「そ、それはまさか……」
「ええ、そのまさかよ。これを見たら、もう後戻りは出来ないわ。
その覚悟があるならこれを見せましょう」
そう言われ、遼太郎はゴクリと唾を飲み込んだ。
普通の写真であれば、雪乃はこんな事は言わないだろう。
遼太郎は戦慄しつつも、腹をくくり、雪乃に言った。
「大丈夫だ、ひと思いにやってくれ」
そんな遼太郎の覚悟を悟ったのか、雪乃はフッと笑い、遼太郎に言った。
「いい目をしているわね、それではまずこれを見てちょうだい」
そう言って雪乃が見せてきたのは、いつ撮影したのだろう、
八幡を殴り飛ばす平塚の写真だった。
ちなみに写真だと、平塚の顔は見切れていてちゃんと写ってはいない。
「これ、ハチマンだよな?それにしてもよく飛んでるな……」
「このように、先生は鉄拳制裁を頻繁に行っていたわ。
もっとも彼以外に拳をふるっている所を見た事は無いのだけれども」
「……これはつまり、受け止める覚悟をしろって事か」
雪乃と結衣は、この返答を聞き、とある一つの疑念を抱いた。
雪乃は気を遣って口には出さなかったが、結衣はその疑問をストレートに口に出した。
「もしかして、クラインさんって……ドM?」
結衣にそう言われた瞬間、遼太郎は顔を青くして即座に否定した。
「ちっ、違う!俺はそんな性癖は持ってねえ!」
「必死に否定する所がまた怪しい……」
「勘弁してくれよぉ……俺はノーマルだって。信じてくれよぉ……」
「お前が受け止めるなんて言うからだろ、クライン」
エギルが呆れた顔をして、遼太郎に突っ込んだ。
「だってよぉ……そんな状況になったとしたら、絶対に俺が悪いに決まってるじゃねーかよ。
そしたらやっぱり言い訳せずに反省して、素直に受け止めるのが男ってもんじゃねーか?」
「ドMね」
「ドMだね!」
「ドMだな」
「うわあああ、もう勘弁してくれ!」
遼太郎は、すぐさま三人にツッコミをくらい、絶叫した。
その様子を見ながら、雪乃は相好を崩すと、遼太郎に言った。
「ほんの軽い冗談よ。ちなみに平塚先生は、
あなたが自分の言いなりになるような事は望んでないと思うわ。
もしそんな状況になったら、自分の意見をしっかり伝えた上で、
きっちりと話し合った方がいい結果になると思う」
「なるほど……」
遼太郎は、その言葉を脳内にしっかりと記憶した。
「それでは次の写真は、これよ」
次に雪乃が見せてきたのは、ラーメンの丼を持ち上げ、
豪快にツユを飲み干す平塚の写真だった。当然顔は丼に隠れて見えない。
「これは修学旅行の時、平塚先生と一緒にこっそりとラーメンを食べに行った時の写真よ。
ちなみに私達がせがんだわけではなく、先生がホテルからこっそり抜けだそうとした時に、
たまたまそれを目撃してしまった私達が、口止めとして連れていかれたのよね」
遼太郎はその写真を見ると、嬉しそうに言った。
「厳しいだけじゃないって事だろ?後、俺もラーメンは大好きだぜ!」
そんな遼太郎を見て、雪乃は探るような口調で付け加えた。
「ちなみに先生はこの時、替え玉を二回頼んだわよ?」
「豪快でいいじゃねーか。俺は好きだぜ!」
「そう……それならいいのだけれど」
雪乃は遼太郎の懐の深さに少し感心した。
あるいはこの人なら本当に……そう考えた雪乃に、結衣が一枚の写真を見せてきた。
「ねえユキノン、この写真も見てもらった方がいいよね?」
「これは……そうね、その方がいいわね」
その写真を見た雪乃は、見せる事に賛同した。
ある意味その写真は、平塚静という女性の本質を表している写真だったからだ。
「クラインさん、次はこれよ!」
「じゃーん!平塚先生特製の焼肉丼だよ!」
結衣が見せた写真は、嫁度対決で平塚が作った料理の写真だった。
ご飯の上に焼いた肉を乗せ、焼肉のタレをかけただけのその料理の写真は、
上手く説明する事は出来ないのだが、妙な迫力に満ちていた。
遼太郎はその写真を見て、首を傾げた。
「普通に見えるけど、これが何かあるのか?」
「平塚先生の得意料理!ご飯の上に焼いた肉を乗せて、焼肉のタレをかけただけなのに、
なんかすごく美味しかったの!」
「なあ、これは料理と言っていいのか……?」
エギルが恐る恐るそう尋ねてきたが、確かにその通りだろう。
だが、遼太郎の反応はまったく別だった。
「でも美味いんだろ?美味いは正義だ!」
「まあ、それは確かにそうなんだが……料理……料理な……」
それに対するエギルの反応は、認めたいが認めたくないという、微妙なものだった。
これは商売で料理を作っているエギルにしてみれば、当然の反応である。
「それに、毎日これって事はさすがに無いだろ?」
遼太郎はそう言うと、同意を求めるように雪乃と結衣を見たが、
二人は遼太郎が、さすがに、と言ったあたりで既に顔を背けていた。
「お、おい……さすがに無いだろ?無いよな?」
おろおろする遼太郎を、さすがに気の毒に思ったのか、
雪乃は遼太郎を見ながら、笑顔で言った。
「牛肉が豚肉に変わって、焼肉のタレが、別の会社の焼肉のタレに変わったら、
それはもう別の料理と言ってもいいと思うわ。だから大丈夫よ」
「そ、そうだよな!それなら大丈……夫?」
遼太郎は食いぎみに雪乃に同意したが、同意の途中で、言葉の意味を理解したらしく、
頭を抱えてその場にへたり込んだ。三人に生暖かい目で見守られながら、数分が経過した頃、
遼太郎が急に再起動し、立ち上がった。
「ひらめいた!定期的に一緒に料理をする日を作れば問題ない!
二人で作れば失敗しても怖くない!だろ?」
「ハハッ、お前らしいな」
遼太郎と付き合いの長いエギルは、その意見を聞き、遼太郎らしいと笑った。
雪乃と結衣は、遼太郎の前向きな姿勢に驚いていた。
二人の遼太郎への好感度は、今の遣り取りで、かなり上がっていた。
雪乃は微笑みながら、結衣に話し掛けた。
「ユイユイ、どう思う?」
「うん、これはもう合格って事でいいと思う!」
「そうね……私達の大好きな平塚先生に、春をプレゼントしましょう」
「そうだね!」
二人は笑顔で遼太郎に向き直り、今後注意した方がいい点をアドバイスすると申し出た。
「クラインさん、先生は相手に自分を良く見せようとしすぎて失敗する所があるから、
下手に洒落たお店とかに行こうとしたら、止めてあげてちょうだい」
「先生の書くメールって、妙に大人ぶった書き方で長文になる上に、
ちょっとでも返信が遅れると、連続して何通も送ってくる傾向があるから、
ちゃんと二人で話し合ってルールを決めた方がいいかも!」
「ああ見えて先生は、かなりのスピード狂なのよ。頑張ってセーブしてあげて」
「先生は酔うとおっさんみたいになるらしいから、幻滅しないであげて!」
「よ~し、気合が入ってきたぜ!貴重な情報をありがとな、二人とも!」
遼太郎は、二人のアドバイスを心に留め、まだ見ぬ平塚の事を考えながら、
ここが自分の人生のクライマックスかもしれないと、闘志を燃やした。
「さて、最後にクラインさんにプレゼントよ」
「携帯を見てみて!小町ちゃんからヒッキー経由でメールが来てるはず!」
二人はアドバイスと同時に八幡に連絡し、
小町の持っていたとある写真を八幡経由で遼太郎に送ってもらっていた。
遼太郎がメールを受信すると、そこには、
『先生を宜しく頼む』
という本文と共に、一枚の写真が添付されていた。
それを見た遼太郎は、驚きのあまり、完全に固まった。
「おいクライン、どうした」
「え、エギル……これを……」
そう言って遼太郎はエギルに、八幡から送られてきた写真を見せた。
その写真は、嫁度対決の時の、ウェディングドレスを着た平塚の写真だった。
「おお……」
「な、なあ、俺、この人と釣り合ってるか?どう見ても俺には過ぎた相手に思えるんだが」
遼太郎は、嬉しさと自信の無さが入り混じった、複雑な顔をしていた。
そんな遼太郎の背中を結衣が力一杯叩き、こう言った。
「大丈夫!平塚先生は、言い方は悪いかもしれないけど、今はかなりちょろいから!」
遼太郎は、その言葉の意味をすぐには理解出来ず、ポカンとした。
「ちょ、ちょろい?」
「そうね……あまりこういう事を言うのは、私としても少し気が引けるのだけれど、
今の平塚先生は、かなり結婚というものに焦りを感じているわ。
それにつけこむという表現はどうかと思うのだけれど、
でもクラインさんにとっては、平塚先生と付き合いたいなら、
今が最大のチャンスだと断言できるわ」
結衣が口走ったちょろいという表現に、雪乃も乗った。
「私達は、先生がクラインさんと付き合ったら、絶対に幸せになれると思っているから、
あえてこういう言い方をさせてもらったわ。失礼な言い方でごめんなさい」
「あたしもごめんなさい。でも先生には幸せになって欲しいの。ううん、絶対になれるよ!」
「そうだぞクライン。お前がこんな美人と知り合える機会なんて、もう無いかもしれない。
だからここで一生分頑張れよ、男だろ?」
遼太郎は、最初は腰が引けぎみだったが、三人に激励され、
駄目で元々だと思い、自分に活を入れた。
(例えここでふられたからといって、何だって話だよな。
俺には失う物なんて何も無いじゃねーか。やってやる、一生分頑張ってやる)
「三人とも、情けない姿を見せちまってすまねえ。ありがとな、元気が出たぜ!
よーし、俺はやるぞ!とりあえずエギル、今から平塚さんにメッセージを送りたいから、
俺の姿をムービーで撮影してくれ!」
「よしきた、任せろ!」
「頑張って、クラインさん!」
「大丈夫、絶対いけるよ!」
そして遼太郎は、もうしばらく待ってて欲しい、かならず会いに行きますと、
自分の今の気持ちを誠実に語り、そのムービーを八幡に託した。
事情の説明のため、平塚の下を訪れていた八幡は、すぐにそのムービーを平塚に見せた。
八幡が後日遼太郎に語った説明によると、その時の平塚が泣きながら見せた笑顔は、
未だかつて見た事の無い、眩しい笑顔だったそうだ。
今の季節はそろそろ春ももう終わる頃であったが、遼太郎こと壷井遼太郎と平塚静には、
遅ればせながら、春の足音がゆっくりと、だが確実に近付いていた。