ARMORED STRATOS 兎と鴉の唄 作:バカヤロウ逃げるぞ
目の前の光景を見る二対の瞳。そしてそれに映る光景を、それぞれの持主は事実として受け入れることが出来ずに固まってしまう。
「まさかこれ程までとは……」
「正直侮っていたな」
二対の瞳――ジャックとクロエの目には、レゾナンスの飲食店のほぼ全てが超満員の大行列を作っている光景が映っていた。
ジャックの提案により一度ホテルに戻り荷物を整理した二人は、ちょうど昼食時ということもありレゾナンスに戻り何か食べるという計画を立てていた。しかし二人の頭の中からは、今が閑散期ではなく繁忙期――それもゴールデンウィークという特大連休であるということが抜け落ちてしまっていた。
その結果何が起きているのかと言えば、上述した通りどのレストランも満員御礼、しかも予約シートも軽く三枚以上埋められているという状態であり、まともに待てば日が傾き落ちる頃に入れるというのだ。加えてレゾナンスの飲食店はどこも評判が良い店舗ばかりだというのも、この惨状に拍車をかけている。
ならば先ほどMxS7HGSが利用していたフードワゴンはどうかと言われると、この往復していた時間で設置されている席が全て埋まっていたのだ。一応持ち帰りも出来なくはないが、折角なので座って食べたいというのが二人の願望である。
「このショッピングモールでの昼食はダメかもしれないな。時間が掛かりすぎる」
「かもしれませんね。それに、あまり長居し過ぎるのは得策ではないでしょうし」
クロエはジャックの発言を肯定し、さらにそう付け加える。
何故彼女がそう言ったのかというと昼食をとる店舗を探している最中、二人が小休憩をとった喫茶店にもう一度足を運んだが、そこで二人はある人物を発見してしまったのである。
「まさか、彼女をこの目で見るとは思いませんでした」
「ああ。あの少年のデビュー戦の相手がいるとはな」
イギリス代表候補生――セシリア・オルコットその人を。
幸いにも彼女が店外に意識を向けていないのを幸いに、二人はすぐさまその場を立ち去ったわけである。
「だが、あれはなんだったのだ? まさか一人で全て食べるつもりだったのか?」
ジャックが言うのは、彼女を発見して直ぐにその場から立ち去るまでの僅かな間に見た、テーブルの上にずらりの並べられたデザートのことである。因みにセシリアの反対側には、特徴的な水色の髪を持つIS学園の生徒と、メガネを掛け軽くなった財布に涙を流すIS学園の生徒が座っていた。
「恐らくは、ジョシュア兄さんの言う通りでしょう。センサーの感度を高めて盗聴しましたが、そう言った旨を話していました」
「全く、便利な機能だな」
ジャックはクロエの持つ生体同期ISの機能の便利さを改めて実感しそう言うと、クロエを見る。すると、何故か彼女は俯き歩いている。
「どうした?」
ジャックが問いかけるも何の反応も無い。ひょっとしたら先ほどの発言が人としてではなく、兵器として扱われたと彼女は受け取ってしまったのかもしれないとジャックは予想すると、クロエに謝ろうとした。
しかし口を開こうとした寸前で、クロエはただ俯いているのではなく、自身の
クロエは先ほどの、あの水色の髪の少女とセシリアのやり取りを思い出していた。
『そんなに食べたら、おなかが出ちゃっても知らないぞ? セシリアちゃん』
水色の髪の少女が、ホイップクリームが乗せられたプリンをスプーンですくい取り口に運ぼうとしていたセシリアに向かって忠告する。だがセシリアはどこ吹く風とクリームがかかったプリンを食べて、こう言い放った。
『ご安心を。全て
クロエはそのやり取りを思い出し、映像とあの場で見たセシリアの胸の大きさと自分の胸の大きさを比べていた。
(何が、何が違うというの?)
彼女の目に映るのは、己の控えめな胸。
これが彼女が目覚めてまだ間もない頃であれば、控えめであったとしても栄養不足等の理由で納得出来ただろう。
しかし、クロエは目覚めてから半年近く活動を再開していた。クロエの身体は目覚めた当初の枝のような細さは無くなり、年相応――否、今日に至るまでジャックによる栄養豊富な食事をとり、彼からの指導で身体を鍛えていたことにより彼女の身体は適度な脂肪の付いた女性特有の柔らかさと、
半年近くという短期間でここまで成長したのは、クロエがプロトタイプとはいえ遺伝子強化兵士であるということが大きな原因だろう。元々の土壌はあるのだから、あとは上手く鍛え上げれば常人では成し得ない成長速度で丈夫な身体が出来上がる。加えて肉体年齢が成長期と被っていることも急激な成長につながった。
だが、それでも胸だけは、成長をする兆しを見せていなかった。
(何故?)
顔をしかめるクロエ。
対象が
今回の対象が肉体年齢の近いセシリアだったため、クロエは知らず知らずのうちに己との差を比べてしまいその格差に嘆いてしまった。
「キャロル、どうした?」
決して生活習慣が悪いわけではない。現に今の彼女は目覚めた頃よりも遥かに体力が付き、ジャックとの稽古でも攻撃に対応出来る機会が増えつつあったのだから。背丈も徐々に束の目の高さに近づきつつある。
それでも胸だけは何故か成長しない。
そうなると原因は彼女の生活にあるのではなく、彼女の身体自信――即ち、彼女の遺伝子提供者にあるに違いない、とクロエは予想し始めた。
おのれ遺伝子提供者め。お前がろくに身体を作っていなかったおかげで、こちらがどれだけ迷惑を被っていると思っているのだ!
帰ったら早速母から聞いた呪術のために、藁人形に五寸釘を用意しなければならない。貴様がまな板である罪をとことん教えてやる。震えて待て!
「おい、キャロル」
ジャックは未だに反応を示さないクロエに対して肘で突き、嫌でも意識をこちらへ振り向かせる。突然の外部からの刺激を受けたことにより、クロエはようやく我に返った。
「何かあったのか? キャロル」
「……いえ、何もございません」
クロエは何事もなかったかのように冷静に応えた。
「だがな、俯いていたと思ったら顔をしかめ、終いには凄まじい形相を浮かべたのだぞ? これで何もないと言われて信じろと言う方が難しい」
クロエは気付いていなかったがジャックの言う通り、彼女の表情は最終的に般若を彷彿とさせるものにまで変化していた。幸いにしてそれに気付いたのは彼女の隣に居るジャックだけで良かったものの、周りの人々がそれを見たら怖気付いていただろう。
これでは自分が何か考え事をしていたことを騙すことは出来ない。そう考えたクロエは苦し紛れの誤魔化しに打って出る。
「ジョシュア兄さんが気にかけるような内容ではありませんので、気にしないでください」
「……本当か?」
「はい。私の個人的で煩悩的な内容なので」
クロエはきっぱりと言い切ると、それ以上の追及は全て受け付けないといわんばかりの雰囲気を醸し出し歩調を早くする。
そんな内容の考え事をしていたと言われた以上、追及しては彼女にも迷惑であると思うと同時に、心配していた事態ではなかったと分かるとジャックは追及を止め、一足先に進むクロエに追いつくために彼もまた歩調を速くした。
(さて、当面の問題は昼食をどうするかであるわけだが……)
クロエに並んだジャックは再び昼食をどうするべきかを考える。
(別にどこかで惣菜を買うのもアリではあるな。この混み様、日が落ちるまで落ち着かん。しかし……何処で買うべきだ?)
二人はIS学園付近以外にも日本の各地を観光するという大胆不敵な行動に出ていた。そしてこのレゾナンス付近のホテルに宿泊したのは割と最近のこと。ジャックは周辺の店舗に関する情報をあまり持っていないため、どこで何を売っているのか、どれが良いのかを把握しきれていなかった。
別に不味ければそれまでであるが流石にそれはクロエが可哀想であるし、彼自身も出来ることならば美味しい食事をとりたいと考えている。
(ホテルのルームサービスを使うというのも手ではあるな。予算はまだある。多少金額がかかっても問題は無い)
ジャックは一応今後の予定を計画するとクロエに伝えようとする。
「待てよ……」
「え? どうされました?」
突然何を呟くのかとクロエはジャックを見上げる。すると彼は突然プリペイド携帯を取り出すとネットに繋ぎ、素早く文字を入力しある場所を検索する。表示される検索結果。ジャックはそこから更に条件の絞り込みを行い、目的のページを探す。
彼が何かを検索していることはクロエも理解出来たが、何について検索しているかは皆目見当もつかず凄まじい速さで指を動かし続けるジャックを眺めることしかできなかった。
そして動かし続けた指が止まる。
「やはりそうか」
満足げに呟くジャック。
「キャロル。行先が決まったぞ」
「本当ですか?」
「ああ。ただ、場所がここからもホテルからも離れている。電車を使わなければならないがな」
行先がレゾナンスでもなくホテル周辺でもない事を伝えられるとクロエは首を傾けてしまう。何故わざわざ離れた場所に向かう必要があるのかと疑問を持たずにはいられなかった。
ジャックはそれを見越してクロエの口が開くよりも先に、自分のプリペイド携帯を手渡す。それをクロエは受け取ると画面に表示されている検索結果を見る。
「今日の昼食はここで決まりだ。行くぞ」
「ほ、本気なのですか!? ここに行くというのは!?」
クロエはジャックが示す場所について抗議してしまう。
「流石にこれは油断と言いますか……慢心しているとしか思えません!」
「かもしれないな。だが、この機会を使わない手は無い。上手くいけば、面白いことになる」
慌てふためき携帯を持ちながらオロオロしてしまうクロエをよそに、ジャックは陰謀家らしく不敵な笑みを浮かべた。
「では参るか。『五反田食堂』とやらに」
◆
五反田食堂。
一軒の民家の一階を丸ごと食堂として使用しているその食堂は、その地域ではそこそこ名の知れた食堂であり、料理の味も料金と比べて美味しいこともありここを利用する者は少なくない。ただメディアへの露出を控えていることに加え、美味しいと言っても『あなたの町の食堂』止まりな店の内装なため繁忙期であっても客の足はそれ程変わらなかった。
その二階には経営者であり大将である五反田厳の孫息子である五反田弾に孫娘の五反田蘭、そして二人の知り合いであり友人であり、世界を驚かせた唯一ISを扱える男子、織斑一夏が居た。
ゴールデンウィークを満喫している一夏は中学時代の友人である弾の家に遊びに来ており、弾はそんなモテ男であり朴念仁である友人の愚痴話を苦虫を噛み潰したような顔になりながらも文句の一つも言わずに聞いてやり、蘭は兄である弾に昼食が出来たことを伝えに来るも、恋心を抱いている兄の友達が居ることに驚き急いで家着からちゃんとした服装へと着替えると、主に一夏の為に席を確保する為に一足先に食堂へ向かった。
階段を一夏と弾は降り、一階の裏口から一度外へ出ると店の入り口から店内に入る。そして一足先に向かっていた蘭が確保している席に座った。因みに食堂と住居が繋がっていないためこのような面倒な手順を踏まなければならないものの、この造りのおかげで私生活に商売が入ってこないから気に入っていると弾は言っている。
三人の昼食として用意されていたのは売れ残りのカボチャ煮定食。タダ飯を食べさせてもらえるだけでも有り難いことだと一夏は思うと、料理に箸を進めた。
「でよう一夏。鈴と、えーと、誰だっけ? ファースト幼馴染? と再会したって?」
口に入れていたものを飲み込んでから弾は昼食前にしていた会話の続きをする。
ここで食べ物を食べながら話そうものならば、今厨房で野菜を切っている厳が中華鍋をミサイルのように投げつけてくるだろう。彼はそういった行儀に関して厳しいのである。
「ああ、箒な」
「ホウキ……? 誰ですか?」
一夏の口から聞き慣れない名前が出てきたため、蘭は直ぐにそれが誰なのかを尋ねる。
「ん? 俺のファースト幼馴染」
「ちなみにセカンドは鈴な」
一夏の説明を補足するように弾はそう言った。
「ああ、あの……」
鈴の名前を聞いたことで表情をわずかに硬くする蘭。
無理もない。彼女からすれば鈴は
そんな自分よりも優位な位地に居るライバルの名前を聞いていい顔になれるわけがなかった。
一方の一夏は蘭がまさかそんなことを考えているとは思ってもおらず、鈴の名前が出る度に表情を硬くすることを不思議に思っていた。
「そうそう、その箒と同じ部屋だったんだよ。まあ今は――」
「お、同じ部屋!?」
衝撃の事実を聞き勢い良く立ち上がる蘭。そして彼女が座っていた椅子はワンテンポ遅れて床に転がった。
これが一夏や弾がやったのであれば、おたまミサイルがスッ飛んで来るだろうが厳はやはりと言うべきか例外に漏れずと言うべきか、孫娘である蘭に対しては甘かった。
「ど、どうした? 落ち着け」
「そうだぞ落ち着――」
ガラガラガラ
慌てた様子の蘭を落ち着かせようとした一夏に弾も続こうとすると、店の入り口である引き戸が開けられる音が三人の耳に入った。
客が入ってきたにもかかわらず騒いでしまったら、蘭はないが一夏と弾は間違いなく何らかしらの制裁が下される。
三人は話を中断し一度席に座り直すと、入って来た客を見る。
「えっ?」
そして三者は全く同じように素っ頓狂な声を出し、硬直してしまった。
何故ならば入り口に立っていたのが誰もが二度見してしまうような美しさを持つ少女と、筋骨逞しく2m近い身長の外国人男性が立っていたのだから。
筋骨逞しいのであれば、今厨房に立っている厳も十分筋肉質の身体つきをしている。だが、いくら筋骨逞しいと言っても入り口に立っている男性は骨格からして厳を遥かに超している。
「……む? 営業中ではないのですか?」
静まり返り、中華鍋に入れられた野菜が焼ける音だけが響く店内。誰も自分たちの対応をしないことに疑問を抱いたその男性は、日本人でもなんの違和感も感じさせない日本語でそう呟いた。
「……あっ、す、すみません。いらっしゃいませ」
一足早く落ち着きを取り戻した弾と蘭の母である五反田蓮が、二人の外国人の接客をする。彼女に言われるままに店内に入る二人。男性はその身体の大きさが原因で、入り口を屈んで潜らなければならなかった。
蓮は適当な空いている席を用意すると、すぐさまテーブルを濡れタオルで拭き綺麗にする。
「どうぞ」
そう言って椅子を引いて二人が座りやすいようにする。二人はそのまま椅子に座った。
次に蓮はテーブルの端に立てられているお品書きを二人の前に置いた。
「あの、日本語は読めますか?」
念のためにと思い蓮は二人に日本語が読めるかどうか尋ねる。
「問題ありませんよ」
「大丈夫です」
二人がなんの問題もないと答えたことで蓮はひとまず安心し、お冷を取りに行く。
その間に二人の外国人は冊子になっているお品書きを開き、何を食べようかと選び始める。しかし問題になったのがそのお品書き、文字だけであり写真が掲載されていなかった。
男性の方は日本語を不便なく読み書き出来ることに加えて、自身の料理の経験から大体どの料理なのか判断することが出来る。一方の少女は文字を読むことは出来るが、どのような料理なのか理解出来ないものがちらほらあった。
「すみません」
分からないのであれば訊けばいい。
少女はお冷を持ってきた蓮にどれがおススメの一品なのかを尋ねる。蓮は仮にもこの食堂の看板娘? なため、丁寧にどの料理がおススメなのかを少女だけではなく男性にも教えた。
結局二人は、この五反田食堂の鉄板メニューである『業火野菜炒め』をシェアするという形をとった。聞けば結構な量とのことなので、二人で一つずつ頼んで食べきれないよりは、物足りなく感じたなら追加で注文した方が良いと話し合った結果である。
料理が出来上がるまで暇になった二人は店の天井に設置されているテレビを見始めた。その様子を近くの席に居る一夏は、弾と蘭と話す傍らでチラチラと観察してしまう。
(すっげー身体つきだな……)
男性の圧倒的な肉体を見てそう思ってしまう。
IS学園に入学してから身体を鍛える機会が必然と多くなり、剣道を止めてしまい鈍っていた身体も徐々に筋肉を取り戻しつつあった。否、剣道をしていた頃とはまた違う、IS操縦者としての筋肉の付き方になりつつあった。
だとしても、ジャックの身体つきと己を比べてしまうとそれは大人と子供と言われても反論できないレベルの差がある。
一夏はあの外国人がどのような鍛え方をしているのか、そんな身体ならばどんな仕事をしているのかが気になってしまう。
(あの人とあの娘はどういう関係なんだろう)
一緒に居るあの少女は何者なのだろう、家族ではないか、と一夏は考える。
「……友達との会話より、私たちを気にするのはどうかと思うぞ? 織斑一夏くん」
突然男性の方から声をかけられる。
「えっ!? ど、どうして俺の名前を知っているんですか!?」
一夏は突然声をかけられたことにも驚いたが、何よりもその外国人の男性と初対面であるにも関わらず、自分の名前を知っていることに一層驚いてしまう。
同じテーブルで昼食を食べていた弾と蘭も、その男性が気になり視線を向ける。
「驚くことではないだろう? 君は世界で唯一、ISを動かせる男性ではないか」
「あっ……」
男性にそう言われたことで一夏はようやく、何故彼が自分の名前を知っているのかが分かった。
「テレビ、見ていたんですね」
ISを動かしてから殆ど時間を置かずに、日本だけでなく世界各国のテレビ局が取材に現れたことを一夏は覚えていた。後から彼は知ったのだが、国際中継までされていたらしい。
だとすれば、今自分に声をかけてきたこの男性もテレビのニュースを見て名前と顔を覚えたのだろう、と予想した。
「ああ。あの時のニュースは忘れられまい。手に持っていたティーカップを落としてしまったのだからな」
軽く笑いながらそう言う男性。一夏は何故か分からないが、その微笑みに魅了されてしまいそうになる。だがそれは一夏だけではなく、その隣に座っている弾も、そして蘭も同じことを思っていた。
「それは、大変でしたね」
「なに。君の方が余程大変だと思うぞ? 見ず知らずの人間が君の名前を知っていれば、君が唯一ISを扱える男性であることも知っているのだからな。そして、その右腕に着けているガントレットは……専用機の待機状態かな?」
何も話していないのに専用機であることを見抜く。まるで全てを見透かされているような、そんな不思議な気分を一夏は感じてしまう。しかしその男性を不気味に思うよりも、一夏は彼の話した事の方に意識を傾けていた。
(そっか……そういう事のだって、あるんだよな)
世界中のテレビで報道されたということは、世界中の人が自分の名前も特別であるということも知っているということになるけど。
一夏は今まであまり気付けていなかったことを漸く認識した。
「でも、よくこれが待機状態だと分かりましたね?」
一夏は右腕に装着されているガンドレットを指差しながらそう言った。すると男性はまた小さく笑いながら答える。
「私はこう見えてもIS関連の仕事をしているのさ」
男性は相席している少女を指しながら話を続けた。
「彼女は私の従妹でね、彼女の母親の下で仕事をしているのさ。そして彼女の母親はISの研究者でね、私も必然とISに触れる機会が多いのだよ。だからISの待機状態というのがどういうものなのか、分かっていたのだよ。そして、君に日本の倉持技研から専用機が与えられたという情報も、彼女の母親から聞かされたのさ。それらを踏まえると、そのガントレットが君の専用機だと推測出来たというわけだ。それがファッションアイテムだとは考え辛いからね」
「な、成る程……」
その男性の推測がほぼ完璧であることに一夏は感嘆の声をを漏らしてしまう。
「それにしても、IS関連の仕事ををしているんですか?」
「ああ、そうだよ。だから、私を含めた男性は皆、君に期待しているのさ」
「えっ?」
「一夏さんに、期待ですか?」
男性の言葉に弾と蘭が食い付く。二人の反応を見て、彼は言葉を続ける。
「当然だろ? 女性にしか扱えなかったISが、男性でも扱えたのだから。ある男性は何時か自分もISを扱えるかもしれないと、ある男性は今迄男性が扱えなかった原因を究明出来ると、ある男性はこれで女尊男卑から解放されると、皆一夏くんに希望を託しているのだよ」
一夏は今迄自覚もしたことのなかった、壮大な希望を託されていることを初めて知った。その話を聞いている最中、一夏の顔付きは驚きのものから段々と真剣なものに変わっていった。
「今迄、考えもしませんでした……」
「ははは、無理もない。聞いたところによるとISと関わったこともなかったのに、無理矢理こっちの世界に引っ張られてしまったそうではないか?」
一夏の境遇に同情するように男性は笑いながらそう言葉をかけた。
「だが、忘れないでほしい。そう思っている男性たちが居るということを」
「……」
男性からの言葉に黙る一夏。暫し考えた後、顔を上げて男性の方を見る。
「分かりました。覚えておきます」
「ああ。だが、この話をした私がこう言うのもなんだが、あまり気負い過ぎないでくれよ。ところで、蘭といったかな、君は?」
「あ、は、はい」
突然男性から話を振られた蘭は、驚きのあまり吃ってしまう。
「IS適性Aか。私も君たちの会話を聞いていたが、君なら入学は出来るだろうね」
「本当ですか!」
IS関連の人からお墨付きを貰ったことで蘭は嬉しく思う。憧れの人である一夏さんと同じIS学園に入学出来るかもしれないと思い小さく飛び跳ねたくなってしまうが、そこを男性は釘を刺しにきた。
「だが君は、IS学園で、そして卒業した後、何をするのかな?」
そう言われて蘭は落ち着きを取り戻す。
確かに自分は一夏と同じ学園に入学したいという気持ちだけでIS学園を受験しようとしていた。
IS学園に入学する以上、ただ一夏と一緒に学園生活を送るだけでは、ダメだということに蘭は気がついた。
「まだ、何も」
「そうか。いや、別に責めているわけではない。ただ、IS学園に入学したからと言って、必ず操縦者になれるわけではないということは覚えていてほしい」
男性は蓮が置いてくれたお冷で口と喉を潤し、少年少女らに対して話を続けた。それはIS業界に携わっている先輩としての助言だろうか。
「篠ノ之束博士が失踪したことにより、この世界にはISコアが467個しか存在しない。単純計算で扱える人間が45億人に対して、ISコアはそれだけしかないのだ。操縦者になるのは奇跡と言ってもいい。ならばどうする? 例えばISの整備士に、装備の開発者に、ISコアの研究者に……それだけではない、IS操縦者のサポーターに、モンド・グロッソやIS競技の運営員に……操縦者という枠に囚われなければ、これだけIS業界の道がある。勿論、IS操縦者になるなとは言っていない。ただ、狭き門であるIS学園を受験する気であれば、今のうちからそれらの道について考えておくことを私はお薦めしておこう。そして出来れば、受験に落ちた者たちのためにもIS業界に携わってほしい」
その助言はIS学園を受験しようとする蘭からすれば、耳が痛くなる話でもあり、聴かないわけにはいかない話でもあった。
今さっきまでの蘭は、IS学園に入学することが到着点になっていた。無理もない。一夏がIS学園に入学してからどの様に生活しているのかを聞き、それで思い立ったのだから。
偏差値の高い有名附属学校に通える程頭の良い彼女であれば、その男性の話の内容も、その意味も理解することが出来た。
(そうね。一夏さんと一緒に学園生活を送るだけじゃダメよね)
IS学園に入学し何をするのか、どんな職に就きたいのか。IS学園に入学するのであれば、そう言った将来のことを今から考えなくてはならないし、それを目標に学園生活を送るべきである。そしてその傍で、一夏との学園生活を楽しめばいい。
男性の話を聴いた蘭は、頭の中でこれからするべきことを組み立て始めていた。
その妙に説得力の話を終えた男性の肩に、大きな腕が乗せられる。
「お前さん、良い事を言うじゃねえか」
男性が腕を乗せた人物の方に視線を向けると、もう片方の手に業火野菜炒めが盛られた皿を持つ厳が立っていた。厨房から料理の音がしなくなっていたが、わざわざ出来上がった料理を自ら持って来ていた。
「いえ。IS業界の先輩の単なるお節介ですよ」
「それでもだ。そのお節介は俺からしても、十分蘭のためになる内容だったぞ。それに弾、お前にも言える事じゃねえのか? 遊ぶのはいいが、遊んでばかりなのはどうなんだ?」
「あ、ああ……」
そしてそれは一夏にも当てはまる事だった。
ISを扱えるためにIS学園に入学させられて、右も左も分からない状態だった。望んで入学したわけでもない。
だが、それを免罪符にして何もしないというのは許されないということは、彼でも分かっていた。
しかし、今迄は姉に恥をかかせない為に頑張っていたが、その男性の話を聴いて、ただ頑張るだけではなく、何を目標に頑張るべきなのかということに気付かされた。
IS学園に居る三年間で何になるのか。それが定まらなければ、それこそ入学前にやって来た研究員に言われたように研究材料にされるのかもしれない。
(それから守られているのも、千冬姉のおかげなんだろうなぁ……)
一夏は徐々にではあるが、己の立場に理解を深めつつあった。
「それと、お待ちどうさん。うちの鉄板メニュー『業火野菜炒め』だ」
「これは……」
「凄い……」
男性と少女の前に差し出されたそれは二人が今迄見たこともない程豊富な種類の野菜が使われていいるものであった。出来てまだ時間も経っていないこともあり、皿からはもうもうと湯気が立ち込めている。
「さ、召し上がってくれ」
厳に促され二人は「いただきます」と言い箸を器用に使い取り皿に食べる分だけ野菜炒めを取ると、早速出来立てで熱いそれを食べる。
「……美味いな!」
「美味しい……」
二人揃って同じことを言う。
赤に緑、黄色も混じって見た目が良いが、それに対して野菜それぞれの味がぶつかり合ってはいない。それぞれがそれぞれの味を程よく残している。加えて調味料が程よく味にアクセントを付けていた。
それに食感も良い。油塗れでベタつきドロッとなる、ということはなく、噛んだ際の野菜らしい固さと歯ごたえの良さが残されている。それでいて生焼けではなく、火が通されていた。
食べていて飽きず、それでいて美味しい。
「驚かされた。野菜だけでも、これ程美味いものが作れるとは」
「お? お前さんは自分で料理をするのか?」
「ええ。ですが、野菜だけの料理でこういったものは作ったことがありません。良い料理ですね。自分でも作れるようになりたいものです」
「はっはっは。こいつは俺が若い頃から親父らから叩き込まれたものだからな、一朝一夕で出来るものじゃないぞ?」
それは残念、と男性は言い再び野菜炒めに箸を伸ばす。料理を褒められたことが嬉しいのか、厳は機嫌良く厨房へ戻って行った。
少女と男性の食べる速さは変わらず、結構な勢いで野菜の山を切り崩していく。そこそこの量のある野菜炒めを二人は黙々と食べ続け、十分もかからずに野菜炒めを完食した。二人のお腹を満たすには丁度良い量でもあり、何から何まで文句の一つもない当たりの料理であった。
「さて、では行くとするか」
「はい」
最後に水を飲むと、二人は席を立とうとする。
「あのっ!」
そんな二人を引き止めるかのように一夏は声をかけた。
「あの、貴方はIS関連の仕事をしているんですよね?」
男性の方を見ながら一夏はそう言う。
「先程、そう言った筈だぞ?」
「なら、一つ訊きたいことがあるんです」
それは、二人目の幼馴染の気持ちを聞いてから、彼の心の中に強く残っている事……
「貴方は、ISについて、どう考えていますか?」
それがあまりにも強く印象に残り過ぎてしまい、一夏は鈴と同じくIS業界に携わっている男性がどう思っているのかが気になり、尋ねてしまった。
「……難しい質問だな」
男性は立つのを止めて、もう一度椅子に座り一夏の目を見ながら答えるう。
「IS学園を受験しようとしている娘がすぐ側に居る中でこう言うのはどうかと思うが……正直に言うと、私は今のISの扱われ方は正直心苦しいものがある」
「心苦しい、ですか?」
「まだあれが有名ではなく篠ノ之博士が学会で発表した時、周りの人間は嘲笑していたが私は言いようもない興奮を覚えたよ。『ああ、あれで人類は宇宙というフロンティアを開拓するのだな』とね。新しい希望になると思っていたよ。だけど……」
「今の使われ方では、それは実現出来ない、ということですか?」
蘭の言うことに男性は頷き応える。
「インフィニット・ストラトス。『無限の成層圏』を意味しているが今のISの扱い方がではそれを成し遂げていない。頑丈に覆われた成層圏のままだ。今のままの使われ方なら、
男性はそこまで言うと立ち上がり、テーブルに置かれてある伝票を持ち会計をする。
「店主、非常に美味しかったですよ。また日本に来た時は、立ち寄らせていただきます」
「おう、俺もお前さんたちのことを覚えておこう。ところで、なんて言う名前なんだ?」
「私はジョシュア・オブライエンです。そして彼女はキャロル・オブライエンと言います」
「ジョシュアにキャロルか。分かった、覚えておこう。また来てくれ!」
会計をしている蓮からお釣りを受け取ると、ジョシュアとキャロルは出入り口へ向かう。その前に一夏らの隣りを通り過ぎる際に、ジョシュアは口を開いた。
「頑張れよ、少年。君の道は険しいだろうが、陰ながら応援しているよ」
そう言い残すとそのまま引き戸式の扉を開け、「ご馳走様でした」と言い出て行った。
(あの人が、束さんと早いうちに出会っていたら、ISはどうなっていたんだろう……)
ISを本来の使い方、宇宙を開拓するためのマルチフォーム・スーツとして使われたらと思っているジョシュアが束と早いうちに出会っていたら……
歴史に『もしも』は許されない、という言葉を思い浮かべながらも、一夏はそんなifの世界を考えずにはいられなかった。
◆
「よくもまあ、あんなことを自然体で話せますね……」
五反田食堂を出て暫くして、クロエはジャックに向かってそう言った。
「『よくも』とは、心外だな。私はあの場では、ああした方がウケが良いと思ってそうしたにすぎんぞ?」
「そのウケ狙いの嘘っぱちに、私がどれだけ耐えるのに必死だとお思いになられていたのですか?」
クロエは何時もとは少し違うキツイ言い方でジャックを責めた。
あの五反田食堂で一夏たちとの会話にクロエはあまり口を挟まなかった。否、挟むことが出来なかった。
何故ならば彼女は普段のジャックと、先ほどの紳士的な立ち振る舞いと話し方のジャックとの間にある凄まじいギャップが面白おかしく感じてしまい笑いそうになっていたが、あの場で噴き出してしまえば怪しまれると考え表情を崩さずに必死に堪えていたからだ。
因みに遠目で見ていた者たちには気付かれなかったが、近くに居たジャックは彼女の口元と頬の筋肉がピクピクと動いていることがバレていた。
「嘘っぱちとは、それこそ言い過ぎではないか?」
「ですが、事実ではないでしょうか?」
「私が吐いた嘘はせいぜい一つや二つだ。あとは全て事実ではないか」
「はぁ?」
ジャックが何を言っているのか理解出来ず、クロエは反抗的な態度で疑問符を述べる。その態度を見たジャックは、仕方なく先程の会話の解説をすることにした。
「まず私とお前が従兄と従妹である関係だが、これは博士によって偽造された関係だが書類上は何も問題は無い。よって事実になっている」
「では、IS業界で仕事をしているというのはどうでしょうか?」
「それは博士の下でISの組み立てやプログラミングをさせられたからな。それによって、私は報酬も受け取っている。そういう意味ではISに関わった仕事をしていると言っても、間違ってはいないぞ? 加えて、お前と博士は母と娘と言う関係。そして私は博士の下についている。『彼女の母親の下で仕事をしている』ということも嘘にはならない」
解説を聞けば聞くほど、クロエは顔をしかめていく。
「待機状態のことと、IS業界への就職先はどうなのですか?」
「待機状態のことは、まだお前を救出する前に博士から教えられていたのでね。これも事実だ。そしてIS業界については日本滞在中に新聞に雑誌、ネットや広告から得た情報だ。先ほど述べたことも、IS学園卒業生が投稿したコラムに記載されていた内容だからな。彼女の言葉を借りたが、これも事実だ」
「……では、織斑一夏に希望を持っている男たちの話と、ジョシュア兄さんが抱いているISに対する見解、これらは?」
「そこはフェイクを混ぜさせてもらったよ。だが、あの少年に対して羨望を抱いている男性が居るのは事実だ。街角での雑談にそういった内容のものがあったからな。それを私なりにアレンジさせてもらった。そして見解についてだが……まぁ、表立って兵器だと言うとあの少女を傷つける可能性があったのでな。無難な形を述べさせてもらった」
「……ジョシュア兄さん」
以上の解説を聞いたクロエは深呼吸をすると、ジャックに向かってはっきりと物申した。
「言いがかりもいいところではないでしょうか?」
クロエのはっきりとした言い方にジャックは苦笑してしまう。彼からすれば彼女の言い方は、大人にゲームで負けた子供がする精一杯の負け惜しみの様に感じられてしまったからだ。
「これぐらいのことが出来なくては、陰謀家としては生きて行けん。まぁ、彼らは騙しやすければ、すんなり騙されていて面白かったがな。それに騙される方が悪いのだ。騙されていることに気付かれない以上、私には非が無い」
この人は悪魔だ。狐の皮をかぶった魔物だ。
クロエは邪悪な笑みを浮かべながらそう言う姿に、そう思わずにはいられなかった。
「さて、残り少ない日本を楽しむとするか」
ジャックはどこ吹く風とガイドブックを広げながらそう呟いた。
◆
「それで、日本に行ってみた感想はどうだった?」
二人が日本から研究所に返ってくると、出迎えた束がクロエに感想を訊き、彼女からお土産を貰い狂喜乱舞するハプニングがあったが、その後ジャックは束に言われて研究室に連れ込まれていた。そして少しの雑談の後出てきたのが、この質問だった。
その質問にどう答えるべきかとジャックは悩むも、素直に答えた方が身の為でもあるし正確な報告になると判断し、口を開いた。
「ぬるま湯に浸からされている気分だったな。あれ程平和ボケしているのは珍しい」
「ああ、やっぱりジャックくんならそう言うと思ったよ」
まるで期待していたと言わんばかりに束はジャックの報告に対して応えた。そして次にどんな辛辣な言葉が出てくるのかと楽しみにする。
「しかし、私のような戦いに身を置く者ではない市民からすれば、この上なく生活しやすいクニであるのは事実だ」
「およ……? そう来ましたか。もっとボロクソに叩くのかと思ったけれど」
ジャックの感想が予想していた方向とは別方向に向かったことに束は驚きと不思議を抱く。
「私の感性ならボロクソに叩くがな、この世界と私の世界では話が違う。クニの行政機関に表立って反論しても消されることは滅多に無いらしいではないか。私の世界でそんなことをしてみろ。連日
「なにその真っ赤な世界」
束はジャックの話を聞きそんなジョークを言う。だがジャックにはそれは通じなかったらしく、そのまま話を続けた。
「そもそも、民主主義が主流というのも私の世界では考えられないことだ。遥か昔にそのような思想が流行っていたらしいが、私が生きていた時代では企業こそが全てになっていた。本当に考えられないことだよ、市民が自分たちの代表を選ぶというのは」
「へぇ~、ジャックくんからすればそう取れるんだ」
ジャックの意外な意見に束は考えてもいなかったという風に応える。
「束さんからすればあれはおバカが情報に踊らされて選んでいる風に見てているんだけどなぁ」
「博士の言う通りかもしれん。だが、博士は知っているだろう? 私が生きていた世界を」
束は思い出す。まだジャックが現れて間もない頃、彼からフォックスアイのデータの代わりに彼が生きていた世界の情報を渡されたことを。そして、そこに記されていた壮絶な支配体制を。
あれに記されていることがジャックによって誇張されていないのであれば、市民は正に企業の奴隷。企業の方針に口を出すことは許されず、ただ企業を発展させるための駒として扱われることになっている。
「他の先進国を現地調査したことが無いのではっきりとは言えないが、それでも私が生きていた世界と比べればあのクニは市民が生活しやすいと言えるのだよ」
「世界的な観点だとジャックくんはそう考えているんだね……それで、個人的な感想は?」
「ぬるま湯。歯がゆくて仕方がない」
予想通りの辛辣な答えが返ってきたことで束は笑い、満足する。
「待っていましたよ~その毒吐きを」
「フン。それで、私に何か伝えることがあるのではないかね?」
束に若干おちょくられているような気がしたジャックは、さっさと話を勧めろと催促する。
「まあまあ、そう怒らないでよ」
声色と態度で彼が苛ついていることを見抜くと、束は一旦宥めてから話をしようとする。彼女がジャックの感情を僅かな要因で察知出来るようになったのも、連日彼と会話していたからだろう。
ジャックが落ち着いたのを確認すると、束はあるカルテを取り出し彼に差し出す。ジャックはそれを受け取り、内容を読み始めた。
そこに記されているのはIS操縦者のバイタルグラフ。そしてその操縦者は――
「この間の襲撃でのいっくんのバイタルグラフ。もうね、調べてみたけど驚いちゃった」
束は座っている椅子をクルクルと回しながら話を続けた。
「多少感情の揺れはあるけれど。途中までは想定の範囲内。生体補助機能もちゃんと働いているよ」
束の解説を聞きながらジャックは次のページへとカルテをめくる。するとそこに記されているグラフの折れ線が、急激に右肩上がりに記されていた。
「ジャックくんが指示して箒ちゃんに攻撃した後、いっくんの怒りは生体補助機能すら無視して上昇し続けたの。怒ったちーちゃんすら落ち着かせられるのに」
「怒りで戦闘能力が上昇した、あの時か……」
ジャックは空間投影ディスプレイに映されていたあの時の一夏の猛攻の映像を思い出す。
「ジャックくんはどう思う? いっくんのこの力、どうするべきだと思う?」
束からどうするべきかと訊かれるもジャックは溜息を吐いてしまう。
「どうするもこうするも、私が決めることではない。博士が決めることではないのか?」
「束さんがね……」
束はクルクル回るのを止めピタッと止まり暫し思考の後、暫定的な方針をジャックに伝える。
「束さんはいっくんのこの力をより一層引き出そうと考えているよ。その場合、ちーちゃんと対立するかもしれないけどね」
「ほぅ。そう来たか」
束があえて親友とは別の方向に進むことを述べるとは余程決心が固いのだろうとジャックは考える。
「ちーちゃんはいっくんが争いの世界に進もうとするのを、絶対反対すると思うよ。でも、ジャックくんの話を聞いていると、何時世界がおかしくなっても不思議じゃない。いっくんがそれを跳ね除けられるほど強くなれば、きっと箒ちゃんとちーちゃんを守ってくれると思うの」
「そういった算段か。悪くはない」
「そう言ってもらえると束さん嬉しいよ~」
「フン。付き合わされる私の身にもなってほしいものだ」
ジャックは話が済んだと思い、研究室から去ろうとした。
「あーっ! 待って待って!」
いきなり退室しようとしたジャックを束は慌てて引き留める。
「何だ? 話は終わったのではないのか?」
今度は何に付き合わされるのかと、ジャックはしんどそうに尋ねる。
「あのね、束さん、ジャックくんとくーちゃんが日本に行っている間にね、フォックスアイの実弾武装の試製弾薬を完成させておいたの」
「……それは本当か?」
ジャックの問いかけに束は自信満々の笑みを浮かべながら両手でピースをする。
「マジマジ! それに消耗部品も試製が出来たから試験しておきたいって考えているよ」
フォックスアイの問題が大分改善される反面、ジャックは消耗品の補充が可能となったことで実働する機会が増えるであろうことを何気なく察知した。
(馬車馬の様に扱われるか……だが、
フォックスアイを駆り、戦場を羽ばたく。そう考えるだけで彼の胸は焼けるように熱くなっていく。
ジャックはやはりレイヴンとして生きることに生きがいを感じていた。
「分かった。それに備えて整備を進めておこう。そうだ、渡す物がある」
ジャックは渡しそびれていたものをYシャツのポケットから抜き取ると、それを束に向かって投擲する。空気を切りながら飛んできたそれを束は軽々と指で挟み取り、何なのかを見る。
「以前私が言った、敵に回したくないレイヴン。彼女が偶々日本に居てな、その企業の警備員をしているらしい」
「ほー。どれどれ……」
束はジャックから受け取ったMxS7HGSの名刺をよく調べた。
「ふむふむ……あー、この企業か」
「何か知っているのか?」
「うん。確か東欧にあるISパーツを開発する中小企業で、最近業績が良化して成長していた筈だよ。えーっと会社名は……ぷ、プログ……プログテックだって」
「プログテックか。何処にあるか詳細を出せるか?」
ジャックの催促に対して束は直ぐに空間投影ディスプレイに本社の場所を映し出した。
「ここだよ。まぁ、早々
「ふむ。了解した」
MxS7HGSが勤める企業の場所を覚えると、ジャックは束に渡した名刺を返してもらおうと手を伸ばす。そして束から差し出されそれを掴んだ際に、彼女の手首に巻かれてあるモノが目に入った。
「ほう……それがクロニクルからの土産か」
「うん! どう? 似合っているでしょ?」
束は名刺を返すと自慢するようにジャックにそれを見せつけた。
それはシルバーのブレスレットだった。女性向けのものであるため、ゴツゴツとはしておらず細く繊細な造りをしている。そして何よりの拘りが、今の彼女のトレードマークと同じく兎を模した銀細工が付けられていいることだった。
「成る程。クロニクルも中々に考えたな」
クロエ一人で選ぶと聞いたときは少々心配していたが、彼女の選ぶセンスがジャックの予想をはるかに上回っていたことに驚かされる。
「本当にね。くーちゃん凄いよね!」
「……お気に召したのであれば、大切にするのだな」
これ以上
「ジャックくん!」
再び呼び止められる。だが無視するわけにもいかず、ジャックは仕方なく振り返った。
「今度は何だ?」
だが、ジャックの視線の先に居たのは、先ほどまでのおちゃらけた表情の束ではなく、暖かさと女性らしい柔らかさを感じさせる笑みを浮かべた束だった。
「ありがとう。ISを宇宙に行くためのものだと言ってくれて」
やはり観察していたか。
束が二人を、主にクロエのことを何らかしらの方法を使って見守っているのではないかとジャックは考えていたが、やはり何らかしらの方法で二人を観察していたらしい。
だからこそ、あの日の五反田食堂で述べたことについて束は言及しているのだと彼は推測する。
「だがあれは、その場での舌先三寸かもしれないぞ? 安易に礼を述べるのはどうなのだ?」
「それでも、それでもだよ」
束は椅子から立ち上がるとジャックに歩み寄った。
「嘘っぱちだろうと、出鱈目だろうと、身近に居てくれる人がISを兵器ではなくて、宇宙に行くためのものだと言ってくれたんだもん。本当に、嬉しいんだよ? 束さんは」
ジャックの目の前にまで束は迫った。身長にかなりの差があるため束は見上げ、ジャックは見下ろすという形になる。それでも自然体で束はジャックの目をしっかりと捉えていた。ジャックも彼女の瞳から視線を逸らさずに話を聞き続ける。心なしか、束の瞳が潤っているようにジャックは感じてしまう。
「だから、ありがとう、ジャックくん。きみはやっぱり、束さんが信用できる人だよ」
それは、束なりの最大の称賛だった。
彼女からの真っ直ぐ過ぎる褒め言葉を貰い、ジャックは気恥ずかしくなってしまい頭を掻いた。
「……ビジネスは信用が命だからな」
「もう! こういう時も相変わらずだな、ジャックくんは! そこはもう少し夫としての――」
「黙れ」
すかさずジャックは拳を握りハンマーの様にして束の頭部を叩く。
「いっっっっっっったあああああい!!」
研究所内に響く束の痛々しい悲鳴。
それを自室に居るクロエの耳に入ると彼女は、
「またか」
と呟き、いつもと変わらない日常であることを嬉しく思い微笑むのであった。
活動報告にて簡単な募集をもう一度行っております。
興味のある方は是非目を通してください。