哀歌   作:ニコフ

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9話 ピーナッツバターとブルーベリージャム 前編

「それじゃ、また明日ね」

 

 帝丹小学校、ある日の放課後。まだ日は高く空には雲一つない青空が広がっている。

 退屈な授業から解放された子供たちの声で教室が騒がしくなる中、灰原は落ち着いた声で一言だけ残し一人そそくさと教室をあとにする。去っていくその後ろ姿を少年探偵団は訝しげな表情で見送っていた。

 

「哀ちゃん、今日も先に帰っちゃったね」

「ですねぇ、ここのところずっと一人で先に帰っていますね」

「さては1人でうまいもん食ってんじゃねえのか」

「そんな元太くんじゃないんだから」

 

 どうやらここ数日、灰原は少年探偵団とは別に一人で下校しているようだ。とはいえ特に切羽詰った様子も、怯えた様子もなく、何か事件に巻き込まれているような気配もない。一人で帰っていること以外は普段と変わらないためコナンも特に心配してないようだ。

 

「ようし、今日の少年探偵団の活動は灰原のあとを追っかけるぞっ!」

「素行調査ですね」

「うーん、ちょっといけないような気もするけど、哀ちゃん心配だし……」

「おいおいやめとけよ、どうせ大したことじゃねーんだから」

「コナンくんは哀ちゃんが心配じゃないの?」

「いや、別にそういうわけじゃ……」

 

 コナンの抵抗もあっさりと流され、今日の探偵団の活動は灰原の尾行に決まったようだ。まだ日の高い午後の教室。引かれたばかりのワックスの匂いと、外から吹き込んでくる若草の懐かしいような香りが満ちる小学校の教室に、子供たちの「おー!」という掛け声が響いた。一人面倒くさそうな声も混じっていたようだが。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「こっちは灰原さんの家とは違う方向では」

「哀ちゃんどこに行くんだろう」

「さてはこっちにうめえもんが」

「おめーらもう少し静かにだな」

 

 四人の小さな影が電柱から電柱へ、路地から路地へと移動しながら、1人の少女を追いかける。すれ違う通行人に怪しまれ、尾行とは思えない騒々しさを伴って探偵団は灰原の後をつけていた。

 時折なにかを警戒するように立ち止まっては後ろを振り返る灰原。その度に慌てて身を隠す探偵団達だったが、灰原の鋭い視線は確実にその物陰へと向けられていた。

 

「あれ、この道さっきも通りませんでしたか?」

 

 ふと気づいたように光彦が声を上げる。それに釣られて歩美と元太も辺りをキョロキョロと見回す。誰かの「あっ」という声にみんなが気づくと、既に灰原の揺れるブラウンの髪は見えなくなっていた。

 

「あいつ、撒きやがったな」

「ええ! ぼくたちの尾行がバレていたってことですかぁ?」

「あれだけ騒いでりゃあな」

「うえぇ、完璧な尾行のはずだったろぉ」

「元太くんのお腹が見えてたのかも」

「ちょっとあなたたち、なにやってるの」

 

 失敗した素行調査について少年探偵団が反省会をしていると、後ろから鈴のように澄んだ声がかけられた。聞き覚えのあるその声に思わずびくりと肩を震わせる一同。

 

「は、灰原さん……」

「こそこそと人をつけ回してなんの用かしら」

「ご、ごめんね哀ちゃん」

「おめーの方がこそこそとしてるからだろ」

 

 腕を組んでいつもの鋭いジト目で探偵団を、正確にはコナンの方を見ながら問い詰める灰原。それに対してコナンも開き直った様に両手を頭の後ろで組み反論する。

 灰原はやれやれといった様子でふぅと小さなため息をつき、腕を組んだまま目をつむっている。

 

「はぁ、まあいいわ。付いてきたいなら好きにしなさい」

「あ、おい灰原!」

「灰原さぁん!」

「哀ちゃん!」

 

 呆れたような諦めたような態度で腕を組んだまま探偵団の横をすり抜けていく灰原。

 黙々とただ前を歩いていく灰原の様子はどこか不機嫌そうにも見え、探偵団はバツが悪そうに目を合わせながらもその後ろをついて行くしかなかった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「ここって、帝丹高校じゃねえか」

 

 探偵団が半ば不機嫌気味な灰原に気を遣いながら歩いていると、たどり着いたそこはコナンのよく知る場所だった。

 小学校は下校時刻になっていても帝丹高校はまだまだ授業の真っ最中のようで、校門周りに人影は見えず、校庭からは体育の授業中と思しき掛け声が聞こえてきていた。

 灰原は腕を組んだままジトっとした目でその校舎を見上げていた。

 

「哀ちゃん伊吹お兄さんをお迎えに来たの?」

「いいえ、違うわよ」

「じゃあなんで帝丹高校に? 蘭に用でもあんのか?」

「ないわ」

「わかった! ここにうまいもんがっ……」

「違う」

 

 探偵団の疑問をサラリと受け流す。その質問に答えながらも視線は校舎に向けられたままだ。ここからは見えていないはずだが、その何かを疑うような半眼は“どこかの教室”の“誰か”をじっと見つめているように逸らされない。

 探偵団一同が頭に「?」を浮かべたまま、灰原に視線が集まる。灰原は校舎を見上げていた目線を降ろして目を閉じる。小さく息を吐き、仕方ないと探偵団に振り返り、微かに疑惑の念が滲んだその視線をみんなに向ける。

 

「彼の素行調査の為に来たのよ」

「「?」」

 

 端的すぎるその説明は、探偵団にはよくわからなかった。

 コナンが詳しく事情を聞いたところ、ここ数日伊吹の帰宅時間がいつもより遅く、何やらコソコソしていて素振りが怪しいらしい。

 

「最近、週に2、3日くらい帰ってくるのが遅いのよ」

「はあ。⋯⋯それで何をしているのか突き止めるためにここ数日、萩原の尾行をしてんのか?」

「ええ」

「小学校が終わってから高校が終わるまで、ずっとここに?」

「ええ」

「帰りが遅いから?」

「ええ」

「……」

「なに?」

 

 コナンは疲れたようにげんなりした顔で、ため息と共に頭に手をつく。それをキッと睨むような鋭い視線を向けながら灰原は淡々と答えていた。

 

「哀ちゃん伊吹お兄さんの帰りが遅くて心配なんだね」

「……ええ、そうね」

 

 無邪気な笑顔を浮かべる歩美に対して、「ある意味ね」という言葉を飲み込み再び視線を校舎へと戻す。何かを疑うようなその目は、再び見えない伊吹を捉えたようだ。

 

「週に2、3日帰りが遅いって言ったでしょ。今週は今のところ早く帰ってるし、今日あたりまた遅くなりそうで怪しいのよ」

「それで今日も尾行すんのか?」

「ええ」

「それじゃ、今日の探偵団の活動は伊吹お兄さんの素行調査に変更ですね!」

「おっし、今度こそオレたちの完璧なビコーをすっぞ!」

「あゆみも伊吹お兄さんが心配だし……」

「別にいいけど、さっきみたいな粗雑なのはやめてよね。私の数百倍は鋭い相手よ」

「いやそれもう無理だろ……萩原を尾行とか」

 

 灰原を他所に盛り上がる探偵団。本日の探偵団の目標が更新されたようだ。不機嫌な灰原、楽しそうな元太と光彦、心配そうな歩美に呆れたようなコナンの視線が、見えない校舎の向こうにいる伊吹へと向けられた。

 

「ん……寒気……?」

 

 まどろみの中で授業を受ける伊吹の背中を、冷たい何かが走ったという。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「お、きたぞ」

 

 西の空が薄らとオレンジに染まり始め、東の空にはまだ青色が残っている夕刻前の頃、待ちくたびれた探偵団はボールで遊んだり携帯をいじったりと、各々暇を潰していた。

 授業を終えた学生たちの姿が少しずつ増えていく中、校門前を見張っていたコナンがポツリと呟いた言葉に、探偵団がそそくさと集まってくる。

 

「1人のようね」

「うん。哀ちゃん伊吹お兄さんが誰かと一緒だと思ったの?」

「……ちょっとね。けど、1人でよかったわ。本当に」

「行くぞっ」

 

 路地の陰に隠れながら伊吹の様子を窺う探偵団。彼が帝丹高校から出たとこを少し距離をとってから、コナンの合図で行動を開始する。

 ところが意気込んで尾行を開始したのも束の間、ほんの2、3回ほど角を曲がられたところであっさりと子供たちは撒かれてしまった。

 

「あ、あれれっ、伊吹お兄さんがいないよっ?」

「おかしいですねえ、確かにこの角を曲がって行ったはずなのですが」

 

 あまりにあっさりと伊吹の姿を見失ったものだから探偵団も困惑を隠せない。灰原はこうなることは分かっていたと言わんばかりに、腕を組んでため息を吐く。

 

「気づかれたな。そもそもあいつを尾行なんて無理だっての。帰るぞ……」

「「はーい……」」

 

 呆れたようなコナンの言葉に全員が大きなため息を吐く。この数分のために何時間も待っていたことに、言い知れぬ虚しさと虚脱感を感じる一同だった。

 夕暮れに染まる茜色の空を、カラスが1羽、馬鹿にするように鳴きながら飛んでいった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「なんだか今日の帰り、可愛い生物(いきもの)に尾けられてるような気がしたんだけど、哀なにか知ってる?」

「さあ。心当たり無いわ」

 

 その日の阿笠宅の夕食、博士と灰原と伊吹が食卓を囲んでいる。揚げたてサクサクの唐揚げを1つ箸で摘みながら伊吹が何気なく灰原に問いかける。その言い方から察するに、子供たちが自分の後をつけていたことは既に分かっているようだ。そして伊吹が自分たちの尾行に気づいていることを当然灰原も気づいている訳だが、伊吹と視線を合わせることなくテレビを見る彼女はどうやら素直に答える気はないらしい。

 

「ま、なんの遊びかしらないけど、ほどほどにして早く帰りなよ。最近不審者の目撃情報とかあるみたいだし」

「ええ、そうね。早く帰るわ……心配事がなくなったらね」

 

 小さく呟いた灰原は箸で持ち上げた少量のご飯をその小さな口で咀嚼しながら、そっと向かいに座る伊吹の様子を窺った。美味しそうに唐揚げを頬張る彼はいつもと変わった様子もなく、今日の尾行を責めることもない。後ろめたいことは何もないようだが、事実ここ最近帰りが遅いことがある。胸中にモヤモヤとしたものを感じながら「最近帰りが遅いけど、誰とどこでなにしてるの?」とは素直には聞けない。

 そんな自分に半ば呆れるように、瞳を閉じ何度目かのため息をこぼす。

 

「どしたのさ?」

「別に、何でもないわ」

「……?」

「……あげた香水、つけてる?」

「え、ああ、うん。せっかくだしいつもつけてるけど。匂いしてるだろ?」

「……指輪は?」

「寝るとき以外はずっと首につけてるよ」

「そう。ならいいわ」

 

 灰原へとグッと体を乗り出し、自身の服の襟元をパタパタと仰ぐ伊吹。帰宅後まだ入浴をしていない首元からは、その太さと古傷には似合わないほのかな柑橘系の香りが漂ってくる。

 その首元にはネックレスのチェーンも見え、服の下に忍ばせたリングを引き出して彼女へ見せる。

 灰原は少し安堵したように小さく微笑んだが、それを隠すようにそっとグラス傾けお茶を飲むのだった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「で、まーた今日も萩原の尾行かよ」

「別に付いて来てほしいなんて頼んでないわよ」

「しゃーねーだろ、あいつらがやる気満々なんだから」

 

 翌日の昨日と同時刻。少し肌寒い中、少年探偵団の姿は今日も帝丹高校前の路地にあった。灰原が今日も伊吹の尾行のために帰ろうとしたところ、リベンジに燃える少年探偵団に捕まったようだ。

 

「しっかし今日は……」

「ええ、まさか遅い理由が下校途中に何処かへ寄っているんじゃなくて……」

「ぜんぜんこねーじゃんかよー!」

「昨日姿を見せた時間からもう1時間以上は経過してますねえ」

「あゆみちょっと寒いかも」

「ほら、これ着ときなよ、歩美ちゃん」

「うぅ……」

 

 どうやら今日は伊吹がなかなか校舎から姿を見せないようだ。これは灰原も予想外だったのか、いつもの面倒くさそうなため息を吐きながら路地の壁にもたれかかり腕を組む。

 日中は暖かかったためか子供たちは皆薄着で、歩美は半袖から露出された二の腕をさすっている。咄嗟にコナンが自身の上着を差し出し、それを光彦が悔しげな表情を浮かべながら見つめていたとき、校舎の奥から伊吹が姿を現した。

 昨日よりも慎重に伊吹の後を追いかける探偵団だったが、2つ目の角を曲がったとき、そこには塀にもたれ掛かりながら腕を組み一同を待っていた伊吹の姿があった。

 

「まーた今日も、なんの遊びなの?」

「「い、伊吹お兄さんっ」」

「まあ、バレてるよな」

「……」

 

 責める様子もなくキョトンとした顔で尋ねる伊吹。

 

「あのね、哀ちゃんが伊吹お兄さんの帰りが遅いって心配……」

「晩御飯、用意するのか要らないのかわからないのよ。最近連絡もなく遅くなることが多いから」

 

 小首をかしげて伊吹を見上げる歩美が尾行の意図を喋ろうとする。それをどこか慌てた様子で遮るように口を挟む灰原。歩美の声をかき消すように心なしかボリュームが大きくなっている。

 

「まあ、ちょっと居残る用事があるだけだよ。そんな心配しないでも」

「だからあなたの心配じゃなくて夕飯の」

「いつも帰って食べてるだろ?」

「……ええ、そうね……」

 

 膝に手をついて灰原と視線の高さを合わせて喋りかける伊吹。まっすぐ見つめてくるその視線に胸中に潜む小さな罪悪感と、気恥ずかしさからさっと目をそらしてしまう。

 

「その居残る事情って、なに?」

「それは、その……今はちょっと」

「なに、言えないようなことなの?」

「まあ、その、……そのうちな!」

 

 灰原の鋭い視線から逃れるように目を泳がせる伊吹だったが、この話はお終いとでも言うように大きな声で下手に誤魔化す。

 当然納得する様子のない灰原が食い下がろうとしたとき、くしゅんという可愛らしいくしゃみが聞こえた。

 

「大丈夫か? あゆみぃ」

「冷えちゃいましたかね」

「ううん、大丈夫だよ」

 

 それから自然と話が逸れてしまったため、これ以上追求するタイミングを逃してしまった灰原。疑うような視線を伊吹に向けながら、なにかを言いたそうに唇をむずむずと動かすしかなかった。

 

「あれ、君たち?」

「あ、高木刑事と佐藤刑事!」

 

 伊吹の引率の元、帰路につく一同の前を偶然にもよく知る2人の刑事が通りかかり声をかけてきた。子供たちの姿を確認するとすぐに柔和な笑顔になったものの、スーツ姿で眉間にしわを寄せ険しい表情で何やら相談していた様子を見るに、どうやら職務中だったようだ。

 

「小学生が下校するにはちょーっと遅いんじゃない?」

「で、でもでも伊吹お兄さんがいますし!」

「だから平気だもん!」

「悪いヤツなんかぶっとばすぜ!」

「ぶっ飛ばさないよ」

「ぶっとばすでしょ」

「……多少は」

 

 佐藤刑事が意地悪く子供たちをからかうと、子供たちが慌てて抗議の声を上げる。その姿を可愛らしく思い面白そうに見ていた2人の刑事に、コナンがいつもの調子で質問する。

 

「佐藤刑事、高木刑事、なにか事件でもあったの?」

「最近この辺で不審者の目撃情報が出てるでしょ? それと先日起きた居直り強盗事件」

「その強盗で目撃された犯人像が不審者情報とよく似ていてね、調べていたんだよ」

 

 2人は視線を交わし、教えるべきかと一瞬逡巡するも、ついいつもの調子で口を開いてしまうのだった。

 子供たちは佐藤刑事の口から出た聞き慣れない言葉に思わず視線を合わせる。誰も答えを知らないようで、歩美が刑事2人に質問する。

 

「居直り強盗ってなあに?」

「ああ、居直り強盗って言うのは、空き巣なんかが家主に現場を見られて、逃げたりせず咄嗟に家主を脅迫して強盗したりすることだよ」

「文字通り開き直って強盗する悪いやつのことよ。追い詰められてたり無計画だったりする分、普通の強盗より危険だったりするの」

 

 佐藤刑事がピンと人差し指を立てて子供たちに脅かすように教える。そして小さくため息を吐くと腕を組み、怒ったような困ったような顔で続ける。

 

「今回の事件もただの空き巣が家主に見つかって居直り強盗。ナイフで脅してそのまま切りつけちゃったんだから。ただの空き巣が強盗致傷、もしかしたら殺人未遂かもね」

「さ、佐藤さん……」

 

 後ろで困ったように苦笑いを浮かべる高木刑事に、「あ、いけない」と思わず口元を手で隠す佐藤刑事。「このことは秘密よ」と子供たちに念を押しておく。

 

「ま、他に事件と言ったら……」

 

 先ほどまでの血なまぐさい話を誤魔化すように、佐藤刑事がじとっとした怪しむような目つきを高木刑事へと向けながら少し不機嫌そうに呟く。

 

「最近高木くんがなーんかコソコソとしてるのよね。なにか隠し事してるみたいで、せっかくの非番で家で待ってても帰ってくるのが遅かったりするのよね」

「浮気ね」

「なぜ俺を見る」

 

 探偵団の後ろで控えていた灰原が間髪入れずに口を開き、瞳を閉じたまま両の腕を組み切り捨てるように言い放つ。そして疑惑の念を隠す様子もなくジトッとした半眼で、チラリと横目で隣の伊吹へと視線を送る。

 

「でしょー? そう思うでしょ? 私もそんな気がしてるのよね」

「ええ。こそこそして、帰りが遅くて、説明はなし。疑わしいわ」

「そそ、そんなことあるわけ無いじゃないですか!」

「う、疑うのよくないよ」

 

 灰原と佐藤刑事の冷たい視線に慌てる男が2人。視線を泳がせながら慌てている様子を見るにどちらも何かを隠しているのは間違いないようだ。

 

「さ、佐藤刑事、そろそろ聞き込みに戻らないと……」

「さて、俺たちももう遅いから帰るよー」

 

 話を反らそうと高木刑事が佐藤刑事に仕事の続きを促し、伊吹はパンッと手を叩いて子供たちに声をかける。

 仮にも職務中の佐藤刑事、仕事の話をされれば引き下がらざるを得ない。子供たちも話の内容がよく分からないまま、キョトンとした顔で「「はーい」」と返事を返す。

 

「怪しい……」

「ええ……」

 

 2人の女性の鋭い目つきは、最後まで男たちを射貫いていた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 2人の刑事と遭遇した翌日の夕刻。今日も今日とて灰原は帝丹高校前で1人張り込んでいた。ランドセルを背負っていない姿を見るに、どうやら下校後一度帰宅してから来たようだ。

 先日の反省から薄手のブラウスの上にカーディガンを一枚羽織っている彼女の手にはコンビニの袋が下げられており、どうやら長丁場に備えて買い出してきたようだ。

 帝丹高校から本日最後の授業の終わりを告げるチャイムが聞こえてからしばらく。彼女が携帯を覗き何度目かの時間を確認したとき、校舎の奥から1人の男が姿を現した。

 

「ッ!」

 

 彼女の目が驚きに見開かれたのは、その男、伊吹が見知らぬ女子生徒と仲睦まじく話しながら出てきたからだ。伊吹のその古傷に似合わない愛想のいい笑顔はいつもと変わらないが、相手の女子生徒はほのかに頬を染め、その表情には特別な感情が含まれているように思えた。

 その光景に少し苦しくなる胸の違和感を誤魔化すように、大きく息を吸いため息を吐く灰原。とたんに虚無感と虚脱感、寂しさと疲れが彼女を襲い、なんだか自分の行いが馬鹿馬鹿しくなり力が抜ける。路地の塀にもたれかかり、足下の小石を小さく蹴り飛ばした。

 

「……」

「哀?」

 

 彼女の姿を見つけた伊吹が先ほどの女生徒と校門前で別れ、灰原の元へと駆け寄ってきた。彼女の雰囲気に少し気まずそうに声をかける。もう隠れる気も無かった灰原は、チラリと横目に伊吹を見上げ、少し嫌みっぽく不機嫌を混ぜ込んだ声色で返事を返す。

 

「あら、あの子は放っておいていいの?」

「別に、帰る時間が被っただけだから。他意は無いよ」

「……向こうはどうかしらね」

 

 小さくそう呟くと、フイッと興味がなさそうに向こうへと振り返り1人で先に帰ろうとする灰原。彼女の態度に困惑するように後に続く伊吹。

 

「……哀?」

「……」

 

 後ろから声をかけても振り向かない彼女。その態度に思わず距離を詰めて肩に手をかける伊吹。

 不機嫌そうに振り返った彼女は返事を返さなかったが、そのジトッとした半眼には「なに?」という冷たい返事が映し出されていた。

 

「いや、あの、多分誤解を」

「……?」

「って、え、なに?」

 

 伊吹が何やら困ったように慌てて言葉を紡ぐも、何かに気づいた様子の灰原はそれを無視して伊吹の服へと顔を近づける。

 目を閉じてすんすんと鼻を鳴らす彼女はどうやら伊吹の服の匂いを嗅いでいるようだ。しばらく確認した後、彼女はそっと顔を離し、ますます不機嫌そうな顔と声色で伊吹へと詰問する。

 

「あなた……甘い匂いがするわ」

「え?」

 

 その一言に伊吹も思わず自身の制服を鼻先へ引っ張り上げて匂いを確認する。

 確かに彼からは以前灰原から貰った柑橘系の香水の爽やかな香りの中に甘い匂いがした。それはベルモットの薔薇のような「女性」の甘さではなく、砂糖のような「女の子」らしい甘い香りだった。

 

「それ、なんなの?」

「あ、いや、これはその……えっと……」

 

 口ごもり答えに困窮する伊吹。逃げるように灰原から外された視線は足下をうろちょろと泳ぐ。静かに冷たい瞳で彼の答えを待つ灰原。その目に映り込む自分が見ていられなくて目を閉じた彼が、開き直ったように胸を張って答えた。

 

「お、俺にも、いろいろあるんだよ」

 

 その一言に、灰原の瞳は静かに揺れる。不機嫌さの中にはどこか寂しげで、悲しげな色が混ざっていた。

 

「……そう。別に言いたくないならいいわ」

 

 そう言い残すと再び向こうへと振り返り、1人で帰ろうとする彼女。それを追いかけるように歩く伊吹。

 帰路につく2人の間には微妙な距離があり、伊吹がチラチラと灰原の表情をうかがうも彼女は前を見るばかりで、会話が交わされることはなかった。

 西の空にはすでに夕日の姿はなく、地平線に微かに残る橙色が寂しげに街を黄昏に染めていく。それはまるで彼女の心情のようで、最後の抵抗のように残されたわずかなオレンジの空も2人が家に着く頃にはすっかり沈みきり、辺りは宵闇に包まれていった。

 

 

 

 


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