「遼太郎さ~ん!」
「し、静さん、おはようございます」
静はこの日、遼太郎との約束の時間の一時間前から待ち合わせ場所で待機していた。
そして遼太郎の姿を見付けると、嬉しそうに手を振りながら、そちらへと駆け寄っていった。
多少キャラを作っていた事は否めないが、そこは大目に見てあげて欲しい。
静も、楽しかったとはいえ、前回はやはりちょっと失敗したかもしれないと思っていた為、
彼女なりに反省し、その失点を取り戻そうと必死なのだ。
幸い今の静の姿を八幡が見ても、ギリギリ、本当にギリギリセーフなレベルだったので、
遼太郎はその静の姿に、何ら悪い印象を持たなかった。
もっとも遼太郎が、そんな事は気にしない心の広い男だというのは間違いないので、
本来はまったく問題が無いはずなのだが、男女関係に絶対は無いのである。
「あ……ご、ごめんなさい、私ったらつい……」
静はその経験から、遼太郎が少し引きぎみかもしれないと思い、咄嗟に軌道を修正した。
静の脳裏に、過去に付き合ってきた男達の姿が走馬灯のように浮かび、
静は密かに背中に冷たい汗がつたうのを感じた。だが、それはもちろん静の杞憂だった。
遼太郎は、そんな静にいきなり頭を下げたのだった。
「早めに出てきたつもりだったんですけど、待たせちゃったみたいですね。
本当にすみません、静さん!」
静はいきなり遼太郎に謝られて、面食らうと同時に、罪悪感を覚えていた。
今は待ち合わせの時間の三十分前である。遼太郎に一切非は無いのだ。
「そ、それは違います遼太郎さん。私が早く来すぎただけです。謝らないで下さい」
「え、あ~いや、それはそうかもですけどね、う~ん」
遼太郎は、少し悩むそぶりを見せた後、ニカっと笑いながら言った。
「それじゃあ、予定よりも三十分長く一緒にいられるから、ラッキーって事で、
これからの事だけ考えましょう!」
遼太郎は、いや~楽しみだな~と言いながら、そんな事を言った。
静はそんな前向きな遼太郎に、改めて好意を抱いた。
「八幡の車も見当たらないし、今日はあいつら、来てないみたいっすね。
それじゃあ静さん、とりあえず出発しましょうか」
「はい、遼太郎さん」
二人はそのまま車に乗り込み、二度目のデートが開始された。
遼太郎は、車に乗った直後に、しっかりと静の服装を褒めており、
それに気を良くした静も、楽しそうに遼太郎に話しかけていた。
こうしてしばらくの間は、二人の間で楽しそうな会話が繰り広げられた。
「ここらへんに来るのは初めてですけど、車で一度も行った事が無い所に行くと、
妙に時間が長く感じますよね。二度目は早く感じるのに」
無邪気にそう言った遼太郎に、静はクスッと笑いながら同意した。
「そうですね、あれは何でなんですかね、ふふっ」
「ほんと不思議っすよね!」
遼太郎は、興味深げにきょろきょろと周りを見回しながら言った。
そして信号待ちの際、たまたま後ろの景色を見ようと振り返った遼太郎は、
後方に黒光りする一台のスポーツカーが止まっている事に気が付き、
静ならきっと詳しいだろうなと思い、話題を提供するつもりで、何となく静に尋ねた。
「静さん、すぐ後ろに、随分と格好いい車が止まってますけど、あれって何て車ですか?
日本車じゃ無さそうですけど」
「え?え~っと……」
遼太郎との会話が楽しくて、そちらにあまり注意を向けていなかった静は、そう聞かれ、
チラリとバックミラーに目をやったのだったが、直後に突然ハッとして、
何かを確認するかのように慌てて振り返り、後方へと鋭い視線を向けた。
その静の仕草に、もしかして、レアな車なんだろうかと思った遼太郎は、無邪気に言った。
「もしかして、珍しい車でした?何か独特の雰囲気がありますよね」
静はその問いに、すぐには答えなかった。気のせいか、ステアリングを握る静の手が、
わなわなと振るえているように見え、遼太郎は、何事かと思いつつも、
やっぱり珍しい車なんだなと思い、辛抱強く、静の返事を待つ事にした。
静はその直後、ぶつぶつと何か独り言を言い出した。
「あれはまさか……いや、でも間違いない、まさかこんな所にあれが走っているなんて……
しかもよく見えないが、まさかガルウィングなのか……?すごい………………欲しい」
最後の一言で、静の願望がだだ漏れになっていた。遼太郎は苦笑しながら、
あれいくらすんのかな、俺の給料何か月分かなと、とりとめもない事を考えていた。
静が尚もぶつぶつと何事か呟いていたので、遼太郎は静に、恐る恐る声を掛ける事にした。
「あの……静さん?」
その遼太郎の呼びかけに、静はハッと意識を取り戻し、興奮した様子で説明を始めた。
「ご、ごめんなさい、つい興奮してしまって。あれはトランザムっていう車ですね。
本当はああいう見た目じゃないんですけど、外見をかなりいじってあるはずです。
昔やってた古いアメリカドラマの仕様ですね。車が喋るんですよね。
ドアもよく見えないけど多分、ガルウィングに改造してるみたいです」
「昔のドラマ……喋る車……あ~、深夜テレビで再放送してるのを見た事があるかも?
確か、ナイト……」
「あ、はい、それですそれです!」
静は遼太郎の言葉に頷いた。
「確かガルウィングって、ドアが上に開く奴ですよね?
いやぁ、マニアのこだわりってすげーなぁ……」
感心したようにそう呟いた遼太郎に、静は楽しそうに言った。
「ふふっ、ドラマじゃガルウィングじゃ無かったですけどね」
遼太郎は、記憶を呼び起こそうと一瞬考えた後、思い出したかのように言った。
「あ~、確かに違いましたね!しかしあれ、すごいお金かかってそうっすね……」
「そうですね、あんな風にトランザムを改造出来るのは、それこそ雪ノ下の家みたいな……」
そう言いながら静は、何かに気付いたようにハッとした後、
もう一度振り返り、そのトランザムをじっと見つめ、そこに見覚えのある顔を複数発見し、
一瞬ポカンとした後に、クックッと、楽しそうに笑った。
「クックッ……そうか、そういう事か……」
「し、静さん、どうかしたっすか?」
突然表情を変え、笑い出した静に、遼太郎は気押されながら質問した。
そんな遼太郎に、静はニヤリとしながら答えた。
「遼太郎さん、あの車は、どうやら比企谷のリベンジらしいです」
「え?は、八幡っすか?」
慌てて振り向き、トランザムの中をじっと見詰めた遼太郎は、運転席に陽乃の姿を発見し、
更に後部座席から、八幡らが手を振っているのを確認し、仰天した。
「うわ、本当だ……八幡と、明日奈、陽乃さん、それにあれは……雪乃っすね」
「比企谷め、どうやら自分の腕と車ではどうしようもないと思って、
陽乃達に助っ人を頼んだみたいですね。しかしあの、
何でも一人で解決しようとしてきた比企谷が、こうしてすぐに他人を頼るとは……」
静は感慨深げに天を仰いだ後、遼太郎に言った。
「遼太郎さん、比企谷に対する私の教えは、前回で最後にするつもりでしたけど、
どうやらもう一度相手をしないといけないみたいです。どうか、お付き合いをお願いします」
「あ、はい!」
そんな静に、遼太郎は力強く頷いた。こうして、リベンジマッチが開始された。
最初こそ静の方が優勢であったのだが、八幡達が一体となった後、形勢は劇的に変わった。
「よし、右だ。三秒後に左。雪乃、お前スタミナに不安があっただろ、大丈夫か?」
「大丈夫、まだいけるわ、虚言は吐かないから安心して。あれから少しは鍛えてあるのよ」
「そういえば、確かに昔より、少し足が太く……」
そう八幡が言い掛けた瞬間、雪乃は八幡の脇腹をつねり、八幡は悶絶した。
「雪乃、痛い、痛いって。明日奈は平気か?」
「うん、毎朝走ってるからね、もう脚力も昔以上だから、問題無いよ」
「そうか、確かに明日奈も最近足が太く……」
そう八幡が言い掛けた瞬間、明日奈も八幡の脇腹をつねり、八幡は再び悶絶した。
「明日奈、い、痛いって。違うんだ二人とも、俺は、健康的でいいなって言いたかったんだ」
「へぇ~」
「ふ~ん」
二人のその反応にいたたまれなくなったのか、八幡は素直に謝罪した。
「お、俺が悪かった、すまん」
こんな遣り取りもあったが、その間も、スムーズな体重移動と、陽乃の本気に加え、
ブレーキの利き等の細かい所の調整は、キットが完璧に行い、
八幡達はぐんぐんと追い上げていき、ついに静の車の隣に並んだ。
そして次のカーブで、ついに八幡達は、静の車を抜き去る事に成功した。
その直後、静は降参だという風に二度パッシングをすると、左ウィンカーを一瞬点灯させ、
それに従い、二台は左へと進路を変え、そこにあった休憩所のような所に車を駐車させた。
そして車から降りた静がこちらへと近付いて来た。遼太郎は近付いては来ず、
それを後ろで見ているだけだった。
その二人の様子を見た八幡は、全員を車から降ろした後に、三人をそこで待機させ、
一人で静の方へと歩いていった。そして静と八幡は、二人きりで対峙した。
現実には、こんなバトルはありません!安全運転を!