モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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其の参

 唸る咆哮に、木々の振動。

 豪快に振るわれた太い腕がまた地面を捉え、地面を震わせ巨木を揺るがす。それは言うまでもなく強力なれども一度たりとも目標を捉えたことはない。

 ギルドが危険視して異名を与えるほどのモンスターを相手に一切の直撃どころか掠ることですら許さない。この時点で神域に達する段階なのだが、やってのけるのは隠居した筈の老者。見る者は先ず自分の目を疑うであろう。

 しかし、それだけではなかった。金獅子の身体に切創があるのだ。つまり、無傷のまま回避に徹するだけでなく、反撃も熟してみせたのだ。

 ジルバは脇を通り過ぎた雷球には目もくれず、ナイフを構えて肉薄する。対して徐に前進しながら金獅子は拳を振った。

 完全に拳の間合いであった、筈である。拳は目標を捉えてはいない。見事な空振りだ。

 

 またしても、である。

 

 金獅子が放つ猛攻の数々は全て当然のように当たらない。布石を打てども、猛攻を重ねようとも必ず避けられる。それも平然と、だ。

 そうして付け入る隙を易々と許してしまう。そうして出来た切創が既に数か所。血が滲み始めた部分もある。

 これからもそれが淡々と続く――金獅子でさえもそう感じ、苛立ちを隠せない頃合いだった。

 かくん、と足を曲げたジルバ。酷使された身体が悲鳴を上げた。

 

(こんなところで……っ!)

 

 突然、体勢を崩した標的に金獅子の中で驚きよりも演技を疑うよりも歓喜が、破壊衝動が勝った。 

 金獅子が弾かれたように飛びつき、掬うように腕を薙いだ。辛くもジルバは回避行動を取ろうと悶える。

 

「う゛、づっ」

 

 それまで嘘のように当たらなかった攻撃が初めて当たった瞬間だった。それと同時に形勢が反転する。

 衝撃を和らげるべく咄嗟に飛んだジルバだったが、軽傷は免れない。地面を転がりながらも上手く体勢を立て直し、幹の裏へと身体を投げ込んだ。

 直後、金獅子の拳が巨木を揺らす。

 睨み合う両者。ジルバが暴れる心臓を抑える間もなく、金獅子が追撃を仕掛ける。

 動け。迫る剛腕。寒気が走る。緊張が全身を迸る。果たして、命令は繋がった。

 間一髪であった。目の前で起こった埒外な出来事に肝を冷やしながらジルバは地面を転がった。足は既に限界を通り越しているが、気力でどうにかなっている。

 安堵も束の間、心臓がキュッと縮まるのを感じてジルバは視線を振った。大きな拳骨が砂塵を舞い上げる。金獅子は取り乱したように視線を巡らせた。

 ジルバの姿が見当たらない――その時、金獅子の視界を覆う影。

 地面を蹴ってから巨木を足場に三角跳び。金獅子の頭上をとった。背中に生えた金色の毛にジルバがしがみ付き、背筋にナイフを捻じ込んだ。

 

「ガアアアァァッ!」

 

 やむを得ず力任せに走ったかに見えたが、そうではない。ジルバは常に大局を見据えていた。

 身体が滅茶苦茶に振り回される混乱の中、左から迫る魔の手。ジルバは金色の毛に離さぬまま身体を右に逃がした。

 ナイフを突き刺したまま手を離し、冷静にホルダーからペイントボールを掴み取る。擦りつけるように金獅子に付着させてから再びナイフを掴む。

 次の瞬間、ジルバの胴体を金獅子の指が捕らえ、半ば反射的に投げられた。体が地面を二度バウンドして一本の幹に背中から叩きつけられる。

 飛びかけた意識を掴む。激しく痛む全身に鞭を打つ。ここが正念場だ、と言い聞かせ、ジルバは駆け出した。

 金獅子はその逃げ道を塞ごうとして――罠にかかり、ジルバが兜の内で笑みを零す。

 

「ガァアッ!?」

 

 気がついた時には金獅子の全身は蔦に絡め取られていた。常からありとあらゆるものを破壊してきた金獅子は進路を塞ぐ蔦を引き千切ってでも横着した。そこが自然にできた罠だとは知らずに。

 ネンチャク草と蔦が自生したそこは安易に踏み込めば、瞬く間に体の自由を奪われる。無理に暴れれば尚更のことである。

 畜生、と送った視線の先にジルバの姿はもうなかった。

 木陰に身を潜めたジルバは強走薬グレートと回復薬を飲み干し、金獅子の様子を窺う。金獅子は既に蔦から逃れつつあった。

 ジルバは急いでポーチからけむり玉を取り出し、金獅子の周囲に四つ投擲した。見る間に周辺が真っ白の煙幕に包まれる。

 

「ジルバさん、終わりました!」

「そちらに向かう」

 

 ジルバは白い煙に包まれた空間を一瞥し、何かを放ってからエレナの許へと走り出した。

 エレナとジルバは鬱蒼とする草木の中に伏せて隠れ、けむり玉の効果がなくなるまで様子を窺った。

 怒りを露わにするように唸りながら、金獅子は辺りを隈なく見回す。そうして、敵が逃げたことを悟り、匂いを追跡し始めた。

 そして、金獅子は引き込まれるようにジルバ達とは真逆の方へと走り去っていく。

 

「うまくいったようじゃな……」

「何をしたんですか?」

「血の匂いを辿らせたんじゃよ。奴が投げたアプトノスの血じゃがな。……まだ聞きたいことがあるみたいじゃの?」

 

 浮かない顔をするエレナの感情を読み取ってジルバが質問を付け足す。エレナは暫く渋りながらも決心したように喉に引っかかっていた言葉を漏らした。

 

「あの金獅子はやっぱり……私が子どもの時、見た金獅子ですか?」

「恐らくな。ラージャン自体、危険すぎる故に研究は進んでおらんが、個体数が少ないのは間違いない。ましてや、あの二つ名を持つ金獅子は一体しか確認されておらん」

 

 思った通りか。そんな表情をするエレナにジルバは平気で問いかける。

 

「復讐したいか」

 

 エレナは大袈裟に首を横に振った。しかし、表情は曇ったままだ。

 

「じゃろうな。あの金獅子の耳が酷く傷ついていたのに気づいたじゃろう? あの傷はな、恐らく双剣によるものじゃ」

「お父さんが?」

 

 ジルバがこくり、と頷く。

 

「鼻と耳、あと尻尾に切り傷があった。耳は特に酷く、あれは聞こえておらんじゃろ。お蔭で音から勘付かれなかった。ローランは勝てないと……悟ったのじゃろうな。だから、次に戦う者が少しでも有利になるよう配慮した。なかなか出来ぬ英断じゃ……きっと立派なハンターだったのじゃろうな」

 

 ジルバの言葉にエレナがハッとする。そして、次の時には穏やかに笑みを浮かべていた。

 ローランは激闘の最中で若しくは対峙した瞬間から生きて帰れないことを悟った。だから、考えた方を変えたのだ。勝つためではなく、繋ぐために。聴覚、嗅覚を奪うことで金獅子の索敵能力を削ぎ、金獅子の能力の源と言われている尻尾を切り落とそうと試みた。

 彼は自分の命を次に繋ぐために費やしたのだ。

 

「私の自慢のお父さんですから……」

 

 嬉しそうにエレナは少々涙ぐんで言った。その様子にジルバは内心で安堵する。

 

「自分のすべきことが分かったようじゃな」

「……はいっ。商人さん達を守ることっ、です!」

「うむ。ワシ達もすぐに追わねば……恐らく、南じゃろう」

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 静寂に包まれた洞窟は獣のような雄叫びに堰を切られ、咆哮と剣戟音と銃声が混じった戦線と化した。

 激戦は膠着する。常に流転しながら戦線は平行線だった。ランポスの一糸乱れぬ連携に狩人は翻弄される。対して狩人の衰えぬ気勢に数を増やしながらもランポス達も苦戦を強いられる。

 一進一退の攻防。お互いは限界を通り越し、やがて、意地をぶつけ合っていた。理由も忘れ、ただひたすらに勝利を求め、敵を沈黙させるべく猛った。

 日は大きく傾き、尚も激戦は続き衰えず。気づけば西の大穴にまで傾いた橙の夕陽が洞窟の激戦を覗いていた。

 真っ赤に照らされた洞窟はいつしか暗くて見えなかった壁が露わになっていた。壁には幾多の小穴が点在しており、ランポス達はそこを住居にしていたらしい。

 ここは紛れもなく敵の住み家で自分達は荒らしに来た放蕩者なのだと思い知らされる。だからと言って潔く力を抜くなど有り得ない。

 

「……シッ!」

 

 夕陽に照らされた太刀が光る。血飛沫を纏いながらハザンは地面の血潮を跳ね飛ばして駆け抜ける。

 跳びかかる二頭のランポス。一頭を串刺しに、身体を翻してもう一頭を避ける。引き抜きざまに着地したもう一頭を薙ぎ払い、踏み込んで首を掻っ切る。

 そうして次を向こうとしてハザンは右足が動かないことに気がついた。見ると血溜まりに蹲っていたランポスの牙がハザンの足首を捕らえていた。血反吐を吐きながら、光を失った目で。

 背筋が凍る。しかし、次の瞬間には何の情もなく太刀を突き刺した。

 その出来事はほんの数秒の時間でしかなかったが、今際のランポスが見せた意地は仲間を引き寄せるには十分だった。

 

「ギャアアァッ」

「ッ……野郎が!」

 

 息絶え横たわるランポスが嘲笑うかのようだ。

 跳躍したランポスに足蹴にされ、ハザンが血溜まりに伏せる。息つく暇もない追撃。次々とランポスがハザンへと跳びかかる。

 死に物狂いで血の池を転がる。赤い液体が真横で跳ね跳び、ランポスの爪が寸前に落ちる。紙一重で命拾いしたハザンは飛び起きた。

 

「うっ!?」

 

 再びハザンの身体が血溜まりを転がる。ハザンは視界が戻ったと同時に腹に尻尾の薙ぎを受けたのだと悟る。

 死の切迫を悟るが早いか、太刀の存在を確かめて出鱈目に振り上げた。肉を切った確かな感触を手に、ようやく頭をあげる。

 顎に切創を刻まれて悶えるランポス。首筋を噛まれる直前だったことに気がつき、ハザンは背筋をぶるっと震わせた。

 そんな時間も束の間だった。取り囲まれ、周囲から怒涛の視線が浴びていることに気づき、ハザンは重たい太刀を持ち上げて構えた。

 

「ふっ……どこまでも付き合ってやるよ」

 

 

 

 最早、誰の血かは分からない。

 全身を真っ赤に染めあげたアルは剣と盾を手にぶら下げて脱力していた。

 体が重たい。まるで、体に血が染み込んだようだ。鉄臭さも感じられない。

 前方に四頭、後方に三頭。アルは暴徒化したような血走った目を向けられる。

 いつの間にか対峙した時から徐々に数を増やしていた。恐らく、外からはあの西の大穴から入れるのだろう。しかし、着実に減ってきている。周辺に無造作に転がった屍を見回してようやくアルはそれに気がついた。

 右方。ハザンは苦しみながらも善戦しているようだ。致命傷を負っているようには思えない。と言っても、意識が朧げで何を根拠にそう思っているのかはよく分からない。

 跳びかかってくる。不鮮明な視界、的確に言うなら血に埋め尽くされた景色。そこに混じった青。本能がそれを認識して改めて意識が戻った時には叩き切っていた。

 得物に引っ張られるような感覚。

 

「ギャアッ!」

「ギァアアッ! ギャァァア!」

 

 手当たり次第に吼えるランポス達。それが連携を取る会話だとアルの不透明な意識が気づいた時、両者は同時に動いた。

 先手を打ったのはアル。投げナイフの投擲で牽制して間髪入れずに一閃。回り込んできたランポスを避けるべく前転。暗転した視界に光が戻り、刹那、開けた口が生え備わった牙が眼前に迫る。

 

「くッ!」

 

 それを反射的に盾でかち上げるも疎かになった右腕を別のランポスに捉えられた。牙が防具に間に食い込み、腕の肉に牙が入り込む。

 鈍痛、狂った様に叫ぶ。アルは地面を蹴って死に物狂いで体当たりする。更に噛まれた腕を捻じり、ランポスの腹の下へと巻き込む。が、頑固として離れず、ランポスとアルは塊になって転がり合った。

 ややあって、制したのはアル。苦し紛れに突き出した剥ぎ取り用のナイフがランポスの首を貫通。牙から解放された腕は痛みを訴えながら血を滴らせて返って来た。動かぬ訳ではない。今や痛覚には塵ほどの興味もない。

 どす黒い血塗れの中に映る蒼い双眸は希望()を失ってはいない。


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