ある晴れた日に   作:空潟 聿

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雨の前の童話専門書店

「はー、今日もいいお天気だね」

「そうですね」

 古びた童話専門書店。そこにいるのは店主と呪術師。店主は勘定場で本を読み、呪術師は売り場で絵本を漁っている。いわばいつもの光景がそこには広がっていた。

「そういえば、来週から雨が降るらしいよ」

「来週ですか? よくそんな先のことが分かりますね」

「おかっぱさんから聞いたの。昨日たまたま商店街で会ってさ、そこで」

「ああ、おかっぱさんですか」

 おかっぱ。三日前に初めて童話専門書店に現れた旅人だ。おかっぱ頭をした女性で、彼女自身も連れも彼女のことを〈おかっぱ〉と呼ぶものだから、ふたりもおかっぱと呼んでいる。彼女の連れは龍神という位の高い妖である。名前を朝栄(あさはる)という。

 ふたりは三日前にこの地を訪れ、この近くの宿に泊まっているのだという。この辺一帯に雨を降らしにやってきたそうで、この地で術を使うからとこの地に住んでいる妖に挨拶にきたのだった。

 その妖というのが、この童話専門書店に住んでいる神狼で、五歳ほどのヒトの姿をした妖である。名前を文多(ぶんた)という。

「はい、お茶」

「ありがとうございます」

 文多は基本、本屋の奥にある家の中で過ごしているが、たまに店主のいる勘定場に顔を見せては新しいお茶を差し入れていく。

「それでおかっぱさんがさ、来週から雨が続くから傘準備しておいたほうがいいよって」

「そうですか。そうですねえ、傘、どこにしまったかしら」

「最近雨降ってなかったからね。私もどこにしまってるか忘れてる」

 呪術師の暁空(あきら)は笑って言った。

 呪術師である暁空と違って、おかっぱは陰陽師を名乗っている。ふたりともしていることは風水や占いや祈祷が主であるが、術の範囲や方法などの些細な部分が異なっている。暁空は医療やまじないの類を行うが、おかっぱは風や星、相談者の相を読む。

「そういえば、おかっぱさんは陰陽師でしたっけ。陰陽師ってなんです?」

「あー、結構あいまいなんだよね、これが」

「あいまい?」

「そう」

 暁空が読んでいた本から顔を上げ、店主のところまで近寄ると腰をおろして話を続ける。

「やってることはほとんど同じみたいなんだけど、薬草扱ったりまじないとかお祓いとかするのが呪術師で、星とか風とか読んで未来を予想したり相を読んだりするのが陰陽師、って感じかな。でもはっきりそう決まってるわけじゃなくて、名乗った者勝ちみたいなところはあるよ」

「そうなんですか?」

「うんうん。地方によっては逆になってるところとかまとめて陰陽師って言ってるところとかあるみたいだし。呪術師のほうが十分怪しい響きしてるから、あえて陰陽師って言ってる人もいるしね」

「へえ……。そういったお知り合いがいらっしゃるんですか?」

「まあね」

 暁空は言った。

「私の故郷はどちらかというと呪術の教えが根付いてて、呪術師の先生もいるからそこで習ったんだけど、いろんなとこを旅してるとさ、そこにはいろーんな町や村があってさ。根付いてる風習も存在する職業もまばらだし、そこで出会った呪術師や陰陽師を見ると、やっぱり地域によって特性が違うよなーって思う」

「そうですか」

「そういえば、この町は呪術師も陰陽師も通用するんだね。私が呪術師だって言っても驚かれないし、おかっぱさんが陰陽師だって言っても店主さん驚いてなかったし」

「ああ……まあ、この町は自然が多いから住んでいる妖や精霊なんかも多いから、旅する呪術師や陰陽師が中継地にすることも多いみたいですし」

「あー」

 妖や精霊の類が多く住んでいると、その類の者が経営する宿泊施設も増える。宿泊施設が多くあれば、その類の者と協力関係にある呪術師や陰陽師が利用するようになる。よって、この村は旅をする呪術師や陰陽師が旅の中継地点とすることが多いのだ。

「店主さんはこの村から外に出たことはあるの?」

「え? 私ですか?」

 突然の質問に店主が言葉を詰まらせる。そして苦笑を浮かべると言った。

「ないですねえ。生まれてからずっと、この家で暮らしていますから」

「へぇ、そうなんだ。え、出ようと思ったことはないの?」

「……ありません。物ごころついた頃には、もう文多さんがいらっしゃいましたから」

「あ、そうなんだ」

「はい」

 暁空と会話を交わしつつも、店主は読んでいる本から顔を上げることはなかった。店主は本を読んでいるわけではなかったが、どことなく暁空と目を合わせづらかったのだ。

「文多くんは? 昔からあんな感じなの?」

「え?」

「小さくて物静かな感じ?」

「あ、あー、まあ、そうですね。お喋りな妖ではないですね。今も昔も」

「ふぅん」

 暁空が相槌を打つ。店主はそれ以上文多のことについて話しはしなかった。暁空もまた、それ以上文多のことについて聞こうともしなかった。

「そちらこそ、まれさんとはどうなんです?」

 店主は暁空に尋ねる。すると、暁空はにへらと笑い、言った。

「まれはねー、母の形見なんだよね」

「え」

「あの子はね、宝石の付喪神なの。うちにある宝石といったら母のつけてた指輪くらいだったからね、きっと彼女はそれなんだよね」

「へぇ……」

 暁空の言うことに店主は興味深そうに相槌を打った。

「なんでまた付喪神になったかは知らないんだけど、まあ、今は相棒として隣にいてくれるからさー」

「そういえば、暁空さんひとり暮らしされてるんでしたっけ?」

「そうだよ。この町の外れの賃貸宿の個室借りてるの」

「町の外れですか? どうしてまた?」

「妖が営んでる宿なのよ。まれを連れていくにはそれが一番いいからね」

「ああ、そういうことですか」

「うん、そういうこと」

 人間には妖を目視できる人間とそうでない人間がいる。そうでない人間のほうが多く、妖を見える人は少ない。人間が営む人間のための宿を暁空が借りたとして、そこにまれの見える人がいたとしたらややこしい問題が起きてしまう。そのことを案じて暁空は村の外れにある妖の営む宿で生活をしているのだ。

「ほんと、賑やかでいい村だよ、この町は」

 お茶を啜りながら暁空が言った。

「噂にも聞きますが、そんなに賑やかですか、町の外れは」

「そうだね。町の外れには妖がたくさんいるよ。私が住んでる宿にもいろんな妖がいるし、宿もいっぱいあるしね。おかっぱさんが泊ってる宿も私のところとは別のところだし。そのくらい妖はたくさんいるかな」

「へぇ」

「あ、そうだ。今度店主さんも文多くん連れて遊びにきてよ。まれも喜ぶからさ」

 暁空が店主に笑顔を向ける。店主は目を丸くし、ぽりぽりとこめかみの辺りをかいた。するとそれを見て暁空が更に言った。

「出不精なのもほどほどにしないと。店主さんも、文多くんも」

「……いやあ、文多さんが出たがらないもので」

 困ったように店主が言った。気まずい雰囲気から逃れようと店主はそのまま茶を啜る。

「出られないんです」

「え、なにそれ自縛霊なの?」

「いや、文多さんは妖ですから霊ではないかと」

「自縛妖?」

「……まあ、そんなところでしょうか」

「うーん、呪術的にどうにかできたっけなー……」

「ああ、いえ、いいんです、文多さんも気にしてないようですから」

「え? そう?」

「はい」

 店主は慌てて手を振り、暁空の考え事を打ち消そうとした。暁空はそれに反応し、悩むのを止める。

「それに、私だって買い物に行くときは外に出ますから」

「いやぁ、それだけじゃなくてもっと外に出たほうがいいって意味なんだけどなー」

「それは……その、あんまりひとりにすると文多さんがかわいそうじゃないですか」

「あー」

 押し問答。ああ言えばこう言う。そんなやり取りが続き、暁空のほうが先に諦めた。

「じゃあ、まあ気が向いたらおいでよ」

 そう言ってこの話を打ち切った。店主も「考えておきます」とだけ言った。

「それにしても、来週から雨だとは思えない空だね」

「そうですね」

 窓から見える青空を見ながら店主たちは会話を続ける。空は、うっすらと白い雲が流れていた。薄い水色の空が広がっている。とても来週から黒雲が広がる空には見えなかった。そのとき、風が吹き、空を映している窓ガラスが小さく揺れた。

「何か通ったね」

「そう、ですね」

 その風の正体は、妖だった。そのことを店主も暁空も感じとった。

「なかなか大きな妖だったね」

「そう、ですね」

 稀に見る大きい妖にふたりは驚き、顔を見合わせていた。そして、今の風の正体に驚いたまれたちが店主たちのところに姿を現した。

「ねえねえ! 今の妖だよね!? とってもびっくりしたんだけど!」

「……」

 まれに手を引っ張られついてきた文多もどことなく訝しげな顔つきをしていた。

「あ、うん、妖だと思う、けど」

「だよね!」

 あまりのまれの大声に人間も驚き、たどたどしく暁空が答えるとまれはまた大きな声で頷いた。

「あー、びっくりした。おっきい妖だったよね?」

「うん、大きかったね」

 まれは暁空のところに駆け寄り、跳びつく。そのまままれは抱っこをねだり、暁空に抱きついた。

「なんの妖だったんだろうね?」

「さあ、そこまでは分からなかったな」

「そうですね。私も分かりませんでした」

「まあ、あの一瞬じゃね」

「そうですね」

 店主も暁空も、妖を感じ取る力はあれど、強いわけではなかった。一瞬通っていっただけの妖が何者であるのかということはさすがに分からなかった。

「まれも分からなかったの?」

「うん、分からなかった」

「そっかー」

 あからさまに悲しそうな顔をするまれをあやしつつ、暁空は言った。

「来週から雨っていうの、本当なのかもね」

 そう言いながら再び窓の外を見る。そこには先ほどと同じような空が広がっていたが、先ほどは感じなかった奇妙な感覚を覚えた。

「傘、探しておかないといけませんね」

「そうだね。じゃ、そのためにもそろそろお暇しようかな」

 そう言って暁空は膝に乗るまれを立たせ、自分も立ち上がった。店主もふたりを見送るために立ちあがる。

「お気をつけて」

「はーい。またきます」

「さよなら、店主さん」

「さよなら」

 まれと店主は手を振って別れ、まれたちは帰路に着いた。店主と手を振っている間に先を行ってしまった暁空に追いつこうとまれは小走りになる。その小走りの音に気がついた暁空は少し歩くのを遅くし、振り返った。

「空ちゃん、傘探すの?」

「探すよ」

「買わないの?」

「買わないよ。探すの」

「去年もそう言ってなかった?」

「去年は去年。今年は探す」

「ふーん」

「ふーんじゃなくてまれも手伝ってよね」

「えー? 分かった」

「はーい」

 まるで姉妹のように仲睦まじく会話をしながらふたりは歩いていく。ここから自分たちの宿にはまだ暫くあった。

「今日は買い物はしない?」

「うん。昨日のごはんが残ってるからね」

「えー、昨日の残りなの?」

「そうだよ」

「えー、つまんなーい」

「だったらまれがご飯つくってくださーい」

「ごめん、それは無理」

「だったら文句言わない」

「はーい」

 こうなると食べて帰ろうと言っても聞いてくれないだろうな、とまれは心の中で諦めて口に出すことはしなかった。

 それからそのまま適当な会話をしながら宿へと帰った。宿に帰る頃には日が暮れ始め、ふたりは慌てて干していた洗濯物を取り入れると晩ご飯を食べて眠った。傘を探すのはすっかり忘れていた。


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