モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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第二章 錆び果てた剣
其の壱


 寒冷期を終えたばかりの密林はまるで、溜め込んでいた生気を活性化させたような生命力で溢れ返っていた。一歩踏み込めば、命の気配が押し寄せてくる。

 荷車に道具類を載せたばかりのジルバ達は昼食を挟み次第、拠点を出た。

 正式に依頼された今回の舞台はやはり、ギルド管轄の狩り場である。海沿いの密林は微かに潮の匂いが漂い、辺りが静かになれば波音も聞こえてくる。しかし、今目指しているのは南東の密林だ。この辺りに奴らは棲みついていた。

 ドスファンゴ。それが標的の名だ、またの名を大猪。繁殖期になった途端に北上し始めた群れがジャンボ村に被害を及ぼす仮説が浮上した。これの信憑性が高いと判断され、此度の依頼となった。寒冷期の時点でこの群れには危険性があるとされていた。しかし、寒冷期のドスファンゴは獰猛とされ、危険視される。これを危惧して依頼として正式に成立されていなかった。

 だが、繁殖期になったといえども、まだ境目を過ぎた時期。獰猛さが完全に消えたとは限らない。これを経験していたジルバはエレナに昨夜、進言していた。

 

「分かっておるな? エレナ」

「はい。ドスファンゴがまだ完全に落ち着いたとは限らないので、要注意する……ですよね」

「そうじゃ。仮に落ち着いていなくとも、しっかりと動きを見れば、簡単に突進は避けられる。重要なのは、冷静を保つことじゃ。良いな?」

「はい」

 

 警戒心は保ちながら口と足を動かした。ジルバの意向で荷車を牽くのはジルバが担当している。これも命の価値を独自で考慮してのことだった。それに年老いても性別は変わらず、またその心の在り方も変わりはしない。女子に力仕事を任せるなど一抹の矜持が許さなかった。

 しかし、信念や矜持ばかりで、身体的な汚点を補うという絵空事など有りはしない。動悸は激しくなり、全身の筋肉は悲鳴を上げている。現役の自分なら誇りを捨ててでも休憩を惜しまなかったが、年を重ねるにつれて不毛な矜持が増えてきた。やはり、年には勝てないのか、と何度も犇々と感じた。

 欠陥ばかりが膨れる中、唯一、衰えない武器がある。それは知識と経験。これだけは劣らないし、譲れない。これが命を繋いできたといっても過言ではない。

 だからこそ、彼女にはこの素晴らしい武器を手にして欲しいと願っている。その為なら積み上げてきた知識を惜しまず、教えられる。今日も、その教養の一環として来たつもりだ。

 

「覚えているかテストするぞ。ワシが角笛を吹けばエレナ、お前さんはどうする?」

 

 約束なしに質問し、少女の記憶の新しさを確かめ、本番で難なく熟せるかを見る。彼女は余裕の表情で答えて見せた。

 

「えっと、大タル爆弾をしかけて、閃光玉を準備しながらドスファンゴを誘導します」

「よろしい! どうやら、心配なさそうじゃな」

 

 この狩りで彼女に経験して欲しい事柄は罠の設置だ。罠の設置は大型モンスターを狩る上で重要な役割となる。これを知らずして飛竜を相手になどできはしない。これは飛竜戦に向けての途上でもあるのだ。

 それを知ってか知らずか、先を行くエレナの目は気合の火が揺らめいていた。そんな火を危ぶませるように空が色を変える。

 

「……雲行きが怪しいな」

「一雨来そうですか?」

「うーむ。一雨で済めばいいが……」

 

 北東の空。切迫する乱雲が強大で凶悪なものであることを二人が知ったのは、至大な遠雷を聞いた時であった。

 

 

 

 穏やかだった海は怒るように擾乱し、横殴りの豪雨が密林を打つ。雷を伴った激しい雨は彼らに対する無情な足枷となり、辛労を上乗せした。

 闇の空にぴりぴりと稲光が裂ける。突発的に閃く雷に照らされた二人の横顔は疲弊の色で満ちていた。

 視界が水煙でけぶり、濡れた髪が張り付いて、気持ち悪かったが、今となっては感じもしない。水を吸った荷車や道具は重く、泥濘の地では何度も空回りを起こした。

 水の氾濫を懸念し、海と川は避け、願わくは雨宿りできる洞穴を目指して、雨に打たれながら前に進み続けていると、足場に違和感を覚えて立ち止まる。足元には岩盤が広がりつつあった。

 久方ぶりに顔を上げ、そして、声を上げた。

 

「エレナ! あそこで少し休憩じゃ」

 

 ジルバの視線を追って、目先にぽっかりと口を開けた洞窟を確認したエレナが無言で頷く。

 洞窟へと入れば、雨は突然に無くなり、激しい雨音だけが響いていた。どうやら、完全に密閉された空間ではないらしい。奥から流れて来る水を見れば、奥に穴があると認知できた。

 後ろを振り返って、雨脚を確認する。これは暫く止みそうになさそうだ。ぼんやりとした頭ですべきことを並べる。先ずは火を焚いて、体温の確保。次に現在地の確認と時刻だが、地図は濡れていて使えそうにない。時刻も調べる術が無さそうだ。

 

「ふむ……参ったな」

 

 暴風雨に覆われてから、どれくらい経ったのか最早、見当もつかない。顎に手を当てて、暫く思い悩んでいると奥から活き活きとした声が聞こえ、振り返った。

 

「ジルバさーん! ここ、すっごい綺麗ですよっ」

 

 反響して聞こえてくる声に体力の底はないのか、と呆れながらも反応に惹かれて荷車を牽き始めた。岩に囲まれた狭い小道を抜け、少し広めの空間に出る。だが、ここに彼女はいなかった。奥にもう一つ、小道がある。

 溜息をつきながら荷車を牽き、小道を潜り抜けた先、光に目を眇めた。

 

「う……」

 

 明滅せず、金緑色の塗料が無造作に張り巡らされた不思議な空間。星の雫のように神秘的に耀き、幻想的な空間を織り成した自然の軌跡ともいえる。雨音が聞こえなくなり、神経が視覚に集中してしまう程に美麗である。

 ジルバはこれを知っていた。

 

「ヒカリゴケじゃな」

「ヒカリゴケ……ですか?」

 

 あどけない表情で光る灯をまじまじと見つめていたエレナが飛び付くように反応する。

 

「うむ。コケ植物の一種でな、洞窟のような暗所で輝く特殊な植物なんじゃが……確か涼しい地帯でないと生えない筈だったが……違ったかの。それにしても見事じゃ」

「ほえぇ」

 

 童心に返った少女はあちこちに飛び回ってはしゃがみ込んで、感嘆の声をあげていた。暫くの間、お茶目な姿を見せていた少女のくしゃみで突然、体感が引き戻ってきた。景色に意識を奪われていたが、この洞窟内は肘を抱えて震えるほど寒かった。

 

「もう、夜かもしれんな」

 

 体温の確保をせねば。本能がそう告げている。しかし、それを上回る警鐘が頭の中に鳴り響いた。

 完全に油断していた。疲弊し切った体は休息を求め、警戒は驚くべき程に疎かになっていたようだ。

 奥から緩慢に現れた獣。非対称な牙を携えし、荘重な獣は荒い吐息を漏らし、腹の底を揺すぶられたような気迫の双眸。

 

「エレナッ!」

 

 ジルバの警告とほぼ同時、足を岩盤に擦らせたドスファンゴが駆け出す。続いてエレナが構えを取り、回避の体勢を整える。

 ドスファンゴの猛烈な突進を容易に避け、一先ず安堵する。しかし、狩り場での戦況は常に変幻するもの。後から現れたブルファンゴの数を見て、驚愕する。見えるだけで十頭、奥にはまだ潜んでいるかもしれない。そして、その内の六頭が飛び出した。

 四頭はジルバを標的に捉えているようで、ゆっくりと進路を確保し、絶好の位置を陣取る。

 エレナを目掛けて飛び出したブルファンゴの波の先頭がエレナを交差する。上手く避けたらしい、続く四頭も身軽な動きで回避し、最後の一頭を転がって逃れる。

 この時既に、ジルバの胸には騒めきが迸っていた。頭領が巨体を走らせる。エレナの完璧な死角。彼女はまだ立ち上がりそうにない。

 悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、徐々に助走をつけると、蹴躓かんばかりに全速力で走り抜ける。前方から二頭の子分が恐ろしい勢いで迫ってくる。避けられるか、否――避けるのだ。

 体を傾ぎ、速度を緩めず、大きく踏み込んで突っ込む。一抹の隙間を駆け抜ける。ジルバの真横を掠める牙と毛、一瞥したその顔は恐らく、愕然に染まっていた。

 体を前に倒し、手を付いて体勢を微調整。意地で転倒を防ぎ、エレナと自分と大猪の間合いを見て取る。余裕はある、そうと決まれば、次の一手を。

 腰に手を回し、ホルダーから閃光玉を握り取る。鉛直より前に放り、エレナの姿勢を目にする。思い切り前に身を投げ出し、エレナを抱え込み、庇いながら地面を滑る。ジルバ達が直前までいた場所を巨体が駆け抜けた。

 

「……ちょっ、ジルバさん!?」

 

 抗いはせずとも、戸惑うエレナが驚きの声をあげる。直後に危険を悟った。理解が現実を追走する中、ジルバの腕が顔に覆い被さり、再び理解と現実の距離が離れてゆく。

 数秒後、ジルバの腕の奥から閃光が覗いた。散在するヒカリゴケの光を塗り潰す強烈な光だ。光が飛び退くと同時、腕から解放され、素早く指示が飛ぶ。

 

「エレナ、左奥の一頭を頼んだぞッ」

 

 結局、理解は現実に追いつかず、指示に従って視線を移す。寸時だけ視覚を失われた獣達が困惑する中、一頭だけがこちらを確かに見ている。間違いないと判断し、落ち着き払ってそれを抜刀する。

 真っ赤と深緑の剣はまるで、命の息吹を受けたかのように煌く。

 自信と心情によって力と気が漲るのを感じる。混乱する群れを突き抜けて、接近する丸い茶色の砲丸。進路から外れ、軽い足運びでその瞬間を調整してから、走り出す。

 

「今だッ!」

 

 得物を両手にすることは不利とされていた。ジォ・ワンドレオが出自の双剣は当初、笑い物であった。理由には筋力が必要とされる割に殺傷力が低いという点だ。だが、実際、必要とされる技量や労力は大差ないのだ。

 剣とは腕で振るうものではない。力任せに一太刀振ったところで、二の手や三の手が危ぶまれれば、それは無価値と成り下がる。ならば、如何に為せば良いか。それは師が教えてくれた。

 「身体で斬り、身体で操作する」と。

 エレナは双剣を構えた腕を全身で捻り、横一線に振るった。炎が踊り、体毛を焼き、刃が駆けて、肉を裂いた。そして、それは静かに息絶えた。

 その場で静かに成功を喜び、直ぐに切り替えて見回す。ジルバは一頭を打擲し、まだ視覚の戻らない一頭を薙ぎ倒して立ち止まる。向こうも同じく見回し、視線が合うと颯爽と指示が飛んできた。

 

「こっちじゃ!」

 

 彼が指し示すのはこの大広間の端に突き出た大きな岩塊。エレナは速やかに暴れる獣の合間を過ぎ、ジルバが潜む岩塊へと飛び込んだ。

 大きいと一言でいっても男の大人が二人隠れられる程度の岩塊で互いに身を寄せ合って、身を潜ませた。その所為だろう、彼の胸苦しそうな息遣いが聞こえたのは。

 エレナは訊かねばなるまいと使命感に突き動かされて心配する。

 

「ジルバさん。大丈夫ですか?」

「はっ……っは、はぁ。おそらくな」

 

 いつもの荘厳たる強気な返事ではない。恐らく、この返事にも見栄が含まれている。その様子にエレナは密かに唇を噛みしめた。

 そろそろ視力が回復するであろうと頭だけを覗かせ、状況を確認するジルバの息遣いは未だに落ち着かない。密かに不安を募らせ、ジルバの体調に厚情を注ぐ心構えでいたことを勘付かれたのか、理不尽な忠告を押し付ける。

 

「……ワシのことなら心配するな。いいな?」

「でも……」

「もう一度、訊く。できるな?」

 

 二度目の忠告、いや、これは強要だ。鋭い眼差しが兜の中から覗く。これは敵を睨む目に似ていた。

 

「わ、分かりました。でも、一つだけ。絶対、無茶しないで下さい」

「……約束じゃ」

 

 違う。明らかに裏がある。そう直感したエレナは胸の内に異議と決断とを押し込んだ。

 ジルバは皮袋の中を覗き込みながら、「ペイントボールは持っておるか?」と小声で囁く。ベルトに付いているのを確認してから、「はい」とだけ言う。余裕があれば、ドスファンゴに投げ付けておくようにとの指示だった。

 皮袋の中から黄色の液体が入った瓶を取り出した。強走薬グレートと呼ばれる持久力を一時的に底上げするもの。狂走エキスと名づけられた特殊な液体の成分の効果により、持久力が増すのだが、これを人工で改良したのが強走薬グレートと呼ばれるものだ。

 彼はこれを一気に飲み干し、空瓶を握ったまま、効果の実感を待った。

 少し経った後、地響きが確かな調子で伝わってきた。視界は回復したようだ。唸り声が聞こえる、直感的だが、怒りが込められているのが分かった。

 様子を窺っていたジルバがエレナに向き直る。恐らく、隠れ切れる可能性が低いと踏んだのだろう。その口調には明確な戦意があった。

 

「ワシの合図の三秒後、二手に分かれて群れを挟むぞ。ドスファンゴには手を出さず、一定の距離を置きながら、ブルファンゴの全滅を最優先にする。できるな?」

 

 こくん、とだけ頷く。再び様子を窺い始めた数秒後、指で腕を叩かれる。合図だ。

 

(三)

 

 群れは岩山のような王を中心に散らばり、辺りに探知機を巡らせる。

 

(二)

 

 隣で体勢を変えたジルバの息遣いは未だに少し落ち着かない。心配だ。

 

(一)

 

 強張った足に力を入れる。自分が動く道を明確にし、静かに「よしっ」と呟いた。

 ――大きな手が肩を叩く。瞬刻、飛び出す。

 馳せ合う最中、エレナは大猪の瞳に渦巻く憤怒と憎悪を垣間見た。


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