あれからアスナは、何とか檻から抜け出せないかと試行錯誤していた。
一番現実的なのは、檻の鍵の番号を何とか盗み見る事だ、
そう思ったアスナは、須郷に鏡くらい用意してくれと要求し、
それを使って番号を盗み見る事に成功していた。
須郷の話だと、今日は須郷はいないらしく、脱出を試みるには絶好のチャンスの日であった。
「さて、それじゃあ始めるとしますか」
アスナは、緊張を解きほぐそうとして、あえて声に出してそう言った。
「六……二…………っと、よし、開いた」
首尾よく檻の鍵を外したアスナは、慎重に奥へと進んでいった。
世界樹の中は、思ったよりも広く、通路はかなり先まで続いていた。
途中のドアには、【データ閲覧室】【仮眠室】などのプレートがつけられており、
たまに中を覗くと、そこはまさに研究所といった感じの設備が並んでいた。
(随分本格的に作り込んだんだね……外で他人に見られるわけにはいかないから、
中に研究所を丸ごと持ってきた感じなのかな……)
アスナはそう思いながら、なおも探索を続けた。
そんなアスナの目に、【実験体格納室】という文字が飛び込んできた。
「実験体……人間を何だと思っているの……」
アスナは怒りを覚え、その部屋をそっと覗いてみた。
中にはナメクジのような生き物が二匹いて、あちこち動き回っていた。
(あれは須郷の仲間の研究員かな?見つかるのはまずいね。
でもこの部屋なら、ログアウトするためのコンソールがある気もする……)
アスナは少し悩んだ後、意を決して部屋に忍びこんだ。
見つからないように、慎重にディスプレイを覗きこんでいく。
そしてアスナはついに、【転送】と名前のついたコンソールを見つけた。
(【転送】……今まで見た中だとこれが一番それっぽい……)
アスナはそう思い、そっとその文字に触れた。その瞬間に、小さな電子音が鳴った。
「ん、誰かいるのか?」
(しまった……まさか音がするタイプだったなんて……)
アスナは焦り、見つかるのを覚悟で必死にログアウトするための文字を探した。
(あった!これだ!)
アスナはついに、【仮想ラボ離脱】という文字を見つけ、それを押した。
【仮想ラボから離脱しますか?】【はい】【いいえ】という文字が現れ、
アスナは必死に【はい】を押そうとしたが、その瞬間にアスナの手に、触手が巻きつき、
そのままアスナは、コンソールから引き離された。
「くっ」
「危ない危ない、君もしかして、須郷さんが檻の中で飼ってる人かな?」
「多分そうだな。おい、どうする?」
飼ってる、という言葉を聞いて、カチンときたアスナは、そのナメクジ達に言った。
「飼ってる、だなんて、あなた達は自分達が何をしているのか分かっているの?」
「もちろん分かっているさ。とりあえず須郷さんに連絡して指示をあおぐか」
「それじゃ、俺が行ってくる。ちょっと待っててくれ」
片方のナメクジが、アスナが表示させた【はい】のボタンを押し、姿を消した。
「さっき、もちろん分かってるって言ってたわよね。
こんな非人道的な事をしてまで、お金が欲しいの?」
「もちろん欲しいさ。研究ももうすぐ完成する予定だし、会社が売れたら、
分け前をもらって海外に高飛びして、悠々自適の生活を送るつもりさ」
「そう、結局お金なのね……最低」
「最低で結構。最低ついでに、ちょっと君で遊ばせてもらおうかな」
「なっ……」
そう言うとそのナメクジは、触手でアスナの足首を掴んで持ち上げた。
「うん、いい眺めになったな」
アスナは衣服がまくれるのを片手で必死に押さえていた。
「うーん、もう一本触手があればなぁ……もう片方の手も拘束出来るんだけどな」
「くっ……やめ……」
「おい、須郷さんに怒られるぞ」
その時、須郷に報告にいっていたもう一匹のナメクジが戻ってきて、そう言った。
「おっと、戻ってきたのか。須郷さん、何だって?」
「かなり怒ってたな。檻に戻して鍵の番号を変えとけってさ」
「はぁ……それじゃ戻しにいくか」
「須郷さんが、この後みんなで飲みに行こうってさ。研究が完成する前祝いだそうだ」
「おっ、それじゃさっさとすませて行こうぜ」
「おう」
その会話の最中も、アスナは必死に打開策を探していた。
そしてアスナは、コンソールの横に一枚のIDカードが置いてある事に気が付いた。
(役にたつかはわからないけど、せめてあのカードを……)
アスナは何とか足を伸ばし、足の指でそのカードを掴もうとした。
(もう少し……)
そしてアスナは、何とかそのカードを足の指で掴む事に成功した。
(よし!)
アスナは足を曲げ、空いていた手で素早くカードを回収した。
アスナはそのまま連行され、再び檻に戻された。
(とりあえずカードは見つからなかったかな)
そうほっとしたのも束の間、檻に入ったアスナに、触手が二本伸びてきた。
「なっ……」
その触手は、アスナの体中をまさぐり、アスナが隠していたカードを掴んだ。
「役得役得っと。手癖の悪い子だね、このカードは返してもらうよ」
アスナはそれを聞き、悔しそうに言った。
「……気付いてたのね」
「まあね。君がカードを足で掴んだ時は、思わず拍手しそうになっちゃったよ。
まったく油断も隙もないな。逆に感動すら覚えたね」
「くっ……」
「まあ諦めるんだね。それじゃ、お疲れさま」
「……」
アスナは悔しさで涙が出そうになるのを必死に堪えていた。
こんな奴らの前では絶対に泣かない、そう思ったアスナは、必死に泣くのを我慢していた。
やがて二匹のナメクジはいなくなり、辺りは静寂に包まれた。
「駄目だった……もう少しだったのに、悔しい……」
アスナはそう呟くと、その場に泣き崩れた。
アスナを檻に戻した二人は、そのままログアウトした。
その部屋には二人の他に、今日の深夜番のGMのバイトが一人だけ残っていた。
「さて、それじゃあ須郷さん達と合流しようぜ」
「本当はここに誰もいなくなるのはまずいんだが、須郷さんの誘いだし別にいいか」
「おいバイト、一人だからってサボるなよ」
「あっはい、お疲れさまです」
「二時間後くらいに他の奴が来ると思うから、俺達の事は適当に誤魔化しとけよ」
「はい……二時間くらい任せて下さい」
二人が姿を消すと、そのバイトはどこかに電話をかけはじめた。
そして十分後、一人の女性が部屋に入ってきた。
その女性はバイトと話した後、そのままコンソールを操作し、仮想ラボへと潜っていった。
アスナは思いっきり泣いた後、気を取り直し、次の作戦を考えていた。
「いつまでも悲しんでいるわけにはいかないね。他の脱出の手段を考えないと」
そう呟いたアスナは、再びあのナメクジが近付いてくるのに気が付いた。
「何か用?忘れ物でもしたの?」
「ああ、忘れ物を届けにきたというか、届け物をしに来たゾ」
「届け物?」
「これだぞ、アーちゃん」
「アー……ちゃん……?」
そう言ってナメクジが差し出してきたのは、先ほどのIDカードだった。
そのカードを受け取ったアスナは、震える声でナメクジに尋ねた。
「今、アーちゃんって……もしかしてあなた……」
「そのまさかだぞ、待たせたな、アーちゃん」
「アルゴさん!」
「時間が無いから手短に言う。もうすぐこの下に、ハー坊達が来るゾ」
「ハチマン君達がここに来てるの?」
「ああ。アーちゃんを助けるために、みんなここに来てるぞ。リズっち以外ナ」
「リズ以外?」
「リズっちは、アーちゃんと同じようにここに捕まってるんダ」
「そんな……リズもここに……」
「そのカードは、そのままだと恐らくすぐに須郷に取り上げられる。
その前に、下に来たハー坊めがけてそのカードを落とすんダ」
「分かった。ここから落とせばいいんだね」
「ああ。そのカードは、ここと下とを繋ぐ鍵になる。ユイちゃんの力によってナ」
「えっ?まさかユイちゃんもここに?」
「ああ。共用ストレージに収納されてた、ユイちゃんのアイテムが使用出来たらしい」
「そっか……ユイちゃんにまた会えるんだ……」
アスナは、ユイの名前を聞いて、とても嬉しそうに言った。
「そろそろ時間がヤバイから、オレっちは戻るな。必ずみんなで助けるから、頑張るんだゾ」
「うん!ありがとう、アルゴさん!」
アルゴはそう言うと、姿を消した。
アスナはハチマンがすぐ近くに来ていると知り、全身が喜びに震えるのを感じた。
「よし、頑張ろう」
アスナは希望が見えてきた為、改めて気合を入れ、その時を待つ事にした。
アルゴは仮想ラボからログアウトすると、内通者であるバイトに声をかけた。
「終わったぞ、将軍」
「アルゴさん、その呼び方はちょっと恥ずかしいんですが……」
「それじゃあ材木っちでいいカ?」
「まあまだその方がいいです。で、首尾はどうでありますか?」
「成功だ、オレっちはこのまま撤収するゾ」
「良かった……了解であります!お気をつけて!」
「ああ、それじゃあまたナ」
「はい!」
アルゴは素早く撤収し、後には材木座だけが残された。
「八幡よ、後はお主に全て任せるぞ。こちらのミッションは終了した」
材木座はそう呟き、心の中で友にエールを送るのだった。