアスナさん。これは絶対負けられないね。あ、そろそろ時間かな」
そのニシダの言葉と同時に集まった釣り師達は、一斉に川に向かって竿を振り下ろした。
誰かの竿に獲物がかかる度に歓声があがるのだが、
まだ誰の竿にもヌシはヒットしていなかった。
「う~ん、いつもなら誰かしらの竿にヌシがかかってお祭り騒ぎになるんだが、
今日は少し遅いみたいだね」
「そうなんですか……ん?」
その時ハチマンが、釣り場の一点を鋭い目で見つめた。どうやら何か感じたようだ。
「ニシダさん、あっちのあの倒木っぽいの、見えます?」
「ああ」
「あっちから、何か巨大な気配を感じます。強さはそうでもないんですが、とにかく大きい」
「よし、それじゃあのあたりを狙って投げてみるよ」
「はい」
ハチマンはニシダにそう伝え、ニシダは正確なキャスティングで、
ハチマンが指示したポイントに寸分たがわずエサを打ち込んだ。
「さすがはニシダさん、完璧ですね」
「いや~、まあ長くやってるからね……って、これは……」
ニシダの竿に何かがヒットした。竿が大きくたわみ、左右に激しく動き出した。
「来たーーーー!」
ニシダが叫び、ハチマンはアスナにキリトを呼んでくるように頼んだ。
「ニシダさん、とりあえずキリトが来るまで頑張って下さい」
「任せておいてよ。弱らせるくらいなら私にも出来る」
ニシダの叫びを聞いたのか、釣り師達が続々と集まってきた。
キリトとリズベットが到着し、キリトがニシダとスイッチして竿を握った。
「ニシダさん、細かい指示をお願いします」
「うんわかった。キリト君、頑張って」
「はい!」
「キリト!頑張れ!」
リズベットがキリトに声援を飛ばした。
他の釣り師達も皆、少年のように目を輝かせながら、キリトを応援し始めた。
キリトもその声援を受け、頑張っていたのだが、
さすがはヌシだけの事はあり、キリトの筋力でも簡単には釣り上げられない。
だがニシダの的確な指示もあり、キリトはヌシを徐々に弱らせていった。
そしてついに根負けしたのか、徐々にヌシの動きが弱くなり、
段々岸に寄ってくるのが目視でもハッキリと確認出来るようになった。
そんな時、ハチマンに誰かからのメッセージが届いた。
「こんな時にメッセージか。すまんアスナ、武器を用意して待機しといてくれ」
「分かった」
ハチマンがメッセージを確認していると、ニシダが大きな声を上げた。
「よしキリト君、今だ!」
「うおおおおおお!」
キリトは気合を入れて竿を持ち上げた。その瞬間川の中から巨大な何かが飛び出してきた。
それは、どう説明すればいいのだろうか。
ウーパールーパーをごつくしたような感じの、手足の生えた奇怪な魚……ヌシだった。
そのヌシの目はとても大きく、鋭い歯が沢山生えていた。
キリトとニシダの前に着地したそのヌシは二人をぎょろっと見つめると、
意外と俊敏な動きで、二人に向かって走り出した。
「う、うおおおおお」
「うわあああああ」
ニシダはそれを見て慌てて逃げ出した。キリトも反射で逃げてしまったようだ。
大して強くないのがすぐ分かるため、リズベットは大笑いしながらそれを見ていた。
そんなヌシと二人の間に、アスナが颯爽と立ちふさがった。
「《リニアー》」
アスナはその声と共に、愛剣を軽く突き出した。
ヌシはその攻撃を受け、あっさりと地に落ちた。どうやら消滅はしないらしい。
「やったああああああああああ」
ニシダが喜びを爆発させ、周りの者もそれに追随し、大歓声があがった。
キリトはリズベットとハイタッチし、
メッセージを見ていたはずのハチマンはいつの間にかアスナの隣にいて、
その肩をそっと抱き、その光景を見つめていた。
歓声が落ち着くとニシダは、全員に向かって聞こえるようにこう叫んだ。
「それでは皆さん記念撮影といきませんか?」
どうやらニシダは、この日のために頑張って記録結晶も手に入れていたらしい。
まずその場にいた全員の集合写真の撮影が行われた。
その後ハチマンの持つ記録結晶を使い、ニシダと四人の撮影が行われた。
その撮影が終わると、周囲で見ていた者の中から数人が、アスナに駆け寄ってきた。
「あの、閃光のアスナさんですよね?俺達ファンなんです!これからも頑張って下さい!」
「結婚されてたんですね、おめでとうございます!」
「えっ、あのその、はい、ありがとうございます!」
そう言いながらアスナは、ハチマンの腕に抱きついた。
周囲から冷やかしと祝福の言葉がかけられ、ハチマンも照れたように頭を掻いた。
キリトとリズベットは遠くからそれを見ていたが、その二人をハチマンが手招きして呼んだ。
「どうかしたのか?」
「こんな時に言いたくはなかったが、どうやら休暇も終わりみたいだ」
「どういう事だ?」
「七十五層のボス部屋が発見されたとの連絡が、今ヒースクリフから来た」
「そうか……」
「先行した偵察部隊二十人のうち、十人が中に入ったらしいんだが、
中央付近に到達した瞬間扉が閉まって開かなくなり、
再び扉が開いた時には中には誰もいなかったそうだ」
「なんてこった……十人の死亡は確認されたのか?」
「ああ。どうやら結晶無効化空間な上、入ると扉が外からも中からも開けられないみたいだ」
「やっかいだな」
「それでヒースクリフが、キリトにも一緒に本部に来て欲しいとさ」
「分かった」
「ハチマン君、今の話は……」
横で話を聞いていたニシダが、苦しそうな顔でハチマンに尋ねてきた。
「はいニシダさん。俺達の休暇もついに終わりの時が来たみたいです」
「……すまない、君達にばかり負担をかけてしまい、本当にすまない……」
「大丈夫です。これでも俺達は、四天王なんて言われてるくらい強いんですよ」
「それじゃあ、キリト君も?」
「ええ、キリトも四天王って呼ばれてるうちの一人ですね」
ハチマンはそう言いながら血盟騎士団の参謀服に着替え、
これから少し決意を述べると三人に告げた。
ハチマンがそんな事を言い出すのは初めてだったので三人は少し驚いたが、
ハチマンの目を見たアスナとキリトは、その場で戦闘用の服に着替えた。
その姿を見て、周囲にいた群衆がどよめいた。
「あれって血盟騎士団の制服だよな」
「アスナさんのは見た事あるけど、もう一人の服は見た事のないデザインだな」
「俺ガイドブックで見た事あるぜ。あれって唯一誰も就任してなかった参謀用の制服だろ」
「おい、それって……」
「あれって噂の黒の剣士じゃないか?全身黒ずくめだし」
そんな周囲の喧騒を聞きながら、ハチマンが群集に向かって声を発した。
「皆さん、いきなりですみません。ご覧の通り私とここにいるアスナは新婚のため、
団長から休暇をもらい今日のこの場に参加していました。
ですが先ほど団長から連絡があり、ここにいる三人、
私こと血盟騎士団参謀、銀影のハチマンと副団長の閃光のアスナ、
そして黒の剣士キリトは本日をもって休暇を終え、七十五層のボス戦に赴く事になりました。
私達は、隣にいるアインクラッド一の鍛治師リズベットの作った武器を持ち、
皆さんの分まで戦い、絶対に勝ってきます。そしていつか必ず皆さんをここから解放します。
その日までどうか応援を宜しくお願いします」
それはいつものハチマンには似合つかわしくない、堂々とした振る舞いだった。
ハチマンは昔からは想像もつかないほどに成長しているようだ。
この姿を総武高校の面々が見たら、一体どんな感想を抱くのだろうか。
そんなハチマンの言葉と四人の姿に、その場にいた者達は大きな声援を贈った。
ニシダは泣きながら四人と握手して、後日必ず再会しようと約束をした。
そして四人はその場を辞し、血盟騎士団の本部へと向かった。
もっともリズベットはハチマンの依頼により、秘密基地へと向かう事になっていた。
ちなみにリズベットには、残りのメンバーを集合させるというミッションも与えられていた。
「しかしハチマン、いきなりどうしたんだ?」
「ニシダさんや他の人達を見てたら、少しは安心させてあげたいって思っちまってな……」
「でもハチマン君、すごい堂々としてたね。格好良かったよ!」
アスナは先ほどのハチマンの姿を思い出し、うっとりとしていた。
「いや、もうまじで足とか震えてたからな」
「それでもだよ。さすがは私の旦那様だね」
「そう言ってもらえるのは有難いんだがな、自分を鼓舞する意味もあったんだよな。
正直ここから先は何が起こるかわからなくて、俺自身不安だらけなんだよ」
「そっか、完璧に見えるハチマンも、やっぱ人の子だったって事だね!」
「失礼だなリズ、俺は立派な人の子だぞ」
「あはは、いつものハチマンに戻ったみたいじゃない」
「ん?そういえば足の震えも止まってるな。やっぱりリズはすごいな」
「私にはそれくらいしか出来ないからね」
リズベットは少ししょんぼりしているように見えた。
それを見たキリトはしっかりとリズベットをフォローした。
「そんな事は無いぞリズ。さっきハチマンもちゃんと言ってただろ。
ここにいる三人とも、リズの作った武器を持って戦うんだ。
リズがいなかったら俺達は今ここにいなかったかもしれない。だから自信を持て」
「そうだよリズ、みんなリズには感謝してるんだからね」
「うん、わかった!七十五層だからかなりの強敵が待ってると思うけど、
みんな必ず無事に戻ってきてね!私とシリカとアルゴさん、三人で待ってるからね!」
「おう」
「任せて、リズ」
「それじゃ俺達は本部に向かうから、リズは手はず通り全員を集めておいてくれ」
「分かった」
こうしてハチマンとアスナは休暇を終え、再び戦場へと舞い戻る事となったのだった。