学校からの帰り道、いわゆる不審者の男を見た。
季節は冬で少し雪で隠れた道路を歩く足取りはただの酔っ払いで、どこか遠くを見つめる不自然な瞳は悟りを開いた坊主のよう。
いやに静かな、雪の降る夕方だった。
家に帰ると、嗅いだことのないニオイがした。
それは鼻の曲がるような臭いで、どこかあたしの心を誘惑するような匂いだった。
ふと足元みると、いつも家族で団欒するリビングのドアの隙間から赤い水たまりができていた。恐る恐るドアを開けてみると、
ああ、なんて事だ。
臓を引き摺りだされ、そしてグチャグチャに噛みちぎられた父だったモノ。
顔の皮を剥がされ、胸が片方千切れかかっている母だったモノ。
頭蓋を割られ、頭から脳漿を垂れ流している弟だったモノ。
何処にでもある幸せなごく普通の家庭の姿はそこになく、
不幸をこれでもかとというくらい表した地獄があった。しかしあたしはそれを見て、
ーーーーーーーー美しい。そう思った。
今まで全く芸術品などに興味がなかったのに。子鹿のように震える足で、肉の塊に成り果てた父の元に行き、剥き出しの臓物をなぞり、そして血のついた手で自分の唇もなぞった。初めて、自分をおめかしした。
「クヒっ」
嗤いが漏れる。直感でこの芸術を創り上げたのは先程見た不審者の男だと分かった。尊敬と憧れをもってあの男を『先生』と呼ぶ事にした。
音一つ聞こえない紅い紅い雪が降る日の、
「私」が生まれた、幽かな夕暮れ。
/職人願望
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私は日野森 澪。地方の中枢都市某所の芸術大学に通う学生だ。昔から絵を描くのが好きで、将来は、イラストレーターをぼんやりと目指している。普段は真面目に授業に取り組む健全な学生だが、今は駅前に来ている。先程健全な学生だと言っていたのになぜこんな所にいるのか。なんてことはない。ただの休日だ。今日は友達と駅前にできたという、パンケーキ屋さんに行くのだ。時刻は午前9時45分。待ち合わせの10時より少し早く着きすぎたので、こうしてベンチに座って友達を待っている。途中のコンビニで買った雑誌を読みつつ時間を潰していると、待ち合わせより15分遅れて走ってきた女の子が1人。
「ゴメン澪!待った?」
と申し訳なさそうにこちらを息を切らしながら見ている可愛らしい女の子が私が待っていた友達、早見 佳織だ。彼女も私と同じ大学の同級生で、わざわざ都会からこんな地方の無名の学校に入学した物好きだ。なんでも、こういう所の方がインスピレーションが沸くのだとか。佳織は基本的にダメダメな生活を送るダメ人間だが、そんなんでも才能はあるようで、昔何かの賞を取ったらしい。確かに佳織の作品は独特の世界観があり、評論家の間でも賛否両論分かれるらしいが、これからが期待される芸術家の卵だ。特に才能もなく、イラストレーターになれればいいなぁと地元の手取りばやく入学できる芸術大学に入った私とは大分差がある。実力的な面でも、意識的な面でも。
「いや、大丈夫だよ。待ったのも15分くらいだし。いつもよりはマシさ。」
「なにそれ〜。あたしがいつも遅れてるみたいじゃない〜。」
「その通りだ。少しは速く来ようとしろ。」
他愛のない話をしつつ、目的のパンケーキ屋さんへ向かう。到着してみれば、中々洒落た店だった。オープンしたてで話題になっているのか、そこそこ客はいるが2人が座れる余裕はあるようだ。
「うーん澪はなににする?」
「私はこのイチゴパンケーキミックスにしようかな。」
「じゃあ私はこのデラックスクリームアンドクリームパンケーキブルーベリーのせにしよー!すみませーん!」
「おい待て、なんだその名前だけで胸焼けしそうな極悪パンケーキは!?他のにしておけ他のに!あっ待て注文するな!」
結局佳織の注文を止めることはできず、私の前にはパンケーキ2枚に生クリームとイチゴが適量のっているごく普通のものが、佳織の前には6枚のパンケーキにそれを隠すようにクリームを塗りたくられ、その上に申し訳程度のブルーベリーがのっている皿がテーブルに並べられた。
「むふふー。いただきまーす!。」
「はぁ、いただきます。」
「んー!あっまーい!これはもはや凶器だね!人を殺せる凶暴的な甘さだよ!」
「そんなこと分かってただろ。どうするんだよ、この後のお昼ご飯。そんなの食べて入るのか?」
「んー、わかんない。でも大丈夫だよ。」
「何が大丈夫なんだか…。」
その後もパンケーキを食べながら世間話をしていると急に佳織が話を振ってきた。
「澪ってさー。確か尊敬してる人がいるって言ってたよね?前にチラッと話してたけど。ねぇ、その人ってどんな人?男の人?女の人?なにしてる人なの?」
「あー、そういえばそんな話もしたっけなぁ。男だよ。なにしてるかはわかんない。けど、すごいセンスいい人だった。」
「えー、それだけ?なんか他に知らないの?」
「他と言われてもなぁ。特に後はなにも知らない。」
「調べてみようとかは?」
「名前も知らない人を調べられるか。」
「さみしーなー。澪は。まぁいいか。ところで澪。今日のお昼どこで食べるか決めてる?」
「ん?いや別に決めてないけど。」
「じゃあさ、ウチで食べない?私作るからさ。」
「いいよ。でも佳織が作るのか?作れるのか?」
「あっ、ひっどーい!ふーんだ。澪はがとびっきり驚いちゃうの、作っちゃうからね!」
佳織の家はマンションだ。なんでも前に取った賞の賞金で買ったとか。マンション買えるほどの賞金ってなんの賞だよ。
「どうぞー、入ってー。」
「おじゃましまーす。」
佳織は芸術家の卵だけあって、部屋のセンスも独特だ。なんかこう、来る人を拒むようなイメージがあるが、本人曰く、そんなことはないらしい。手を洗うために洗面台に向かう。石鹸を使ってよく手を洗い、うがいをする。最近は胃腸炎が流行っているらしいからこういうところはしっかりやっておく。
「澪ー。タオルの場所わかるー?」
「大丈夫ー。」
よく佳織の部屋には遊びに来ているので、タオルの場所くらいはわかる。戸棚をあけ、タオルをとる。
「澪ー。」
「なんだー。」
「ごめんね。」
なんだ?ごめんねって…。
バチッ!
っ!?なんだ今の衝撃は?ああ、ダメだ。だんだん意識が遠のいて…………。
クチャ、クチャ、ジュルー。
ん、むっ。なんだ。なにが起こった……?
「あ、目が覚めた?おはよー澪。」
「佳織?なにがあって……。」
目が覚め、佳織の声がし、周りをふと見てみると違和感のある右腕。恐る恐るみてみると、
「っ!?ああああああああああっ!?」
ないっ!わた、私の腕!!なんで!?どこに!?
「か、佳織!私の、私の腕は!?」
「んー?私のお腹。」
え?お腹?
「な、なにを言って……。」
「なにって、お昼ご飯だよー。ウチで食べるって言ったじゃーん。」
「お、お昼ご飯?なにが?」
「澪が。」
もう全く理解ができない。確かに佳織の家でお昼ご飯を食べるとは言ったが、食べられるとは言ってないし聞いてない。佳織のお腹の中にあるという右腕も痛みは感じないが、強烈な違和感がある。
「じょ、冗談だよね?」
「もうー。澪ったらー。冗談な訳ないじゃん。冗談で右腕食べる?澪ってそんな変な笑いのセンスだったっけ?」
「なんで?」
なんでこんなことするのか?もう私は混乱でその後の言葉が続かなかった。それに答えるように佳織は話す。
「ここ最近さー。なんか話題になってなかった?連続猟奇殺人事件って。あれやってるの私なんだー。」
「猟奇、殺人?」
「そうそう。身体の一部が毎回噛みちぎられた様子があるーってやつ。知らない?」
もちろん知っている。この街でその事件を知らない人はいない。ここ最近はそれのせいで夜に出歩くことが禁止されたほどだ。それを、佳織が?
「澪さー。尊敬してる人がいるって言ってたじゃん?そーゆーのさー、私にもいてね?高校の時に見た私の家族を食べ散らかした人。もう先生のさー。あ、先生っていうのはその食べ散らかした人ね。その先生の食べた後って本当に綺麗なんだよ!澪にも見せてあげたかったなー。もう私あれから先生に憧れちゃってさー。」
そう言いながら私に近づく佳織。そういえば佳織から家族の事について聞いたことはなかった。それが殺されていたとは。しかし、なんで佳織はそんな家族を食べらような奴と同じことを?
「言ったじゃん。憧れたって。私ー、先生みたいになりたいんだー。あんな風にきれーな作品作れたら、きっと嬉しいんだろーなー。」
もう分かんない。佳織の言ってること。やってる事。佳織が、分かんない。逃げなきゃ。ここから速く!でも、動かない。縛られてるわけじゃないのに体が動かない。
「あー、逃げようとしても無駄だよ?麻酔打ってるから動かないはず。まぁ、痛みもそれで分かんないでしょ?」
逃げれない。佳織が言ってる事が本当なら。ここで死ぬ。なにもする事なく、無駄に、意味もなく、死ぬ。
「んー、澪はいい匂いだねー。食欲をそそるよ。名は体を表すってね。私はニオイを嗅ぐの好きなんだー。それで気分が変わるね。」
もう、どうでもよくなってきた。この短い間の会話で分かってしまった。佳織を説得する事はできない。佳織は私を食べる事についてなんとも思ってない。なにも思ってない人間を説得する事は、不可能だ。
「ほらー、いま足食べてるよー。わかるー?ありゃりゃ。澪ってばもう聞こえてない?まだお別れの挨拶してないのに。」
「私も、あたしも、澪の事大好きだよー。だから、実験の最後が澪でほんとーに良かった!大丈夫。澪の事は絶対に忘れないよ。私と一緒になろう?」
「澪、大好きだよ。」
わたしも、かおりのこと、すきだよ?
「ありゃりゃー。またですよ、沙条さん。今回で5件目です。連続猟奇殺人事件。今度は若い女の子です。段々と慣れてきたのかかなり綺麗な死体らしいです。えーと、いつも通り全員共通に食べられてるのは片腕片足。1人1人の食べられた部分は」
「心臓、だろ?」
「その通りです。また当たった。沙条さんこの犯人と知り合いなんじゃないですか?」
「バカ、そんなキチガイ、知り合いにいない。失礼だな。別に、大したことじゃない。今まで目、脳、性器、肋骨と食われていればいやでも人体の霊的な部分を狙っているのは分かる。ここまでくればあとは心臓しかあるまい。順番も、ただの霊的感覚が強い部分を順々に食っている。誰でも少し考えれば分かることだ。」
「そんなもんですか。じゃあ次は?」
「バカ、アホ、タコ。そんな不謹慎な発言は慎みなさい。」
「ぐ、すみません。でも、気になるじゃないですか!この犯人、死体職人みたいなところありますし!」
「はぁ、全く。次はないよ。霊的感覚を感じる要所はもうない。」
「え?そうなんですか?じゃあもう事件は起きないと?」
「そういうわけではないだろう。何があってなのかそんなスピリチュアルな部分を狙っていたのかわからないが要は実験だったんだろう。これからは恐らく、被害者は骨すら残らず食われるだろうな。」
「ええ!?マジですか……。はぁ、ってことはまた仕事増えますね。この件でもう、カウンセリングの依頼こんなにきてますよ。」
「仕事が多いのはいい事だと世間的にはそういうが、警察と医者とカウンセラーの仕事が多いのは考えものだな。」
「どうします?いくつか断りますか?」
「そんな事ができるか、たわけ。全部引き受けろ。はぁ、謎の遺書を残した優等生の不思議少年。この前会った16人殺しの殺人鬼。そして人を喰らう食人鬼。この街は終わりかもな。」
「まったくです。しかし、なぜこの街はこんなにも不思議事件が起こるんでしょう?」
「さあな。ただの偶然か、或いは…。」
「或いはなんです?」
「なんでもないよ。さぁ、仕事だ。」
/職人願望 (食人願望)・了
どうでもいいですが、パンケーキは想像です。普通じゃね?とかでしたらすみません。感想、評価、批判、誤字脱字報告、よろしくお願いします。