走れトラック   作:じょーく

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 数多もの無実の人間を殺し続け、邪知暴虐の限りを尽くしておきながら、誰に処罰されることも無いそれは正に、現代においての絶対王。逆らうことは許されず、抗議をしても誰も耳を傾けない。戦いを挑んだとしても即死で終わる。

 絶対にして最強の殺人道具。最高にして最悪の転生道具。

 それこそが――――大型トラックである。

 

「や、やっちまった……」

 

 トラックの危険性はもちろんよく分かっていたつもりだった。

 その高低差における死角の多さ、大きすぎるからこそできる慢心、油断。

 だが、たとえ知っていてもできないことはある。そう――――車は急に止まれない。

 いつも通り走り、いつも通り注意して、いつも通りに運転して、しかし、しかし、そのトラックの高いところにある運転席からではあまりにも死角が多すぎた。

 黒猫。たった一匹の黒猫。

 クロネコの山ちゃんではなく、動物の黒猫が、道路を横切ろうとして、運転していたトラックの前に来たのだ。いや、それだけならそのまま通りすぎてくれればよかった。しかし、その黒猫はあろうことか、道路を横切ろうとして、そのまま突っ込んでくる俺のトラックを目にして動きを止めてしまったのである。日本では黒猫が横切ると不幸が起きると言われているが、それは今回も例外なく的中した。

 わざわざ黒猫を助ける青年が居たのだ。

 つまり、突っ込んでくるトラックの前に立ち止まっている黒猫を助けに、その青年もまた道路を横切って黒猫を搔っ攫おうとしたのだ。

 しかし最悪なことに、青年はその黒猫を掻っ攫っただけで、そこから移動する余裕はなかった。結果、俺が運転しているトラックに轢かれた。

 ドシーンというか、これが人を一人轢いてしまった時の衝撃なのかと、俺自身が驚くこともあったが、しかし、轢いてしまったと分かると同時に自分でも血の気が引いていくのが分かった。

 

「おいおい、おいおいおい!」

 

 ハンドルを握りしめたまま、俺は自分の状況を整理しようとして、今、自分は現実に居るのかどうかを確認していた。

 やっちまった……? 殺っちまった……? 嘘だろ、おい、どうすりゃあ良い。

 どうしようもくらいに現実であるけれど、俺はとりあえず自分がどうすれば良いかを考えて、そして口に出す。

 

「や、やったか……!?」

 

 はい、殺りました。

 深呼吸をして、ハザードランプを付けてからトラックを降りる。そしてそーっと窺うようにトラックの前を見ると、黒い学生服を着た青年が黒猫を抱きしめて倒れていた。

 ……ふぅ。

 血がだらだらとその青年の頭から垂れている。

 汗がだらだらと俺の頭から垂れていく。ああ、そういえばそろそろ俺もおっさんだ。四十歳だよ俺も、おっさんだよ。まだまだ童貞の魔法使いだよ。プリキュア頑張れーって応援する日曜日を楽しみにしているただのおっさんだよ。

 

「…………」

 

 案外、まだ生きていたりするんじゃないかと思って、その青年の近くに座って、呼吸を確かめる。

 呼吸はなし。

 まあでも、と思いながらその青年の手首を持つ。

 脈もなし。

 俺はやれやれと思いながら立ち上がり、ため息を吐いて、胸ポケットにあるもう残り少ない煙草を一本取り出して、口に咥える。

 

「――やっちまったなあ……」

 

 火を付ける気力すら湧かず、咥えた煙草を指で挟み取って、癖で口の中にある煙を吐こうとする。

 吐き気が止まらねえ。おっさんの癖して心臓は恋をしたかのようにドッキンドキンのドキンちゃんである。プリキュアに恋したときだってこんな心臓は跳ねなかった。

 なぜかこの現状がどこか笑えてきて、俺は苦笑いをしながら青年のほうをもう一度見る。

 すると、にゃーと一声鳴く声が青年の真ん中あたりから聞こえてきたので、その声の方を見ると、トラックの前で立ち止まっていたあの黒猫が居た。

 

「……お前は生きてたんだなあ」

 

 ああ、良かったよ。

 お前を助けるために名も知らぬ青年は死んで、おっさんは社会的に死ぬんだ。

 正直、それならお前だけが不幸になってくれればとか思っちゃうけど、しょうがねえよなあ。だって、助けたいって思っちゃったんだもんなあ。

 空を仰ぎ見ると、突き抜けるような青空だった。

 なんだかもう面倒くさくなって、俺は持っていた煙草を道路にポイ捨てする。生まれて初めてのポイ捨てだ。これでも警察に捕まる理由になるのだろうが、もう良いじゃないか。どっちみち警察に捕まる、ならば、初めてのちょい悪くらいは見過ごしてくれ。

 ああ、ちくしょう。小学生時代の頃は、この青空を見るだけで、すごい良い気分になったけれど、これからはもう、この青空を見るだけで、すごい悪い気分になるのだろう。

 悪いな、小学生の頃の俺。俺は、メロスというヒーローにはなれなかったよ。

 

「――諦めるにゃ」

「……あん?」

 

 ここで知らない声が青年の方から聞こえてきた。

 誰だろうと思いながら見ると、猫だった。

 

「この青年が死んだのは間違いにゃ」

「……」

「かの邪知暴虐の限りを尽くした王、DIOニスの間違いにゃ」

「…………」

「今まさに逃げている真っ最中のDIOニスを捕まえれば、この青年は生き返るにゃ」

「………………」

 

 俺は青空を見る。

 突き抜けるような青空だった。

 どこまでも続いているように見えて、気持ちの良い青空だ。

 ああ――――俺も、堕ちるところまで堕ちたなあ。どうやら警察に捕まる前に、俺は人間として終わるらしい。

 

「走るにゃ」

「……どこをだよ」

「DIOニスは――逃げている」

「…………」

「真っ直ぐ走るにゃ。DIOニスは邪魔をしてくるかもしれないけど、このクロネコYAMATOがナビゲーションしてやるにゃ」

「…………上等だ」

 

 俺は青年の脇に腕を通して、トラックの助手席に座らせる。そして、黒猫がぴょんと、座らせた青年の膝の上に着地した。

 

「クロネコ、お前は信じない」

「……」

「だが――俺は信じる」

 

 猫が喋るわけがない。分かっている、知っている。

 だけど――これが現実だ。

 これが俺の見ている現実なんだ。

 青年は死んで、生き返らない。だけど、猫は喋って青年が生き返ると言っている。

 ああ上等だよ。信じてやる。

 俺よ、人の心を疑うんじゃない、俺の心はきっと現実に帰ってきている。

 だから――走れ、トラック運転手!

 

 

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 トラック運転手は激怒した。

 かつて邪知暴虐の限りを尽くしたDIOニスに激怒した。

 転生小説にはまって、トラックに轢かせて転生させたいという思いを持ったDIOニスが、手違いで本当に青年をトラックで轢き殺させちゃったと言うDIOニスに大激怒した。

 

「ふざけるなDIOニスよ!」

 

 アクセルペダルをあらん限りの力で踏みしめながら怒鳴った。

 ハンドルは握りしめ、横も後ろも確認せずに、助手席の青年の膝の上に座っている黒猫は尻尾をピンと立てながら、トラック運転手と同じく前を見ている。

 青空があった真昼間のはずが、前後左右どれも真暗闇に包まれていて、トラック運転手はこれは現実の出来事ではなく絵空事の出来事で、その絵の中に入ってしまったのだと理解した。

 

「サポートするにゃ、猫の目を貸してやる」

 

 クロネコがそう言うと、真っ暗だったはずの目の前は途端にただ色の無い景色へと変化した。そう、猫の目は暗闇をも映す。

 視れば道は津波のようにぐにゃぐにゃと左右に上下に狂っていた。小さな舌打ちをしながら、それでもただただ力を込めてアクセルペダルを踏切り、ハンドルを回す。

 トラック運転手には運転の才能がない。努力もしなければ運んでいる人の荷物に愛情さえ持たない。

 それでも今、トラック運転手という人間がここまでの道を乗り越えられるのは間違いなく、顔も知らぬDIOニスへの怒りだろう。

 さあ、数多もの憎しみを背負い――走れ、トラック運転手!

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 獣のような雄叫びと共に、トラック運転手はただトラックを走らせる。上下の道の坂を乗り越え飛んで見せて、ちゃんとした真っ直ぐの道に着地する。

 ああだがどうだろう、目の前にある暗闇から突然の閃光!

 (ほとばし)るその閃光の正体は火の玉。熱を持った実体が、トラックに向かってきているではないか。

 運転手は涙する、今まさに火の玉は向かい、トラックは火の玉に向かう。道は踏み外せばそこはただの暗闇、逃げることはおろか躱すことさえできない。

 

「なんてことだ火の神アグニよ! 俺はただ、愚かでやまない悪神DIOニスをぶん殴りたいだけなのだ、どうか静まり給え」

 

 しかし神はその願いを受け入れない、どころか火の玉はますます大きく成長していき、今まさにトラックさえ包む大きさで襲い掛かろうとする。

 だが、叫ぶは助手席の黒猫。毛を逆立て牙を立て、猫よりも人よりも大きなその火をただ見つめて叫ぶ。

 その絶叫をただの恐怖心からだと考えたトラック運転手は、もう駄目なのかと諦めて目をつむり、火の玉の激突を待つ。

 火炎放射のようなその火の玉は確かにトラックを包み込み、フロントガラスさえ溶かしながら運転手および助手席の青年と黒猫を炎の海に溺れさせた。だがなんてことだろう、青年と黒猫はまったくの無傷で、運転手は上下の服がボロボロに燃えるだけで済んだのだ。

 

「クロネコの力ではこれが限界にゃ、だが、最後まで諦めるにゃ!」

 

 見事トラックはその火海を乗り越え、男は服をボロボロに崩されながら、歯をむき出しにしてただアクセルペダルを踏み抜き続ける。

 しかし神は試練をそれだけでは終わらせない。幾度もしない内に熱を豪雨を大雪を木の葉の山を降らせ、むき出し(・・・・)となった運転席へと容赦なく襲い掛かる。

 クロネコの力では青年とトラックを守るだけで精一杯、もはやそれさえも限界に達しようとしているのか、耳と尻尾をうなだれ、険しい顔つきで荒い呼吸をしている。だからこそ運転手は今度こそ何にも守られず、その山に襲われ呼吸さえ怪しくなる。

 あっという間に顔は何万年もの時を超えたかのように荒れ果て、黒い焦げや擦り傷を作っていき、体力を奪っていく。

 呼吸さえ怪しいその空間では、もはや正確な時を数えることさえままならない。気が付けばトラック運転手は朦朧とした意識の中で、諦めの言葉を紡ごうとする。

 

――もう良いんじゃないのか?

 

 自分は頑張った。訳の分からないままに猫を轢きそうになり、その猫を守ろうとした人を轢き殺し、元凶であるDIOニスをただ追っている。

 俺は青年を助け、悪の神DIOニスの鼻を明かさなければならないのかもしれないが、どうして所詮は人である自分が神である者の鼻を明かせるというものだろうか。

 神だの命だのくだらない。人は結局は神の玩具でしかないじゃないか。神の思うままに弄ばれ、試練という名の苦しみを与えられ続け、果ては幸福さえ渡されずに嘲笑い続けられる。人は神を超えられず、運命に抗えるわけもない。だとするのなら、ここで諦めてしまった方がずっと楽じゃないか。

 気が付けば運転席は雪に包まれ、半身を覆っている。その間も容赦なく試練が降り注ぎ、決意を奪っていく。

 

「――諦めるにゃ!」

「…………さっきから言いたいんだけど、それってどっちなんだよクソッタレがあああああああああああああああああああ!」

 

 ああ悪い夢を見ていた。運命に抗えないというのなら、せいぜい神様にでも変わってもらおう。

 トラック運転手は心の中で青年とクロネコ、そしてプリキュアに詫びながら、アクセルペダルを踏み続ける。

 熱を超え、豪雨を超え、雪を超え、木の葉の山を越えて、太陽が映す影よりも速くトラックは音の速度で走り続ける。

 もはや衣服はその効果を発していない。体中が生傷にまみれながら、二度、三度口から血を噴き出した。それでも運転手はただただトラックを走らせる。さあ、今こそ限界を超えて、運転手の拳という荷物を届けに行くのだ。

 景色は暗闇を超えて、一つの国に変わる。悪神DIOニスの王国だ。

 道路は黄金で、左右の家はダイヤでできていた。多くの人間が窓からこちらを伺っている。

 

「ああ、トラック運転手様」

 

 うめくような声が風とともに耳に届いた。

 

「誰だ」

 

 トラック運転手は走ったまま尋ねる。

 

「インフィニットストラトスでございます。悪神DIOニスによって作られた神、インフィニットストラトスでございます」

 

 その神は姿を見せぬまま、トラック運転手に囁き続ける。

 

「無理でございます。その青年が死ぬ前にたどり着こうと、DIOニスは貴方様の世界には生き返らせず別の世界に転生させることでしょう。DIOニスは卑劣な男です、土下座をしてでも涙や糞尿を垂れてでも、その青年に謝罪する振りをして、難癖をつけて元の世界には返さないことでしょう。神の癖をして、自分にできないことがあると認めるのでしょう」

 

 トラック運転手は何も言わずに、前にある赤い夕陽で照らされた景色を見つめた。

 

「やめてください。走るのはもうやめてください。もはや追い付いたとしても無駄です。貴方様は人間で、DIOニスは神なのです。拳が届く道理もありません。願いを聞く義務があるわけでもありません。神は傷つかず、滅びもしないことでしょう。DIOニスが逃げているのも、結局はただの戯れなのでございます。よく頑張りました、隣にいる青年も、そのクロネコ様の力で貴方様の頑張りは分かることでしょう。ですからもうおやめください。もはや誰も、青年さえも求めておりません。そのままでは貴方様が死んでしまいます」

 

 もはや乾ききって血だらけの口で、トラック運転手は力いっぱいに言う。

 

「だから走るんだ。俺が死ぬまでに、今は走れない青年の代わりに精一杯走り続けるんだ。生きている俺が死なせてしまった彼のために走るんだ! だからついてこい、神様なんかではなく俺の生き様を見ていろ!」

「ああ、貴方様はもう狂ってしまっている。分かりました、良いでしょう。トラックの荷台に私の意識を乗らせていただきます。私が貴方様の最後を見届けさせていただきます」

 

 どこを目指せば良いのか分からない、けれど隣にいるクロネコのナビゲートの下に、トラック運転手は走り続ける。

 先の角を曲がり、まっすぐ行き、時にはすれ違う民たちを驚かせながら、そしてそこに着くまでには見えなかったはずの、天に届かんばかりの赤い塔の前に着いていた。

 直感と言うべきか、クロネコが教える前にトラック運転手はブレーキを踏んで、暗闇でも火の玉が来ても、あらゆる試練が飛び交う道中は知らせ続けていたトラックを止まらせた。

 

「ここにゃ」

「ああ……ここが」

 

 もはや喉はつぶれて、その先の言葉が出ない代わりに血を吐いた。

 トラック運転手としての生きがい、目的地のゴールが少しの満足感を与えて、身体はこれ以上の労力を認めようとしない。それでも、寄りかかるようにしながら運転席の扉を開けて、そしてそこからなだれ落ちるようにトラック運転手は地べたに足の次に肘をついて、外に出た。

 それだけの行動で息は乱れ、視界は霞む。そして気が付けば目の前には青年と共に助手席にいたはずのクロネコが目の前に居た。クロネコは変わらず、黄色の目に黒の瞳で運転手を見下ろし、尻尾をゆらゆらと揺らしながら言った。

 

「諦めるにゃ」

「……だ、から……どっちだよ」

 

 諦めろなのか、諦めるななのか。

 その分からない答えが、どうしようもなく笑えてきて、トラック運転手は力なく笑った。

 まだ終わっていないと分かっている、始まってすらいないと分かっている。トラック運転手は今、ようやく青年を助け出せるスタートラインにまで立ったのだ。

 手を地について、自身の身体を支え起こそうとする。腕はもはや自分のでもないかのように震えがとまらず、呼吸することを忘れさせ、気づけば叫びながらトラック運転手は立ち上がっていた。

 

「案内しろ、クロネコ。DIOニスを……」

「ああ」

 

 そして目の前に居る小さな黒猫は、一度その目をつむり、また開く。

 その目は白く、徐々に血管が出てきたかと思えば血管は真ん中に集中していき、青を作り、そこには人間の瞳ができていた。

 身体は徐々に起き上がっていき、四足方向から二足方向へと進化してきたかと思えば、手足も体も獣のそれ(・・)から、毛が抜きでて人間の身体を作っていく。

 残っている黒の色も金色に濡れて、あくまで自然に、ただ進化を速めたような猫は、人間へと成り変わる。腕や脚は細く、手足は白く、いつの間にか黒色のズボンと白色のパーカーを着た少年が目の前に。

 それは進化や変化というよりも、瞬間移動してきたのではないかという疑問が湧くくらいにあっという間で、しかし、目の前には確かに、黒猫ではなく金色の短髪をして優れた顔つきの、もうすぐ40歳となるおっさんの腹くらいまでの背をした日本のとは別の国から来ただろう異質な少年が居た。

 

「我がDIOニスだ」

 

 少年――クロネコは、悪神DIOニスの名を名乗るのだった。


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