ある晴れた日に   作:空潟 聿

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ある日の童話専門書店

 古い町のあるところに、古びた書店がある。ただの書店ではない。童話を専門に取り扱っている、童話専門書店だ。その店には絵本を始め、多くの古書が並んでいる。しかし、それを手に取る客が大勢いるかと問われると、そうではないと言うしかないのが実情だ。

 古い看板が掲げられたその店が繁盛している雰囲気はない。人の出入りは激しくないどころか、人が出入りしているほうが珍しいくらいだ。

 古い店はうっかりすると見逃してしまいそうなほど、周りの民家と同化してしまっている。店らしい雰囲気が醸し出しているようなことは一切ない。看板があるだけで普通に門が構えてあるし、門から店の入り口までには小さな庭があり、門の外から店の中の様子を窺うことはできない。店に本がずらりと並んでいることなんてここから先も予想することはできないのだ。門からは店の入り口である引き戸が見えるだけなのである。

 古い構えの店の門を叩くには、そこが店であることをあらかじめ認識している必要がある。ちょっとした気分で立ち寄ることのできる店ではない。店が繁盛していないのは、そのせいもあると思われる。

 しかし、その古びた店に人が全く立ち入っていないわけではない。ぽつりぽつり、訪れる客はいるのだ。たとえばそれは童話を専門に扱う学者であったり、学生であったり、あるいは古書好きであったり、童話好きであったり、はたまた店主の友人であったりと様々だ。少なくともその道の人々にはその店はよく知られているようで、たまにその店を訪れては幾つか本を買っていくことがある。

 そのたまに訪れる客たちが長居することは滅多にない。目的の本を買ってしまえば店を出て行ってしまう、そのような客が多い。しかし、例外として長居をしていく人物もいる。たとえば、外套を身にまとった、出生も住居もよく分からない呪術師の女であるとか。

「店主さん、こんにちはー」

「あ、暁空(あきら)さん」

 その暁空という女性に声を掛けられて、やっと店主は顔をあげた。それまで本を読んでいた店主は、読みかけの古い本を自分の傍に置いた。

「今日はどうしたんですか? お仕事は?」

「今終わってきたとこ。今日は簡単なやつだったからねー」

「呪術にも簡単なものとそうでないものがあるんですか?」

「そりゃあ。本だって幼児が読みやすいものから大人が読んでも難しいものまであるでしょ? それと同じだよ」

「分かるようで分からない例えですね」

「ええ? だからつまり」

「いや、言いたいことは分かるんですけど」

「ねえ、せめて最後まで言わせてよ」

「いやいやいや……」

 暁空の言い分を遮り、店主は適当にその場を濁した。

 暁空は外套をひらりと振ると、店主の小机の横に腰をかけた。店主の方へ振り返るような感じのところに暁空は座る位置を定める。

「はー、今日もいい天気だね」

「ほんとうに。お洗濯ものがよく乾くので助かります」

「へー、店主さんも洗濯とかするんだ?」

「しますよ、普通に。最近は乾燥まで洗濯機はやってくれるけど、でもお日様の下で干したほうが私は好きです」

「私も私も」

「そういう暁空さんこそお洗濯なさるんですか?」

「そりゃあするよ。割と好きだよ」

「へー」

 適当な会話。たあいのない会話ともいう。こういう会話の流れは、店主も暁空も嫌いではなかった。

「店主さんは洗濯自分でするの? 文多(ぶんた)くん?」

「洗うのは私です。干すのは文多さん」

「分けてやってるの?」

「最初はどちらも私だったんですけど、文多さんがお手伝いしたいと仰るので」

「ふぅん」

 文多(ぶんた)とは、この古本屋の奥にある店主の家に住んでいる妖のことだ。見た目が四、五歳の白髪の男の子。神狼だという。

「あ、噂をすれば文多くん。こんにちは」

「……」

「あ、お茶くれるの? ありがとう」

「……」

 奥から文多が現れた。文多は、暁空に対して会釈をすると、盆に載せていた湯呑を暁空の近くに置いた。もう一つの湯呑を店主の小机に置く。

「ありがとう、文多さん」

 店主が言うと、文多は店主にも慌てて会釈をして盆を抱えて俯いた。

「そういえば、今日はまれさんは?」

「あー、表の本読んでるって今表に。呼んでこようか?」

 暁空は本屋のほうを気にしつつ文多を見やった。文多は静かに小さく頷いた。

「ちょっと呼んでくる」

 そう言って暁空は立ち上がり、本棚の間を通り抜け、一人の女の子を連れてまた店主のところへと戻ってきた。

「こんにちは、まれさん」

「こんにちは、店主さん、文多くん」

「……」

 挨拶をした女の子に対して文多はまた会釈をする。

「ねー空ちゃん、いつ帰る?」

「えーっと、小一時間はここにいるかなぁ。また呼ぶよ」

「はーい。行こう、ぶんちゃん」

 女の子は靴を脱いで家へと上がると、文多と一緒に襖の奥へ入っていった。

「ここは託児所じゃないんですけど」

「まーまー、まれも文多くんも楽しそうだからいいじゃない」

「それはそうですけど」

 〈まれ〉は、暁空の連れている妖である。暁空の持っている宝石の付喪神で、女児の姿をしているが、見た目は文多より幾分か大きい。文多が五歳前後だとすると、まれは八歳前後くらいだろうか。とにかく、まれは文多よりお姉さんらしく見える。

「それで、お目当てのものはありました?」

 店主は尋ねる。暁空は難しく考えるような顔をしてから、ため息とともにぱっとその緊張を解いてみせた。

「全然。これだけ本が集まってきてるのに、一冊も見つからない」

「そうですか」

 お茶を飲みながら店主も小さくため息をついた。それに伴って湯呑の中のお茶も小さく揺れる。

「暁空さんがここに来るようになってから、もう一年ですっけ?」

「そうだね。そのくらい」

「もうそろそろここに並んでるものは全て読んじゃったんじゃ?」

「そうだねー。全部じゃないけど」

 暁空の相槌。

 暁空は、ほとんど毎日のようにこの古びた童話専門書店を訪れている。そして、本棚の隅から順に、並べられている童話を立ち読みしているのだ。

「でも、ないんですか?」

「そう。ないの」

 ため息混じりの声。暁空はゆっくりとお茶を啜る。

 暁空には探している本があった。それは、暁空がずっと幼いころに親に読み聞かせてもらった本だった。しかし、残念ながら店主もその本を知らなかった。店主は、この本棚の中にはない本だと思っている。

「だからないと思うって言ったじゃないですか」

 一年前、暁空が初めてこの店にやってきたときも店主は「うちで扱っている商品の中にはないと思う」ときっぱり言っていた。しかし、「それでも」と言って探し続けているのは暁空だった。

「でもさ、私が覚えている内容が本当かどうかは定かじゃないし。実は思い違いってこともありえるかもだし。見たらそれだーって思いだすかもしれないから」

「その一冊がこの中に紛れこんでいるかもしれないって?」

「そういうこと。本当の話が見つかれば、店主さんもあーそれだったかーってなるかもね」

「そうですね」

「それに、まだないと決まったわけじゃないから」

 そう言いながら暁空は本棚を見やる。

「もう残り数冊なんじゃないんですか?」

「そうでもないよ。まだ結構ある」

「そうですか」

 幾つ目か分からない相槌を店主が打ったとき、誰かが本屋に入ってくる音がした。その音に店主も呪術師も敏感に反応し、音のするほうをじっと見つめた。

 すると、茶髪のおかっぱ頭の女性と蔓帯紋の羽織を着た女性が店主たちのほうに歩んできているのが見えた。店主と暁空の前におかっぱ頭の女性が立ったとき、相手に伝わるほどの小さな声で店主が「いらっしゃいませ」と言った。

「あの、すみません」

 その女性は一瞬店主を目で捉えた後、辺りをきょろきょろと見回してから店主に尋ねた。

「失礼ですが、ここには妖が?」

「え?」

 おかっぱ頭の女性の質問に店主が質問で返す。おかっぱ頭の女性の質問を聴き取れなかったのではない。彼女の質問を聞き間違えたかと思ったからだ。

 しかし、その質問は聞き間違えではなかった。おかっぱ頭の女性の後ろにいた灰色の髪をした蔓帯紋の羽織を着た女性が改めて店主に尋ねてきたのだ。

「こちらに妖がおいでかと聞いておるのじゃ。答えよ」

「……」

「どうした、申せ」

「……」

 蔓帯紋の羽織を着た女性は立ったまま上から店主を見つめた。店主は座ったまま下から見つめ、沈黙を続ける。

「おい、店主よ。何がそんなに気に入らぬ、わしらはここに妖がおるかおらぬか聞いておるだけじゃ」

「……」

「その質問が不愉快だって言ってるんですけど」

「何?」

 依然黙ったままの店主の代わりに暁空が答えた。

「本屋に来ておいていきなり妖がいるかいないか尋ねるなんて、失礼にも程があるでしょう。最近は妖を嗜みの一種とする輩も増えてますからね、そんなの、ここに妖がいてもいなくても、あなたたちを妖売りだと疑って警戒しても不思議じゃないでしょう?」

「なるほど」

 蔓帯紋の女性が頷く。そして再び口を開いた。

「確かに。わしらのことを言わずしてそなたらのことを教えてはくれまい。失礼した。わしは汰之(たの)朝栄(あさはるの)水分神(みくまりのかみ)。汰の川一帯を治めておる龍神じゃ。こいつは人間のおかっぱ」

「あの、最近越してきたんですけど、歩いてたら妖気を感じて、それで。特に質問に深い意味はなかったんですけど……」

 蔓帯紋の女性の後に続いておかっぱが言った。おかっぱの言葉に店主と暁空はほっと胸を撫で下ろした。

「そうだったんですね」

「はい」

「あの、失礼ですがご職業は?」

「あ、ああ、陰陽師です、一応。あと、副業で在宅の仕事を幾つかしてるんですけど」

「へぇ、そうなんですか」

「店主、そんなに心配せずとも、わしらは妖売りとは通じておらん。安心なされよ」

「あ、いやあ、すみません」

「ま、突然こんな風に現れては疑うなと言うのもあれだがな」

「まあ、はい」

 はははっと声をあげて笑っている蔓帯紋の龍神にぼそぼそと店主が返す。そうは言われても、店主も暁空も突如現れた龍神とおかっぱが怪しいものではないということを信じることができないでいた。

 結局、二人が本当に妖売りに関係のないただのこの辺りに住む住人だということを信じたのは、三十分ほど四人で話してからだった。

「へえ、じゃあおかっぱさんは各地を旅して回っていると」

「まあ、そんなとこかな。朝栄の行くとこ行くとこについていってるだけなんだけど」

「へー、そうなんだ。えーっと、朝栄さんは何してるんですか?」

「わしか? まぁ、時と場合によるが、大抵は雨降らしじゃな」

「へぇ、雨降らし」

「そうじゃ。祈る民の元を訪れ、その願いを聞き、力を貸す。それがわしの役目じゃ」

 自信ありげに龍神が深く頷く。

「それで朝栄が行ったところに住んでる妖に挨拶するって決めてるんだけど、結局ここに妖はいるの? というかいるよね?」

「なんでそんなに断定的なの?」

「いや、分かるから……」

「分かるからって……」

 龍神と同じように自信ありげに言ってみせるおかっぱに暁空は苦笑を浮かべる。暁空の向かい側で同じように店主も二人のやり取りを見て笑う。

「鼻がいいんじゃないんですか?」

 店主が言った。それに「いかにも」と龍神が答える。

「こやつの鼻は驚くほどにいい。その場所に行けば必ずそこに長く住む妖に会うことができる。それが間違いだったことはない。わしとて妖の気を感じることはできるが、こやつの鼻には負けるな」

「だからかー」

 龍神の説明を受けて暁空が納得した。そして、それと同時に襖の開く音がする。

「ねーねー、なんだか騒がしいんだけど、ってお客様?」

 現れたのはまれだった。その後ろで文多も控えめにつっ立っている。二人の姿を見て龍神とおかっぱが立ち上がり、二人に対して一礼をした。

「お初にお目にかかります、汰之朝栄水分神と申します。雨降らしの儀式により朝栄村より参上しました。以後お見知りおきを」

「……」

 龍神の言葉に、文多も正座をして深々と一礼を返した。おまけのようにして、まれも文多の隣に正座をし、続けて頭を下げる。

「これからそなたの住む土地を荒らしてしまうやもしれぬ。予め謝っておこう」

「……」

「すまぬな」

「……」

 文多は二回とも首を横に振った。龍神は優しい微笑みを浮かべ文多と二、三秒見つめ合うと、店主と暁空のほうを向いて挨拶をした。

「会いたい妖に会うことができた。感謝する。店主、あの神狼を大切にしてやれ」

「分かっています」

「うむ。じゃあ、今日はお暇するとしよう」

「え、もうちょっといいじゃん」

「馬鹿を言え。今日は家の片付けもせねばならん。早う帰るぞ」

「そーうだったー」

 龍神に引っ張られておかっぱが歩き始める。

 そして二人は本屋から立ち去った。

「じゃ、キリがいいから私もお暇しようかな」

「えー、もう帰るのー?」

「うん、帰る帰る。帰りに商店街通って帰ろ」

「コロッケ買ってくれる?」

「半分こでいいなら」

「けち」

「金欠なんですー」

「仕方ないなー」

 小さな口喧嘩をしながらまれは靴を履く。

「じゃあね、ぶんちゃん」

「……」

 手を振るまれに文多は手を振り返す。

 そしてまた小さな言い争いをしながら二人は本屋を去って行った。

「……」

「……」

 店主はつっ立ったままの文多を見上げた。文多も同じように座ったままの店主をじっと見つめている。

「……お茶、ほしいの?」

「……お願いします」

「……僕も飲んでいい?」

「じゃあ、縁側に移動しましょうか」

「……お店は?」

「大丈夫でしょ。私、お菓子出しますから」

「……分かった」

 文多は床に転がっている湯呑を手に取ると台所へと向かった。店主も襖の奥に入り文多の後を追った。そして文多はお茶を用意し、店主は戸棚からお菓子を用意して縁側へと向かう。

「いい天気ですね」

「……晴れだから」

「そうですね」

 縁側からは庭の梅の木が見えた。その枝をちょんちょんと跳ね回っている小鳥の姿も見える。今日は、そんな晴れの日。

 


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