モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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其の肆

 ジルバが羅針盤を失ってしまい、幸運にも邂逅した少年、アルフレッドの羅針盤と地図によって深夜になったが、帰ることが出来た。帰り道、三人は疲労のせいか、ほとんどを無言で過ごし、半ば他人一人と二人という奇妙な関係でいた。

 到着すればすぐに眠りにつくという意見で合致し、アルフレッドはジルバ宅を一時の寝床とした。借家の準備はまだ少々、時間がかかるようなのだ。

 朝になれば、深夜に帰って来ていたことが村中に知れ渡っていた。少々遅れた帰着ではあったが、依頼は無事に達成している。僅かな不安を残してだが。

 そして、今、毎日が殺風景で静まり返っていたジルバ宅には明るい色が付き、一回り賑やかになっていた。

 

「あ、どうも」

 

 ジルバの向かい側に腰掛けたアルが差し出されたお茶を一口飲んだ。その隣にはいつも笑顔で活発なエレナが座っている。彼女も同じく茶を飲み、ふぅ、と心地よい息を零した。

 積み上がった疲労が回復し切った様子はなく、長旅を終えたばかりのアルもまた疲労の色は消えてはいなかった。言うまでもなく、人一倍にジルバの疲労の色は濃かった。

 会話は彼がジャンボ村の専属ハンターと成るため、ここを訪れたというまでに至っていた。

 

「それで、アルはどこから来たの?」

「ここからずっと北にあるフラヒヤ山脈のポッケ村から来たんです」

「ほえー。寒いところだねー」

 

 エレナの間抜けな反応にアルが静かに微笑んだ。

 気付けば、エレナは親近そうな口調で壁を隔てずに話している。その他人の心にぐいぐいと踏み込むのは流石だ、と言うべきか否か。ジルバも人付き合いは良く、顔の筋肉が緩んで温厚な顔つきになった方なのだが、やはり年齢の差は埋まらないのだろう。彼は未だ身を引き気味だが、すんなりと言葉を交わせるまでに至った。

 会話が進む中、エレナがふと疑問に思ったことを投げかける。

 

「あれ? 私たちがいた所ってここから南東だよね? 海路でも陸路でもそこって通らないんじゃ……」

「あ、実はですね……」

「難破、じゃろうな」

「あ、はい。その、すごい嵐に巻き込まれてしまって……山を越すにも食べ物とか道具とか無かったので仕方なく……」

 

 エレナは「なるほどー」と納得した様子で頷いた。

 彼女は簡単に「嵐」という単語を流すが、ジルバは沈黙して思いを巡らせた。この「嵐」が気がかりで仕方がなかった。天気に不測は付き物だが、問題視するのはそこではない。あの土砂崩れの時の直前の、轟音と衝撃。あれは尋常ではなかった。正しく、天災足る象徴が起こした何か。

 そして、何よりあの時起きたジルバの中の不一致。一抹であるが、確かな違和感があった。

 

(さて……どうしたものか)

 

 思い耽る中、彼の思考は突如断たれた。

 

「ジルバさん?」

 

 エレナの顔が突然、眼の前に現れてジルバはハッとした。

 

「スマンな……で、どうした?」

「ナルガクルガが居た理由が分からなくて、だって、可笑しくないですか? ギルドからの目撃情報も無かったし、あの辺り嵐だったし」

「あぁ、それならむしろ納得がいくぞ。ワシ達が今回狩ったドスファンゴ達が北上してきた理由じゃ。恐らく、好戦的なナルガクルガに追われておったのじゃろう」

 

 これもまた「なるほどー」と言ってエレナは納得した。彼女のこういったハンターとしての意欲をジルバはいたく感心していた。教え甲斐があるというものである。

 果たして隣の彼はどうか、と見つめる。弱気で引っ込み思案な言動の数々。人間を優に超える膂力や体躯をもった兇悪なモンスターに立ち向かうこの職業はやはり、精神的な面において様々な条件が問われる。エレナを助ける際に見せた技術は見過ごせない力を感じるが、それも強い精神が伴ってこそ発揮するもの。今の彼にはハンターという職を好んでいるかどうかという根本的な問題でさえ疑わしい。

 ジルバは悩んだ末、やはり、命と優しさは天秤には掛けられまいと密かに決意する。

 すると、暫くした後で玄関の扉が開いた。またジルバ宅が一段と賑やかになる。

 

「いやー、すまない。会議が長引いてね……」

「こんな朝から会議なんですか。お疲れ様です、村長さん」

「いやいや……で、話はその会議の事なんだけどね……」

 

 声の色と面持ちが一転し、場の和やかな空気が去る。

 アルが退いて空いた席に溜息を一つついて村長が座り、尖った耳を掻いて話を切り出した。

 

「君たちは昨日まで嵐に巻き込まれていただろう? あの原因が分かったんだ」

「原因? えっと、嵐のですか?」

「うん。実は先の会議はこの突然変異ともいえる巨大な嵐についてなんだ」

「原因といっても天候じゃ仕方がないって言うしかありませんよね」

 

 と、席の後ろで立つアルが口を挟む。

 

「いや、それが違うんだ。しかも、君たちにとって、いや、大勢の人にとって重要な話なんだよ」

「大勢の人?」

「重要なことって……」

 

 湯気が立つ湯呑を村長は傾かせて、また静かに置くとその面持ちは一層険しくなってゆっくりと口を紡いだ。

 

「その名は君たちも一度は耳にしたことがあるだろうね。その生態、形態は極めて異質であり、謎で、その力は天災にも匹敵すると言われている。古龍――鋼龍、またの名をクシャルダオラ」

「クシャルダオラじゃとッ!?」

 

 今まで口を少しも開けなかったジルバが突然、立ち上がり逆上したかのように声を荒げる。性に合わない驚きように、いや、それ以上に怒鳴り声のような声量に皆の体がびくり、と震える。

 怖がるアルを気に留める余裕もなく、驚愕と焦燥の表情でジルバは机に手を押し付けたまま、村長を睨むように見つめる。

 その眼は真偽を問うていた。

 

「この情報に間違いないよ。現に僕は古龍観測隊の人からこの情報を受け取った。今は警戒態勢で治まっているけど、非常事態宣言を出された村や街も少なくないらしいよ。この辺りの狩猟場も勿論、禁止区域に指定されたみたいだし」

「……鋼龍が。だが、なぜじゃ? 古龍観測隊がミスをした訳ではあるまい」

「うん、もちろん観測隊に不備はなかったよ。でも、原因はまだ分かってないらしい。観測隊といっても古龍の感情までは読み取れないしね。今解っているのはクシャルダオラが突然、進路を変更したことだけ」

「奴は寒帯や熱帯などの環境を好む筈。この辺りを好き好んで来るわけではあるまい……何か理由があるはずじゃ」

 

 勢いよく巡るジルバの思考に茫然と見守るエレナとアル。蚊帳の外にいるのが、嫌で堪えきれなくなったエレナが無意義な疑問を零す。

 

「その……クシャルダオラについて良く知ってますね。ジルバさん」

 

 その言葉にピクリと反応したジルバは何処となく遠い目をするのだった。

 

「……あぁ、知っている。ワシはよく、知っている」

 

 意味深に吐かれた言葉。吐いた本人の遠い目には果たして悲愴が映っていた。

 

 

 

 彼が映した景色は過ぎ越し方の老山龍迎撃戦だろうか。

 瞼を閉じる。そうすると、瞼の裏には過去の景色が映っていた。

 彼にも若い時代があった。多くの仲間に囲まれ、日々を過ごした数々の思い出。だが、しかし、その日々は血塗られていて、決して穏やかではなかった。振り返れば、血塗れの道が続き、亡骸が無造作に転がっている。

 いつしか、周りの人々の顔は黒く塗り潰されていた。彼らの声もノイズ混じりで何を喋っているのかわからない。しかし、分かるのだ。その声は自分に恐怖、慟哭、憤激を訴えている、と。

 そうして、目の前が真っ暗になる中、突如として透き通った架空の、しかし、聞いた事のある声がする。

 自分を暗闇の底から助け出してくれた愛しい声だ。

 

『――貴方。今日も頑張ってね』

 

 懐かしい。狩りに出る時、彼女はいつも玄関でこの言葉を言って、見送ってくれていた。これを欠かした記憶はない。

 真っ暗だった世界は急展開を見せ、若かりし頃の自宅の玄関に立って居た。そんな玄関でジルバの目の前には愛すべき妻の姿があった。穏和な雰囲気を持ったその女性に視線を向ける。故意ではない。自然と向くのだ。

 

『――ねえ、貴方。子どもの名前、どうしようか?』

 

 幸せに満ち溢れた生活。全てが懐かしく、愛おしい。鮮明に窺える彼女の顔は嬉々としていて心に温かい何かが流れ込んできた。

 子どもを抱き、笑顔をこちらに向ける。静かに眠る子どもを夫婦二人で期待を込めて見つめる幸せな日々。彼はどう育ってゆくのだろう。自分が狩人に育て上げると断言した時、彼女はどんな顔をしていたのだろう。

 

――しかし、そんな幸せは唐突に崩れ落ちていって、残ったのは悲愴。

 

 絶望が訪れ、それを追いやっても、仲間が死に、親友が死に、家族が死んだ。

 一人取り残された自分は行き場を失い、人生の最大の夢だったはずのハンターを辞めるに至った。

 

『ねえ、貴方は――』

「――分かっておる……分かっておるんじゃ……」

 

 関わってはいけない。もう辞めた筈なのに。自分は不幸を呼ぶ疫病神だ。

 『黒狼』と暗に罵られ、天涯孤独を決めた筈なのに――どうして、また、「この道」を選ぶのか。

 顔を黒く塗り潰された人型の影がノイズなしに怒号する。混沌とする景色の中、過去の記憶だと理解していながら、ジルバは返事をした。

 

「そうじゃな」

 

 自分を見下したような、諦めたような一言。しかし、次の瞬間、その眼には悲しみは映っていなかった。

 

「でも、もう一度だけ。もう一度だけやり直したいんじゃ……だから、許してくれ」

 

 その言葉と共に彼が映していた景色に霞がかかってゆく。黒く塗り潰されていた顔は、今は鮮明な笑顔で見える。自分を囲んでいた人々は霞んで消え、最後に一人、最愛の妻は満面に笑みを浮かべて光となって消えた。

 それを見たジルバは、瞼を開き、現実に戻るのだった。

 

「さて……忙しくなるのう」

 

 そう悪態をつくように、でも、不思議と嬉しそうに呟いて、体を命一杯に伸ばす。

そうして、机に向かい、羽根ペンを走らせた。

 書き始めたのは旧友への手紙。届け先は大陸の中心に位置するドンドルマの古龍観測所である。


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