提督は、来るべき戦に備え準備をしていた。
「酒の準備よし。酒の肴よし」
指差し確認で神通を出迎える準備を最終確認していく。今回は、酒の力に頼る作戦で蝋燭などは使わない予定だ。ペンライトでなんとかなったのだからこれでいけると思う。むしろ相談を受けながらそっちの方向に持っていく方法が思いつかなかった。
「提督、神通です」
部屋の扉が叩かれる。
「鍵は開いている」
「失礼します」
神通が部屋に――白無垢!? いや、待て。アレは、ただの白地の和服の寝間着だ。清楚な佇まいのせいで迂闊にもそう思ってしまった。
「どうかしましたか?」
「いや、寝間着で来るとは思っていなかったのでな」
「そう……ですね」
頬を染めるな。なんだかこちらまで恥ずかしくなってくる。
「立ち話もなんだからな。座るといい」
「はい」
提督に促され椅子へと座る。
「しかし、あれだな。神通は、和服も似合うな。髪も綺麗な黒だから尚更だ」
「提督は、和服の方が好きですか?」
「難しい質問だ。神通の場合は和服もだからな。元が良いと得だ。何を着ても良い。私など最近では軍服以外だと道着などしか似合わなくなってきた。私服が仕舞ってあるが死蔵しているよ」
「提督の私服ですか? そう言えば、見た事がないです」
最後に私服に袖を通したのはいつだったか?
「そうだな。少なくとも提督として艦娘を率いる事になった時から着る事は無くなった。神通、酒は何を飲む? ビールと日本酒を用意してある」
「提督はどちらを飲まれますか?」
「神通に合わせるつもりだったが……それなら日本酒にしよう」
神通と自分の分を用意して注ぐ。
「前にも言ったが無理はしなくていい。相談とは自然に行う方がいいからな。今日もご苦労だったな、神通」
「ありがとうございます」
杯を交わし、一口飲む。
「提督、今度は私が」
空になった提督の杯に酒を神通が注ぐ。これだと少しまずいな。
「ありがとう。ところで、神通は酒が強い方か?」
「私ですか? よく分かりません。飲む機会はありますけど、二人の事がありますので」
「騒ぐからな」
「申し訳ありません」
神通に謝られる。
「あの二人には助けられている。川内は、夜戦に関しては第一人者のようなものだ。夜戦が初めてな艦娘も安心して任せられる。那珂は、泊地に娯楽を提供してくれている。おかげで退屈しなくてすむからな。ただ、なんだ……」
神通の申し訳なさそうな表情が全てを語っている。
「休暇の日の夜に夜戦がどうのと騒いだり。妖精さんを買収して特設ステージを勝手に作ったり。確かに問題がないとは言えないが……無いと寂しく思う。慣れとは凄いものだな」
賑やかなあの二人が居なくなればその穴は大きなものとなるだろう。それだけ存在は大きい。
「神通よ。昔話でもしながら飲むとしよう。お前達三姉妹と出会ってからの事を思い出しながら」
「はい」
酒を飲みながら昔を振り返る。内容は主に他の二人になるがほとんどが神通の口から語られる。
(仲が良いのだな)
川内と那珂の話をする神通は普段と違い表情が忙しそうに変わる。迷惑を掛けられたと困り。付き合いきれないと怒り。あまり積極的な方ではない自分をいつも連れ出してくれたり。二人のおかげで他の艦娘達と関われたり……
「楽しいか、神通?」
「はい。楽しいです」
「そうか」
二人の姉妹の話をする神通を見るのは良い。用意した肴に手を付けずとも酒が進む。いや、私が進んでどうする。
(神通はどうだ?)
饒舌に話をしていた神通は喉を潤すように酒を飲んでいた。既に半分も残っていない。頃合いか?
「神通。そろそろどうだ?」
「そろそろですか?」
そんな不思議そうな顔をされても困る。
「相談があったのではないかな?」
「相談……そうでした。すみません、忘れていて」
「いや、それはそれでいい。悩みを忘れられるのは良い事だからな。それで、話せそうか?」
神通は俯き考え込む。そして、覚悟を決め提督の方へと向き直す。
「私は、提督をお慕いしています」
「そうか」
上官冥利に尽きると言ったところだろう。神通の忠誠心はよく分かっているつもりだ。
「私も神通を部下に持ててよかったよ。今日も本当に助けられたからな」
「……違うんです。部下とか……秘書艦とかではなくて……」
目と目が合う。思わず見惚れてしまうほどに美しい意志のある目だ。
「神通として提督をお慕いしています。提督の為ならなんでも……します。こんな私で……お役に立てるなら」
「そんなに私の事を……」
神通は顔を真っ赤にして頷く。
「神通にここまで思われているとはな。こんなに嬉しいことはない……」
目頭が熱くなる。
「本当ですか? 私も――」
「上官冥利に尽きるな」
「……上官冥利?」
てっきり自分の思いを理解してくれたのだと思った神通を無視するように提督は昔を思い出す。
「昔、上官に言われたとこがある。上官としての価値は、どれだけ部下に慕われているかで決まると。今まで厳しく接してきたが、それはお前達の事を思えばこそだ。優しければいいと言う訳ではない。戦い、生き残る事が出来るようにとやって来たつもりだ。それこそ恨まれ憎まれたとしてもだ」
「そ、そうなんですか……」
「今日は、美味い酒が飲めそうだ。神通、すまないが付き合ってくれないか?」
「……提督のお役に立てるのなら喜んで」
神通にお酌をしてもらいながら提督は上機嫌で酒を飲んでいく。その表情は今まで見た事が無いぐらいに晴れやかだ。
(提督らしいですね)
機嫌良く飲んでいく提督を見ると怒る気にも呆れる気にもなれない。それよりもこうして自分の言葉一つで気分を良くしてくれたことが嬉しい。
「どうかしたか?」
「いえ、なんでもありません。それよりもどうぞ」
すっかり催眠術に掛ける事を忘れた提督はいつもよりも早いペースで飲んでいく。それこそ酔いが回ってしまう程に。
「提督、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。ただ……少し配分を間違えたようだな。久しぶりに酔いが回って来たよ」
酒豪には二つのタイプがある。単純に酒が強い人間と酒を上手く飲める人間の二通り。提督は後者であり、今回のように気分に任せて飲むとそれなりに酔ってしまう。
「提督が酔われている所を初めて見ました」
「普段は、考えながら飲んでいるからな。酒を飲むコツは、自分の限界と配分を知る事だ。そうすれば、二日酔いにもなら……」
言葉の途中で提督の身体が傾く。
「……情けないな。助かったよ」
「今日は、ここまでにしておきましょう」
咄嗟に動いた神通に椅子から倒れそうになるところを助けられる。心地が良い。神通に頭を抱えられるようにされている訳だが安心する。
「こちらです」
酒と神通から与えられる心地良さに身を委ねながら、神通に連れられベッドへと腰掛ける。
「寝苦しいと思いますから……上着を……脱がせますね」
「頼む」
もう何も考えたくない。全てを神通に任せよう。
「なんだか照れますね」
提督の上着をゆっくりと脱がし終えた神通は、その上着を愛おしそうに抱きしめる。
「照れる神通も良いものだなぁ……」
もう限界が近い。意識が遠くなっていく。ベッドに横になる。このまま寝てしまおう。
「お休みなさい、提督。私が御傍に居ますから安心して眠ってください」
優しく頭を撫でられる。これなら眠るのに時間は掛からないだろう。
「提督。今度は、ちゃんとお願いしますね。私は、いつでも大丈夫ですから。提督が望むのならどんな事でも」
返事は返ってこない。それでも幸せそうに神通は提督が眠りに落ちた後も傍に居続けた。