ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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2018/06/13 句読点や細かい部分を修正


第172話 勝負の後の平穏

 八幡と静は黙って対峙していたが、最初に口を開いたのは静だった。

 

「よぉ比企谷、やるじゃないか。よほど前回の負けが悔しかったと見えるな」

「先生こそ、そろそろヤンチャはやめた方がいいと思いますよ」

「言うようになったじゃないか、比企谷。

まあそうだな……そろそろこっちも潮時かもな……私にもついに……」

 

 静は八幡にそう言われ、天を仰ぎながら呟いたが、

静のその言葉はしっかりと八幡の耳に届いていた。静はこう言ったのだ。

『私にもついに、ずっと一緒にいたい人が出来たしな、安全第一で行かないと』と。

 

 それを聞いた八幡は、何も言わず、静の次の言葉を待っていた。

そんな八幡を見て、静はにっこりと微笑みながら言った。

 

「それにしても比企谷、やっと君も、素直に他人を頼れるようになったんだな」

「そうですね、何かあった時は、とりあえず最初は、

極力自分の力で何とかしようとは思うんですが、

それをするにはあまりに相手が強すぎました。晶彦さん、そして、前回の先生も」

「ははっ、あの茅場晶彦と同列に語られるとは、私もえらくなったもんだな」

 

 静は面白そうにそう言うと、表情を改め、真顔で八幡に言った。

 

「比企谷、遼太郎さんから、話は少しだけ聞いたよ。

君は明日奈君を、最初から最後まで守り通したんだってな、仲がいいのも頷けるよ」

「俺は明日奈を、本当に守り通せた、んですかね」

 

 そんな八幡の肩をぽんと叩き、静は満面の笑顔になった。

 

「君はその後も、ALOから、彼女をしっかりと救い出したじゃないか。

少しは自分を誇りたまえ。ちなみに私は君の事を、とても誇りに思っている。

だが、まだ終わりじゃないぞ。これからも彼女の事は、しっかりと君が守るんだ」

「はい……」

 

 八幡は、鼻の奥がツンとなり、下を向きながら言った。

 

「比企谷、君は自分一人では敵わない敵の存在を知り、

そしてそれを倒す為に、信頼する仲間の力を借りる事を覚えた。

君へのレッスンも全て終了だな。もう私が君に教えられる事は何も無い。卒業だ、比企谷」

「先生……」

 

 泣き顔を見られるのも気にせず、八幡は顔を上げ、静の顔を見た。

そこで八幡は、予想とは違う静の表情に気が付き、泣きながら吹き出した。

 

「ぐっ……ぷっ……」

「い、一体何がおかしいのかね、感動的な場面なのに」

「だって先生、その表情、どう見ても、すごい悔しそうにしか見えないですよ」

「くっ……悔しいに決まってるじゃないか。あんな車、反則だろう!ずるいぞ比企谷!」

「子供かよ……」

 

 二人は顔を見合わせると、とてもおかしそうに、腹を抱えながら笑った。

仲間達もそれを見て、嬉しそうに二人に近付いてきた。

八幡は、自分は今とても幸せなんだなと思いながら、仲間達の顔を見回した後、

遼太郎に近付き、その首にがしっと腕を回すと、遼太郎の耳に口を近付けて、小声で言った。

 

「クライン、俺は今日で先生から卒業だ。これからは、先生の事、頼むな」

「お、おう、任せとけい!」

「とりあえずさっさと決着をつけろよ、出来れば今日中にな」

「も、もちろんそのつもりだぜ!」

 

 こうして無事に卒業を終え、八幡ら四人は帰ろうとしたのだが、

遠くにラーメン屋を見付けた静が、せめて昼だけでも一緒に食べていこうと提案した為、

せっかくの機会なので、六人はそのまま遠くに見えるラーメン屋へと向かう事にした。

 

「今日は私がおごろう。好きな物を好きなだけ注文したまえ」

 

 静は胸を張ってそう宣言した。陽乃には特におごってもらう理由は無かったのだが、

静の面子を潰さない為に、どうやら黙っておごってもらうようだ。

遼太郎はその言葉に一瞬迷ったようだったのだが、同じ理由で口出しするのをやめた。

当然次の機会には、自分がおごる気まんまんであったが。

 

「わぁ、私、ラーメン屋さんとか来るの初めてだ」

 

 ふいに明日奈がそんな事を言った。どうやら明日奈は、

今までこういう機会が無かったらしく、興味津々な様子で店内をきょろきょろと眺めていた。

 

「明日奈ちゃんは初めてなんだね。あれ、でもあのラーメンが大好きな八幡君が、

明日奈ちゃんを連れて行った事が無いなんて、ちょっと意外だなぁ」

 

 そう言われ、陽乃に視線を向けられた八幡の返事は、至極真っ当なものだった。

 

「あ~、それはですね、一応まだ退院してからそれほど経ってないんで、

食事関係にはちょっと気を遣ってるんですよ。まあ今日はそんな野暮は言いませんけどね」

「あ~、そういう事、なるほどねぇ。私は静ちゃんに、色々な店に連れていかれたなぁ。

でもよく考えると、静ちゃん以外の人と一緒に入るのは初めてかも。

家族でラーメンを食べに行った記憶も無いしなぁ……

あ、って事は、もしかして雪乃ちゃんも初めてだったりするの?」

「いいえ姉さん、私は二回目よ。一度、八幡君と先生と三人で行った事があるわ」

「そうなんだ」

 

 陽乃は意外そうにそう言うと、続けて雪乃にこう尋ねた。

 

「やっぱり静ちゃんが絡んでるんだね。あれ、でもそれって、高校生の時の話よね?

あの頃に、静ちゃんと三人でお出かけ?それとも二人一緒の所に静ちゃんが合流?

八幡君と雪乃ちゃんが、ラーメン屋に一緒に行くような関係だった記憶は無いんだけど、

二人の仲が改善したのって、クリスマス前後でしょう?

その直後にアレがあったし、う~ん、考えても分からないや、それっていつの話?」

「修学旅行の夜の話よ」

「修学?」

「旅行の?」

「夜?」

 

 遼太郎と明日奈と陽乃は、きょとんとしながら順番にそう言った。

静は三人に視線を向けられると、何も聞こえないという風に口笛を吹きながら顔を背けた。

次に視線を向けられたのは八幡だったが、八幡は懐かしそうに目を細めながら、

雪乃の顔を見つつ、こう答えた。

 

「ああ、あの時か、懐かしいな。たまたま夜に、ホテルの売店の前で、

パンさんグッズをすごく真剣に吟味している雪乃に会ってな」

「へぇ~、雪乃って、パンさんが大好きなんだね!」

「えっと……」

 

 明日奈にキラキラした目でじっと見つめられながらそう言われ、観念したのだろうか、

雪乃は少し恥ずかしそうに、だがはっきりとそれを肯定した。

 

「ええ、大好きよ」

「それじゃあ今度、ゆいゆい達も誘って、一緒にディスティニーランドに行こうよ!」

「それはとても楽しそうね。帰ったら早速予定を立てましょうか」

「うんっ!」

 

 雪乃と明日奈が順調に仲良くなっている事に喜びを感じつつ、八幡は説明を続けた。

 

「で、たまたまそこに、他の先生達には内緒で、

こっそりとラーメンを食べに出かけようとしていた平塚先生が通りかかってな、

口止めって事で、そのまま三人で一緒にラーメンを食べに行く事になったって訳だな」

 

 その説明を聞いた陽乃は、静をじとっと見ながら言った。

 

「静ちゃん……あなたって人は……」

「し、仕方ないじゃないか、どうしても食べたくなってしまったんだから」

「はぁ……まあ、いいけどね」

 

 静は陽乃に抗議しつつも、遼太郎の反応が気になるのか、

ちらりとそちらに視線を走らせた。

当の遼太郎は、腕を組みながら、うんうんと一人で何か頷いていた。

 

「あの……遼太郎さん?」

 

 静が恐る恐る遼太郎に話しかけると、遼太郎は、ニカッと笑いながら言った。

 

「その気持ち、よく分かりますよ、静さん!俺もラーメンは大好きっす!」

「あ……は、はい!」

 

 静はその遼太郎の言葉に安堵し、嬉しそうに返事をした。

そして話がひと段落した所で、六人は店に入って席につき、注文をする事になった。

明日奈は、本当にいいのかと何度も聞かれながらも、八幡と同じ物を頼み、

目の前に丼が置かれた瞬間、戸惑ったように八幡の顔を見つめた。

その丼の中身は、ひたすら油、油、油であった。

八幡はそんな明日奈に頷くと、黙って雪乃の前にある丼を指差した。

明日奈がつられてそちらを見ると、雪乃の目の前の丼も、同じような状態であった。

明日奈の視線に気が付いた雪乃は、笑顔で明日奈に言った。

 

「大丈夫、最初はびっくりするかもしれないけど、でもとてもおいしいわよ」

 

 自分よりも食が細そうに見える雪乃にそう言われた明日奈は、

他の人の丼を見たが、どれも見た目は大差無い物だったので、

明日奈は箸を取り、恐る恐る、そのラーメンを口にした。

 

「あっ……美味しい……」

「だろ?」

 

 八幡はそれを聞き、嬉しそうに明日奈に言った。

雪乃も、ほら言ったでしょう、と、笑顔で明日奈に頷いていた。

こうして、和やかな雰囲気のまま食事を終えた一行は店を出たのだが、

そんな一行に、話しかける者がいた。

 

『楽しい食事だったみたいですね、良かったです、八幡』

 

 その声の主の姿がどこにも見えなかった為、

遼太郎と静はきょろきょろと辺りを見回したのだが、周囲には誰もいない。

 

「お前にも食べさせてやりたかったよ、キット。

約束通り、後でハイオクマンタンにしてやるから、それで勘弁な」

「はい、ありがとうございます」

「ハイオクマンタン?」

「し、静さん、これってまさか、さっき話してたドラマの……」

 

 その、どう聞いても人間相手ではありえないセリフを聞いた二人は、まさかと思いながら、

陽乃達が先ほどまで乗っていた、そのトランザムをじっと見つめた。

その視線に気付いたのか、キットはドアを上下に動かしながら挨拶をした。

 

『初めまして、お二人とも、私はキットと言います』

 

 その丁寧な挨拶にきょとんとした後、一瞬の間を置いて、二人は驚きと共に叫んだ。

 

「ほ、本物~~~~?」

「マジか!すっげえ!」

 

 二人にとっては、それがこの日一番のサプライズとなったようだ。

そして四人はキットに乗って帰っていき、その場には、遼太郎と静だけが残されたのだった。


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