今日の夕飯はちょっとしたイベントになっていた。
「凄いな、大物ではないか」
「ふふふっ、凄いだろ? 俺様が取って来たんだぞ!」
今日の主役となるマグロを取って来た天龍は胸を張って答える。
「はぁ~い。沢山ありますからね」
その横では、マグロの解体を済ませた龍田が小皿に取り分けて配っている。
「定置網にマグロが掛かるなんて滅多にないからな。仮にあってもこんな大物はない」
泊地の近海には、定置網がセットされてある。と言っても、泊地内で消費する分の規模なのでそれほど大きくはない。
「決まってるだろ? 俺様が確認する日だったからな。今日は、俺の奢りだ! 提督も沢山食べてくれよな! 後で、兜焼きも分けてやっから」
「それは期待して待つとしよう」
「はい、提督の分ですよ。少し多めにしておきました」
「ありがとう、龍田」
龍田からマグロの刺身の入った小皿を貰い自分の席へと戻る。後で、マグロの兜焼きも来るとは豪華な夕餉だ。
「提督、失礼します」
「失礼します」
左右の席に霧島と榛名が座る。まだ他にも席は沢山空いているというのに。
「金剛と比叡は?」
派遣先から戻って来たばかりの三人は休暇となっている。ついでに榛名も姉妹水入らずを兼ねて休暇のはずだ。
「それなのですが、提督。こちらをお納めください」
霧島から白地の封筒を貰う。
「招待状か? またお茶会でもするのか?」
「いいえ、違います。この後、私達の部屋まで来ていただけませんか?」
「ちょっとした催しを行うんです」
催し? これから?
「気持ちは嬉しいが立場としては断らせてもらいたい。此処は、警戒地域ではない。それ故に厳しくする気もない。しかし、最低限の決まりはある。フタイチマルマルには、一部を除き消灯とし、各自部屋で待機とある。私がそれを破るわけにはいかん」
居酒屋鳳翔を含め一部例外はあるが基本的には消灯時間が来た場合は、各自の部屋で待機しなければならない。
「ですので、食後すぐにお願い致します。それでしたらお時間はあるかと」
「お願いします、提督」
「確かに僅かとはいえ時間はある。しかし、そこまでの用事か? 改めて時間を作る方がいいと思うのだが?」
「いえ、問題はありません。本日は、魚になりますので歯を磨いてからお越しください」
「……歯を磨くのはかまわんが酒とかではないのか?」
「提督、これ以上は後のお楽しみという事で」
「そうです。楽しみは後にとっておいた方がいいですよ。榛名、お茶を持ってきますね」
それから二人と共に食事をしたのだが、金剛と比叡は姿を現さなかった。食事の時間はまだあるが早く来ないと閉まってしまう。
♢♢♢♢♢♢
歯を磨き、金剛達の居る部屋を訪れる。
「私だ」
部屋の扉を叩き、声を掛ける。
「どうぞ、テイトク。入ってきてくだサーイ」
金剛の声が聞こえる。
「失礼する。……これは?」
扉を開け部屋へと入ると電気は消えており、代わりに蝋燭が至る所に置かれ部屋を照らしていた。
「よく来てくれました、テイトク」
彩られた明かりに僅かに香るアロマの甘い匂い。だが、それ以上に金剛の姿に目を奪われる。赤いドレス。身体に張り付くようにデザインされたそれは、金剛の身体の線を隠すことなく出し切っている。こうして見ると金剛のスタイルの良さを改めて知る事になる。今の金剛は、芸術品とも呼べるほどに美しい。
「もぅ……そんなにジッと見られると照れるネ」
「すまない。あまりにも美しかったもので」
軍帽を忘れてきたことを悔いる。照れる顔を隠すものが何もない。
「美しいですか……テイトクにそう言ってもらえて嬉しい……。これは、御祝い事があった時に着ようと思って買っておいた物デース。着る機会がなかなか来なかったのでちょっと着てみたネ。立ち話もなんですから座ってくだサーイ」
「うむ、そうだな」
金剛に促され椅子へと座る。
「他には居ないのか?」
「比叡達ならちょっとお出かけしてるヨー。テイトクは、ウイスキーとブランデーどっちにする?」
「確か、金剛はウイスキーが好きだったな。ウイスキーを頂くとしよう」
「覚えていてくれてるんですネ」
「それぐらいはな。だが、今日は何かの祝い事なのか? 誕生日でも着任した日でもないだろ?」
機嫌良く準備をしてくれている金剛に問いかけるが返事はすぐには返ってこない。
「特になにかあるわけではないですヨ。でも……着てみようかなーって思ったネー。はい、テイトク。テイトクもストレートでいいよネ?」
「あぁ、それでいい」
つまみは、ナッツとドライフルーツ。此処だと十分過ぎる。
「それでは、無事に帰還した事に」
「また会えたことにですネ」
金剛と杯を交わし、話をしていく――のだがやはり気になる。
催眠術の本には何も書かれていなかった。あれは便利な物で私の知らない事も載っている。しかし、私の持つ知識と合わせてもこのような事を行う日ではないはず。
「金剛。私は、あまり察しの良い方ではない。ここまでする以上は、私に何かあるのではないか?」
「……ねぇ、テイトク? 私は、テイトクとは付き合いが長い方ですよネ?」
「そうだな。金剛が私の下に来た時の事はよく覚えている。第一艦隊の旗艦や他との共同作戦を任せた事もある。いろいろと相談に乗ってもらった事もあるしな」
「私も覚えてるヨ。忘れた事はないネ。……テイトク、お願いをしてもいい?」
「もしかしてその為にこれだけの事を? 私と金剛の仲だ。回りくどい事などしなくても気軽に言ってくれればいい。それで願いとはなんだ、言ってみろ」
金剛の狙いが分かりホッとする。何か大事でもあるのかと思った。
「テイトク。私に催眠術を掛けて欲しいネ!」
「……ん? 催眠術?」
「榛名から聞きました。テイトクが催眠術にハマっていると。泊地に居るgirl達には掛けたのに私にはまだデース」
「それだけの為にここまでしたのか?」
「……ソウデスヨー。ホカニハナニモナイネー」
目をそらした。他にも何かあるのか?
「まぁ、いい。ここまでされては何もせぬわけにもいかん。しかし、所詮は遊びだ。本気にはするなよ?」
「もちろんネ! Please come to me! 早く催眠術を掛けてくだサーイ!」
今日一番のテンションの高さだ。金剛にも子供っぽいところがあったのだな。だが金剛、お前は知らないのかもしれないが私の催眠術は本物なのだ。
「一つ聞くが、比叡達はすぐには戻らないのか?」
「三十分は戻らないと思いマース。だから安心してほしいデース」
三十分か。えらく具体的だが好都合だ。つまり三十分間は金剛を好きにできるわけだな。
「それで、金剛。どんな催眠術がいいんだ? リクエストがあるのなら聞くが?」
「テイトクにお任せしマース」
「私にか?」
「その方がいろいろと……おっと、なんでもないデスヨ?」
「よく分からんが、早速やってみるか。では、どうする? 椅子かベッドのどちらでやる?」
「ベッドでお願いしマース……」
なんで顔を赤らめる。酒でも回ったのか? ウイスキーは度数が高いからな。
「では、こちらへ」
金剛の手をひき、ベッドまでエスコートする。
「なんだか手慣れてる気がするヨー?」
「気のせいだろ」
金剛に疑いの目で見られるが既に何度も似たような経験はしている。流石にこんな豪勢な状況はないが。
「これでいいの?」
「それでいい。ベッドに腰掛けたまま目を閉じてくれ」
気合いを入れ、金剛に催眠術を掛けていく。
「私の言葉を聞く度に金剛の意識が薄らぎ遠のいて行く。だんだんと意識が薄らいで行く~。ほ~ら意識が遠のいて行く~」
催眠をゆっくりと掛ける。初めて金剛には掛けるが、催眠術パワーが強化されている今の私ではどうだ? 今までは時間を掛ける必要があったが?
「……掛ったか? 金剛、私の命令を聞いて答えるんだ」
「……はい。なんでも言ってくだサーイ」
「そうだな……姉妹に隠している秘密を一つ教えるのだ」
仲の良い姉妹にも隠している秘密。それを聞き出せるかどうか。
「……比叡が淹れてくれた紅茶をコッソリと霧島のとすり替えましたネ」
気持ちは分かるが随分とつまらない秘密だ。そう言えば、霧島が紅茶で衣服を汚していた事があったがその時か?
「では、次にしよう。そうだな……」
秘密がこれだと判断がし辛い。他の線から攻めてみるか。
「金剛。実は、今度の金剛の誕生日に贈るプレゼントを迷っていてな。何がいい?」
「……テイトクからならなんでもいいデース」
「そうか。では、海岸で拾った貝殻でもいいか?」
「……テイトクからなら何でも嬉しいヨ」
「これは間違いなく催眠術に掛かっているな」
流石に貝殻が誕生日プレゼントだと微妙だろう。しかし、金剛の表情にはなんの変化もなかった。これは間違いなく催眠術の効果があると判断していいだろう。
「ふふふっ、自分の力が恐ろしいな。今や私にできない事は何もないとすら思える。さて……金剛に何をしてやろうか?」
懐中時計で時間を確認する。安全を考え十分で済まそう。
「金剛。先ずは、私の手を取り立ち上がれ」
金剛の手をつかみ立たせる。本来なら目を開けさせるのだが、目を開けると催眠術の効果が切れるかもしれないので安全のためだ。
「目を閉じたままだと何かさせるのは少し危ないな。うむ、ここは安全を考え……ハグでもしてみ――金剛!?」
命令の途中で金剛に抱きつかれる。これはまさか!?
「やはり時期早々だったか。催眠術が不完全で最後まで聞く前に勝手に動いてしまった。急いては事を仕損じる。ここからは慎重に行こう」
まだ金剛が起きる気配はない。あまり難しくない命令を――命令を……
「やめだ。命令はやめよう」
命令を下そうといろいろと考えていたが、ふと見た金剛の表情でくだらないと思ってしまった。
「このままで十分だ。そうだろ、金剛?」
返事は返ってこない。しかし、今の金剛は幸せそうな表情をしている。
「寂しい思いをさせていたようだな。どうも私はダメな人間なようだ」
今の金剛と同じような表情をした者を何度も見てきたから分かる。私は、酷い男だ。
「あまりにも壁を作り過ぎていたのだな。安心しろ、金剛。これからは、もう少し関わりを持つようにするからな」
未だ催眠術で眠る金剛の頭を撫でる。
このままでも十分に幸せな時間だ。
♢♢♢♢♢♢
「金剛、目を覚ますんだ」
「……もう終わりですか?」
改めてベッドに座らせた金剛の催眠術を解く。
「あぁ、金剛には催眠術はあまり効果が無いようだ」
「そんな事ないネ。なんだかボーとしたヨ?」
「そうか。まぁ、それは別にいいんだ。それよりも金剛。私からも一つ頼みがあるのだが聞いてくれるか?」
「私に? テイトクのお願いなら問題nothing! なんでも言ってヨ!」
咳を一つし、跪く。
「金剛。私と踊ってはくれないか?」
「……踊りですか?」
「せっかくドレスを着ているのだ。勿体ないだろう? それに舞台は整っている」
此処は、ダンスを踊るには丁度いい場所だ。未だに蝋燭は暗闇の中で揺れ、アロマの香りが場を演出している。
「とっても嬉しいけど、私は踊れないヨ?」
「なに、私に任せておけばいい。これでも教養の一つとして学んでいる。未だに機会は無いがな」
外交の一環で覚えさせられた。もちろん練習の相手は同期の男だ。
「嫌なら別にかまわないが?」
「嫌なんてことないヨ! えっと、お願いしマース!」
金剛の手を取り、部屋の中央へと移動する。
「曲も時間もない。私がエスコートするから合わせてついて来い」
「うん、全部テイトクに任せるネ♪」
金剛の手を持ち、反対の手を腰にあてる。
「なんだか恥ずかしいネ……」
「そんな服を着た自分を恨むのだな」
金剛とダンスを踊る。もっともそれはダンスとは呼べない粗末なもの。提督の言葉に合わせ金剛が足を動かす。まるでごっこ遊びではあるがそれでも催眠術で得た時間より楽しいものであると心から言える。
(静かな金剛よりも今の方がいいな)
コロコロと忙しそうに変わる表情を見ながら会話を交える。これは催眠術では味わえない贅沢なものだ。時間を気にせずに好きなだけ過ごす。この楽しいひと時を。