【エター】ヒカルの碁 -relight-   作:エターなる

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前章 再臨編
一局目 輪廻


 貴方は運命というものを信じるだろうか

 

 貴方は神の存在を信じるだろうか

 

 私は信じている

 

 私が“彼”と出会えたのは神様によって導かれた運命───そう思えて仕方が無いのだ

 

 

 

 

 

 

 2068年、冬。

 かつて囲碁界に旋風を巻き起こした進藤ヒカルも、今では寝たきりの老人となってしまった。

 若い頃は「神の一手」を知るために、そして囲碁界から引退後は囲碁の普及を目指し奔走した、いまや伝説とまでなった棋士。

 その彼は、拗らせてしまった風邪が原因でベッドの上から起き上がれなくなるまで衰弱してしまっていた。

 周りには彼の息子や孫、かつてのライバル、囲碁の弟子達が居る。弁護士を通じて彼らをこの場へと集めてもらった。

 

 ヒカルは理解していた。今日、自分は死ぬと。だから彼らと別れの言葉を交わしたかったのだ。

 

 

 ───父さん……。

 ───今までありがとう。先に母さんのところへ行ってくるよ。

 

 ───おじいちゃん、僕、絶対プロの棋士になるよ!

 ───ああ、お前ならなれるさ。なんたって私の孫なのだから。

 

 ───……僕はあと20年は生きる。僕が向こうに行くまで天国の塔矢達と囲碁を打って腕を磨いておくんだね。

 ───ちぇ、お前は本当に20年生きそうだよ。……越智、若い連中は任せた。

 

 ───先生、いままでありがとうございました…!

 ───囲碁界の未来は君達若者の手にかかっている。あとは任せたぞ。

 

 

 一人一人に別れの声をかけたあと、ヒカルは深く息を吐き、瞳を閉じる。……とうとう、その時が来た。

 人は死の直前にそれまでの人生を無意識に振り返るという。

 ヒカルは思う。多くの悔いはある。しかしとても充実した、楽しい人生だった。

 ヒカルの人生を変えたのは囲碁だった。親友、好敵手、弟子、超えるべき目標、支えてくれた多くの人達、そして良き理解者であった妻。

 囲碁との出会いによって、彼の人生はとても充実したものとなった。もし来世があるのなら、彼は来世でも囲碁を打っているだろう。

 

 

 ───ありがとう、皆。さようなら……

 

 

 最後の力を振り絞り、別れを告げる。ヒカルの閉じられた瞳は二度と開かれることは無かった。

 

 

 進藤ヒカル。二十代で本因坊のタイトルを得てから引退するその時まで誰にも譲らなかった偉大な棋士。その偉業からただ一人“永世”の称号を許された名誉本因坊。

 2068年の冬、自宅にて永眠。囲碁と共に駆け抜けた伝説の棋士は、その生涯に幕を下ろした───。

 

 

 

 

 

 

 ───そして“彼”は目覚める。

 

 

 

 

 

 

 さて、これは一体どういう状況なのか。

 目の前でグズグズと泣く見覚えのある少女に、若干呆れた顔でこちらを見る──やはり見覚えのある御老人。

 私はそれを自分でも驚くほど冷静な目で眺めていた。ただし仰向けの状態で。

 

「ヒカル…ひっく……よかった……ひっく…目が覚めてよかったよぉ……!」

「やれやれ。こりゃヒカル! 何があったかは知らんが女の子を泣かしちゃぁいかんぞ! ほら、あかりちゃん、飴でもなめて落ち着きなさい」

 

 むくりと上体を起こし、二人を見る。……やはりどこかで見た顔だ。

 いや、訂正する。どこかで見た顔どころではない。その言い方はあまりにも他人行儀だ。

 そう、私は二人を知っていた。私の目の前にいるこの二人は──

 

「……あかり? じいちゃん?」

「ヒカル~」

「おう。どうした馬鹿孫、呆けた顔をして」

 

 ──目の前にいるのは、亡くなったはずの私の祖父と、妻のあかりだった。

 こ、これはどういうことだ!?

 

 

 

 

 

 私が目覚めてから一週間経った。

 俄かに信じがたい話ではあるが、どうやら私、進藤ヒカルは“過去”に戻ってしまったらしい。逆行とでも言えば良いだろうか?

 死んだと思ったら祖父の蔵で目覚め、しかも小学生になってた。まるで映画か漫画みたいな話だが、事実そうなのだから仕方が無い。

 祖父母や両親ともう一度会えたのは嬉しかった。前世では妻だったあかりともだ。……うん、彼女はこの頃から私に好意を寄せていたのだな。それがこの一週間でよく分かった。なぜ若い頃の私は彼女のストレートな好意に気付かなかったのか理解に苦しむ。

 

 あかり達ともう一度会うことは出来たが……“彼”と再会することは叶わなかった。

 私の師であり目標とする偉大な棋士──藤原佐為。どうやら彼はこの世界に幽霊として留まってはいなかったみたいだ。

 悲しくはある。しかし引き摺るようなことはない。彼は私の碁の中で生きているのだから。

 

 私が目覚めてから一週間、ずっと考えていたことがある。それは“どうやってプロ棋士になるか”だ。

 私の将来は棋士──プロの碁打ち以外ありえない。公務員やサラリーマンといった未来はどうしても考えられん。

 故に、かなうなら来年にもプロ試験を受け、プロ棋士入りを果たしたいのだが……問題が一つある。両親のことだ。

 “前回”は散々二人に迷惑や心配をかけてしまった。プロ入り前も、その後もだ。

 だから今回は出来るだけ二人に心配かけないよう、穏便に行きたい。私のプロ入りを安心して見送って欲しいと考えている。

 その為にはまず実績が必要だろう。『貴方達の息子は碁打ちとして稀有な才能を持っている』、それを分かりやすい形で二人に示さなければならない。

 私が囲碁に対し本気であるという姿勢を見せ、かつその道で成功出来るだけの実力があるということを両親に分かってもらう必要があるだろう。

 家族の理解を得られない者にプロ棋士を目指す資格はないと私は思うのだ。

 

「第1回子ども本因坊戦……本因坊か。やはりコレからだな」

 

 学校のパソコンからプリントアウトしたそれを見て呟く。来年新しく開設されるジュニア大会──子ども本因坊戦。その案内だ。

 ジュニア大会で一番有名な「全国子ども囲碁大会」への参加はまだ間に合うのだが、今は過去の記憶のすり合わせ等で大変に忙しい時期なので、残念ながら参加を見送らせてもらった。しかしこの大会なら問題なく参加出来るだろう。

 

 まずはここから始めよう。ここから私の新しい碁打ちとしての人生をスタートしよう。

 ……よし、そうと決まればさっそく準備だ!

 まずは囲碁好きの祖父を味方につけよう。祖父に私が本気で囲碁プロを目指していると理解してもらえれば確実に味方になってくれるはずだ。

 それと並行し学業に力を入れ、成績をあげていこう。非常に地味だが、両親の信用を得る方法としてはこれ以上の手はあるまい。

 

 さぁ、忙しくなってくるぞ───

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───あまねく神よ 感謝します

 

 ───私は今一度……現世へ戻る

 

 

 

 

 

 

 

 

 【平成10年 11月】

 

 

 ヒカルが“この時代”に戻ってから一ヶ月が経った。

 彼はこの一ヶ月の間に色々と行動を起こしていた。もちろん、それは囲碁プロになるために必要と思った行動のことだ。

 ヒカルはまずはじめに祖父を味方につけた。祖父の趣味の一つが囲碁であるため、自分の力を示したうえで『プロになりたい』と力説した結果、比較的容易にヒカルの味方になった。

 そして祖父をまじえた上で両親と交渉。資料を持って根気良く、そして丁寧に囲碁の世界について説明し、自分はその世界へ進みたいとヒカルは熱弁した。

 その真剣な言葉から囲碁に対する情熱を感じたのか、父親は「本気で考えてるみたいだし良いんじゃないか?」とヒカル側に回ってくれたが、しかしヒカルの母──美津子はそう簡単にうなずかない。

 それもそうだろう。美津子としては、ヒカルにはきちんとした職に就いてほしいと思っている。囲碁プロという特殊な職業よりも、公務員等の安定した、しっかりとした職業に就いてほしい……それが母親としての本音だった。

 さらに言えば、将来について考えるのが早すぎるのではないか?とも思っていた。ヒカルはまだ小学六年生なのだ。囲碁プロという一つの可能性に固執しすぎるのはどうなのか──それが美津子の意見だった。

 母がそう反応するだろうと思い、ならばとヒカルは条件を出す。

 

 一つ。高校までは確実に進学し、卒業する。

 二つ。高校三年生までにプロ試験に合格出来なかった場合、スッパリとプロの道を諦める。

 

 このような条件を出してきたことにより、美津子もいよいよ息子が本気で囲碁プロを目指しているのだと理解する。

 結局、美津子はヒカルの情熱に負け、その夢を応援することになった。この時、ヒカルは晴れてスタートラインへ立つことが出来たのだ───

 

 

 

 

 

 

「──それでやってるのがインターネット?」

「ああ。ネット碁なら自宅でも色々な人と打てるからな」

 

 カチ、カチ、とマウスをクリックする私と、パソコンのモニターを真剣な面持ちで眺めるあかり。

 私は今、自室にてネット碁をやっている。あかりは私に指導碁を打ってもらうつもりで来たのだが、私がネット碁で対局中のため、それを傍らでジッと見守っていた。

 家族への説得が無事終わった翌月の12月。ネット回線の工事がやっと終わり、自宅でインターネットが出来るようになった。パソコンもデスクトップ型のが用意されていた。

 これは両親が私のために購入してくれたものだ。

 あの後、お父さんなりに囲碁について調べたらしく、「これがあると便利なんじゃないか?」と冬のボーナスを使ってネット回線の契約とパソコンを購入してくれたのだ。お母さんは「ボーナスの半分が…」と予想以上の出費に涙目になっていたが。90年代のパソコンは高級品だからなぁ……。

 正直、これはありがたかった。私は家族の説得以後、休日に祖父と一緒に碁会所巡りをするようになったのだが、その時以外に碁を打つ機会が全く無かった。

 碁打ちとは碁を打ってなんぼ。ネット碁はデジタル碁盤上での対局でしかないが、それでも全く打たないよりかはマシである。

 

「ねーヒカル、アタシもちょっとやりたい」

「ネット碁?」

「うん。今の対戦、ヒカルの勝ちで終わったみたいだし。アタシもネット碁やりたいな」

「よし、少し待って。あかり用のアカウント作るから。ああそれと、対戦じゃなくて対局な」

 

 囲碁を始めた私に触発されたのか、あかりも最近囲碁を学び始めた。私が分かりやすく丁寧に教えたためか、囲碁の魅力にたちまち取り付かれた彼女は、休日の碁会所巡りにも同行するようになり、私と一緒に打つようになる。

 そのことで同級生からからかわれたりするが、私はまったく恥ずかしくない。むしろ公認のカップル扱いされて嬉しいぐらいだ。

 ……からかわれたあかりは顔を真っ赤にしてジッと俯くのだが、それがまた愛おしい。

 

 まあ、あかりと私の関係についてはとりあえず横に置いておくとして──

 

「IDに……パスに……よし、これでOK」

「はやっ! えっ、もう出来るの?」

「出来るよ。登録自体は簡単なんだ。さ、イスに座って」

「う、うん」

 

 あかりがイスに座り、マウスをグッと握る。緊張しているのか、息を呑む音がはっきりと聞こえた。

 それを見て私は懐かしさを覚えた。ああそうだ、私にもこういう時があった。あれは確か筒井さんや加賀と一緒に参加した海王の……。

 そういう風に昔を懐かしんでいると、あかりに対局の申し込みが来る。

 

「ヒカル、これって…!」

「対局の申し込みだね。受ける場合はここ──ここをクリックして」

「ここ?」

「そう、そこ。先番は…あかりか。それじゃ頑張って」

「う、うん……!」

 

 初めてのネット碁にあかりは興奮を隠せていない。……いや、ネット碁だけじゃない、私以外の人との対局自体が初めてだったか。あかりは碁会所でも私以外とは打ってなかったし。

 あーでもないこーでもないと騒ぎながらネット碁にはしゃぐあかりを見て、次は碁会所でも打たせてみようと私は心に誓った───

 

 

 

 

 

 

「──ありませんっ」

「ありがとうございました」

 

 12月某日。塔矢アキラは自身の父親が経営する囲碁サロンにて、とある少年と対局した。

 結果は……中押し負け。アキラの敗北でその対局は終わる。

 アキラは自分を破った少年を見る。少年もまた、アキラを正面からひたりと見据えていた。

 不思議な人だ、とアキラは思う。妙に古い型……定石を打つが、その棋力は本物だ。プロ棋士もかくやという実力をこの少年は持っている。間違いなく素人ではない。

 なのに碁打ちなら知ってて当然の“コミ”や“ニギリ”を彼は知らなかった。

 アキラがそのチグハグさに戸惑いを覚えていると───

 

「さぁ、時間よ。あなた病み上がりなんだから……」

「はい、お母さん」

 

 母親と思わしき女性とともに出口へと向かう少年。

 その少年に向かって、アキラは慌てて声をかけた。

 

「あ、あの! 次は、次はいつ打てますか!?」

「──お母さん?」

「えっと、トウヤ君…だっけ? うちの子、ここのすぐ近くの病院に入院してるの。今日はお医者様が外出許可を出してくださったからたまたま来れただけで、そう頻繁には来れないのよ……ごめんなさいね」

 

 「お医者様の話だと来年の春までには退院出来るみたいだけど」と息子の快復を喜ぶ母親。その言葉に周囲で見守っていたサロンの常連達が「おめでとう!」と母子二人にお祝いの拍手を送る。

 アキラも少年の快復を祝いながら──

 

「あの、今日始めてお会いしたばかりの人に聞くべきことじゃないかもしれませんが。……連絡先を教えてくれませんか?」

 

 と、訊ねる。

 アキラにとってこの少年は、初めて出会った同年代の好敵手。自分と競り合えるどころか、遥かな高みに居る存在。

 そんな棋士とこの場でこれっきりというのは避けたかった。

 何度でも、何局でも打ち合いたい──今、アキラはそう願っている。

 真っ直ぐすぎるアキラの問いに少年は頷き、母は「しょうがないわね…」と受付でメモとペンを借り、入院先の部屋番号や自宅の住所等を書き、それを渡した。

 

「ありがとうございます──」

「それじゃ私達はもう行きますね。……さ、帰りましょう」

「はい、お母さん」

 

 少年は最後に一度だけ振り返り、「また、来年の春に」とアキラへ告げ、囲碁サロンから去っていった。

 

 

 

 

 

「ああ……来年の春にはきっと、また打とう。フジワラ サイト君───!」

 


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