ある晴れた日に   作:空潟 聿

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郷からの便り

 朝、部屋の戸を叩かれて暁空は目を覚ました。

「はーい」

 眠い目を擦りながら返事をする。覗き窓から訪ね人を見ると、大家の娘の子鬼だった。暁空が玄関の扉を開けると、子鬼が申し訳なさそうに眉をひそめ、暁空の顔色を窺った。

「おはようございます。すみません、まだお休み中でしたか?」

「あ、ううん、気にしないで。どうかしたんですか?」

「あ、先ほど文屋さんから暁空さんにお手紙が届いたのでお持ちしました」

「本当? ありがとう」

 子鬼から茶封筒を受け取り、差出人を確認した。

「確かに受け取りました」

 茶封筒をちょいと持ち上げ軽く会釈すると、子鬼も暁空に一礼し、その場から去った。

 子鬼が部屋の前から立ち去るのを見て、暁空は玄関の扉を閉める。もうひと眠りしようかと、手紙はあとで読むつもりで机の上に置いた。

 寝室の襖を開けると、布団の中でまだまれが眠っていた。まれがはぐり倒した掛け布団を掛け直してやる。すると、まれは目を覚まし、眠たそうな目で暁空を見つめた。

「おはよう、まれ。起こしちゃった?」

「んーん……おはよう」

 おぼろげな口調でまれは暁空と挨拶を交わした。まれはぼんやりとしたままむくりと起き上がり、暁空に抱きつく。暁空はそれを受け止めた。

「んー? 海ちゃんのにおいがする……」

「え?」

「もしかして、お手紙きた?」

 くんくんと暁空のにおいを嗅ぎながらまれが尋ねた。暁空は「うん」と頷く。

「きたよ。さっきね」

「読みたい」

「もうひと眠りしてからでもいい?」

「えー」

「お願い」

「しかたないなー」

「ありがと」

 暁空はそう言うとまれを抱いたまま布団に横になった。

 とにかく眠たかった。昨夜は夜更かしもしないできちんと床に入ったはずであるのに、眠たくて仕方がなかった。先ほど、子鬼のノックで起こされたからかもしれない。あれがもし自分のタイミングで起きられていたら、目覚めはまだよかったのかもしれない。など、そんなことを思っているうちに暁空は寝入ってしまった。

 スースーと寝息を立て始めた暁空の顔を、まれは暁空の腕に抱かれながらじっと見つめていた。昔、暁空が赤ん坊だった頃のことを思い出していた。あの頃から寝顔は変わらないなと思っていた。

 まれは、暁空の母親の指輪についていた宝石の付喪神である。暁空が生まれる前から暁空の家にあったが、付喪神になったのは最近のことで、指輪だった頃のことをはっきりとは覚えていない。それでも赤ん坊の頃の暁空の寝顔は印象的だったのだろうか、なぜか時々思い出される。

 暁空はよく眠る子で、隣で双子の妹がどんなに泣いていようとのん気に眠り続ける子だった。暁空の母親が暁空の妹を抱き、あやしている傍らで指輪の宝石は寝こけている暁空を見つめていた。のかもしれない。

 まれは、眠ってしまった暁空の腕をすり抜け起き上がった。おなかが空いたのである。

 何か食べるものはあっただろうかと隣の部屋の台所まで探しに行くと、机の上に封筒があることに気がついた。まれはそれを手に取り、においを嗅いだ。

「海ちゃんからだ」

 先ほど寝ぼけているときに暁空からにおったにおいがこれであることにまれは気がついた。

 まれは、その茶封筒を日差しの入る窓にかざしてみる。そのままくるりと一周その場で周り、そして座りこんだ。

 手紙を開けるか否かを迷い、まれはちゃぶ台の上に手紙を戻した。その手紙とにらめっこをする。勝手に開ければ後で暁空に怒られる。しかし、まれは結局我慢できず手紙を封を切った。

 封を切ると、便箋が四枚出てくる。その便箋を一枚ずつ捲ってみる。文字を読むことができないため、まれは本当に便箋を捲っているだけだった。それでも便箋を捲る度に香る差出人の香りが、まれに安心感と充足感を与えた。

「いいにおい……」

 便箋を胸に抱えて、まれは横たわった。親しみを覚える香りに包まれて、まれは再びまどろみ始める。

 

   ◇◆◇◆◇

 

「おはよー、まれ。って寝てるし」

 寝床と居間を仕切る襖を開けてみると、居間で横たわったまれの姿が暁空の目に入った。

「もー、仕方ないんだから」

 まれに毛布でも掛けてやろうと思い、先ほど脱いだばかりの毛布を手にまれのほうに寄ると、まれの腕の中に紙切れがあるのが見えた。暁空はそれが先ほどの手紙であることに気がついた。

「あー、また勝手に開けてる」

 暁空は呟いてまれのおなかの上にある手紙を拾った。

 暁空に届く手紙を勝手に開けてはいけないと、暁空は日頃からまれに言いつけている。まれも普段はその言いつけを守っているのだが、その言いつけを守れず手紙の封を開けることがある。それは、暁空の妹から手紙が届くときだ。まれにとっても特別な人からの手紙であるから、まれも暁空の言いつけを守れず封を切るのだ。

 今日届いた手紙も、暁空の妹からのものだった。名前を暁海といい、彼女たちは双子の姉妹である。

 暁海は、しばしばこうして暁空に手紙を寄こす。謎の病に侵されて床に臥している暁海は、遠い地を旅する姉に自らの近況を報告しているのだ。

 暁空はやかんでお湯を沸かしながら手紙に目を通した。

「……」

 言葉も出なかった。ただただ手紙に目を通し、ため息を漏らすことすらもできなかった。暁空が言葉を発するより先にやかんが鳴いた。暁空は慌ててやかんの火を消した。

 湯呑にお湯を注ぐ。中には珈琲が入っていた。最近の流行り物らしく、童話専門書店の店主から貰ったものだった。一度淹れてみたのだがどうにも口に合わなかったのだと店主は言っていたが、確かに苦さと渋さ、それから酸味のある飲み物だった。幸い、暁空の口には合ったようで、店主からそれを貰ってからというもの頻繁に珈琲を飲んでいる。

 珈琲を淹れるのに専用のカップがあるというのだが、生憎暁空は持ち合わせていなかった。そもそも、暁空は旅人だ。元々荷物が少なく、これ以上荷物を増やす気もない。身軽でいなければ旅立つ時に旅立てないのだと暁空は言う。

「あちっ」

 淹れたての珈琲は熱かった。何度も息を吹いて冷まそうとするが、なかなかそうはならない。暁空は諦めて手に持っていた湯呑を台の上に置いた。そしてその場で膝を抱えて座り込む。立っているのも辛くなったのだ。

「……」

 どうにかしなければ。どうにかしなければ。心の中で何度も繰り返し唱える。しかし、どうしようもないのが現状だ。一刻も早く治療法を見つけなければならないのも事実、しかし、治療法を探している間暁海を独りにしているのも事実。もう暁海が長くないことを知らせる手紙は、静かに暁空を焦らせた。

 そのとき、居間で眠っていたまれが目を擦りながら台所の方へ歩いてきた。

「空ちゃん……?」

 暁空の姿を探して台所までやってきたのだ。そして、台所で蹲っている暁空を見つけたまれが小さな叫び声を上げる。

「空ちゃん! 大丈夫?」

 暁空の方に駆け寄り、しゃがみこむ。背中を摩りながら、まれは暁空の顔色を窺う。

「まれ……?」

 暁空は突然現れたまれを見て驚き、顔を上げた。

「空ちゃん、どうしたの? おなかいたいの?」

「まれ……」

 暁空は隣で心配そうな顔をしているまれを抱き寄せた。ぎゅっとまれを抱きしめる。

「空ちゃん?」

「ねえ、まれ」

 暁空はまれに声をかける。

「なに?」

 まれが尋ねた。

「海ちゃんのとこ、帰ろっか?」

「海ちゃんのとこ? 帰るの?」

「うん」

 暁空は頷いた。きゅ、とまれを抱きしめ直す。

「海ちゃんね、あんまり元気ないんだって。だから、一回帰って顔見せない? そしたら、きっとまた元気になるから……」

「空ちゃん……」

 尻すぼみの声。少しくぐもっている。まれはどうしていいか分からず、とりあえず暁空をそっと抱きしめ返していた。

 暁空は、今会いに帰らなければ暁海と会わないまま別れてしまうことになるだろうと考えていた。暁海の治療法を探すために旅に出てもう何年と過ぎたが、未だに見つかる気配はない。一縷の望みをかけて見つかりもしないものを探し続けた結果大切な妹と会えずじまいで別れることになるくらいなら、もういっそ治療法を探すことを諦めて家に帰り、妹を看取ってやれる方がいいのではないか。そう思っていた。

「空ちゃん」

 まれが少し暁空から離れ、暁空の顔を覗き込む。暁空は一筋涙を流していたが、まれに向かって優しく微笑んだ。

「いいよ。空ちゃんが帰るなら、まれも帰るから」

 そう言ってまれは再び暁空の胸に飛び込む。

「ありがとう、まれ」

 暁空はそれを抱きとめた。

 

 まれと暁空は相談して、二時間後にここを出発することにした。

 元々、荷物は多くなかった。正直、少ない荷物を纏めるのに二時間もはかからないが、ここを出る前に世話になった人に挨拶しておく必要がある。まれと暁空は大方荷物が片付くと、部屋を出て童話専門書店へと出かけていった。

 外へ出ると、珍しく雨が降っていた。そういえば、龍神様が雨を降らすとかなんとか言っていたっけ、と暁空は玄関先に置いてあった傘を手に取った。

「空ちゃん、雨だね」

「そうだね」

「傘、探しててよかったね」

「そうだね」

 一本しかない傘の中に収まるよう、二人はぴったりとくっついて歩く。まれは暁海の左腕に抱きつくようにして歩いている。暁空はそれを歩きにくいと言いながらも払うことなく童話専門書店へと歩き続けていた。

「さすが、龍神様はやると言ったらやるねー」

 このところ一切雨の降らなかった土地に雨が降っている物珍しさ。明らかにこれがお天道様の気まぐれではなく龍神の力であることが分かる。

 久方ぶりに降り注ぐ雨に、街中はどこか忙しない。そこかしこで人々が慌ただしく何かしらを片づけている。それは洗濯物であったり、農具であったり、商売品であったり。中には天に祈りを捧げている人もいる。

 人間たちが忙しなく動いている一方で、妖たちも同じように浮足立っているようだった。雨が降り始めたことを喜び、龍神の力を崇め、龍神の訪れを歓迎しているようで、こそこそ、こそこそ、と妖たちが嬉しそうに話し合っているのが風に乗って暁空にも聞こえてくる。

「まれ、そんなに跳ねないで」

「はーい」

 隣を歩いているまれもどこか嬉しそうで、いつもより足取りが軽い。

 それから十分ほど歩くと、童話専門書店が見えてくる。いつも通り門は閉じられていて、暁空が差していた傘をすぼめる傍らでまれが門を開けた。門から書店のある玄関まではわずか数歩で、手で雨粒を防ぎながら少し駆け足になる。

 玄関を開けると、いらっしゃいませ、という店主の声が聞こえた。

「あれ、暁空じゃん。どしたの?」

 その店主を取り囲むように、暁空の見知った人たちがそこに立っていた。おかっぱと龍神である。

「おー、おかっぱじゃん。いや、ちょっと店主さんに挨拶をね」

「挨拶?」

「店主さんに挨拶したらちゃんと君たちのところにも行くつもりだったんだよ?」

 暁空はそう言いながら店主を囲む輪の中に入っていく。

「いや、挨拶って何の?」

 おかっぱが暁空に尋ねた。暁空は「いやー」と言いながら淡々とした口調で言った。

「これから暫くここを発とうと思って」

「え?」

「それはまた急じゃな」

「今朝決めたからね」

 突然の暁空の告白に龍神までもが目を丸くして驚く。しかし、暁空はその飄々とした素振りを崩さないまま話し続けた。

「実家の妹の調子がよくないみたいでさ。様子見に帰るの。親もいないからさ、独りじゃ寂しいだろうし。というわけで、暫く姿見せなくなるけどそういうことだから心配しないでねっていう挨拶!」

 にかっと暁空は笑う。そんな暁空をおかっぱは不気味なものを見たと言わんばかりに顔を引きつらせている。

「お、おう……お前も気をつけてな」

「分かってるよ。じゃあね、おかっぱ。あ、私が戻ってきたときにはもう次の街に行っちゃうとかある?」

「さあ。お前がどのくらいここを離れるか次第だと思うけど……ねえ? 朝栄」

「そうじゃな。ひと月はここにいようとは思うが、それ以上はまだ何とも言えんな」

「そっか」

 おかっぱと龍神の答えに暁空は頷いた。もうこれで二人と会うのは最後かもしれない。そう思いながら唾を飲み、息を吸って笑顔を作る。

「あ、そうだ、思い出した。龍神様の力って凄いね、ほんとに雨降ってる」

 そう言ったときだった。

「え、あの、龍神様……?」

 龍神が暁空を抱きしめていた。しかしそれも束の間、暁空の慌てようを見てすぐに龍神は暁空を離した。

「お前の笑い顔は太陽のようじゃ。妹御もさぞかしお前に救われることじゃろう」

 龍神は暁空の頭を撫で、微笑みかける。

「もしお前が戻るとき、わしらがここにおらずとも、きっとまたどこかで会えるじゃろうて。同じ旅仲間ならな」

「……うん、そうだね」

「達者でな」

「……うん」

 龍神と暁空が握手を交わす。そのとき、おかっぱが暁空にお守り袋を差し出した。

「これあげるよ」

「え、何これ?」

「絆」

「は?」

「まあ、持っといてよ。お守りだと思ってさ」

 半ば押しつけるようにしておかっぱは暁空にそのお守り袋を握らせる。暁空は渋々そのお守り袋を受け取り、背負っている荷籠の中に入れた。

「店主さん」

「寂しいですね、暁空さんがここを離れるだなんて」

「いつかは戻ってくるから。だからさ、あれ、集めるのやめないでもらえないかな?」

「分かりました」

 一年前から暁空が探している本のお取り寄せ。暁空はそれをしっかり店主に頼み、じゃあ、と言った。

「皆、元気でね」

「お前もな」

「じゃあね」

 手を振り、店主たちに別れを告げる。踵を翻し、店の戸に手を掛けた。

 戸を開けると、まだ雨はぱらぱらと降り続けていた。暁空は傘を差し、まれを隣に呼ぶ。まれは暁空に呼ばれ、いつものように暁空の腕にひっついた。そして、二人は歩きだす。

「空ちゃん、どうしたの?」

 まれは暁空の顔を下から覗きこもうとする。しかし、その瞬間暁空はまれから顔を背けた。

「ねえ、空ちゃん? どうしたの? 泣いてるの?」

「泣いてない」

「悲しいの?」

「悲しくない」

「空ちゃん?」

「大丈夫、大丈夫だから」

 まるで自分に言い聞かせるように。暁空はそう呟いて顔を上げた。

「行こう、まれ。今日中に吾妻咲(あがつまざき)に行ってしまいたいから」

「うん……」

 暁空の実家のある美波間(よしはま)に行くには時間が足りない。夜になれば活発化する妖も増える。妖の被害を受けないためにも、美波間に行くまでの土地で一度夜が明けるのを待つ必要があった。

 雨の中、二人は吾妻咲を目指して歩き続けた。その間、まれはなんとか暁空を元気づけようとしたが、吾妻咲の宿に到着しても暁空は依然元気のないままだった。結局、その日暁空がいつものように笑うことがないまま二人は床について夜を過ごすこととなった。


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