ついに訪れた一層の階層ボス攻略の朝ハチマンは、
残してきた大切な人々の事を思い浮かべていた。
(今日が本当の意味での最初の第一歩になる。みんな、守ってくれよな……必ず帰るから)
その大切な人々の中に含まれていない人物の声が、我も、我もと聞こえた気がしたが、
ハチマンはそれについては考えないようにした。
「お早う、二人とも」
「うっす」
「よっ」
「それじゃまあ、あいつらの後をのんびり付いて行くとしますか。
三人の俺達があんま出しゃばるのもあれだしな」
アスナとキリトは、確かに目立つ必要はないとばかりに肩をすくめつつ、
ハチマンの後をついていった。
これだけの数がまとまっているだけあって、道中は何事もなく進み、
途中何度かの戦闘を挟みつつも、ついに一行はボス部屋の前に辿り着いた。
作戦の概要の確認が成された後、ディアベルは何か質問はあるかなと皆に問いかけた。
それを受けて、ハチマンとキリトが手を上げた。
昨日の印象もあったのだろうか、まずハチマンが指名された。
「戦闘中のボスの挙動が、情報と大きく違った場合の対応を聞いておきたい。
場合によっては撤退も視野に入れるとして、
その判断と指示は、あんたがしてくれるって事でいいのか?」
「もちろん安全第一だ。シミュレーションは完璧だから、
誰も危険な目にあわせるつもりは無いけどね」
次にキリトが質問内容を尋ねられたが、内容は同じだった。
「合同演習にも参加せん奴らが偉そうに口出しすなや。
こいつらの事なんぞ相手にせんでええで、ディアベルはん。
あんさんの指揮ぶりを知っとったら、そないな心配あるわけあらへん」
二人はそのキバオウの言葉には反応せず、納得した旨を伝えて引き下がったが、
その後にハチマンとキリトは、今のキバオウの態度について、ひそひそと会話を交わしていた。
「ハチマンどう思った?」
「ああ、なんか昨日とちょっと違うな」
「言い方はあれだが、内容は随分と丸くなってるよな」
「まあこれで、戦闘中に仲間割れとかの危険は減ったと思っていいのかね」
「心配事が一つ減ったって感じか」
そしてディアベルは、そのキバオウの言葉を受けて全員に言った。
「信頼ありがとう。今回は初めての階層ボス戦に挑むわけだが、
現状考えうる最高のメンバーが集まってくれた。
みんなで勝とうぜ!………さあ、行こう!」
一行は雄叫びを上げ、ボス部屋へと突入を開始した。
エギルはちらっと後ろを振り向くと、三人に向けて拳を突き出し、親指を立てた。
三人は同じように拳を突き出し、親指を立ててそれに応えた。
「おお、なんか本場の合図って感じだわ」
「そうだな、なんかあいつかっこいいぞ」
「あははは、そうだね」
多少は緊張していた三人であったが、いい感じに緊張が解れたようだ。
「なあ。キリト、アスナ。もしかしたら今回、犠牲が出るかもしれない。
俺はまだ人が死んだとことか見た事ないから、
もしそれを目にしたらショックを受けてしまうかもしれん。
そしたら俺の頬を引っ叩いて目覚めさせてくれ。
もし三人ともがショックを受けたら、一番最初に気が付いた奴が、
他の二人を引っ叩く。絶対に三人で生き残って、そしてクリアしよう」
「うん、わかった」
「ああ」
三人はそう言葉を交わし、ボス部屋に突入していった。
やがて徐々にボスの姿が見え、誰かがそれを見て呟いた。
「あれが第一層のボス、イルファング・ザ・コボルドロードか……」
さすがは階層ボスとも言うべき威容である。
一同に緊張が走ったが、その緊張は、ディアベルの声によってかき消された。
「右手に骨斧、左手に湾刀。取り巻きは三体。全て情報通りだ、いけるぞ!
臆するな、声を上げろ!みんな、行くぞ!」
ディアベルの叫びを受け、皆は、応!!!と応じ、突撃を開始した。
編成はABのボス用タンク隊とC~Gの各攻撃隊。
そして、三人パーティーの遊撃隊で構成されていた。
最初は三人の出番は無かったが、戦闘が進むに連れ、徐々に押される隊も出てきていた。
「A隊から、B隊にスイッチ!」
「C隊は後退準備を!F隊、スイッチの準備頼む!」
「G隊負傷者二名、一旦下がる!遊撃隊、しばらく支えてくれ!」
「遊撃隊、了解!」
三人は指示を受け、初戦闘に挑む事となった。
三人の戦闘はまだ誰も見た事が無く、やはり人数が少ない事もあって、
他の隊は皆、所詮繋ぎの隊程度の認識しか持っていなかった。
負傷した二人のプレイヤーはポーションを使い、下を向いて回復するのを待っていた。
その間に他の者達は、何かあったら飛び出そうと遊撃隊の方を心配そうに眺めていた。
やがてHPも完全に回復し、その二人は同じ隊の仲間に呼びかけた。
「もう大丈夫だ、いける!」
「遊撃隊は大丈夫か?」
ちょうどその時、遊撃隊の戦闘を見ていた他の仲間達が息を呑み、驚きの声を上げた。
それは純粋に驚きの声であり、悲鳴とかでは無かったため、
何かまずい事が起こったわけでは無さそうだと思いつつ、二人は仲間達に尋ねた。
「おい、どうしたんだ?」
「いや、あ、あれ……」
仲間が指差す方を見た二人は、遊撃に任せた取り巻きの一体が、
ガラスが砕けるようなエフェクトと共に消滅するのを目撃した。
「え?おい、今何があった?」
「いや、何って……遊撃隊が、取り巻きを倒したって事じゃねーの……」
「え、だって、他はまだ最初の敵と戦ってるだろ………?」
「いや、そうだけどさ……」
「遊撃隊、任務完了。後退する」
G隊のメンバーは放心していたが、ハチマンに視線を向けられると、慌てたように応えた。
「了解!こちらは他の隊の援護に入る」
三人は当初からの予定通り、まずキリトとアスナが前衛に立った。
キリトの攻撃は速く、そして重かった。
アスナの突きは、目で追えるか追えないかの凄まじい速さを誇り、
取り巻きのHPは、恐るべき早さで削られていった。
「アスナ、スイッチ!」
「了解!」
次にハチマンが前に出た。ハチマンの戦闘は一見地味に見えたが、
その実、ほとんどの攻撃をパリィしていた。
その恩恵を受け、キリトの削りが更に加速した。アスナから声が飛ぶ。
「スイッチ!」
「任せた!」
その声を合図に、キリトが一旦後退した。
ハチマンとアスナは、恐ろしいほどのコンビネーションの冴えを見せ、
そしてほどなく、敵の撃破に成功した。
「遊撃隊、任務完了。後退する」
ハチマンはそう叫んだが、G隊からの反応は無かった。
ハチマンが疑問に思い、G隊の方を見ると、G隊から慌てたような返事があった。
それを確認した二人は、キリトの元へと集合した。
「どうだアスナ、大丈夫だったか?」
「うんハチマン君、何も問題なし!」
「しっかしキリトよ、お前やっぱすげ~な……」
「それはこっちのセリフだよ、ハチマン。なんか昨日と動きが違うし」
「あ~、悪い、俺のスタイルだと、武器を持った人型の敵のが得意なんだよ」
「あれを見せられてそれを聞いたら、納得だな」
たまたま後方でそれを見ていたエギルは、素直に感心していた。
目の前に明るい光が見えたような気がして、エギルは改めて気合を入れなおした。
同じようにそれを目撃していたキバオウも、
最初は他の人と同じように放心していたが、
すぐに我に返ると、三人を憎々しげに睨みつつ、再出撃に備えた。
そして再出撃の番が来ると、キバオウはわざわざ三人の横を通り、
すれ違いざまに三人に言葉を投げかけた。
「あんま調子こくなよ。あのくらいわいらにも出来るんや。
ええか、あんましゃしゃり出んと、大人しゅうしとけや」
だが三人は相談もしていないのに、ぴったり揃ってキバオウに笑顔を向けた。
キバオウはその顔を見て、
「くそっ、なんやっちゅーねん」
と、吐き捨てて仲間の元へ走っていった。
要所要所での遊撃隊の活躍もあり、誰一人として死者が出ないまま、
ついにボスのHPは、残り一本となった。
今ボスは斧を失い、湾刀のみで戦っているような状態である。
そして最後の取り巻きと戦っていた三人が首尾よくとどめを刺し、後方へ下がると、
そのタイミングで本隊の方から大歓声があがった。
「よし、ボスの武器を両方とも奪ったぞ!」
「今がチャンスだ!D隊、俺に続け!」
そんな叫びと共に、ディアベルのD隊がボスに突撃していった。
ディアベルは高揚していたためか気付いていないようだったが、
観察力に優れるハチマンの目には、ボスが何かを取りだそうとしているように見え、
ディアベルがかなりボスに近づいた辺りで、それが何かはっきりと見えた。
「おいキリト、あれ……刀じゃないか?」
「何だって?………あっ、まずい!」
ハチマンにそう言われてボスの姿を観察したキリトは、
慌ててディアベルの方に駆け出そうとしたが、それはキバオウに邪魔された。
「なんやおんどれ、大人しゅう下がっとれ」
「邪魔するな!ボスが新しい武器を取り出そうとしてる、あれは刀だ!スタンするんだよ!」
それでキバオウも今何が起こっているのか悟り、慌てたように振り向いた。
「ディアベエエエエエエエエル!刀だ!逃げろおおおおおおお!」
キリトがそう叫び、ディアベルはキリトの声に反応して顔を上げた。
見るとボスの手には、新たに刀が握られていた。
誰にも言ってはいなかったが、実際のところディアベルもβテスターであり、
刀を使う敵を相手にした経験もあったため、落ち着いて敵の攻撃に対応しようとした。
だがその行動は一歩遅かった。次の瞬間に放たれたボスの一撃で、
D隊の全員がスタンさせられたのだ。
そして一番前にいたディアベルは、ボスの追撃で飛ばされた。
後方で見ていた隊から悲鳴があがる。
「くそっ、アスナ、あのボスを少しの間、俺と一緒に抑えてくれるか?」
アスナはハチマンの声を受け、笑顔で即座に答えた。
「ハチマン君と一緒なら、大丈夫だよ」
「危険な目にあわせてごめんな」
そして次にハチマンは、キリトに向かって叫んだ。
「キリト、少しの間、ディアベルの代わりに戦闘指揮を頼む!!
俺とアスナは少しの間ボスを抑える、
指示を出し終わったらキリトもすぐこっちに合流してくれ」
ハチマンに声をかけられ、キリトは弾かれたように各隊に指示を出しはじめた。
「A隊B隊はスタンしたD隊を運び出せ!C隊E隊はその援護!
F隊G隊はいつでもボスに攻撃できるように準備して側面待機!ボスは俺達が抑える!」
その指示を聞き、エギルが心配そうに声をかけてきた。
「おい、三人ともそんな軽装なのに、大丈夫なのか?」
「ハチマンとアスナならきっと大丈夫、俺もすぐ向かう!」
ハチマンは必死に敵の攻撃を弾き、止め、また弾いていた。
だがさすがにこのクラスの相手の攻撃を、今のハチマンが全て封じる事は不可能だ。
何度も敵の攻撃がかすり、その積み重ねで、ハチマンは徐々にHPを削られていく。
しかし、ポイントごとにアスナがヒット&アウェイで敵の気を引き、
ついに二人は、キリトが到着するまで敵の攻撃を防ぎきった。
キリトは二人を下がらせ、一人でボスと対峙していた。
「キリト、絶対に死ぬなよ!」
下がりしなにハチマンはキリトにそう声をかけた。
「ディアベルさんは大丈夫だ!誰かポーションを!」
丁度その時後方からそんな声が聞こえ、キリトは安堵し、
あと少しの我慢だと思い、目の前の敵に集中した。
無難に敵の攻撃をさばいていたキリトだったが、
ソードスキル後の一瞬の硬直時に、敵のHPが丁度レッドゾーンに達した。
その為ボスの攻撃がいきなり激しさを増し、無防備なキリトに迫る。
「しまった……」
キリトは、大ダメージをくらう覚悟をした。
その瞬間にハチマンが飛び込んできて、ボスの攻撃を弾き、
アスナがキリトを後ろに引っ張った。
「すまん、ちょっと待たせたか」
「いや、まだまだ余裕だったよ、相棒」
「はっ、しまったとか言ってた癖に」
「聞いてたのかよ!」
そこにD隊を避難させ終わったエギル達タンク隊が駆けつけ、三人の前に出た。
「後は俺達が抑える!三人は下がってくれ!」
「悪い、頼む!」
その時突然ディアベルの声が聞こえた。
「よし、俺がボスの喉を撃つ、これで決めるぞ!」
「え?」
「おい、何を言ってるんだあいつは!」
見るとディアベルが、丁度ソードスキルのモーションに入ったところだった。
そんな一同の目の前で、ボスがディアベルの声に反応したのか、そちらの方を向いた。
それを受けるディアベルのHPは……まだ二割ほどしか回復していなかった。
「くそっ、ディアベル!ボスがそっちを向いているぞ!逃げろ!頼む、逃げてくれ!」
だがキリトの叫びも虚しく、ボスの刀が振り下ろされ、
無防備なディアベルに直撃したボスの攻撃は、あっさりとディアベルのHPを全損させ、
ディアベルはそのままエフェクトと共に砕け散った。
誰も何もする事は出来ない、それは一瞬の出来事であった。
ハチマンとアスナにとって、誰かが死ぬ所を見るのは、これが初めての経験だった。
ハチマンは、ここでは人はこんなに簡単に死ぬのかと、呆然としつつ怒りを覚えていた。
アスナは、その安っぽいエフェクトを見て、
あんまりだ、こんなの人の死に方じゃない、と震えていた。
キリトは歯を食いしばり、ディアベルがいたはずの場所を見つめていた。
一時の楽観ムードは鳴りを潜め、全員が死というものを再認識させられていたのだ。
そんな雰囲気の中、最初に自分を取り戻したのはキリトだった。
過去にキリトは、今装備している片手直剣を得るためのクエストの最中に、
プレイヤーが死ぬのを目にした事があったからだ。
それは決して幸運と言ってはいけない類の出来事だ。
だが今この瞬間だけは、それを幸運と呼ぶ事にしよう。
キリトは事前の打ち合わせ通りにハチマンとアスナの頬を叩き、
その痛みで二人も我に返り、三人は顔を見合わせると、同時に声を張り上げた。
「みんな、目を覚ませ!タンク隊、ボスを抑えろ!」
「攻撃隊は側面に回り込んで一斉攻撃だ!」
「HPが減っている人は後方に下がって!」
ショックの大きさからまだ立ち直ってはいなかったが、
その声に弾かれるように全員が動き出し、そしてそのまま最後の総攻撃が開始された。
しかし発狂状態になったボスは意外に手強く、中々HPを削りきる事は出来なかった。
そんな中、ハチマンがアスナとキリトに何か耳打ちし、三人は即座に行動を開始した。
まずアスナがボスの背後に回り込み、
ボスが武器を振り上げた瞬間にボスの左膝目掛けてリニアーを放つ。
武器を振りかぶっていたボスの体制がそのままわずかに崩れ、
次の瞬間にハチマンが凄まじい速さで、振りかぶったままだったボスの刀めがけて突撃し、
その根元に痛撃を加えた。ボスは二人の攻撃によって大きく体制を崩し、
そしてボスの正面にいたエギルに、キリトのこんな声が届いた。
「エギル、伏せろ!」
そう言われて反射的に伏せたエギルの背中を踏み台にし、キリトが高く跳んだ。
「これで終わりだああああああああああ!」
そのままキリトは渾身の力を込め、ボスを頭から真っ二つにした。
一瞬の静寂の後にボスの体が光りだし、そのままエフェクトとなって弾ける、
CONGRATULATIONの文字と共に。
こうしてゲーム開始から一ヶ月、ディアベルを失う事となったが、
ついにプレイヤーの到達階層が、一つ更新される事となった。