八幡と静は黙って対峙していたが、最初に口を開いたのは静だった。
「よぉ比企谷、やるじゃないか。よほど前回の負けが悔しかったと見えるな」
「先生こそ、そろそろヤンチャはやめた方がいいと思いますよ」
「言うようになったじゃないか、比企谷。
まあそうだな……そろそろこっちも潮時かもな……私にもついに……」
静は八幡にそう言われ、天を仰ぎながら呟いたが、
静のその言葉はしっかりと八幡の耳に届いていた。静はこう言ったのだ。
『私にもついに、ずっと一緒にいたい人が出来たしな、安全第一で行かないと』と。
それを聞いた八幡は、何も言わず、静の次の言葉を待っていた。
そんな八幡を見て、静はにっこりと微笑みながら言った。
「それにしても比企谷、やっと君も、素直に他人を頼れるようになったんだな」
「そうですね、何かあった時は、とりあえず最初は、
極力自分の力で何とかしようとは思うんですが、
それをするにはあまりに相手が強すぎました。晶彦さん、そして、前回の先生も」
「ははっ、あの茅場晶彦と同列に語られるとは、私もえらくなったもんだな」
静は面白そうにそう言うと、表情を改め、真顔で八幡に言った。
「比企谷、遼太郎さんから、話は少しだけ聞いたよ。
君は明日奈君を、最初から最後まで守り通したんだってな、仲がいいのも頷けるよ」
「俺は明日奈を、本当に守り通せた、んですかね」
そんな八幡の肩をぽんと叩き、静は満面の笑顔になった。
「君はその後も、ALOから、彼女をしっかりと救い出したじゃないか。
少しは自分を誇りたまえ。ちなみに私は君の事を、とても誇りに思っている。
だが、まだ終わりじゃないぞ。これからも彼女の事は、しっかりと君が守るんだ」
「はい……」
八幡は、鼻の奥がツンとなり、下を向きながら言った。
「比企谷、君は自分一人では敵わない敵の存在を知り、
そしてそれを倒す為に、信頼する仲間の力を借りる事を覚えた。
君へのレッスンも全て終了だな。もう私が君に教えられる事は何も無い。卒業だ、比企谷」
「先生……」
泣き顔を見られるのも気にせず、八幡は顔を上げ、静の顔を見た。
そこで八幡は、予想とは違う静の表情に気が付き、泣きながら吹き出した。
「ぐっ……ぷっ……」
「い、一体何がおかしいのかね、感動的な場面なのに」
「だって先生、その表情、どう見ても、すごい悔しそうにしか見えないですよ」
「くっ……悔しいに決まってるじゃないか。あんな車、反則だろう!ずるいぞ比企谷!」
「子供かよ……」
二人は顔を見合わせると、とてもおかしそうに、腹を抱えながら笑った。
仲間達もそれを見て、嬉しそうに二人に近付いてきた。
八幡は、自分は今とても幸せなんだなと思いながら、仲間達の顔を見回した後、
遼太郎に近付き、その首にがしっと腕を回すと、遼太郎の耳に口を近付けて、小声で言った。
「クライン、俺は今日で先生から卒業だ。これからは、先生の事、頼むな」
「お、おう、任せとけい!」
「とりあえずさっさと決着をつけろよ、出来れば今日中にな」
「も、もちろんそのつもりだぜ!」
こうして無事に卒業を終え、八幡ら四人は帰ろうとしたのだが、
遠くにラーメン屋を見付けた静が、せめて昼だけでも一緒に食べていこうと提案した為、
せっかくの機会なので、六人はそのまま遠くに見えるラーメン屋へと向かう事にした。
「今日は私がおごろう。好きな物を好きなだけ注文したまえ」
静は胸を張ってそう宣言した。陽乃には特におごってもらう理由は無かったのだが、
静の面子を潰さない為に、どうやら黙っておごってもらうようだ。
遼太郎はその言葉に一瞬迷ったようだったのだが、同じ理由で口出しするのをやめた。
当然次の機会には、自分がおごる気まんまんであったが。
「わぁ、私、ラーメン屋さんとか来るの初めてだ」
ふいに明日奈がそんな事を言った。どうやら明日奈は、
今までこういう機会が無かったらしく、興味津々な様子で店内をきょろきょろと眺めていた。
「明日奈ちゃんは初めてなんだね。あれ、でもあのラーメンが大好きな八幡君が、
明日奈ちゃんを連れて行った事が無いなんて、ちょっと意外だなぁ」
そう言われ、陽乃に視線を向けられた八幡の返事は、至極真っ当なものだった。
「あ~、それはですね、一応まだ退院してからそれほど経ってないんで、
食事関係にはちょっと気を遣ってるんですよ。まあ今日はそんな野暮は言いませんけどね」
「あ~、そういう事、なるほどねぇ。私は静ちゃんに、色々な店に連れていかれたなぁ。
でもよく考えると、静ちゃん以外の人と一緒に入るのは初めてかも。
家族でラーメンを食べに行った記憶も無いしなぁ……
あ、って事は、もしかして雪乃ちゃんも初めてだったりするの?」
「いいえ姉さん、私は二回目よ。一度、八幡君と先生と三人で行った事があるわ」
「そうなんだ」
陽乃は意外そうにそう言うと、続けて雪乃にこう尋ねた。
「やっぱり静ちゃんが絡んでるんだね。あれ、でもそれって、高校生の時の話よね?
あの頃に、静ちゃんと三人でお出かけ?それとも二人一緒の所に静ちゃんが合流?
八幡君と雪乃ちゃんが、ラーメン屋に一緒に行くような関係だった記憶は無いんだけど、
二人の仲が改善したのって、クリスマス前後でしょう?
その直後にアレがあったし、う~ん、考えても分からないや、それっていつの話?」
「修学旅行の夜の話よ」
「修学?」
「旅行の?」
「夜?」
遼太郎と明日奈と陽乃は、きょとんとしながら順番にそう言った。
静は三人に視線を向けられると、何も聞こえないという風に口笛を吹きながら顔を背けた。
次に視線を向けられたのは八幡だったが、八幡は懐かしそうに目を細めながら、
雪乃の顔を見つつ、こう答えた。
「ああ、あの時か、懐かしいな。たまたま夜に、ホテルの売店の前で、
パンさんグッズをすごく真剣に吟味している雪乃に会ってな」
「へぇ~、雪乃って、パンさんが大好きなんだね!」
「えっと……」
明日奈にキラキラした目でじっと見つめられながらそう言われ、観念したのだろうか、
雪乃は少し恥ずかしそうに、だがはっきりとそれを肯定した。
「ええ、大好きよ」
「それじゃあ今度、ゆいゆい達も誘って、一緒にディスティニーランドに行こうよ!」
「それはとても楽しそうね。帰ったら早速予定を立てましょうか」
「うんっ!」
雪乃と明日奈が順調に仲良くなっている事に喜びを感じつつ、八幡は説明を続けた。
「で、たまたまそこに、他の先生達には内緒で、
こっそりとラーメンを食べに出かけようとしていた平塚先生が通りかかってな、
口止めって事で、そのまま三人で一緒にラーメンを食べに行く事になったって訳だな」
その説明を聞いた陽乃は、静をじとっと見ながら言った。
「静ちゃん……あなたって人は……」
「し、仕方ないじゃないか、どうしても食べたくなってしまったんだから」
「はぁ……まあ、いいけどね」
静は陽乃に抗議しつつも、遼太郎の反応が気になるのか、
ちらりとそちらに視線を走らせた。
当の遼太郎は、腕を組みながら、うんうんと一人で何か頷いていた。
「あの……遼太郎さん?」
静が恐る恐る遼太郎に話しかけると、遼太郎は、ニカッと笑いながら言った。
「その気持ち、よく分かりますよ、静さん!俺もラーメンは大好きっす!」
「あ……は、はい!」
静はその遼太郎の言葉に安堵し、嬉しそうに返事をした。
そして話がひと段落した所で、六人は店に入って席につき、注文をする事になった。
明日奈は、本当にいいのかと何度も聞かれながらも、八幡と同じ物を頼み、
目の前に丼が置かれた瞬間、戸惑ったように八幡の顔を見つめた。
その丼の中身は、ひたすら油、油、油であった。
八幡はそんな明日奈に頷くと、黙って雪乃の前にある丼を指差した。
明日奈がつられてそちらを見ると、雪乃の目の前の丼も、同じような状態であった。
明日奈の視線に気が付いた雪乃は、笑顔で明日奈に言った。
「大丈夫、最初はびっくりするかもしれないけど、でもとてもおいしいわよ」
自分よりも食が細そうに見える雪乃にそう言われた明日奈は、
他の人の丼を見たが、どれも見た目は大差無い物だったので、
明日奈は箸を取り、恐る恐る、そのラーメンを口にした。
「あっ……美味しい……」
「だろ?」
八幡はそれを聞き、嬉しそうに明日奈に言った。
雪乃も、ほら言ったでしょう、と、笑顔で明日奈に頷いていた。
こうして、和やかな雰囲気のまま食事を終えた一行は店を出たのだが、
そんな一行に、話しかける者がいた。
『楽しい食事だったみたいですね、良かったです、八幡』
その声の主の姿がどこにも見えなかった為、
遼太郎と静はきょろきょろと辺りを見回したのだが、周囲には誰もいない。
「お前にも食べさせてやりたかったよ、キット。
約束通り、後でハイオクマンタンにしてやるから、それで勘弁な」
「はい、ありがとうございます」
「ハイオクマンタン?」
「し、静さん、これってまさか、さっき話してたドラマの……」
その、どう聞いても人間相手ではありえないセリフを聞いた二人は、まさかと思いながら、
陽乃達が先ほどまで乗っていた、そのトランザムをじっと見つめた。
その視線に気付いたのか、キットはドアを上下に動かしながら挨拶をした。
『初めまして、お二人とも、私はキットと言います』
その丁寧な挨拶にきょとんとした後、一瞬の間を置いて、二人は驚きと共に叫んだ。
「ほ、本物~~~~?」
「マジか!すっげえ!」
二人にとっては、それがこの日一番のサプライズとなったようだ。
そして四人はキットに乗って帰っていき、その場には、遼太郎と静だけが残されたのだった。