「アスナ、今日はちょっと散歩に出てみないか?」
「そうだね、このところちょっとだらだらしすぎた気もするし、今日はお出かけしよう!」
アルゴとシリカを送り出した後、ハチマンの提案で、
二人は久しぶりに二十二層を散策する事にした。
相変わらず森と水に囲まれたこのフロアはとても穏やかな雰囲気で、
最前線が七十五層に達し、数多くの街が開放された今でもいまだに沢山の人が訪れていた。
「う~ん今日も気持ちのいい日だね」
「そうだな、ずっと住んでるせいですっかり慣れちゃってたが、
改めてこうやって歩いてみると、ほんとこのフロアの良さを実感できるな」
「でも少し心配な事もあるんだよね」
「ん、どんな心配だ?」
「こんな常春な気候に慣れちゃうと、現実世界に戻った後に、
日本の四季に体がついていけるのかなって」
「あー……確かにSAOの中だと、気候の変化は基本フロア移動でしか起こらないしな」
「まがりなりにも色々なフロアで気候の変化を体験している私達ですらこうなんだから、
始まりの街にずっといる人達は、リハビリが大変そうだよね……」
そんな会話を交わしながら、二人はのんびりと散策を続けた。
「あっハチマン君、遠くに綺麗な川が見えるよ。人もいるみたいだけど、よく見えないな」
「よしアスナ、肩車してやろう」
「……私、重いかもよ?」
「アスナが重いわけないだろ!羽根みたいに軽いぞ!」
「そ、そうかな」
「さすがに片手で持ち上げろとか言われると筋力値が不安だが、
肩車くらいなら何の問題もないから心配するな」
「うん、それじゃお言葉に甘えて……」
アスナはハチマンに肩車をしてもらい、再び川の方を見てみた。
「うわぁ、高い高い!」
「どうだ、よく見えるか?」
「うん!どうやら川のところにいる人達は、釣りをしているみたいだね」
「釣りか……今度俺達もやってみるか」
「そうだね、それじゃリズに釣り竿を作ってもらおっか」
「あいつ、釣り竿なんか作れるのか?」
「この前キリト君に頼まれて作ったみたいだよ」
「キリトの奴釣りなんかやってたのか……それじゃ今度、リズの所に行くか」
二人はそのまま川に向かって歩いていった。
二人に気付いた一人の釣り人がこちらに向かって手を振ってきたので、
アスナは嬉しそうにそれに応えて手を振り返していた。
ハチマンも、少し気恥ずかしさを覚えつつも手を振り返してみた。
その釣り人は初老の男性で、
ハチマンは、こんな年齢の人もこのゲームをやっていたのかと少し驚いた。
「やぁこんにちは、お二人は散歩ですか?」
「はい!私達つい先日結婚したばかりなんですけど、今日は散歩でもと思って!」
「そうですか、それはおめでとう」
「ありがとうございます!」
ハチマンは、その男性の顔と声に覚えがあるような気がしていた。
まじまじと男性の顔を見つめたハチマンは記憶を探り、とある名前を思い出した。
「あ、あの……もしかして、ニシダさんですか?」
「あれ、ハチマン君、知り合い?」
「ん?ハチマン……ハチマン君?もしかしてハチマン君かい?」
「はい、お久しぶりですニシダさん!」
ハチマンとニシダは以前少し面識があった。
ハチマンがバイトをしていた頃、食堂で何度か同席した程度の関係だが、
ハチマンの記憶だとニシダは他会社からの出向で、回線保守が仕事だったはずだ。
「あの、ニシダさんは何故ここに?ニシダさんの仕事って回線の保守でしたよね?」
「ああ。自分の仕事の成果を自分で見てみたくなってログインしたんだけどね……」
「そういう事ですか……」
「私はずっと始まりの街にいたんだけど、このフロアの話を聞いてね、
敵も出ないという事だったから、勇気を出して来てみたんだよ。
そしたらこんなに美しい川があるじゃないか。これはもう釣りをするしかないってね」
「そういえばニシダさんは、釣りが大好きだって言ってましたね」
「戦う意欲もわかなかったし、大人しく始まりの街で、
ゲームがクリアされるのを待とうと思っていたんだけどね」
「釣りキチの血がうずいちゃったんですね」
「まあ、そういう事かな」
ニシダは朗らかに笑った。ハチマンはニシダにアスナを紹介する事にした。
「ニシダさん、さっきも少し言いましたけど、これが俺の妻のアスナです」
「始めましてニシダさん」
「新婚だって言ってたね。そうか……二人は今幸せかい?」
「はい!」
「はい」
「良かった……私の関わった仕事が人を不幸にするだけのものじゃなくて、本当に良かった」
「ニシダさん……」
「ははは、今日はいい日だ。ハチマン君と再会できて、幸せそうな姿も見れた。
後はゲームがクリアさえされれば……」
「ニシダさん、俺達今血盟騎士団にいるんですよ。今は休暇中なんですが」
「そうか、最前線に……あっ、もしかしてアスナさんは、閃光のアスナさんかい?」
「は、はい」
アスナはやはり、閃光と呼ばれるのはいまだに気恥ずかしさがあるようで、
少しもじもじとしながらニシダに答えた。
「アスナさんと一緒に行動している最前線プレイヤー……もしかして、ハチマン君が銀影?」
「うわ、その呼び名、ニシダさんも知ってたんですか……
俺、つい先日まで知らなかったんですよね」
「私も噂で聞いた程度だけどね」
「そんなわけで、俺達がいずれ必ずこのゲームをクリアします。
だからニシダさんは、それまで釣りを楽しんでいて下さい」
「しかし君達が戦っているのにそれは……」
「いえ、誰かのために戦う方が、俺達もより多くの力を発揮できますから。
それに、その誰かが笑っていてくれた方が、やる気も出るってもんですよ」
「そうですよニシダさん!私の旦那様はすごいんですから、
ここはどーんと任せちゃってください!」
「そうか……うん、そうだね、ハチマン君、アスナさん、すまないが、宜しく頼むよ」
「はい!」
ニシダが涙ぐみながら、二人の手をしっかりと握った。
二人は微笑みながら、ニシダに頷いた。
「そうだニシダさん、ここって初心者でも釣りは出来ますか?」
「うん、問題ないよ。私もここから始めたからね」
「実は俺達さっき、釣りをやってみようかなって話してたんですよ」
「おお、それなら私が最初に使ってた竿があるからこれを君たちにあげよう」
「いいんですか?ありがとうございます」
ニシダはストレージから竿を取り出し、二人に差し出してきた。
二人はニシダにレクチャーしてもらい、釣りを楽しんだ。
何匹か釣り上げた後、少し休憩しようという事になった時、
ニシダが何かをストレージから取り出した。
「ニシダさん、それは?」
「これはね、焚き火タイプの調理道具なんだよね。
最初は釣った魚を売る事しか出来なかったんだけど、こうして、ほら」
「うわ、本当に焚き火で魚を焼いてるように見えますね」
「釣った魚を売ってコルをためて、少し前にやっと買ったんだよ。
どうだい、なんかそれっぽくていい感じだろう?」
「アスナ、これはもうアレを使うしかないぞ」
「そうだね、ここはアレの出番だね」
「アレ?」
「ニシダさん、アスナは料理スキルカンストしてるんですよ。
ここはちょっとアスナに任せてみてくれませんか?」
「アスナさんは料理が得意なんだね。ハチマン君はいいお嫁さんをもらったなぁ」
「はい、自慢の嫁です!」
アスナは頬を赤らめながら調理を開始した。
ストレージからいくつかの調味料を取り出し、何事か作業をしていたが、
少しして完成したのか、焼きあがった魚をニシダに差し出した。
「ニシダさん、どうぞ」
「ありがとう、それじゃ早速頂くよ……こっ、これは……」
「はい、醤油です」
「醤油……醤油だ……美味い、本当に美味いよ……」
ニシダは涙を流しながら焼き魚を食べていた。やはり醤油の効果は抜群だ。
「アスナ、まだ醤油と、それに味噌も結構残ってるよな?」
「うん」
「ニシダさん、良かったら醤油と味噌をいくつか差し上げますので、是非使ってください」
「いいのかい?ありがとう、ありがとう……」
「いえ、色々と教えてもらったお礼です」
ニシダは、やはり魚は釣りたてに限ると力説し、
二人もそれに同意しながら自分達の釣った魚に舌鼓をうった。
その後も釣りは続けられた。時間の過ぎるのはあっという間だった。
気が付くとそろそろ日が暮れる時間となっていたので、
その日の釣りはそこで終わりという事になった。
ハチマンはニシダと連絡先を交換し、後日の再会を約して別れたのだった。
「今日は楽しかったね」
「そうだな、つい時間が過ぎるのも忘れちまったな」
「現実に帰還した後にもやってみたいな」
「アスナ、ミミズとか掴めるのか?」
「うっ……どうだろう……」
「まあそこらへんは俺がやってもいいしな。機会があったらやってみるのもいいかもな」
「現実に戻ったら、かぁ」
アスナはそう呟くと、少し不安そうな顔をした。
「現実に戻っても、ハチマン君は私と一緒にいてくれる?」
「当たり前だろ。障害も多いかもしれないが、必ずアスナに会いに行くと約束する。
必要なら苦手な数学とかもしっかり勉強して、絶対にアスナに相応しい男になる」
その返事を聞いたアスナは、とても嬉しそうだった。
「連絡先も交換しないとだね」
「あー……俺、自分の携帯のアドレスも番号ももう忘れちまったな……
そもそも滅多に使ってなかったし」
「私もうろ覚えかも……何か連絡をとる方法を考えないとだね」
「そうだな、まあ他の奴らとも相談だな」
そんな事を話していると、どうやらハチマンに、アルゴから連絡が入ったようだ。
ハチマンはそのメッセージを見て、アスナに言った。
「よしアスナ、明日は温泉旅行だ」