ボスが倒れた後、一瞬の静寂と共に全員の喜びが爆発した。
皆手を取り合い、お互いの健闘を称え合った。
その一時的なお祭り騒ぎが収まった後、まとめる者がいないためか、
皆ある程度の知り合い同士で適当に集まり、バラバラに休み始めていた。
ハチマンもさすがに疲れたのか、端の方で腰を下ろし、例のドリンクを飲んでいた。
アスナがハチマンの元へ向かい、同じように腰を下ろすと、
ハチマンは飲み物を取り出し、アスナにすっと手渡した。
キリトも疲れたようにハチマンの元へ向かい、隣に腰を下ろしたが、
二人が何か飲んでいるのに気付いて、ハチマンに尋ねた。
「それ、何飲んでるんだ?」
「これか?これは、擬似的なアレだ」
ハチマンが商品名を告げると、どうやらキリトは知っていたようで、
アレ本当苦手なんだよ俺……と一言呟いた後、
自分のストレージから自前で飲み物を取り出し、同じように飲み始めた。
「最初の一歩だな、ハチマン」
「まだたった一層だけどな」
「でも、大事な一歩だよね」
「ああ、これから始まるんだ」
「……ハチマン、このまま何事もなく終わると思うか?」
「無理だろうな……失った物が大きすぎる。俺としてはさっさと帰って寝たいんだが、な」
案の定キバオウが音頭をとって、一部のプレイヤーと共に騒ぎ始めた。
「なんでディアベルはんが、死ななあかんかったんや!」
キバオウはまずその矛先を、キリトに向けた。
キリトが刀の事を知っていたのに隠していたのではないのかと。
そしてキリトがβテスターなのはもう間違いないと。
ディアベルという柱を失った直後だったからだろうか。その事と合わさり、
場の雰囲気はまた徐々に、βテスター批判に傾いていった。
「どうしよう、ハチマン君」
「正直正論で全て論破するくらいしか思いつかないんだが、
納得してもらえるかどうかはちょっとな。逆に更なる反感を買うまである」
キバオウの話がまた会議の時のように、
やっぱりβテスターは汚い、という論調になった。
そして攻撃の矛先が、ハチマンやアスナに向かおうとしたその時、
突然キリトが立ち上がり、そしてキバオウに、一気にまくしたてた。
「お前らなんでそんなβテスターを持ち上げるんだ?
あいつらは常に先をいっていてずるい、って、実は持ち上げてるようにも聞こえる。
いいか、お前らの知ってる通り、βテスターは千人の狭き門だ。
その中に、VRではないとしても、他のMMOのトップ連中が何人いたと思ってるんだ?
βテスターだからといって、みんなすごいという事なんてまったく無いんだよ。
だが俺は違う。俺は常に誰よりも先に行き、誰よりも上の階へと進んだ。
お前らの知らない知識も知っている。ただのβテスターごときと一緒にすんな」
その言葉を聞き、群衆から、口々に声があがる。
「何だよそれ、反則だ!」
「チートじゃねえか!」
「βテスターでチート、ビーターだ!」
「ビーター!ビーター!」
キリトはメニューを操作すると、黒いコート姿になり、言った。
「これが今ボスからドロップした装備だ。
どうだ、お前らが言う、ビーターに相応しい姿だろう?
このために、素人にしちゃそこそこ腕が立ちそうなそこの二人も、利用させてもらった。
そいつらは、自分達が利用されてるなんてちっとも思っていない甘ちゃんだったけどな。
転移門は俺がアクティベートしといてやる。街へ帰って大人しくしてろ」
そういい残し、キリトは一人、第二層への階段を上っていった。
「ふざけんな、ビーター!ディアベルさんに謝れよおおおおおおおお」
誰かが叫び、皆それに合わせて口々に去っていくキリトの後姿に罵声を浴びせた。
が、なぜかキバオウは、微妙そうな顔をしていた。
それは、憎しみと疑問がまじったような、不思議な表情だった。
突然のキリトの行動に困惑していたハチマンとアスナは、ひそひそと言葉を交わしていた。
「ハチマン君……あれって……やっぱりそういう事?」
「ああ。それで合ってると思うぞ。昔の俺と同じだ」
「どうするの?」
「今のこの大きなマイナスを、少しのマイナス程度にする事は可能だ。
この状況で皆に話を聞いてもらえるかどうかだけが問題だな……」
「何かインパクトが必要なのかな」
「そうだな……怒りから目を逸らせるような、よほどの出来事が必要だな」
ハチマンは考えをまとめようと、持っていたドリンクを口に含んだ。
そんなハチマンに、アスナは不意打ちのように尋ねた。
「ねぇ、ハチマン君。初めて私の顔を見た時、どう思った?」
その言葉を聞き、ハチマンは口に含んだ飲み物を噴いた。
「え、あ、それ、今必要な事か?」
「あ、うん。べ、別に変な意味じゃないからね?」
「お、おう、そうか。その……すごいびっくりした。色んな意味で……」
「色んな意味は後で問い詰めるとして、そっか、びっくりしてくれたならいけるかな」
ハチマンは少し顔を赤くしていたが、その言葉を聞き、今度は顔を青くした。
「あ、おい。お前まさか……」
「よく顔を知らない人の話は、みんなちゃんと聞いてくれないと思うんだ。
ハチマン君が話さえ出来れば、多少良くなるかもしれないんでしょ?
だから今はとにかく、ハチマン君の話を皆に聞いてもらえるようにしないと」
「それはそうなんだが、アスナに余計な負担を負わせるのは……」
「今の私には、ハチマン君が一番大切な友達なんだよ。
だから、私達二人のどちらかに、もし何か負担がかかってしまう時は、二人で背負おう。
二人で皆に頭を下げて、二人で真っ直ぐ相手を見つめよう。行こう、ハチマン君!」
「やっぱりアスナにはかなわないな……わかった。正面から行くか」
二人は中央に立ち、声を張り上げた。
「すまん、ちょっと俺達の話を聞いてくれないか」
「お願いします、私達の話を聞いて下さい」
「なんだよお前ら、本当はあいつの仲間じゃないのか?」
「今更何を聞く事があるんだよ!」
どちらかというと注目が集まったのは、やはりアスナに対してだった。
まずハチマンが、かぶっていたフードを外した。
だが陰の薄さゆえか、目立った反応は無かった。
しかし次にアスナがフードを外した瞬間、急に辺りが静かになった。
そこには、十人中十人が美しいと答えるであろう、一人の女性プレイヤーの姿があった。
注目を集める事に成功した二人は、同時に頭を下げた。
「今皆さんの気持ちが高ぶっているのは仕方が無い事だと思います。
話なんか何も聞きたくないかもしれません。しかし、そこをなんとかお願いします。
どうか私達の話を聞いて下さい」
二人は真摯に頭を下げ続けた。その時沈黙を守っていたキバオウが、口を開いた。
「聞くだけならええんやないか。こない丁寧に頭を下げとるんやし」
批判の急先鋒だったキバオウがそう告げた事により、場はある程度落ち着き、
やっと話を聞いてもらえる事となった。
「まず自己紹介をさせてもらう。俺は、ハチマンだ」
「私は、アスナです」
「さっきの奴と一緒に、遊撃隊をやっていた。
この中には、俺達もグルなんじゃないのかと思ってる人もいるんじゃないかと思う。
だから、誰でも納得出来る事だけを出来るだけ客観的に話したいと思う。
俺は見た通り、人前で話をするのは得意じゃないから、失礼があるかもしれないが、
そこは先に謝っておく。申し訳ない」
ハチマンはまず、誠実さを心がけ、出来るだけ事実だけを話すように勤めた。
「まず最初に俺が何故、こうして話を聞いて欲しいと思ったかだが、それは、
どうしても説明できないいくつかの疑問があるからだ」
「疑問?なんや?」
「まず、βテスターの話だ。おそらくなんだが……ここにはβテスターはそんなにいない。
それは先ほどまでの雰囲気でなんとなく証明されているだろう?
そこでだ。ここには何故、βテスターがこんなにもいないんだ?」
その言葉に皆、こいつ何を言ってるんだろうと思ったが、次の言葉を聞いて納得した。
「だって考えてもみてくれ。βテスターってどんどん先に進んでたんだろ?
だから当然、この場にいるのは本来ほとんどが、
βテスターじゃないとおかしいんじゃないのか?」
確かに、と、ぽつぽつと賛同の声が上がった。
「βテスター嫌いの奴に反論したいわけじゃないと、先に言っておく。その上でだ。
俺自身、β上がりのプレイヤーはすごいんだろうと、漠然と思っていた。
だが実際蓋を開けてみたら、現状はこうなっている。だから俺はこう考えたんだ。
実はβテスターも、一般プレイヤーと、それほど変わりはないんじゃないかと。
知識だけはあるから情報は出せるが、それがそこまで有利という事はなく、
逆に中途半端に知ってしまっているからこそ、
変更されている事に気付かずに突っ走って、高い確率で死んでいってしまってるのかもとな」
何人かは、確かにそうかもしれないと思ったようだ。
「βテスター批判は仕方ない一面もあるから、その事はあまり言うつもりはない。
ただ、世の中にいい奴と悪い奴がいるように、全てのプレイヤーもそうなんだと思う。
だから、出来ればそういうのを超えて、ありのままのその人を見て判断して欲しい。
そしてだ……戦闘中にあいつを見て、皆どう思ったか教えて欲しいんだ」
一堂は沈黙していたが、ぽつぽつと意見が出始めた。
「あいつの強さだけは、本物だった」
「最後ああ言ってたけど、俺も何度も助けてもらったな」
「でもビーターだぞ!」
「でも実際、一人で上の階層にどんどん進むってこのゲームじゃ不可能じゃね?」
冷静に考えたら、何かおかしい、と皆が思い始めていた。
それでは何故、あいつはあんな事をしたのか。
「あいつが何を考えてああいう事をしたのか、いくつか考えは浮かぶんだが、
それは各自で考えてみて欲しい。正直正解はわからない。それよりもだ。
一番気になるのは、ディアベルがスタンさせられた時だ。あいつはこう言った。
思い出してほしい。スタンするから逃げろ、とあいつは言った。
最初から他人を利用しようとしてた人間が、そんな迂闊な発言をするだろうか。
自分がβテスターだと自ら告白しているようなものじゃないか?
そこはむしろ、保身のために平気で見殺しにするんじゃないだろうか。
しかしあいつは、その後もディアベルに変わって指示を出し、
更に自分を何度も危険に晒していた」
皆は何も言えなかった。戦闘中の行動と、さっきの行動が、あまりにも矛盾している。
「最後に一つつらい事を言わせてもらう。ディアベルが死んだ時の事だ。
ディアベルは、何故死んだんだ?」
その言葉に、一瞬で場は沸騰した。
皆口々に、それこそビーターのせいだとか、守れなかったくせに、と叫びだす。
それが収まるのを待って、ハチマンは言葉を続けた。
「思い出して欲しいんだ。あの時誰かがディアベルに、攻撃指示を出してたか?」
その時の事を思い出し、またもや場は沈黙した。
あれは確か、気が付いたらディアベルが自分から……
その事に気付いたせいか、皆困惑したようにハチマンを見つめた。
「そうなんだ。HPが少ないのに、ディアベルは自分から前に出たんだ。
そのせいでボスの攻撃に耐えられなかった。
いきなり突っ込んできたディアベルの前に出て盾になるのは、誰にとっても不可能だった」
皆それぞれ、納得できる理由を探していたが、誰も答える事は出来なかった。
「ここからはあくまで推測なんだが、ディアベルは、βテスターだったんじゃないだろうか」
「なんやと?ディアベルはんがβテスターやと?」
「ボスを倒せそうだったあの瞬間、ディアベルは自分から動いた。
ボスに止めを刺した奴には、特別な装備なり何なりが、ドロップするらしいしな。
あの黒いコートがその証明だ。あいつもボスからのドロップと言っていた」
「まさか、ディアベルさんはそれを狙って……」
「意識してだったのか、反射だったのか、これが事実かどうかも俺にはわからない。
ただ、その説明しか、納得できる理由が思いつかないんだ。
あそこでディアベルが下がったままだったとしても、ボスは普通に倒せただろう?」
ハチマンは、息を呑む一堂を見渡して、さらに言った。
「ここで最初に戻るんだが、仮にディアベルが、βテスターだったからといって、
皆、ディアベルが嫌いか?」
「んなわけあるわけあらへん!」
「そうだそうだ、ディアベルさんはすごい頑張ってた!」
「そういう事なんだよ、俺もディアベルはすごいと思ってた。それは誰にも否定できない。
だから、本来βテスターだとかそんな事はどうでもいいんだ。
大事なのは、そいつがどんな行いをして、どれだけ頑張ったかだと、俺は思う。
今日のあいつの最後の行動を、認めてやってくれとは言わない。
だがこれからのあいつの頑張りは、フェアに見てやって欲しい。この通りだ」
ハチマンとアスナは、また丁寧に頭を下げた。
静まり返る一堂を代表するかのように、キバオウが言った。
「おたくらの言いたい事はよーわかった。だが、納得は出来へん」
「ああ。最後まで聞いてくれただけで十分だ。ありがとうな」
「おたくらは、この後あいつを追うんか?」
「ああ。俺達にとっては、あいつはやっぱり仲間だからな」
「三人で笑ろてたとこ見てわかっとったわ。利用されてるようには見えへんてな。
あいつに伝えてや。二層のボスでもこき使うたるってな」
「ああ、伝えるよ」
その場のギスギスした雰囲気は、今は鳴りを潜めていた。
納得していない人もやはりかなりいると思う。
だが、二人が伝えたい事は、ちゃんと全て伝える事が出来た。
「皆さん、最後まで話を聞いてくれてありがとうございました」
アスナが最後に微笑んで伝え、そして二人は、キリトの後を追った。
エギルの横を通る時、彼は一言だけ、あいつによろしくな、と声をかけてきた。
二人は駆け足で階段を上る。
ハチマンには、今後嫉妬や僻みといった感情ばかりが向けらるだろうし、
先ほどからもかなりそんな視線が向けられるのを感じていたが、
ハチマンはそれを、仕方が無いなと割り切った。
「ハチマン君、これで良かったのかな?」
「どうだろうな、でも言いたい事は全部言ったつもりだ。後はあいつら次第だな」
「慣れてないはずなのに、あんなに長く喋って大丈夫?」
「すげー疲れたし、緊張した……
それよりも、俺が言った事で何か気に入らない部分とかあったか?大丈夫だったか?」
「ううん。私にもハチマン君の気持ちはちゃんと伝わったし、いいと思った」
「そうか……それなら頑張った甲斐があったわ」
「キリト君に追いついたらどうしよっか?」
「そうだな……まずは二人でキリトにおしおきだ」
残された者達も思い思いに立ち上がり、街に戻り始めた。
ハチマンの言い分は、伝わる人には伝わり、納得できない人にはそのままだったが、
しかし皆一様に、今回の出来事について、真面目に考えているのは間違いないようだ。
こうしてやっと本当の意味で、第一層の階層ボス戦の全てが、終了した。