ランポスらが逃げ去った後、エレナが狙撃手と出会うのはほんの少しした後だった。
見る限り、新人であるのは間違いなかった。扱う武器はロングバレルと可変倍率スコープを取り付けた弩、名をショットボウガン・白という。身に纏っているのはギアノスから取れる素材を基調とする防具一式だ。
格好だけでなく、その性格からも新人とエレナは見て取れた。か細い、消えてしまいそうな声で喋り、自信なさげに言動する。熟練の狩人であっても、弱気な者は多からずいるが、彼からはその雰囲気は感じられない。年はエレナとそう変わらない様子だ。
何度も視線を逸らしては、おどおどとする態度に内心で溜息つきながら、エレナは手を差し伸べた。
「とりあえず、ありがとうございました。お蔭で助かりました」
「あ……いえ、そんな」
相変わらずの返事に言葉が出てこない。気を遣うより先に対応に困ってしまう。良い雰囲気とは言えないものの、悪者ではないということは確かだ。ハンターの世界も腐っていて、助けることで信用させ、詐欺に引っ掛けるというハンターもいるのだ。
それよりも、今は一刻を争う事態だ。意に関係なく、行き別れた者と合流しなければならない。最悪の事態は絶対に避けたい。
どうにか彼に助けを願いたい。そう思い悩み、言葉を選ぼうと性に合わないことをしていると、予想外にも彼が言葉を寄越した。
「お困り……ですか? こんな僕で良ければお助けしますよ?」
「あっ、え。いいんですか!? 是非、おねがいします!」
思わぬ出会いが幸運か悪運かに転ぶか分からないが、どちらにせよ一度命を救われた身だ。もう一度、助けてもらうのは最早、悪い気もしてくる。
早速、現状の説明をかねて話を切り出そうとするが、大事なことを一つ忘れかけていた。彼は私の、私は彼の名を知らない。
「エレナです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。アルフレッド=ヴァイスです。アルって呼んでください」
良くなりつつある雰囲気を繋ぎながら、現状の説明を簡潔に行う。ドスファンゴの狩猟に来たこと。そこで土砂崩れに遭いジルバと別れてしまったこと。そして、彼と合流するための手段を考えていたこと。
全てを話し終えた後でアルの意見を訊ねたところ、思わぬ返答が返ってきた。
「それでしたら、信号弾を使いましょう。きっと気付いてくれるはずです」
「ホント!? アルさんがいて本当に助かりましたぁ」
アルは皮袋の中を探り出し、一つの球を取り出して背負った弩を構える。慣れた様子で装填した。銃口を青空へと向け、引き金を引く。火が噴いたかと思えば、球が銃身から飛び出し、煙の尾を引いて青空へ上がった。青い空には赤がよく目立つ。
これならきっと、彼も気付くだろう、エレナは内心でほっとしていた。その思いを汲み取ってか、アルも微笑む。
「良かったですね。これできっとその人も……」
「っ!?」
突然、途切れる彼の声。その原因をエレナは理解していた。
強大な生物の気配。直ぐそこにいる。小型では有りえない威圧感と殺気は一瞬にしてこの場を差し迫らせた。
どうやら、彼の打ち上げた信号弾はお呼びでない客を招いたようだ。
一瞬にして静謐に包まれた辺りは緊張で張り詰め、突然の危機に彼らの心拍数が跳ね上がる。
逃げなければ、本能がそう告げていた。
エレナは恐る恐る視線を動かし、木陰の奥を覗いて――闇の奥に秘める紅い双眸を見た。
転瞬、体が第六感で動き、アルを押し倒すようにして地面に身を投げ出す。
「わっ!」
直後、黒い影が二人の僅かに頭上を過ぎった。
慌てて起き上がり、赤い二つの光跡を目で追うが、それは確かな殺気を孕んで、再び跳んだ。
目で追うのも苦労する。
(早っ……!?)
迫る開かれた口。エレンはその奥の暗闇に死の象徴を見た。
彼女を喰らおうとするその須臾に――瓦礫の山から跳び上がった影が漆黒の竜に飛び乗り、乱暴に押し止めた。
ナイフを突き刺し、振り落されまいと力の限りしがみ付く。体を滅茶苦茶に振り回された挙句、ナイフが抜けて、体が宙を舞う。だが、受け身を取って体勢を正す。
その後ろ姿を見たエレナの歓喜と仰天の声が上がった。
「ジルバさんっ!? 一体どこに……」
「話は後じゃ! 目の前の敵に集中しろ!」
喝破を受け、視線を敵へと移す。
名と風貌は一度だけ耳にしたことがある。飛竜の一種とされる大型モンスター、名をナルガクルガ。飛竜種にしては奇抜な動きを見せ、その機動力と速度から迅竜と恐れられた。また獰猛でありながら狡猾で好戦的な性格の為、一般人に限らず狩人もこれを恐れ戦く。
自分の動きを阻害する物を無くす為、甲殻を捨て、漆黒の鱗と体毛で攻撃を受け流す特殊な体の作りを持ち、更に骨格と筋肉はしなやかな身体つきにさせ、闇夜を好みそして潜み、敏感な聴覚で獲物を捉える。正しく、空を失ったのではなく、地を選んだ夜の狩人という訳だ。
奴の俊敏性は先の奇襲で身に染みて感じた。未だ隠し持つ前脚の刃のような翼や伸縮自在の長い尻尾は瞬殺し得るほどの得物だ。
何にせよ、この現状で互角に戦える相手ではないことは至極明瞭。
「無理に戦おうとするな。生きて帰る事が最優先……良いな?」
「はい」
「わ、解りました」
ジルバの声から現状の危険性が計れる。かなり絶望的らしい。
ナルガクルガは爛々と赤眼を光らせ、尻尾を地面に叩き付ける。それが奴の威嚇を示す動作だとエレナは判断する。
新種なためにあの赤眼の原理を未だに解明されていないが、充血の説が有力らしい。しかし、そんな余談など今はどうでもいい。
エレナは頭を振って思考を切り替えた。最近、不幸ばかり続くという雑念を頭の隅に置きながら、警戒は怠らない。
「グルルゥゥ……」
唸るナルガクルガははたと何かに気付いたのか、素早く体を向けた先にいたのはジルバだった。
四本の脚が地から離れ、あっという間に肉薄する。一身に殺気を受けながら、微々たる恐怖も見せないジルバは前脚を見事に掻い潜った。身体ごと回転し、尻尾を鞭のように振るう。これを避けながらナルガクルガに接近し、空いた空間に走り込んで、やり過ごす。
更にそれだけでなく、即座に反撃へと転じて、迅竜の頭部をハンマーで殴り付ける。
この一撃に怯んだナルガクルガは後方に退くが、殺気は猶も揺るがない。懲りずに跳躍した。難なく横に飛んで避けたが、咄嗟に敵の意図を察知し、ジルバが指示を送った。
「避けろ二人共!」
ジルバの横を通り過ぎて尚、勢いを止めない。その狙いは端から後方で立ち尽くす初心者で、未熟な彼らには突飛な強襲と成り得たのだった。
咄嗟の指示に二人は反応できず、まだ苦痛の声をあげる暇もなく、華奢な体は黒い影と重なり、弾き飛ばされた。地面を四回転ぐらいしてから柱と衝突して倒れ込む。また一方はその付近で動かなくなった。
「浅はかだったか……!」
反省は後回しに、ナルガクルガに追撃はさせまいと素早く駆け寄る。雑に一振りして、牽制し、ナルガクルガとエレナ達との距離をなるべく遠ざける。
そんな意図を悟ってか、尻尾を高く上げて振り回し、黒い小さな棘を飛び道具として飛ばしてきた。ジルバは持ち前の動体視力でこれを危なげなく回避しつつ、エレナ達とナルガクルガの距離を見計らう。
このままでは不利だと判断したジルバは一手仕掛けるべく体調を確認し、まるで、体を労うように見つめて、今一度、固く柄を握りしめた。
多少だが、強引に体調を良好と見て、唇を決意の形に結ぶ。
「……十分だ、戦える」
心許ない鯨波。しかし、その言葉に内包される力は如何なものか計り知れない。
事実にも、彼の纏う空気は一変していた。熱情に溢れながらも漠然と清々しい雰囲気は塗り替えられ、脅威を秘めた冷静沈着で恐ろしささえ感じられる。
極限まで張り詰めて緊迫した空気は突如として破られた。先に動いたのはジルバだ。
駆け出し、ハンマーを横一線に薙ぐ。飛び退いてこれを避けたナルガクルガは間を入れずに飛びかかる。襲ってくる体を捻って躱し、側面から飛び込んで一閃。しかし、これは空を切る。
瞬く間が空き、ナルガクルガが再跳躍。早めに転がったジルバが攻勢に突入し、鉄鎚を振り上げる。インパクト面で火が爆発、燃え上がった。
だが、この一撃を平然と受けたナルガクルガの赤眼の視線がジルバを射抜く。体を捻り、鋭い牙が並んだ口を開いた。
「ガルァアッ」
怒気の声。だが、心積もりの詰めの一手は難なく終わる。首の下を潜り抜けたジルバは左前脚を殴打し、踵を返す。
直後、横に振られた首、その喉に突き出された柄尻が強烈な圧力で食い込む。まるで、この切り返しを予期していたかのように柄尻はそこにあったのだ。
気管への衝撃は思いもよらない激痛を起こし、喘息が漏れ、ナルガクルガは悶絶する。
その弱みから捻り潰すような、非情な追撃をジルバは繰り出した。前脚に痛烈な打撃を打ち当て、喘ぐ最中の顔面を打っ飛ばす。怒りの執念で筋肉が収縮させ、爆発させ、切り裂きにかかる。だが、正確性はなく、ジルバは体を横に逸らして回避する。
「ハァ……ハァ……フーッ」
動悸が激しくなってゆく。胸が苦しい。そろそろ、体が悲鳴を上げ始める頃合いだ、と察する。
(残された余力は少ない。だが、出し惜しみは出来ん。ならば……残るすべてをこの一瞬に使うのみ!)
憤りの形相で呼吸を整えるナルガクルガは窺い知れぬ筋肉を再び、収縮し始め、十八番の跳躍をジルバに予見させる。その気迫と溜めの長さから極大の速さを予測し、ジルバは全ての挙動を見張る。
場が静まり返り、風が頬を撫で、ゆっくりと流れる雲が二人を覆った瞬時、地を蹴る。果たして、先に動いたのは又もや、ジルバだった。
少し遅れて、溜めた力を解き放ち、ナルガクルガが影も追いつかぬ速度で地を蹴る。赤い余光が黒い影を猛追し、駆け抜ける。最中、好機と見たナルガクルガがその身を躍らせた。
迷う余地はない。しかと見開いた眼に兇悪の貌が映る。思い切りの勢いを利用し、足から飛び込むように転がり込む。
いつもより高い高度。最大限の跳躍であるが故の盲点。ジルバは確かな観察力と冷静さでそれを見切った。
ナルガクルガの身と地の、空き過ぎた間へと潜り込み、得物を晴れ空へと突き上げた。
僅かに浮き上がる黒い躯。そのズレと状況がぴたりと重なり、ある一点の域を超して、人の身体を優に上回る巨躯をひっくり返すまでに至った。
巨大な擦過痕をつくり、大量の水飛沫を上げ、地に伏せる。足は地を探して、暴れ回り、その様子を辛そうな面持ちで振り返って見たジルバが潮時を知覚した。
「二人共、逃げるぞ! 走れッ!」
得物を背負い、激しく暴れるナルガクルガの真横を走り過ぎて、やがて、背を向ける。
慌てて立ち上がった二人も若干に後ろを振り返りながら、走り進んだ。
それから先はただひたすらに走り続けた。迅竜の気配が消えようとも走った。目標のない逃走は彼らの限界に行き届くまでに至ったのである。
そして、来た道を振り返り、各々が思いを馳せるのだ。
少年、アルフレッド=ヴァイスは煮え返る熱情を、少女、エレナ・ヴァーミリオンは快哉に似た武者震いを。そんな最中、老齢の狩人、ジルバ・セイブルはこれを機に、将に来たらんとする時節を見据えて、心胸に誓うのだ。
再び自分を洗練し直すと。忘れかけていた狩りへの覇気を取り戻し、全盛期の自分へと一歩でも近付こう。朽ち果てた筈の身体を鍛え直し、脅威へと挑もう。全ては若者の為に、そう願って。
一度は世から「錆び果てた剣」を磨き上げるのだ。