其の壱
燃え盛った。振るわれた首の先端、口から放たれた炎がエレナとアルの接近を阻んだ。
直感的に危険を悟ったのか。エレナとアルの接近を嫌ってリオレイアは威嚇する。炎が止み、まだ熱気の残る空気を突き抜けてエレナが肉薄していく。
サマーソルト。宙返りすることで毒針付きの尻尾を打ち付ける技だ。その威力も然ることながら毒がその後も体を蝕み続ける厄介な攻撃だ。無論、毒に耐えようとする体と意識が残っていればの話だ。
よって余裕を持って避けることは当然。サマーソルト後のリオレイアには隙があると言われるが危険性が大きかった、が。
「行くつもりか……!?」
その知識を蓄えている筈のエレナは足を止めなかった。冷汗が噴き出てレイラは思わず走り出す。デイヴも驚きの色に表情を染めながら弾丸を装填した。
「……すぅっ」
集中。そして見定める。空間を読み取り、尻尾の先端が来たる位置を感知していく。
全情報を視覚から受け取り、己の動作までも視覚に頼る。考えず見る。脳と身体が切り離されるような感覚――行ける。
一歩か、否、半歩。駆ける足のリズムを変動させ、直後に加速する。
当たった。毒針が頭を捉えて首の骨と肉が断裂し血が弾け飛んで戦慄。
誰もが予想した未来図が覆る。リオレイアには感触さえ、手応えさえあった。それはまるで透明になってすり抜けたように。
「何が、あった……?」
この場にいる者を、時までも例外なく置き去りにしてエレナが加速する。地に着いたリオレイアの足を瞬く間に斬ってエレナが通り抜ける。
リオレイアの思考が追い付かない。それもその筈だった。足下を通り抜けた者は既に思考に頼らぬ者。
感覚と才能に身を任せ、あるべき己の姿を顕現する。凄まじい集中力と逸脱した洞察眼によりリオレイアの意識の一歩先をゆく。
噛みついた場に影はなく踏み付けた地には居た痕跡すら見当たらない。リオレイアの下を駆け回り、着実に足を斬り付けていく。
「っ……」
何を思ったのか。圧倒的な優勢にいたエレナが逃げるように離れた。エレナの感覚から遅れていたリオレイアはエレナが離れたことにすら気づかない。
どれくらいの時間が経ったのか。思い出したように響いた銃声がレイラの意識を取り戻す。先ほどの空白だった時間が一斉に頭の中に飛び込んできて現状を数秒で理解した。
「過度な集中による疲労か……」
苦しそうに呼吸するエレナ。その視線の先ではアルがリオレイアに接近戦を挑んでいる。
アルが言っていた自分に匹敵する力を否が応でも思い知る。自分にエレナが見ていた景色を想像することはできない。事実、余韻で高鳴る胸が感じたことのない興奮を訴えていた。
「こいつは化けるぞ……」
笑みを零さずにはいられない。自分の功績に満足していた過去の自分に腹が立つ。世界は広い、と犇々と思い知らされた。
奮える気持ちを解放しよう、と手が柄に伸びた時だった。
喧しい鳴き声とともに現れた一つの青い塊。十数匹からなるランポスの群れが瞬く間に雪崩れ込んできた。
感覚が未だに鋭かったのか、逸早く反応したエレナがアルに警告する。
「アル、下がって!」
「っ、分かった」
リオレイアの噛みつきを上手く躱してアルが走り出す。反撃を警戒してリオレイアは追撃を断念。ランポスと接戦する前にどうにか合流できた。
デイヴの容赦ない射撃に怯まずにランポス達はアルとエレナに向かっていく。駆ける中で陣形は狂いなく変化し、驚くほどに正確な三列縦隊になった。
「ねぇ、アル。これって……」
「そうだね……ジルバさんが言っていた通り――操られた竜だ」
アルは辺りを見回した。ジルバが言うには竜を操る主は必ずどこからか見ているに違いないらしい。アルは壁に大きな空洞が見つけ、そこにいると確信した。姿は確認できないが、全体を見渡せつつ隠れてこの場を観察するにはあの場所しかない。
クシャルダオラの調査に向かったあの夜、古龍観測隊の人達を恐怖のどん底に陥れた非情な人間。アルの眼に自然と怒りが宿っていた。
(……抑えろ。冷静になるんだ)
敵の知能は人間並み。同等の知能を持った敵を相手に我を忘れてしまえば容易く負けてしまう。
穏やかに息を吐いた。思考が正常に回っていく。
――考えろ。――記憶を辿れ。――想像しろ。
古龍観測隊の人達を襲った時は真っ暗な夜だった。ミラを岩山の頂上に追いやったあの場所は砂漠だった。夜なら身を隠せる。砂漠なら遠方から双眼鏡で窺える。しかし、現状はどうだ。
(銃なら……狙える)
壁にできた空洞は真っ暗だが、狙わずとも拡散弾を撃ち込めば人間くらいなら爆死させられる。
絶対的有利な立場で在りたい筈だ。危険要素は摘み取っておきたい筈だ。
狙うなら――狙撃手。三列縦隊で向かって来るランポスは囮。本命は孤立した狙撃手、デイヴを狙うに違いない。
「エレナちゃん……ここは任せても大丈夫かな」
「何か考えがあるんだね。分かった……行って!」
片手剣を仕舞ってアルが駆け出す。何かを察したのだろう、そう判断したレイラもデイヴも通常通り動き出す。
エレナとランポスがぶつかった。遅れてレイラが割り込む。そこへ間を入れず銃弾が飛び込んだ。
一方で激しい戦線から見る見る内に離れていくアルが警告を飛ばした。
「デイヴさん、こちらへ!」
「んっ、おう!」
アルの声に招かれてデイヴが射撃を止めて走り出す。アルとデイヴが疾走して交差する。訳が分からぬままデイヴが振り返った先でアルは剣を振るっていた。
息を潜めていた数匹のランポスとアルが激突する。
デイヴは自分の記憶を疑うぐらいに驚いていた。確かに先ほどまで気配はなかった筈だ。警戒は怠っていないし、己の能力に狂いはない。
唯、あのランポス達の気配が薄すぎただけでそれに自分が気づけなかっただけの事だ。疑問は多い。あのランポスは一体、アルは何を予測したのか。しかし、デイヴはそれらの疑問を一掃した。
「生き延びたらゆっくり聞けるさ」
そう自分に言い聞かせてデイヴは重砲を展開、射撃を開始した。スコープの中ではエレナ、レイラがランポスと応戦している。優劣はまだついておらず、リオレイアの介入だけが心配だった。
斬り伏せたランポスを乗り越えてエレナが刺突する。引き抜きながら切り上げて血を舞い上げ、入れ替わるように現れたレイラが難なく二頭のランポスを引き裂いた。
前半のリオレイアとの戦闘で培った連携が活きている。デイヴがそう確信して徐々に優勢になり始めた頃、咆哮が木霊する。
「ちっ。来やがったな」
リオレイアは目障りなランポスを蹴散らしながらエレナとレイラ目掛けて突進する。ランポス達はこれを気にかけず理性を失った様に狩人側のみを執拗に狙っていた。
非常に嫌な三つ巴だ。リオレイアの敵は実質上、狩人でランポスもまた同じ。どんなに言い繕っても協同とは言い難いが敵は二つになった。
徹甲榴弾を物ともせずに突進し続ける巨体を二人が避ける。巻き込まれたランポスが宙を舞うもの凄まじい景色。その凄惨の中にレイラを見つけることは容易かった。荒れ狂った混戦の中から抜け出していたからだ。
「レイラ! 俺からエレナの安全が確認できない!」
「……心配いらん。アイツなら
「なっ!? あの中で……」
デイヴはごくりと生唾を飲み込んだ。ランポスが血をまき散らして宙を舞う混戦の中に身を投じているのがあの華奢な少女。レイラでさえ入る事を躊躇っていた。正気の沙汰ではない。
「っ……」
レイラは拳を強く握りしめ、立ち尽くしていた。
普段、このような景色を遠目から見ることは少なかった。自分が当事者であったからだ。世間から罵倒されてきたこの女の身体であの場にいたからだ。
瞳が受け取る景色は次々と流れていく。
――怖いか、アレが。――醜いか、自分が。
いつの間にか満足していたのだろうか。出来る訳がない、と罵られてきた狩人としての生活を送り続け、ようやく上り詰めたここからの景色は果たして――あの頃、夢見た景色か。
「……頂きは遠いな」
柄を握り締める。死ぬ気で夢を追い駆けたあの頃のように、軽蔑する視線を振り払ったあの日々のように――今一度、恐怖を捨てる。
気づいた時、奮えた感情が爆発して夢中で駆け出していた。凄まじい混戦へと一目散に。
「あの馬鹿……ッ」
心の奥底で求めていたのかもしれない。あの小さな少女から切欠が欲しかったのかもしれない。しかし、今はレイラにとってそれらはどうでもよかった。
奮い立つ感情をただ外に弾け出したかった。
横に一閃。ランポスの首を両断して混戦に掻き入る。噛みついてくるランポスを強引に振り払い、身につけた技術も忘れて一心不乱に太刀を振るった。
ふと奮闘するエレナを視界に入れる。全方位から来る牙と爪を紙一重で捌く小さな身体。負けられぬ、と身体に力が入って群がるランポスを退けてリオレイアへと突貫する。
「グォアァァッ!」
「甘いな」
噛みついてきたリオレイアへ意図的に囁くように近づき、そうして通り過ぎる。傷だらけの足に太刀を振るい、回転しながら再び斬る。
リオレイアの足が浮いた。最後の一押し。鋭い一閃を叩き込み転倒を促す。
陸の女王が地に沈んだ。しかし、まだ抗う。炎を噴きながら首を振り回し、八つ裂きにされて焦がれた翼を叩きつける。
ここで仕留める。満員の意思が一致した時、聞いたこともないような武張った嗄れ声が響いた。
「エレナァッ! 道を開けろォォッ!」
重砲を激しく揺らしながら駆け込むデイヴ。
驚きのあまり呼吸も忘れたエレナだったが、意図は察した。デイヴの進路を妨げる数匹のランポスの中央へと飛び込み、踊るように剣を振るう。
血が舞い、剣が踊り、リオレイアとデイヴを繋ぐ直通の道が開けた。そこをデイヴが駆け抜けて跳躍する。
暴れ回るリオレイアの頭に乗ったデイヴが重砲を突きつける。絶対命中――零距離射撃。
引き金を躊躇わず引く。銃口から発射された徹甲榴弾が露出した肉を焼き裂いて――爆発。
「う、ぐぅっ」
爆風に押されて煙から飛び出したデイヴが地面を激しく転がる。腕を覆って爆風を凌いでいたエレナも尻餅をつくほどの爆発。
リオレイアの生死を確かめるまでもなかった。頭の内部から爆発。これを耐えることができる生き物をハンター達は考えられない。
その威力を重々に理解していたアルだからこそ慌ててデイヴへと駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか!?」
「だはっはっは。久しぶりに無茶やっちまったぜ」
しかし、当の本人は他人事のように笑い飛ばしていた。治療が必要なくらい火傷をしているというのにも関わらず、だ。
これには流石にアルも呆れ返っていた。何も零距離から撃つ必要などないはずだ。彼ほどの実力なら狙い過たず頭に命中させることもできたはずだ。
それでも彼が爽快に笑っていて何かに満足していたのなら彼の荒事も忘れてもいい、とアルは密かに思った。
◆ ◆ ◆
「確かにここにいたみたいだね……」
アルの視線の先にあったのは焚き火の跡だ。それはつまりここに火を使える者、人間がいたという動かぬ証拠だった。
場所はアルが目星をつけた空洞だった。アルとエレナは外側からつながる上り坂があってそこを通ってきた。
レイラとデイヴにはリオレイアの剥ぎ取りをしてもらっている。
しばらく二人は周辺を歩き回った。何か少しでも手掛かりになれば、と一縷の望みを持って注意して見回っていく。
どうせ敵はこれ以上の痕跡を残さないだろう、と諦めかけた時だった。アルがあっ、と声を漏らして座り込んだ。すかさずエレナが駆け寄る。
「何か見つけたのっ?」
「これって……」
「ネムリ草……?」
「だよね。でも、何でこんなところに……」
このような場所まで飛ばされてきたのだろうか。それにしては鮮度が良かった。加えて摘み取られたような根っこの跡もついている。
間違いなくここにいた者の私物だろうが何の為に持っているかがさっぱり分からなかった。
「二人とも! さっさと降りてきて手伝ってくれよ。折角のリオレイアの素材なんだ」
洞窟に反響したデイヴの声。久しぶりに大声を出したのだろうか、若干嗄れているようにも思える。
「すみません、すぐ向かいます。行こうか」
「そうだね。……私達の知らない所で何が起こっているんだろうね。
「分からない。でも、ジルバさんの言っていたことが正しいなら……大変なことが起きてしまいそうだよ」
そう言葉を落としたアルの眼は目の前に広がる草原を見ず、遠く何もない空虚を見ていて――途端、目の色が変わった。
その横顔をぼうっと見ていたエレナがびくりと肩を震わせてアルの視線を追う。
蒼い空。薄っすらと見える山脈の影。ゆったりと流れていく雲。
蒼を横断する黒い影。
それが頭の中で雄火竜、リオレウスの輪郭と一致するのにそう時間はかからなかった。空を優雅に飛んでいるその姿は正しく空の王者に相応しい。
「そんな……ギルドから雄火竜の報告はなかったはずだ」
「どうしよう……」
「とりあえずレイラさんにこの事を伝えよう。僕らじゃ判断できない」
「うん」