ARMORED STRATOS 兎と鴉の唄   作:バカヤロウ逃げるぞ

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改訂したら全く別の話になった

:追記
誤字報告ありがとうございます。自分で校正しても直しきれない点が多数あったため非常に助かりました。
この場でお礼申し上げます。

:追記2
タイトルを夕暮れの学園で に変更


22 夕暮れの学園で

 保健室から職員室へと戻る道中。千冬は廊下の角の先から短いテンポで刻まれる足音が彼女の方へと近づいていることに気が付く。

 本来であればクラス対抗戦で起こったトラブル(・・・・)によって全試合の中止と延期、全生徒は速やかな下校が下されていた。またそれに伴って無用な外出も控えるようにと指示も出されているため何故この時間に生徒が出歩いているのかと疑問を抱いてしまう。それ外出が意味のない外出だとしたら教師としてしっかりと指導しなくてはならないと思いつつ、千冬は近づいてくる足音の方へと向かった。

 足音の音量が大きくなるにつれて徐々に荒い息遣いとそれに伴って漏れる声が聞こえ始める。そしてその人物は廊下の角を曲がり、近づいていた千冬と対面した。

 

「凰、か? 何をしている?」

 

 包帯だらけの小柄な体格に特徴的なツインテールをした少女、凰鈴音を見た千冬は彼女にそう尋ねる。息遣いの荒さに足音の間隔が短かったことから保健室に向かって走ってきたなと千冬は想像出来た。

 

「ち、千冬さん!? 教員室で会議中の筈じゃ……」

 

 一方の鈴も相当驚いたのか荒かった息遣いが一瞬で収まり、紅潮していた肌も白くなり目を見開いてしまう。

 

「質問に対して質問で返すな、馬鹿者。それに重傷を負った家族を気にしないわけにはいかないだろう。お前こそ、こんなところで何をしている?」

 

 改めて千冬にそう尋ねられた鈴は答えにくそうに口ごもり、白くなっていた顔が再び紅くなり始めた。それを見た千冬は鈴が何を考えているのかを理解するとからかってやろうと悪意に満ちた笑みを浮かべる。

 

「ははーん……さては、貴様、一夏に夜這いでもするつもりだったのか?」

「よ、よば!?」

 

 鈴は白かった肌が一転、熟成されたトマトの様に顔を真っ赤にして首と手を振り全力で否定した。コロコロと表情が変わって面白いやつだと千冬は追撃を加える。

 

「何だ? お前の事ならそれくらいのことをしそうなのだがなぁ」

「あ、あたしだって、怪我人にそんなことをしないくらいは弁えていますよ!!」

 

 何をふざけたことをと鈴は怒鳴るが、こうもからかって反応する彼女が面白おかしく思えて千冬は笑ってしまった。しかしそれも直ぐに収まると、真剣な顔つきをして鈴を見つめた。

 

「凰、今回の襲撃者に対する臨機応変な対応、それと、一夏を守ってくれたことに改めて感謝する」

「そ、そんな……別にいいですよ。むしろ、あたしの方こそ、一夏に助けられちゃいましたから……」

 

 まさか千冬から感謝されるとは思わず、鈴は照れくさそうにそう言った。しかしそれも直ぐに収めると彼女は千冬にあることを尋ねる。

 

「あの……一夏は、大丈夫ですか?」

 

 彼女の目的でもある一夏の見舞い。保健室に入る前に彼がどうなっているのかを恐らくは知っている千冬に、先に教えてもらおうと鈴は考えた。

 

「身体的な問題は、特には無いだろう。だが、精神面でな……」

 

 その答え(一夏の状態)を千冬から伝えられると、鈴は俯き悔しそうに拳を握り、唇を噛んだ。

 

「お前は一夏が恐慌状態に陥ると、分かっていたのか?」

 

 千冬は鈴の態度から、まるでそうなる(・・・・)ことが分かっていたかのように思えてしまい尋ねた。

 

「何となく、ですけど……あたしが不甲斐無いばかりに、あいつを無理やり実戦に巻き込んで」

「あまり自惚れるな、凰」

 

 自身の実力不足が一夏を無理やり実戦に巻き込んでしまったことを後悔する鈴に対して、千冬はそう一言ピッと言い下した。

 

「あの時、全員がやるべきことに対して尽力していた筈だ。それとも何か? お前は手を抜いていたとでも言うのか?」

 

 千冬が威圧を込めて問いただすと、鈴はそんなことないという意思が簡単に読み取れる表情を浮かべながら首を横に振った。それを見た千冬は険しかった表情を少し緩ませた。

 

「代表候補生としてその責任感を持つことは悪いとは言わん。だが、あれはお前一人の力でどうこう出来る問題ではなかった。お前一人が気負い過ぎることもない」

「……はい」

 

 まだ何か言いたげな様子を見せる鈴だが、先程よりは張り詰めた雰囲気が緩んでいた。そんな彼女の様子を察知した千冬はもう少しだけ彼女との会話を続けようと思った。

 

「しかしお前も、そんな身体だというのによく走れるものだな。それに精神面もなんともないと見える」

「まぁ、代表候補生というか……中国に居た時の教官にコテンパンにされ続けたからだと思います。あれくらいでヘコタレたら()を落とされますよ」

 

 そう語る鈴はギプスの付いていない自由の効く方の手で気恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「ほぅ? つまりそれは、私なんか怖くなんかないと申しているのか?」

「なっ!? な、なな!? そんな事ありませんよ!」

 

 今度は顔を真っ青にし全身全霊をかけ鈴は否定する。その表情の変わり様が本当に面白く思ってしまう千冬だった。

 

(しかし、あの状況に立たされてもまともにいられる精神……ISに触れて2年ちょっとで備えられるものでは無い筈だ)

 

 鈴を弄る傍ら、実戦でも動じない彼女の強いメンタルに感心し、そのメンタルを短期間で彼女に習得させたその教官にある種の敬意を千冬は抱く。それは自身も指導者だからこそ、それが容易なことでは無いことを知っているからでもある。

 表向きISはスポーツ(・・・・)だ。代表候補生は外すとして、そう思って入学してくる生徒の方が大半だ。そんな彼女達に戦場(・・)に耐えられるメンタルを身に沁み込ませるという方がおかしな話だ。しかし、兵器としての優秀さを示してしまった以上、ISが公然と戦場に投入されることは考えられる。アラスカ条約というものが存在するが、そんなの所詮上部だけのもの、国家同士の時間稼ぎのものでしかないと千冬は考えている。

 ISについて学んだとしても、そういった環境に巻き込まれる可能性は無いとは言えないのだ。そのことを考え入学し、そういった心構えを身に着け卒業する生徒など何割居ることか。

 特殊学校と軍隊という環境に心構え等の違いはあれ、目の前にいる凰鈴音は確かにIS操縦者としての心構えを持っていると千冬には映っている。だからこそ彼女は鈴が度々口にするその中国の教官……烏大人(ウーターレン)という人物に興味と同じ教育者として敬意を抱いた。

 

「そこまでピンピンしているならば、連休明けの実習では他の生徒たちの良い手本になってくれよ」

「わかっています、任せてください。その前に、甲龍の修理が終わればの話ですけどね」

 

 鈴は自信に満ちた表情でそう返した。それを見た千冬はこれ以上引き留めと彼女の本来の目的を妨げるのも気の毒だと思い職員室へ戻ろうとする。しかし……

 

「あっ……」

「ど、どうしました? 千冬さん」

 

 突然千冬が素っ頓狂な声を上げたことに鈴は驚き振り返る。

 

「しまった。こいつを一夏に渡しそびれた」

 

 そう言いながら千冬はスーツのポケットから白い紙袋を取り出す。サイズはポケットに入るくらいの大きさしかないがそれなりの大きさのものが入っているため膨らんでおり、しかも形が崩れないため硬いもの入っていると予想できる。

 

「なんですか、これ?」

 

 鈴は正体の分からないその紙袋を指さしながら素直に千冬に訊いた。

 

「睡眠薬だ。養護教諭が念のために調剤してくれたものなのだが……私としたことが」

 

 左手に処方された睡眠薬を入れた袋を持ち、右手は目を瞑り悔しそうな表情を浮かべる彼女の額を抑えた。普段の彼女からはかけ離れたしょうもないミスとその様相に鈴は吹き出しそうになるのを堪えるのに必死になってしまう。

 

「そういうちょっと抜けているところは、一夏と似ているんですね……あっ」

「凰!!」

「ひぎぃっ!」

 

 鈴は吹き出すのは堪えられたが心の声を垂れ流してしまう。勿論それは千冬に聞こえないはずがなく怒鳴られてしまった。次は何が飛び出してくるのか……と鈴は目を固く閉じ身構えていたが、何も起こらず不思議に思い瞼を開けると千冬が紙袋を差し出していた。

 

「私の代わりにこれを一夏に渡してくれ」

 

 顔を紅く染めながら袋を差し出している千冬に対して、そう言われた鈴は何も言わずに睡眠薬が入れられた紙袋を受け取る。

 

「今回の事は不問にしてやろう。だが、次はないと思え」

「は……はひぃ……」

 

 千冬は鈴が袋と警告を受け取ったのを確認すると今度こそ職員室へ戻ろうと回り、先程よりも明らかに早く足を動かした。

 

(私としたことが迂闊だった)

 

 恥ずかしさからくる紅潮は依然収まっていなかった。しかし何時までも引きずっていられるほど今の彼女に余裕は無い。千冬は教員室へ戻りながら今後の予定を確認する。

 

(一夏は身体的異常が無いかの検査と、明日からはカウンセラーを付ける必要があるか……)

 

 先程の一夏の症状はIS学園では珍しい現象ではなくそのためのカウンセリングを担当する教員がいるため、千冬は一夏へのカウンセリングを後で頼むことにした。

 

(それよりもやるべきは、倉持技研への白式の修理の依頼と中国への事情説明、それと日本政府に対して学園の修理のための追加予算の承認してもらうための説得か……)

 

 考えれば考えるほどやるべきことが山積みになっていることに千冬は溜息を吐く。彼女一人で全てをするわけではなく、学園長に理事長、いざとなれば裏社会との繋がりがある生徒会長にも協力を仰ぐつもりだ。しかしそれを抜きにしても中々に多忙な日々を送ることは約束されている。

 

(まったく、オルコットの言葉を借りれば、面倒な事になった。それに……)

 

 回収した無人機の分析結果を思い出す。

 どの国にも属さないISコア。メーカー不明のパーツ。操作方法は破壊されているため一切不明。

 千冬の中ではある程度犯人は特定できているが、それでも断定することは出来ずにいた。

 

(束。もしお前が犯人だとすれば、なぜ()を攻撃した?)

 

 それが、束が犯人であると断定しかねる要因になっていた。

 もしも束が千冬の知る束のままであったとすれば、箒を攻撃するようなことは決してないはずだ。しかしあの無人機は躊躇わず箒を攻撃した。

 

(束、お前は何を考えている……?)

 

 以前IS学園に突如現れた時も、不吉なことを言い残していったことを千冬は思い出し、幼馴染(篠ノ之束)が自分の知る人物ではなくなりつつあることに戸惑いと不安を抱き始めていた。

 そしてもう一つ、先程の面会では一夏に告げず隠していたことが彼女の頭からこびり付いて離れなかった。

 

(一夏。お前は本当に大丈夫なのか?)

 

 修理が必要になり回収した白式から戦闘ログを吸い出し解析していた際に発見したこと。

 ISは操縦者を平時と同じ状態に維持する生体補助機能を搭載している。元を正せばISは宇宙空間での活動を想定したマルチフォーム・スーツであり、そんな過酷な環境で活動するために搭載された機能の名残でもあった。

 そしてその機能は強い怒りをも鎮めることが出来る。現に千冬自身が第二回モンド・グロッソ最終競技の決勝戦前に一夏が誘拐された報告を受けた時に烈火の如き怒りを見せたが、幸いにもその時暮桜を装着していたため短時間で落ち着きを取り戻すことが出来た。その後の行動は正気とは思えなかったが。

 そんなブリュンヒルデと称される彼女の怒りをも鎮める機能を搭載しているIS。

 しかし、一夏から回収した白式の戦闘ログに記されていたのは、生体補助機能がしっかりと機能しているにも拘らず収まることのなかった彼の激しい怒り(・・)の感情。

 その原因は間違いなく箒があの無人機に攻撃され殺されたと勘違いしたことだろう。

 

(私でも一夏が殺されたと知ればこの機能で収まらない怒りを抱くかもな)

 

 もしあの時、自分が一夏の立場であり一夏が箒の立場で無人機の攻撃で殺されたとなれば、彼と同じ怒りを抱くだろうと千冬は思う。

 

(だが……)

 

 千冬は正直、一夏のそんな姿を見たくはなかった。彼が見せた怒りは、彼女が最も見たくはなかったものだった。

 確かに千冬は一夏に強くあれと思い育ててきた。しかしそれは力を振れと言うものではなく、どんな困難にも挫けず芯の強い人であれというものだ。何故そんなことを願うのかと言えば彼女は一度折れた(・・・)から。彼女は自分の心は周りの人たちが思っているような強さを持っている訳ではないことを思い知らされて、そのせいで力の使い方(白騎士事件)を誤り道を踏み外した。

 だからこそ一夏にはそのような事をさせないように育て、力に関わる事から遠ざけていた。ISの事から遠ざけていたのもそれが狙いだった。そうすればきっと、こんな暗い争い事とは無縁な平穏な生活を彼が送ってくれると思ったから。その為ならば後ろめたいことは全て自分が引き受けても何も惜しいことは無い。

 しかし世界というのは残酷であり、自分が無理をすればする程かえって一夏に心配され中学を卒業して直ぐに就職をしようと思わせてしまったりした。力から遠ざけていたにも関わらず彼は自分が原因で誘拐され、ISを動かしてしまいこんな学園に入学(監視)させられ、おまけに専用機という呪縛を受けてしまった。

 それでも千冬が一番ショックを受けたのは、収まるところを知らない程激しく怒った一夏が無人機に対して行った攻撃。

 彼女は確かに見たのだ。彼の攻撃には己と同じものがあると。

 普段の彼ならば決して思いつかない考えと攻撃方法。それは自分と同じ戦いの才能だった。

 

(ああ、クソ……)

 

 千冬は思わず、廊下の天井しか見えないが、天を仰いでしまう。

 

(世の中というのは、どうしてこうも私の願った通りにならないのか)

 

 千冬はただ、一夏には自分と違い争い事とは無縁な平穏な人生を歩んでほしいと願っている。その為ならば自分は幸せを掴まずとも構わない。様々な困難に当たっても自分と違い挫けず立ち進み、誰かを愛して家庭を持って、幸せな一生を過ごしてほしいだけなのだ。

 しかし腐っても姉弟であるためか一夏も千冬と同じ戦闘のセンスがあり、しかも先程の無人機に対する応戦で皮肉にも彼女が願う平穏な生活とは真逆の、彼女以上の怒りと戦闘の才能と可能性があることが発覚してしまった。

 

(一夏。お前にそんなことは望んではいない。お前はただ、人として幸せな一生を過ごしてくれればいいのだ)

 

 IS学園に入学させられた以上それは難しいのかもしれないが、それでも一夏には戦いとは関係のない一生を過ごしてほしいと願わずにはいられない千冬だった。

 

 

 

 

 夕日が差し込まれる部屋。

 たったそれだけなのに見慣れている環境だというのに普段とは大きく異なった印象を、とてもロマンチックな雰囲気を漂わせているのは何故だろう、と凰鈴音は思わざるを得なかった。少し残念に思うのはそこが保健室であり薬品独特の香りが漂っていることだろう。

 しかし今の鈴にとってそれは特に気にすることではない。

 

 ……部屋に入った瞬間から胸が高鳴るのが分かった。

 ……一歩一歩近づくたびに、身体の芯が熱くなるのが分かった。

 

 薄いカーテンで仕切られたベッド。その中に鈴が会いたいと思っている人物が居る。カーテンの奥からは、おそらく寝ているのであろう彼の小さく穏やかな寝息が彼女の耳をくすぐる。彼には失礼だが今すぐにでもこの鉄壁を払いのけ、彼の穏やかな寝顔を見たいと思ってしまう。

 しかし、鈴はその鉄壁を払いのけるどころかカーテンに手をかけることすら出来なかった。

 

(こ、ここまで来て何を躊躇っているのよ。あたし!)

 

 鈴は己のヘタレっぷりイラつきを覚えずにはいられなかった。

 しかし思い返せば肝心な時に限ってそうだった。

 中国へ戻る前に一夏にした告白は鈍感である彼のことを考慮しない遠回しな言い方だったり、彼の寝顔を見るチャンスだというのに手が悴んで触れられなかったり。

 彼女もそのことは少し理解しているが中々克服できず歯がゆい思いをさせられていた。

 鈴と一夏を遮っている邪魔な薄くとも堅い壁に腕を伸ばそうとするが、どうしても身体の方は意識とは別に動く気配すら見せなかった。

 

(あと少し……あと少しなのに!)

 

 苛立ちと羞恥心で顔を紅くしながら鈴は必死に腕を伸ばそうと踏ん張っていると、カーテンの奥から荒い息遣いと魘されているのか、苦しそうな声が彼女の耳に入る。

 

「一夏?」

 

 彼の身に何かが起きているのかもしれない。

 鈴はそう考えると先程までうんともすんとも動かなかった身体が、腕が自由に動くようになり急いでカーテンを開けた。

 鈴の目に入り込んできたのは怪我の処置によって所々ガーゼと包帯が着けられ、学園の備品である病衣を着せられた一夏の姿だった。あの襲撃者との戦闘後の酷い傷跡は驚くほど回復しており、鈴が見るのを恐れていた痛々しい姿ではなかった。

 

「一夏!」

 

 鈴はベッドに寝かされている一夏の近くに駆け寄ると彼の手を握り、声を掛けた。何かに苦しんでいるのか肩で呼吸をし、身体から汗が滲み出ている。

 そんな様子の一夏に対して鈴は手を握りながら声を掛け続けた。すると、一夏の瞼が震えるとゆっくりと開き、焦点の合わない目で鈴を見つめる。

 

「……鈴?」

「そうよ、大丈夫?」

 

 一先ず一夏が目を覚ましたことに安心した鈴だったが、突然起き上がった彼に抱き着かれた。

 

「なっ!? あっ!?」

 

 身体の節々に包帯を巻くほど怪我をしているため本来ならば痛覚が襲ってくるはずだが、大好きな男の子に抱き着かれたことで鈴はそんな感覚は何処かへすっ飛び顔どころか身体中が熱くなり、心臓がバクバクと今にも破裂しそうな感覚に襲われる。

 まるで魚の様に口をパクパクとさせ言葉も上手く出ないが、何をするのかとガチガチに固まった身体を何とか動かして一夏を引っ叩こうとしようとしたが、そこで一夏の様子が少しおかしいことに気が付く。

 

「守る……俺が、守るから……」

 

 一夏が突然抱き着いてきたのは夢でさっきの戦闘を繰り返したのか。そしてまだ現実と夢がハッキリしていないのか。

 緊張と興奮で体温が上がったことを差し引いても今の鈴と比べ一夏の体温は明らかに低く病衣もビッショリになるほどの汗をかき、その怯え様は中国に帰国するまで一緒にいた時でも一度も見たことが無いものだった。

 鈴は初めて見る弱った彼の姿に少しずつ冷静さを取り戻していた。そして彼の口から出てくる言葉はどれも彼女を守ろうとするものだったがその弱々しさが悲痛さを醸し出していた。

 

(一夏……)

 

 鈴は振り上げた腕を何とかして収めると彼の頭に片腕を回し優しく抱きしめた。

 

「大丈夫よ、一夏。全部終わったのよ。あたしたちは生きているのよ」

 

 鈴は落ち着ける様に、あやす様に優しく一夏の頭を自身の胸に当てながら言葉をかけ続けた。こんな時、もう一人の幼馴染(篠ノ之箒)一組の代表候補生(セシリア・オルコット)並みのバストサイズがあれば、と己の乳の無さに内心嘲笑ってしまう。

 しかしそれでも彼女の控えめな胸から伝わる柔らかさに温もり、心臓の鼓動が確かに生きている証として一夏に伝わり、異様な怯えと震えは収まり始め彼は落着きを取り戻し始めた。

 

「鈴……」

「大丈夫。大丈夫だから」

 

 落ち着きを取り戻したことで一夏と触れている箇所が痛覚を脳へと伝えているのが分かるようになった。特に抱きしめていることで胸以外にも当たっているギプスを付けた腕からの痛みは格別だ。それでも鈴は彼が落ち着きを取り戻すまで優しく頭を撫で、柔らかい声であやし続けた。

 

 

 

 

 しかし落ち着いたら落ち着いたで今度は保健室に気まずい雰囲気が流れる。

 方や夢と現実の区別がつかずに抱き着いてしまい、方や落ち着けるために自分の胸元に抱き寄せてしまったのだから。

 二人がもう少し幼ければそんな羞恥心を抱くことは無かっただろう。二人がもう少し大人であれば割り切るか、大人としての関係になっていたかもしれない。

 しかしここにいるのは思春期の男女。異性を意識すれどそこまですんなりと関係を進めることは出来ないもどかしさと恥ずかしさでいっぱいの少年と少女だった。

 一夏は思い返していた。夢と現実の区別がつかず、思わず鈴に抱き着いてしまったことを。その後自分を落ち着けるために胸元へ寄せてくれたことを。そしてその時の彼女の胸の感覚を。

 鈴は思い返していた。大好きな男の子に夢と現実が分からないとはいえ抱き着かれたことを。その後落ち着けるために胸元に寄せたことを。そして控えめな胸を押し当てていた感覚を。

 一夏はベッドから上半身だけを起こし、鈴はベッドの隣に設置したパイプ椅子に座っているが、二人とも背を向け合いお互いの顔を見ることは出来なかった。もし見られたら例え夕日で部屋が赤く染まっているとしても、顔を紅くしているのが一瞬でばれてしまうからだ。

 

((き、気まずい……))

 

 背を向かい合わせているにも拘わらず同じタイミングで同じことを二人は思う。 保健室に備え付けられているアナログ時計の秒針が一定のリズムで刻む音だけがその場を支配していた。

 何時までもこの状態が続くことに辛さを覚え始め、打開しようと相手の方へと振り向く。

 

「「あのさ……」」

 

 奇しくもその考えも行動も全く同じタイミングで、予想せずに二人は顔を合わせてしまった。しかも相手の瞳に映る自分の姿が分かるほどさして距離は離れておらず、先程の気まずさと思い返していた内容と合わさりまたしても顔を紅くしてしまう。

 だがこれ以上あの状況が続くことを嫌った二人は、何とか言葉を口にしようとした。

 

「な、なんだよ、鈴……」

「一夏こそ、何か言いたかったんじゃないの?」

 

 一夏は鈴が何を言おうとしていたのかが気になっていたが、このまま言い返してしまったらそれこそ無限ループに入ってしまうと考え、言い返すのを止めて言おうとしていた言葉を口から発した。

 

「色々と、悪かったな」

 

 元々口達者ではない彼らしい“色々”に全てを込めた謝罪であった。その彼らしい謝罪を聞いた鈴は彼が昔から変わっていないことにほんのり嬉しさを感じつつも、以前の彼女ならばすんなり受け入れていたそれを中国で鍛えられた思考回路が素直に受け止めることを拒む。

 

「何がどう悪かったのか、ちゃんと言いなさいよ。じゃないと、許さないから」

 

『ぼかした謝罪は絶対に受け入れるな。

 相手から、何が悪かったのか具体的に説明された謝罪を受け入れろ』

 

 隊長ではなく、先輩隊員から口酸っぱく言われたその言葉の意味を彼女は少しだけ理解出来た気がした。

 もしこのまま一夏の謝罪を受け入れてしまったら、また何処かですれ違いが起きるだろう。そんなことはもう嫌だと思っている鈴は、彼の口から彼が何を悪く思っているのかを直接聴きたいと思わずにはいられない。

 一方言い返された一夏は一度口を閉じて沸騰しそうになっていた身体の熱さを冷やし、何が悪かったのかを冷静に頭の中で整理していく。

 

「……夢と勘違いしてお前に抱き着いちまったこと。言い合いで酷いことを言っちまったこと。それと……約束を、俺がなんか勘違いしちまっていたこと……」

 

 こうして並べてみるだけでも彼が彼女にしてしまったことは多々あり、一夏は言えば言うほど視線を鈴の顔を見ることが出来なくなった。対する鈴は、一夏がちゃんと何が悪かったのかを説明してくれたことを嬉しく思い震えていた心に落ち着きを取り戻しつつあった。

 

「……ちゃんと自分が、何が悪かったのかを分かっているみたいだし、もういいわよ」

 

 一夏はすんなり鈴が許してくれたことに驚き俯いていた顔を上げた。

 

「いいのか?」

「べ、別にいいわよ。抱き着かれたのだって混乱していたってことで情状酌量の余地があったし、あ、あたしだってその……悪い気はしなかったし」

「え? 何だって?」

 

 俯き語尾が萎んでいったため一夏は最後の方が聞き取れず、鈴が何と言ったのか尋ねてしまう。

 

「なんでもないわよ」

 

 しかし鈴はそれに答えずプイッとそっぽを向いてしまった。こうなるといくら言っても聞き入れてくれないのを知っている一夏はこれ以上の追及は止めようと観念する。

 しばしの静寂が再び保健室を支配する。一夏は先程の鈴の態度から迂闊に手を出すわけにもいかず彼女の出方を待つしかなく、そっぽを向いた鈴を視線に入れたり窓の外を見たりと彼女が動いてくれるのをひたすら待つしかなかった。

 

「……ねぇ、一夏」

 

 漸く鈴が口をきいてくれたことで静寂が打ち破られ、ゆっくりと一夏の方へと振り向いた。

 

「さっき夢と勘違いしたって言っていたけれど、どんな夢だったの」

 

 その表情と言葉遣いから好奇心で訊いているのではなく不安を孕んだ質問であることが一夏には理解出来た。この質問で自分を刺激してしまうのではないかという恐怖心を抱いていることも把握する。何故ならそれは鈴の表情にハッキリと表れていたから。

 正直あのような夢はもう二度と見たくはないと思っている一夏だが、この際吐き出した方がいいのかもしれないと思いゆっくりと夢の内容を告げた。

 

「……さっきの戦闘で、あの黒い無人機が、皆を殺しまわる夢だった」

「……」

 

 鈴は何も言わず、しかし真剣な表情で一夏の夢の内容を聞き続ける。それが分かった一夏も告白を続けた。

 

「俺は早々に倒されて動けなくなって、逃げ遅れた他の生徒たちに向かって攻撃して、アリーナを徹底的に破壊して、通信も繋がらなくて、出てきた箒も、鈴も……まるで玩具のように嬲り殺されて……」

「……うん」

「そしたら、あいつにこう言われたんだ……」

 

『貴様は弱い。誰も守れやしない。大人しく貴様が守れなかった者たちが殺されていくのをそこで見ていろ』

 

 それはあくまでも彼の夢の中で起きたことだ。しかし例え夢の中であっても『誰かを守る』という信念を持つ一夏にとってそれは耐え難い屈辱であっただろう。鈴はそのことが容易に想像出来た。

 

「夢の中とはいえ大声で叫んださ。違うって。でも、俺は何も出来なくて、あいつの言う通り……本当に見ていることしか出来なかった」

 

 一夏はそこまで言うと起こしていた上半身を再びベッドへと倒し仰向けになった。そして手の甲を額に当てると、その瞳は天井や窓の外の空よりも遠くを見るような虚ろなものになる。

 

「それが妙に現実的な感覚でさ、夢であることを忘れちまう程だったんだ」

「そんなに、リアルな感覚だったの?」

「ああ、夢なのに痛覚もしっかりあってさ……だから、気づいたら目の前に鈴が居た時嬉しくて今度こそ俺が守ってやると思ったんだ」

「それがさっき抱きついてきて、守るって言った理由なのね?」

 

 一夏はぼやけていた焦点を鈴の顔に合わせると無言で頷いた。

 

「鈴、悪かったな。なんか怪我しているのに抱き着いちまって」

 

 一夏はここでようやく鈴の身体中包帯だらけでしかも腕にギプスを付けていることに気が付き、先程抱きついた時に痛くて仕方なかったのではないかと思い謝罪した。

 

「いいわよ別に。こんなの、中国の訓練生時代の時に比べりゃなんてことないわよ」

「そうは言ってもそんな大怪我をしたら親父さんやおばさん、心配しないか?」

 

 謝罪を軽く受け止め別に大したことないと言う鈴に対して一夏がそう言うと、軽い表情をしていた彼女の顔が途端に暗く沈んだものへと変わる。その急な変わりように一夏は嫌な予感がした。

 

「鈴?」

「……離婚したのよ。あたしの親」

 

 その言葉は一夏には信じられないものだった。

 彼の記憶の中にあるのは気前がよく料理の腕ならば自分よりも上であることは間違いない鈴の父親と、活発的だが優しく接してくれた鈴の母親の仲睦まじい姿と、二人が経営していた料理屋だった。

 あの二人が何故―――

 一夏はそう思わざるを得ない。するとそこに鈴が追撃を入れた。

 

「離婚したのはあたしのせいよ」

「えっ?」

 

 どういうことなのかを訊こうとする一夏を待たずに鈴は言葉を続ける。

 

「IS適性検査であたしが高い数値を出したから。それで中国からスカウトされて父さんと母さんの意見が割れちゃって―――それで離婚することになって、あたしがIS操縦者になることになったから中国へ帰ったの」

 

 暗い表情だがその衝撃的な内容を感情の無い無機質な声で淡々と告げる鈴の姿に、一夏は言葉にできない痛々しさを感じてしまう。だがそれ以上に、彼女が帰国する前の気丈な姿の裏にそんな事情があったことを察してやれなかった己に後悔が募った。

 

「IS操縦者にするべきだと言ったのは母さん。父さんは反対していたけれど、今は女性の方が優位な時代だから母さんの意見が通ったの。結局親権は母さんの方に。それであたしはIS操縦者にさせられたの。なりたくもなかったのに」

「ま、待ってくれ、鈴。なりたくなかったって……」

 

 尋ねようとする一夏を遮るように鈴はパイプ椅子から立ち上がり、窓の方へとゆっくり歩いてく。そして茜色から紺色へと変わりつつある空の先を見つめた。

 

「母さんがあたしを無理やり軍隊に入れさせて、IS操縦者にさせたのよ。いえ、売り飛ばしたと言った方がいいかしら」

「嘘、だろ……」

「あたしがキツイ訓練をして一生懸命稼いで母さんの為に送っていた仕送りも、全部湯水のように使って男と遊んでさ。バカみたいだったわよ。あんたの都合で振り回されて辛い思いをしてんのに、あんたは快適な生活送れていいわねって吐き捨て、縁ぶった切ってやったわよ」

 

 鈴の告白は一夏からすれば到底信じられないものだった。

 あのおばさんがそんなことをするとは、全く想像できないから。そして、両親が居ないからこそ家族というものを大切にしている一夏からすれば、家族と縁を切るという行為自体がありえない何か(・・・・・・・)だったからだ。

 しかし鈴の声色は真剣な話をするときのものと全く同じであり、顔を見ずとも彼女が述べた内容の全てが事実であると分かってしまう。

 今、鈴がどんな表情をしているのか。一夏が寝ている位置からでは窓に映った彼女の顔も見ることが出来なかった。

 何とかして鈴に声を掛けようとする一夏だったが、彼女の衝撃的な告白で頭を思いっきり殴られたかのような感覚に陥っているため言葉も出ない状態になってしまい、結局一言も声を掛けることは出来なかった。

 

「そんなあいつの姿を見てあたしはこう思ったわよ。ああ、これが女尊男卑に踊らされた人間かって。ISの扱い方を間違えている人間の姿だって」

 

 鈴の思いを聞いた一夏は、もう一人の幼馴染と同じ境遇でありながら少し違う考え方だと思い、ISをどう思っているのかを尋ねる。

 

「……ISが、嫌いじゃないのか?」

「う~ん。あたしはISそのものが悪じゃないと思っているわ」

 

 すると鈴は窓の外を見ることを止めて、振り返りベッドから身体を起こしている一夏の顔を見た。

 

「言いがかりっぽいけど、アメリカのある組織のスローガンで『銃が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ』っていうのがあるの。そしてあたしはそれをISに置き換えて考えているのよ」

「……それって、つまり」

「ねえ、一夏。ISそのものが悪なの? それともISを扱う人間や、この世界が悪なの?」

 

 鈴の問いかけに対して一夏は答えることが出来なかった。それはただ単純にISに対する知識が不足していたり、女尊男卑の被害者ではなかったりというものではない。

 語りかけてくる鈴の表情が、今まで見たことが無い程真剣なものだったからだ。その気迫に一夏は押されてしまい答えることが出来なかった。

 

「あたしはISが全ての悪だなんてこれっぽっちも思ってなんかいない。ISを本来の目的とは違う使い方をして、優秀な操縦者を集めるために支離滅裂な法案作って滅茶苦茶な世の中にして、それなのにそれを否定するどころか賛同して調子に乗って……人がISの扱い方を間違えているからこんな目に遭う人が居るのよ。だからISが悪いだなんて思ってもいないわ。だって……」

「鈴?」

 

 一夏は、一度言葉を区切った鈴が俯くのを見ると、どうしたのかと思い声を掛ける。すると鈴は顔を上げ一対の眼を一夏の眼に合わせると、残っている言葉を口にした。

 

「だって、ISが無ければ義兄弟とも言える人たちにも、烏大人(ウーターレン)にも出会うことなんて出来なかったから。あの人たちと出会うことが出来なかったら、今のあたしはここには存在しないわ。だから、あたしはISを悪とは言うことが出来ないのよ」

 

 自分の考えを、思いを告げる鈴の姿は、一夏の目には彼が尊敬する(千冬)よりも太い芯のある表情と眼をしているように見えた。たった2年間離れていただけではあるがそれでも、そのたった2年でいつの間にか彼女は唯の少女ではなくなり自分よりも遥か高い所へと至っていることを思い知らされた。

 セカンド幼馴染である鈴がどうしてそこまでに至れたのかと考えていると、ふと彼女の口から度々出てくる烏大人(ウーターレン)という人物が一夏は気になった。

 

「なあ鈴。烏大人(ウーターレン)って、誰なんだ?」

「えっ? 烏大人(ウーターレン)がどうかしたの?」

「だって、お前頻繁にその人の名前を口にするからさ。どんな人なのか気になってさ」

 

 一夏が気になるというのであれば、余程無意識に(烏大老)の名前を口にしていたのだろう。もう少しその辺りにも気を払えるようにしようと鈴は考える。

 

烏大人(ウーターレン)……あたしは敬意を込めてそう呼んでいるけれど本当の名前は烏大老(ウーターロン)。中国にいた時のあたしの教官で恩師よ」

 

 そう説明する鈴の顔はどこか得意げで誇りを持ったものだと一夏は思う。彼女がそうとまで思わせる、その教官とやらに一夏は更に興味を持った。

 

「ISの教官ってことは、やっぱり女性なのか?」

「ううん。男よ。それもおじいちゃんって言うくらいの」

 

 鈴の答えを聞いた一夏は頭の上にクエスチョンマーク()が幾つも浮かんでしまう。

 ISを扱えるのは自分を除けば女性だけ。それなのに教官が男性、しかも壮年のとは一体どういうことかと思わざるに入られなかった。

 

烏大人(ウーターレン)は元々軍人なのよ。それであたしもそうだったけれど、IS操縦者たちに国家の代表たる者の心構えとか考え方とか、それとは別に兵士としての能力を鍛えられたの。女尊男卑とかと関係なくそれに屈しない思想。それがあたしと合っていたのよ」

「鈴がそれほど言うって、凄い人なんだな」

「そりゃね。人生の恩人でもあるのよ、烏大人(ウーターレン)は」

 

 一夏はそう言う鈴の顔は先程と同じく、どこか嬉しそうな表情をしているのに気が付いた。そしてそれから、あることが思いつき彼女に尋ねる。

 

「ひょっとして、鈴ってその人のことが好きなのか?」

「んなっ!? なんでそうなるのよ」

 

 一夏のすっ飛んだ質問に鈴は苦笑いしながら答える。そしてそう思えるのであれば、何故自分の気持ちには気付いてくれないのだろうと心の内で愚痴ってしまった。

 そうこうしているとまたしても保健室の扉が開き、一人の女性が入って来る。

 

「御機嫌よう、お二人さん」

 

 二人は入室してきた人物に視線を移すと、そこにはセシリアが立っていた。

 

「セシリア!」

「あんたはイギリス代表候補生の! 何しに来たのよ」

 

 一夏はクラスメイトであるセシリアが来てくれたことに少し喜ぶが、鈴はこの状況でイギリスの代表候補生が現れたことに警戒心を抱く。

 

「そんなに警戒する必要はございませんこと。わたくしだって、お友達である織斑さんをお見舞いするくらいしますわ」

 

 セシリアはそう言いながら一夏の方へと近づいていく。それに合わせて鈴の心の中で警戒のメーターが上がっていった。彼女はああ言ったものの、信用しきれない部分があるからだ。

 

「織斑さん、身体は大丈夫でして?」

「ああ、千冬姉からも後遺症は遺らないから安心しろとは言われているよ」

 

 その言葉を聞いたセシリアは少し表情を緩ませ安心する。

 

「心配しましたわ。助けに駆け付けた時には倒れていらっしゃったのですから」

 

 一夏は彼女が形成していた常識に一石を投じた人物。非常に興味深い男性。そして出来るわけないと思っていた仲直りを許し友達になってくれた人。

 そんな彼が、救援が遅れたために瀕死になっていたのだ。心配しないわけがない。

 そして彼女の心の中にあった不安も、彼の様態が良い方向に向かっていることを知り薄れていった。

 

「いや、いいよ。セシリアもセシリアで大変だったんじゃないか?」

「ええ、それはそれは大変(・・)でしたわ。観客席に閉じ込められてそこから脱出するために無理やり隔壁を破壊したり、その過程で生徒会から協力しろと言われたり……わたくしも皆さまの所へ早く加勢したいと思いましたわ。それなのにIS格納庫へ向かわされISを開放、アリーナ搬入口の隔壁を溶断して開放と、馬車馬のように働かされましたわ」

「そ、そいつは、大変だったな」

 

 セシリアは溜っていた鬱憤を晴らす様に、早口でいかに自分が扱き使われたかを熱弁する。その演説家のような迫真っぷりに一夏は苦笑いを浮かべながら、労いの言葉をかけることしか出来なかった。

 

「まったく、ですわ。勿論生徒会には形ある誠意を示してもらえるように取り付けておきましたわ。泣いて喜ぶほどお礼をしてもらわなければ、わたくしとしても腑に落ちませんこと」

 

 そんな二人のやり取りからハブられた鈴は、突然現れた女に大好きな男の子との二人っきりの空間に割り込まれ彼を取られて嫉妬心が芽生えてしまう。その感情がまたしても顔に現れていたのだろう、一夏と会話しているセシリアは片目でチラリと鈴の方をみるとすぐさまその心を読み取った。

 

「あら? ひょっとしたら先ほどまでお二人だったということは……オーッホッホッホッホッホ。ごめんくださいまし。わたくしったら、良い雰囲気に水を差したお邪魔虫のようでしたわね!」

「「んなっ!?」」

「これはとんでもない失礼をしてしまいましたわ! 後は若いお二人に任せて、年寄りは外で散歩でもすることにしますわ!」

 

 セシリアの挑発は見事に二人を動揺させることに成功した。それもクリティカルヒット(急所に当たった)のか一夏と鈴は顔をまるで熟成したトマトのように真っ赤にさせる。

 

「なんつーこと言ってんのよ、このババァ!?」

 

 鈴は苦し紛れの揚げ足取りをするも、確実な一撃を入れたセシリアに対しては余りにも無力であっさりと受け流されてしまう。

 

「あら? これはおかしいですわね。てっきりあなた方はそういう(・・・・)関係かと思ったのですが……勘違いだったようですわね」

「そ、そうさ、セシリア! 勘違い甚だしいぞ!」

 

 心底残念そうに呟くセシリアに対して一夏は羞恥心と焦りから大声で、大げさに彼女の言うことを否定する。しかしそれは、彼の見えない位置に立っている鈴の恋心に少なからずダメージを与えてしまった。そして当の挑発した本人であるセシリアは、一瞬ではあるが鈴に見えるように

 

「してやったり」

 

 という悪人顔を浮かべた。

 

(こ、この女! 覚えていなさいよ!!)

 

 セシリアの挑発は明らかに自分の恋心を見抜いた上で、確信したものであることにようやく気付いた鈴は、この場で声を荒げればまた目の前のババァに挑発されるかもしれないし、ひょっとしたら自分の心(一夏が好き)をばらされるかもしれないという恐怖心から反撃を諦めた。

 因みにではあるが、セシリアは別にそこまでのことをしようとは考えておらず、本人からすれば警戒心を抱きまかれていたことに対する仕返しとして挑発したというこを加えておく。

 閑話休題

 鈴は同じ代表候補生であるセシリアにおちょくられたことを悔しく思い、行き場のない苛つきを収めるために手を乱暴に制服のポケットの中へ突っ込んだ。そこでポケットの中に入れていたある物に触れる。

 

「あっ」

 

 鈴の素っ頓狂な声に一夏とセシリアは何かあったのかと思い鈴の方を向いた。鈴は二人の視線など気にせずにポケットの中をガサゴソと探り、手に取った物を取り出す。

 

「鈴、何だよそれ?」

 

 一夏はそう言いながら鈴がポケットから取り出した白い紙袋を指差す。

 

「睡眠薬よ。千冬さんが渡し忘れたから代わりに渡しておいてくれって預かっていた物よ」

「千冬姉が?」

 

 一夏はまた疑問符()を浮かべながら、鈴から差し出されているそれを受け取った。

 

「さっきみたいなことになったら、それを飲んでゆっくり寝たほうがいいってことじゃないの?」

 

 何故この薬が調剤されたのか、その理由を聞きそびれた鈴は自身が想像した理由を答えた。一方の一夏もその答えが何となく腑に落ちるものだったため、受け取った薬袋に視線を落としながら細かいところまで気を使ってくれている(千冬)に心の中で感謝する。

 

「さっきみたいなこと? もしや、あなた方……まぐわっ―――」

「だーかーらー!! あんたは!!」

「セシリア! だからそういうのじゃないって!!」

 

 セシリアのからかいに二人は彼女の言うようなことはしなかったが、それに少し近い(抱きしめあう)ことをしていたため少々取り乱しながら大声で反論する。そして二人の反応を見て満足した張本人(セシリア)は満足そうに高笑いをした。

 

「オーホッホッホッホッホッ! ご安心くださいまし。わたくしとてそのくらい分かっていますわ」

 

 完全に彼女のペースに巻き込まれている一夏と鈴は大きくため息を点き気疲れを紛らわす。

 

「そ、そういえば、鈴。甲龍、中国で修理する必要があるんだってな?」

 

 一夏はセシリアのペースから離れようと思い別の話を鈴に振った。

 

「え? なんで知っているのよ?」

「千冬姉が白式の状態と一緒に教えてくれたんだ」

 

 あっさりと他人の専用機の状態を教えていいものなのかという疑問は置いておくとして、一夏の質問に鈴は素直に答えることにした。

 

「ええ、そうよ。龍咆が派手に爆発したし、こっ酷くやられたせいでダメージレベルがえらいことになっていたのよ。こっち(IS学園)で修理するっていう方法はなくはないけど、でもやっぱりメーカー修理には劣るから手間をかけても本国で……ていうことになったわけ」

「それは……お気の毒ですわ」

 

 あんたには言っていない。

 

 それが一夏と鈴の心の中で止めた言葉だった。

 

「まぁそのせいでゴールデンウィークはほとんどあっちで過ごすことになったわ。ほんと、せっかく日本で羽を伸ばせると思ったのに、あっちに帰らなくちゃいけなくなっちゃうなんて災難だわ」

「ま、まぁ、別にゴールデンウィークじゃなくてもいいだろ?」

「そうなんだけどさぁ……」

 

 鈴としてはゴールデンウィーク中はこっち(日本)で過ごしたいという思いがあった。理由は単純ではあるが、再会した一夏と一緒にどこかへ遊びに行きたいからだ。二年間というもう一人の幼馴染(篠ノ之箒)よりは短いが、彼女からすれば途方もなく長い時間の隙間を少しでも埋めたいという思いがあるのだ。そしてその隙間を埋めるのに最適なのはゴールデンウィークと考えていたが、専用機が大破したことと、自身の怪我のせいでおじゃんになったということである。

 

「それなら、日本に戻ってきたら遊びに行こうぜ。弾と数馬に、それから他の連中も誘ってさ!」

「……」

「……」

「な、なんだよ……?」

 

 せっかく気の利くことを言ってやったというのに、と思う一夏は鈴とセシリアから生温い視線を送られてしまい戸惑いを隠せなかった。

 

(なんで? そこは普通二人で、じゃないの?)

 

 二人っきりで遊びに行けることを期待した鈴。

 

(少々精神が幼い部分があるみたいですわ……)

 

 一夏の子供のような純粋な心を知ったセシリアであった。

 

 

 

 

 保健室で三人がてんやわんやしている頃、IS学園の反省部屋で一人の少女が紙の山と相対していた。

 

(クソッ! あの凰というやつめ、覚えていろ!)

 

 その少女とは篠ノ之箒であり、彼女と相対している紙の山というのは大量の原稿用紙であった。

 

 反省文五十枚二万字―――

 

 この処分を聞かされた瞬間箒は、鈴があの時気分を紛らわす為に冗談で言ったその罰の内容がそのまま採用されたと分かり、元凶たる彼女を呪い殺す勢いで恨み続けた。

 この反省文をチェックするのは勿論、彼女のクラス担任である織斑千冬であり同じ言葉を連続して書けばやり直させられるという制約付きだ。同じ反省内容を使わずに二万字という途方もない文字数を原稿用紙に直筆で書かなければならないという地獄に箒は苦しまされていた。

 

「ふぅー……」

 

 しかしいくら勢いで書けど減らない原稿用紙の山に嫌気が差し、箒は一度シャーペンを机に置くと背もたれにもたれると深呼吸をして心を落ち着かせる。

 

(私は……間違っていたのか)

 

 今でもはっきりと思い出す、自分の愚行。

 一夏の為と思ってしたあの行動は結果として彼をひどく苦しませることになってしまった。そうなるだなんて彼女は微塵も疑問を持っておらず、泣きながらどうしてあんなことをしたのかと一夏に問い詰められた時になって初めて理解した。

 

「……」

 

 それと同時に、戦場というのがどれ程無慈悲なものであるかということを学んだ。

 あの時、黒い襲撃者が自分の居る実況室に対して躊躇いも無く攻撃してきた時に感じた恐怖。運よくビームが逸れて大事には至らなかったものの、あと少しでも狙いが正確であったなら自分はもうこの世にいないということも理解する。

 それと同時に、心の中でどこか慢心していたことにも気づかされた。

 

(何が……あの人()は関係ないだ……っ!)

 

 箒が無意識に驕っていたこと。それは自分が篠ノ之束の妹(・・・・・・)であるということだ。

 

 ―――自分を攻撃すれば姉が黙っていない―――

 ―――だから自分は攻撃されることはない―――

 

 あれだけ姉である束のことを毛嫌いしているというのに、結局は都合よく束のことを利用しているのではないか。

 それをこの反省部屋で分かった瞬間、思わず今座っている椅子とは別に置かれていた椅子を投げつけ叩き壊すほど怒り狂ってしまったのだ。もし刃物があれば自傷もしていただろう。それ程、己の汚さが赦せなかったのだ。

 

「……」

 

 再び熱くなりかけた頭を冷やす為に、箒は姿勢を正すと静かに目を瞑り瞑想する。剣道と一緒に学んだことであり慣れた様子で心を落ち着かせていく。乱れかけた心も、熱くなりかけた頭も徐々に落ち着き冷めていく。

 

(……よし)

 

 落ち着きを取り戻し頭が冴えた箒はゆっくりと目を開ける。しかし彼女の目に最初に映ったのは、山のように重ねられている大量の白紙の原稿用紙だった。

 

「……はぁ―――助けてくれ、一夏」

 

 この終わりなき原稿用紙地獄から早く解放されたいと、箒は一夏に助けを求めるのであった。




セシリアを腹黒ヒロインにしたい。
そして箒の後先考えない行動の原理をフロム脳で補完という名の独自設定。

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