ARMORED STRATOS 兎と鴉の唄   作:バカヤロウ逃げるぞ

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12 難航と散髪とわがままと

 束が一夏の専用機の開発プランをチェックしてもらってから早数週間、束は今日も忙しく欠陥機を改修していた。

 彼女の研究室の中央には倉持技研から拝借した欠陥機が鎮座しており、その欠陥機にまるで寄生するかのように多くのケーブルが絡みついていた。

 

「うーん、これはどうしようかな?」

 

 研究所の主、篠ノ之束は研究室の大型コンソールパネルを操作しながら、ああでもないこうでもないと頭を捻らせながら、改修作業を行う。

 中央に鎮座する改修中のISを見れば、預かった当初の面影など殆ど残っておらず、ISコアすら曝け出されていた。

 

「やっぱりキツイのかな? ノウハウが殆どないし。どう思う、ジャックくん?」

「そこで私に振るか?」

 

 普段は呼び出され計画や悪巧みの相談以外この研究室に入らない筈のジャックが、束直々の指令で一夏の専用機の改修作業を手伝わされているため、特別に入室している。

 

「だってだって~、せっかくいろんなプランを練っておいたのに、その殆どが実現できないなんて束さんガッカリなんだよ~!」

「無理をすればするほど、あの少年に対する負担が大きくなるだけだ。諦めろ」

「でもでも~」

 

 かれこれ数週間経っているというのに骨組みすらまともに出来ていない事に、束は苛立ちと焦りを感じていた。ジャックから見れば“たった一回”のフォックスアイの稼働データだけでACの技術をよくもここまでIS用に発展させられたなと感心している。

 

「クロニクルはどう思う? 無理やり詰め込む方が良いと思うか?」

「今度は、私ですか?」

 

 今回の一夏の専用機の改修作業、実は束の研究所の住人総出で行っていたりする。

 

「えっと……この“子”はあまり無理やり詰め込むのはやめてほしい、だそうです」

 

 驚くべきことは、いくらクロエが生体同期型とはいえISコアに存在すると言われている意識と対話出来るという事だろう。この能力はクロエを治療した束ですら想定していなかったことで、改修作業が始まって暫く時間が経った頃、クロエが作業をしているジャックと束にコーヒーを届けに部屋に入り、偶々部屋の中央に鎮座している欠陥機に触れた際に発覚したのである。その際束は、

 

「新しい、惹かれるねェ……」

 

 などと、どこかのアラブ諸国の傭兵が呟きそうな口調で言い放った。言われたクロエは解剖されるのでは? とのけ反り、ジャックに助けを求め研究室が騒がしくなったのはまた別の話。

 クロエはこの特殊な能力を利用して、欠陥機とコミュニケーションを取りながら欠陥機のコアの波長を調整し、エラーが発生しないよう最適な状態を保たせるという重要な役割を担っている。

 

「だそうだ、博士」

「うぇーん。その“子”にもそう言われちゃったら諦めるしかないよぅ」

 

 束のIS改修計画は当初、兵器としての安定性を度外視していた。だがジャックからの連続ダメだしとクロエのISとのリンクによって明らかになる数々のエラーによって、そのプランの殆どが幻となって消えていった。そして今度はかなり自信を持って導入しようとしていたOBの再現技術さえも拒否されてしまった。

 

「でもこれじゃ、本当に束さんが作りたかったISが作れなくなっちゃうよ……」

 

 束は両手を頬に付け心底残念そうにそう呟く。

 

「諦めて展開装甲のテストベッド機として割り切れ。でなければ納期にも間に合わなくなるぞ」

 

 これまでのチェックで唯一実現可能な技術は展開装甲の技術を搭載し、嘗て織斑千冬が使用していた武装“雪片”の後継型、“雪片弐型”だけであった。その雪片弐型もISの武装を量子へと変換し格納できる容量“拡張領域”の大半を食い潰す、どう考えても初心者には扱えるものではない武装に仕上がっている。

 

「……しようがないな。そうするしかないのかなぁ?」

 

 未だに両手を頬に付け回転椅子に座りグルグルと回りながら、諦めた様な口調で呟いた。

 

「束様……」

「……」

 

 そんな束の姿を見たクロエは束の残念な気持ちを察し、同情と憐れみを送った。

 一方のジャックはそんな束の姿が、駄々をこねていたが漸く諦めた赤の他人の子供の様に見ていた。

 

「どうしても嫌と言うのであればやればいい。しかしその少年の安全を、私は保証しかねるぞ」

「うわぁ……その辛烈な言葉。ガラスの様なハートの束さんの心が壊れちゃうよぉ~」

「この程度ではお前の心は壊れまい。むしろ心臓にはさぞ太い毛が生い茂っていることだろう。ところで……」

 

 突如やりとりを中断させたジャックを束とクロエが見つめる。いったいどの様な言葉がその口から発せられるのか、2人は無意識のうちに身構えてしまう。

 

「博士、すきバサミはあるか?」

 

 身構えた自分が馬鹿だった。

 束とクロエは全く予想もしていなかったら問いかけに、某お笑いコントの様にズッコケそうになってしまった。

 

「い、一応あるにはあるけど、何をするの?」

 

 一応何の為にすきバサミを使うのか束はジャックに訊く。

 

「深い意味もない。髪を切りたくなった」

 

 ジャックの髪の長さを見るとこの世界に転移した頃から随分と伸び、後ろ髪は優に肩にかかるほどの長さになっていた。

 元々この研究所にはそういった美容系の装置など殆ど存在していない為、ジャックは伸ばすだけ伸ばした髪が邪魔でしょうが無く思っていだ。

 一応あるという事を伝えどういった用途なのかを訊いた束は、コンソールを軽く操作する。するとどこからともなく先端にすきバサミが付いているアームがジャックの方へと伸びていき、受け取れるように差し出された。

 

「どうする? ジャックくんも髪を切るって言っているし、休憩にする?」

「はい。是非お願いします」

 

 かれこれずっとコアと“対話”をしていたクロエも表情にはあまり出さなかったが結構な疲れが溜まっていたため、このタイミングで休憩が取れることにクロエは少なからず嬉しく思った。

 

「では私は髪を切らせてもらうぞ。作業の再開はどうする?」

「再開は、ジャックくんが髪を切り終わった時間をみて、かな? ご飯時だったらそのままご飯を食べたいし」

「その間博士とクロエはどうするつもりだ?」

 

 ジャックにそう訊かれた二人は顔を見合わせる。

 

「束さんは小手先で出来る程度の調整でも使用かと」

「私は本でも読もうかと……」

 

 二人はそれぞれどのように休憩時間を使うかを述べた。

 

「……クロニクルは問題ないとして、博士はいい加減に休んだらどうなのだ? 少なくともこの作業を始めてから私は博士が休んでいる姿を見たことが無い」

 

 実際ジャックの言っていることは事実であり、一夏の専用機の改修作業が始まってから束はまともに休んではいなかった。幾ら身体能力が異生命体並みだとしても、強化人間であるジャックも心配するほど休んでいないのだ。

 ジャックとしては髪を切るというのが建前で、束を休ませるというのが本音でもあった。

 

「束様、私からも申し上げます。どうか休んでください」

 

 クロエも束が休んでいない事を察していたので、何としてでも休んでほしいと思っていた。

 

「う~ん。束さんからすればここで休んでいるつもりはなかったんだけどなぁ……ジャックくんにも、くーちゃんにも言われちゃうと休むしかないのかな?」

 

 束は漸く改修プランが確定したところで作業の効率が良くなるところ。ならば休んでいる余裕はないと思い、二人が休憩している時間も使って改修の下地を完成させようとしていた。

 しかしジャックとクロエの二人がそろって休めと言うので、そんな二人の気遣いを無視してでも作業をするのはどうかと考えてしまう。

 束が長い時間悩んでいると、突然何かが彼女に覆いかぶさった。何事かとその覆いかぶさっている物を手に取ると、毛布だった。

 

「仮眠でもいいのだ。休んでくれればクロニクルも安心する」

 

 ジャックに一押しされ、束は毛布と二人を見つめる。

 

「……分かった。二人がそう言うなら束さんもやすむことにするよ」

 

束自身、別に休む必要はないと思っていたが、こうも二人から心配の眼差しを向けられてしまっては休まざるを得ない。それ以上に二人が心配してくれていることに嬉しさを感じていた。

 クロエとジャックはお互いを見つめ、束が休んでくれることに安堵の溜息を吐く。その間に束は毛布に覆いかぶさり、椅子の背もたれを倒し仮眠の体勢をとる。

 

「じゃあジャックくん。髪を切り終わったら教えてね。それじゃあ……」

 

 おやすみなさい~。と束は言うと間をおかずにクークーという可愛い寝息をたて始めた。

 あっさりと眠り始めたことにジャックは多少拍子抜けしてしまうが、一先ずは悩みの種が消えたことに安心する。

 

「寝たふりでなければいいのだがな。とりあえずこれで一安心か。さて……」

 

 ジャックはすきバサミを片手に散髪用の道具を集める。

 切った髪を集めやすくする為の床に引く雑紙に、同じく集めた髪を捨てる為のゴミ袋、斬り終わったあとに顔を拭く為のタオルなどを集めると浴室へ向かった。

 

(服に刺さったらその分面倒だな)

 

ジャックは切った髪が服に刺さって処理しづらくなるのを防ぐために、着ている服を脱ぎ始める。

 上着とズボンを脱ぎ下着姿になると、浴室を温める為に暖房機能を起動させる。別に風邪をひくわけではないのだが、だからと言って寒い部屋にいて気分が良いか、というとNOだろう。

 まだ暖房が準備作動をしているが髪を切り始めることにし、ジャックは浴室に備え付けられている大きな鏡の前に座った。そして髪を切る前にシャワーから温水を出し、それを髪に当てて濡らした。

 

(さて、まずは……)

 

 ジャックは濡らし終えると無造作に伸びた後ろ髪を左手で纏めて掴むと、そのまま右手にあるすきバサミで切り落とした。

 

(ふむ、少し頭が軽くなったな)

 

 床屋や美容院でやったら即解雇されても可笑しくない切り方だった。

 続いて邪魔になっている左右のもみあげも同様に摘まむと、そのまますきバサミで切り落とした。

 

(さて、ここからだ)

 

 無造作な切り方を数回しておいて何を今更、と言い出したくなるが、ジャックはタオルと一緒に傍に置いてある棒状の物を手に取る。それは所謂、“くし”というやつだった。

 さらに大型の鏡を手に取ると自分の背後に設置し、浴室の鏡の反射で後頭部を見えるようにした。

 準備万端にしたジャックは髪の端を摘み、くしを指より下に差し込む。そしてくしよりもはみ出ている部分を丁寧に、すきバサミで切り落としていった。

 

(そこそこに切ったとしてもまた直ぐに伸びてしまうな……ならいっその事)

 

 ある程度髪を切り、長さを整えていたジャックは、この世界に転移してきた時と同じくらいの長さにまで髪を短くしていた。しかしそれでは瞬く間に髪が伸びてしまうと予想して、更に短くすることにした。

 

(あの二人からどう言われるか分からないが……)

 

 髪を切り一気に短くした自分の姿を見た二人が、どのような事を言うのかを考えると、少し不安になった。だが、くしを握っている手は、更に短くする為に髪の毛の根元付近にまで手を伸ばしていた。

 

 

 

 

 

 大方髪を切り終えたジャックは、浴室に引いていた雑紙に切り落とした髪を纏める。そして雑紙の上に髪を纏めると、一本たりとも落とすことなくゴミ袋へ押し込んだ。

 

(こんなものか……)

 

 鏡に映る髪を切った自分の姿を見たジャックは、出来栄えに満足する。

 後は体に刺さっている切った髪を洗い流す為にシャワーの蛇口を開いた。

 

 

 

 

(まさか、うたた寝してしまうとは……)

 

 そう思いながら洗面所へ向かうのは、クロエだった。

 彼女はジャックに申告した通り自室で本を読んでいたのだが、本を読んでいる途中で睡魔が襲ってきてしまい作業の疲れと相まって机にうつ伏せる形で寝てしまった。

 ふと起きた時には本は無事だったが、寝ている時に開いていた口から垂れていた涎で自分の顔を汚していた。自分の涎とは言え不快なのに変わりはないので、顔を洗うために洗面所に向っているのだった。

 

(これでは、束様のことは言えませんね)

 

 もしこのタイミングで寝ていなかったら重要な作業中に寝てしまうという笑えない事態になっていたかもしれないと思うと、起きたばかりの体と相まって寒気を感じてしまう。

 だが今寝られてその事態を回避できた、と考え頭を振り気持ちを楽にして洗面所の扉を開けた。

 

「あっ……」

「……」

 

 洗面所の扉を開けると湯気と熱気が廊下へと漏れ出す。

 洗面所を白く染め視界を塞いでいた湯気が、廊下に漏れ出たことで洗面所の様子がハッキリと分かってしまう。

 クロエの目の前には、体に刺さった髪を洗い流し終え、タオルで頭を拭いているジャックが佇んでいた。下着を穿いていたことが不幸中の幸いだろう。

 

「も、申し訳ありません」

 

 クロエは自分の顔を洗う事だけを考えていたため、ジャックが髪を切っていることを失念していた。そのことも含めてジャックに謝罪する。

 

「……いや、別に構わない」

 

 ジャックは見られたと言っても全く気にする素振りを見せずに頭をタオルで拭き、ある程度乾いたところでタオルを下ろした。

 クロエの目には、先ほどまでとは全く違う印象を与えるジャックが映った。

 髪を切る前のジャックはその髪の長さと雰囲気が加わって、ミステリアスな存在のように感じていた。しかし今目の前にいるのはそんな雰囲気など一切感じず、バッサリ切り落としたことでカリスマを持つ軍人の様に感じられた。

 

「ところで、何をしに来たのだ?」

 

 いつまでたっても動かないクロエにジャックは尋ねる。

 

「あっ。か、顔を洗いに……」

「……」

 

 理由を察したジャックの視線が、今のクロエにとっては恥ずかしかった。

 

「ならば別に今使っても構わん。お前を待たせるわけにはいかないしな」

 

 そう言うとジャックは洗面台から離れ、クロエが顔を洗えるようにした。

 

「失礼します」

 

 洗面台の前に立つと、クロエは蛇口を調節しお湯が出るようにする。ハンドルを操作するとクロエが望んでいた温度のお湯が流れ出てきたので、両手ですくい、頬にへばり付いている自身の唾液を洗い流した。水であれば意識がハッキリしたかもしれない、と洗い終えてからそう考えた。

 一方のジャックは洗面台の引き出しに仕舞われていたドライヤーを取り出すと、コンセントを差し込み、短い髪を熱風で乾かす。切る前よりもはるかに短くなった髪だ、乾くまでかかる時間もそんなにかからず、クロエが顔を洗い終えるころには乾ききっていた。

 

(すごい身体つき……)

 

 今のジャックはボクサーパンツを穿いているだけの状態。ジャックの身体を見つめるクロエはそう思うしかなかった。

 

(でも、その身体は……)

 

 以前束から聞いたジャックの身体のこと。

 自分もその技術を応用して蘇生させられたことは、目覚めた時に束本人から聞かされている。

 

―――Plus―――

 

 束すらも“禁断の技術”と呼ぶそれを、何故ジャックが受けたのか、クロエはただただ不思議で仕方なかった。自分の様に、望まずに“ヒトガタ”にされたのであれば分かる。だがジャックは自ら望んで人を捨てたのだ。クロエの価値観では、未だに理解できない事の一つである。

 

「……私の身体が可笑しいか?」

 

 ジャックは何時まで経っても自身の身体に視線を送るクロエに、そう訊いた。

 注視し過ぎたことと、不覚にも顔に出ていてしまった事をクロエは後悔する。しかし、自分の疑問を晴らす機会が訪れたことも

 

「ジャック様は、何故、そのようなお身体になられたのですか?」

「そのような、と言うと?」

「Plusに、です……」

 

 クロエは回りくどく言うよりはと考え単刀直入に訪ねた。

 訪ねられたジャックはというと直ぐに答えることはせず、使い終わったドライヤーのコンセントを抜きコードを束ね元々あった引き出しに仕舞う。しかしまだ答えず今度は服を着始めた。

 全く答える雰囲気を感じさせないその不気味な間は、クロエに訊くべきではなかったと後悔させるには充分なものであった。

 

「力を欲したからだ」

 

 クロエが気まずくなり謝ろうかと思い始めた頃に、ズボンを履き終えたジャックがようやく口を開いた。

 

「博士から訊いたかも知れないが、私が元居た世界は、支配するか支配されるか、の二択だった」

 

 クロエに視線を向けることはなく、まるで独白するかのように、服を着ながらジャックは呟く。

 

「『レイヴンは自由な存在』などと言われたが、それでも企業の支配から完全に独立していたか? というと私は違うと思っていた。企業の手も届かぬ完全に自由なレイヴン、そんなものになろうものなら途方も無い力が必要になる」

「では、ジャック様がPlusになられたのは、自由なレイヴンになろうとしたから……?」

 

 服を着終えたジャックはそこでクロエの方に振り返り、静かに頷く。

 

「支配され、搾取され、圧迫される。嫌で仕方なかった。兎に角自由になりたかった」

 

 クロエは黙ってジャックの独白を聴き続けた。

 

「しかし私にはそのための力が無かった。それでも自由を諦めることが出来なかった。だから私はPlusに手を出したのだ」

「……」

「その力が、結局は企業の手の内である、偽りの物であることを承知して、だ」

 

 その異常な自由への渇望は、普段のジャックの態度からでは想像もできないものだった。そんな熱情的なジャックがこのような態度を取るようになるとは一体何があったのか、とクロエは要らぬ詮索をしてしまう。

 

「だがこの力を私は、案外気に入っている。戦場で必要な力を得られたからな。それはクロニクル、お前も同じだ。お前は私と似ている」

 

 ジャックに声を掛けられクロエは顔を上げる。

 

「私の力が……偽りの力であると?」

「稽古でのことを考えると、全て、と言う訳ではない。ただ遺伝子強化とPlusの技術、更にISコアとの生体同期化によって補強されたその身体の根幹は、お前自らが手に入れたものではない」

 

 だがな、とジャックは付け加える。

 

「アフリカで分かったと思うが、戦場では力が全てだ。偽りの力であろうと、生き残った者が勝者であり、死んだ者が敗者だ。例え卑怯モノと罵られようと、そんなものは戯言だということを覚えておけ」

 

 ジャックからの忠告とも言える教訓。言い出したのは自分だが、何故ジャックが急にそんな事を言ったのか、クロエは直ぐに理解出来なかったが胸にしまうことにした。

 

 ジャック自身何故こんなことを話したのかわからなかった。いつも通りただ答えるだけでいいものを、余計な話までするという失態を犯したのは余りにもまずかった。

 この話をクロエにしたとしても結局は束の耳に入る。そうなるとこの話を出汁にまたちょっかいをかけてくるだろう。実害が出なければ鬱陶しいで済まされるが、そうではない場合を考えると気が気でなく、最悪の場合研究所に居られないことにもなりかねない。

 クロエに悟られず表情に出さずにジャックは内心油断したことを自省した。そしてここにきてクロエは、常々ジャックに頼みたい事を思い出し口を開いた。

 

 

 

 

 髪を切り終えたのでジャックは約束通り束を起こしに研究室へ戻って来た。研究室の扉のセキュリティをパスし中へ入ると、出て行った時と変わらず椅子に座ったまま寝ている束の姿があった。否、多少不自然なところはあった。だがそこには手をつけず素直に起こすことにすると、ジャックは束に近づく。

 

「起きろ、博士。髪を切り終えたぞ」

 

 シンプルに声をかけるジャック。いきなり引っ叩くのも可哀想ではあるし、彼はそこまで暴力的な訳でもなかった。

 

「んぁー……あ、髪切り終わったの?」

 

 別に揺ってもいないのに、ただ声をかけただけで束が目を覚ましたことに若干驚く。一方束はそんな彼の心情に気を向けず、大きな欠伸をして溢れ出た涙を指で拭き取り、まだぼやけているものの髪を切ったジャックの頭を見た。

 

「おぉ! なかなかのハンサムっぷりだね。こっちのジャックくんも好みだよ~!」

 

 クロエと同じく束は髪を切ったことでがらりと印象が変わったジャックに目を見開き、短い髪の彼もまた自分の好みだということを素直に告げた。そんな二人の反応を見てジャックは髪を切ってよかったと少しうれしく思った。

 

「さてと。ジャックくんの散髪は終わったから、作業再開……」

「その前に、頼みごとがある」

 

 いざ作業再開、と意気込んでいたところにジャックから突然の申し出が入った。

 

「た、頼みごと……?」

 

 普段、というより滅多に頼みごとなんてしないジャックが突然そんなことを言う訳が、と思った束は聞き違いではないかと思わず訊き返してしまう。

 

「そうだ。問題あるか?」

 

 やはり聞き違いなどではなかった。だがこれはジャックが自分の事を信頼してくれるようになったのでは、と束は考えると何故か張り切ってしまった。

 

「うーん。内容によるかな? でもでも、極力叶えてあげるよ! さあ! キミの望みはいったいなにかな!」

 

 座っていた椅子から盛大に飛び上がり床に着地すると左腕をジャックに差し出し、何時何処から取り出したか分からないが、その手にはマイクが握られており、しかも研究室のスピーカーも電源が入っている、それを彼の口元へとかざす。

ジャックからすればこれは意識的な悪ふざけなのだが、髪の事を褒められ気分が良いこともあり場の流れに乗ってやることにした。

 

「フォックスアイを稼働させたい」

「ほうほう……その理由とは?」

「いくらなんでも、一回の稼働データだけだから作業が滞っているんだ。ならば今一度起動させて稼働データを蓄積するべきでは?」

 

 ジャックの要望と理由を聞いた束は左手に持っているマイクを量子化すると、右手人差し指を唇に当てながらどうするか考え始めた。

 

(これを機にもう一度稼働データを得られるのは確かにメリットが溢れているねェ。でも、面倒だなぁ……)

 

「……そのお願い事は束さんにも魅力的だけど、ちょっと難しいかな?」

 

 先程までノリノリだったというのに、急にそう言われてしまったジャックは理由を訊いた。

 

「動かすってことはまぁ大体研究所の外でするってことでしょ? そうなるとウザったい衛星にハッキングして証拠を微塵も残さないようにしなきゃいけないの。でもそのアリバイ工作が、ねぇ……」

「博士ほどの天才であれば容易なのでは?」

「ISくらいのサイズなら朝飯前だけど、あのACだとちょっと時間が掛る、と思うの。んでもIS改修で切羽詰っている今の状況だと……」

「一刻も惜しいということ……か?」

 

 束は頬を指で掻き苦笑いしながら頷いた。

 

「だからその要望を応えるのは、ちょっと……」

 

 束からの回答を聞いたジャックは視線を外すと手を腰に当て一つ溜息を吐いた。

 

「そうか……仕方ないな。クロニクルには私の方から事情を説明しておこう」

 

 ジャックはボソッと呟くと身を翻し研究室から出ていこうとする。しかし彼の小さな呟きを聞き逃さなかった束は付けている兎耳をピクピクッと動かした。

 

「待って……今何て言った?」

 

 出ていこうとするジャックを引き止めるかの様に束は尋ねた。一方のジャックは束があっさりと呟きに食い付いたことに、振り返ることはなく口の端を吊り上げる。

 

「クロニクルが我儘としてな。是非ともフォックスアイが動いている姿を、その目で見たいと頼み込んできたのだ。」

 

 あのクロニクルがだぞ、とジャックはわざとらしく念を押す様に言った。

 

「だが、博士がそう言うのであれば私の方から多忙だということを」

「くーちゃんのお願いだったら朝飯前だよ! 急いで作業に取り掛かるね!」

 

 見事なまでの掌返しに思わず吹き出してしまうジャック。一方嘲笑された束はそんなジャックの事など興味が無いのか、急いで大量の空間投影式パネルを表示するとアリバイ工作の作業へと取り掛かるのだった。

 

(とりあえず、クロニクルには私の方から説明しておこう)

 

 ジャックは研究室から立ち去ると、クロエの部屋へと足を運ぶ。その間に先程の洗面所での出来事を思い返してしまう。

 

 

 

 

「フォックスアイが動く姿を見てみたい?」

 

 どうしようもない身の上話をしてしまい気不味くなったジャックはそそくさと洗面所から立ち去ろうとしたところに、クロエから呼び止められお願いを言われた。

 正に突然。

 まさかクロエの口からそんなお願いを聞くことになるとは予想などしていなかった。

 

「何故急にそんなことを言う?」

 

 深い理由があるのかどうか、試して確認するジャック。問われたクロエはと言うと言いにくいのか、それとも恥ずかしいのか顔を逸らして口ごもってしまった。

 

「博士のさしがねか?」

「ち、違います!! 唯の、私個人の願望です……」

 

 ジャックが考えた仮説を問うとクロエは直ぐに大声で否定する。そして直ぐに大声を出してしまったとこを恥じ視線を逸らす。

 だが、これで本当にクロエ個人の願望だということが分かった。

 

「ならば素直に聞かせてくれないか?」

 

 何故フォックスアイが動く姿が見たいのかを、と付け加える。暫く……にしては短い間目を瞑り考えていたクロエは遂に目を開き、ジャックと顔を合わせ、その口を開く。

 

「いつも、仰向けになっている、あの巨体が本当に動くのか……いえ、そんな疑問ではありません。ジャック様が操り、私を救ってくださったACが動く姿を、私の眼に焼き付けたいのです」

 

 単純な願望。言葉を飾ってはいるが、結局はACが実際に動いているのを見てみたいだけ。そんな愚直なわがままを聞かされたジャックは意味深に……

 

 ()()()()

 

 いきなりのジャックの微笑みを嘲笑と受け取ってしまったクロエはうなだれた。

 やはり駄目だったか……

 やはり言うべきではなかった、とクロエは後悔していると、洗面所から立ち去ろうとしていたジャックが突如彼女の頭の上に肉刺だらけの大きな手を乗せ、その硬さを感じさせないほど優しく撫でた。

 

「!?」

「私の方から博士に話しておいてやろう。期待して部屋で待っていろ」

 

 ただ一言そう告げジャックは研究室の方へと向かって行った。

 

 

 

 

 思い出すとまた自然と笑みがこぼれてしまう。それほどまでにクロエの単純すぎる願望は、ジャックの心に深く残ってしまった。

 

(あそこまで子供らしいお願いを聞いたのは、果たして何年振りになるのだろうか……)

 

 これまでのジャックの過去を思い返してみても、子供のお願いを聞いたことなどあったかどうか、記憶力が高いはずの彼が思い出せないくらい過去なのかもしれない。

 だがジャックにとってクロエのお願いは、悪い気のするものではなかった。何故か心が温かく感じ、優しく包み込みたくなるような気分にさせられる。

 

(不思議なものだな、この感覚は)

 

 彼は今の自分の気持ちを上手く説明することは出来なかった。しかしもどかしい気持ちはあれど不快に思うことは無かった。

 博士から許可が下りたと知れば、どんな表情をするのだろうか。

 ジャックは密かにクロエがどんな顔をするのか楽しみにしながら、彼女が居る部屋へと軽い足取りで向かった。

 

 

「待っててねー、くーちゃん! 束さんがそのわがままを実現させてあげるよ!!」

 

 一方の束はと言うと、クロエのわがままだということもあり普段の疲れを見せず、むしろいつも以上に張り切りながら凄まじい速さでコンソールを操作していた。その場にもしジャックが居れば、改修もそれくらい出来ればいいのに、と口の一つでも零したかもしれない。

 


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