モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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其の肆

 白い清潔を思わせるカーテンが吹き込む風で揺れる。

 ハザンは急な温度差に身震いして窓を閉めた。しかし、利己的なものではなく目の前で眠っている少女、ミラに気を配ってのことだ。

 彼女をこのベッドで初めて見た日から今までこの姿形は変わらない。仰向けに眼を閉じ、その体勢が変わるのは医者や看護師が手を加えるときだけだ。

 何日が過ぎたのだろう。医療によって体の栄養は最低限に保たれているらしいが徐々に身はかなり細くなっている。まだ顔色がよく寝息が聞こえるのがハザンにとって何よりの救いだった。

 毎日のように通っていたためか、病院の職員はほとんどが顔見知りで今では彼らの仕事を手伝う時もある。これはハザンから率先してやったことだ。

 しかし、この日常も今日までだ。愛おしくはない。しかし、彼女の様子を見に来られなくなるのは心苦しく不安な部分もある。こうして毎日見ているからこそ彼女が生きていると初めて実感できるのだから。

 だが、行かねばならない。ハザンは彼女を想う人間でありながら同時に狩人である。それにミラはこの一連の事件を解決するべく身を投じた。ならば応えぬ訳にはいくまい。

 

「必ず帰って来る」

 

 伝わらなくともよい。自分に言い聞かせたようなものだ。

 振り返ったハザンに未練はなかった。先までの自分を全て忘れてしまったようにこの先を見ていた。

 これから自分は人間ではない。狩人だ。

 

「殺すことも厭わない、か」

 

 ハザンは自嘲染みた笑みを浮かべて病室を後にした。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 翌朝。まだドンドルマに静けさと清々しさが漂う頃合い。

 一千の幸、商隊は忙しなく走り回っていた。積み荷を載せるべく倉庫とキャラバンを男達が行き来し、それを指揮する副団長の声が凛々しく響く。何も働くのは男ばかりではない。女は食料を仕分けし、衣類を纏め、家畜の世話をする。子どももまた其々の補佐につく姿が見られた。

 

「素晴らしいな」

「だろう、恩人。これが一千の幸だ。……で、恩人、改めてルートを大まかに確認したい」

「うむ、そうじゃな。先ずは街道をゆく。それから一度、村を経由して……」

 

 

 

「こいつが弾で……こいつが……」

「耐熱の外套ですね。ありがとうございます」

「ああ。そう、それだ。にしても、ハンターってのは火の中に飛び込みでもするのか?」

「いえ、怪鳥の火球対策です。と、言っても気休めくらいにしかならないですけどね。それでもハンターは可能性のある限りこうした物を用意します」

「へぇぇ……感心するな」

「いえいえ、そんな。僕らはこんなことしかできないですから。……よいしょっと」

 

 アルは仕分けされた弾丸の入った箱に耐熱外套を乗せて持ち上げた。そのままアルは彼と並行してキャラバンへと足を運んでいく。

 

「それにしても凄いですね、商隊さんは。動きがきびきびしていて効率が良い」

「だろう、そうだろう。今回、俺は伝令役だ。困ったことがあったら言ってくれ。何でも熟してみせる。俺達は一千の幸だからなっ!」

 

 男は調子よく胸を叩いて言って見せた。

 

「はい! よろしくお願いします」

 

 

 

 女性の商人が颯爽と衣類を畳んでは木箱に入れる作業を熟す中、そこだけ浮き出て分かるような動きで働くエレナの姿があった。

 周りの動きに気を囚われながらも一生懸命に慣れない動きを繰り返す。エレナが十だけ畳むと隣では、二十、三十と畳んで木箱を運び出している。

 その様子に慌てていると視界の端に何かが映ってエレナはそっちへと目をやった。

 

「お姉ちゃん。こうやると良いんだよ」

 

 小さな少女はそう言ってあっという間に服を畳んで見せた。

 

「わっ、速い。こ、こう?」

「んーん。こうだよ」

「あ、そっか。左手を引くんだね。ありがとうねっ」

「いいえっ。頑張ってね、お姉ちゃん」

「うんっ」

 

 そう言ってエレナはガッツポーズを決めてから早速、教わった動きで颯爽と作業を熟していった。

 周りがエレナの飲み込みの早さと素直さに笑みを浮かべ、視線を集めているとも知らずに。

 

 

 

 ハザンは屈強な男達に囲まれながらキャラバンの調整に取り掛かっていた。

 慣れない道具を片手にハザンはキャラバンの連結部分を凝視する。

 

「ここを確認するんだ。ここが弱いと荷車が大きく揺れるし、場合によっちゃ外れる」

「分かりました」

 

 男の太い指が指した金具を頭の中に思い浮かべながら次のキャラバンへと移る。そうしてハザンは記憶と重ねながら視界に映る金具を凝視した。

 これをキャラバンの数だけ繰り返す。手慣れたハザンは男の指示がなくとも次のキャラバンへと移るようになった。

 

「良い男さねぇ。あんな男前がウチにいないのが本当に残念だよ」

 

 そんな女性の声が後ろから聞こえてきて先に反応したのは商人の男だった。

 

「はっはっは。モテるなぁ、青年」

「……そんなことないですよ」

 

 ハザンは照れを隠すように作業に集中した。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 出発の準備は僅かの間に済んでしまった。しかし、商人達に疲れ切った様子はなく、むしろこれからに向けてより一層に気を引き締めているように狩人達は見えた。

 それに釣られる様に狩人達の意識が高まったのは言うまでもない。商売道具の手入れはより丁寧に、多くの命を預かっているという自覚をより厳格に。

 ドンドルマ出発はもう間もなくだ。

 

「恩人、紹介しておきたい人がいる」

「紹介?」

「うむ。諸事情から商人ではない人間を乗せていく事になるのでな。それに当人の希望でもあるのだ」

「それは断るわけにはいかんな」

「良かった。もうお嬢ちゃん達も待っている。行こう」

 

 そうしてジルバはゴーシュの後に付いて商人達が居座ることになるキャラバンへと身体を乗り入れた。

 密林、森など用の迷彩を施された布を退け、ジルバは先ず既に集まっていたエレナ、アル、ハザンに目がいった。

 そしてその奥にいたのは白銀の髪に翠色の透き通るような目の少女だった。静を思わせる上品な座り方で目を合わせれば慌てて礼儀を確認してしまうような身分を感じさせる。

 しかし、その服装は東西を渡っても見かけない意匠であった。白を基調とした衣服は見る者に固い儀式を思わせるだろう。袴、肩掛け、長く垂れた袖、そのどれものが白色で紫色の線が走っている。

 そして何より容姿端麗であった。まるで夢に描いたような少女であった。

 

「初めまして。エルシュナと申します」

 

 深々とゆっくり頭を下げ、華奢な手を床につける。たった一連の動作だけでジルバ以外の三人は身体が強張るのを感じた。慌てて猿真似するがぎこちなくまた防具が出す擦れる音が台無しにする。

 

「貴重な時間を取らせてしまって申し訳ありません。どうしても挨拶をしておきたく思いまして」

「いぃ、いえっ、これもハンターのお勤めですのでお気遣いなくっ!」

 

 自分の慌てぶりに後から気づいたエレナが顔を赤らめて口を噤む。それを微笑ましく見ながらジルバは堂々とした変わらぬ口調でエレナの跡を継いだ。

 

「見慣れぬ衣装じゃな。どこか民族の方かのう?」

「はい。遠い山奥の目立たぬ民族です。村の者達は一生を山奥で過ごすのですが私はどうも変わり者のようで外の世界にばかり興味をもつものですから、こうして商人さんにお連れ頂いているのです」

「山奥の民族にしてはずいぶんとお綺麗な衣装じゃのう。民族の風習じゃろうか?」

「そうでしょうか。内の話には疎いもので……」

「まあ、若い者は皆そうじゃろうなあ……」

 

 そう納得したように呟いてジルバは黙り込んだ。一見、何の変哲もない会話であった。現に場の雰囲気は和やかで奇妙な分子など然程もない。

 しかし、時間にして一瞬。奇妙な空気の流れを感じたのを狩人三人は覚えている。そして、その感触は前に感じたことのあるものだった。

 そう、マードックと初めて会った時である。そして、その感触の起こりはいつも――ジルバの中から感じられる。

 

「――さて。そろそろ、出発の時間だ。恩人、取り掛かってくれ」

「うむ。エレナ、アル、ハザン。ワシ達のキャラバンで最終確認じゃ」

「「「はい」」」

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 四台の荷車と三頭のアプトノスを前に何本もの樹木でできた門が大きな音を立てて開く。

 双眼鏡を覗く物見から危険信号はなく、辺りに大型モンスターの姿は見当たらないらしい。一先ず安全区域はいつも通りのようだ。

 今回は大きな石でできた立派な門を潜らず、裏門から出ることになっている。

 しばらくの間は狩人達も休憩になる。無論、油断するわけではないが六日間すべてに気を配らすこともできまい。

 ハンター用のキャラバンを一目散に出て行ったエレナが向かった先はエルシュナのいるキャラバンであった。

 エレナの積極的な精神と素直な心が起因してか、二人は当然のように打ち解け合った。

 

「このサイコロを椀で転がすのです」

「へぇぇ、面白いねっ」

 

 エルシュナの民族に伝わる娯楽をエレナは教わっていた。そうしてしばらく教わったばかりの遊戯でエレナとエルシュナは時間を過ごしていた。

 

「ねえ、エル」

「何でしょうか」

「この指輪も民族のもの?」

「ええ、確か魔除けの効果があると聞きました。どうかしましたか?」

「どこかで見覚えがあるような気がするの……どこだったかな……」

 

 必死に思い出そうとするエレナをエルシュナはじっと見つめて待っていた。邪魔にならぬよう息を潜めて、エレナの翠色の瞳に己の顔を覗き込んで――待ち伏せでもするかのように。

 沈黙はエルシュナの静かな声と共に破られた。

 

「そういえば、エレナ様は綺麗な金髪をしていますね」

「うん。お母さんとお揃いなんだぁ」

「お母さんと? それは――」

 

 刹那、エレナは突然、跳ね上がるように立ち上がって眼を閉じた。

 前触れのないエレナの行動にエルシュナは肩をぶるっと震わせてから目を白黒させた。そして彼女の姿に狩人を見て不意に言葉を漏らす。

 

「モンスター、ですか?」

「……はい、恐らく」

 

 小さく呟く凛とした声。まるで、先ほどの少女が別人であったかのような雰囲気。

 しかし、またエレナは元に戻っていつもの口調で言葉を続けた。

 

「あ、でも、心配しないでくださいね。物音の数やリズム、側面を並走している辺りランポスのようです」

「そ、そんなことが分か――っ!?」

 

 次の瞬間、耳を貫く銃声。後方からもの凄い銃声が鳴り響いた。キャラバンの中にいた者のほとんどが驚く中、エレナは平然とキャラバンの布を捲る。

 流れる視界。緑の中に紛れる青い影。ぎょろりとした黄色い目がこちらの様子を窺っている。

 狙いは恐らく食事だろう。その視線を感じ取る者のほとんどが殺気か、狂気と感じるだろうが何度も遭遇しているハンターならば間違いなくそれを、獲物を狙う視線と感じる。

 エレナは腰のホルダーに手をかけて何かを掴むと当然のようにそれを投げた。

 一瞬置いてからそれは閃光を放ち、エレナの配慮でその光がキャラバンの中に届くことはなかった。視力を奪われたランポスのほとんどが木や仲間と衝突したり、躓いて転んでいったりで見えなくなっていく。

 

「すみません。ここは退いてください」

 

 並走する視線。それはエレナの瞳の奥にあるものを覗こうと真っ直ぐにこちらを見ていた。

 しばらく睨み合う両者。刹那に再び銃声が二度してこれを皮切りにランポス達はキャラバンから離れていった。

 決してエレナの言葉が伝わった訳ではない。ランポス側が論理的に状況を鑑みて撤退を選んだだけの事だ。判断の余地は向こう側にあった。何なら怒りに身を任せてエレナに飛びつくことだってできた。

 しかし、エレナには余裕があった。身を構えるまでもないほどのゆとりが。

 

「ど、どうして怖く……ないのですか?」

 

 完全にランポス達が諦めたことを確認してエレナが布を戻す。

 振り返ってキャラバンの中を見回すとそこには少なからず不安感を抱く者達の面々があった。エルシュナの問いに商人達が注目する。

 エレナは自信満々に胸を叩いてみせる。

 

「貴方達を守るハンターですからっ!」

 

 その姿に不安がっていた商人達はまるで宴のようにめでたい声をあげてエレナを称えた。

 

 

 

 一方でその大きな声を前方のキャラバンで聞いていたゴーシュは顔を赤く染めていた。

 

「全く、緊張感がない。後で説教せねばならんな」

「不安だったのじゃろう。仕方あるまい」

 

 ジルバの諭しがあってゴーシュは少しずつ顔色を戻していった。机の上に置いた地図を二人は挟みながら手には空っぽの盃を持っていた。

 

「それにしても恩人が参戦しないと聞いて驚いたが……杞憂だったな。素晴らしい弟子達だ。流石は恩人だ」

「ワシは何もしておらんよ。全部、自分達で培ったものじゃ」

「さて……ランポスが現れたということは、そろそろ旅は本番か」

「そうじゃな。ワシも自分の務めに戻るかのう」

「何事もない旅であればいいな……恩人」

「そうなるよう努めるのがワシの仕事じゃ」

 

 キャラバンは森を抜けて荒野を進んでいく。

 ギルドの情報によれば北エルデ地方に続く街道辺りで岩竜バサルモスが目撃されているらしく、もう間もなく街道を逸れることになる。

 人の手が届かぬ自然へと入るのだ。誰の目にもつかぬモンスター達の巣窟へと。


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