ARMORED STRATOS 兎と鴉の唄   作:バカヤロウ逃げるぞ

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書き直しという名の新しい話。
一瞬で終わらせた部分を少しだけ詳しく書きました。


23 その後の学園で

 予想外のトラブルが多発したクラス対抗戦。その混乱も徐々にではあるが収まりを見せ始めていた。そして学園内では以前と比べて変わった部分があった。

 

 

 

 

 IS学園保健室。ISという最先端のパワードスーツを扱い、世界各国から優秀な人材が集まる特殊高等学校でもあるIS学園は、それ故に多額な運営資金が投資され設備に関しても世界最高峰のレベルの品質を保っている。そんな学園の保健室となれば大学病院でさえも裸足で逃げ出すほどの医療器材が揃えられている。

 その保健室の一角に設けられた小さな部屋の扉の前に一人の生徒が立ち、ノックしようとする。コンッコンッコンッとリズムよく軽く三回、木製のドアを手の甲が叩く音がすると扉の奥から一人の女性の声が聞こえてきた。

 

「は~い、どちら?」

「先生、織斑一夏です」

「あー、織斑君ね。入ってきてちょうだい」

 

 扉の前に立っていた生徒、この学園で唯一の男子生徒である織斑一夏は、扉の奥にいる女性の言うとおりにドアノブに手を掛けるとそれを回し小部屋の中に入っていく。部屋の中は簡易式の壁で区切られた質素な造りだが、窓側に設置されたことで太陽の光が自然と入り日中は蛍光灯を点けなくても明るい。それに加えて観葉植物に常に手入れがされて汚さを感じさせない小型の水槽が立てる水の音が、部屋にいる者たちの気持ちを落ち着かせた。

 一夏は部屋に入ると決められたように養護教諭の前に置かれてある椅子へ腰かける。それと同時に養護教諭も机の上に置いてある書類への記入を止め、ペンを置くと一夏の方に面と向かって座りなおした。

 

「その後の調子はどうだい?」

「はい、大分良くなったと思います。前みたいにフラッシュバックすることは無くなりました」

「そうか、そいつは良かったじゃないか。最初会った時よりも顔色もかなり良くなっているようだしな」

 養護教諭は一夏の様態が以前よりも確実に改善されていっていることを褒め、顔色も良くなっていることを伝えた。

 

「そ、そうでしょうか? 自分じゃよく分からなくて……」

「こう見えても私は養護教諭だぞ? 患者はよく観察しているから分かるものだ」

 

 一夏としては毎日見る自分の顔なので違いがよく分からなかったが、養護教諭は職業故の癖だと伝える。

 この養護教諭は本来IS学園に勤めている人間ではないが、先の一件でカウンセリングが必要となった一夏の為に千冬が選手時代に付き合いがあった彼女を呼んだのである。一応養護教諭の免許も持っているためグレーゾーンを潜る必要も無くすんなりと招くことができた。

 

「―――それじゃあ、先生も俺以外の生徒のカウンセリングもしているんですか?」

「ああ、そうだ。君以外にも結構な人数が精神面をやられたらしくてな、そんな彼女たちの面倒も見てあげているのさ」

 

 あの襲撃で精神をやられたのは戦闘していた一夏だけではない。観戦していた多くの生徒たちも少なからず恐怖でやられていた。

 遮断シールドで閉じ込められ脱出不能となり、電源が落ち非常灯の赤い光だけがその場を照らし、シールドの外からは断続的に戦闘音―――銃声に爆発音、そして爆風の衝撃が響いてくる……

 そんな空間に閉じ込められた入学して間もない一年生を中心とした生徒たちは、その後もその時味わった恐怖を何度も思い返してしまう症状に苦しまされた。そんな彼女たちの為に養護教諭は一夏だけでなく彼女たちのカウンセリングも引き受けることになった。

 

「大変ですね」

「なに、これも仕事だ。困っている患者を見逃すほど、私は非情になれんよ。それに、カウンセリングを受ける生徒が増えたおかげでそれ以外の悩みを持った生徒たちも相談するようになったしな」

 

 養護教諭の言う通り、今までならば悩みを誰にも相談出来ず溜め込んでしまっていた生徒もカウンセリングを受けるようになった。それは先の一件の影響でカウンセリングを受ける生徒たちが増え、何も一人で溜め込む必要はないということと、カウンセリングルームには気軽に入ってもいいという意識の変化が学園中の生徒たちに起こったからである。そのためカウンセラーを務める養護教諭は以前よりも遥かに忙しくなったのは、良いことなのか悪いことなのか……

 

「―――それで、睡眠薬は使う必要がなくなったのか?」

「はい。前は使わないとヤバい時がありましたけど、ここ最近はその必要も無いですね」

「ふ~ん、それも良かったじゃないか。薬漬けになるよりはよっぽど良いよ」

 

 養護経論の言い方に苦笑いを浮かべる一夏だが、症状が改善されていると言われ気持ちも落ち着き嬉しくなる。

 

「それに持ち前のメンタルの強さもあったんだろうね。特に酷い症状も無さそうだし、今度のゴールデンウィークは外出許可が下りるかもね」

「ほ、本当ですか!?」

 

 それは一夏にとって僥倖であり、当然IS学園で経過観察になるだろうと思っていたため外出許可が下りるかもしれないと聞かされて嬉しくなり、喜びと驚きが混じった顔で聞き返してしまった。

 

「そんなに嬉しいのかい? まぁ許可は学園の方から下されるものが正式なやつだから、私がこう言ったからといって本気にしないように。肩透かしは、嫌だろう?」

「は、ははは……そういうふうに考えておきます」

 

 養護教諭から釘を刺され一夏は苦笑いで彼女の忠告を聞き入れる。それでもやはり外出許可が出るということは、それくらい回復したという証拠でもあり男友達と遊びに出かけられるということであるため彼は嬉しくてたまらなかった。特に男友達と遊べるというのは今の一夏にとって重要なことだ。何故なら学園で同い年の男子は他に居ないため窮屈な思いをしているからである。

 

「でも、先生のおかげで本当に助けられました。ありがとうございます」

「なに、これも仕事の内だ。それに症状が治っても、何か無くても気軽に遊びに来るといい。与太話であっても人と会話するというのは良いものだぞ」

「分かりました。また何かお世話になります」

 

 そうしてカウンセリングは簡単な会話で終わると一夏は椅子から立ち上がり、一つ礼をすると小部屋から出て行った。養護教諭も左手を振って見送り彼が部屋から出て行くのを確認すると、再びデスクに向かいカルテへの記入を始める。

 

(いやでも、面白い子だよ彼は。ねぇ、千冬)

 

 ―――まるで若い頃のあんたと話していた感じだったよ。

 

 養護教諭はペンを滑らせながらそう思い、嘗て千冬のサポート役を務めていた時のことを思い出す。千冬が選手時代、養護教諭である彼女は千冬の相談役などのサポート役を担っていた。それ故彼女は数少ない千冬の本当の心を知る者の一人である。千冬の心の弱い部分も知っており、千冬が一夏に託している願いもまた同様に知っていた。

 よく千冬は養護教諭である彼女に悩みを打ち明かしていたものだ。日本代表としての重責はそうだが、チームリーダーとしての責任にチームメイトたちとの人間関係についてもよく相談した。そして何よりも弟である一夏の将来を実の親のように心配していたことも覚えている。

 

(にしても、驚くほど真っ直ぐに育ったな、千冬。まだ荒削りで細いが、ちゃんとした芯があの子の中にはあったよ)

 

 若い頃の千冬と一夏の違いは、心の中に確かな芯があるかどうかということだった。千冬は弱い芯の周りを固めて偽っていた。一夏はまだ全然細く軟弱そうに見えるが、何があろうとも決して折れない確固たる芯が確かに出来上がっているのを彼女は見抜いていた。

 

(立ち直りが早かったのは、そのおかげかもしれないね)

 

 事件の騒動のど真ん中に立たされたにも関わらず他の生徒たちよりも早く精神が回復したのも、彼の中で形成され始めている強い芯のおかげだと養護教諭は考える。

 

(変な方向に曲がって太くならなければいいけど、でもあの子がどう成長していくのか見続けていたいものだよ)

 

 養護教諭はカルテへの記入を終えてペンを置くと椅子に深く座り込み一つ呼吸をしてリラックスする。その直後、扉がノックされると別の女子生徒が部屋の中に入ってきた。本日もIS学園カウンセリングルームは多忙なり。

 

 

 

 

 一夏はカウンセリングを終えて保健室を出ると、窓の外を見て天気も良く気候も暖かそうだったため校舎の裏にある庭園にでも散歩に行こうと思いつく。思い立ったが吉日と一夏は直ぐに行動を開始し、一度下駄箱へと向かうと外履きに履き替えてからそこへと向かった。

 そこは学園から学寮へと向かう道中にある、普段あまり使わない道を進むとある。そこにある物といえば噴水とそれを囲うように設置されたベンチ、そして花壇であり逆に言えばそれ以外は無く、あまり人だかりが出来ず知る人ぞ知る穴場となっていた。一夏がそこに到着した時も何時もと変わりなく誰もおらず、春がやって来たことを告げる暖かいそよ風に揺られる草花と、噴水が奏でる水の音だけがその場を支配していた。

 一夏は誰も居ないのを良いことに、迷わずベンチに向かうとそこに腰を掛ける。

 

「ふぅー」

 

 普段の学園生活で感じていた気疲れを癒す為に大きなため息をして、体中の緊張を解す。ついでに両手を頭の上で組むとそのまま上半身を引っ張り、身体を伸ばした。それが済むともう一度ベンチに深く腰掛け、背もたれに上半身が反り返るくらいに背もたれる。

 

(気楽で、いいな……)

 

 噴水が奏でる水の音も耳障りだと思うことは無く、むしろ小雨の時のような静かな音が気持ちを落ち着かせてくれる。その庭園の周りに生えている草花も固い葉のものが少ないのだろう、そよ風に靡かれて立つ音も柔らかいものであった。普段の騒がしい校舎とは一転して、誰も居ない静かな環境を独り占め出来るのだ。一夏はこの庭園を大層気に入った。

 

(あとは茶菓子とお茶があれば、言うことは無いな)

 

 少々おやじ臭い感性を持つ彼らしい考え方をしていると、

 

「一夏、か?」

「えっ?」

 

 声を掛けられ反り返らせていた身体を元に戻すと、一夏の目の前にはジャージ姿の箒が居た。

 

「箒、何してんだ?」

「見て分からないのか? 奉仕活動中だ」

 

 箒はそう言いながら軍手をはめた両手に持っている掃除道具の箒に塵取り、ゴミ袋に小鎌を一夏に見せる。そして箒が見せてくれた道具とその一言で、一夏は何故彼女がそんな活動をしているのかを直ぐに理解した。

 

「ははは……ご苦労さん」

 

 一夏は苦笑いを浮かべながら箒に労いの言葉を掛ける。

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

 箒も一夏からの労いを素直に受け止めお礼を言った。

 

「千冬姉から聞いたぞ。反省文50枚2万字」

「千冬さん……あれはもう二度と味わいたくない地獄だったな。それに、書き上げた後も合格をもらえるかどうかというプレッシャーに悩まされたぞ」

 

 箒は早速庭園の掃除を始めながら一夏に反省文地獄の苦しみを告げる。

 反省部屋に缶詰め状態にされた箒は何とかして50枚に及ぶ反省文を書き上げそれを教員に提出したわけだが、それをチェックするのは千冬だったのだ。知り合いであるため逆に厳しい判定がされると思った箒は、ただひたすらに合格がもらえることを祈り続けた。

 もしも不合格にされた場合、また一から書き直されるのは目に見えている。頼むから許してください、と彼女は祈り続けたのだ。

 反省部屋で手を組んで瞼を固く閉じて祈り続けている彼女の下に、彼女が書き上げた反省文の束を持った千冬が直接現れた時は判定を聞かされていないにもかかわらず涙を浮かべてしまった。それくらい箒は追い込まれていたのだ。

 

―――これに書いたことを、裏切るなよ―――

 

 開口一番に千冬が告げたのは、遠回しな合格判定。それを聞いた瞬間、箒の身体から力が抜けて床にへたり込んでしまった。

 

「俺はもう何も言わないでおく」

 

 箒の口から聞かされた地獄に、一夏はどう言葉を掛けていいのか分からなくなりあえてそう宣言することにする。

 

「それでもいいさ。ところで、一夏こそ何をしているのだ?」

「ああ、カウンセリングが終わったからここで一休みしようと思ってな、結構気に入ったんだ。いい穴場だぜ」

 

 一夏は自慢げにこの庭園がいい環境であることを箒に告げると、突然彼女も嬉しそうに微笑む。一夏は何故箒が微笑むのか分からず戸惑ってしまう。

 

「ど、どうしたんだよ、箒?」

「気に入ったのか? ここを?」

「悪いのかよ?」

「そうか。良かった……何故なら、奉仕活動を始めてからずっと私もここを手入れしていたからな」

 

 箒は何故嬉しそうにしていたのかを告げると、一夏は驚かずにはいられなかった。

 

「えっ!? ここ、箒が手入れしたのか!?」

「ああ。最初は大変だったんだぞ? 雑草は生え放題、ベンチも老朽化していたし噴水も今の様に綺麗ではなかったからな」

 

 そう言われてから一夏はもう一度庭園を見渡す。

 言われると確かにボロボロだった時の名残として刈り取られた雑草の茎や、ベンチの一部分が古いままだったりしている。

 

「勿論、私一人でしたわけではないが……気に入ってくれたのであれば幸いだ。掃除で少し気が落ち着かないとは思うが、ゆっくりしていってくれ」

「あ、ああ。そうさせてもらうさ」

 

 箒はもくもくと庭園の掃除を続ける。噴水を取り囲む地面はレンガで舗装されているが、その隙間からも小さく雑草が生えている。それも見逃さずに手で引き抜き、ゴミ袋へと入れていく。

 

(手慣れているな……)

 

 彼女に庭園を手入れする技能などあっただろうか? 一夏は箒の手際の良さを見ながらそんなことを思う。しかしそれは彼女が学園への期限付きの奉仕活動を始めてから身に着けた技能であった。

 

「お~い、箒ちゃんや~」

 

 年配の男性の声が二人の耳の中に入る。一夏は声がした方を向くと、声を掛けたのであろう年配の男性とがこちらに近づいてくるのが見える。その男性はIS学園の用務員用の青い作業服を着て庭園を掃除するための道具を持っていた。

 

「あ、轡木(くつわぎ)さん」

「やぁ、箒ちゃん。相変わらず積極的に活動しているね」

「いえ。自分がしたことに比べれば、これくらいどうってことはありませんよ」

 

 あの人見知りが激しい箒がその轡木という男性と親しそうに話していることに一夏は少々驚いてしまう。

 

「おや、君は織斑一夏くんじゃないか」

 

 一夏はその見ず知らずの男性から自分の名前を言われたことに驚いてしまった。

 

「え? どうして俺の名前をしっているんですか?」

「そりゃ、君が世界でたった一人、ここ(IS学園)に生徒として通っている男性だからだよ。誰だって知っているさ」

「あ、あはは、そうでしたね」

 

 轡木からの説明に一夏は納得する。偶に忘れてしまうが自分は世界で唯一ISを扱えることが出来る男性で、自分の名前も容姿も世界中に放送されたのだった。彼は見ず知らずの人間が自分の名前を知っていることは珍しいことではないと再認識する。

 

「轡木さんは私が奉仕活動を始める際に面倒を見てくれることになった人だ。この人が私に学園の清掃活動を、ここの手入れの仕方も教えてくださったんだ」

「箒ちゃんにはその筋があったんだろうね。呑み込みが早くて驚かされたよ」

 

 一夏は箒の説明を聞いて、二人の仲の良さに合点がいった。

 

「あの、俺ここにいると邪魔になりますか?」

 

 一夏は自分がここに居ると清掃活動の邪魔になるのではと思い立ち退こうとする。しかしそれは轡木によって阻止された。

 

「いやいや、せっかく綺麗になった庭園でくつろいでくれていた生徒を追っ払おうだなんて思ってもいないよ」

 

 なんとも柔和な表情と喋り方で引き留める轡木の姿に、一夏は箒がこの人と仲良くやれていることに納得した。なんとなくではあるが、この老人には自分たちに安心感を与えてくれる暖かさがある。それは一夏には実感がなかったが、昔ながらの日本人にあった祖父と孫の関係に似ているものであった。

 一夏は轡木の言葉に甘えて、もう少しその庭園でくつろいでいくことにする。特に部活動等に入っていないので放課後の活動は特に気にする必要はない。彼は精神をリラックスさせるということで、そこでゆっくり休んでいこうと思った。

 靴を脱ぎ、そこそこの長さがあるベンチに自身の腕を枕にして寝転び、雲が少なく青い面が多く見える空を見る。学園の騒がしい声やISを動かしている駆動音がことごとく遮られ静かな庭園には、箒を掃く等の清掃活動をしている音と時折耳に入る箒と轡木の会話が追加されただけでありそれでも落ち着くには十分良い環境であった。

 

(色々あったな……)

 

 激動ともいえる今年に入ってからの出来事を一夏は思い返した。

 図らずともISを起動させてしまいそれによって急遽IS学園に入学。そこで千冬が普段何をしていたのかを知り、箒と再会することになる。

 口論になったセシリアとのISバトル。それは専用機、白式との出会いでもあり自身のISバトルのデビューにもなった。

 中学の時に離れ離れになった鈴との再会。その後の口論と襲撃者に対する共闘……

 

(それは、思い返さなくていい)

 

 襲撃事件のことを思い返しそうになり、一夏は思考回路をシャットアウトする。また余計な事になってしまっては、元も子もない。

 

(のんびりしているだけでいいさ……)

 

 今着ているIS学園の制服だけで十分であり上着を羽織る必要性を感じさせない春の陽気が、その場を支配していた。それはとても心地よく人々の眠気を何時も刺激している。そんな気候に包まれながら、一夏は偶に足を動かすぐらいで特にすることは無くくつろいでいた。

 

「一夏」

 

 のんびりしていただけでどれくらい時間が経ったか分からずボーっとしていた一夏を、箒は覗き込むように見下ろしてきた。彼は声を掛けられたことで身体を起こして瞼を擦り終えてから、彼女を見る。

 

「ん? なんだ?」

「轡木さんが休憩にと、茶菓子とお茶を用意してくれたんだがお前の分もあるみたいだぞ。一緒にどうだ?」

「本当か?」

 

 箒が来る前に茶菓子とお茶でも嗜みながらのんびりしたいと思っていた彼にとって、その誘いは正に棚から牡丹餅であった。

 

「なら、お邪魔させてもらおうかな」

「そう言ってくれると思った。こっちだ」

 

 箒に導かれるままに連れていかれると、別の場所に設置されているテーブル付きのベンチに轡木がお茶と羊羹を用意して待っていた。

 

「やあ、二人とも来たね」

「はい。でも、いいんですか? 俺、何もしていないんですけど」

「いいさ、いいさ。本当は他の用務員も居るはずだったんだが、彼は突然別の場所を担当させられることになってしまってな、彼の分の茶菓子が余ってしまったのだ。なら、一夏くんにあげようということになったわけだ」

 

 轡木の言うとおりであれば一夏に充てられた分は、本来であれば別の用務員のために用意したものということになる。一夏は内心、その用務員が別の場所を担当することに感謝した。

 箒に誘われるように一夏は充てられた分のお茶と羊羹の前に座る。注がれて間もないのかお茶からは湯気が立ち、羊羹は予め切り分けられており串で刺すだけですぐに食べられるという気遣いがされていた。その串も竹の皮までついている乙なものであった。

 

「いただきます」

 

 一夏はそう言うと串を手に持って羊羹に刺すと、一口味わう。

 

「……っ!」

 

 噛んだ瞬間に伝わってくる甘味。それはそこらのスーパーやコンビニで売っているような安物のものではない。食感も硬すぎずも柔らかすぎない、丁度良いものであった。

 

「安物じゃないですよね、これ?」

 

 一夏は羊羹のあまりもの美味しさに思わず轡木に尋ねてしまった。

 

「ほう。一口食べて分かるのか」

「わ、私はラベルを見せてもらうまで分からなかったのに……」

 

 一夏がたった一口羊羹を食べただけで安物ではない羊羹であることを見抜いたことに轡木と箒は驚いてしまう。IS学園に入学するまで家の食事は全て一夏が仕切っていたため、彼の舌は味に敏感なものに成長していたことが大きいだろう。

 直ぐに見抜いた一夏に対して、轡木は種明かしをするべくポケットに畳んで入れていた羊羹のラベルを取り出すと、それを一夏に渡した。一夏はそれを受け取り目に入れると、とてつもない衝撃に襲われる。

 

「こ、これって!? 轡木さん、老舗の高級羊羹じゃないですか!?」

 

 一夏が轡木から受け取った羊羹のラベルには、老舗の和菓子屋の印が印刷されていた。

 

「そうだよ。よくわかったね」

「一夏、何故分かるんだ?」

 

 一夏がその印を見て直ぐに老舗の高級和菓子屋のものであることに気付いた姿に、箒は今まであった記憶の中の彼とは違う姿があることを知った。彼女の中にある武道に優れる勇敢な少年ではなく、食べ物のことに詳しい家庭的な姿を。

 

「いいんですか? 本当に食べても?」

「ははは、さっき言ったじゃないか。さっき言っただろう? 残してしまってはもったいないから構わないよ」

 

 正直一夏はこんな良い羊羹を食べさせてもらえるだなんて微塵も思っておらず、恐る恐るもう一度尋ねる。そんな飄々としている彼のことを轡木は笑いながら遠慮することは無いと言い羊羹を勧めた。そう言われた以上食べない方が失礼だと思い、一夏は羊羹とお茶を味わうことにする。

 

「はぁ~……いいものだなぁ~」

 

 食べた羊羹の甘さと、今飲んだお茶の渋さの程よい組み合わせが彼を癒し、まるで縁側で寛ぐ老人のようなため息を吐いてしまう。

 

「一夏、だらしないと言うより、爺臭いぞ」

「いいじゃねえか。こういう時こそリラックスしたいのに、そういうのをいちいち考えていられるかよ」

 

 おやじ臭い行動に箒から突っ込まれてしまうが、一夏はそう言って反論する。

 

「まあまあ、箒ちゃん。一夏くんは学園でたった一人の男子、肩身が狭く感じるのも仕方がないさ。こういう時ぐらいは、リラックスさせてあげようじゃないか」

「むぅ……轡木さんがそう仰るなら」

 

 轡木は一夏の行動を咎めようとする箒をなだめ、彼の弁護をする。轡木にそう言われてしまっては言い返せないと思った箒は素直に引き下がった。

 

「すまない、一夏。お前も大変なんだな」

「いいさ。俺も初対面の人の前でだらしなさ過ぎたかなって思ったからさ」

 

 素直に咎めたことを謝る箒と、己の周りへの気遣いの少なさを反省し許す一夏。そんな二人の小さな言い争いを轡木は孫を見るような優しい目で見守り続けた。

 

 

 

 

「いい子たちでしたよ、箒ちゃんと一夏くんは」

 

 それから暫く経ち、清掃が終わり学園も夕日に照らされる頃。IS学園の学園長室に轡木は居た。黒皮のソファに腰かけ高級感溢れる湯呑に注がれたお茶を啜りながら、反対側に座る女性に対してそう言った。

 

「そう言ってくださると、私も姉として誇らしく思います」

 

 轡木の反対側に座っているのは、一夏の姉である千冬だった。千冬は僅かに嬉しそうな表情を浮かべると轡木に一つ礼をする。

 

「うんうん。まだ幼い部分はあるが真っ直ぐで自分の非は素直に受け入れる子だったよ。ああいう自分の非を素直に受け入れられる子は少ないからねぇ」

 

 一夏のことを褒めちぎられ千冬は嬉しくてたまらなかった。自分の育て方は間違っていなかったのだと。

 

「それと箒ちゃんも良いご両親が居たんだろうね。ちゃんとしているところはちゃんとしていたよ。ただ……」

「重要人物保護プログラムで家族が離散。各地を転々とする生活を強いられしかも姉の居場所を問いただされる毎日。これでひねくれない方が珍しいですね」

 

 轡木が言おうとしていた言葉を続けたのは、学園長室に居た水色の髪の毛を持つ少女。

 

「……楯無、知っていたのか?」

「勿論です、織斑先生。私の家業の都合上、彼女の監視と護衛をしたこともありましたよ。それで、そうとは思いませんか? 織斑先生、十蔵学園長(・・・)

 

 その少女、IS学園生徒会長、更識(さらしき)楯無(たてなし)はそう言う。それに対して千冬は渋い表情を浮かべて目を瞑り、轡木は哀れみを含めた表情で静かにうなずき彼女の言うことを肯定した。

 ここで楯無の学園長という発言を轡木十蔵が否定しなかったのは、それが事実であるためだ。彼は表向き用務員として学園の清掃に手入れをしており、彼の妻が表向きの学園長を務めている。しかし本当は彼、十蔵こそがこのIS学園の全てを取り仕切る学園長であった。そしてそれを知る者は学園の最上層部の者たち、それも指で数えられる程度しか居ない。

 

「それでも、彼女を見捨てることはしないさ。ここはIS学園(・・)。軍事施設ではないのだ。生徒が、子供たちが誤った道に進みかけているのを正すことも大人の役目だと私は考えている。そうだとは思わんかね、千冬くん?」

「心に留めておきます」

 

 真剣な表情の十蔵の言うことに対して千冬はそう答えた。その姿勢に十蔵も満足したのか再び表情を緩ませて彼女を見つめる。

 

「そうは言ったが千冬くん、君も私からすればまだまだ子供だ。困ったことがあれば、素直に私に相談しなさい。勿論、楯無くんもだよ?」

「ありがとうございます、学園長」

「それでは私も、何かあれば相談させていただきますね」

 

 十蔵からの申し出に対して千冬と楯無は喜んで答える。すると、学園長室の扉がノックされ、一人の女性が入ってきた。

 

「あらあら、貴方たち。まだ本題に入っていなかったの?」

 

 学園長室に入ってきたのは、表向きの学園長であり十蔵の妻であった。十蔵と同じく齢70になり千冬や楯無のような若々しい女性としての美しさは無くなっていたが、代わりにそれまでの人生の経験が落ち着きを生み出し、瑞々しさに変わって熟成された女性の美しさを持っている。もし老婆になるならこの人のような美しい老婆になりたいと、IS学園の多くの女性教員や一部の女子生徒たちから思われていた。

 

「早く本題に入った方がいいわよ。あまりあなた(十蔵)が長居していたら怪しまれるわよ?」

「うむ、そうだな。それでは千冬くん、楯無くん、本題に入ろうか」

「はい」

「ええ」

 

 十蔵は表情を再び引き締めると彼の妻が隣に座り、部屋の壁に寄りかかっていた楯無も千冬の隣に座った。そして轡木夫人が三人に資料を渡す。

 

「千冬ちゃんが懸念していたことだけれども、楯無ちゃんと十蔵さんが何とかしてくれたわよ」

「あ、ありがとうございます! 何分、今回のことは私一人でどうこう出来るものではなく不得意分野でしたので……本当に助かりました!」

 

 千冬はそう言いながら楯無と轡木夫妻に対してお礼を申し上げる。

 四人の前にある資料には、日本政府からの先の襲撃で損傷したIS学園の修理に掛かる追加予算案の承認だった。そして千冬が懸念していたのは、どういった(・・・・・)理由で学園が損傷したのかを誤魔化すことであった。

 

「それはそうでしょう、織斑先生。ISが二機、しかも無人機が襲撃したと公表してしまったら世界中が混乱しますよ。未登録のISコアが二つあることと、まだ実用化されていないISの無人機の残骸があること。火種になるには十分ですよ」

「ああ、こればっかりは日本政府を誤魔化して折るのには苦労したよ」

 

 楯無は今回のこの日本政府への説明に関わっており、それはそれで苦労していた。そして日本政府に対する説明と説得を主に行ったのは十蔵であった。

 

「まぁ、現役時代に比べればまだまだ楽な部類だけどね」

 

 さも当然の様にそう言う十蔵。彼も昔、裏で活躍した人物であった。

 

「とりあえず、日本政府に対する説得は何とかなったわ。でも、問題が一つあって―――」

「中国政府、ですか?」

 

 もう一つ問題になっているのは、今回の件をどう中国政府に説明するかであった。何故なら国家代表候補生である凰鈴音が重傷を負い、専用機である甲龍をメーカー修理するために帰国するのだ。その理由を尋ねないわけがない。

 しかし千冬がそのことを轡木夫人に訪ねると、彼女は首を横に振った。

 

「いいえ。詳細はまだ不明だけれども、中国政府は説明を必要としない(・・・・・・)という回答が届いたのよ」

「必要と……」

「しない?」

「どういうことなのよ?」

 

 夫人からの説明に三人は思わず首をひねり、顔を合わせてしまう。

 

「私の方からも何か尋ねようとしたけど、なんか自己解決しているようで下手に尋ねて刺激しない方がいいと思ってしまったのよ」

 

 十蔵も楯無もそして千冬も、何故中国政府が追及してこないのかと不思議に思わずにはいられなかった。色々と考えていると、千冬が一つだけ気になったことがあり口を開く。

 

「……あり得るとすれば、凰から情報が漏れたことでしょう。彼女は今、中国に帰国しています」

「あり得ますけど、おかしいですよね? 織斑先生」

 

 千冬の仮定に対して楯無は横槍を入れた。

 

「もし凰ちゃんから情報が漏れたとすれば……どうして中国政府はISコアをよこせとか、無人機の技術をよこせとか圧力をかけてこないのでしょうか?」

 

 もしも今回の事件が凰から中国政府に伝わっているとすれば、中国政府は楯無の言うように密かに圧力をかけてきてもおかしくはなかった。それなのに自己解決したように説明を必要としないと言うのは、あまりにも不自然であった。

 

「カードを残しているつもりか? それだとしても静かだぞ?」

 

 十蔵は腕を組みながら中国の対応の謎に頭を悩ませる。

 

「そこでもう一つ気になるのは、凰が漏らした相手がその場でその情報を握りつぶしている可能性があるということです」

「握りつぶす? 当局に連絡もせずに、ですか?」

 

 楯無は千冬が立てた謎の理論に納得がいかず眉をひそめる。

 

「ただの私の妄想ですが、彼女の上官は老齢の男性であり権力に屈しない将校であるらしいのです。それに加えて私は凰とは少々付き合いがありまして……彼女は顔に直ぐ表情が出る性格ですが、人間観察能力と洞察力は優れています。そんな彼女がその上官を心底尊敬しているとなれば、彼女から聞いた情報を自身の権力拡大の為には使わず、むしろ事を荒立てないために握りつぶしているのではないかと……そう考えただけです」

「……穴の多い理論だよ、千冬くん」

「承知しております、十蔵学園長。ですから、私の単なる妄想として聞いてください」

 

 千冬の無理が多い仮定に対して十蔵は苦言を呈してしまう。勿論千冬もその事を承知しているため彼の苦言を素直に受け入れ、その場に居た人物に下らない妄想に付き合ってもらったことを謝罪した。

 

「でも気になるわね、その上官という人。しかも老齢なのでしょう? 言っては悪いけど、最近の代表候補生たちって何かと女尊男卑に毒されてしまっているのに尊敬しているというのは凄いと思うわ」

 

 轡木夫人は千冬から聞いた情報から、凰の上官である人物に興味を持つ。

 

「お前の言うとおりだよ。確かに変わっているな。千冬くん、その上官の名前とやらを知っているかい?」

「はい、その者の名は烏大老(ウーターロン)と言うらしいです」

「……烏大老? 私の現役時代にそんな名前の軍人は居なかったぞ? もしも今老齢で将校、それも人民解放軍のだとすれば何故今になって現れるのだ?」

 

 轡木は己の記憶を全て辿ってもそんな名前の人民解放軍人の存在を知らなければ出会ったことも無かった。

 

「十蔵学園長。私の実家の方ではある()がありまして……ここ最近の人民解放軍の練度と質の向上は、数年前に突如として現れた人物によるところが大きいというものです」

「つまり、楯無くんは軍の底上げを行った突如現れた人物こそが、凰代表候補生の上官である烏大老だと言うのかい?」

「はい、学園長。私たち対暗部である更識家もその人物について探って入るのですが、先ほど学園長が申し上げたとおり、急に(・・)現れたのです。そして人民解放軍の将校という座に着いたわけですが、それ以前の経歴が一切不明なのです」

「……どういう、ことだ?」

 

 楯無が掴んでいる情報を聞かされた十蔵と千冬は烏大老の謎が更に深まり、ますます混乱してしまう。まるでオカルト、小説やフィクションの中でしかないはずのことが、今まさに起きているのだ。

 このまま烏大老の謎に迫れば迫るほど混迷を極めると考えた十蔵は、一つ咳払いをすると一度話を戻すことにする。

 

「とりあえず、中国政府から説明は不要と言われている以上下手に刺激しない方がこちらの為だ。とはいえ念のために警戒は怠らないように。何時、今回のことをカードにされても大丈夫なようにしましょう」

「はい、学園長」

「それと、楯無くん。私の方も勿論だが、君の方からも烏大老なる人物についてもう少し探りを入れておいてくれないかい? この人物はあまりにも不気味だからね」

「言われずとも、そうするつもりです。何か分かり次第お知らせいたします」

 

 たった四人ではあるがそれでもIS学園の最高機密を扱うその場は、これにて一つの結論に達した。

 

(凰、お前は大丈夫か? お前の身に何か悪いことが起きてはいないか?)

 

 しかし、千冬は弟の二人目の幼馴染である鈴の身に何か起きていないか、気が気でなくただただ彼女の身の安全を願い続けた。


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