ハチマンはそう呼びかけたが、それに答えたのはユイだった。
「パパ、あっちから何か来ます!この気配は……グランドマスターです!」
「分かった、ありがとうな、ユイ」
ハチマンは、通路の方を注視した。そしてそこから出てきたのは、
ハチマンは知らなかったが、以前アスナを捕え、アルゴも使用した、
ナメクジタイプのアバターだった。ハチマンはそれを見て、面白そうに言った。
「晶彦さん、いつの間にそんな姿に……色男が台無しですよ」
「すまないね、すぐに使えるアバターがこれしか無かったんだ。久しぶりだね。
それと、せっかくだから私の事は、親しみを込めてヒースクリフと呼んでくれないか?」
「わかったよヒースクリフ」
ハチマンは茅場の意をくんで、口調もかつて仲間だった時のように戻す事にした。
「手伝うのが遅れてすまなかった、意識を統合できたのが、ついさっきだったんだ」
「……ヒースクリフ、結局お前は今どういう状態なんだ?」
「そうだね、今ここにいる私は、茅場晶彦という男の残像だ。エコーと言ってもいい」
「……キリトなら分かるかもしれないが、俺にはさっぱりな例えだな」
「まあ、いずれ消えるかもしれない、はかない存在だと思ってくれればいい」
「そうか……」
ハチマンは、ヒースクリフの隣に越しかけ、二人は一緒に空を眺めた。
「美しい景色だね」
「これも結局元を辿れば、あんたが作った空なんだけどな。
須郷はそれにちょっと手を加えただけだ」
「正直彼の事は、ほとんど記憶に無いんだ」
それを聞いたハチマンは、面白そうにこう言った。
「これはヤツメウナギの吸血鬼の言葉なんだが、
多分ヒースクリフの人を見るモノサシは、一メートル単位でしか物を計れないんだと思う。
須郷は、ヒースクリフにとっては観測できるほど大きくない、
ほんの数ミリほどの存在だったって事なんだろうさ」
「……なるほど、そうかもしれないね」
そう言うと、ヒースクリフはナメクジの触手をハチマンの頭の上に乗せ、なではじめた。
「お、おい……」
「私の最後の作品を汚す者を倒してくれて、本当に感謝する。
これでやっとケジメがつけられたな」
「……ああ」
ハチマンは、そのままナメクジになでられる事を許容した。
それは二年以上前の二人の関係を彷彿とさせた。
そんな時、ふと思いついたといった感じで、ヒースクリフがハチマンに話し掛けた。。
「そういえば君が連れているそのピクシーは、
私の作ったカーディナルシステムの一部のようだね」
「メディカルヘルス・カウンセリングプログラムの、
【Y・Utility・Interface】通称ユイです!グランドマスター!」
「その名前も、ヒースクリフが付けたんだろ?」
「ああ、そうだな……どうやらちゃんとこの世界で自立出来ているようだね。
私の作ったSAOの一部は、こうしてずっと君の傍に残り続けるんだな」
「ヒースクリフ……」
「ハチマン君、ユイ君を通じて、これを君のナーヴギアのストレージに送っておいた」
そう言うとヒースクリフは、銀色の卵のような物を取り出した。
「それは?」
「世界の種子だよ。どういう物かは、キリト君やアルゴ君あたりと一緒に調べるといい。
それをどうするかの判断は、君達に任せるよ」
「……分かった」
「それでは私はもう行くよ」
「どこへ行くんだ?」
「まだ見ぬ世界へ、さ。もし運命が重なり合ったら、その時にまた会おう……弟よ」
「晶……彦……さん」
「ではさらばだ。アスナ君と仲良くな」
そう言うと、ヒースクリフ~茅場晶彦は、消えていった。
「パパ、グランドマスターの気配が消えました」
「そうか……ところでユイ、よく考えたら、ここでログアウトしたらどうなるんだ?」
「えーと、次に再出現する座標は、グランドクエストの間の扉の前になります」
「そうか、それじゃあ安心だな。よしユイ、パパはママを迎えにいってくるよ」
「はいパパ、二人が戻ってくるのを待ってますね!」
「寂しい思いをさせてごめんな」
「いいえパパ、前も言いましたが、今の私はパパのIDに紐付けされているので、
パパがいない間、私の意識は眠りについています。
なので、次会う時までは一瞬です、パパ!」
「そうか、そうだったな。それじゃ……行ってくる」
「はい!ママに会えるのを楽しみにしていますね!」
「またな、ユイ」
「はい、またです!」
そしてハチマンは、ログアウトボタンを押した。
意識が一瞬ブラックアウトし、すぐに意識を取り戻した八幡は、
荷物はそのままに、すぐにその部屋を出て、外へと向かった。
明日奈のいる病院は、駐車場を挟んですぐ目の前だ。
(ヒースクリフと話していた分遅れちまった、急がないとな)
八幡はそう考え、病院の駐車場を抜け、エントランスへ向かおうとした。
そこに、ふいに一台の車が入ってきた。車はハチマンに向け、まっすぐ進んできた。
八幡は危ないなと思いながら避けようとしたが、
車は八幡の動く方に方向を変え、なおも突っ込んできた。
「おわっ」
八幡は必死でそれを避け、何とか身をかわす事に成功した。
その車は壁に激突して止まり、中から、見覚えのある男が降りてきた。
「お前は……須郷!」
「ちょこまかと避けやがって……ガキが!」
「お前、何でここに……」
「お前が言ってただろう、あの女の病室に向かうってな!
病室には確かに警察がいるんだろうが、お前には警察はついていない、
そう思って急いで車を走らせてきたんだが、案の定だったな!」
そう言いながら須郷は、ナイフを取り出した。
「俺は捕まるかもしれないが、お前は絶対にここで殺す。目がまだ痛みで疼くんだよ!」
よく見ると、須郷の左目は真っ赤に充血していた。
ちなみに須郷はやや内股になっており、股間も痛いのだろうと思われたが、
さすがにそれを指摘する事は躊躇われたため、八幡はそこには触れない事にした。
(まさかこうくるとは……ここは逃げの一手か?だがあいつは病院まで追いかけてきて、
絶対に看護婦さん達にまで危害を加えるよな……)
八幡は、何とか避けつつ助けを呼ぶ方法を考えたが、にわかには思いつかなかった。
須郷はそんな八幡にはお構いなしに、スタスタと八幡に近寄り、ナイフを振り上げた。
八幡は攻撃がどこに来るかは分かるため、いつものようにそれを避けようとしたが、
ゲームの中とは感覚が違うため、なんとか避ける事には成功したが、
足をもつれさせて転んでしまった。
「くそ、しまった」
「どうやらゲームの中のように、素早くは動けないみたいだな。
お前はそのままここで死ね!」
須郷は再びナイフを振り上げ、八幡に向けて突き出した。
八幡は転がってその攻撃から必死に逃れようとしたが、
次の瞬間、突然二人組が現れ、片方は須郷に体当たりをし、
もう一人がナイフを持っていた手を蹴り飛ばし、須郷のナイフは遠くに転がっていった。
その人物は、ニカッと笑いながら、八幡に話し掛けた。
「ヒキタニ君、危なかったな」
「戸部!それじゃあそっちは……」
「陽乃さんに言われて、一応ここで待機してたんだが、まさか本当に暴漢が現れるとはな。
まったくあの人にはほんとかなわないよ」
「葉山!」
そこにいたのは、葉山と戸部だった。二人は素早く須郷を拘束した。
「まじ助かったわ……やっぱり現実だと、体が重くてな……」
「いいっていいって、ヒキタニ君、病み上がりみたいなもんだべ?
こういうのは俺達に任せとけって」
「比企谷、すまないが、警察に連絡してくれないか。
見ての通り、こっちは手が塞がってるんでな」
「おう、そこの病院にいるはずだから、すぐ連絡する。ちょっと待っててくれ」
「それにしても何だこいつ?ちょっと気持ち悪いんだが……」
「ちょっとっていうか、かなりだべ、隼人君」
葉山と戸部に拘束されている須郷は、虚ろな目で、
ぶつぶつとわけのわからない事を呟いていた。
八幡は、病室にいるはずの菊岡に連絡を終えると、葉山と戸部に説明を始めた。
「まだSAOから戻らない人が、百人いるってニュースは知ってるだろ?
その犯人がそいつだ。やっと全員助けられたよ。本当にありがとな、二人とも」
「まじかよ……」
「すげー!やっぱヒキタニ君はヒキタニさんだわ!」
「俺だけの力じゃないさ。葉山や戸部、それに一緒に戦ってくれたみんなのおかげだ」
「そうか……お、警察の人が来てくれたみたいだぞ」
「八幡君、大丈夫かい?気付かなくてすまなかった」
「菊岡さん、俺も予想外だったんで気にしないで下さい」
「明日奈さんが目を覚ましたぞ。こいつの事は僕達に任せて、早く行ってあげるといい」
「ありがとうございます、宜しくお願いします菊岡さん」
「いいっていいって、お礼を言うのはこっちの方さ。
事件の解決に、多大な貢献をしてもらったんだからね」
「それじゃ行ってきます」
八幡は菊岡に頭を下げると、次に葉山と戸部に言った。
「よし、葉山、戸部、一緒に行こう」
「え、いいのか?感動の再会なんだろ?」
「そうだよヒキタニ君、一人で行けって」
「確かにそうなんだが、明日奈に俺の友達を紹介したいんだよ」
「友達……」
「友達か……」
戸部は葉山に、素早く耳打ちした。
「隼人君、俺ヒキタニ君に友達って言ってもらって、超感動してるんだけど」
「ああ、俺もだよ、戸部……とりあえず病室の前まで一緒に行って、
最初は二人きりになってもらって、後でその人を紹介してもらう事にしよう」
「だな!」
「すまん、いきなり友達だなんて言って、その、迷惑だったか……?」
八幡は、おずおずと二人に尋ねた。二人は笑顔で八幡にこう答えた。
「そんな事ないって、気にすんなよヒキタニ君。俺達友達だべ?」
「早くその人を俺達に紹介してくれよ、比企谷」
「お、おう、それじゃ行こう」
こうして三人は、病室へと向かっていった。
葉山と戸部は、打ち合わせ通り最初は病室の前で待っていると主張し、
八幡は、緊張しながら明日奈の病室の扉をノックした。