入学式から数日経ったある日の夜、里香と珪子は、
お泊り会という名目で明日奈の部屋に押しかけていた。
そこで二人が見たものは、手紙に埋もれながら手紙を書いている明日奈の姿だった。
「……ちょっと、何これ」
「えーっと……ラブレター?」
「……これが全部ですか?」
「う、うん」
ラブレターは百通近くあるように見え、里香と珪子は絶句した。
事前の予想よりかなり多かった為に固まってしまったが、
二人は手紙が多い事自体には納得していた。二人が納得いかなかったのは、
今まさに、明日奈が行っている作業についてだった。
「あの、明日奈さん、もしかして、全員に返事を書いてるんですか?」
「うん」
珪子は、まさかと思いつつも一応質問したが、明日奈はあっさりとそう答えた。
「明日奈……あんたねぇ……」
里香は、頭痛を抑えるような仕草をしながら明日奈に言った。
「まさか、直接渡された分まで律儀に返事を書いてるんじゃないでしょうね?」
「そ、そうだけど……」
里香はやっぱりかと思いながら、強い口調で明日奈に言った。
「そんなのその場で直ぐに断りなさい!」
「で、でも……失礼じゃない?」
明日奈はおどおどしながら上目遣いで里香を見た。
里香は深い溜息を付きながら、明日奈に言った。
「例えば下駄箱とかに入れられていたり、友達経由で渡されたとかの場合なら、
断る為に出向いたり、返事を書いたりする必要があるかもしれない。
でも、直接渡された場合、もしその場で断らないと、
相手の立場からしてみれば、希望を与えてしまう事にもなりかねない。
でも明日奈は絶対に断るんでしょ?それって逆に失礼じゃない?」
「そう言われるとそうかもしれないけど……」
「明日奈の性格的に、きちんと返事をしたいっていう気持ちがあるのも分かるよ。
でもそれが逆に相手にとっては、より残酷な結果になる事だってあるのよ」
「うん……ごめんなさい」
明日奈はどうやら、かなり反省しているように見えた。
里香はここで更に駄目押しをする事にした。
「珪子、心の声の役をアドリブでお願い。いい、アスナ、よく見ているのよ」
「こ、心の声ですか?よく分からないけど分かりました!」
そして里香は、突然一人で小芝居を始めた。
「(八幡)明日奈、帰りにどこかに寄っていかないか?」
「(明日奈)ごめんなさい、ちょっとラブレターの返事を書かないといけないの。
あ、もちろん断りの返事だよ!」
「(八幡)そうか、それじゃあ仕方ないな。(珪子!心の声!)」
「は、はい!(八幡の心の声)明日奈は最近そればっかりだな……少し寂しい……」
明日奈は珪子の台詞を聞き、焦ったように言った。
「ご、ごめんなさい八幡君、寂しがらせるつもりなんか無かったの!本当だよ!」
明日奈が乗ってきたのを見て、里香はしめしめと思いつつ、小芝居を続けた。
「(八幡)明日奈、今日はどうだ?」
「(明日奈)ごめんなさい、頑張って断ってるんだけど、どんどん増えちゃって……」
「(八幡)そ、そうか……明日奈はもてるから仕方ないか……(珪子!)」
珪子は少し調子に乗ったのか、ノリノリで心の声を演じた。
「(八幡の心の声)明日奈は俺だけにもててればいいのに、くそっ、なんだか面白くない」
明日奈は少し顔を青くしながら、必死に主張した。
「も、もちろん私も同じ気持ちだよ!ううぅぅぅ……」
明日奈の様子を見て、里香はこれがトドメとばかりに最後の小芝居を始めた。
「(見知らぬ女生徒)あの、八幡君、良かったらこの後、どこかに寄ってかない?」
「えっ、だ、誰?」
明日奈は突然の展開に驚きの声をあげたが、その顔は少し青ざめていた。
里香はそんな明日奈は気にせず、演技を続行した。
「(八幡)そうだな……本来なら、今日も明日奈と一緒にいれるはずだったんだが、
どうしようかな(珪子!最後にきついやつ!)」
「任せて下さい!(八幡の心の声)明日奈はずっと、返事を書くのに忙しそうだから、
今日も特に予定も無いし、暇なのに簡単に断るのも失礼かもしれないな。
まあ、とりあえずオーケーしとくか。どこかに寄るだけなら、浮気にはならないだろうしな」
「(八幡)オーケー、それじゃあどこかに……」
「嫌あああああああ!駄目えええええええええええええ!」
明日奈は叫びながら里香に掴みかかり、その体を激しく揺さぶった。
里香はちょっとやりすぎたかなと思いつつ、明日奈をなだめた。
「明日奈、落ち着いて。どーどー」
「里香さん、馬をなだめてるみたいになってますよ……
明日奈さん、落ち着いて下さい!……駄目か……明日奈さん、どーどー」
珪子は最初、普通に明日奈をなだめようとしたのだが、
あまり効果が無いと分かると、里香と同じように、明日奈をなだめにかかった。
その甲斐あってか、やがて明日奈は徐々に落ち着きを取り戻し、
里香はタイミングを見計らって手をパチンと打ち合わせた後に言った。
「はい、ここまで!」
その音と言葉で明日奈は我に返ったのか、ハッと二人を見つめた。
そんな明日奈に里香が言った。
「どう?明日奈、今のがもしかしたらあるかもしれない未来のワンシーンよ」
「うぅ……嫌だ……どうしよう……」
「ラブレターがどんどん増え続けてるこの状況だと、
その場で断るってだけじゃ、根本的な問題の解決にはならないだろうしなぁ……
あ、ちなみに明日奈、まさかメアドとか、相手に安易に教えたりはしてないわよね?」
「うん、それは大丈夫。番号もメアドも、一切誰にも教えてないよ」
その明日奈の返事を聞いた里香は、ホッと胸を撫で下ろした。
「とりあえず、今ある分のラブレターに関しては頑張って断りを入れるしかないとして、
その後はどうしたもんかな。珪子、何かアイデアは無い?」
珪子はうーんと考えていたが、どうやら何か思いついたらしく、
ポンと手を叩き、里香に言った。
「里香さん、木を隠すなら森の中!郷に入っては郷に従え!
ここは一つ、男性の立場からの意見を、和人さんに電話で聞いてみましょう!」
「その例えはちょっと違う気もするけど、そうだね、聞いてみる」
里香は携帯を取り出し、スピーカーモードにすると、和人に電話を掛けた。
すぐに電話に出た和人に、里香はいきなり尋ねた。
「もしもし?何かあったの……」
「あ、和人?ちょっと聞きたいんだけど、私にラブレターが沢山来たとして、
それを来ないようにするには、どうすればいいと思う?」
その里香の質問の仕方に、珪子は内心、それは誤解されるのではと焦った。
里香は、和人が返事をしやすいようにと余計な事を考え、自分を例として挙げたのだったが、
里香の予想に反して、和人はしばらく何も言わなかった。
珪子は電話の向こうの和人の表情を想像し、まあ何も言えないだろうなぁと考え、
和人にきちんと事の経緯を説明しようとしたが、
先に里香が口を開いたため、そのタイミングを逃してしまった。
「もしもし和人?聞いてる?」
「あ、ああ……えーと……里香にそんなに沢山のラブレターが来てるのか?
えと……当然、すぐに断ってくれてるんだよな……?」
「え?私は別に断ったりはしてないんだけど」
里香は例え話のつもりで言った為、当然そんな事実は無いので、
安易にそう返事をしたが、さすがにそれを聞いた珪子が、慌てて会話に介入した。
「ストップ!ストップです!」
「珪子?一体どう……」
里香は、突然珪子がそう叫んだので、訝しげに珪子に尋ねようとしたが、
珪子は里香を手で制し、電話の向こうの和人に話し掛けた。
「里香さんストップです!和人さん、今から私がちゃんと説明するので、
落ち着いて聞いて下さい!」
そして珪子は、事実だけを淡々と和人に説明し、今の里香の台詞が誤解だと指摘した。
「そういう事か。すごいびっくりしたぞ、里香」
「ごめん……言われてみると、確かに誤解されるよね」
「ま、まあ、俺はもちろん信じてたけどな」
「和人さん、余計な事は言わない方が長生き出来ますよ」
「ごめんなさい」
和人の言葉に珪子が即ツッコミを入れ、和人はすぐに謝った。
「で、どうですか?何かいいアイデアはありませんか?」
「そうだな、男の立場から考えるとか言うまでもなく、そんなの簡単に解決出来ると思うぞ」
「そうなの?」
里香が意外そうに、そう和人に聞き返した。それに対して和人はこう答えた。
「ああ、簡単な事さ。先ずは、各クラスの攻略組の連中に手を回して、
八幡と明日奈が固い絆で結ばれていると喧伝してもらう。
あいつらは八幡に心酔してる奴ばっかりだから、問題無く協力してくれると思う。
その上で、明日奈が今よりも余計に八幡にくっついて、
二人がカップルだって所を、周りに見せ付ければいい。
そうすれば明日奈にラブレターを出そうと考える奴なんて、すぐにいなくなると思うぞ」
その和人の意見を聞いた明日奈は、もじもじしながら言った。
「え、でも、そんなの恥ずかしい……人前でいちゃいちゃするなんて……」
その明日奈の台詞には、即座に和人と珪子からツッコミが入った。
「おい明日奈……お前が言うな。おまゆうだ、おまゆう!」
「明日奈さん、どう考えてもその発言はダウトですよ、ダウト!」
そして里香に至っては、物理的にツッコミを入れていた。
「明日奈、どの口がそれを言うのかな?かな?」
里香は明日奈のほっぺたを摘んで左右に引っ張り、明日奈は涙目で里香に抗議した。
「りひゃ、ほっぺひゃをつねるのはらめぇ!わひゃった、わひゃったひゃらぁ!」
明日奈はほっぺたを里香に摘まれたまま作戦の実行に同意し、
次の日から作戦が実行に移される事となった。もちろん八幡には何も知らされていない。
明日と明後日の前半で、ゲストが登場しますが、今後活躍の機会はほとんど無いと思います