何の前置きも無く、いきなり明日奈がそう言った為、
八幡以外の三人は色々な想像をし、激しく動揺していた。
「あ、あああ明日奈、どういう事?お母さんは何も聞いてないわよ!」
「うん、言いたい事は何となく分かるけど、とりあえず里香は私のお母さんじゃないよね」
まず最初に発せられた里香の問いに、明日奈はそう答えた。
次に珪子が、顔を真っ赤にしながら言った。
「も、もしかして、ついに大人の階段を……?」
それに対しては明日奈は、何か言おうとしたようだったが、何かを妄想してしまったのか、
結局顔を赤くしたまま何も答えず、二人はお互い赤い顔のまま見つめ合っていた。
それを見た八幡は、溜息をつきながら明日奈に言った。
「おい明日奈、誤解されるからとりあえず深呼吸な、深呼吸」
その声で我に返った明日奈は、言われた通りに深呼吸をしてから珪子に言った。
「大丈夫、今日のところはただ泊まるだけだよ、珪子ちゃん」
「今日のところは、ですか!」
「ごほん……んっんっ」
八幡は咳払いをし、再び明日奈に言った。
「明日奈、後は俺が説明するから」
「う、うん」
そして最後に和人が、焦ったように八幡に詰め寄った。
「お、おい八幡、ついにか、ついになんだな!」
「お前は今まで何を聞いていたんだ……」
八幡はまず三人を落ち着かせようと思い、明日奈の頭にポンと手を置き、言った。
「お前ら、落ち着いてよく考えろ。これはまったく普段と変わりない明日奈だ。
ここが現実だと思うから余計な事を考えちまうんだ。ここが秘密基地だと思って、
もう一度明日奈の言葉や態度をよく思い出してみろ」
八幡のその言葉を聞き、三人は胸に手を当てて、冷静に考えてみた。
そして三人は、過去の明日奈の行動や言動に思い当たったのか、同時に言った。
「あ、普通だった」
「まったく普通ね」
「普通ですね!」
「むぅ、当たり前じゃない、私はいつも、まったく普通の常識的な女の子だよ?」
明日奈は少し頬を膨らませながら、三人に抗議したが、
三人は、明日奈の肩をポンと叩くだけで、それ以上何も言おうとはしなかった。
明日奈は納得出来ないような表情を見せたが、その場は引き下がり、
代わりに八幡が経緯を説明し始めた。
「あー、実はな、今朝明日奈が俺を迎えにわざわざ俺の家まで来てくれたんだが、
実はうちには、うちの両親が調子に乗って用意した明日奈の部屋があってな、
今日小町が明日奈をそこに案内したんだが、明日奈が妙にその部屋を……」
「一目見て気に入って、すぐにでも私の部屋に泊まってみたいと思ったの!私の部屋に!わ・た・し・の・へ・や・に!」
明日奈が興奮しながら八幡の説明を引き継ぎ、私の部屋、という部分をドヤ顔で強調した。
「……という訳だ。だからその、明日奈がうちに泊まりに来るからといって、
俺の部屋に泊まるとか、何か間違いが起こるとか、そういう事はまったく無い」
その八幡の説明で、事情は正確に三人に伝わったようだ。
三人はそういう事ならと、快く二人を送り出した。
ちなみに今の会話は、周囲にいたかなりの数の生徒が聞いていた。
おかげで八幡の家に、既に明日奈の部屋がある事は、次の日には学校中に拡散するのだが、
これがトドメとなり、その日から明日奈に対する男子生徒からの告白が全て無くなった。
ちなみにこれは後に分かった事だったが、明日奈に対するあまりの告白の多さに、
イライラしていた一部の攻略組のメンバーの手により、
より過激な八幡と明日奈を守る計画が立案されており、
数日後には開始される予定になっていたらしい。
従って、今回完璧にふられた連中は、結果的に命拾いをしたようだ。
ともあれ八幡と明日奈は、学校全体の公認のカップルとして、
学校内だけでなく周辺校の間でも有名な存在となるのだが、それはまた別の話である。
「八幡君、ごめん、ちょっと待っててもらっていいかな?
一度寮に戻って色々と準備したいの。その……着替えとか」
「あ、そうだな。それじゃあこの辺りでのんびり待ってるわ」
「うん、すぐ戻るね」
明日奈の姿が寮の中へと消えていった後、八幡は自分も準備を進めておこうと思い、
小町に連絡を入れる事にした。八幡が電話をかけると、小町はすぐに電話に出た。
「もしもしお兄ちゃん、どうかした?……まさか小町の期待に応えられず、
お姉ちゃんが来れなくなったとかだったら、わかってるよね……?」
「だ、大丈夫だ。今明日奈が、寮に着替えとかを取りに行っててな、
今のうちに俺も、俺なりに色々と出来る事をやっておこうと思って、小町に連絡したんだよ」
「出来る事?何かあるの?」
「そうだな、俺が思い付いたのは、とりあえず買い物関係だな。
おそらく俺達がそっちの駅に着くのは、一時間後くらいになると思う。
なので、それくらいの時間に小町に駅で待っててもらえれば、そのまま明日奈と三人で、
夕飯の買い物に行けるんじゃないかと思ってな」
八幡がそう言うと小町は、ちょっと待ってねと言いながら、
すぐ近くにいるらしい、誰かと会話をしていた。もしかして友達と一緒なのかと思った八幡は、
それならそれで、二人で買い物をして帰ればいいかと考えていたのだが、
小町は戻るなり、いきなり予想外の台詞を八幡に言った。
「今お父さんとお母さんから軍資金をもらったから、夕飯の買い物の前に、
お姉ちゃんの身の回りの物も三人で買いに行こうよ、もちろんお兄ちゃんは荷物持ちね」
「え……何で二人がそこにいるの、小町ちゃん、一体どういうこと?」
そう動揺しながらおかしな言葉遣いで尋ねてきた八幡に、
小町はさも当たり前だという風にこう言った。
「そんなの決まってるじゃない、二人とも、お姉ちゃんが来るからって、
頑張っていつもよりずっと早くに帰って来たんだよ。というか、実は二人とも、
職場でお姉ちゃんの写真を同僚に見せまくって自慢しまくってたら、
うざいからさっさと帰れって言われたらしいよ。あはははは」
小町はそう言って笑ったのだが、後ろから両親の笑い声も聞こえたので、
八幡は呆れながら、待ち合わせの場所と時間を確認し、電話を切った。
ほどなくして明日奈が戻って来た為、八幡は事情を説明し、二人は駅へと向かった。
そして一時間後、二人は小町と合流し、楽しくショッピングをした後、
まあ八幡は、ひたすら二人が買い物をする姿を見ながら荷物を持っていただけなのだったが、
スーパーへと向かい、夕飯用の食材を買う事にした。
「そういえば、献立はどうしよっか。八幡君は何が食べたい?」
「そうだな……うーん……肉じゃが?」
「お兄ちゃん、何で肉じゃが?」
その八幡の平凡なチョイスに、小町はなんとなく理由を尋ねた。
それに対する八幡の返事はこうだった。
「あー……せっかく母ちゃ……母さんがいるんだったら、
この機会にうちの肉じゃがの味を明日奈に覚えてもらえばいいんじゃないかって、
何となく思いついたから、とりあえず言ってみた」
それを聞いた明日奈の反応は、驚くほど激しかった。
明日奈は鼻息を荒くして、腕をガッツポーズの形にすると、高らかにこう宣言した。
「分かった。私、比企谷家の嫁として、バッチリ今日中に、
比企谷家伝来の肉じゃがを作れるようになるよ!」
小町はその明日奈の宣言を聞くと、感心したように八幡に向けて言った。
「さすが帰ってきた後のお兄ちゃんは、昔とは一味も二味も違うね。
小町もあのゴミいちゃんが、こんなに神いちゃんになってくれて、すごく嬉しいよ……」
「ゴミいちゃんって何か懐かしいな、神いちゃんってのは始めて聞いたが……」
八幡は小町にそう返事をしたのだが、ノリノリになった二人はまったく聞いておらず、
スーパーに入ると、小町の指示で、必要なものを熱心に買い始めた。
そして買い物が終わり、家に帰ると、小町が母親に事情を説明し、
三人は楽しそうに料理を始めた。途中、仲間外れにされた父親が、
俺も俺もと台所に向かい、何度も追い返されるという出来事があったが、
それほど待たされる事もなく、スムーズに夕飯の準備が終わり、
初めて明日奈を交えての、比企谷家の家族の団欒が開始された。
「八幡君、どうかな?」
明日奈が恐る恐る、八幡に肉じゃがの味について尋ねると、八幡は笑顔で明日奈に言った。
「うん、いつものうちの味だな。普通に美味い」
「お兄ちゃん、もっと上手い褒め方があるでしょ!」
それを聞いた小町が即座に八幡に突っ込んだが、
案に相違して、明日奈はとても嬉しそうにこう言った。
「やった、八幡君からのお墨付きが出たよ、小町ちゃん!」
「あ……そ、そうだね、やったねお姉ちゃん!……ごめん、お兄ちゃん、小町が間違ってた」
小町は、そんな明日奈の様子を見て自分の考え違いに気付き、素直に八幡に謝った。
八幡は頷き、五人はその日、本当の家族になった……
というのは、その後両親が熱心に主張した台詞であったが、
とにかくその日、五人は幸せな一家団欒のひとときを過ごす事が出来たのだった。