ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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2017/10/29 修正


第006話 ユキトキ

 ハチマンは風呂から出ると、とりあえず腰に手を当てて、牛乳を一気飲みした。

 

(この世界には、さすがに千葉のソウルドリンクは無いよな……はぁ、自作できねえかな)

 

 ハチマンは、料理スキルを取ろうかとも考えたが、

スキルスロットが絶望的に足りないので、しばらくは我慢する事にした。

ハチマンは、今日はさっさと寝ようかと思って横になったが、すぐには寝付けなかった。

基本人は寝る時には、とかく余計な事を考えてしまうものだからだ。

ハチマンの脳裏には、残してきた大切な人達や、新しくこの世界で会った人達の姿が、

浮かんでは消え、また浮かんでは消えていった。

 

「ハチマン君、まだ起きてる?」

 

 そんなハチマンに、突然アスナが声を掛けてきた。

 

「眠れないのか?」

「うん、さっきまでは平気だったんだけど、いざ寝ようとすると、

やっぱり余計な事ばかり考えちゃうんだよね」

 

 アスナは、そう言うと、突然自分の事を語り始めた。

リアルの事を話すのは、あまり褒められた事では無いが、とにかく不安なのだろう。

ハチマンは、黙ってアスナの話を聞く事にした。

名家に生まれた為、親の期待がすごい事。成績が落ちるのが怖くて仕方ない事。

子供の時から常に試験試験で勝利を義務づけられる苦しみ。

実のところハチマンには、それらの悩みは、まったく理解できなかった。

人は所詮、他人の痛みを、本当の意味で理解する事は出来ない。

 

(予想はしてたけど、やっぱりお嬢様なんだな…

でも同じお嬢様でも、雪ノ下とは正反対だな。どちらかというと、陽乃さんと同じか)

 

「ハチマン君は、これまで生きてきてどうだった?」

「……聞いても面白い話じゃないぞ。むしろその、気分が悪くなる話ばかりだと思うぞ」

「無理に言えとは言わないけど、どうしてそんなに他人に優しいのか、知りたいの」

 

 そのアスナの言葉を聞いたハチマンは、即座にそれを否定した。

 

「俺はそんな優しい男じゃない。全て自分のためにやってる事だからな」

「嘘ばっかり。それならあそこで私を見捨てた方が、はるかに楽だったはずだよね?」

「それは……」

「大丈夫だよ、私はあなたを傷つけたりはしない。恩人だもんね。

だから恩返しって訳じゃないけど、どんな話でも、ちゃんと聞くよ。

それでハチマン君の気持ちが少しでも楽になるなら、私はその手助けがしたいの」

 

 アスナは、ハチマンの過去に何かあったんだと察しながらも、ハッキリとそう言った。

そんなアスナの気持ちに感化されたのか、それとも雰囲気がそうさせたのか、

ハチマンは、自分がこれまで何をされ、どう思ったかを、ぽつぽつと話しはじめた。

アスナは、じっと黙ってそれを聞いていた。

 

(想像以上だった………安易に聞いちゃいけなかった)

 

 アスナはハチマンの過去に衝撃を受けたが、やはり全てを理解する事は出来なかった。

経験していない事をさも知ったように語る事だけなら出来る。

ただ、それを本当に理解する事は難しい。

それでもアスナは、ハチマンの事をもっと理解し、出来るだけ支えたいと思った。

自分を助けてくれたハチマンの優しさは、決して打算の産物では無いと、

理解していたからだった。

 

「お前、泣いてるのか?」

 

 気が付くとアスナは、涙を流していた。その涙は月の光を反射して輝いていた。

 

「ばっかお前、俺は好きで一人でいるんだよ。大体だな、ぼっちのどこが悪いんだ?

人はぼっちでいる限り、誰にも迷惑をかけない、究極のエコだ。

そもそも一人で頑張ってる奴が、みんなと一緒に頑張ってる奴より劣るなんて俺は認めない。

俺は一人で完結しているので、お前に泣いてもらう必要なんかこれっぽっちも無いんだよ」

 

 慰めようとしてくれているのかなと、アスナは涙を拭きながらくすっと笑った。

そんなアスナに、ハチマンは、普段から不満に思っていた事を、何故か話していた。

 

「人間関係に悩むなら、それ自体を壊してしまえば悩むことは無くなる。

負の連鎖ならもとから断ち切る。俺はそうやって生きてきた。

逃げちゃダメだなんて考えは、強者の驕りでしかない。

他人は変われとよく言うが、変わるのは現状からの逃げだ。

変わらないまま勝ちたいなら、強くなるしかない。

それは喧嘩が強いとかそういう事じゃなく、俺みたいに強い自己をしっかり保つ事だ。

ぼっちでも群れの一員でもいい。自分さえしっかり持っていれば、何も問題は無い」

「自分……目標とか?考え方とか?」

「目標でもいいし、変わらぬ強い気持ちでもいい。守りたいものでもいいな」

 

 アスナは、静かにハチマンの言葉を聞いていた。

さきほどまでは少し濁り気味だったアスナの瞳にも、力が戻ってきているようだった。

 

「後な、俺はアスナによく似た境遇の人を、一人知っている。

その人もアスナみたいに、家庭の事情で常勝を義務づけられてる人なんだが、

そのせいか、強くあろうとして、仮面をかぶって、絶対に他人に弱みを見せないんだよ。

それでいて、本人は隠してるつもりなんだろうが、すごい妹思いでな。

親に逆らえない、自分の意見を持たない妹をなんとか変えようと、

時にはすごい厳しいやり方をする事もあるが、あの手この手を使って、

妹に嫌われようが、何をしようが、とにかく頑張って、

妹を自立させようとしてる、そんなすごい人をな。ちなみにその妹は、うちの部の部長だ」

「大事な人に嫌われても頑張れるの?」

「いくらそいつから嫌われても、そいつが幸せなら俺も幸せだと思う時とかあるだろ?」

「うん、そういうのって、あるよね」

「だから俺なんかどうでもいいんだよ。俺なんかと一緒にいたら、変な目で見られちまうし、

例え俺が嫌われても、そのおかげで多くの人が幸せになれるなら、

それはとても効率的な救い方だ」

 

 アスナはその意見を聞き、ハチマンの事を、とても危うい人だと感じていた。

そして彼がいなくなった時の事を想像して、

とても悲しい気持ちになる自分がいる事に、気が付いてしまった。

そしてアスナは今、決意した。

 

「それも確かに、真実だと思うよ。でもね、ハチマン君」

 

 アスナは、覚悟を決めて、ハチマンの心に一歩踏み込んだ。

 

「それはね、ハチマン君が傷ついていい理由にはならないんだよ。

少なくとも私は、ハチマン君がいなくなるのは、すごく寂しい。

まだ知り合ったばっかりなのに、変でしょ?

もしかしたらこれが、吊り橋効果なのかもしれない。でもね、私はね、

ハチマン君と一緒に、喜びも、苦労も苦痛も、全て分かち合った上で、

胸を張って、現実世界へと帰還したいって、そう思う。

最後まで、一緒に戦おう、ハチマン君」

 

 アスナから聞かされた言葉は、まるで愛の告白のようだった。

クリスマスイベントを経た今、その言葉は、すんなりとハチマンの中に入ってきた。

クリスマスイベントで、八幡が玉縄に噛みついた後、

雪ノ下がまるで、ハチマンと共犯になるかのごとく、玉縄に噛みついたあの時から。

ハチマンは、自分と共に傷ついてくれる人がいる可能性を、心に刻み込まれてしまっていた。

基本一人だったハチマンと、一緒に歩む覚悟を決めた者。

状況のせいもあるのだろうが、そんな事は今は関係が無い。

その可能性を体現している者が、今まさに、ハチマンの目の前に存在しているのだ。

それはおそらく、現実世界にも、確実に二人……

 

(いつも俺が一人で守っていた小さな俺の心には、少しだけ空いている場所があって、

俺はずっと知らなかったんだな、二人でもいいんだって………)

 

それはまるで雪解けのようで……気が付くとハチマンは、子供のように泣いていた。

アスナは、そんなハチマンの頭をずっとなで続けていた。

 

「どう?現実世界に、あなたの居場所はあった?」

「ああ、確かにあったわ。どうしてもあの場所に戻らなくちゃいけない。

本物だったかもしれない物を、本物かどうか確かめないまま死ぬわけにはいかない。

あそこは俺がやっと手にいれた、とても居心地のいい場所なんだ。

もう一度あいつらに会って、一緒に笑いあえるまで俺は戦う。

今までも、本気で戦うつもりではあったが、この決意は、それとは違う」

「うん、私も一緒にいくよ。ところでそのあいつらの中に、私は入るのかな?」

 

 不意にかけられた言葉に、ハチマンは虚をつかれた。あの部屋に、アスナが入る?

雪ノ下、由比ヶ浜がいて、たまに一色がいて、そしてそこにアスナがいる光景を思い浮かべ、

ハチマンは、それがとても自然な光景に思えた。

 

「私も必ず帰って、親に文句の一つでも言ってみたい。もちろんただ逆らうんじゃなく、

やるべき事をやった上で、自分がやりたい事をしっかりと見つけて、それで、それで、

お父さんやお母さんにその事を認めさせたい。認めてもらうんじゃなく認めさせる。

そして奉仕部の人達と一緒に、ハチマン君の話をするの」

「帰ったら、必ずみんなを紹介してやるよ。きっと仲良くなれると思う」

 

 それは、ちょっと知り合いを紹介しますみたいな、軽い言い方だったが、

アスナはそれが実現する事を、もう疑ってはいなかった。

ハチマンから、何か大切な物をもらった気がして、

その大切なものを、ハチマンと一緒に、守ろうと思った。

 

「ハチマン君、もし良かったら………」

「その先は俺に言わせてくれ。俺もちょっとくらいは、かっこつけたいからな。

あんな過去を持ち、アスナの前で、醜態を晒した俺が言うのもアレなんだがな。

俺は目も腐ってるし、人と話すのが得意というわけじゃない。

基本どこかに出かけるのを面倒臭がるし、あと、目が腐ってる」

「腐ってるって、二回言ってるよ?もうそういうのはやめよ?」

「す、すまん……それで、だ」

「それじゃ、せっかくだから、一緒に言おうか?」

 

 アスナがそう提案し、ハチマンは頷いた。そして二人は、同時にその言葉を発した。

 

「俺と友達になってくれないか、アスナ」

「私と友達になってくれないかな、ハチマン君」

 

 こうしてハチマンは、生まれて初めての、異性の友達を手に入れた。

更に初めて、異性からも友達になる事を申し込まれるという、おまけつきだった。

 

「あ~、俺が泣いた事とか、その、秘密でたのむ」

 

 それを聞いたアスナは、いたずらっぽくこう答えた。

 

「うん、奉仕部の人たちと会った時までは、秘密にしとくね?」

「まじかよ………」

 

 この時から結城明日奈は、本当の意味で、細剣使い、アスナになった。

そして比企谷八幡は、仮の意味で、ぼっちをやめた。

 

「これから宜しくね、ハチマン君」

「ああ、必ずお互いの背中を守り抜き、二人揃って、現実世界に帰ろう」

「私もこれから、もっと強くならないとだね」

「俺も、今までの情けない自分とは、もうサヨナラだな」

 

 奇跡だけで出来た完全結晶などは存在しない、

クリスマスイベントまでの積み重ねがあってこそ起こった奇跡。

だからひとつづつゆっくりと積み重ねて、二人は手をつないでゆく。


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